2019/08/06 - 2019/08/06
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Rolleiguyさん
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学生時代から一度は行って見たいと思い続けて来た、バイエルン州にある修道院オットーボイレン(Benediktinerabtei Ottobeuren)。ミュンヘンの友人宅に泊めて頂き、一人で行って来ました。バイエルン州には、いくつかの有名な修道院があり、オットーボイレンの他には、ベネディクトボイレン、ヴェルテンブルク、アンデックスなどが訪問者の多い修道院です。4つともベネディクト会の修道院です。ベネディクトボイレンはカール・オルフ作曲の「カルミナ・ブラーナ」の基となった中世の世俗カンタータ文書が見つかったところで、2013年に友人に連れて行ってもらいました。ヴェルテンブルクは、バイエルンで、最も古く、ドナウの川べりにある美しい修道院ですが、交通の便が悪く、まだ行っていません。アンデックスは2015年に友人と行きました。ヴェルテンブルクでは、修道士として神を賛美、祈りの生活を終生続ける決心をしたいと願う人が、通るプロセスを紹介しています。○○ボイレン(beuren)とはどういう意味かと調べてみたら、小さい家とか、集落、住居の集まりとかの意味らしいことが分かりました。祈りの生涯を送る修道士に相応しい名前だなと思いました。
でも名前のイメージとは正反対のような立派な修道院でした。
オットーボイレンを見学してから、ミュンヘンからの電車の終点だった
メミンゲン(Memmingen)の街を2時間ほど散策しました。マルチン・ルターが来たこともあるという、小さく、美しい街でした。
(追記)修道院で見かけた紋章について判明したことを追記しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ミュンヘン中央駅から電車で行きます。この電車は乗り換えなしです。
1時間半かかります。 -
スイスの混雑した電車とは違い、がら空きでした。
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友人に借りたガイドブックで予習します。メミンゲンの街の案内です。見所や歴史を簡単に説明してあることが多く、写真は少なく、お食事の写真はないので、私はこういうガイドブックが好きです。昔は ドイツでは一般的なBaedeckerのガイドブックは写真ではなく、エッチングのような絵が載っていて、如何にも昔風という感じでしたが、今はどうなっているのか。ところで、メミンゲンはこのガイドブックによると、ドイツではベルリンとデュッセルドルフに次いで、居酒屋の密度が高い街なのだそうです。理由は分かりません。
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こちらはオットーボイレンです。1ページに全部収まるほどの分量ですね。
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予習を終わって新聞を見ていたら、メミンゲンには刑務所があるそうですが、昨日2人の囚人が脱走したと出ていました。まだ一人は捕まっていないそうですが、この顔は特徴があるので、見ればすぐ分かりそう。
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Emoji(絵文字)という言葉が目に留まり、読んでみたら、アメリカから入って来たもののようですが、車のリアウィンドーに張り付けてあるのがそうだとか。
でもドイツでは、車の安全に関わるステッカー以外は、張り付けてはいけない規則だそうです。 -
このページにはSUDOKU(数独)という言葉があります。
日本発の文化もいろいろなところにあるのだなあと感心しました。 -
駅からバスで20分ほどでオットーボイレンの小さな村に着きました。それで、村を見てボイレンの意味が分かった気がしました。ボイレンという言葉は修道院だからついているのではなく、村を指しているのではないかということです。村の名前もオットーボイレン(オットー集落)でしたので。百聞は一見に如かずとはよく言ったものだと思いました。(今は人口が8000人を超えているようですが、大昔はほんの小さな集落だったでしょう。間違っているかもしれません)。
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では正面から、大きな感慨をもって仰ぎ見ます。石段の両側はちょっと手入れが今一つという感じで、これは意外でしたが、見栄えよりも中身が大切ということかもと理解することにしました。
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後からゆっくり写真で確認しようと思い、いろいろな像を写しました。
これは、オットーボイレンの建築にあたった建築家J.M.フィッシャーの没後200年を記念して、彼の業績を讃えたもののようで、1966年5月6日と記されていました。 -
こちらは、ローマ時代の殉教者聖アレクサンダーです。
ウィーンで没したマルク・アウレル帝の時代の人です。 -
彼は、ローマの神々を否定したために、西暦162年に6人の兄弟と母親ともども死刑を宣告され、キリストこそ真の主であると証ししたため、首を切られたのだそうです。
右手には殉教のシュロを、左手には剣を持っています。 -
こちらは、やはり殉教者である聖テオドールを讃える像です。聖テオドールを守護聖人とする教会は、ドイツでは、オットーボイレンの他に、バンベルクのカルメル会修道院と、ケルンにある教区教会聖テオドールの3つがあります。
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彼は、ローマ時代に異教徒の女神アルテミスを信仰するカルトに立ち向かい、西暦306年に残酷な火あぶりになりました。
手に持っているのは、右手が殉教のシュロ、左手が火掻き棒だそうです。ローマ帝国では、キリスト教徒として初の皇帝となったコンスタンチヌスI世が丁度この年に即位しているので、こうした異教徒との対立の最後のころだったのかもしれませんね。 -
1250年の歴史とは驚きです。最初に出来たのは764年だそうです。「ベネディクト会修道院オットーボイレン」というのが正式の名前のようです。
入り口でうろうろしていたら、高位の修道士のように見える理知的なお顔の修道士が、こちらですよと言ってくれました。年配者の顔は、その人の人生を表わすと言われますが、祈り、礼拝、瞑想を中心とした生き方が、こうした顔を作るのだろうと、我が顔と比較してしまいそうでした。 -
礼拝堂の入り口には、「神の家であり天国への入り口」と記されています。
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数十年待ち焦がれた修道院のバジリカ。感激で暫し立ちつくしました。
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じっくりと目に焼き付けようと周囲を見渡しました。
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身廊から見た正面の内陣
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ドイツ人の見学ツアーのようで、案内人が丁寧な説明をしていました。
少し耳を傾けましたが、丁寧過ぎて時間がかかりそうなので、途中でやめました。 -
明るい礼拝堂であるためか、こうした天井画や装飾がそれほど刺激的ではないなと思いました。
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礼拝堂の後ろに向かって見たところ。
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このバジリカには、世界で唯一と言われる3セットのオルガンがあります。
これは主オルガンでMarienorgel(聖母マリア・オルガン)と呼ばれています。
1957年に産業界から寄進されたもので、シュタインマイヤー製です。珍しく背後に窓があり、簡素な印象のオルガンです。 -
ステンドグラスではなく、装飾の少ない、その簡素な佇まいですが、記憶になく、ひょっとすると窓の部分の露光過多によるものかもしれません。
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こちらは主祭壇右側(司祭が書簡を朗読するので書簡側Epistelseiteと呼ばれます)にある聖歌隊オルガンで、三位一体オルガンと名付けられています。丁度奏者が来て、短時間ですが聴くことが出来ました。
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少し近付いてみます。
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こちらは主祭壇の左側(福音書側Evangelienseiteと呼ばれます)にある聖歌隊オルガンで、聖霊オルガンと名付けられていまう。これら2つの聖歌隊オルガンは、1766年にオルガン製作者として著名なカール・ヨーゼフ・リープが作ったものです。オットーボイレン修道院バジリカは、この3つのオルガン故に、ヨーロッパのオルガンとして格別の存在感を示しています。
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袖廊(翼廊)にある祭壇
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熱心に説明を聴いていました。
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側廊から見たところ。
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主祭壇の手前
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聖ベネディクトの遺骸と書いてありましたが、本当なのだろうかと思いました。
ベネディクト会の創始者のことであれば、それこそ1500年も前の人です。 -
これは、聖アレクサンダーの聖遺物(Reliquie)で、12世紀にオットーボイレンに移されたとのこと。聖ベネディクトと同じように、こうした聖遺物が崇められて来たのですね。
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ラテン語なので読めませんでした。 下に1772年と記されています。
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この紋章はどこのものか調べましたが、分かりませんでした。
修道院にあり、天国の鍵がクロスしているので、修道会のものかと思いましたが、
どうも違うようです。 判明したら追記します。
(追記)2020年3月。この紋章について直接修道院に問い合わせたところ、畏れ多くもヨハンネス・シャーバー大修道院長から回答を頂きました。この紋章はローマ教皇ピウスXI世のものであり、1926年に同教皇により、オットーボイレン修道院が教皇バジリカとされたことを記念するものだそうです。ピウスXI世は、ラテラノ条約により、イタリアと合意して、ヴァチカンを国家として独立させたことでも知られています。 -
ぶれてしまいましたが、礼拝堂の入り口に貼ってあった婚姻告知書。
誰それと誰それが結婚するが、異議があれば申し出るように、と書いてあります。
ゲーテの若きウェルテルの悩みにも出て来ますが、初めて目にしました。 -
もう一度バジリカを眺めます。
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礼拝堂を立ち去り難く、1時間ほど座っていましたが、周囲を見ることにしました。
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静けさに包まれた回廊。
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ここからの4枚は、修道院の紹介です。1枚目は農事です。修道士の労働の代表的なものです。ベネディクト会の戒律48に言う、「自らの手で働いて生きる」ことを実践するために、可能な限り自給自足を旨とします。野菜、果物の栽培の他に、パン焼き、養蜂、蒸留酒製造、機械・指物工房など。
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2枚目は文化。Kultur(culture)とは、Kult(神を礼拝すること。祭式)から来た言葉だそうです。 音楽、絵画、印刷、図書館、心のケア、教育などの他に、ゲストハウスも運営しているそうです。
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3枚目は礼拝です。修道士の最も大切な務めですが、規則だからではなく、喜びと畏れをもって礼拝に預かります。ミサ、祈り、読書、瞑想などが含まれます。
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4枚目は、修道院の建物の紹介です。480x430メートルに及ぶ敷地と建物は、最初から宗教活動だけをしていたのではなく、地域の開墾、開拓、教育など、地域住民に寄り添う働きをすることで絆が強まり、後の宗教改革や世俗化の流れという困難な時を乗り越えられたのだそうです。建物は、教会(礼拝堂)がキリストの頭を、修道院の建物が体を、経済活動の場(農地など)が足を象徴しているとのことです。
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修道院ショップ。かつてのような公的な支援がない現在では、修道院の経済を
賄うのは、修道士の労働の果実や、訪問者が購入する修道院グッヅなどがメインのようです。 -
聖ベネディクト。 手には修道士の信仰生活を示す「労働と祈り」と記された本を持っています。台座の十字架にはC.S.P.B.「聖ベネディクトの十字架」と記されています。彼の生まれたと言われる西暦480年から1500年記念の1980年に建てられたようです。
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こちらの像には、両脇に文字が沢山しるされている板が見えました。近付いて見ると、戦争で亡くなった人たちの名前です。左の2枚は19世紀から1943年にかけてのもの、右側2枚は第2次世界大戦時のものです。
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この小さな村だけでなく、近隣も含めてのことでしょうが、これほどの戦死者が出たのかと思わされました。
第2次大戦で亡くなった兵士や、行方不明者の名前が記されていました。
それぞれの名前の背後には、かけがえのない人生があったであろうに、
国の都合で行う戦争で命を失う無念さを覚えます。 -
帰る前にもう一度修道院を眺めます。長年の夢がかなえられて満足しました。
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バスの時刻表。
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メミンゲンの街に戻って来ました。夕方の電車で帰ることにして、2-3時間ここで過ごします。メミンゲンは、16世紀の農民戦争のときに、農民たちが要求した12箇条の要求書で知られており、これは文書になったものとしては、ドイツ最古のものだそうで、そのため、メミンゲンは、「メミンゲンーー欧州の人権の町」を標語にしています。
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メミンゲンの市庁舎。
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当初はゴシック風の木組みの建物。1589年にルネサンス風に改装。
1765年にロココ風のファサード。1906-08年に内部改装と何回にも亘って
作り変えられてきたようです。 -
ここでも一面を使って説明されています。
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メミンゲンは1268年から1803年まで帝国自由都市として、大幅な自治権を有していました。この建物は、自由都市の議会や財政部門があったところで、
”Steuerhaus"(税務署)と呼ばれていたそうです。1494/95年に建てられました。 -
それぞれの家の謂れまで調べる時間はありませんでした。
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街の雰囲気は建物の色がそれぞれで、少しドイツの街とは違う印象でした。
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これはGrosszunfthaus(ギルドハウス)という名前で、多分いろいろなギルドの事務所のようなものだったのかもしれません。
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こういうのがドイツ的というのだろうか。
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聖マルチン福音ルター教会と書いてあります。プロテスタントの教会ですが、
「聖」とつくのは何故だろうと思いました。プロテスタンタではカトリックのような「聖人」はいませんので、どうしたことかと思ったものです。そういえば、チューリッヒでも、最初からプロテスタントの教会として建てられたSt.Peterがあった。
(後記)最近FBで友達になったドイツのルター派の牧師に尋ねたところ、宗教改革以前からあった教会で、カトリックからプロテスタントに替わった教会は、カトリック時代の名前を継続して使うことが多く、そのためSankt(St. 聖)とついているのだそうです。そういえば、ドレスデンのフラウエンキルヒェ(聖母教会)も今はプロテスタントなのに、カトリック的な名前だったことを思い出しました。すると、チューリッヒのサンクト・ペーターは、私の理解相違で元はカトリック教会だったのかもしれません。 -
宗教改革者のマルチン・ルターは農民の12箇条の要求書に対しては、批判的だったと言われています。教会の牧師を自分たちで決めることなどが、第1条で要求されており、教会の秩序にネガティブな内容だったからではないかと言われています。
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市立博物館があったので立ち寄ってみると、中世の病院だったようです。
1095年にフランスで創立されたカトリックの医療修道会(Hospitalorden)が、1214年にメミンゲンに拠点を作り、ここは病院として、中世ヨーロッパに蔓延していた、麦角病の治療などを行ったそうです。麦角病は、1557年に、穀物の麦角菌が引き起こすことが判明し、その後は治まったようです。 -
当時の病院の様子。清潔そうな病室と治療に当たる人たち。
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医療器具
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皮膚病や傷の治療に使われた薬品の製造方法が説明されていました。沢山のハーブやラード、松脂、葉っぱなどを煮て、塩を加えたそうです。
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当時は中毒の原因が分からなかったものの、患者は入院当日は毒素を取らないようにパンだけとし、翌日はハーブの入ったアントニウス・ワインを飲み、アントニウス軟膏を処方されたそうです。それでも効果がなかった場合は、壊死した部分を切除したのだそうです。この絵は、足を切断する様子が描かれています。
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中世の病院を説明しています。貧民、巡礼者、よそ者、孤児、身障者など全ての人を受け入れたそうです。現代の養老院や福祉施設に相当するもので、運営団体は、町、慈善団体、医療会などだったようです。随分進んでいたのですね。
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病院の中庭。この博物館はとても印象的でした。
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町を歩いて見ました。全部は見られませんでしたが、カトリックとプロテスタントの勢力がぶつかった30年戦争で、この町も痛めつけられたようです。カトリック側の皇帝軍総司令官のワレンシュタインと、プロテスタント側のスウェーデン国王グスタフ2世もこの町に来たそうです。
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過去の過ちを忘れないための記念碑で、ユダヤ人を迫害した歴史が書いてありました。この場所には1909年にユダヤ人市民によってシナゴーグ(礼拝所)が建てられましたが、1938年に暴力によって壊されたとのこと。1938年11月は「水晶の夜」と言われた日があり、ユダヤ人への広範囲な攻撃が行われ、ガラスが道路に散らばり、水晶のように光っていたことによります。最後に旧約聖書のゼカリヤ書からの引用文が記されてありました。「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によってと主は言われる」。ユダヤ人への迫害は忘れられませんが、一方でイスラエルによるパレスチナ人への迫害もあり、人の都合による行いは、このゼカリア書の言葉とは相容れないものでしょう。
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「緑の道」という観光用のルートがあり、それに沿って行くと、街の主な見所を
訪れることができるそうです。 -
メミンゲンには昔の城壁が一部に残っており、この門もその城壁についていたものでしょう。
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1648年という年号と、ヨハン・フォン・ヴィンターシャイトという名前が見えます。
調べてみたら、1648年には、バイエルンにいた12人の将軍のひとりだったようです。この町との関わりは分かりませんでした。 -
街中にはコーヒ豆の焙煎をする店がありました。
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裏通りには小さな川(運河)があります。3-4000匹の鱒が泳いでおり、釣ることも出来るそうです。
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「空手センター将軍」だそうです。
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この辺りの見所を説明してありました。次の建物も紹介されています。
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駅に近い場所にあった7階建ての建物。皮なめし業の建物だそうです。この町で、皮なめしに従事する職人は最も豊かな職人だったとか。 鉄筋コンクリート建てではないでしょうから、上の方をすぼめて荷重を少なくしたのでしょう。 地震のない国だからこそ可能だったのかもしれません。切妻様式で、開閉可能な破風は皮を乾燥する上で都合がよかったようです。1945年4月20日、ドイツ降伏直前の爆撃で、旧市街の南は破壊され、この建物も大きな損傷を被ったそうです。
今はそうした過去を思い起させるものは記念碑以外は見当たりません。
充実した1日を終えてミュンヘンに帰ります。
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この旅行記へのコメント (8)
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- jijidarumaさん 2020/01/01 18:44:30
- 念願のオットーボイレン修道院
- Rolleiguyさん、
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。
ようやく念願を果たされた由、今度は私がこちらを訪問したいと
思っています。同時にメミンゲンの旧市街も見て回りたいものです。
ベネディクトボイレン、ヴェルテンブルクの修道院は既に訪れたので
次はオットーボイレン修道院でしょう。
ドイツ各地、特にバイエルン地方に多い修道院ですけど、あまりに
巨大で立派過ぎるのも本来の筋からすれば、政治性や権力が垣間見えて
違う形になってしまった感がありますね。
Rolleiguyさんの旅にはいつも感心してしまいます。
ではまた。
jijidaruma
- Rolleiguyさん からの返信 2020/01/02 15:54:53
- RE: 念願のオットーボイレン修道院
- jijidarumaさん、新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ドイツの歴史的文化財でもあるお城や修道院は、jijidarumaさんのホームグラウンドみたいなものですから、私の経験などたかが知れています。
少ない訪問先のひとつひとつを慈しむような気持で大切にしています。
確かに、今ある修道院で大規模なものは、純粋に信仰だけで保って来た訳ではなく、中世の政治においてキリスト教会が為したことには俗世間と何ら変わらない面もあったことは間違いないところでしょう。豪華な教会堂もそうした背景で可能だったのだと思います。宗教改革や18-19世紀にかけてのKulturkampf(secularisation世俗化)を経て、教会も修道院も社会的な力を弱めて行き、近年は修道士希望者が随分減少していると聞きました。私は、そのような状況にあるからこそ、敢えてそこに自分の人生を委ねることを選択した人に親近感を覚えます。修道院も教会も、建物や内部のすばらしさだけを見るのではなく、中身がずっと大切だと思いますが、これは本だけでなく、実際に触れることで少し理解出来るのかなと思っています。なので、田舎の小さな修道院も見学したいのですが、近年はそうした修道院自体が少なくなっていて、本当に残念です。
バイエルンにはいくつも立派な修道院がありますね。是非また機会を作って行って見たいと思います。
Rolleiguy
-
- akikoさん 2020/01/01 16:36:02
- 南ドイツの素敵な街
- Rolleiguyさん
明けましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いします。
オットーボイレン修道院とメミンゲンの街の旅行記を拝見しました。
両方とも初めて聞く名前でしたが、Rolleiguyさんは学生時代から憧れていた場所なんだそうですね。
オットーボイレン修道院は内部の豪華さに圧倒されました。天井画と漆喰装飾と彫刻が一体となって、実に素晴らしい内装となっていますね!現代に生きる私たちでも圧倒されますが、このような教会堂を目にした昔の人はどんな思いで建物を眺めたのでしょう。きっと私たち以上に建物に魅了され、宗教に対する信心もいっそう強くなったんでしょうね~。
オルガンも見たこともないような立派なオルガンで、聖歌隊オルガンや聖霊オルガンと特別な名前が付いているとのこと。オルガンも必見ですね!
修道院の紹介で、神を礼拝する”Kult”が文化”culture”の語源になったというのは、興味深かったです。
メミンゲンの街はロマンチック街道でよく見るようなカラフルな家並みでとても可愛らしいです♪
市立博物館は、元は中世の病院だったそうで、昔の治療法の展示がとても興味を引きました。
南ドイツにはこのような街があったことを知り、また世界が広がりました。ご紹介ありがとうございました。
akiko
- Rolleiguyさん からの返信 2020/01/01 17:49:20
- Re: 南ドイツの素敵な街
- akikoさん、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
近年、海外に行くのは2年に1回のペースになってしまい、あそこも見たい、ここにも行きたいと言う先が一杯あるのですが、あとどれだけ見られるかという気がします。ですので、1度出かけると、かなり熱心に見て回ります。今回は、ドイツが久しぶりだったことと、最初からオットーボイレンを目的地として最優先していましたので、大変楽しむことが出来ました。有名観光地で、沢山の観光客を目にしながら(自分もそのひとりなのに)、ガイドブックに載っている見所を回ることに飽きて来たこともあり、田舎にあり、有名なのに、訪れる人が割と少ない修道院というのは、ああこれが豊かな旅行というものなのかも、と独り言ちています。メミンゲンなどは全く知らなかった町ですが、友人から一緒に見て来たらと勧められたものです。ドイツは農民戦争や、宗教改革と30年戦争などの時期の歴史的資産や記録が充実いているので、知らない街を訪れても、何かしら当時の関わりがそこここに見られるのも、旅行を楽しくしてくれるなと思います。
また、帰国後の調べものは本当に楽しいと思っています。人生の時間には限りがありますが、歴史と文化、風俗などをもっと知りたいと思います。
今年は、仕事が忙しくなりそうで、海外旅行が出来るかどうか分かりませんが、
実現しなくても、せめて本やネットでいろいろ勉強したいなと思います。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
Rolleiguy
-
- cheriko330さん 2019/12/28 19:37:40
- 念願なかった修道院 ☆°
- Rolleiguyさん、こんばんは☆彡
今年も早3日を残すばかりとなり、お忙しいことと思います。
こちらは、少しゆっくりさせてもらっています。
Rolleiguyさんは学生時代から、修道院にご興味があったの
ですね。
ご家族が先に帰られた後に、ゆっくり行けて良かったですね。
ご友人との再会を果たされ、良い時間も過ごされたことでしょう。
世界一美しいといわれているヴィース教会を見たくて、見に
行きましたが、草原のようなところにポツンと建っていたのを
思い出します。巡礼者が多く訪れるところですね。
オットーボイレン修道院の方が歴史もあり、内も深みがありますね。
素晴らしいオルガンもあるのですね。
ゆっくりと訪れることができて何よりでした。
メミンゲンの街ですが、市庁舎の美しいこと☆カラフルな街並みは
ロマンチック街道の街にも似ている気がします。
私もオットーボイレン修道院とセットで行きたいです。南ドイツの
風景も大好きです。
先日は、私の方へもお越しいただいて、ありがとうございました。
写真が上手なRolleiguyさんなら、芸術的センスで描けば名画が
描けると思いますよ。お返事と思いながらちょうど伺いましたので。
来年も、またご興味ある所へ行けると良いですね。いつも内容の濃い
素敵な旅行記をありがとうございます。どうぞ皆さまで、良いお年を
お迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
cheriko330
- Rolleiguyさん からの返信 2019/12/28 22:19:09
- Re: 念願なかった修道院 ☆°
- cheriko330さん、今晩は。
いよいよ今年も終わりですね。1日は千年にも似て、などと言いますが、1日1日の積み重ねが、気付いてみたら何年にもなっていた、というところでしょうか。時間は失ったら取り返すことが出来ないので、ヨーロッパでは他人の時間を頂けることに感謝するのが人との関わりの基本で、そうした配慮に無頓着な人は、時間泥棒と言われかねません。修道士は、自分の時間を全て神様に献げることを決意した人ですが、欲の皮の突っ張った私のような人間にはとてもできそうもありません。せめて修道士の祈りの生活の一部なりとも感じることができればと、修道院を巡っています。日本のお寺巡りもそうした面があるかもしれませんね。ヴィース教会は、ドロミティさんも触れておられましたが、あそこは観光ルートになってから、訪れる人がとても増えたようですね。
私はドイツをそれほど旅行しておらず、まだ見ぬ歴史的遺産をもっと見たいなと思っていますので、また機会を作りたいと思います。
cherikoさんもいつかオットーボイレン修道院を見学出来るといいですね。
では、どうぞ良い年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。
Rolleiguy
-
- ドロミティさん 2019/12/28 00:01:39
- 華麗な修道院ですね!
- Rolleiguyさん、こんばんは^^
先日、年末のご挨拶をしたばかりですが、素晴らしいオットーボイレン修道院を拝見したので、また書き込みをしています。
聖堂入口の「神の家であり天国への門」のとおり、聖堂内部の白と金を基調にピンクや黄色、オークル、紫の優しい色合いで調和のとれたロココ調の華やかで洗練された装飾は正に天国のようです。
オルガン奏者の方と遭遇してパイプオルガンの演奏を聴くことができたそうで、素敵な贈り物をいただきましたね。Rolleiguyさんのご人徳だと思います。
昔、ヴィース教会を訪れた時に質素な外観と一転、あまりに華麗なロココ調の内部に衝撃を受けたことを思い出しました。
メミンゲンの名前も初めて伺いましたが、「緑の道」などと粋な計らいもあるなんて一度訪れてみたい街です。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
ドロミティ
- Rolleiguyさん からの返信 2019/12/28 15:13:39
- Re: 華麗な修道院ですね!
- ドロミティさん、今日は。
早速の書き込み有難うございました。
ここ数年で修道院をいくつか巡ることが出来ました。メルクなどの観光客の多いところは勿論素晴らしいからこそなのですが、修道院という瞑想と祈りの場所としては、やはり静けさは不可欠だと思います。多くは田舎にあるので、普段は静かな環境の下にひっそりと佇んでいる、というのが私の願うイメージです。オットーボイレンは有名な修道院なので、今回も訪問者が結構いましたが、それでも静謐な礼拝堂を感じることが出来ました。
ヴィースの教会は大昔にいちどだけ訪れたことがありますが、小さくてうるさい子供を連れていたので、ゆっくり見学出来ませんでした。
引退したら、そうしたところを今度こそゆっくり見学したいと思いつつ、なかなかまとまった時間が取れません。年1回のヨーロッパ旅行で、願いのほんの一部を実現することで、嬉しい気持ちになることで良しとしています。
今年もあと少し、どうぞ良い新年をお迎えくださいますよう。
来年もよろしくお願いいたします。
Rolleiguy
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