2019/08/02 - 2019/08/09
342位(同エリア6442件中)
Rolleiguyさん
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息子たち一行が帰国したので、一人でゆっくりと市内を歩くことにしました。
8月5日と9日の2日分が適当に並べられています。
6日から8日は、ウィーン以外で別の旅行記を作成します。
旧市街が中心の街歩きになりましたが、いつも見るところは余り変わりません。ショッピングやグルメには余り関心がないので、つまらないと思われる方も少なくないと思います。
教会や古い建物など同じところを何度も訪れて、何が面白いのかと言われそうですが、グルメも人気歌手のコンサートも同じようなもので、行く度に発見や新鮮な刺激を受けるというのは、共通しているように思えます。どれだけ掘り下げたのかと問われると、口ほどのことはないと言われてしまうでしょうが、それでも繰り返し見たいと思うのです。こうして旅行記を作成することが新しい刺激と学びになっています。
諺に「小判は何枚あっても多すぎることはない」などというのはありませんが、そんな気持ちです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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先ず向かったのは、知の蓄積場所であるオーストリア国立図書館。
自分の知性は足りないと自覚しているので、その真似をしてみたいと思う無意識の意思があるのかも。
前回2017年はフリーメイソンの特別展示をしていましたが、今回は? -
ハプスブルクの皇帝マクシミリアンI世の没後500年記念展示だそうです。
「中世最後の騎士」(皇帝が騎士というのも一寸変だが)と呼ばれた皇帝だ。これは見てみたい。 -
展示物は書かれたものや本が主体でした。
これはハプスブルク家の由来を説明しています。
欧州で支配勢力となるには、先祖の由来が大切なのだそうで、スイスの田舎から出て来たハプスブルクには、何かの箔が必要でした。学者を使い、遠い祖先はローマに遡るという主張もされたようですが、勿論確たる証拠はありません。出自に拘るのは権威付けですが、洋の東西を問わずあるものですね。 -
貴族には、こうした先祖代々の家系図が必須です。
これはバーベンベルク家のものです。 -
こちらがハプスブルク家のもの。 うまく写せず名前まで読むことが出来ません。
マクシミリアンの最初の妻と、2人目の妻との系図が示されています。 -
マクシミリアンのための教科書です。6歳の王位継承者はABCの本で読み書きを学んだそうです。知能水準がとても高かったと言われていますが、学校では過度に厳しい教師への反発から、言語障害を来し、学校教育を憎んだとのこと。
母がいつも学校まで送ってくれたそうですが、その母が若くして亡くなってしまい、
マクシミリアンにはつらい時期だったようです。 -
羊皮紙に描かれたマクシミリアンと教師。
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父のフリードリッヒIII世が亡くなって1493年にハプスブルク家の家督を相続。
ローマ教皇による戴冠式は行われませんでしたが、1508年に神聖ローマ帝国皇帝であることを宣言しました。1519年に病のためヴェルス(Wels)で亡くなり、誕生の地でもあるヴィーナー・ノイシュタットに葬られました。マクシミリアンは婚姻政策による領土拡張を、父王よりも更に推し進め、後を継いだ孫のカール5世の時代から、ハプスブルクの絶頂期が始まったのです。 -
支配領域を大いに拡大したオスマン・トルコは、ハプスブルクのみならず、西欧のキリスト教社会に大きな脅威となりましたが、そのオスマン・トルコとの関わりを説明しています。マクシミリアンは、オスマンを敵として見ると同時に、よく知ろうとしたそうで、チロルでオスマンの使節と会ったそうです。 これにより、それまでの断片的で、かつ信頼性の乏しい情報ではなく、直接、敵であるオスマンの知識を得たとのことです。
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ルネサンス以降発達した地理学により、マクシミリアンは地図の重要性を認識し、
入手した地図を基に戦略を考えたようです。左下の小さいのは現在のスイスのボーデン湖の辺りで、現存するスイス最古の地図だそうです。今の地図とは逆に南が上になっています。右側の大きいのは世界地図だそうです。 -
1513年にストラスブールで作成された現在のフランスの地図
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途中で目を上げて、知の殿堂の雰囲気に浸る。
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マクシミリアンは音楽が好きだったようで、この絵は歌手たちを載せた車(上)と
オルガニストがオルガンを車の上で奏している様子(下)で、いずれもマクシミリアンの行列に加わっている様子だそうです。 -
当時の楽譜。既にポリフォニー(声部が複数ある曲)の曲が現れていて、これはその楽譜のようです。現在の五線譜と似ていますね。
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タコ(空に上げる)の作り方を説明したものだそうです。軍用でもあったようですね。
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もう一度上を見上げて図書館を後にしました。
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図書館を出て、裏通りを見て回りました。
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石畳の路地。落書きはウィーンに相応しくありませんが、あと300年くらいこのまま残れば、文化財になるかもしれません。
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有名なレストラン グリーヒェンバイスル。家族と一度行ったことがあるだけ。
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ドミニコ会教会。閉まっていて見学出来ませんでした。カトリックの修道会は、それぞれ特色がありますが、ドミニコ会はフランシスコ会のように清貧を旨として、托鉢修道会とも言われています。高校時代にちょっとカトリック教会に行ったことがありますが、「ドミニック、ニック、ニック、貧しいなりで旅から旅へ」という歌があったなと思い出しました。 。
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「ドミニコ会修道院」と書かれていました。
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こちらはイェズイーテン(Jesuiten イエズス会)教会。イエズス会は規模も大きく、日本に最初に宣教に来た修道会です。修道会を財政面であれこれ言うのは適当ではないとは思いますが、イエズス会には強い財政基盤があると言われています。
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シュテファン広場ほど存在感が高い訳ではありませんが、私はこの広場が好きで、
この教会堂をよく見学します。教会堂は、日本に宣教に来たイエズス会宣教師で、聖人となったイグナチウス・ロヨラとフランシスコ・ザビエルに献呈されています。そんなことを知ると、この教会が一層身近に思えます。 -
イエズス会の教会堂は、旧ウィーン大学の傍にあったので、(マリア被昇天)大学教会とも呼ばれています。
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この教会堂の見所は周りにあるいろいろな色の石柱です。右手の説教壇には、フランシスコ・ザビエルが異郷人に洗礼を施している彫刻像が見えます。
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大変重厚な造りです。
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中央下部にある楕円形の中には「マリアは天に昇り、天使たちは喜んだ」と書かれています。マリア被昇天の記念日は8月15日で、この日はザビエルが種子島に漂着した日でもあります。ロヨラとザビエルに献呈されたこの教会が、サビエルを記念した8月15日の故に、マリア被昇天教会とも呼ばれているかもしれませんね。名前の背後にそのような結びつきがあるのかもしれないと考えると、命名した当時のことが想像されて、一層興味を惹きます。
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この教会堂の螺旋柱は見事です。これは緑色の石。この螺旋柱を知ったのは、田中長徳さんという、クラシック・カメラの収集でも知られていて、ウィーンに住んでいたことのある写真家が撮影した写真を、目にしたことによります。私もじっくり腰を落ち着けて撮影してみたいと思っているのですが、行き当たりバッタリになっています。ジーッと眺めていると、伝えたい特徴、どのように写したらそれを伝えられるかが見えて来る気がします。プロは一瞬で判断するのだそうですが、素人にはそれは無理です。
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まさか一本の石ではないと思いますが、ちょっと継ぎ目は分かりませんでした。
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こちらは赤い石です。御影石でしょうか。
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教会堂の地下には墓があり、修道士の墓碑が壁に掲げられていました。
地下の見学が出来る日もあるようです。 -
イエズス会の教会を出て、狭い路地に入りました。こうした場所は写真のモチーフになりますが、歩いている人をうまく光の中に収めるには、出会いのタイミングが大切です。短気なので次の人を待つ忍耐心がありません。なのでいつも中途半端な写真が多くなります。
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ここにもかつて学んだ過去の著名人の名前が記されています。
上から、ゴットフリート・ライプニッツ、ウルリッヒ・ツヴィングリ、コンラート・グレーベル。 ライプニッツはその多才さが目を惹きます。ツヴィングリはスイスの宗教改革者ですが、ウィーンで学びました。グレーベルは日本では馴染みのない人ですが、ツヴィングリの信奉者でした。後に考えの相違から袂を分かちました。当時一般的だった幼児洗礼ではなく、信仰による洗礼を実践した最初の人だそうです。 -
市内にあるホイリゲ「12使徒」。息子たちが行ったところ、とてもフレンドリーなスタッフで大変楽しめたそうです。
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ルーゲックにあるグーテンベルクの銅像。1900年に出来たそうですが、グーテンベルクはウィーンと縁はないようで、印刷機を発明したことへの敬意を示すものだそうです。この場所は、その昔、マクシミリアンI世の父フリードリッヒIII世が、ハンガリー王マチャーシュI世と会見した場所と言われていますが、実態は押しかけられたと言った方だ正しいでしょう。
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旧市庁舎。何回にも亘って改装されたそうで、最後には有名な建築家のフィッシャー・フォン・エルラッハ風にされたようです。
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1848年と言えば、民族主義が高まって、帝国の各地で騒動が起こった年ですが、
この旧市庁舎で、秩序維持のための対応策を議論したのだそうです。建物を見るだけでなく、そうした歴史を知って見ると、そこここに当時の様子が浮かんで来るようです。 -
ユダヤ人広場。ユダヤ人は丁度バーベンベルクの宮殿がアム・ホーフに移った12世紀半ばにウィーンに住み着き、1400年頃には、商人、金貸し、学者などが800人くらい、この地域に住んでいたそうです。地下には中世のシナゴーグもあります。広場に面したボヘミア高等法院の前には、ドイツの詩人で、1775-76年にウィーンに住んでいたレッシングの銅像がありました。当初の銅像は大戦前に兵器鋳造に供出され、現在の像は1968年に建てられたものです。この像の向かい側には、ホロコスト・メモリアルがあります。
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アム・ホーフに来ました。 バーベンベルクの宮殿(ホーフ)があったのでこの名前がついたのでしょう。地下は駐車場になっていて、私は毎日ここに駐車しました。頼んでおくと、戻るまでに洗車してくれる便利な駐車場でした。
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アム・ホーフにある消防署。大都市の消防署にしては消防車の数が少ないので、
分署か管理部門などがあるのかもしれません。 -
16世紀の市民武器庫。その後消防署として使われているそうです。
左側の銘板は、ナチズムに抵抗した人を記念するもの。 -
消防署の壁にあった説明版を見ると、今はウィーン市消防局の本部になっているそうです。
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アム・ホーフからフライユングに向かう道路です。
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オーストリア社会党の本部。「オーストリアのために勇気を、(それは)オーストリアにとって良いことだ」という意味かな?
かつては国民党とともにオーストリアの2大政党で、首相も輩出しましたが、
近年は右派や保守に押され気味で、少し影が薄くなっているような。ヨーロッパではドイツでも他でも社民党は退潮気味ですね。 -
ミノリーテン教会。オーストリアでは珍しいフランスゴシック様式です。
1278年マルヒフェルトの戦いで、ハプスブルクのルドルフI世に敗れたボヘミア王
オタカルII世の遺骸が、30週間安置された場所です。
1529年と1633年のトルコの来襲の時に、塔が2回破壊されました。
1784年から、ウィーンに住むイタリア人コミュニティの教会とされています。 -
内部は簡素ですが、このステンドグラスは、ローマ時代の殉教者聖チェチーリア(セシリア)と聖カタリナをモチーフとしたものです。チェチーリアは楽器を奏でて神を賛美したと言われており、カトリック教会では音楽家の聖人だそうです。アフリカで殉教し、後に聖人にされました。カタリナはアレクサンドリア出身の人で、ローマ帝国時代のキリスト教徒への迫害をやめるように皇帝に訴えて殉教した人です。2人とも聖人としてよく知られているそうです。
中央に聖チェチリアが楽器を持って、背後に神の使い3人、手前に殉教のシュロを持つ天使を従えています。左右は、左がバプテスマのヨハネ(イエス・キリストに洗礼を施した人)、右が聖カタリナです。一番下の左右の円形の肖像は、このステンド・グラスを寄進したオスカー・ベネの両親だそうです。 -
オーストリア・アルペン協会の事務所に立ち寄り、来年の年会費を納めて来ます。
会員は、世界のどこで事故にあっても、保険でカバーされ、必要ならオーストリアまで飛行機(エア・アンビュランス)で運んでくれます。日本の旅行保険は危険なクライミングの事故までは補償してくれないので、そういう山登りをする人には、力強い味方です。海外旅行傷害保険1回分で年会費におつりが来ます。安い!(会員増強のための宣伝) -
本部はインスブルックにあり、ここは私がメンバーになったウィーンの支部
(Sektion Austria)です。地味な出入り口。 協会や支部が運営する山小屋の管理人を時々募集しています。ドイツやスイス、オーストリアのように山や森の多い国では、将来なりたい人として、森林管理人や山小屋で働く人というのは、子供たちに結構人気があります。日本では全く候補にもならないでしょうが。 -
地図や小物を売っており、前回はロゴ入りのキャップ、今回はTシャツを買いました。会員になると、有料ですがエーデルワイスの図柄の名刺も作ってくれます。
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帰国する日の朝。ホテルから見たウィーンの空。煙突が多いのにびっくりします。
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2時間ほど散歩に行きました。ドナウ川観光船の船着き場に近いメキシコ教会。
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ドナウ川は、ドイツのエルベ川と結ぶ運河が出来てから、黒海から北海まで船で通して運行出来るようになりました。 この船はハンブルクの表示があります。
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ドナウ橋の下から上流方向を見たところです。
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この辺りはドナウ川観光船の船着き場になっているので、結構沢山の船が係留されていました。
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カーレンベルクが遠望出来ます。
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不思議な目玉が描かれている建物もありました。
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ドナウ川ニ姿を映すメキシコ教会とドナウ橋
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普段は茶色にしか見えないドナウ川も、こうして青空の下で見ると、青きドナウに見えます。
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ドナウ橋の歩行者と自転車用の通路
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実際は青くないけれど、「青きドナウ」のように見えますね。
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余裕のある空間ですね。 ドナウ川の大きさが分かります。
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メキシコ教会に来てみました。
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この場所をメキシコ広場と名付けた理由が書いてありましたが、1938年のドイツによるオーストリアの「暴力的併合」に、メキシコが反対を表明したことを記念するのだそうです。 暴力的併合というのは異論があると思いますが、戦後暫くオーストリアは自らを併合の被害者だと主張していた時期がありました。その後撤回しましたが、この碑は撤回前のものかもしれません。
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内部はカトリックの教会としては、建築が新しいこともあってか、割と簡素でした。
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ゴシック時代の贅を尽くした造りではなく、オルガンもシンプルでした。
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入り口に記されていた言葉。「ここに入る人たち、出る人たち、全てに平安がありますように」。これに似た表現は幾つかあり、教会だけでなく、ホテルなどにも書いてあることがあります。 日本ではアパホテルが掲げているそうです。
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これは私が40年ほど前に、南チロルで入手した壁掛けですが、「この家と、ここに入り、出て行く全ての人を、主が祝福されますように」というものです。
上の写真と似ていますね。一度どこかの家に招かれた時に目にして、いいなと思って探していたら、偶々旅行中に見つけたものです。こんな短い文でも韻を踏んでいます。 -
一時的なものなのか、こういうものなのか分かりませんが、教会堂の横を見たところです。取り敢えずの造りにも見えます。
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正面から見上げたところ。
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教会を後にして帰路につきます。ホテルに近い地下鉄の駅。この辺りは2区ですが、
ひと昔前は、労働者が多く住む地区と言われていました。こうした差別的な認識は、ヨーロッパにはいまでも残っています。プラーターに行くとき以外は、市民は余り近付かない場所でもありました。現在は随分と綺麗になりましたが、18,19区などの住宅地として高いと言われている地区に比べると、雰囲気に違いを感じます。 -
見上げたところ、税金で建てたと書いてある共同住宅がありました。
ウィーンは戦争でかなり破壊されましたが、この辺りは爆撃を免れたのかもしれません。 -
8時を過ぎました。ウィーン経済大学はこっちという表示がありました。
ウィーン人は肩書に非常に拘ります。経済大学卒の人は、Diplom Kaufmann(商学士)またはDiplom Volkswirt(経済学士)ですが、上位のMagister(修士)の人も多くいます。日本人のビジネスマンは学士が殆どでしたが、英語のBachelorは名乗れても、Dipomは法律で保護されている肩書なので、日本の大卒者は使えませんでした。そのため、名刺に学士号が書けないため、大卒ではないと思われるのが普通でしたが、親しくなれば分かって来るので私は気にしませんでした。むしろ、ウイーン人同士が、Herr (Mr) MagisterとかHerr Doktorなどと互いに呼びかけるのを聞くと、そんなに肩書を気にするのかとあきれたものです。因みに、女性の場合は、本人がDoktorでなくても、夫がそうだとFrau (Mrs) Doktorと呼ばないと、そう呼べと催促されることもあります。また、肩書が分からない人にはDr.誰それと呼びかけるのが無難だとも言われます。特に、ホテルなどではよくそう呼ばれました。ProfessorはDoktorより格上ですが、肩書だけ(名誉称号)のProfessorよりも、実際に大学の教授である場合のUniv. Professorがもっと格上です。肩書について書き始めると、いくらでも書けそうですが、この辺でやめておきます。 -
歩いて来たドナウ橋の方を振り返って。
ホテルに戻ってチェックアウトします。 -
帰国の日。何と言うラッピング(?)。何か私の嫌いなイモムシみたいだな、あれに乗ると何かイモムシに取り込まれるようで嫌だなと思いましたが、思いのほか空いていて意外でした。
日程が前後しますが、この後ドイツでの2日と、オーストリア・ブルゲンラントの短いのを作成したいと思います。
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この旅行記へのコメント (8)
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- ドロミティさん 2019/12/23 16:57:13
- ウィーン街歩き♪
- Rolleiguyさん、こんにちは
Rolleiguyさんが述べられてらしたように、私も同じ街の教会や建物、美術館をリピートする度に毎回新鮮な感動を覚えます。
気に入った場所には何度でも足を運びたいし、感動した舞台は何度でも観たいですし、美味しい食べ物はすぐにまた食べたくなります。そして新たな発見然り、またその日の気分で全く違う感想を持ったりもします。
お一人になられてからのウィーンの街歩きは思う存分にRolleiguyさんの心にかかるところを周られてとても充実した街歩きをされたようですね。
お陰様であまりガイドブックに載っていない穴場的な国立図書館、イエズス会教会やミノリーテン教会など素晴らしい見所、趣きのある石畳の路地、青いドナウ川を興味深く拝見しました。
ヨーロッパは階級社会が根付いているのでしょうか?イギリスやフランスでも肩書へのこだわりが強いと感じることがありました。
年末に向けて何かとお忙しい日々が続くと存じますが、どうぞお身体にお気を付けて良い年をお迎えください。
ドロミティ
- Rolleiguyさん からの返信 2019/12/23 22:36:57
- RE: ウィーン街歩き♪
- ドロミティさん、今晩は。
長い長いご返事を書いたら、突然消えてしまいました。ショックで、何でいつもドロミティ
さんの時にこういうことが頻発するのかと、自分の至らぬ性格のせいなのかと、恨めしくなりました。
とは言え、思い出しつつ、書き直します。
ヨーロッパの歴史は、私たちが理解する以上の、本には書かれていない史実があったのであろうと推測することは出来ますし、それを可能にする材料を提供してくれるだけの度量があるように思います。専門の歴史家ではない私たちが、その一部なりとも知りたいという思いを持って、いろいろな街を見学することが出来る幸いを感謝します。
今回は、イエズス会の教会で、ロヨラとザビエルという日本との関わりのある宣教師が、
ウィーンという彼らの本国とは関係ない国でも、覚えられていることにとても感動しました。このひとつをとっても、ヨーロッパだけではありませんが、歴史というものは、多面的に見ることが大切だなと思い知らされました。歴史の正しい解釈というものはなく、特定の立場での評価が、教科書で教えられていることの不条理を改めて認識しました。
観光による見学では、深く掘り下げることは出来ませんが、帰国してから、こうして旅行記を作成することで、いろいろな評価があるのだなと少し理解出来たように思います。
それが旅行の醍醐味ではないかなと思います。スイスの山歩きとは別の、歴史の深みと面白さを感じることが出来たのは、ウィーン訪問だったなと思います。
もう年末近くになりました。この一年のドロミティさんの旅行記やコメントを楽しめたことを感謝します。来年もよろしくお願いいたします。
Rolleiguy
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- akikoさん 2019/12/22 23:48:30
- ウィーンの知られていない魅力スポット
- Rolleiguyさん、こんばんは
オーストリア国立図書館ではハプスブルクの皇帝マクシミリアンI世の記念展示をご覧になったそうですね。ヨーロッパに行くと、必ずと言ってどこにもハプスブルク家が関わっていた事柄に出くわします。その度に調べたことがあるのですが、いつの間にか忘れてしまっていて、一度系統だって詳しく学びたいと思っていたところで、Rolleiguyさんの資料についての説明を興味深く拝見しました。今国立西洋美術館でハプスブルク展が行われているようで、近ければ見にいきたいと思いました。
そのあと訪れられた『イェズイーテン教会』の重厚で立派な造りに目が留まりました。美しい石の螺旋柱って初めて見ましたが、継ぎ目がわからず、Rolleiguyさんが仰るように本当に見事ですね!イエズス会と聞いて、リスボンの『サン・ロッケ教会 』を思い出しました。ここも同じように贅を尽くした大変豪華な造りで、この教会から宣教師たちが日本へと布教のため送られたと聞きました。なるほどイエズス会は、財政基盤がしっかりしているのですね。
ドナウ川観光船の船着き場の近くにある『メキシコ教会』はあまり見かけない外観の美しい教会ですね。ドイツによるオーストリアの「暴力的併合」に、メキシコが反対を表明したことを記念する石碑もあったそうで、そんなところでオーストリアとメキシコとの関係があったとは…。
知らないウィーンをたくさん紹介していただきました。現地をよく知るRolleiguyさんならではの旅行記ですね!続編も楽しみにしています。
akiko
- Rolleiguyさん からの返信 2019/12/23 13:20:24
- RE: ウィーンの知られていない魅力スポット
- akikoさん、今日は。
日本とオーストリアの修好150年にもなることに感慨を覚えますが、お陰でいろいろな催し物がありましたね。私はクリムトの講演会だけしか行っていませんが。
ハプスブルクは、600年以上にも亘ってヨーロッパの歴史に大きな足跡を残したので、
幾ら語っても語り尽くせないほどだと思っていますが、一方で、陰の部分が表に出ることが少なく、今後はこうした視点での催し物があればいいなと思っています。
私がそのような催し物を主催することは到底出来ませんが、ハプスブルクに関する本が
溢れるほどあるのに、表が中心なので、誰か研究者がしてくれないかなと思います。
イエズス会は確かに基盤がしっかりしています。今の教皇もイエズス会の出身ですね。
ポルトガルから宣教師が日本に旅立ったという教会は是非見てみたいものです。
リスボンには出張で何回か行ったのですが、慌ただしい滞在で殆ど観光は出来ませんでした。
メキシコ教会のことですが、ハプスブルクはフランツ・ヨーゼフ皇帝の弟マクシミリアンがメキシコ皇帝になったこともあり、それなりの関係はありました。しかし、マクシミリアンは革命で殺されました。その国が併合反対と言ったことには、多分何の脈絡もないのではないかという気がします。でも、この点は調べていませんので、当時の政治的背景までは
分かりません。 旅行記を作る際には、出来るだけ資料を調べて、よく理解した上で
書くことにしたいと思っているのですが、やはり限界があります。
でも、そうした調べはとても楽しく、時間の経つのを忘れます。
今回一番時間がかかったのはやはりマクシミリアンでした。展示物を要約するにしても、
書いてあることをそのままでは私も楽しくないので、いろいろ学ぶことがありました。
本当は、そうした知識を持ったうえで見学したいので、いつもそう思っているのですが、
そのように実行したことがありません。易きに流れるのは私の性格かもしれません。
どうぞまたご覧ください。
Rolleiguy
-
- sanaboさん 2019/12/20 15:45:03
- 追憶のウィーン☆彡
- Rolleiguyさん、こんにちは
息子さんご家族が帰国され、一人解き放たれた(!笑)Rolleiguyさんが活き活きとウィーンの街を散策されるご様子が目に浮かぶようでした。
今年はマクシミリアンI世の没後500年だそうですね。オーストリア国立図書館での展示を興味深くご覧になられたことと思います。マクシミリアンI世の幼少時のエピソードや皇帝としての戦略手腕など、Rolleiguyさんのわかりやすい解説で楽しませていただきました。図書館の建物及び装飾も大変素晴らしいものですね。
「カーレンベルクが遠望出来ます。」とコメントされてらしたお写真の中央の高い建物は何なのでしょうか?ウィーンの街にはふさわしくないような…。カーレンベルクの丘からの風景は大好きで、視界にも入っていたのでしょうけれど記憶にありません。
個性的なメキシコ教会は初めて目にし、何故メキシコかと思いましたが、そのような歴史的経緯があったのですね~。
肩書に関するお話もとても面白かったです。イギリスの階級社会とはまた異なるとは思いますが、ウィーンの方々がそれほどまでに肩書に拘っていらっしゃるとは知りませんでした。日本の大卒者はDipomを使えず、(少なくとも親しくなるまでは)大卒と思われないというのも不条理なお話ですね。それにしましてもRolleiguyさんのご見識には改めて驚嘆いたしました。ここに「肩書博士」なる称号(肩書)を差し上げたいと思います^^
楽しくも奥の深いご旅行記、ありがとうございました。
今年も残すところあとわずかとなりましたね。少し早いかもしれませんが、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ☆
sanabo
- Rolleiguyさん からの返信 2019/12/20 21:59:55
- Re: 追憶のウィーン☆彡
- sanaboさん、今晩は。
今年のウィーンは当たり年でした。一人で歩くと見たい所をじっくり見学出来るので、同じお金を払っての旅行であっても、とても得をした気がします。
カーレンベルクの写真にある高い建物は、ミレニアム・タワーというオフィスビルで、1999年に完成したそうです。50階建てで建物自体の高さは171メートル、オーストリアで2番か、3番に高い建物です。建築費は145百万ユーロでしたが、4年後に丸ごと売った時には360百万ユーロと、4年で2倍以上になったとか。バブル的ですね。ウィーンは、私がいた90年代の初頭までは、国連ビル以外は殆ど高層建築はなかったのですが、その後雨後の竹の子のように増え、ウィーンの景観を破壊すると評判が悪いようです。
肩書博士の称号を有難うございます。これはウィーンの文化でもあるので、更に研鑽に努める所存です。なお、私は学士号を使えなかったので、名刺には
Direktorを使いました。この肩書は法律で保護されていないので、自由に使えました。肩書は、個人に属する学士号などの他、組織内での地位を示すものがあるのは日本と同じです。Direktorはそうした組織内のものです。なお、私に見識などありません、殆ど全部調べたものです。なので街の旅行記は作成にとても時間がかかってしまいますが、そうした調べはとても楽しいです。
師走は本当に早く通り過ぎますね。sanaboさんも良いお年をお迎えくださいますよう。
Rolleiguy
-
- ふわっくまさん 2019/12/20 08:22:20
- オーストリアでの散策・・
- Rolleiguyさん、おはようございます。
帰国前に、オーストリアの街歩きを楽しまれたご様子で・・
まず図書館は、おっしゃる通り知の殿堂の雰囲気が漂っていますね。
イエズス教会の広場は、お気に入りの所だそうで・・青空に、とてもキレイでした。
内部も重厚で、何とも煌びやかですね。
緑色の石で造られた螺旋柱は、田中長徳氏の写真によりご存知だったようで・・凄く、インパクトを感じました。
そしてオーストリア・アルペン協会の保険はお得だということで、いつか行ける日が来るまで覚えておこうと思います。
・・美しいドナウ川とメキシコ教会など、見所たくさん・・景色を堪能させていただきました。
ふわっくま
- Rolleiguyさん からの返信 2019/12/20 21:40:46
- Re: オーストリアでの散策・・
- ふわっくまさん、今晩は。
今年も余すところ10日ばかりになりましたね。
忙しい1年でしたが、夏休みに旅行出来たので良しとします。
山の旅行記と違って、街の場合は作成にとても時間がかかります。
毎度のことですが、帰って来てからいろいろ調べたりするものですから。
教会は見所がとても多くて、何度行っても見るのが楽しみです。
特に、修道院の教会堂は、ここで一生を祈りと神への礼拝で過ごす修道士が
いるところだと思うと、見学するにも力が入ります。
アルペン協会は役に立ちますよ。山小屋の宿泊にも割引があります。
いつか行って見て下さいね。
Rolleiguy
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