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2019年10月21日(月)の午後3時頃、パナマシティ(Ciudad de Panama)のカスコビエホ(Casco Viejo)の北にあるレンタサイクル屋(Burke Bikes Casco)。自転車の鍵はなくても大丈夫と云う根拠ない説得を信じて、自転車で再度移動開始し、ここに来たら絶対に行きたかったポイント、パナマ運河(Canal de Panama)観光へ向かう。再びカスコビエホを横切り、今度は北へ。スマホアプリのナビゲーションマップMAPS.MEで道を確認しながら10㎞余り。途中、工場の敷地の中を横切れとか云うムチャなルートを出してくるのを、自力で判断して回避しながら、朝乗ったパナマ運河鉄道(Panama Canal Railway)の線路沿いの道を走る。急ではないが昇りが続くので、結構大変。<br /><br />朝鉄道に乗ったコロサル(Corozal)駅を過ぎ、さらに頑張って走りつけること30分以上。3時半過ぎにようやくミラフローレス閘門(Esclusas de Miraflores)に到着。ここはパナマ運河にある3ヶ所の閘門で一番太平洋側にあるもの。閘門(こうもん)とは、水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための水門のこと。日本でもうちの近くの京都の伏見に三栖(みす)閘門の遺構が残るほか、大阪の毛馬(けま)閘門など現在も使われているものも残る。パナマ運河では、運河中央部のガトゥン湖(Lago Gatun)が海抜26mもあるので、2閘室(ロック)あるこの閘門のほか、1閘室のペデロミゲル閘門(Esclusa de Pedro Miguel)、3閘室のガトゥン閘門(Esclusas de Gatun)で、船をアップダウンさせており、「船が山を越える」と評されることもある。<br /><br />改めてパナマ運河だが、パナマ地峡(Istmo de Panama)を開削して太平洋と大西洋のカリブ海を結んでいる閘門式運河。全長約80㎞、最小幅91m、最大幅200m、深さは一番浅い場所で12.5m。1914年に開通し、長らくアメリカによる管理が続いてきたが、1999年末を以ってパナマに完全返還された。<br /><br />運河構想はパナマ地峡の発見直後からあり、1534年にスペインのカルロス1世(Carlos I de Espana)が調査を指示したが、当時の技術力では不可能であった。それから約350年後、1880年にスエズ運河(Suez Canal)の建設者レセップス(Ferdinand Marie Vicomte de Lesseps)が建設を開始したが、黄熱病や資金調達に技術的問題も出て計画は頓挫する。<br /><br />20世紀に入り、太平洋と大西洋にまたがる国土を持つアメリカが両洋間を結ぶ運河は経済的にも軍事的にも必須のものであると考え、運河建設に乗り出す。ニカラグア湖(Lago de Nicaragua)を使うニカラグアルートも考えられたが、1902年にパナマルートに決定する。しかし、当時パナマを支配していたコロンビアがアメリカ支配下の運用を認めなかったため、アメリカはパナマの独立派と手を結び、翌1903年にパナマを独立させ、条約を締結、早々に工事に着手したのだが、海面式運河にするか閘門式運河にするかの建設計画さえ決定せず、工事は遅々として進まなかった。<br /><br />1905年にスティーブンス(John Frank Stevens)主任技師が着任し、労働環境整備を行い、地勢調査を行い、ようやく閘門式運河と決定。1907年には主任技師はゲーサルス(George Washington Goethals)に交代したが、彼も引き続き労働環境向上を行い、工事のテンポは上がった。そして、1910年にガトゥンダム(Gatun Dam)が完成、13年に満水となってガトゥン湖が誕生。そして、一番の難工事であったクレブラカット(Culebra Cut)の開削も完了し、運河は予定より2年早い1914年8月に開通した。<br /><br />最終的に、この工事には3億ドル以上の資金が投入された。そして、運河収入はパナマに帰属するが、運河地帯の施政権と運河の管理権は、アメリカに帰属することとなった。軍事施設も置かれ、中南米におけるアメリカの軍事拠点となっていたが、第二次世界大戦後パナマの民族主義が高まり、運河返還を求める声が強くなっていった。そして、1977年、ジミー・カーター(Jimmy Carter)大統領の時代に新パナマ運河条約(Tratados Torrijos-Carter)が締結され、1979年に主権をパナマに返還、その20年後の1999年末に全ての施設を返還、アメリカ軍は完全に撤退した。<br /><br />2007年から新航路の拡張工事が始まり、2016年に運用開始されている。3つの閘門にそれぞれ別ルートの航路を拓き、通過できる船のサイズが大きくなった。新航路ではペデロミゲル閘門はなくなり、ミラフローレス閘門に3閘室が設置され、また旧航路は2レーンに分かれているのが広い1レーンになっている。コロン(Colon)の大西洋橋(Puente Atlantico)を渡る時にガトゥン閘門は新旧航路が見えたが、ミラフローレス閘門のビジターセンターから新航路は見えない。<br /><br />パーキングエリアの一角に目立たぬように自転車を止め、20バルボア(US$)を払ってビジターセンター(Centro de Visitantes)に入る(下の写真)。まずは2階の展望スペースに売店があったのでミネラルウォーター1.80バルボア(US$)を買って一息つく。ここの展望スペースには座席が並んでるので、しばらく座って休んでいたが、船も来ないし、4時頃最上階の展望台へ移動する。こちらは座席はないが、人は多く、皆さん柵に並んで船を待っている。<br /><br />実は船が通過する時刻は決まっていて、午前中の9時から11時は太平洋側からカリブ海側へ、午後の3時から5時はカリブ海側から太平洋側へ通る。この時間帯はカリブ海、ペデロミゲル閘門からやって来るはずと思ってたら、来た来た、2レーンある向こう側に1隻やって来た。さらにその向こうのペデロミゲル閘門では2レーンとも通過中。ペデロミゲル閘門の奥にはパナマ運河に掛る3本の橋で2004年に2番目に完成したセンテニアル橋(Puente Centenario)が見える。太平洋側に掛るアメリカ橋(Puente de las Americas)の渋滞を緩和するために建設され、現在パンアメリカンハイウェイ(Carretera Panamericana)はこの橋経由となっている。<br /><br />到着した船が閘室まで進むには、まだ時間が掛かりそうなので、先に博物館を見学する。博物館は1階から5階まであり、建設工事の様子が紹介され、この閘門の水路モデルがあり、関門を閉じたり開いたりできるミニチュアもある。さらに、運河の管制塔や通過するタンカー船の操縦席モデルも。また、ミニ水族館にはこの辺りに住む熱帯魚が展示され、昆虫も展示されている。<br /><br />4時10分頃、博物館をざっくりと見て展望台に戻るとようやく第1閘室(カリブ海側の閘室)に船が到着、水抜きが始まる。5分ほどで水抜きが終わると、第2閘室(太平洋海側の閘室)との間の水門が開き、両サイド3両ずつの電気機関車に引かれて第2閘室へ移動する。新航路では全面的にタグボートの曳航によって移動するが、閘門のレーンの狭い旧航路では、閘門内の移動は川崎重工製の電気機関車によって行われている。4時半頃、第2閘室への移動が終わり、再び水抜きが始まる。<br /><br />ちなみに通過していた船はリベリア船籍で、シンガポールに本社を置く多目的船運航船社AALの貨物船、ジェノア丸(GENOA)だった。この時、何を積んでどこからどこへ向かっていたのかは分からないが、パナマ運河を通過する貨物船で、カリブ海から太平洋に抜ける船は、アメリカのメキシコ湾岸から日本、中国、韓国といった東アジア諸国への流れが圧倒的に大きいそうで、貨物は穀物だそうだ。これに対し、逆方向で最も大きい流れはカナダおよびアメリカ西海岸からヨーロッパへの貨物の流れで、次ぐものが日本および中国からメキシコ湾岸・アメリカ東海岸への流れ、そして南米太平洋岸諸国からアメリカ東海岸およびヨーロッパへが続く。<br /><br />1隻通過して、観光客がグッと減ったところで、、記念写真を誰かに取ってもらおうかとしてたら、スタッフが撮ってくれた。最初、ペデロミゲル閘門側をバックで撮ってたのだが(表紙写真)、反対側の方がもっといいと云って、他のお客さんに声を掛けてスペースを開けてもらって撮ってくれた。まあ、親切なこと。そう云えばこの時スペースを空けてくれた人は若い韓国人の方だった。東洋人だけど、日本人じゃないなと思ったら当たってたわ。余談だが、今回の旅、知り合い以外の日本人には一人も会わなかった。<br /><br />4時45分頃、ジェノア丸は最後の閘室での水抜きが終わり、太平洋に向かったが、今度は手前のレーンに次の船がやって来る。今度は客船で、オランダ船籍で、アメリカ、シアトルに本社を置くホーランド・アメリカ・ライン(Holland America Line)と云うクルーズ会社所有のザーンダム丸(Zaandam)。2000年就航で、乗船人数は1,432人。主には、カナダのセントローレンス湾(Gulf of Saint Lawrence)辺りのクルーズが多いようだが、時にはパナマ運河を越え、メキシコからアメリカ西海岸に北上したり、逆に南米大陸太平洋岸を南下したり、さらにカナダから北大西洋を越えてヨーロッパまでも航路を伸ばしているようだ。<br /><br />続いてジェノア丸が通過し終わった向こう側のレーンにはノルウェイ船籍で、スウェーデンとノルウェイに本拠を置くワレニウス・ウィルヘルムセン・ラインズ(Wallenius Wilhelmsen Lines)のタメラン丸(Tamerlane)。自動車運搬船で北米東海岸とアジア・オセアニア間を運航しているようだ。私が今ジャマイカで乗ってる車は日本で乗られていた中古車なので、こういう船に乗せられて、日本からパナマ運河を抜けてジャマイカにやって来たんだ。<br /><br />5時半前、ザーンダム丸が第1閘室で水抜きされているところで、日が暮れる前に次の目的地に向かうことにする。こう云うのは見続けていると切りがない。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3483960338340632&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />さらに夕食へと続く

パナマ パナマシティ パナマ運河(Canal de Panama, Panama City, Panama)

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2019/10/21 - 2019/10/21

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ちふゆ

ちふゆさん

2019年10月21日(月)の午後3時頃、パナマシティ(Ciudad de Panama)のカスコビエホ(Casco Viejo)の北にあるレンタサイクル屋(Burke Bikes Casco)。自転車の鍵はなくても大丈夫と云う根拠ない説得を信じて、自転車で再度移動開始し、ここに来たら絶対に行きたかったポイント、パナマ運河(Canal de Panama)観光へ向かう。再びカスコビエホを横切り、今度は北へ。スマホアプリのナビゲーションマップMAPS.MEで道を確認しながら10㎞余り。途中、工場の敷地の中を横切れとか云うムチャなルートを出してくるのを、自力で判断して回避しながら、朝乗ったパナマ運河鉄道(Panama Canal Railway)の線路沿いの道を走る。急ではないが昇りが続くので、結構大変。

朝鉄道に乗ったコロサル(Corozal)駅を過ぎ、さらに頑張って走りつけること30分以上。3時半過ぎにようやくミラフローレス閘門(Esclusas de Miraflores)に到着。ここはパナマ運河にある3ヶ所の閘門で一番太平洋側にあるもの。閘門(こうもん)とは、水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための水門のこと。日本でもうちの近くの京都の伏見に三栖(みす)閘門の遺構が残るほか、大阪の毛馬(けま)閘門など現在も使われているものも残る。パナマ運河では、運河中央部のガトゥン湖(Lago Gatun)が海抜26mもあるので、2閘室(ロック)あるこの閘門のほか、1閘室のペデロミゲル閘門(Esclusa de Pedro Miguel)、3閘室のガトゥン閘門(Esclusas de Gatun)で、船をアップダウンさせており、「船が山を越える」と評されることもある。

改めてパナマ運河だが、パナマ地峡(Istmo de Panama)を開削して太平洋と大西洋のカリブ海を結んでいる閘門式運河。全長約80㎞、最小幅91m、最大幅200m、深さは一番浅い場所で12.5m。1914年に開通し、長らくアメリカによる管理が続いてきたが、1999年末を以ってパナマに完全返還された。

運河構想はパナマ地峡の発見直後からあり、1534年にスペインのカルロス1世(Carlos I de Espana)が調査を指示したが、当時の技術力では不可能であった。それから約350年後、1880年にスエズ運河(Suez Canal)の建設者レセップス(Ferdinand Marie Vicomte de Lesseps)が建設を開始したが、黄熱病や資金調達に技術的問題も出て計画は頓挫する。

20世紀に入り、太平洋と大西洋にまたがる国土を持つアメリカが両洋間を結ぶ運河は経済的にも軍事的にも必須のものであると考え、運河建設に乗り出す。ニカラグア湖(Lago de Nicaragua)を使うニカラグアルートも考えられたが、1902年にパナマルートに決定する。しかし、当時パナマを支配していたコロンビアがアメリカ支配下の運用を認めなかったため、アメリカはパナマの独立派と手を結び、翌1903年にパナマを独立させ、条約を締結、早々に工事に着手したのだが、海面式運河にするか閘門式運河にするかの建設計画さえ決定せず、工事は遅々として進まなかった。

1905年にスティーブンス(John Frank Stevens)主任技師が着任し、労働環境整備を行い、地勢調査を行い、ようやく閘門式運河と決定。1907年には主任技師はゲーサルス(George Washington Goethals)に交代したが、彼も引き続き労働環境向上を行い、工事のテンポは上がった。そして、1910年にガトゥンダム(Gatun Dam)が完成、13年に満水となってガトゥン湖が誕生。そして、一番の難工事であったクレブラカット(Culebra Cut)の開削も完了し、運河は予定より2年早い1914年8月に開通した。

最終的に、この工事には3億ドル以上の資金が投入された。そして、運河収入はパナマに帰属するが、運河地帯の施政権と運河の管理権は、アメリカに帰属することとなった。軍事施設も置かれ、中南米におけるアメリカの軍事拠点となっていたが、第二次世界大戦後パナマの民族主義が高まり、運河返還を求める声が強くなっていった。そして、1977年、ジミー・カーター(Jimmy Carter)大統領の時代に新パナマ運河条約(Tratados Torrijos-Carter)が締結され、1979年に主権をパナマに返還、その20年後の1999年末に全ての施設を返還、アメリカ軍は完全に撤退した。

2007年から新航路の拡張工事が始まり、2016年に運用開始されている。3つの閘門にそれぞれ別ルートの航路を拓き、通過できる船のサイズが大きくなった。新航路ではペデロミゲル閘門はなくなり、ミラフローレス閘門に3閘室が設置され、また旧航路は2レーンに分かれているのが広い1レーンになっている。コロン(Colon)の大西洋橋(Puente Atlantico)を渡る時にガトゥン閘門は新旧航路が見えたが、ミラフローレス閘門のビジターセンターから新航路は見えない。

パーキングエリアの一角に目立たぬように自転車を止め、20バルボア(US$)を払ってビジターセンター(Centro de Visitantes)に入る(下の写真)。まずは2階の展望スペースに売店があったのでミネラルウォーター1.80バルボア(US$)を買って一息つく。ここの展望スペースには座席が並んでるので、しばらく座って休んでいたが、船も来ないし、4時頃最上階の展望台へ移動する。こちらは座席はないが、人は多く、皆さん柵に並んで船を待っている。

実は船が通過する時刻は決まっていて、午前中の9時から11時は太平洋側からカリブ海側へ、午後の3時から5時はカリブ海側から太平洋側へ通る。この時間帯はカリブ海、ペデロミゲル閘門からやって来るはずと思ってたら、来た来た、2レーンある向こう側に1隻やって来た。さらにその向こうのペデロミゲル閘門では2レーンとも通過中。ペデロミゲル閘門の奥にはパナマ運河に掛る3本の橋で2004年に2番目に完成したセンテニアル橋(Puente Centenario)が見える。太平洋側に掛るアメリカ橋(Puente de las Americas)の渋滞を緩和するために建設され、現在パンアメリカンハイウェイ(Carretera Panamericana)はこの橋経由となっている。

到着した船が閘室まで進むには、まだ時間が掛かりそうなので、先に博物館を見学する。博物館は1階から5階まであり、建設工事の様子が紹介され、この閘門の水路モデルがあり、関門を閉じたり開いたりできるミニチュアもある。さらに、運河の管制塔や通過するタンカー船の操縦席モデルも。また、ミニ水族館にはこの辺りに住む熱帯魚が展示され、昆虫も展示されている。

4時10分頃、博物館をざっくりと見て展望台に戻るとようやく第1閘室(カリブ海側の閘室)に船が到着、水抜きが始まる。5分ほどで水抜きが終わると、第2閘室(太平洋海側の閘室)との間の水門が開き、両サイド3両ずつの電気機関車に引かれて第2閘室へ移動する。新航路では全面的にタグボートの曳航によって移動するが、閘門のレーンの狭い旧航路では、閘門内の移動は川崎重工製の電気機関車によって行われている。4時半頃、第2閘室への移動が終わり、再び水抜きが始まる。

ちなみに通過していた船はリベリア船籍で、シンガポールに本社を置く多目的船運航船社AALの貨物船、ジェノア丸(GENOA)だった。この時、何を積んでどこからどこへ向かっていたのかは分からないが、パナマ運河を通過する貨物船で、カリブ海から太平洋に抜ける船は、アメリカのメキシコ湾岸から日本、中国、韓国といった東アジア諸国への流れが圧倒的に大きいそうで、貨物は穀物だそうだ。これに対し、逆方向で最も大きい流れはカナダおよびアメリカ西海岸からヨーロッパへの貨物の流れで、次ぐものが日本および中国からメキシコ湾岸・アメリカ東海岸への流れ、そして南米太平洋岸諸国からアメリカ東海岸およびヨーロッパへが続く。

1隻通過して、観光客がグッと減ったところで、、記念写真を誰かに取ってもらおうかとしてたら、スタッフが撮ってくれた。最初、ペデロミゲル閘門側をバックで撮ってたのだが(表紙写真)、反対側の方がもっといいと云って、他のお客さんに声を掛けてスペースを開けてもらって撮ってくれた。まあ、親切なこと。そう云えばこの時スペースを空けてくれた人は若い韓国人の方だった。東洋人だけど、日本人じゃないなと思ったら当たってたわ。余談だが、今回の旅、知り合い以外の日本人には一人も会わなかった。

4時45分頃、ジェノア丸は最後の閘室での水抜きが終わり、太平洋に向かったが、今度は手前のレーンに次の船がやって来る。今度は客船で、オランダ船籍で、アメリカ、シアトルに本社を置くホーランド・アメリカ・ライン(Holland America Line)と云うクルーズ会社所有のザーンダム丸(Zaandam)。2000年就航で、乗船人数は1,432人。主には、カナダのセントローレンス湾(Gulf of Saint Lawrence)辺りのクルーズが多いようだが、時にはパナマ運河を越え、メキシコからアメリカ西海岸に北上したり、逆に南米大陸太平洋岸を南下したり、さらにカナダから北大西洋を越えてヨーロッパまでも航路を伸ばしているようだ。

続いてジェノア丸が通過し終わった向こう側のレーンにはノルウェイ船籍で、スウェーデンとノルウェイに本拠を置くワレニウス・ウィルヘルムセン・ラインズ(Wallenius Wilhelmsen Lines)のタメラン丸(Tamerlane)。自動車運搬船で北米東海岸とアジア・オセアニア間を運航しているようだ。私が今ジャマイカで乗ってる車は日本で乗られていた中古車なので、こういう船に乗せられて、日本からパナマ運河を抜けてジャマイカにやって来たんだ。

5時半前、ザーンダム丸が第1閘室で水抜きされているところで、日が暮れる前に次の目的地に向かうことにする。こう云うのは見続けていると切りがない。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3483960338340632&type=1&l=223fe1adec

さらに夕食へと続く

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