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即成院を出て、戒光寺、今熊野観音寺、泉湧寺と巡り、最後の目的の雲龍院に向かいます。<br />雲龍院は、NHK[京都人の密かな愉しみ」(2015年放送)の中のオムニバスドラマ『わたしの大黒さん』に出てきます。中村ゆりと福士誠治を思い浮かべながら、走り大黒天に参拝しました。<br /><br />☆1日目 <br /> 京都駅→(烏丸線)→北大路→taxi→常照寺→光悦寺→光悦茶屋(昼食)→今宮神社→大徳寺塔頭 総見院、興臨院、黄梅院→taxi→松前屋→taxi→イノダコーヒ本店→ホテル<br />夕食 京富庵(水炊き)<br /><br />☆2日目<br />ホテル→taxi→出町ふたば→出町柳駅→(叡山電鉄本線)→八瀬比叡山口駅→八瀬もみじの小径→蓮華寺→瑠璃光院→赤山禅院→鷺森神社→圓光寺→一乗寺駅→(叡山電鉄本線)→出町柳駅→taxi→大極殿本舗 六角店 「栖園」→ホテル<br />夕食 京料理 貴与次郎(京会席)<br /><br />☆3日目<br />ホテル→taxi→東福寺→即成院→戒光寺→今熊野観音寺→泉湧寺→雲龍院→お好み焼吉野(遅い昼食)→京都駅

晩秋の京都⑥(3日目後半)☆戒光寺・今熊野観音寺・泉湧寺・雲龍院☆お好み焼吉野☆2019/11/29

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2019/11/27 - 2019/11/29

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杏仁豆腐

杏仁豆腐さん

即成院を出て、戒光寺、今熊野観音寺、泉湧寺と巡り、最後の目的の雲龍院に向かいます。
雲龍院は、NHK[京都人の密かな愉しみ」(2015年放送)の中のオムニバスドラマ『わたしの大黒さん』に出てきます。中村ゆりと福士誠治を思い浮かべながら、走り大黒天に参拝しました。

☆1日目 
 京都駅→(烏丸線)→北大路→taxi→常照寺→光悦寺→光悦茶屋(昼食)→今宮神社→大徳寺塔頭 総見院、興臨院、黄梅院→taxi→松前屋→taxi→イノダコーヒ本店→ホテル
夕食 京富庵(水炊き)

☆2日目
ホテル→taxi→出町ふたば→出町柳駅→(叡山電鉄本線)→八瀬比叡山口駅→八瀬もみじの小径→蓮華寺→瑠璃光院→赤山禅院→鷺森神社→圓光寺→一乗寺駅→(叡山電鉄本線)→出町柳駅→taxi→大極殿本舗 六角店 「栖園」→ホテル
夕食 京料理 貴与次郎(京会席)

☆3日目
ホテル→taxi→東福寺→即成院→戒光寺→今熊野観音寺→泉湧寺→雲龍院→お好み焼吉野(遅い昼食)→京都駅

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
新幹線 徒歩

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  • 泉涌寺の総門です。<br />総門の中をガードレールが!

    泉涌寺の総門です。
    総門の中をガードレールが!

  • 戒光寺です。<br />真言宗泉涌寺派準別格本山の寺院で、泉涌寺の塔頭のひとつ。丈六さんとも称されています。<br /><br />人があまりいません。とても静かです。

    戒光寺です。
    真言宗泉涌寺派準別格本山の寺院で、泉涌寺の塔頭のひとつ。丈六さんとも称されています。

    人があまりいません。とても静かです。

  • 戒光寺は応仁の乱で伽藍を消失しますが、全高10mの木像「丈六釈迦如来像」(通称 丈六さん)は奇跡的にその大火から免れました。<br />丈六釈迦如来像は、鎌倉時代の仏師、運慶・湛慶親子の合作です。<br /><br />驚くほど立派な釈迦如来像です。

    戒光寺は応仁の乱で伽藍を消失しますが、全高10mの木像「丈六釈迦如来像」(通称 丈六さん)は奇跡的にその大火から免れました。
    丈六釈迦如来像は、鎌倉時代の仏師、運慶・湛慶親子の合作です。

    驚くほど立派な釈迦如来像です。

  • 丈六釈迦如来像は、身の丈は約5.4メートル、台座から光背部を入れると約10メートルあります。<br />首の辺りから何か流れている様に見えるのは、血の跡だといわれています。これは、後水尾天皇が東宮であった頃、即位争いに巻き込まれ暗殺者に寝首を掻かれた時に、この釈迦如来が身代わりにたたれ、ついた血の跡だといわれています。<br />この事から、身代わりのお釈迦様と呼ばれるようになり、「悪しき事のお身代わりになってくださる」又、「首から上の病気、のどの病気を治してくださる」と、崇められ、大きな仏様という意味で「丈六さん」と呼ばれ親しまれています。(HPより)<br /><br /><br />

    丈六釈迦如来像は、身の丈は約5.4メートル、台座から光背部を入れると約10メートルあります。
    首の辺りから何か流れている様に見えるのは、血の跡だといわれています。これは、後水尾天皇が東宮であった頃、即位争いに巻き込まれ暗殺者に寝首を掻かれた時に、この釈迦如来が身代わりにたたれ、ついた血の跡だといわれています。
    この事から、身代わりのお釈迦様と呼ばれるようになり、「悪しき事のお身代わりになってくださる」又、「首から上の病気、のどの病気を治してくださる」と、崇められ、大きな仏様という意味で「丈六さん」と呼ばれ親しまれています。(HPより)


  • 今熊野観音寺に来ました。

    今熊野観音寺に来ました。

  • 鳥居橋を渡ります。<br />観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる川は今熊野川です。今熊野川を越えるのが鳥居橋です。

    鳥居橋を渡ります。
    観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる川は今熊野川です。今熊野川を越えるのが鳥居橋です。

  • きれいな紅葉が広がっています。

    きれいな紅葉が広がっています。

  • 子護大師です。<br />子護弘法大師とも呼ばれています。弘法大師が観音寺を開創しました。

    子護大師です。
    子護弘法大師とも呼ばれています。弘法大師が観音寺を開創しました。

  • この辺りの紅葉がとてもきれいでした。<br />一面がモミジです。

    イチオシ

    この辺りの紅葉がとてもきれいでした。
    一面がモミジです。

  • 赤に黄色が入ると、これまたきれい!

    赤に黄色が入ると、これまたきれい!

  • 本堂です。<br />正徳2年(1712)に、宗恕祖元律師によって建立されたものです。<br />本尊は、弘法大師御作と伝えられる十一面観世音菩薩(身丈・一尺八寸)。<br />本尊は秘仏とされていて直接拝むことはできませんが、代わりに同じお姿の御前立さまが立たれています。<br />脇仏は、智証大師円珍作と伝えられる不動明王と、運慶作と伝えられる毘沙門天です。

    本堂です。
    正徳2年(1712)に、宗恕祖元律師によって建立されたものです。
    本尊は、弘法大師御作と伝えられる十一面観世音菩薩(身丈・一尺八寸)。
    本尊は秘仏とされていて直接拝むことはできませんが、代わりに同じお姿の御前立さまが立たれています。
    脇仏は、智証大師円珍作と伝えられる不動明王と、運慶作と伝えられる毘沙門天です。

  • 今熊野観音寺は、 <br />西国三十三ヶ所観音霊場の第十五番札所<br />ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場の第一番札所<br />京都泉山七福神のえびす神奉祀<br />洛陽三十三所観音霊場の第十九番札所<br />神仏霊場会の122番(京都42番)霊場<br />として名高く、また古くからの霊験記にも記されている通り「頭の観音さん」として広く人々の信仰をあつめています。

    今熊野観音寺は、
    西国三十三ヶ所観音霊場の第十五番札所
    ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場の第一番札所
    京都泉山七福神のえびす神奉祀
    洛陽三十三所観音霊場の第十九番札所
    神仏霊場会の122番(京都42番)霊場
    として名高く、また古くからの霊験記にも記されている通り「頭の観音さん」として広く人々の信仰をあつめています。

  • 本堂東側の山上に、そびえ立つ平安様式の多宝塔が見えます。<br />医聖堂です。この医聖堂には医界に貢献された多くの方々が祭祀されています。

    本堂東側の山上に、そびえ立つ平安様式の多宝塔が見えます。
    医聖堂です。この医聖堂には医界に貢献された多くの方々が祭祀されています。

  • 三重石塔が本堂の横にありました。<br />平安時代、当寺創建時の作のようです。

    三重石塔が本堂の横にありました。
    平安時代、当寺創建時の作のようです。

  • 本堂前の広場でだんごを販売していました。

    本堂前の広場でだんごを販売していました。

  • 2種類の団子が売られています。団子の魅力に誘われて、ひと休みします。

    2種類の団子が売られています。団子の魅力に誘われて、ひと休みします。

  • みたらし団子と抹茶団子。<br />紅葉に囲まれてのひと時。いいどすえ~。

    みたらし団子と抹茶団子。
    紅葉に囲まれてのひと時。いいどすえ~。

  • 鐘楼です。<br />この梵鐘の鋳造は古いのですが、太平洋戦争のときに供出されました。しかし観音様のご加護によって元のままの姿で残されており、不思議なえにしにより現在の位置にもどりました。(HPより)

    鐘楼です。
    この梵鐘の鋳造は古いのですが、太平洋戦争のときに供出されました。しかし観音様のご加護によって元のままの姿で残されており、不思議なえにしにより現在の位置にもどりました。(HPより)

  • 晩秋を十分に楽しみました。

    晩秋を十分に楽しみました。

  • 泉涌寺大門です。<br />東山門とも呼ばれています。<br />桃山時代の本瓦葺の四脚門で、もとは御所の内裏の門でした(重要文化財)。

    泉涌寺大門です。
    東山門とも呼ばれています。
    桃山時代の本瓦葺の四脚門で、もとは御所の内裏の門でした(重要文化財)。

  • いよいよ泉涌寺に入ります。<br />皇室との関連が深く御寺(みてら)とも呼ばれています。<br />空海が天長年間(824-34)ここに草庵を結び、法輪寺としたのが起こりです。1218年(建保6)月輪大師が造営するにあたり、清泉が涌き泉涌寺と改められました。四条天皇以来14代の天皇陵をはじめ、皇妃、親王陵墓など39の陵墓があります。<br />天皇、皇后両陛下が11月27日に泉涌寺の孝明天皇山陵を訪れ、「親謁の儀」に臨まれました。

    いよいよ泉涌寺に入ります。
    皇室との関連が深く御寺(みてら)とも呼ばれています。
    空海が天長年間(824-34)ここに草庵を結び、法輪寺としたのが起こりです。1218年(建保6)月輪大師が造営するにあたり、清泉が涌き泉涌寺と改められました。四条天皇以来14代の天皇陵をはじめ、皇妃、親王陵墓など39の陵墓があります。
    天皇、皇后両陛下が11月27日に泉涌寺の孝明天皇山陵を訪れ、「親謁の儀」に臨まれました。

  • 楊貴妃観音堂です。<br />重要文化財の観音菩薩坐像がここに安置されています。

    楊貴妃観音堂です。
    重要文化財の観音菩薩坐像がここに安置されています。

  • 仏殿です。<br />砂利道を歩いていくと正面にあり、威厳を持ち、風格のある建物です。<br />仏殿の中には、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三体の御本尊が横並びに祀られています。<br />天井には、狩野探幽が描いた龍の図があります。

    仏殿です。
    砂利道を歩いていくと正面にあり、威厳を持ち、風格のある建物です。
    仏殿の中には、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三体の御本尊が横並びに祀られています。
    天井には、狩野探幽が描いた龍の図があります。

  • 浴室です。<br />寛永の再建期の建物です。<br />浴室は、仏前に仕える僧が身を清める場所です。古代・中世には、病に悩む民衆の治療に用いられたこともあったそうです。<br />風呂は、床下の鉄釜で湯を沸かし、蒸気を床上に入れる蒸し風呂です。

    浴室です。
    寛永の再建期の建物です。
    浴室は、仏前に仕える僧が身を清める場所です。古代・中世には、病に悩む民衆の治療に用いられたこともあったそうです。
    風呂は、床下の鉄釜で湯を沸かし、蒸気を床上に入れる蒸し風呂です。

  • 仏殿の後ろには、舎利殿。<br />舎利殿には、お釈迦様の歯の部分が祀られています。<br />普段は非公開ですが、辰年に特別公開が行われているそうです。

    仏殿の後ろには、舎利殿。
    舎利殿には、お釈迦様の歯の部分が祀られています。
    普段は非公開ですが、辰年に特別公開が行われているそうです。

  • 泉涌水屋形です。<br />泉涌寺の寺名の由来となった清泉を覆う屋形で、1668年(寛文8年)の再建です。<br />泉涌寺は、825年(斉衡2年)、左大臣藤原緒嗣が創建した法輪寺を起源とし、仙遊寺と改名された後、1218年(建保6年)に月輪大師(俊じょう)が宇都宮信房(うつのみや のぶふさ)から仙境の寄進を受け、1226年(嘉禄2年)に伽藍が完成しています。<br />その間、寺地の一角から清泉が湧き出したことにより泉涌寺と改められました。<br />清泉は今でも尽きることなく湧き出しているそうです。

    泉涌水屋形です。
    泉涌寺の寺名の由来となった清泉を覆う屋形で、1668年(寛文8年)の再建です。
    泉涌寺は、825年(斉衡2年)、左大臣藤原緒嗣が創建した法輪寺を起源とし、仙遊寺と改名された後、1218年(建保6年)に月輪大師(俊じょう)が宇都宮信房(うつのみや のぶふさ)から仙境の寄進を受け、1226年(嘉禄2年)に伽藍が完成しています。
    その間、寺地の一角から清泉が湧き出したことにより泉涌寺と改められました。
    清泉は今でも尽きることなく湧き出しているそうです。

  • 泉涌水屋形の隣には、清少納言歌碑があります。<br />「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」<br />宮仕えを辞めた晩年の清少納言が暮らしていた場所が泉涌寺のあたりだったといいます。

    泉涌水屋形の隣には、清少納言歌碑があります。
    「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」
    宮仕えを辞めた晩年の清少納言が暮らしていた場所が泉涌寺のあたりだったといいます。

  • 勅使門です。<br />普段は閉じられており、皇室の方達や天皇の勅使が訪れた時に使用されています。

    勅使門です。
    普段は閉じられており、皇室の方達や天皇の勅使が訪れた時に使用されています。

  • 本坊です。

    本坊です。

  • 雲龍院に来ました。<br />京都紅葉巡りの最後の参拝場所です。<br />瑠璃山雲龍院という泉涌寺別院です。<br />山門です。

    雲龍院に来ました。
    京都紅葉巡りの最後の参拝場所です。
    瑠璃山雲龍院という泉涌寺別院です。
    山門です。

  • 山門をくぐって石畳を奥に進みます。

    山門をくぐって石畳を奥に進みます。

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 玄関を上がった正面には「雲龍図」の襖絵があります。

    玄関を上がった正面には「雲龍図」の襖絵があります。

  • 書院「蓮華の間」です。<br />座布団が置いてあり、そこに座り、障子の4つのガラスから外を見ると、左から椿、燈籠、楓、松の4つの違う景色が切り取られて見える「しき紙の景色」が楽しめます。

    イチオシ

    書院「蓮華の間」です。
    座布団が置いてあり、そこに座り、障子の4つのガラスから外を見ると、左から椿、燈籠、楓、松の4つの違う景色が切り取られて見える「しき紙の景色」が楽しめます。

  • 青山愛さん推奨だそうです。

    青山愛さん推奨だそうです。

  • 座布団の位置からでないと、椿、燈籠、楓、松とはいきません。

    座布団の位置からでないと、椿、燈籠、楓、松とはいきません。

  • 雲龍院の中は広く、書院は5つもあります。<br />

    雲龍院の中は広く、書院は5つもあります。

  • 元禄十四年、赤穂城を退き山科に浪宅を構え閑居した大石良雄の「龍淵」の書。

    元禄十四年、赤穂城を退き山科に浪宅を構え閑居した大石良雄の「龍淵」の書。

  • 徳川15代将軍慶喜が寄進した灯篭です。<br />菊の御紋の文様が砂で描かれています。

    徳川15代将軍慶喜が寄進した灯篭です。
    菊の御紋の文様が砂で描かれています。

  • 別の角度から。

    別の角度から。

  • 灯篭の奥にある霊明殿には、皇族の方々の位牌が安置されています。

    灯篭の奥にある霊明殿には、皇族の方々の位牌が安置されています。

  • 本堂は龍華殿と言います。<br />龍華殿の勅額です。

    本堂は龍華殿と言います。
    龍華殿の勅額です。

  • 椅子に座って 石の上に足を乗せ、密教で行われている 阿字観瞑想 の呼吸法が体験出来ます。

    椅子に座って 石の上に足を乗せ、密教で行われている 阿字観瞑想 の呼吸法が体験出来ます。

  • 瞑想石です。

    瞑想石です。

  • 龍淵のさやけし (水琴窟)<br />月輪山麓に佇む雲龍院。この庭にはかつて大きな池があったよし。<br />忠臣蔵で有名な大石内蔵助は 紅葉映るこの池を龍のすみか「龍淵」と名付け候。<br />今は御座無候ながら 守り神の龍は尚、この地に留まりぬ。<br />息吹をお聴き成し下さるべく候。

    龍淵のさやけし (水琴窟)
    月輪山麓に佇む雲龍院。この庭にはかつて大きな池があったよし。
    忠臣蔵で有名な大石内蔵助は 紅葉映るこの池を龍のすみか「龍淵」と名付け候。
    今は御座無候ながら 守り神の龍は尚、この地に留まりぬ。
    息吹をお聴き成し下さるべく候。

  • 「さやけし」 という言葉は万葉集の中に出てくる上代(古語)で 水の音のすがすがしさ、清潔さ、けがれない土地の神を讃えるといった意味があるそうです。<br />水琴窟の神秘的な音色。

    「さやけし」 という言葉は万葉集の中に出てくる上代(古語)で 水の音のすがすがしさ、清潔さ、けがれない土地の神を讃えるといった意味があるそうです。
    水琴窟の神秘的な音色。

  • 心が和む演出も。

    心が和む演出も。

  • きれいなお庭です。

    きれいなお庭です。

  • 過ぎ去る秋の風景です。

    過ぎ去る秋の風景です。

  • 雲龍院はとても落ち着くお寺です。

    雲龍院はとても落ち着くお寺です。

  • 室内から垣間見る外の景色はいいものです。

    室内から垣間見る外の景色はいいものです。

  • 悟りの間です。

    悟りの間です。

  • 悟りの窓

    悟りの窓

  • 春には紅梅、海棠、シャクナゲを楽しむことが出来るそうです。<br /><br />悟ります!!

    イチオシ

    春には紅梅、海棠、シャクナゲを楽しむことが出来るそうです。

    悟ります!!

  • 雲龍院の雰囲気を十分に感じました。

    雲龍院の雰囲気を十分に感じました。

  • 走る大黒天尊像は、台所に安置されています。<br />鎌倉時代の作で、大きな袋を背負ったわらじ履きの大黒様です。写真撮影は禁止です。

    走る大黒天尊像は、台所に安置されています。
    鎌倉時代の作で、大きな袋を背負ったわらじ履きの大黒様です。写真撮影は禁止です。

  • 京都人の密かな愉しみ「縁結び編」のロケ地でもある雲龍院。<br />とても素敵な所でした。

    京都人の密かな愉しみ「縁結び編」のロケ地でもある雲龍院。
    とても素敵な所でした。

  • 雲龍院から歩いて、三十三間堂方面に行きました。<br />三十三間堂の裏側にある「お好み焼吉野」。こちらで遅い昼食です。

    雲龍院から歩いて、三十三間堂方面に行きました。
    三十三間堂の裏側にある「お好み焼吉野」。こちらで遅い昼食です。

  • 店はこの路地の奥です。

    店はこの路地の奥です。

  • オープンは1963年だそうです。

    オープンは1963年だそうです。

  • カウンター席とテーブル席があります。<br />店内は混んでいました。空いているカウンター席に座りました。<br />常連の人たちがお好み焼きを食べ、飲んでいました。にぎやかです。<br />観光の外人さんもいました。

    カウンター席とテーブル席があります。
    店内は混んでいました。空いているカウンター席に座りました。
    常連の人たちがお好み焼きを食べ、飲んでいました。にぎやかです。
    観光の外人さんもいました。

  • 豚玉とスジ玉、そば入りをいただきました。<br />ソースは甘口、辛口の2種類。<br />辛口はしっかりとした辛口ソースです。

    豚玉とスジ玉、そば入りをいただきました。
    ソースは甘口、辛口の2種類。
    辛口はしっかりとした辛口ソースです。

  • 賑やかな店内で、昭和の雰囲気そのものです。<br />たまにはこのような店も味わいがあります。

    賑やかな店内で、昭和の雰囲気そのものです。
    たまにはこのような店も味わいがあります。

  • お好み焼き吉野から徒歩で京都駅へ。<br />志津屋 京都駅店でパンを購入しました。

    お好み焼き吉野から徒歩で京都駅へ。
    志津屋 京都駅店でパンを購入しました。

  • 昭和23年、京都・河原町に誕生。<br />合成のイーストフードを使用していない。すべてのパン生地に、BMPを配合している。などが特徴です。<br />BMP(ベースミックスパウダー)とは、健康を基本に天然のミネラル・モルト・酵素など、天然素材の力を活用し開発した各種必須ミネラルを身体に吸収されやすいバランスで配合した自然派のパウダーだそうです。<br />

    昭和23年、京都・河原町に誕生。
    合成のイーストフードを使用していない。すべてのパン生地に、BMPを配合している。などが特徴です。
    BMP(ベースミックスパウダー)とは、健康を基本に天然のミネラル・モルト・酵素など、天然素材の力を活用し開発した各種必須ミネラルを身体に吸収されやすいバランスで配合した自然派のパウダーだそうです。

  • パンを購入し、新幹線に乗りました。<br />2泊3日の京都の旅も終わりです。<br />紅葉をたくさん見ることができました。きれいだったなあ。

    パンを購入し、新幹線に乗りました。
    2泊3日の京都の旅も終わりです。
    紅葉をたくさん見ることができました。きれいだったなあ。

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