2019/11/27 - 2019/11/29
605位(同エリア3577件中)
杏仁豆腐さん
晩秋の京都で紅葉を満喫しようと旅立ちました。
紅葉の時期の京都は久しぶりです。
東京駅7:50発ののぞみ13号。朝食を購入し、乗り込みました。
新横浜を過ぎると満席。静岡あたりを通過するときは雨も降っていましたが、京都は曇り晴れ。10:08にはもう京都です。
京都駅から地下鉄烏丸線に乗り、北大路駅下車。そこからタクシーで常照寺に。ここから京都紅葉の旅がスタートです。
☆1日目
京都駅→(烏丸線)→北大路→taxi→常照寺→光悦寺→光悦茶屋(昼食)→今宮神社→大徳寺塔頭 総見院、興臨院、黄梅院→taxi→松前屋→taxi→イノダコーヒ本店→ホテル
夕食 京富庵(水炊き)
☆2日目
ホテル→taxi→出町ふたば→出町柳駅→(叡山電鉄本線)→八瀬比叡山口駅→八瀬もみじの小径→蓮華寺→瑠璃光院→赤山禅院→鷺森神社→圓光寺→一乗寺駅→(叡山電鉄本線)→出町柳駅→taxi→大極殿本舗 六角店 「栖園」→ホテル
夕食 京料理 貴与次郎(京会席)
☆3日目
ホテル→taxi→東福寺→即成院→戒光寺→今熊野観音寺→泉湧寺→雲龍院→お好み焼吉野(遅い昼食)→京都駅
ホテル 三井ガーデンホテル京都新町 別邸
晩秋の京都①(1日目前半)☆常照寺・光悦寺・今宮神社☆光悦茶屋☆2019/11/27
https://4travel.jp/travelogue/11572575
晩秋の京都②(1日目後半)☆大徳寺塔頭 総見院、興臨院、黄梅院☆松前屋・イノダコーヒ本店☆京富庵☆2019/11/27
https://4travel.jp/travelogue/11573215
晩秋の京都③(2日目前半)☆八瀬もみじの小径・蓮華寺・瑠璃光院☆出町ふたば☆2019/11/28
https://4travel.jp/travelogue/11573545
晩秋の京都④(2日目後半)☆赤山禅院・鷺森神社・圓光寺☆大極殿本舗 六角店☆京料理 貴与次郎☆2019/11/28
https://4travel.jp/travelogue/11573871
晩秋の京都⑤(3日目前半)☆東福寺・即成院☆2019/11/29
https://4travel.jp/travelogue/11574200
晩秋の京都⑥(3日目後半)☆戒光寺・今熊野観音寺・泉湧寺・雲龍院☆お好み焼吉野☆2019/11/29
https://4travel.jp/travelogue/11576181
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- タクシー 新幹線 私鉄 徒歩
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常照寺に来ました。
ここから京都の紅葉を愛でる旅スタートです。 -
常照寺は、島原の名太夫、吉野太夫ゆかりの寺としても知られ、入口には、吉野太夫を身請けした京の豪商、灰屋(佐野)紹益の歌が掲げられています。
「都をば 花なき里と なしにけり 吉野を死出の 山にうつして」 -
常照寺は、日蓮宗の寺院です。
人も少なく、とても静かです。 -
山門は、開祖、日乾上人に帰依した吉野太夫が寄進した「吉野の赤門」と呼ばれる山門です。
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吉野門をくぐると右側にあるのが帯塚です。
女性の心の象徴である“帯”に感謝するための塚で、戦後になって造られたものです。昭和の名作庭家、中根金作がデザインしました。 -
吉川観方氏小直衣の像です。
吉川観方氏は、時代風俗研究の権威で、功績を称え、昭和54年に立像が安置されました。 -
「蔵の財より身の財すぐれたり 身の財より心の財第一なり 日蓮聖人四条金吾殿御返事」
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吉野門を振り返ると風情のある風景。
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イチオシ
本堂
寺の始まりは元和2年(1616)、本阿弥光悦の子、光嵯が発願し、本阿弥光悦の寄進した土地に日蓮宗中興の寂照院日乾上人を招じて開祖されました。 -
静寂と紅葉。
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境内の奥には、吉野太夫をしのんで建てられた茶室・遺芳庵(いほうあん)があります。
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大きな円窓が特徴です。
円の下端がわずかに切り取られています。吉野太夫が好んだようです。
完全なる円でなく満ちない部分が残されています。 -
吉野太夫の墓です。
吉野太夫は松田徳子と言って武門の出ですが、故あって島原の名妓となりました。
正五位の格式があり、遊女の中の最高の位にある太夫です。
吉野太夫は和歌、連歌、俳句、書、茶湯、香道、音曲、囲碁、双六と諸芸に秀でていたそうで、絢爛豪華な島原の華でした。
灰屋紹益(はいやじょうえき)との恋が有名で、身請けされて妻となりました。
しかし、38歳で若死にし、灰屋紹益は別れを惜しんで吉野の荼毘に付した骨を食べた話があるほどです。 -
下に続く道があります。
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白馬池に続いています。
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白馬観音と白馬池です。
昔、白馬に乗って池を往来していた仙人を「白馬観音」としてお祀りしたものだそうです。 -
階段を上り、戻ってきました。
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鬼子母尊神堂
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常富堂(つねとみどう)
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常照寺を出て、光悦寺に向かいます。
途中にある源光庵です。
「悟りの窓」と「迷いの窓」の丸と四角の窓で有名です。
2019年6月1日から長期拝観休止となっています。庫裏改修工事のためで拝観再開予定 2021年秋頃です。 -
歩いていると、琳派400年記念碑がありました。
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京都市在住の服飾評論家、市田ひろみが琳派(りんぱ)400年の記念碑を寄贈しました。
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イチオシ
光悦寺に来ました。
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こちらも鮮やかな紅葉です。
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イチオシ
本阿弥光悦が1615年(元和1)徳川家康から与えられたこの地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こりです。光悦の死後、寺(日蓮宗)となりました。
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鐘楼
茅葺の屋根です。 -
光悦寺は、鷹峯(たかがみね)三山と楓の木々を借景とする回遊式の庭園で有名です。
境内には7つの茶室があります。
三巴亭 -
大虚庵
大虚庵前に組まれた垣根が「光悦垣」です。 -
竹を菱型に組み合わせてあり、端に行くほど高さが低くなっているのが特徴です。
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人も少なく、紅葉を楽しむにはいい感じです。
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大虚庵の入口。
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鮮やかな色です。
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了寂軒
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紅葉の向こうは山々。
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本阿弥一族の墓
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鷹ヶ峯
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本阿弥庵
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本阿弥光悦の墓
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「チャアレス エル 布利耶 碑 MONUMENT OF MR.CHARLES L.FREER」
アメリカの実業家チャールズラング・フリアの碑です。
列車産業や製薬会社への投資で財を為した人のようです。
度々日本を訪れ美術品を収集し、現在それらの美術品はフリア美術館に収蔵してあるそうです。 -
本堂
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本堂と庫裏を結ぶ回廊。
この下をくぐると庭園につながっています。 -
この風景はいつまでも見ていられます。
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光悦寺からすぐの光悦茶屋で昼食です。
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店内は薄暗い雰囲気です。
囲炉裏のあるテーブルに座りました。
店の奥には庭が広がります。 -
いろいろなものが置いてあります。
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光悦そば(ざる)をいただきました。
大根おろしを梅雨にいれて、つるつるといただきました。
あっさりしていて、おいしいです。
夜に備えて、昼は少なめがいいです。 -
光悦茶屋の前には、四季育む宿 然林房。
歩いて、今宮神社まで行きます。 -
鷹峰街道を歩いていると、松野醤油がありました。
文化二年(1805)に初代松野新九郎が創業以来、今なお手造りに徹した醤油づくりをしているそうです。 -
鷹ケ峯の御土居です。
ブラタモリでも紹介されていたので、有名です。
御土居は、天正十九年(1591)、豊臣秀吉が京都の周囲23kmにわたり築いた土塁と堀です。
外敵の来襲に備える防塁と鴨川の氾濫から市街を守る堤防の二つの役割を持っていました。 -
御土居の説明。
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御土居の前には、和菓子屋の光悦堂があります。
御土居餅が有名です。
光悦堂では御土居の柵の鍵を管理されていて、中を見たいとお願いすると鍵を貸してくれるそうです。 -
鷹ヶ峰薬園跡の石碑がありました。
鷹ヶ峰薬園は、60間(約110メートル)四方の規模があったそうです。
管理をしていたのは、徳川家に仕え、天皇の典医でもあった藤林道寿(ふじばやしどうじゅ)。 -
鷹ヶ峰薬園跡の説明。
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今宮神社に着きました。
「今宮神社」は、別名「玉の輿(たまのこし)神社」とも言われています。
楼門は、大正15年(1926年)のものです。 -
お玉の井
お玉の井は、元禄7年(1694年)に桂昌院が寄進したもので、手水盤は京都西町奉行の小出守里が寄進しています。
桂昌院は、3代将軍家光の側室で、5代将軍綱吉の生母。
もともとの名は、お玉といい、将軍に嫁いだことから、玉の輿の語源となったそうです。 -
お玉の井の説明
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月読社(つきよみしゃ)
明治43年(1910)建立。
伊勢神宮の別宮月読宮(つきよみのみや)の御祭神、月読尊(つきよみのみこと)を祀っています。 -
絵馬舎(えましゃ)
寛政12年(1800)建立。かつて、神々は騎乗した姿で現れると考えられていた為、馬は神様の乗り物として神聖視されており、古くから人々は願い事をする際、神様への御玉串として馬を奉納していました。
後にこれが絵馬となり奉納する殿舎が建てられました。 -
若宮社(わかみやしゃ)
元禄7年(1694)建立。
中央の若宮社は伊弉那美神、向かって右の加茂斎院は歴代斎王の御霊、左の若宮社は御霊を祀っています。 -
紫野稲荷社(むらさきのいなりしゃ)
紫野稲荷社の御祭神は伏見稲荷大社と同じく宇迦御魂命(うがのみたまのみこと)を祀っています。 -
桂昌院レリーフ
桂昌院は、寛永5年(1628)、西陣で八百屋の次女に生まれ、名を玉といいました。
その後公家二条家に出入りの本庄宗利の娘となり、関白家の鷹司孝子に仕えましたが、やがて孝子が将軍家光に入嫁するのに伴われて江戸城に入り大奥で仕えているうち、春日の局に認められて家光の側室となり、後に五代将軍となる綱吉を生んでその生母となり、晩年には従一位に叙せられ、世に畏敬されつつ、至福のうちに宝永2年(1705)79才で没しました。 -
織姫社(おりひめしゃ)
御祭神、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の御子で皇祖天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の御妃であり、天火明命(あめのほあかりのみこと)邇々杵尊(ににぎのみこと)の御母にあたります。 -
今宮の奇石と言われる霊石、阿呆賢(あほかしさん)。
病気平癒のご利益がいただける神占石だそうです。 -
阿呆賢さんを手の平でなでて、自分の体の悪いところを擦ると治ると言われています。
また、阿呆賢さんは、自分の願い事が叶うかどうかを占うことができるそうです。
まず、手の平で阿呆賢さんを三度叩いて持ち上げます。
次に心に願いごとを念じながら優しく撫でます。
そして、もう一度阿呆賢さんを持ち上げます。
2回目に阿呆賢さんを持ち上げた時、最初に持ち上げた時よりも軽くなっていればその願い事は叶うそうです。
やってみました。2回目は軽く感じたと自分に言い聞かせました! -
境内の紅葉もいい感じです。
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本殿
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舞殿
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人も少なく、ゆっくりと参拝ができました。
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神橋です。この辺りが、元禄期の遺構と言われています。
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東門を出て、振り返った風景です。
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あぶり餅をいただこうと思っていたのですが、なんとお休み!!
あぶり餅は、きな粉をまぶした親指大の餅を竹串に刺し、炭火であぶったあとに白味噌のタレをぬったものです。
平安時代頃からある日本最古の和菓子屋とされ、今宮神社参道で応仁の乱や飢饉のときに庶民に振る舞ったといういわれがあります。
2度いただいたことがあります。
一文字屋和助
元祖 -
かざりや
本家 -
あぶり餅を目当てに訪れた人たちが、みながっかりしていました。
-
また、いつか食べに来ますね。
一文字屋和輔の屋根に乗っているお方にご挨拶。
次に大徳寺に向かいます。
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