2019/08/02 - 2019/08/05
342位(同エリア6434件中)
Rolleiguyさん
- RolleiguyさんTOP
- 旅行記70冊
- クチコミ2件
- Q&A回答10件
- 120,360アクセス
- フォロワー58人
8月4日。今日は、午前中はまた息子家族、私とお嫁さんのお母さんがバラバラに見学し、お昼に集合することにしました。 私は旧市街の教会などをいくつか見学しました。1988年から94年まで仕事で過ごした街を、兵どもが夢の跡よろしく思い出しながら散歩。お昼に再集合後、レンタカーを借りて郊外まで行くことにして、ショッテントーアの地下にあるレンタカー会社へ。運転は息子がしますが、私も出来るようにと一応登録。オーストリアの免許証を提示したところ、古いですねと言われた。まだ使えるのでしょうと聞くと、今はプラスチックのカードになったが、古いのも使えるよと。
古いのは、一度取得すると日本のような5年毎の書き換えは不要で、一生そのまま使えますが、新しいのは5年ごとに書き換えが必要とのこと。
カーレンベルク、レオポルツベルク、コベンツルと回り、最後はウィーンで住んでいた家を見に行きました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ウィーン観光はここから始まります。朝からすごい混雑。
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シュテファン大聖堂の外壁にあった16世紀の記録。ドイツ語で書かれていましたが、人の名前や年代が何度か繰り返されていました。少し調べてみたのですが、謂れを
見つけるまでに至りませんでした。 -
シュテファン広場に面したハースハウス(右)。1988年に大論争を巻き起こしたガラス張りの建物。この場に似つかわしくないとの強硬な反対意見があったものの、設計者のハースは、この価値は200年経たないと理解されないと豪語しました。30年経った今、もうそのような議論は消えてしまったようです。
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こうした建物が多い旧市街で、ハースハウスが調和しているかと問われれば、やはり疑問だと思います。しかし、考えてみれば(考えなくても)、「旧市街」といわれているものの、中心部にある建物でも、何百年も経っているものばかりではなく、そのうちに周囲に溶け込み、より古いものとの違和感が少なくなって来たのかもしれません。だから、ハースの言っていたようになるのかもしれないな、と思いました。
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ホテルの朝食がついていないと勝手に勘違いし、一同をつれてグラーベンで朝食。
ああ損した。 -
昔はなかった水飲み場。これも異物と言えるかも。
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最初のオフィスがコールマルクトにあったので、グラーベンは身近な通り。
今は当時の店とは大分違ってしまったが、通り自体はあまり変わらない。
よく利用した写真屋さん2軒は消えていました。 -
昔からある水飲み場。
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ペスト記念塔。 ペストは黒死病と恐れられましたが、空気感染すると思われていて、
患者を診察する医師は、感染を避けるために奇妙な格好をしていました。
ネットで見つけた写真が次にあります。 -
ペストが流行した時代には、こうしたペスト医者(Pest Doktor)というのがいたのだそうです。患者に手当出来ることはなく、死者の統計記録のためだけと言われています。当時、ペストは瘴気で感染すると思われていたため、鳥のくちばしのような防具をつけ、なかにハーブや薬品を入れていたそうです。医者としては駆け出しか、2流だったようです。ペスト医者はもういませんが、当時を思い起こす有名な歌があります。流しの楽士であったアウグスティン(泥酔して死んでいると間違われ、ペストの死者を葬るための穴に投げ込まれながら、生還した)を歌ったウィーン・ソングです。ホイリゲやドイツのビアホールで良く歌われています。
https://www.youtube.com/watch?v=YMVFL1yAw9E -
保険会社Generaliの名前があるが、自社物件かもしれない。
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ペータース・キルヒェ
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グラーベンの建物は、保険会社、銀行などが所有しているものが結構あり、外側も
立派ですが、内部もクラシックな雰囲気を醸していました。しかし、21世紀に入って金融業は厳しい時代を迎えて、30年前の序列は崩れたり、外資に買われたりと、随分様変わりとなりました。このグラーベンホーフは、建築家のオットー・ワーグナーが設計に携わったもので、第2次世界大戦で破壊されましたが、その後再建されたものです。赤っぽい円柱と金色のレールが目を惹きます。 -
コールマルクトから見た王宮方面。
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ミヒャエル広場。ローマ時代の遺跡が出て来て、見学出来るようになっています。
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王宮にある神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツII世の像。
台座に、「我が愛を我が国民に」と記してあります。皇帝の遺言だったと言われています。神聖ローマ帝国の終焉後は、オーストリア皇帝フランツI世となりました。
「ハプスブルク賛歌」(ハイドン作曲)は皇帝フランツを讃える歌で、その後代替わりにより歌詞が変わりましたが、帝国の公式行事などで演奏されました。共和国となってからは、演奏自体が公式の場では禁じられましたが、最後の皇后ツィタの葬儀においてシュテファン大聖堂で演奏され、参列者が歌っていたのが印象的です。https://www.youtube.com/watch?v=KLEsV8wLB90
50秒ころからオットー・ハプスブルクが映されています。 -
王宮の入り口付近から見たミヒャエル教会
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パレ・ヴィルチェック。ここには劇作家のフランツ・グリルパルツァーと詩人・小説家のヨーゼフ・アイヒェンドルフが住んでいたそうです。どちらの職業も、当時はお金とは縁がなかったと思いますが、宮殿に住めたのはパトロンがいたからでしょうか。この記載を見て気が付いたのですが、アイヒェンドルフはプロイセンの貴族(男爵)の出なので、Joseph Freiherr von Eichendorffというのが公式な名前なのに、ここではFreiherr vonの部分が省かれています。これは、推測ですが、オーストリアが共和国になってからは、貴族を表わすvonを使うことが、公式には禁止されたことによるのかもしれません。メッテルニッヒの子孫が今でもオーストリアにいて、名刺を頂いたことがあり、名刺ではvonを使っていなかったような気がします。
(修正)今日、偶々グリルパルツァーの研究者と話す機会がありましたが、彼は公務員でお金があったそうですので、上記お金に縁がなかった云々を修正します。また、アイヒェンドルフの名前の前に「v」が小さく書いてあるのに気が付きました。これも当てずっぽうの上記記載を修正せねばなりません。どうしてvonが許されたのかは現時点では未解明です。誤った記載をお詫びします。 -
昔ながらのランプと衛星放送の受信アンテナの、奇妙に調和した眺め
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公証人のオフィス。ウィーンは弁護士など法律家の多い街です。
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憲法裁判所。「ウィーンの諸行無常」に書きましたが、オーストリアの年金を我々外国人もかける義務がありました。しかし、外国人には年金は支給されないと言う不公平な扱いになっていたので、法の下の平等に反すると裁判を起こし、憲法裁まで行ったのですが、敗訴してしまいました。近年、ドイツ勤務者から、年金を払えではなく、掛け金を返せという方法があると教えられ、なるほどと思いましたが、日本にいて裁判を起こすのは現実的ではないので、あっさり(しぶしぶ)諦めました。こうした裁判は、話題性があるので関心を示す弁護士がいるかもしれません。
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憲法裁判所の左隣はパレ・シェーンボルン(シェーンブルンではない)。
オフィスの移転先を探していた時に、この建物の2階全部が賃貸に出されており、
宮殿をオフィスにした例は我が社にはなかったので、かなり本気で検討しました。
月の家賃が100万円くらいと以外に安く、重厚な調度品がある豪華なオフィスになりそうだったのですが、宮殿に入居するほど儲かっていると邪推されるのではないかと、気の小さい本部の躊躇で残念ながら見送りに。今でも残念。 -
この宮殿の設計者はいくつもの宮殿の設計で知られているフィッシャー・フォン・エルラッハで、1700年ころの建築。
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フライユングにあるオーストリアの像。ハプスブルク帝国が支配したヨーロッパの4つの川(ドナウ、エルベ、ポー、ビスワ)の中心に立つ擬人化されたオーストリア。
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帝国政府が建てたのかと思っていたら、台座に市民によって建てられたと記されていました。市民(Buerger)とは、街の城壁(城塞Burg)の中に住む,いわば中産階級以上の人たちのことで、市井の庶民はもともと含まれていなかったようです。今年は、日本でも1級国民、2級国民という言葉が使われましたね。
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フライユング。正面右側はショッテン教会。ショッテン(Schotten)とは
スコットランドの、という意味ですが、これを建てたバーベンベルク公ヤソミーアゴットが、スコットランドから修道士を招いて、修道院を建てたことに由来するようです。実際はアイルランドの修道士だったと言われています。 -
バーベンベルク時代のハインリッヒ・ヤソミーアゴットの墓。
旧市街にその名を冠した通りがあります。
バーベンベルク家は、10世紀から1246年までオーストリアを支配しましたが、996年にオスタリキ(Ostarrichi)という国名が正式名称となりました。ヤソミーアゴットは1156年に、神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ1世(赤ひげ王)より、国家としての特許状を与えられて、晴れて公国としての地位を確立したのです。
彼の息子レオポルトV世は、十字軍遠征から帰る途中のイギリス王リチャード獅子心王を捕虜にして、15万マルクという大金をせしめたことで知られています。 -
ヤソミーアゴットという名前はこの人以外には聞いたことがなく、どんな謂れなのか知りたくなりますが、Ja(はい)、so(そのように)、mir(私を)、gott(神様が)、helfe(助けてくださいますように)という解釈があるそうです。最後のhelfeは、解釈者の想像による付け足しですが、なるほどと納得できそうな気がします。
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シュテファン広場から西にのびているヤソミーアゴット通り。
バーベンベルク家は、ヤソミーアゴットの息子レオポルトV世、その息子レオポルトVI世、その後のフリードリッヒII世で男系相続者がいなくなり断絶しました。
それを襲ったのがボヘミア王オタカルII世で、彼を破ったのがハプスブルクのルドルフI世ということになります。 -
ショッテン教会(修道院)の謂れを記したもの。
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教会堂の中はこのように過度に華美ではなく、落ち着いた美しさでした。
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誰もいない静かな教会堂に一人座っているのが好きです。
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聖書のペテロ第1の手紙から取られた言葉で、「すべてのことにおいて、神が栄光をお受けになるためです」の意。略して「U.I.O.G.D.」という頭文字が、教会堂だけでなく、家のドアに書かれていたりするそうです。ベネディクト会の戒律のひとつでもあります。
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優雅なオルガン
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教会堂を出ると、はす向かいにメルクの修道院のケラーがあります。
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豪華絢爛たるメルク修道院のケラーにしてはいたって地味です。
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ケラーの向かい側には手袋屋さんがあります。 いまは夏休み中のようですが、
ここで手袋を買ったことがあります。あなたならこれがとても似合いますと、ブラウンの薄い皮製の品を勧めてくれ、気を良くした私はそれ買いますと言っていました。
ヨーロッパの人は、頭髪が黒い日本人には茶色よりも、エーッと思うような色合いの服を勧めたりすることがよくありましたが、私は茶色はコーディネートしやすいように思いました。 -
Am Hofにある消防署の優雅な建物。この広場は、1155-56年にヤソミーアゴットがバーベンベルクの宮殿をクロスターノイブルクから移した場所。 その後、トルコに包囲された時に、市内に武器庫が不足していて、この建物を武器庫にしたのだそうです。後にウィーン消防署として使われています。大昔にはローマ軍団の駐屯地があったそうです。金の地球儀の台座にS.P.Q.V.と書かれています。この略語は元々ローマ時代に公的な建物などに記されていた、S.P.Q.R.(元老院とローマの市民)というローマの主権が及ぶことを示すものを,もじったのではないかと思います。VはVindbona(ウィーン)でしょう。日本でも最近マンホールに市の特徴を表わすのが流行っていますが、ローマではいまでも、いろいろなところにS.P.Q.R.という表示があるそうです。
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ショッテンリンクの辺りからヴォティーフ教会の方向を見たところ。
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パレ・シェーンボルンに入居を諦めて、やむなく入居したビル。
その昔、医者で歌人でもある斎藤茂吉が滞在したことがある由。そうなのだ、この近くは精神分析学者のフロイトが住んでいた家もあり、通りに名前が残っています。斎藤茂吉が留学したのは1921年で、フロイトは不遇の時期だったので、会っていないかもしれません。 -
カフェ・ラントマン。いつでも混雑しています。ここで待ち合わせでしたが、やめました。
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市庁舎。この時期は広場で催し物があるので、建物をじっくり見るには不向きです。
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ランプが1列にずっと並んでいる様が美しかったです。
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いつも写真に撮る市庁舎正面のランプ。今回はヴォティーフ教会が画面に入る場所に入れなかったので、やむなくランプだけ。
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なんとか探した別の眺め。
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公園でギターを弾いている人がいました。誰も注意を払っていませんでしたが、BGMとして聴いていたのかもしれません。
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お友達で観光のようです。
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ブルク劇場方向を見たところ。
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乗りませんでしたが、天気が良ければこのバスで観光するのも楽しいかもしれません。
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国立オペラやブルク劇場には弔旗が掲げられていましたが、誰を悼むものかは分かりませんでした。
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行き先表示板。30年前までは、PrahaはPrag,
BrnoはBruenn, Budapestはそのまま、BratislavaはPressburgと書かれていました。ヨーロッパの地名は、現地語とは違う表記がかなり見られて、これは別に
その街を支配していたからということでもないようです。スイスでも、ジュネーブはドイツ語名はゲンフだし、チューリッヒはイタリア語ではズリーゴと呼んでいました。 -
ウィーンに住んでいた頃は、毎日ここを車で通ったのですが、早4半世紀前のこと。
道路標識がないとちょっと覚束ない感じでした。 -
グリンツィング
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レオポルツベルクに来ました。初めて目にした記念碑。ウィーンがトルコに包囲された時に、助けに駆けつけてくれて、戦死したウクライナの兵士を記念するものだそうです。以前は無かったと思います。
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前回訪ねたときには建物が荒れ果てていてビックリしたのですが、今回来てみると、
個人が購入したとのことで、随分綺麗になっていました。 -
ドイツ語とウクライナ語で説明が書かれていました。 最初ロシア語で書かれていると思いましたが、似ているもののウクライナ語でした。ロシア語では使わない文字がひとつ(Iの上に点々が二つある)あったので、読めなくても判別できます。(ということを後で知りました)。「1683年、ウィーンを敵の包囲から解放するに際して、戦死したウクライナ・コサック兵を覚えるために」と記されていました。
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レオポルツベルクの教会堂。1983年にローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が訪れたそうです。昨日ホイリゲで見た教皇の写真はその時のものかもしれません。
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一面のぶどう畑。こんな畑の真ん中にもワインを飲めるお店があります。5月から6月に行くと本当に気持ちの良いところです。
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しかし、仔細に目を凝らすと幾つかの家々が見えます。ここに見えるような家は、外見はアメリカ的な豪華さはありませんが、それなりのお金持ちの家が多く、近くを歩くと番犬が吠えたり、監視カメラがこちらを見ていたりして、気分が悪くなります。
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そうした家が見えない、もっと景色の良い展望場所に行きました。
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ここから見えるクロスター・ノイブルク。ハプスブルクの前、バーベンベルク時代の1106年に、レオポルトⅢ世が、神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒV世の姉アグネスと結婚した時に、花嫁のヴェールが風に飛ばされ、後に見つかった場所に修道院を建て、そこを宮廷所在地にしたのだそうです。今回は行きませんでしたが、大変立派な建物です。レオポルツベルクという名前は彼から来ています。
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東の方角を見たところ。大都市であっても周辺部には緑が多いですね。
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コベンツルのレストランでゆっくりランチに。
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ワイン醸造所。
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この辺りは息子が小さいころによく遊びに来ました。春は一面にタンポポの花が咲き乱れます。
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この辺りにブタを飼育していた場所があったのですが、見に行ったらもういませんでした。
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ウィーンで最初に住んだ家。中のつくりはウィーン風でしたが、小さい子供がいて
調度品などを傷める恐れがあったのと、部屋が暗く、日本人向きではなかったので、1年で引っ越しました。向かい側にサウジアラビアの大使館があり、24時間警備されていたので、治安はよかったです。 -
次に住んだ家。現代的で使い易く、庭でキャッチボールも出来ました。
右隣に米国の外交官たちの集合住宅があり、垣根越しに話をしたりすると、日本にいたことがあるという人が何人かいました。左側に見える黄色い壁の家には日本人が住んでいて、その人を訪ねて来た日本人が、私と息子が遊んでいたのを目にしたのだそうですが、長女、次女が寄宿舎に入っていた東京の学校で、その学校の卒業生だったというその人が、不思議な巡り合わせで、長女と次女に会う機会があり、「エーッ! あそこに住んでいたのは弟さんなの」ということになりました。世界は狭いと思いました。 -
近くのトルコ公園に行きました。ここは、よく遊んだ場所ですが、ウィーンを包囲したトルコ軍が陣地を敷いたところだそうで、そんな名前がついています。
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子どものころに乗って遊んだ大きな木。
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トルコの包囲から解放された200年記念の年、1888年にカール・ルートヴィッヒ大公により公園が造られたのだそうです。皇帝フランツ・ヨーゼフの治世40年記念の意味もあるようです。
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疲れて帰って来たホテルでひとりビールを飲んで寛ぎました。
右側のゲッサー・ビールは大手ですが、左のオッタクリンガーも良く飲みました。
両方とも特に特徴的という訳ではありませんが、このゲッサーは黒ビールで、元々は3月(Maerzメルツ)に醸造されたので、Maerzenbier(メルツェンビーア)と呼ばれ始めたようです。少しアルコール度が高いです。
1日が終わりました。明日は息子一行は帰国です。あー責任果たした。
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この旅行記へのコメント (9)
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- cheriko330さん 2020/01/06 18:21:40
- Rolleiguyさん目線のウィーンの街歩きθθ
- Rolleiguyさんへ
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
少しは、ゆっくりできましたか?
ウィーンは2度ほど行きましたが、一般的な観光地しか知りません。
とても歩きやすい街で気に入っています。
色んな所をご紹介下さり、次回の参考になります。
ショッテン教会も華美でないけど、十分に装飾もきれいな教会ですね。
これくらいの方が落ち着くような気がします。
ウィーンで以前お住まいだった所を訪ねられて、懐かしかったこと
でしょう。お孫さんにも見せてあげられて良かったですね。
最初のお家は外観はウィーン風で素敵ですが、住んでみないと
分からないものですね。二軒目の方が見るからに今風で便利だったこと
でしょう。
緑多く、大きな木や自然がいっぱいのところで、お子さん達は、のびのびと
育ったことでしょう。スイスに行っている友人も、この夏には帰国のよう
で、帰りたくないと言っています。
今年もお忙しくなりそうなのですね。いつまでも必要とされて、元気で
社会のお役に立てるって素晴らしいと思います。
今年もご活躍をお祈りしています。
cheriko330
- Rolleiguyさん からの返信 2020/01/06 21:04:18
- RE: Rolleiguyさん目線のウィーンの街歩きθθ
- cheriko330さん
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
新年早々のコメントを有難うございます。
正月はどこに行くでもなく、少しのんびりすることが出来ました。明日から
仕事ですが、来年度の予算や決算の準備などでこれから5月くらいまでは忙しい
時期です。でも仕事漬けではないので、現役時代とは比較になりません。
引退してからも社会とのつながりを維持することは、刺激でもありますね。
さて、ウィーンですが、昨年は旅行の目的のひとつでもあった病気の友人から、
少し良くなったという連絡があり、ややほっとしています。また来てくれと言って
来たので、今年も会いに行こうかと思います。
ウィーンには結構行っているので、このところ余り興奮するほどの新鮮さは感じないのですが、自分の故郷に一時帰郷したような気持ちです。
それもあってか、ガイドブックに載っていない場所などに足を向けたい気持ちになるのかもしれません。今回はバーベンベルク時代のことをもっと知りたいと思って、
ショッテン教会やヤソミーアゴットのことを調べてとても楽しかったです。
受験勉強や、大学の試験勉強とは違う、歴史を学ぶ面白さを旅行で確かめるというのは、結構贅沢なことだと思います。いつまで続けられるか分かりませんが、期限を区切らずに続けたいなと思っています。そのために、私の旅行はホテル代を削り、食事はまあまあ程度で満足する、でも時間を買うということをモットーにしています。
cherikoさんのご友人はスイスからそろそろご帰国とのことですが、帰りたくない気持ちはよく分かります。また行きたいと思うために、未練を残すのも悪くありませんよとお伝えください。また行った時には新しい魅力を発見できると思います。
cheriko330さんにとって、今年が良き一年になりますよう、お祈りしております。
Rolleiguy
- cheriko330さん からの返信 2020/01/07 13:15:28
- ご友人良かったですね
- Rolleiguyさん、お返事ありがとうございました。
ご友人のこと次の旅行記辺りに、出てくるかもと思っていましたが
少し良くなられたとのこと。私も少し安心しました。
今年もお会いできたら、ご友人もお喜びのことでしょう☆彡
また楽しみができましたね。
スイスの友人へのお言葉もありがとうございました。早速伝え
ます。
今日は気持ち悪い位に暖かいです。
では、また。
cheriko330
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- jijidarumaさん 2019/12/04 02:29:00
- <ウィーン 我が夢の跡>
- <ウィーン 我が夢の跡>
天気も上々、ウィーンの町を楽しまれていますね。
「夢の跡」と言っても、充実したウィーン駐在生活をお過ごしだった様子を、この日記の随所にうかがうことができて、素晴らしいなと思いましたよ。
若かったころ、奥様や幼い子供たちと一緒に様々な事を体験してきたはずですから、その町に郷愁を覚えるのも至極ご尤もです。
何やら自分の事とオーバーラップして拝読しました。
さて、3点のみコメントします。
①「ハプスブルク賛歌」(ハイドン作曲)、最後の皇后ツィタの葬儀においてシュテファン大聖堂で演奏され、参列者が歌っていた(1989年)との事・・・その皇后ツィタの第一子で、長男オットー・フォン・ハプスブルク(パプスブルク家当主)が亡くなり、2011年7月16日、母と同じようにシュテファン大聖堂で葬儀が行われ、『神よ、皇帝フランツを守り給え』が演奏され、参列者が歌っていたのを日本のTVニュースで見た覚えがあります。
ドイツ国歌にも使用された曲故、厳粛に聴いたものです。
②ヨーゼフ・アイヒェンドルフ男爵Joseph Karl Benedikt Freiherr von Eichendorffの名前がウィーンの日記中に出てきたので、あれ!と思いました。この方の事はハイデルベルクでちょっと書いています。
「哲学者の道にある小庭園に立つアイヒェンドルフ男爵の記念碑」についてはこちらを
≪ハイデルベルクはロマンチックな話が良く似合う:名物チョコレート・“学生の口づけ”の由来≫
https://4travel.jp/travelogue/10994403
③オーストリアの年金は外国人もかける義務があり、ただ年金に反映しなかった由。
オーストリアは古くから外国人も多い国際都市と聞いており、外国人には年金は支給されないとは思ってもみませんでした。裁判で筋を通された由、さすがです。
ドイツはしっかり取られた分は年金にも反映し、私の知人も頂いています。
私共は、会社の方針で掛け金(会社負担・・・当時は税金や社会保険費用もそうでした)を払い、帰国の際に年金支払いを返上、それに代わる一時金(掛け金・・全額だったかは不明+金利のようなものが上乗せされた)を個人口座に頂きました。
(会社口座でないのは有りがたいものでした)
12月になったのに、私のドイツの旅日記はいまだ10日目が終わっただけで、まだ6日分が残ります。年内に片付けたいのですが、年末の様々な仕事に中断しています。
それで4Tra掲載も番外編(こちらの方が個人的には好きで)を週一で起用している始末です。
寒さも一段と寒くなりました。ご自愛ください。
それではまた。
jijidaruma
- Rolleiguyさん からの返信 2019/12/04 17:20:03
- RE: <ウィーン 我が夢の跡>
- Jijidarumaさん、今晩は。
詳細なコメントを有難うございます。
ハブスブルクの皇帝賛歌は、今はメロディーがドイツ国家で使われているので、聞いたことがある人は多いと思いますが、元歌は殆ど知られていないでしょう。
“我らの皇帝善人フランツ”とかやや砕けた歌詞のようで、本当にこの歌詞が、皇帝のお出ましの時に歌われたのか疑問です。多分器楽での演奏だけだったのではないでしょうか。
それに引き換え、フランツ・ヨーゼフ皇帝の時に、歌詞は皇帝の代替わりがあっても変えないことにすると決めたので、その内容は“賢き御手もて我らを導き”とか国を守れとかに
なり、一応国歌の体裁が整えられました。ツィタ皇后の葬儀の模様は映像の質が今一つですが、オットー・ハプスブルクの時のは綺麗で、下記で見ることが出来ます。
https://www.youtube.com/watch?v=PXzvMF7Dx6g
アイヒェンドルフのことは、私は名前くらいしか知りませんが、偶々昨日ある大学の公開講座を受講したときの先生と飲む機会があり、ウィーンの話になってお金云々と行ったところ、グリルパルツァーは国家公務員だったからお金はあったのですよと教えて頂きました。その先生がグリルパルツァーなど戯曲の研究者だったので、この2人がおなじ宮殿に住んでいたのは偶然とは言え面白い出会いでした。
アルト・ハイデルベルクの旅行記を拝見しました。私も昔読んだことがあり、ハイデルベルクに立ち寄った時に、それを思い出したものです。学生というものは、哲学や、自分の身に起こりそうもない恋の話などに惹かれるもので、特に昔の学生にはこうした傾向が強かったのではないかと思います。
ドイツの年金は、日本との間に社会保険納付の相互免除協定が出来るまでドイツで勤務した人は、今でも年金を受けているようですよ。会社勤めは、どこの国に勤務したかで年金面で違いが出ますが、他方環境の厳しい、瘴癘の地に勤務した人は、多くの企業では別の面での保障がありましたから、総合すれば余り変わらないかもしれませんね。
オーストリアでの裁判は結果はともあれ、弁護士とどのような主張をするかで、大いに勉強出来ましたので、楽しかったと総括することにしています。でも、掛け金返せ、というのは面白いなと思います。ドイツでそれが出来て、隣のオーストリアはダメというのも、如何にもオーストリアはドイツじゃないよと言っているみたいです。
Jijidarumaさんの毎週の番外編を楽しく拝見しています。 ドイツひとつの国でさえ、これだけの歴史と遺産があるのですから、多くの国々にもそのような過去があるでしょう。
そうした話題がもっとあってもいいように思いますが、これは旅行にいっただけではなかなか作れないでしょうね。引き続きのお話しを楽しみにしています。
Rolleiguy
-
- ドロミティさん 2019/12/03 11:39:18
- ノスタルジア☆彡
- Rolleiguyさん、おはようございます^^
‟我が夢の跡”こちらの旅行記のタイトルにRolleiguyさんのウィーンへの郷愁を感じました^^
ペスト記念碑の件でご紹介されていたウィーン・ソング何度か耳にしたことのある曲です。アウグスティン~♪アウグスティン~♪♪と何度もリフレインされて覚えやすいメロディですが、なるほどこのような逸話の歌だったのですね~面白いです(^^♪
本部の方の意志決定で王宮の事務所に入居し損なった無念さ(?)も随所で感じられて微笑ましかったです^^
最初に住まわれたアパートは家具付きだったのですね。小さなお子様がいらしたら気を遣いますね。私もアンティーク家具付のアパートに住んいたので家具の上にカバーをかけたりして気を遣いました。賃貸契約書に家具の値段まで書かれていましたので^^;
ご長男さんも旅の終わりに子供の頃に過ごした家や遊び場を懐かしむことができて、ご一家の皆さまにとって素晴らしい夏休みとなったことでしょう。
Rolleiguyさんのホテルでの1杯!あー責任果たしたに万感の思いがこもっていますね。
お疲れ様でしたヽ(^o^)丿
ドロミティ
- Rolleiguyさん からの返信 2019/12/03 13:55:31
- RE: ノスタルジア☆彡
- ドロミティさん、今日は。
書き込み有難うございます。
旅行記のタイトルにはいつも苦労します。なるべくありきたりではないのにと思うのですが、そんなに気の利いたタイトルは簡単には思いつけません。
最初は歌のタイトルである「ウィーン、我が夢の街」にしようかと思いましたが、
それにしては見物先が偏っているし、宮殿も出て来るからと「夢の跡」にしました。
ウィーンはドロミティさんが住まわれたパリと比べると、大きな違いがあると思います。パリはフランスの政治、経済、文化の中心地で、大フランスの歴史の蓄積がありますし、イギリス、ドイツと競うだけの自前の文化の中身があります。ウィーンは、ヨーロッパの中心都市ではありませんし、周辺国からの移民(帝国時代から)がもたらした芸術、衣食住の文化、謂わば自前だけでない文化が色濃く残っている街です。
人種や文化の坩堝という言葉は、ウィーンにその大成が最もよく残されているのではないかという気がします。ロンドンなどは、坩堝ではなく一緒になっているけれど交じり合っていない、サラダボウルのようなものですし、ベルリンなどは偏った中心、パリは飽くまでフランス文化の一極集中の街のように思えます。どちらが優れているかなどという観点は意味がありませんし、ウィーンもそれで競おうなどとは考えていないでしょうが。
どこの国でも、何か優れたものがあると、良いところを見ることに関心が行きがちですが、ウィーンもそうした見方をされがちです。ふわっくまさんの書き込みにちょっと書きましたが、ウィーンの裏の面、ネガティブな面を知ることが、表層的な理解や称賛に止まらないために必要なのだよと、あの副社長は私に示唆したのでしょうね。
しかし、住んでいた頃にはほとんど関心を払わなかったことが、今になって面白いと思うようになるのは、何なんでしょうね。客観視できるようになったのかもしれませんね。今度、是非そうした視点からのパリ旅行記などを出して頂けると、すごく面白いと思います。次回パリ旅行でご検討ください。
Rolleiguy
-
- ふわっくまさん 2019/12/03 08:10:24
- ウィーンの街並み・・
- Rolleiguyさん、おはようございます。
朝からクラシック音楽が流れてきそうな、美しい景色を拝見させていただきました。
そちらでお住いだったとは、羨ましい限りです。
宮殿にオフィスを構えている会社があっても、本部の方により没になったようですが・・
外の優雅な建物や綺麗な教会など見ているだけで、キョロキョロそわそわ・・
私の場合、仕事が手につかなかったかもーと思わず危惧しました(笑)
市庁舎のランプも青空に、見事に映えていますねー☆
クロスター・ノイブルクを、展望所から眺められたのも絶景でした^^
数年前を振り返り、帰って一人飲むビール=格別だったと思います。
ふわっくま
- Rolleiguyさん からの返信 2020/01/06 20:37:58
- RE: ウィーンの街並み・・
- RE: ウィーンの街並み・・
ふわっくまさん、今日は。
長い人生にはいろいろありますが、仕事に熱中した時期が
あったのだなと、今回の旅行で昔を思い出しました。
オフィスのあり様は会社により文化がありますが、
私のところは文化を尊重する企業風土があったのですが、
たまたまその時の本部が即物的だったのだと思います。
ウィーンも裏の面が勿論ありますが、それを承知で歴史と
文化を楽しむのが旅行ですね。
ウィーンから帰国するときに、取引のあった会社の副社長から
「〇〇さん、ウィーンの裏をゆっくり読んでください」と
本を頂きました。まだ全部読み終えていませんが、
そうしたこともまだ知りたいものです。
Rolleiguy
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