2019/11/02 - 2019/11/05
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この旅行記のスケジュール
2019/11/02
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徒歩での移動
ホテル→サッカリン通り→シーサーワンウォン通り→国立博物館→ワットマイ→プーシーの丘→サッカリン通り
この旅行記スケジュールを元に
ラオスにあるルアンパバーンという地名を聞いたことがあるような、ないような?やはり無いのでどのような秘境か行ってみることにしました。
直行便は飛んでいません。ハノイ乗り換えかビエンチャン乗り換えで行くしか方法は無いようで、ハノイから向かいました。乗り換えのハノイで入国しコーロア遺跡を見学して、その日のうちにルアンパバーンに向かうという無駄のない日程です。
ラオスの山中にある小さな盆地の町、かなりの秘境と期待して行きました。しかし、入国のイミグレーションに並んだところで20人あまりの日本人の列、そして、町の歩道を歩くのは白人ばかり。ナイトマーケットで日本語も聞こえてきて、秘境どころかかなりの観光地でした。しかし、ルアンパバーンで暮らす人々は素朴で、一過性の商売をしている感じは無く、誠実に昔ながらの生活を大事にしているように感じました。ここでは時間が止まっているのかもしれません。
忙しい日程で中身の濃い旅行をしてきました。
11月2日(土) 羽田発 ハノイ・コーロア遺跡 ルアンパバーン着
11月3日(日) 喜捨 国立博物館 ワット・マイ プーシーの丘
クワンシーの滝
11月4日(月) メコン川クルーズ 像乗り体験 ウイスキー村
パークウー洞窟 ワットセイン ワットシエントン
ルアンパバーン発
11月5日(火) 成田着
この旅行記は2日目のルアンパバーン市内の旅行記です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ANA ラオス航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ハノイ・ノイバイ空港で乗った飛行機はやはりプロペラ機。予想はしていましたが、さすがにプロペラ機に乗った記憶はないので緊張します。
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搭乗口は後ろの扉。パカッと開けて、「ハイどうぞ」といった感じの入り口です。
安全性はキープできているのかは分かりません。 -
もちろん、単通路で2-2の座席。CAの笑顔が安心感を与えます。
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ラオス航空ってどこのチームにもまだ加入していないのですよね。というかまだ入れない。
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さようなら。ハノイ。明かりがきれいです。
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ルアンパバーンに無事に到着。アッという間の1時間でした。ハノイから300kmしかないので。案の定BBはありません。プロペラ機ですから、BBは無理ですね。
イミグレーションンに行ってみてビックリしました。何と日本人が20人くらい並んでいるのです。日本人はビザがいらないので、ヨーロッパから来た方たちと違う列に並んだので、すぐに分かりました。 -
さすがに夜8時半を回っていると、空港のお店はすべてclosedです。両替店もやっていません。ドルでタクシーを拾うしかない。
うろうろしていると、お友達を迎えに来たという日本人女性が「トックトックに乗りませんか」と声をかけてくれました。助かりました。 -
〇〇はナイトマーケットをしている時間帯なのでホテルへ行くには裏通りを通る必要があります。遠回りをしてホテルの前まで送ってくれました。ラッキー!
この方は若い女性で2ヶ月前にルアンパバーンに来て、こちらの企業で働いているそうです。 -
次の日の朝に撮ったホテルの看板ですが、中国語の表示もあって、いかに多くの中国人が来ているかが分かりました。
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一夜開けて、というか夜が明けないうちから外は賑やかで、何やら太鼓のような音がしてたくさんの人の気配を感じるのです。暗くて何が起きているのかは分かりません。明るくなったので通りに出てみると、
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おばさんが寄ってきて、喜捨をやらないかと勧めます。
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ん? 誰もいない? これではお坊さんが来ても困るでしょう。
座っているのは私だけ。世界遺産の街並みを保存するために家の修復や建て替えは厳しく制限されているそうです。その結果、町の中心に住んでいた人の多くは家を売り、郊外へと移ったそうです。 -
その結果、喜捨は成立しなくなり、支えるのは観光客の喜捨。というわけで、にわか檀家になることになってしまいました。本当は私も写真を撮りたかったのですが。
座って写真を撮りながら喜捨をするのは無理でした。隣のおばさんは現地の人で、喜捨をする人にお米を売る仕事をしている人です。
写真を撮る人はたくさんいましたが、誰も喜捨をしようとしないのです。 -
静まり返ったシーサウンウォン通り
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突然現れたオレンジ集団!
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来ました!
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これが喜捨のセットです。左は炊いたお米、右は葉っぱで巻いてあるものです。
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ここからは夢中で喜捨を始めます。
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おばさんにカメラを渡しておいたので、様子を撮ってくれました。
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長い列。全員にご飯と葉っぱで何かをくるんであるものを籠の中に入れてあげます。喜捨のお米と葉っぱでくるんであるものが無くなると、次々におかわりの籠が届きました。
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年齢順なのかはよくわかりませんが、どう見ても10代の若い青年がたくさんいます。
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澄んだ瞳と凛とした表情を見ると、喜捨をして少しでも足しにすることができれば幸せだと思いました。
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最後のお坊さんにも同じようにたくさんご飯と葉っぱで包んであるものを籠の中に入れました。
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やれやれ、これで終わり・・・かと思ったら、
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次のオレンジ集団の托鉢僧が現れました。大人数の集団です。
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おばさんは喜捨のお米と葉っぱで包んだものをどんどん足して、合間に写真を撮ってくれています。
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つくづく思うのですが、このお坊さんたちの集団を観光の一つとしての集客方法にするのではなく、この青年たちを人材育成するともっと国は栄えるかと思います。
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まだ、若い才能のある人材がたくさんいるはずです。
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何人のお坊さんに喜捨をしたのでしょうか?ざっと50~60人はいたのではないかと思います。
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僧としての修行も大切かもしれませんが、観光客による喜捨を当てにした経済では国の発展は望めません。発展途上国がずっと続きます。国を豊かにするためにはまず人材の育成を・・・。人は国の宝です。
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最後のお坊さんにおばさんが声をかけて振り向かそうとしていましたが、振り向くことはなく立ち去りました。綺麗な澄んだ目の子供でした。
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にわか檀家になり喜捨をして一時的に潤すことができても、根本から潤すことはできません。いつまでたってもこの国は豊かにはならない。一日2ドル以下で暮らす人が半数いるという貧しさからは抜けられません。外国人がやってきていくら喜捨をしても・・・。(後ろで写真を撮っている外国人は何ももたらさない。)
リンゴは食べてしまうと無くなります。リンゴの木を植え育てると毎年リンゴが食べられるのです。リンゴの木とは人材です。富を生み出し国を豊かにする人材を育てるのです。 -
托鉢が終わって多くの観光客は去っていきました。なぜかとても虚しい気持ちがしました。
おばさんは喜捨をしたお米の値段は120万キープと言い、私はドルしかもっていないと言うと、しばらく考えて一生懸命に計算していました。やっと計算してから20ドルと言いましたが、120万キープを計算すると14ドルでした。現地通貨キープをドルに換算する計算力が残念ながらありませんでした。ラオスの子供の小学校への就学率92%、中学校への進学率は52%。おばさん算数をちゃんと勉強しましたか? -
サッカリン通りを後にしてメコン川の方に出てみました。
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マントゥーラート通りです。メコン川に沿っています。次の日の朝はここでも托鉢が行われていることが分かりました。
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これがメコンの流れ。初めて見ます。ナイルの流れと似ていて、上流なのに緩やかな流れです。4200kmも流れる国際河川です。
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こちらが上流です。
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脇に咲いていたカンナを入れて撮って見ました。
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しばらく眺めた後、ホテルに戻ろうとするとなんと朝は掃除タイムらしく、あちらこちらで道路をお掃除する人を見ました。
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やれやれ部屋に戻って来ました。この部屋は2階にあるのですがメゾネットになっていて3階がベッドルームでした。
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テラスで朝食を。
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珈琲はラオスの味。今まで飲んだことがない味覚の珈琲です。帰りに空港でもう一度味わいたくて買ってきました。
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猫が現れました。小さな子猫です。餌をもらいに来たのではなく、偵察にきたという感じで去りました。
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朝食後はいよいよ観光開始。サッカリン通りを国立博物館へ向かって歩きます。
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なるほど・・・。途中にあったATMです。いかにもこの町の雰囲気に合った建物。ルアンパバーンは文明とは関係なくそのままの暮らしが続いている感じです。
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1893年にフランス領ラオスとなってフランスの植民地になりました。フランスがもたらした食文化はこれです。フランスパンのサンドウィッチ。
お店の看板です。 -
「少しフランスっぽい建物」っと思って撮影しました。この日の夕食をここに食べに来ることになり、「タムナック・ラーオ」という「○球の歩き方」に紹介されている高級ラオス料理のお店でした。
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シーサワンォン通りに出ると、見えてきました。プーシーの丘に登る入り口です。ルアンパバーンは小さな町ですがレンタサイクルで移動する人が多いのですね。皆さん白人です。
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反対側は、うーん。この屋根。ルアンパバーンの様式。位置的にルアンパバーン仏を祀っている祠のはず。
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来ました!これが特徴の屋根。見える限りでは7層になっています。
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門を入って右手に入場券売り場がありました。
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正面に見えるのは元王宮。今は国立博物館です。ここでも圧倒的に白人の集団が多いです。
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ルアンパバーン像が祀られている祠。撮影禁止で、監視員がいてカメラを向けるのをチェックしています。いつも思うのですが、確かにフラッシュは仏像を傷めるので禁止でよいと思いますが、全く写真が撮れないと世の中にアマチュアカメラマンを通して存在を発信することができないと思います。
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撮ってよいのは柱。
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この左手に祠の入り口があり、ルアンパバーン仏を見ることができました。高さ83cmの小柄な仏像です。
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入り口の天井。仕方なく周りを撮るしかありません。
1353年にラムサーン王国がルアンパバーンにあったそうですが、その国の王ファーグム王がクメール王国の王女と結婚した時にクメール王から贈られた宝物だそうです。 -
天井の装飾です。たぶんそのころのことを描いているのではないかと思います。ルアンパバーンの人々はこの仏様をとても大事に思っているそうです。
正月(ルアンパバーンの新年は4月)に隣にあるワットマイへ移されるのだそうですが盛大なパレードをするそうです。 -
伝統舞踏の舞台があると某旅行案内書に書いてあり、期待してきましたが残念ながら今日はお休み。日曜日のためでしょうか?ロイヤルのなので公務員が踊っているのかも?だからお休みということなら納得します。ラオスは共産主義の国です。
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鮮やかな紫。ジャガランダではありませんでした。葉っぱが違います。
ちなみに、わが庭のジャガランダは2mを超えて元気に育っています。いつかこんな紫の花を咲かせる日が来るのでしょうか? -
シーサワンウォン王の銅像です。この王様が1909年にここの宮殿をフランスの援助で作りました。フランスがラオスを支援しているという象徴のようだったようです。
ラオスは1893年からフランスの植民地となりましたが、ルアンパバーンだけは保護領として王政を認めました。なので王宮を作ることができたのです。ちなみに日本もラオスを1945年4月にフランスから独立させています。8月に終戦なのでたった4ヶ月の支配でした。全く日本の文化は残っていません。 -
入り口です。中に入ろうとすると、「荷物をロッカーに入れてきて」と言われました。カメラは禁止だそうです。
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ここでも「撮影禁止」。とても残念です。
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池の蓮が綺麗に咲いていました。
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ここがロッカールーム。
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振り向くと王宮です。屋根の飾りが民家とは違います。
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結局、写真撮影はできないので、私の記憶の中にある王宮です。ここは王宮の裏側。王の接見の間、王妃の接見の間のからくり画、各国からの贈答品、王の間、王妃の間等を見ました。
この宮殿の裏側はメコン川に繋がっていて来客は船でも訪れることができるオシャレな発想の宮殿です。 -
隣のワットマイと繋がっているので、通用門らしき所からワットマイへ向かいました。出たところの道路にはお土産やさん。
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出ました。ワットマイ。屋根は五重の屋根です。ルアンパバーンにある寺院のなかで最も美しい寺院の一つ。1788年に建築が始まり70年もかかって完成しています。「美しい黄金の国土の新しい寺院」という意味だそうです。
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正面から見ました。真ん中の階段を上がり、靴を脱いで中に入ります。
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前にあった石の塔。
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凄く傾斜しています。
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屋根の一番上にはなにかのせてあります。
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正面脇の建物。
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正面の柱です。黒地に金の模様がすばらしいです。
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天井まで続いています。
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1960年に本堂の正面に完成したインドの叙情詩「ラーマーヤナ」の黄金のレリーフ。
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ラーマーヤナとは叙情詩。ラーマ王子が誘拐された妻シータを奪還するために大軍を率いてラークシャサの王ラーヴァナに挑む姿を描いています。
そのように見ようと思えば見えないこともありませんが・・・・。 -
天井です。細かな所までよくできています。
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中に入ると穏やかな表情の少し小振りの仏像がありました。
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前の方はお参りに来た方で、お辞儀をして合掌していました。
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何という穏やかなお顔の仏像でしょう。眉がかなり垂れていて決して怒ることはないお顔です。穏やかな気持ちにさせてくれます。しばらく休憩。
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上を見ると、暑いのでしょう扇風機の羽が回っていました。外から見ると急な傾斜の屋根でしたが、中はそんな傾斜を感じさせない空間がありました。
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外へ出ると入場券はこんな簡易なテントで売っていました。雨の日はどうするのでしょう?
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サッカリン通りから似たワットマイです。ルアンパバーン像のお引っ越しの時にはここから入るのだと思います。
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さて、プーシーの丘に登らなくては。これが国立博物館の前の階段です。
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少し登ると、パバーン像安置祠の全景がよく見えました。
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国立博物館も正面がよく見えます。
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階段の途中で、おばさんが籠の中に鳥を入れて売っていました。何?どうして?
この鳥を頂上まで持って行き、放してあげるのだそうです。まさに籠の中にいる自由を奪われた鳥を自由にしてあげるのですね。
この商売は動物愛護的にどうなのでしょう? -
凄い階段。プーシーの丘自体は150mなのでそれほどではありませんが、階段は320段。心臓が丈夫でない私には堪えます。ゆっくり登りましょう。
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かなり登ったところに、料金所がありました。無料ではないのです。
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なだらかな階段もあります。周りが林で眺望はなく、蚊も飛んできて刺され、「もう・・・。虫除けスプレーを持ってくればよかった」と、つぶやきながら登りました。
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登った甲斐はあります。これが頂上から見るメコン川。
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ヤッター! 登った人にしか見ることができない風景です。
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眼下にルアンパバーンの町を見下ろして、メコン川をバックに記念の一枚です。岩から落ちないように・・・。注意!
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この景色。メコン川とナムカン川に挟まれたルアンオアバーンのこの景色をフォートラベルの写真の応募に出されて受賞されている方がいましたが、納得します。昔ながらの町がそのまま残っている。そんな景色です。
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これがナムカン川です。橋がほとんどない。
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世界遺産の町はこんな感じでずっと時が過ぎていくのでしょう。
この街ができた1353年ラムサーン王国の時代からずっと続いていたのかもしれません。 -
メコン川と共に。
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ナムカン川と共に。
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プーシーの丘ある祠。
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中はこのようになっています。ここにもお参りに来る方がいました。
この山は「アマ。ルーシー」と「ニョティカ。ルーシー」という二人の仙人が神様に導かれてこの山にたどり着き、ルアンパバーンの町を作ったという伝説があります。
ルーシーは仙人、プーは山という意味だそうです。 -
階段を下りて再び鳥の籠を売るおばさんの所まで来ました。可愛そうです。こんなにも鳥が・・・。9羽もいます。次の日にパーク・ウーの洞窟の階段でも売っているのを見ましたが、かなり残酷な商売だと思います。餌も水もなく、どのくらい耐えられるのでしょうか? 可哀想に思って、私が鳥籠を買ったら、この仕事を続けるかと思います。
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やれやれ、? 無事に下りてきました。
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トゥックトゥックが来ました。街の中をたくさん走っています。いつでも撮れると思うと取り損なう経験を何回もしているのでとにかく写しました。あまり大きく写っていなくて残念。
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昼食で飲んだラオスティ。何かの葉っぱの上からお湯を注いだ感じのお茶です。微妙な味。モロッコで飲んだ味がはっきりしたミントティを思い出しました。はっきりした味ではありません。
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カオソーイです。ここではファーストフードだそうですが、ここでしか味わえないものを食べようと思いました。
この後、クアンシーの滝に行きます。ラオスで見たかった場所の一つです。
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ラオス・ルアンパバーン 2019
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