2019/08/21 - 2019/08/21
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T.バイソンさん
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2019年夏,エミレーツ航空や列車を利用し,ドイツのミュンヘンとオーストリアのウィーンを基点として,両都市のほか,ドナウ川が流れるレーゲンスブルクとヴァッハウ渓谷を巡った8日間の夫婦旅。
パート6では, みゅう催行の『列車で行く!ヴァッハウ渓谷ドナウ川クルーズ1日観光ツアー』に参加した6日目の旅程を掲載。
ヴァッハウ渓谷は,オーストリア北部のメルクから東へクレムスまで,ドナウ川が南北の山脈に挟まれる約36kmに及ぶ渓谷。キリスト教布教や十字軍遠征の道として発展し,岸辺に古城や修道院がいくつも建ち並ぶ景勝地で,2000年に「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」として世界遺産に登録されている。
ウィーン西駅に集合して,まず列車でメルクへ。オーストリア・バロックの至宝と言われるメルク修道院を見学。ドナウ川クルーズで,シェーンピュール城やアックシュタイン城など,流域の景観を楽しみ,「ヴァッハウの真珠」といわれるデュルンシュタインに。街のシンボルのデュルンシュタイン修道院を見学したり,名産のアプリコットのおみやげを選ぶ。専用車でクレムスに向かい,そこから列車でウィーンに戻った。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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8月21日(水)
8:15 スタッドパーク駅からU4線で,ランドストラッセ駅でU3線に乗り換え,ウエストバーンホーフ駅へシュタットパーク駅 駅
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9:00 ウィーン西駅2階のインフォポイントで,日本人ガイドさんとコンタクト
※ みゅう催行の「列車で行く!ヴァッハウ渓谷ドナウ川クルーズ1日観光ツアー」
https://www.veltra.com/jp/europe/austria/vienna/a/111925ウィーン西駅 駅
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9:20 ウィーン西駅出発
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西駅を出てすぐの左手,シェーンブルン宮殿とグロリエッテが一直線に見えた。
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10:20 メルク駅に到着
メルク駅 駅
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イチオシ
歩いて修道院へ約10分
バーンホフ通りからの修道院。修道院の建物は東西320mに及び,「横にのびた摩天楼」ともいわれる。バーンホフ通り (メルク) 散歩・街歩き
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教区教会の聖母被昇天教会
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ラートハウス広場
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10:50 メルク修道院入場
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メルク修道院
1089年にバーベンベルク家のレオポルト2世がベネディクト会派の修道院を建立したのが始まり。1702~36年にバロック様式に改築され,オーストリア・バロックの至宝と言われる壮麗な姿に。1770年マリーアントワネットがフランスに嫁ぐ際に1泊している。ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』で,主人公の一人見習い修道士アドソが在籍した修道院とされている(物語の舞台になっているわけではない)。メルク修道院 寺院・教会
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エントランスを抜けて中庭へ。奥に見えるのは65mの教会のドーム
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現代的な絵画
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皇帝の階段と言われている階段を昇る。院内は撮影禁止
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大理石の間(パンフレットより)。といっても,出入り口の枠の部分にだけ大理石が使われていて,それ以外は大理石に似せて造った漆喰(スタッコともいう化粧漆喰)の柱なのだそうだ。天井のフレスコ画は,パウル・トローガーの作品(1731年)で,ゲターノ・ファンティによる周囲の建築物の絵画は,騙し絵の手法を使って天井を高く見せている。
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テラスに出て,修道院の尖塔を撮影
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ドナウ川を一望
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こちらはメルク川
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メルク川とドナウ川の合流地点
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ドナウ川の対岸の街
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正午にパイプオルガンの演奏があるということだったが,この日はミサだけ。節まわしを付けたお説教がなされた。
この身廊の柱や柵にも,大理石に似せた漆喰が使われたものがある。 -
約10万冊の蔵書と貴重な中世の手書き本1888冊を集めた図書館(画像は絵葉書)。天井には美しいフレスコ画が描かれている。この図書館が『薔薇の名前』に出てくる図書館のモデルになったのかな。
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テラス1階
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マリア・テレジア
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修道院に併設されている庭園とパビリオンへ
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ピンク色のパビリオン
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メルヘンチックな天井画
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異国情緒豊かな壁画
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ドナウ川の対岸にローマの水道橋のような橋
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望遠で撮影
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13:00 歩いて船着き場へ
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市庁舎の建物
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ハウプト通りの特徴ある屋根のおみやげ屋さん
ハウプト通り (メルク) 散歩・街歩き
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ハウプト広場からの教区教会
ハウプト広場 (メルク) 広場・公園
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1501年や1787年など大規模洪水で浸水した高さを示すオブジェが立っていた。
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イチオシ
メルク修道院を正面下から見上げるスポットで
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修道院が立つ崖に見つけた彫像
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13:30 クルーズ船に乗船
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さっそくランチ
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前菜とメインをそれぞれ2種類からチョイスするスタイル。二人でそれぞれ別のものチョイス。
前菜は,細切りクレープ入りコンソメスープ又はサラダ
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13:45 メルクを出港
ドナウ川は,ドイツの黒い森地方から中央ヨーロッパを10か国を貫き黒海に注ぐ,全長約2860kmの大河。その中で,メルクから東へクレムスまでの約36km,北はボヘミア山地,南はアルプス山脈に挟まれた渓谷が,「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」として,2000年に世界遺産に登録。中央ヨーロッパを東西に行き交うには,ここを通るしかなく,キリスト教布教や十字軍遠征の道として発展。岸辺に古城や修道院がいくつも建ち並ぶのは,大河ドナウの中でもここだけ -
エマースドルフの聖ニコラス教会と石造りの鉄道橋
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私は,岩魚のフィレ(ポテトサラダ添え)
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家内は,シュニッツェル(ポテトサラダ&ベリー添え)
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「ドナウの女王」と詠われるシェーンビュール城。起源は9世紀に遡るが,パッサウ司教からこの地に封じられたシェーンビューエルによって,1100年に要塞が築かれたとされる。その後所有者が転々とし,1819年に買い取ったベロルディンゲン伯により現在の姿に改築された。
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高さ300mの山の上に立つアックシュタイン城。アックスバッハのマーネゴルト3世によって1115~25年に建てられた要塞
この辺りからドナウの川幅は最も狭くなる。 -
クエンリンガー家とバーベンベルク家との間で所有が争われるが,15世紀にハプスブルク家のアルブレヒト5世の手に渡り,宮廷財務長官イェルク・シェック・フォン・ヴァルトに委ねられるが,後に盗賊騎士となり,ドナウ川を行き交う船を襲って通行料を要求し,支払われないと捕虜を城から谷底へ突き落とした「恐怖のヴァルト(シュレッテンワルダー)」の伝説で知られる。
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デザートに,マリエンクヌーデルを追加。アプリコットが丸ごと入った暖かい団子
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シュピッツの西の尾根に立つヒンターハウス城
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ヘルマン・フォン・ニーダーアルタイクの城砦として1243年の記録に登場する。その後クエンリンガー家ほか所有が転々とし,1500年頃に無人化し,三十年戦争中の1620年に破壊され,ナポレオン戦争中の1805年と1809年にも相次いで被害を受けた。
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シュピッツの街の背後に控えるぶどう畑の山。豊作の年はワインをバケツ千杯(約56,000?)収穫できるということから「タウセンダイマーベルク(バケツ千杯の山)」と呼ばれる。
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ヴェセンドルフ・イン・デア・ヴァッハウの西端に立つ聖ミヒャエル教会。10世紀から存在していた教会が,オスマン帝国の脅威に備え,16世紀初めにいち早く住民の退避用の防衛教会として城塞化された。
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ヴァイセンキルヒェン・イン・デア・ヴァッハウにある教区教会・聖マリア被昇天教会。教会そのものは,12世紀頃から存在していたとされるが,1529年のオスマン帝国による第一次ウィーン包囲を契機に,1530年に住民退避用の防衛教会として城塞化された。大きな塔の前にある白い小塔が特徴的
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ドナウが右に曲がるところから,丘の上にデュルンシュタインのクエンリンガー城が見えてくる。
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15:00 「ヴァッハウの真珠」と称えられるデュルンシュタインに到着
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街のシンボルである修道院の青い塔
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現在はホテル(シュロスホテル・デュルンシュタイン)になっている17世紀のお城。背後に見えるのは,クエンリンガー城跡
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グリューベルガッセのトンネルを通って,
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この街唯一の大通りハウプト通り
ハウプト通り (デュルンシュタイン) 散歩・街歩き
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通りの中ほどにある市庁舎
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城門をくぐって,通りを突き当たったところにあるアプリコット専門店ヴィザーで,ジャム等を購入
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15:35 フリータイム。修道院へ -
聖堂参事会修道院教会
修道院の歴史は,1372年にエリザベス・フォン・クエンリンガーがが設立した礼拝堂に遡る。聖堂参事会修道院教会 寺院・教会
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バロック様式の身廊
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主祭壇
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パイプオルガン
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ドナウ河畔まで下りてみた。
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クエンリンガー城跡
1140~45に建てられた城で,1192~93年にイングランド王リチャード1世(獅子心王)が第3回十字軍遠征からの帰途,アッコン占領の際の遺恨により,オーストリア公レオポルト5世に捕らえられ,幽閉された城。三十年戦争末期の1645年にスウェーデン軍によって爆破され,廃墟になっている。
傍まで行くことはできなかったので,見上げて望遠で撮影 -
ヴァッハウ渓谷は,ワインの名産地としても有名
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作られるのは主に白ぶどう。ヴァッハウワインの特徴は,香り豊かですっきりした味わい。
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16:15 ぶどう畑を抜けたところから,ワンボックスカーに乗ってクレムスへ
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車窓からゲットヴァイク修道院が見えた。
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シュタイナー門
ヴァッハウ渓谷の終点クレムスのシンボルで,旧市街に4つあった門のうち唯一現存するもの -
中央の塔には,ハプスブルク家のフリードリヒ3世が好んだモノグラム「A.E.I.O.U.」と1480年の文字,そして,三つの紋章(クレムスの街の紋章,マリア・テレジア時代のハプスブルク帝国の紋章,1463年までの古い街の紋章)が見られる。
シュタイナー門 モニュメント・記念碑
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16:30 クレムス/ドナウ駅に到着
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16:51 ウィーン・フランツ・ヨーゼフ行きのREX2845に乗車
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電車の窓から,再びゲットヴァイク修道院
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ドナウ川の北側のキルヒベルク・アム・ヴァーグラム駅,アブスドルフ・ヒッパーズドルフ駅を経由し,ドナウ川を渡る。
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ウィーンの森の北部にあるクロスターノイブルク修道院
クロスターノイブルク修道院教会 寺院・教会
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