2019/07/09 - 2019/07/09
11位(同エリア182件中)
エンリケさん
この旅行記スケジュールを元に
2019年夏休みのポーランド旅行記4日目。
この日の午前中は、グダンスクから約50km南東に行ったところにあるマルボルクへ。
ここの名所は、13世紀にドイツ騎士団がバルト海沿岸地方の征服の拠点として築いた城、マルボルク城。
観光用に再整備された城ながらも、城内は順路の表示もなく、ところどころ隠し部屋もあって、まるで迷路のよう。
迷いに迷いましたが、ツアー客に付いていくことで何とか有名どころは見て回れ、中世騎士団の生活の様子を垣間見ることができた訪問となりました。
<旅程表>
2019年
7月 6日(土) 羽田→ミュンヘン→ワルシャワ
7月 7日(日) ワルシャワ
7月 8日(月) ワルシャワ→グダンスク
〇7月 9日(火) グダンスク→マルボルク城→グダンスク
→トルン
7月10日(水) トルン→ウッチ→クラクフ
7月11日(木) クラクフ
7月12日(金) クラクフ→ヴィエリチカ岩塩坑→クラクフ
7月13日(土) クラクフ→アウシュヴィッツ・ビルケナウ
強制絶滅収容所→クラクフ
7月14日(日) クラクフ→ミュンヘン→
7月15日(月) →羽田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
7月9日(火)
この日の午前中はグダンスクから約50km南東に行ったところにあるマルボルクにて、世界遺産のマルボルク城観光。
まずは8時01分発の電車に乗るべく、宿を出てグダンスク本駅に向かいます。グダンスク本駅 駅
-
駅は東京の駅ほどではないものの、通勤客などでそこそこ混雑している状況。
パンなどを売るお店もいくつかあって、朝食には困らない様子。 -
駅のホームはこのとおり、日本の駅によく似ていて親近感がありますね。
さて、このグダンスク駅、ホームに電光掲示板がないので、自分の乗る電車がどこに来るのか、自力で調べなければなりません。
わたしの場合、ホームに掲示されている時刻表を見て、予約した電車の来るホームを確認しました。 -
8時01分、時刻表どおりマルボルク行きの電車が到着し、予約した車両に乗車(ポーランド鉄道HPから1週間前の購入で15.3ズウォティ=約450円)。
ポーランドの長距離列車は、全席指定となっています。
乗車券の予約・購入方法は以下のとおり。
【雨多き初夏のポーランド(3) ポーランド鉄道HPからの乗車券購入方法】
https://4travel.jp/travelogue/11535950#photo_link_61851318 -
8時35分、電車はほぼ時刻表どおりマルボルク駅に到着。
赤レンガの立派な駅舎です。
ただ、駅舎を出ると・・・大粒の雨。
今回のポーランド旅行は3日連続で雨のスタートです・・・。マルボルク駅 駅
-
マルボルク駅からマルボルク城までは案外離れていて、何も目印がないところ、グーグルマップのオフライン機能を活用しながら約15分の距離。
道中雨が強く、傘を差しながらでもけっこう濡れてしまいました・・・。
ようやっと着いてみると、チケットセンターには開館前にもかかわらずたくさんの観光客が。
チケットは当日でも購入できるようですが、この混雑状況からすると、予めHPから購入しておいた方がよさそうです(英語のオーディオガイド付きで45ズウォティ=約1,300円)。
【マルボルク城HP(英語版)】
http://www.zamek.malbork.pl/en -
チケットセンターではたくさんの人々をかき分けながらオーディオガイドの貸出カウンターまで進み、HPから購入済のプリントアウトしたチケットを見せて無事オーディオガイドをGET。
9時の開館と同時に、城の中へ入ります。マルボルク城 城・宮殿
-
城の入口に向かう途中、“1945”と表示されたこんな写真が。
このマルボルク城(ドイツ語名:マリエンブルク城)、ドイツ騎士団により東方植民の拠点として1274年に築かれたものですが、次第に対立を深めていったドイツ騎士団とポーランド王国との間で争いが勃発。
最終的にポーランド王国の勝利となり、1457年、マリエンブルク城はポーランド王国のものに。
ポーランド領となったマリエンブルクですが、その後ドイツ騎士団領を引き継いだプロイセン(後のドイツ帝国)が伸張し、1772年に第一次ポーランド分割が行われ、マリエンブルクはプロイセン領に。
そしてドイツ領のまま第一次、第二次世界大戦を迎え、ドイツの他の都市と同様、連合国軍の激しい爆撃を受けて城はこのような姿に・・・。 -
大戦後、ドイツ人は追放されてポーランド領となり、名前もポーランド風にマルボルクと改名され、マルボルク城はポーランド人の手で修復がなされていきました。
・・・もともとは敵国だったドイツ人の造った城なのだから、そのまま破壊して別のものを建てるという選択肢もあったのではないかと思いますが、せっかくあるインフラなので、有効利用しようという考えが勝ったのでしょう。
このあたりは台湾総督府や1995年までの朝鮮総督府と同じかもしれませんね。
さて、これからいよいよ堀に架かる橋を渡って城の内側へ。 -
城の内側に入ってもまだまだ門が続きます。
こちらの格式ばった門をくぐり抜けると・・・。 -
ようやく城の中庭に到達。
ただ、中世の雰囲気を守るためなのか、周囲には案内標識がなく、どの順路で回ったらよいのか分からない・・・。 -
中庭をうろうろしているうちに、こんな人物の像を発見。
これらは歴代の騎士団総長の中でも特に有名な方々で、
第4代総長ヘルマン・フォン・ザルツァ(1209-1239年)
第15代総長ジークフリート・フォン・フォイヒトヴァンゲン(1303-11年)
第22代総長ヴィンリッヒ・フォン・クリプローデ(1352-82年)
第37代総長アルプレヒト・ホーエンツォレルン(1511-25年)
の4名。
第3回十字軍遠征後の1198年、パレスチナのアッコンで結成されたドイツ騎士団は、第4代総長ヘルマン・フォン・ザルツァ時代の1226年に、当時異教徒である古プロイセン人に手を焼いていたポーランド君主コンラト1世の招きに応じてプロイセンの地に入植。
異教徒の古プロイセン人を征服し、勢力を拡大していきます。 -
さて、中庭からどう進んだらいいか分からないでいたところ、入口のところから右手にある建物に入っていく観光客がいたので、その後を追って建物の中へ。
最初の部屋は、ドイツ騎士団領時代、“診療所”として使われていた場所。
部屋の真ん中にあるゴシック式の柱の上部には、ドイツ騎士団と異教徒である古プロイセン人との戦いの様子が彫られているとのこと。
そのほか、この部屋に飾られている家具や調度品、絵画などは、15世紀半ばにこの城がポーランド王国に引き渡された後の部屋の様子を再現しているとのこと。 -
次の間に飾られていたこちらは、ポーランド王カジミェシュ4世(在位:1447-92年)の肖像画。
1274年にこの地にマリエンブルク城を築き、13~14世紀を通じて古プロイセン人を征服し勢力を伸ばしていったドイツ騎士団ですが、次第にバルト海沿岸に根を張るグダンスクやトルン、エルブロンクなどハンザ同盟諸都市との対立を深めていきます。
これらの都市はドイツ騎士団への対抗のためポーランド王国を頼るようになり、1410年、ドイツ騎士団とポーランド王国との間でグルンヴァルト(タンネンベルク)の戦いが勃発。ポーランド王国の勝利に終わります。
そしてこのカジミェシュ4世の時代には“十三年戦争”(1454-66年)が勃発。
ポーランド王国に攻め込まれてマリエンブルクは陥落し、城はポーランド王国に引き渡されることになります。
その後1511年に総長に就任したアルプレヒト・ホーエンツォレルンは、カトリックからルター派に改宗。
ドイツ騎士団は世俗化を強め、ついに1525年、アルプレヒトはポーランド王に臣従し、ケーニヒスベルク(現ロシア連邦カリーニングラード)を首都としホーエンツォレルン家を世襲の公とするプロイセン公国が誕生。
これにより、約300年続いたドイツ騎士団領は消滅することになります・・・。 -
次の部屋は城内最大の広さを誇る“大食堂”(Grand Refectory)。
リブヴォールト様式の天井が美しいこの部屋は、200人以上の収容が可能。
壁に描かれているフレスコ画などから、どことなく修道院の雰囲気が漂ってきます。 -
壁面のフレスコ画をアップ。
騎士団の戦争の様子が描かれています。 -
こちらは“緑の部屋”と呼ばれる部屋で、騎士団総長のプライベートルームだったところ。
天井の構造が美しいですね。 -
次は総長が来客をもてなす際などに使われた“夏の食堂”(Summer Refectory)。
高い天井が特徴的です。 -
次の部屋も同じような造りで、“夏の食堂”のミニ版といったところ。
中央の柱が部屋全体を支えているような、不思議な感覚になる部屋ですね。 -
こちらは城の調理場。
右の女性はマネキンではなく、どこかの団体のガイドさんです(笑)。 -
続いてはまた大きな部屋で、騎士団の会議室として使われた“チャプターハウス”。
相変わらずリブヴォールト様式の天井が美しいです。 -
チャプターハウスの反対側をパチリ。
壁面には人物のフレスコ画が描かれていますね。 -
入口側の壁面には聖母マリア。
ドイツ騎士団の守護者で、この城の名前(マルボルクのドイツ語名マリエンブルクは“マリアの城”の意)の元にもなっています。 -
ときにはこんな騎士たちの生活感が感じられる部屋も。
-
城の端の方、ひと気の少なくなった長い通路をたどっていくと・・・。
-
行きついた先の部屋にあったのは、こんなポットン便所風のトイレ。
といっても、ちゃんと便座は様式ですね(笑)。
昔アイルランドのダブリンで見たヴァイキングのトイレを彷彿とさせます。
【ギネスと雨の国アイルランド(3) ダブリニアのヴァイキングのトイレ】
https://4travel.jp/travelogue/11068641#photo_link_41102880
背後の棚には、当時トイレットペーパーとして使われたキャベツの葉まで再現されています(笑)。 -
メインの建物に戻ってきて、こちらはギャラリールーム。
奥に飾られているのは・・・。 -
1504年に造られたという聖母マリアの祭壇彫刻。
第二次世界大戦では被害は受けなかったものの、戦後盗難に遭い、1970年から20年かけて分散されていたものを取り戻したとのこと。 -
こちらの彫刻は“ゲッセマネの園で祈るキリスト”(Christ in the Garden of Gethsemane)。
1390年頃、ボヘミア(チェコ中西部)の工房で製作されたものとのこと。 -
このあたりで見学開始から2時間が経過。
想像以上に城の内部は広く、何だか疲れてきました・・・。
雰囲気を守るためなのか、城内には順路や案内の表示がなく、さらには、閉まっている扉を開けて入らなければならない、いわゆる“隠し部屋”のようなところも多く、個人旅行者泣かせの“迷路のような城”といった感じです・・・。
迷わず効率的に見て回るには、ガイドのいる団体客の後について歩くのがいいかもしれません。 -
あてもなくさまよっていたら、先ほどとは別のギャラリールームのようなところに迷い込んできました。
ここにはマルボルク城の模型や、第二次世界大戦後の傷ついた姿からの修復の様子などを記したパネルなどの展示が。 -
続いては城の塔へ。
わざわざ係員を置いて8ズウォティ(約230円)の別料金を徴収しているのですが、ここまできてケチるのもなんなので、素直に料金を払い、階段を上っていきます・・・。 -
上り切った先には、天候のせいか、2人程度しか先客は見られず。
さて、壁の隙間から下を覗いてみると・・・。 -
中庭を囲むようにして建つ赤い屋根のマルボルク城と、緑豊かなマルボルクの郊外の景色が。
-
城の脇を流れるノガット川の向こう岸には、緑に囲まれた低層の住宅地。
-
そしてその反対側の駅に近い方は、高層マンションが立ち並ぶ、都会的な雰囲気の街並み。
しかしいずれの方向も、山のない平坦な地形ですね。
まさに“平原の国、ポーランド”という感じ。 -
下りは行きとは別ルート。
こんなレンガに囲まれた通路を通って・・・。 -
下りてきたところはなんと、先ほど見学したチャプターハウス。
何だか隠し通路を通ってきたみたいで、一人で笑ってしまいました(笑)。 -
最後にこの城のシンボル、聖母マリア教会に行っていないことに気付き、さまよいながらなんとか、その入口にたどり着きます。
-
この聖母マリア教会、第二次世界大戦でかなりの被害を受けたそうですが、入口だけは無傷で、当時のままの美しい装飾が残されています。
ちなみに、アーチ部分に施されているのは、キリストのたとえ話に出てくる“10人の乙女”(5人の賢い乙女と5人の愚かな乙女)のテラコッタ装飾とのこと。 -
この聖母マリア教会、入口から中に入ってみると、修復は完全ではないものの、高い天井の下、厳かで壮麗な空間が。
-
反対側もパチリ。
さすがにどの観光客もこの部屋の価値が分かるようで、みなさんじっくり見学していますね。 -
教会の壁には聖人たちのフレスコ画が。
-
だいぶ色落ちしていますが、日本人的には“わび・さび”が効いていて、いいんじゃないでしょうか。
-
・・・以上でマルボルク城内部の見学を終了。
時刻は、11時50分。
あちこち迷いに迷った結果、なんと3時間近くが経過していました・・・。 -
出口の通路もちょっとしたギャラリーに。
こちらはヴォールトの天井の頂上部分にはめられていたキーストーン(keystone)。
持ち帰れでもしそうなくらい無造作に置かれていますが、さすがにそうしようとする輩はいないか・・・。 -
そして3時間ぶりに城の外へ。
マルボルク駅に着いた時から降っていた強い雨は、まだ勢いを保ったまま止みそうにありません・・・。 -
次はガイドブックによくある景色を撮ろうと、ノガット川に架かる橋を渡って対岸へ。
どんより空の下ですが、ここまで来た証拠にと、激しい雨の中パチリ。
ここでオーディオガイドの盗難防止用警報器がピーピー鳴り出し、ゆっくり鑑賞する間もないまま、慌てて戻ることになりました・・・。 -
晴れていればもっと映える写真が撮れたでしょうに・・・ちょっぴり残念。
-
城の通路にある土産物屋はこんな天気でも子どもたちで賑わっています。
-
最後にノガット川とは反対側、先ほど内部を見学した聖母マリア教会の外側へ。
ここには第二次世界大戦で破壊され粉々になったものの、戦後、ポーランド人の手でほぼ元通りに修復された聖母マリア像が。 -
ドイツ騎士団の居城だったマルボルク城、ポーランド人にとっては中世以来何度も敵対してきたドイツ人の遺産ですが、それを忠実に復元し、人気の観光地にしてしまうというのは、両国間において和解が進んでいるということの証左でしょうか。
東アジアの某国間でもこういうことが当たり前になってくれればいいのですがね・・・。
さて、時刻は12時15分。
この後グダンスクに戻り、次の目的地トルンへ向かう前に最後の観光を楽しみます!
(ポーランド旅行4日目中盤~グダンスク観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (4)
-
- Rolleiguyさん 2020/05/11 18:15:25
- ドイツ騎士団
- エンリケさん、今日は。
大変興味深く拝見しました。
第4代の総長ヘルマン・フォン・ザルツァは、塩野七生の「皇帝フリードリッヒII世の生涯」に頻繁に登場する、皇帝の生涯の友で、ローマ教皇に何度も破門された
フリードリッヒと教皇との間を何とか取り持とうとした、皇帝の外交上のキーパーソンだったそうです。それなので本拠地はこういう場所だったのだなと感慨深く拝見した次第です。ドイツ騎士団はいまでも存在していて、数年前にミュンヘンでのカトリックのお祭りに参加しているのを見ました。 いつか行って見たいものです。
Rolleiguy
- エンリケさん からの返信 2020/05/17 14:47:31
- 皇帝フリードリッヒII世の生涯
- Rolleiguyさん
こんにちは。マルボルク城の旅行記にご訪問ありがとうございます。
“皇帝フリードリッヒII世の生涯”、わたしも塩野七生氏のファンなので、いつか読んでみたいと思っているのですが、このコロナ禍で図書館が休館続きのため、手に入れられずにいます・・・。
いっそのこと、買ってしまおうかなとも考えています。
ヘルマン・フォン・ザルツァ、フリードリッヒの物語で何度も登場するのですね。
“ローマ人の物語”もそうですが、塩野氏の小説を読むと、ヨーロッパの歴史の基礎的な部分が分かって、ヨーロッパ旅行がさらに楽しくなりますよね。
わたしも彼女の未読作品を早めに読んで、次のヨーロッパの旅への思いを膨らませていきたいですね。
-
- 川岸 町子さん 2019/10/27 12:59:05
- キャベツ
- エンリケさん、こんにちは(*^▽^*)
拝見すると仰るように、ポーランド鉄道のホームは日本に似ていますね。
私が訪れる前に調べたところ、「1つのホームに同時に2種類の列車が停車し、全く別の行先になるので注意!」との情報を読んだことを思い出しました。
煉瓦造りの駅も美しく立派ですね!
「こちらは“緑の部屋”と呼ばれる部屋で、騎士団総長のプライベートルームだったところ。」
→こちらの一枚、温かな雰囲気で好きです(^^♪
いいお写真ですね。
かつてのトイレのキャベツの葉っぱのお話、なるほど~と思わされました(笑)
この様な展示がある事で、マルボルク城が建築だけではなく、人の生活の営みを感じられて良いですね。
エンリケさんが途中でお疲れになるなんて珍しいと思ったところ、塔からの風景で、どれほどマルボルク城が壮大なのかわかりました。
雨に降られたようですが、私も今まで訪れた中で、10月末のポーランドが一番寒く感じました。
札幌で11月に着ていたキルトコートを着ても寒く、共産主義の厳しい時代を想像するほどでした。
私が知らないポーランドを今後も楽しみにしております(@^▽^@)
町子
- エンリケさん からの返信 2019/10/27 23:30:07
- 日本の城でもこんな展示が欲しいですね。
- 川岸 町子さん
こんばんは。マルボルク旅行記に早速ご訪問ありがとうございます。
> 拝見すると仰るように、ポーランド鉄道のホームは日本に似ていますね。
> 私が訪れる前に調べたところ、「1つのホームに同時に2種類の列車が停車し、全く別の行先になるので注意!」との情報を読んだことを思い出しました。
ポーランドの電車は遅れたとき、違う行き先の電車が先にホームに入ってくることがあるので、注意してドアのところに掲げられた便名や行き先を確認する必要がありますね。
> 「こちらは“緑の部屋”と呼ばれる部屋で、騎士団総長のプライベートルームだったところ。」
> →こちらの一枚、温かな雰囲気で好きです(^^♪
> いいお写真ですね。
あいにくの雨模様で城の外観の写真がいいものが残せなかったので、そういっていただけると嬉しいですね。
> かつてのトイレのキャベツの葉っぱのお話、なるほど?と思わされました(笑)
> この様な展示がある事で、マルボルク城が建築だけではなく、人の生活の営みを感じられて良いですね。
日本の城では城そのものの防御面とか刀や甲冑など武装の展示に重きがおかれていて、当時の武士たちがどういう生活をしていたかの展示が少なかったように記憶しているので、日本の城でもこういう展示があればいいのになと思いました。
> 雨に降られたようですが、私も今まで訪れた中で、10月末のポーランドが一番寒く感じました。
> 札幌で11月に着ていたキルトコートを着ても寒く、共産主義の厳しい時代を想像するほどでした。
ポーランド、7月でも上着が手放せなかったほどですから、秋も日本よりずっと寒いのでしょうね。
ポーランドの秋は“黄金の秋”と言われているそうですが、やっぱり夏に訪れるのがいちばんいいのかも。
> 私が知らないポーランドを今後も楽しみにしております(@^▽^@)
次はグダンスクに戻って、2017年に新しくオープンした施設を訪ねます。
他の方の旅行記が少ないので、ポーランドを訪れる方の参考になるよう綴っていきたいですね。
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