2015/05/04 - 2015/05/04
5位(同エリア622件中)
エンリケさん
2015年GWのドイツ・アイルランド旅行3日目後半。
アイルランドの首都ダブリンにて、英国統治の足跡が色濃く残る聖パトリック大聖堂、トリニティ・カレッジと見て回った後は、引き続き市内中心部の歴史スポットを散策。
英国からの総督の居城だったダブリン城、ヴァイキング襲来から英国のヘンリー8世によるアイルランド再征服までの歴史を語るダブリニア、そしてダブリン最古の教会クライスト・チャーチ大聖堂を巡り、海の向こうの様々な民族から常に翻弄され続けてきたダブリンの歴史に思いを馳せます。
そして夕方は鉄道にてアイルランド島西海岸の中心都市、コナート州ゴールウェイへ移動。
街なかのこじんまりとしたレストランでギネスを飲んで一日の疲れを癒しながら、今回の旅のメインとなる翌日のアラン諸島(イニシュモア島)への船出に備えます。
<旅程表>
2015年
5月 2日(土) 羽田→ミュンヘン
5月 3日(日) ミュンヘン→ダブリン
○5月 4日(月) ダブリン→ゴールウェイ
5月 5日(火) ゴールウェイ→アラン諸島(イニシュモア島)→ゴールウェイ
5月 6日(水) ゴールウェイ→アーウィーの洞窟→モハーの断崖→ドゥーラン
→ダンゴーラ城→ゴールウェイ→ダブリン
5月 7日(木) ダブリン→キルケニー→ウィックロウ峠→グレンダーロッホ
→ダブリン
5月 8日(金) ダブリン
5月 9日(土) ダブリン→フランクフルト・アム・マイン→
5月10日(日) →成田
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月4日(月)
12時20分、アイルランドの最高学府トリニティ・カレッジの見学を終え、正門を出ます。
周辺の通りはお昼を過ぎ、たくさんの人出で賑やかになってきました。 -
次はトリニティ・カレッジの正門から伸びる通りを真っ直ぐに進んで行き・・・。
-
途中で横道に入り、12時30分、その堂々とした名前からはパッとしない、あまり目立たない感じのダブリン城入口に到着。
こんな入口になっているのはかつての英国統治のシンボルだったから?ダブリン城 城・宮殿
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受付で入場料(6.5ユーロ=約910円)を支払い、城内に入ると、こんな砦のような建物が。
まさしく支配下のアイルランド人から英国の統治機構を守る城塞の役割を果たしていたのですね。
ちなみに一つの建物なのに部分部分で様式が異なるように見えるのは、このダブリン城が何百年にも渡って付け足されたり修復されたりしてきたから。
左側に見える円形の塔は“ノルマン・タワー”(Norman Tower)と呼ばれ、このダブリン城でも最古の部類に入る1226年に建造されたもの。
名前から分かるように、“ノルマン人によって征服された英国”すなわち“アングロ・ノルマン”支配時代の遺産ですね。 -
この砦のような建物をくぐると姿を現したのが“ベドフォードタワー”(Bedford Tower、1761年建築)と呼ばれる時計塔。
どちらかと言えばフォトジェニックな建物の少ないダブリンにあっては、貴重な撮影スポットとなっています。
・・・このダブリン城、建っているのはもともとは10世紀にヴァイキングの砦のあった箇所で、その後に侵入してきたイングランド(アングロ・ノルマン)のジョン王によって1204年にこの建物が築かれて以来、700年以上にも渡って英国統治のシンボルとされてきました。
1864年に火事で大部分が崩壊したものの、修復されてその後も英国からの総督の住まう居城となり続けます。
しかし、1916年のイースター蜂起とそれに続く英国からの独立戦争(1919-21年)を経て、1922年、アイルランドはついに“アイルランド自由国”として独立。
このダブリン城は英国からアイルランド独立戦争の指導者、マイケル・コリンズ(Michael Collins、1890-1922年)に引き渡され、以後、7年ごとに選出される大統領の就任式や国際会議などに使用されるようになり、日本の朝鮮総督府と違って取り壊されることなく現在に至っています。
ちなみに“ダブリン”という都市の名前は、かつてこのダブリン城の中庭にあった“黒い水たまり”(Dubn linn)が由来なんだとか・・・。 -
ベドフォード・タワーには入場できないので、中庭を挟んで反対側(南側)にある、歴代総督の居城として使われていたステート・アパートメンツ(States Apartments)に入場。
入って最初の2階へと昇る空間は“バトル・アックス・ランディング”(Battle Axe landing)と呼ばれ、総督の親衛隊の名にちなんで命名されたとか。
ちなみに、写真では見にくいですが、次の間へと続く入口の扉の上には、アイルランドの象徴である“黄金のハープ”の紋章が掲げられています。 -
続いては2階の各部屋へと続く上品な雰囲気の回廊。
最近修復されたのか、まったく古臭さを感じさせない回廊で、欧米系の若い女性2人組がここで何度もポーズをとって自分たちの撮影会をしていました(笑)。
(この写真は彼女らの撮影会が終わってから撮影したもの。待ち時間が長かった・・・。) -
回廊から脇に入ったところにはいくつも小部屋が。
現在は使われておらず、展示専用になっているようで、クラシックな椅子やテーブルなどが部屋の片隅にひっそりと置かれていました。
前日にミュンヘンのレジデンツを見たばかりだと、かなりこじんまり感があるかな・・・。
【ギネスと雨の国アイルランド(1) ミュンヘンのレジデンツの居室】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=40591309 -
部屋の窓から見えるダブリン城の南側の風景。
手前に見える円形のオシャレな庭では学生らしきグループが腰を降ろしてひなたぼっこ。
雨の多いダブリンで晴れの時間を有効活用していますね。 -
続いては広々とした応接間(Drawing Room)へ。
入ってすぐのところに掲げられた絵は誰のものかと思って近づいてみると・・・。 -
みなさんご存知、英国のヴィクトリア女王(Queen Victoria)と・・・。
-
その夫君、アルバート公(Prince Albert)の肖像画。
かつての英国の総督府の建物なのだから当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、アイルランドには英国に反感を持つ人が多いというのを聞いていた身にとっては意外な感じ。
アイルランドは700年にも及ぶ英国統治の歴史の中で、英国から移住してきた元英国人や、英国統治の恩恵を受けてきた国教徒を中心とするハイクラスの人々もそれなりにいて、国を挙げて反英という感じではないのでしょうね。
何より公用語が英語ですし。
日本の隣の国をイメージしてアイルランドを見るといけないのかも。 -
先ほどの女性2人組による撮影会の行われていた応接間を抜けると、次は“玉座の間”(Throne Room)。
さすがにほかの部屋よりも金色の装飾が多用されていて、威厳のある雰囲気が醸し出されていますが、英国の国王がダブリンまで来て実際にここに座る機会はどのくらいあったのでしょうかね・・・。 -
続いてはかつての晩餐会用の部屋を利用した“ポートレイト・ギャラリー”(Portrait Gallery)。
壁には歴代総督の肖像画が飾られていますが、やはりミュンヘンで見たレジデンツの祖先画ギャラリーの迫力には劣るよなあ・・・。
【ギネスと雨の国アイルランド(1) ミュンヘンのレジデンツの祖先画ギャラリー】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=40595072
ちなみにこの部屋、第一次世界大戦時は戦傷病者を治療する病院のベッド室として使われていたそうで、大戦中に起こった1916年のイースター蜂起でも兵士や市民がここで手当てを受けたのだそうです。 -
部屋の一角にある食器棚にはアイルランドの象徴である黄金のハープを刻んだポットやティーカップが。
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ステート・アパートメンツのいちばん西側にあるのは、“ゴシック・ルーム”(The Gothic Room)と呼ばれるこれまでの部屋とはやや異質な空間。
おそらく、18世紀後半から19世紀にかけて英国から興った“ゴシック・リヴァイヴァル運動”の中で建てられ、窓のかたちなどがゴシック様式の教会に似ていることから付けられた名前なのでしょうが、丸い天井のかたちや幾何学的な模様がどこかイスラム建築のようです。
【ブルガリア〜イスタンブール紀行(8) イスタンブール・トプカプ宮殿のバクダッド・キョシュク】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=28256225
このゴシック・ルーム、中世に文書の保管のために使われていた塔のひとつを1770年代に再建したもので、英国の国王がこのダブリン城を訪れているときの総督一家のプライベートな食事の間として使われたのだとか。 -
ゴシック・ルームの次の間は聖パトリック・ホール(St. Patrick's Hall)。
アイルランドの守護聖人の名前が掲げられているだけあってこのダブリン城の中では重要な間で、大統領の就任式などがここで行われるのだそうです。 -
天井画も大きく豪華ですね。
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ステート・アパートメンツを一回りして入口に戻ってきたところで、壁に掲げられていた一枚の絵画をパチリ。
中央の女性は足下にハープがあることからアイルランドを具象化したものでしょうか。
左後方には吊られた人の影があり、庶民にとっては700年もの長きに渡って英国に搾取され続け、苦しい思いをしてきたという歴史を物語っているのかもしれませんね。
・・・時計を見ると13時20分。約1時間でダブリン城の見学を終え、次のスポットへ。 -
・・・とその前にお腹が空いたので昼食を。
ダブリン城から歩いてすぐ、宿泊したテンプル・バーの宿、“ブリッジ・ハウス・ダブリン”の斜め前にあり、前日から気になっていたイラン料理のファストフード店、“ザイトゥーン”(Zaitoon、ペルシャ語でオリーヴという意味らしい)へ入ります。
イランからの手稼ぎらしいちょっとコワモテの店員に最初はビビりましたが、話してみると“アリガトウ”とかカタコトの日本語を話してくれて、意外に優しい感じ(笑)。
注文したのは写真の“スペシャル・チキン・ドネル”(Special Chicken Donner、7ユーロ=約980円、カード払い不可)。
あまり温かくなく、チキンやナンが多少硬かった印象ですが、タレがピリッとしていて美味で、イランに興味のある者にとっては“ああこんなものなんだ”と好奇心を満たすことができました。ザイトゥーン その他の料理
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昼食を終えて14時、テンプル・バー地区のすぐ西側、クライスト・チャーチ大聖堂と道路を挟んで隣り合ったところにあるテーマパーク的博物館の“ダブリニア”(Dublinia)へ。
・・・このダブリニア、もとは18世紀にネオ・ゴシック様式で建てられた、クライスト・チャーチ大聖堂付属の会議ホールだった建物。
その後も1983年までアイルランド国教会の統括機関として使われていましたが、現在はその役目を終え、中世のダブリンの歴史を紹介する博物館となって訪れる人々の目を楽しませています。ダブリニア 博物館・美術館・ギャラリー
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建物に入ってみると、テーマパーク的な博物館だけあって、小さな子どもを連れたお父さんやお母さんが多い感じ。
ちょっと恥ずかしい感じはしましたが、ダブリンについて小学生くらいの知識しかない外国人観光客と割り切って入場券を買い求め(8.5ユーロ=約1,190円)、展示室へ。
このダブリニアは9世紀のヴァイキング時代から1540年のヘンリー8世によるカトリック修道院解体までのダブリンを人形などを使って紹介する博物館で、まず1階はヴァイキング時代の展示。
当時は漫画“北斗の拳”のように力が支配する時代で、自分で記録を残す官僚機構がなかっただけに、はるばるこの地を訪れたアラブ商人の記録などが歴史を知る重要な資料として使われていますね。
まさに“Youはshock!”な始まりです(笑)。 -
9世紀頃のヴァイキングの活動を示す地図。
この頃の北欧はキリスト教化されておらず、現在のホスピタリティあふれる国民性からは考えられないほど“力が正義”の野蛮な国だったんですね。 -
ヴァイキングの活動を示す年表。
アイルランドとヴァイキングというのは英仏独伊西中心の世界史を勉強してきた日本人の頭ではなかなか結びつきませんが、実はヴァイキングはアイルランドという国の形成に重要な要素となっていたんですね。 -
こちらは3Dホログラム映像を用いたヴァイキングの風俗。
ひげを生やし、斧と盾を持った“いかにも”という姿です。
しかし、顔には最新の技術を使っているのに、全体像はちょっとチャチな感じがしますね(笑)。 -
こちらはヴァイキングの埋葬の様子を人形を用いて再現したもの。
ヴァイキングは死後の世界を信じていて、装飾品も一緒にあの世に行くと考えていたのだとか。 -
こちらは奴隷を携えたヴァイキング。
ヴァイキングは目当ての地に上陸すると、金目のものだけでなく人も連れ去り、自分の農場で働かせたり、銀などと交換していたそうです。
奴隷を金品に交換することのできる当時の三大奴隷市場は、イスラム教徒統治下のスペイン(後ウマイヤ朝)、ヴァイキングの指導者により開拓が進められ、アラブ人との奴隷貿易の中継地点となっていた南ロシア(キエフ公国)、そしてヴァイキングの移住により労働力を必要としていた“ダブリン”であったという・・・。
そのダブリンには東ヨーロッパやロシア方面からスラヴ系の奴隷(これが英語の“slave”の語源と言われています。)が多く連れて来られたとか・・・。
こうしてみると、アイルランドは原ヨーロッパ民族と言われるケルト系の文化が色濃く残ると言われていますが、血統的には北欧ヴァイキングや東欧スラヴ人、そしてこの後にやってくるイングランド人(アングロ・ノルマン人)の血がかなりの割合で入っているのではないかと推測されます。 -
機織り機を前にするヴァイキングの女性。
ヴァイキングの女性の墓が見つかっていないことから、ヴァイキングの妻は出身地から連れてくるのではなく、現地調達が一般的だったようです。
すなわち、支配者であるヴァイキングと結婚したアイルランドの女性により、古くからのケルト系アイルランド人の民族衣装などの風俗や文化が継承されていったと考えられているそうです。 -
こちらは当時のヴァイキングの家の様子。
モンゴルのゲルのようでもあり、まあこんなものかという感じですね。
【モンゴルの風(1) テレルジのツーリストキャンプのゲルの内部】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=30504133 -
このユニークな写真は当時のトイレを再現したもの。
“ブリッ”という音やおならの音、“フ〜ッ”というひと仕事終えたような声が聞こえてきたりして、なかなか力を入れた展示になっています(笑)。
解説を読むと、“苔”がトイレットペーパーとして使われ、そのためのものが市場で取引されていたんだとか・・・。 -
こちらは1014年のクロンターフの戦い(The Battle of Clontarf)の後に王となり、ローマへ巡礼するなどしてダブリンをカトリックの都として繁栄させたデーン系ヴァイキング“シトリック”(Sitric)の人形。
“クロンターフの戦い”とは、アイルランドの王“ブライアン・ボル”(Brian Boru)がクロンターフの地でヴァイキングを撃破し、アイルランドを守った伝説的な戦いのこと。
ブライアン・ボルはこの戦いで戦死しますが、これを境にヴァイキングの侵攻が衰えたことで、1014年はアイルランドでは特別な年となり、ブライアン・ボルは国民的英雄となります。
1000年後の2014年にはダブリンで特別展も開催されたほどで、このクロンターフの戦いからイングランドの侵入が始まる1170年までは、ダブリンなど海岸沿いの都市部はヴァイキングの領土となっていましたが、それ以外の内陸部などはアイルランドにとって他民族の支配を受けなかったということで、一種理想の時代とされているのでしょう。
【ブライアン・ボルとクロンターフの戦い展】
http://www.brianborumillennium.ie/ -
・・・以上でヴァイキング時代の展示は終わり、次は2階に上がって中世ダブリンの庶民の生活を再現した展示の様子。
こちらもかなりの人形が使われています。 -
これは革靴屋の店頭の様子。
どのくらい再現度が高いのか分かりませんが、現代でも通じるデザインですね。 -
こちらは1347年にイタリアで発生し、1348年にはダブリンでも流行したペスト(黒死病)の様子。
全ヨーロッパの人口の3分の1を死に至らしめたというペストの大流行にダブリンも巻きこまれていたのですね。 -
“アイルランドの不安”(Irish Unrest)と題する文章の展示。
1170年から始まるアングロ・ノルマン(ノルマン人統治下のイングランド人)の侵入によりアイルランドの人心は廃れ、ヴァイキング時代のように再び危険な地へとなっていったというようなことが書かれています。
“北斗の拳”の時代再びといったところでしょうか。 -
最後は“中世の終焉”と題する文章。
1540年、ローマ・カトリックから独立して英国国教会を創設したイングランドのヘンリー8世により、カトリックの修道院が解体され、イングランドによるアイルランド支配が強まっていったことをもってこの博物館の歴史に関する展示は終了。
これからは英国によりカトリックが抑圧されアイルランドが搾取を強められる悲惨な時代で、リアルな人形を使っては子どもには見せられないということなのでしょうかね・・・。
日本の博物館で言えば現代日本人の確立に大いに影響した江戸時代や明治時代がないということであり、近代の歴史を誇りにできないなんて、悲しいことだなと感じました。 -
3階に上がり、古英語の発音が聴ける興味深い装置や最新の発掘風景などを見て回った後、館内の展示が終了したので、1870年に架けられたという両建物をつなぐ橋を渡って隣のクライスト・チャーチ大聖堂へ。
時計を見ると15時。ダブリニアの見学時間は1時間ほどでした。
移動中、3階の通路から外を見ると、朝は雲ひとつなく晴れていたのに、今はすっかり雲が多くなって雨が降り出しそうな感じ・・・。 -
ダブリニアの3階に架けられた橋を渡ってクライスト・チャーチ大聖堂にやってきました。
1階に降りて入場料を払い(6ユーロ=約840円)、早速見学開始。
このクライスト・チャーチ大聖堂、ダブリン最古の教会と言われ、建立されたのはヴァイキング支配下の1038年。当時ダブリンを治め、カトリック保護政策をとっていたデーン系ヴァイキングの王シトリックにより木造教会として建てられたのが最初でした。
その後イングランド(アングロ・ノルマン)のヘンリー2世によりアイルランド侵攻が始まると、1172年、この教会はアングロ・ノルマン系貴族たちの寄進により、現在まで続く石造りのものに建て替えられることとなります。クライスト チャーチ大聖堂 寺院・教会
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床の模様が他国の大聖堂にはないような感じで、独特で興味深いですね。
・・・このクライスト・チャーチ大聖堂、建立された当時は当然にカトリックでしたが、午前中に見た聖パトリック大聖堂同様、1534年のヘンリー8世による英国国教会の創設を機に、カトリックから国教会へと宗旨を変えます。
現在もアイルランド国教会の大主教座を務める国教会ナンバー1の大聖堂として、毎日多くの参拝者を集めているところです。 -
こちらの一角にはこんなイコンが飾られていて、カトリックもしくは正教会のよう・・・。
国教会というと、一応は“プロテスタント”(新教)という位置づけですが、ルター派のように“個人は聖職者を通さず聖書により直接神と結びつく”とガチンコでカトリックを批判して独立したものではないため、儀礼的な部分はカトリックから多くを採り入れているようですね。 -
内陣は威厳ある造りで聖パトリック大聖堂とはまた一味違った厳かな雰囲気を感じますね。
【ギネスと雨の国アイルランド(2) ダブリンの聖パトリック大聖堂】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=40805438 -
続いてはこの大聖堂の売りであり、“アイルランド最大”とも言われる地下礼拝堂へ。
階段を降りて行くと、天井も高く、意外に広々とした空間が。 -
この地下礼拝堂は、現在ではクライスト・チャーチ大聖堂に伝わる様々な歴史的物品を展示するスペースになっています。
こちらは銀でつくられた“ウィリアム3世の皿”(1698-99年)。
イングランド王兼スコットランド王兼アイルランド王のウィリアム3世(在位:1689-1702年)から、1690年のボイン川の戦い(1688年の名誉革命で退位させられたジェームズ2世を担ぐアイルランド軍と英蘭連合軍との戦い)の勝利を記念して贈られたものだそうです。
・・・名誉革命って、日本では“一滴の血も流さず王の交代が行われた”と教えられてそれだけですが、実はカトリックのジェームズ2世を支持するスコットランドやアイルランドで反乱が起こって、それを鎮圧するのにたくさんの血が流れていたんですね。 -
こちらはトムとジェリー、ではなくて(笑)、猫とネズミのミイラ。
1860年代に追いかけっこをしていたところ、パイプオルガンの裏で引っかかって、大聖堂内の非常に乾いた空気の中でミイラ化してしまったのだそうです。 -
この猫とネズミ、“ユリシーズ”や“ダブリン市民”で有名なあの“ジェイムズ・ジョイス”(1882-1941年)の小説にも登場し、有名になったとか。
このミイラのことはかなり前から知られていたんですね。
エジプトのミイラと違って、歴史的価値もないのに人々の目に変わり果てた姿を曝され続けるのはかわいそうな気もしますが・・・。
動物愛護団体から批判はないのでしょうか?? -
地下礼拝堂にはこんなふうにカフェやお土産屋もあります。
日の光のとどかないところなので欧米人には人気がないですが(笑)。
こんなスペースを大聖堂内に造ってしまうところがカトリックとは違う世俗的な国教会らしいところでしょうかね。 -
15時50分、クライスト・チャーチ大聖堂の見学を終え、外に出てきました。
空はかなり曇ってきていますが、学生と思しきグループは、青々とした芝生の上で腰を降ろしておしゃべりに興じています。
やっぱり陰気な地下よりもこっちの方がいいですよね(笑)。 -
さて、西海岸のゴールウェイへの列車の出発時間が近づいてきたので、宿に戻って荷物をピックアップし、街の西部にあるヒューストン駅へ向かいます。
ヒューストン駅はテンプル・バー地区から2km程度と少し離れているのですが、街の治安は悪くないし、リフィ川沿いの景色を眺めながら徒歩でゆっくり行くことにします。 -
川沿いの道を歩きに歩いて16時30分、20分強でヒューストン駅(Heuston Station)に到着。
単調な景色が続いたせいか、思ったよりも長くかかった印象です。 -
駅構内に入り、まずは予約購入していた乗車券の受け取り。
以下のアイルランド鉄道HPで予めダブリン−ゴールウェイ間の往復乗車券を購入していたのを、写真の“Prebooked Ticket Collection”機にて予約番号を入力することで、無事発券完了。
ダブリン−ゴールウェイ間はWeb購入だと往復29.98ユーロ(約4,200円)で、直接窓口で買うと39.1ユーロ(約5,500円)となり、9.12ユーロ(約1,300円)もオトクです。
ただし、予約後の時間変更は認められないため、乗車するスケジュールをきちんと決めてから予約する必要があります。
【アイルランド鉄道HP】
http://www.irishrail.ie/ -
出発時間は17時30分なので、チケットを無事手にした後は、構内のベンチに座ってしばし休憩。
しかしこのヒューストン駅、屋根が透けていて天井から光が差し込む構造になっていて、明るく広々とした雰囲気。
自動改札機も車いす対応のものがいくつも用意されていて、エコでバリアフリーな駅舎となっていますね。 -
17時をまわり、出発時間近くなったので、自動改札機を通ってホームへ。
流線形のボディをした列車はやはりアイルランドカラーの緑色ですね(笑)。 -
17時30分、ゴールウェイ行きの列車は定刻通りダブリンのヒューストン駅を出発。
列車は最新のものなのか明るくきれいで、ラテン系の国々のものとは違って落書きひとつありません。
乗客はおとなしい人ばかりで、どうやらアイルランドの鉄道は気を遣わずにくつろげる安全な乗り物のようですね。 -
車窓からは羊や牛が草を食む緑の牧草地の風景がどこまでも続きます。
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あまりにも静かで快適な乗り心地に何度も眠りに落ちそうになり、うとうとしていたら、いつの間にか到着時刻の20時近くに。
窓の外は相変わらず緑の牧草地が続きますが、その牧草地の周りを不揃いの石を集めた石垣で囲うアイルランド西部独特の風景になってきました。 -
そして20時、列車は定刻通りゴールウェイ駅に到着。
ゴールウェイ(Galway)はアイルランド西海岸、大西洋に面し、古くからのアイルランド語(ゲール語)を日常的に話す人が多いとされるコナート州(Connaught)の中心都市。
また、アイルランド国立大学ゴールウェイ校が置かれ、約75,000の人口のうち5分の1は学生という“学生の街”でもあります。 -
駅の外に出てみると、路面は雨が降ったばかりのように濡れており、空も曇っていてダブリンよりも肌寒い感じ。
駅前には“エア・スクエア”(Eyre Sq.)と呼ばれる広場が広がっていて、街の中心がどちらの方向にあるのかが分かりにくくなっています。 -
まずは予約していた宿を目指し、駅の北東の方向へてくてくと歩いて行きます。
もう20時を回っていますが、緯度が高いため遠くまではっきり見通せるほど明るいのが助かりますね。 -
20時20分、駅から10分強歩いて、カレッジロード(College Rd.)に面するこの日の宿、カッパービーチゲストハウス(Copper Beech Guest House)に到着。
アゴダで予約したB&Bタイプのゲストハウスで、朝食付きで1泊45ユーロ(約6,300円、税込、宿泊料は直接宿に支払い)と、街なかのホテルよりも安く泊まれることから選択したものでした。コッパー ビーチ ゲスト ハウス ホテル
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駐車場には車が多く停まっており、宿泊者は車でやってきた長期滞在者が多い雰囲気。
建物の中に入ると入口付近でくつろいでいた優しそうなおじいさんが離れの部屋まで案内してくれました。
本館ではなく離れというのは、到着した時間や一人客というのを考えるとしょうがないのかな・・・。 -
部屋はこんな感じできれいに整えられていますが、改修したばかりなのか、ちょっとペンキ臭かったです。
部屋にいるうちに気にならなくなりましたが、ダメな人はダメかも。
この旅行記を書いている現在はもう何か月も経っているので臭わなくなっていると思いますが・・・。 -
さて、部屋に荷物を置き、夕食を食べにゴールウェイの街に繰り出します。
駅前のエア・スクエアを南西に進み、ショップ・ストリート(Shop St.)からハイ・ストリート(High St.)に至る辺りがゴールウェイの賑わいの中心部という感じ。
時刻はもう21時を回っていますが、空はまだ少し明るいですね。ショップ ストリート 散歩・街歩き
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入ったのはこの賑やかな通りに面した地元料理風の“RIORDANS”というお店。
もう客が2、3人しかいない遅い時間でしたが、学生っぽいかわいらしい女性がでてきて、笑顔で席に案内してくれました。
メニューを見るとダブリンよりは少し安い感じで、ギネスビール(5ユーロ=約700円)とサーモンサラダのセット(スープとコーヒー付きで14.95ユーロ=約2,100円)を注文。
ギネスは文句なく美味く、スープは冷えた身体が温まる優しい味でまあ美味しかったです。 -
スープの後に出てきたのはサーモンサラダ。
運ばれてきたものを見ると・・・予想を超えるボリュームに思わず愕然(笑)。
調理にあまり工夫もなく出来合いのものをまぜたような感じで、味はまあそれなりでした。
“質より量”って感じですね(笑)。 -
さすがにこの量はすぐには食べきれず、なんとか時間をかけてがんばろうと思いましたが、22時近くなりわたしが最後の客となっていたため、無念ながら半分くらい食べたところでお会計。
それでも、現地の食に慣れない東洋人を馬鹿にするようなところはなく、最後まで優しい表情の店員さんでした。
店を出ると空はすっかり暗くなって、肌寒さも一層増してきた感じ。
人通りもやや少なくなってきましたが、ところどころにストリートミュージシャンが立っていて、誰に聴かせるでもなく演奏を続けていました。
ゴールウェイの夜の賑わいはもう少し続きそうです。
さて、翌日は今回の旅のメイン、この世の果てのような荒涼とした景色を見に、ゴールウェイ湾の先に浮かぶアラン諸島へ行ってきます!
(ドイツ・アイルランド旅行4日目〜アラン諸島(イニシュモア島)観光へ続く。)
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この旅行記へのコメント (4)
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- サウスピーチさん 2015/11/09 04:32:09
- 興味深い歴史・・・
- エンリケさん、こんにちは。
アイルランドの歴史の移り変わりがとてもよく分かる旅行記でした。
エンリケさんは博物館などに入られて、1つ1つ詳しく見て回られるんですね〜。
その恩恵を、読んでいる私も受けられるので、非常に有難いことです。(笑)
バイキングがアイルランドに深く関わっていたなんて、ちょっとびっくり。
奴隷にしてもそんなことをしたのはアメリカぐらいだろうと思っていたのですが、バイキングが随分と先にやっていたことだったんですね。
最後に出てきたサーモンサラダは、見た瞬間吹き出してしまいました!
盛り方といい、量といい・・・。 これだったらアメリカのレストランの方がまだいいかも・・・と料理を見て初めて思いましたよ!(爆)
それでは、またお邪魔しますね。
サウスピーチ :)
- エンリケさん からの返信 2015/11/15 16:34:12
- 奴隷の歴史は奥が深いです・・・。
- サウスピーチさん
こんばんは。ミュンヘンに続いてダブリン旅行記にご訪問ありがとうございます!
> エンリケさんは博物館などに入られて、1つ1つ詳しく見て回られるんですね〜。
歴史が好きなもので、旅行が終わってからでも、展示品の写真を見ながらいろいろと考察してしまいますね。
> バイキングがアイルランドに深く関わっていたなんて、ちょっとびっくり。
> 奴隷にしてもそんなことをしたのはアメリカぐらいだろうと思っていたのですが、バイキングが随分と先にやっていたことだったんですね。
いや、もうヨーロッパやイスラムの歴史は、フランス革命で人権についての意識が確立する18世紀までは、まさに勝った方が負けた方を奴隷にする話ばかりで、深く調べて行くと、本当に頭痛がしてくるほどです。
現在ISがやってるような異教徒を奴隷にするという話も、日本人にはなじみがないかもしれませんが、チュニジアやアルジェリアなどのイスラム教徒の海賊たちが、地中海沿岸のキリスト教徒を対象に、18世紀まで普通にやっていたそうですよ。
> 最後に出てきたサーモンサラダは、見た瞬間吹き出してしまいました!
> 盛り方といい、量といい・・・。 これだったらアメリカのレストランの方がまだいいかも・・・と料理を見て初めて思いましたよ!(爆)
アイルランドは英国と同様、俗説では“食の最貧国”と呼ばれてるようですよ。
そんな中で唯一、B&Bの朝食だけが、食にうるさい日本人の心を和ませるものでした(笑)。
この後も似たような料理が出てくるかもしれませんが、まあご期待ください(笑)。
-
- 川岸 町子さん 2015/11/02 22:48:06
- ダブリニア
- エンリケさん、おばんでした☆
ダブリニア、興味深く見せて頂きました。
人形を使って、リアルな事実を教える様子に驚きました。
埋葬、奴隷、ペストなど、普通ならば避けてしまいがちな内容ですね。
アイルランドに奴隷制度があった事さえ、私は知りませんでした。
「これからは英国によりカトリックが抑圧されアイルランドが搾取を強められる悲惨な時代で、リアルな人形を使っては子どもには見せられないということなのでしょうかね・・・。
日本の博物館で言えば現代日本人の確立に大いに影響した江戸時代や明治時代がないということであり、近代の歴史を誇りにできないなんて、悲しいことだなと感じました。」
重みのあるお言葉だな、と感じました。
様々な歴史の積み重ねの上に、今があると改めて気づかされます。
訪れた国を通して、日本や隣の国を考える、なかなかそこまで深く考えることなく通り過ぎる人が多い中、エンリケさんの旅行記で気づかされることが多いですね!
さて次回はアラン諸島ですが、私はアラン諸島と言えば真っ先に「セーター」を思い出しますね(@^▽^@)
11月になり涼しくなった(笑)東京ですが、風邪ひかれませんよう。
町子
- エンリケさん からの返信 2015/11/03 19:32:00
- 日本人は本当に恵まれていますよね。
- 川岸 町子さん
こんばんは。ダブリンには過酷な英国支配の跡を残す、気が滅入るようなスポットが多いですが、読んでいただきありがとうございます。
ダブリンには東京の“江戸東京博物館”にあたるような、昔の庶民の生活を肯定的に捉えた歴史スポットがなかなか見つからないんですよね。
あるのは刑務所をもとにした民族運動の記念館とかそんなのばかりで。
ヴァイキングとそれに続く英国700年の支配がいかに庶民にとって抑圧的だったかが想像できるというものです。
・・・こう考えてみると、日本人は支配階級だけでなく、庶民に至るまで一端の博物館がつくれるほどの豊かな歴史を持っていて、本当に恵まれているんだなあと改めて感じますね。
それが中華思想と小中華思想を持つ隣国には気に入らなくて、自信を強めてきた最近になってねちねちとネガティブ・キャンペーンを張られているのかもしれないですけど・・・。
> さて次回はアラン諸島ですが、私はアラン諸島と言えば真っ先に「セーター」を思い出しますね(@^▽^@)
> 11月になり涼しくなった(笑)東京ですが、風邪ひかれませんよう。
お気遣いありがとうございます。
東京は昨日はゴールウェイの夜を感じるほどの寒さでしたね。
アラン諸島編では有名なアランセーターが出てくるかどうか・・・楽しみに待っていてください!
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