2019/07/09 - 2019/07/09
10位(同エリア181件中)
エンリケさん
この旅行記スケジュールを元に
2019年夏休みのポーランド旅行記4日目中盤。
午前中に世界遺産のマルボルク城を観光した後は、再びグダンスクへ。
次の目的地トルンへ出発するまでの間、2017年に開館したばかりというグダンスクの新名所“第二次世界大戦博物館”を訪ねます。
<旅程表>
2019年
7月 6日(土) 羽田→ミュンヘン→ワルシャワ
7月 7日(日) ワルシャワ
7月 8日(月) ワルシャワ→グダンスク
〇7月 9日(火) グダンスク→マルボルク城→グダンスク
→トルン
7月10日(水) トルン→ウッチ→クラクフ
7月11日(木) クラクフ
7月12日(金) クラクフ→ヴィエリチカ岩塩坑→クラクフ
7月13日(土) クラクフ→アウシュヴィッツ・ビルケナウ
強制絶滅収容所→クラクフ
7月14日(日) クラクフ→ミュンヘン→
7月15日(月) →羽田
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
7月9日(火)
12時15分、世界遺産のマルボルク城の見学を終え、次の目的地、ポーランド中部のトルンへ向かう前に、荷物を取りに一旦グダンスクへ。マルボルク城 城・宮殿
-
相変わらず強い雨の中、傘を差しながらてくてく歩き、12時40分、マルボルク駅に到着。
予約していた12時57分発の特急に乗り(ポーランド鉄道HPから1週間前の購入で49.5ズウォティ=約1,450円)、一路グダンスクへ。マルボルク駅 駅
-
電車はノンストップで約50kmの道のりを走り、13時26分、約30分でグダンスク本駅に到着。
ここから次の目的地、トルンへ向かう電車の出発まで4時間ほどあるため、グダンスク市内を最後の観光。
“地球の歩き方”を見ていたところ、2017年3月にオープンした“第二次世界大戦博物館”という施設が火曜日無料とのことだったので、早速行ってみることに。
13時45分、横殴りの雨に耐えながら駅から15分ほど歩いてその場所にたどり着いてみると、何かが地面に突き刺さったような奇妙な形をした建物が・・・。
【第二次世界大戦博物館(Museum of the Second World War)】
https://muzeum1939.pl/en -
その奇妙な形をした建物の中に入ってみると、とにかくすごい人、人、人・・・。
屋外の観光が厳しいこの日の天候や、火曜日は入場無料(通常は23ズウォティ=約670円、オーディオガイドは別途5ズウォティ=約150円で無料にならず)であることも手伝って、グダンスクに来ている観光客全員がここに集まったような感・・・。
入場まで1時間待ちは覚悟という状況でしたが、他に行くべき場所もないので、大人しく並んで、列が進むに任せることにしました。 -
列に並んでぼーっとしながら待ち通し、約1時間経過後の15時、ようやく展示場の入口に。
ちなみに、この日の博物館には老若男女、様々な年代の方が来場していて、特に中高生ほどの若い方の姿を目にすることが多かったですが、欧米系以外と見られるのはわたしだけのようでした・・・。 -
さて、展示場に入って最初に出てきたのは、当時の映像コーナー。
-
いかにも軍靴の音が鳴り響いてきそうな映像です。
-
次は枢軸国を中心とする当時のプロパガンダ(特定の思想へ誘導する意図を持った宣伝活動)の部屋。
ローマの街を背景に浮かび上がるのはイタリア首相ムッソリーニか。 -
こちらは枢軸国ではありませんが、ソ連の最高指導者スターリンのプロパガンダ。
連合国側とはいえ、ポーランド人がソ連によくない感情を持っているということが分かります。 -
ムッソリーニ、スターリンと来れば、次はヒトラー、ナチスのプロパガンダ。
こうしてみると、当時の指導者たちは皆、大衆を煽り戦争に駆り立てる宣伝活動をしていたのですね・・・。
現代に生きる我々は、歴史の轍からこういうところを反省しなければなりませんね・・・。 -
おまけのような位置づけながら、我が大日本帝国関係の展示もありました。
右の“軍服を着た少年たち”が写っている写真の解説には、“子どものうちから軍国主義思想と天皇に対する自己犠牲を叩き込まれた”と書かれています。
これまでいろいろな本を読んで明治以後の日本史を勉強してきた自分からすれば、何だか“戦前の日本の一面のみ”を強調しすぎているような気も・・・。
それこそ、戦後左派のプロパガンダによる自虐史観のような気もしないではないですが、まあ、そういう人たちがこの博物館の展示に関わっているということなのでしょう・・・。 -
有名なドイツ軍のオートバイ部隊のバイクもありました。
反ナチスの立場の博物館とはいえ、こういうものは純粋に“かっこいい”として展示しているのでしょうか。 -
ドイツの最大領域を表わしたヨーロッパ地図。
ポーランドはドイツとソ連とで中央から真っ二つに分断されています。
このときソ連に分割された東半分は、大戦終了後も二度とポーランドには戻って来ませんでした・・・。 -
こちらは各国の軍服などを展示している部屋。
小学校の社会科見学なのか、子どもの団体客も多いですね。 -
日本軍の軍服もありました。
装備については、“solid but ourdated”(堅実だが時代遅れ)と評価されています。 -
次の部屋ではもう一つの戦線、アジア・太平洋戦線をクローズアップ。
この地図の解説には“Japanese “comfort houses” in Asia”と書かれていますが、いわゆる“慰安所”のことでしょうか。
日本軍の“戦闘行為”や“占領下の軍政”よりも、こういうところに力点が置かれるなんて、どこかの国のプロパガンダのようにしか見えないですね・・・。
この博物館がヨーロッパにおける第二次世界大戦のスタンダードを記したものだとすれば、日本はもう、ヨーロッパからそういう目でしか見られなくなっているということか・・・。 -
同じ部屋には大東亜共栄圏の標語と旭日旗。
日本軍の所業について、写真などの実物資料が少ない中、こういう象徴的なものをクローズアップしているところ、陰で某国(もしくは日本国内の左派?)の手引きを感じます。
まさしく最初の方の部屋で見た、イタリアやソ連、ドイツのプロパガンダと同じでは??? -
さらにこんな小学生の課題作文のような絵も、日本軍の悪行を表わす資料として使われています・・・。
解説を見ると、数十万人の“comfort women”が、騙されたり誘拐されたりして日本軍のために働かされたとか・・・。 -
その“comfort women”のひとり、金順徳(キムスンドク、1921-2004年)さんの証言VTRも隣で延々と流されていました。
これまでは、(ここでは紹介できないような)残虐な写真や当時の資料などで戦争の悲惨さや理不尽さを訴えてきたこの博物館ですが、ここに来て急に展示の雰囲気が変わったなという印象でしかありませんね・・・。 -
続いて展示はヨーロッパ戦線に戻って、ドイツ軍のユダヤ人大量虐殺作戦である“ラインハルト作戦”を表わした図。
ヨーロッパ中のユダヤ人がアウシュヴィッツ・ビルケナウなどの強制絶滅収容所に送られ、ポーランドでは実に、人口の10%にも上る300万人ものポーランド系ユダヤ人が終戦までに殺害されたという・・・。 -
そしてこちらは強制収容所で亡くなったと思われる犠牲者たちの顔写真を集めた部屋。
統計上は数字の積み上げで片付けられてしまう数百万人の犠牲者たちですが、こうしてお顔を拝見すると、それぞれ一人一人にその人だけの人生があったのだと、改めて尊い気持ちにさせられますね・・・。 -
ヨーロッパ戦線も終盤、東部戦線では1943年2月のスターリングラードの戦い、西部戦線では1944年6月のノルマンディー上陸作戦以降の連合国軍の反撃を表わした地図。
最終的には1945年4月30日に追い詰められたヒトラーが自殺、5月2日にベルリンが陥落し、ヨーロッパにおける第二次世界大戦は終結することとなります。 -
第二次世界大戦で破壊された街並みを表現した部屋。
いつの時代も戦争の後に残るのは荒廃した市街だけ・・・。 -
最後に、この大戦で人類史上最初に原子爆弾の被害を受けた広島の展示がありました。
枢軸国側ながら、原子爆弾による被害は人類共通の負の遺産と認識されているのですね。 -
天井からぶら下げられているのは、広島型原子爆弾のリトルボーイ。
-
1945年8月6日の原子爆弾投下時の高熱でひしゃげた容器類。
解説板によると、この爆弾の爆発は、7万人から9万人(市の人口の3割)を死に至らしめたという・・・。
あわせて、3日後の8月9日に続けて原爆を投下された長崎への言及もありました。
・・・以上で第二次世界大戦博物館の見学を終了。
ざっと流しで見て1時間30分、通説というか、教科書で習ったとおりのことしか展示がなく、自分にとって新たな発見はなかったなというのが率直な感想です。
“第二次世界大戦”という人類最大の厄災についての評価はすでに固まっていて、新たな説を持ち出そうとすると“歴史修正主義”と言われてしまうんだろうな・・・。
ソ連や東欧共産主義は崩壊しても、米国を中心とする国際連合は存続していて、まだまだ世界が第二次世界大戦の戦勝国の秩序で固まっていることの証なのかもしれませんね。 -
16時30分、博物館を出ると雨はやや小降りになっていて、モトワヴァ運河沿いをグダンスクの最後の記念にぶらぶら。
第二次世界大戦発生の地のグダンスクですが、現在はヨーロッパ人が集まる大観光地となり、景色はどこを見ても穏やかで、まさに平和そのものです。 -
向こうに見える上部が出っ張った奇妙な形をした建物は、貿易船の荷物の積み降ろしに使ったと言われる、木造のクレーン。
グダンスクは第二次世界大戦期の悲惨な歴史ばかりでなく、ハンザ同盟の一員として海洋貿易で栄えていた時代の黄金の歴史があったのですよね。グダンスク クレーン 建造物
-
木造クレーンの近くの空き地に野ざらしで展示されていたこちらは、この地方がキリスト教化される前に住んでいた古プロイセン人の造った石像群。
ドイツ人の新プロイセン公国の伸張とともに近代には滅んでしまった彼らは、一体どんな宗教観を持っていたのでしょうか。 -
・・・運河沿いをぶらぶらしているうちにトルンへ向かう電車の時間が近くなってきたので、そろそろ荷物を取りに宿に戻ります。
クレーンのある建物の真ん中の通路を通り抜け、いそいそと宿へ。 -
通りの向こう側、巨大な聖母マリア教会の手前にチラリと見える明るい色の建物は王室礼拝堂。
何か人を魅きつける不思議な存在感を放っている建物ですが、内部は残念ながら見学不可。
次の目的地への出発が迫っているこの時間ではどうしようもないですけどね(笑)。王室礼拝堂 寺院・教会
-
宿で荷物をピックアップして駅へ向かう道すがら、途中の橋にはこんな南京錠の束が。
市民にとっては迷惑かもしれませんが、旅行者にとってグダンスクは、きっと再訪したくなるようないい街ということなのでしょう。 -
さて、駅に着いて17時48分発のトルン行きの電車を待っていたら、同じホームにいた現地の女性から日本語で話しかけられびっくり。
その女性によると、昔日本人男性と結婚して日本に住んでいたとのことで、わたしの読んでいた地球の歩き方を見て日本を思い出したとのこと。
その女性の乗る電車の方が早く来て、会話は少しで終わってしまいましたが、こんな不思議な出会いもあるものだとしみじみ・・・。グダンスク本駅 駅
-
わたしの乗る電車の方は出発時刻を過ぎても到着せず、違う行き先の電車がホームにやってきます・・・。
もしかして別のホームから既に出発してしまったかとかなり焦りましたが、遅れること15分、18時03分に予約していたトルン行きの電車が到着。
ふう・・・この日はもうトルンにたどり着けないかと、この旅でいちばん冷や汗をかいた出来事でした(笑)。
ガラガラの電車に乗って心を落ち着かせ、新たな街トルンの観光に備えることとします・・・。
(ポーランド旅行4日目終盤~トルン観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 川岸 町子さん 2020/01/05 22:08:29
- 見る人に問いかけること
- エンリケさん、おばんでした☆
心に響く旅行記でした。
さすが幅広い知識をお持ちの上で、こちらの博物館を分かりやすく伝えて下さいました。
「いかにも軍靴の音が鳴り響いてきそうな映像」仰る通りの表現ですね!
第二次世界大戦に関わった様々な国が登場し、わかっていても、こうして拝見すると「うーん」と言葉を失ってしまいます。
「強制収容所で亡くなったと思われる犠牲者たちの顔写真」こちらはポーランドにどれほどあるのでしょう。一人一人のかけがえのない命が、見る人に問いかけているのかもしれません…。
日本に関しては「慰安所」の展示があり、一方で広島の原爆の展示もあり、複雑です…。アジア人はエンリケさんお一人とのことでしたが、博物館を出た後に子ども達を含む見学者は、日本をどのように思うのでしょうね。
私の父が亡くなった後、叔父が一枚の写真を見せてくれました。
そこには正装した幼い父の姿があり、背景には日の丸が沢山掲げられています。親族が出兵するため、見送りに行く日だったそうです。なぜ自分が正装させられているのかわからないほど、父はまだ幼い頃でした。拝見しながら、その写真を思い出しました。ありがとうございます。
グダンスクへ行く機会があれば、こちらの博物館へ火曜日に(笑)訪れたいと思います。
町子
- エンリケさん からの返信 2020/01/06 01:27:50
- 博物館自体がプロパガンダ・・・
- 川岸 町子さん
こんばんは。
新年早々、ポーランドの旅行記にご訪問いただきありがとうございます。
新年にしてはちょっと重い内容の旅行記でしたが、米国とイランの対立による第三次世界大戦の可能性が話題になっている中でしたので、あえて掲載させていただきました。
> 「強制収容所で亡くなったと思われる犠牲者たちの顔写真」こちらはポーランドにどれほどあるのでしょう。一人一人のかけがえのない命が、見る人に問いかけているのかもしれません…。
こういった写真は、この後、アウシュヴィッツでも目にしました。
日本の靖国神社でもそうですが、顔の見える写真が人間ひとりひとりを尊重することにつながり、無益な戦争を抑止する力になればと思います。
> 日本に関しては「慰安所」の展示があり、一方で広島の原爆の展示もあり、複雑です…。アジア人はエンリケさんお一人とのことでしたが、博物館を出た後に子ども達を含む見学者は、日本をどのように思うのでしょうね。
日本軍の所業については、満州国はおろかアジア各地での戦闘行為や軍政の記録がほとんどなく、“慰安所”関係が異様にクローズアップされていて(しかも資料は旅行記に掲載したような後付けのもの)、かなり偏った展示だなと思いました。
南京事件の展示の方はなかったところを見ると、やはり某国が裏で手を引いているようですね・・・。
> 私の父が亡くなった後、叔父が一枚の写真を見せてくれました。
> そこには正装した幼い父の姿があり、背景には日の丸が沢山掲げられています。親族が出兵するため、見送りに行く日だったそうです。なぜ自分が正装させられているのかわからないほど、父はまだ幼い頃でした。拝見しながら、その写真を思い出しました。
この博物館の軍服を着た少年たちの写真の解説には、“子どものうちから軍国主義思想と天皇に対する自己犠牲を叩き込まれた”とありましたが、やはり一面的なものの見方ですよね。
天皇云々よりも、純粋に“出征する親族の無事を祈って”の方が、より自然な感情なのではないかと思います。
> グダンスクへ行く機会があれば、こちらの博物館へ火曜日に(笑)訪れたいと思います。
ポーランドは曜日によって博物館に無料の日があるのが嬉しい反面、その日を狙って多くの観光客が押しかけ、激混みしてしまうのが、見どころを効率的に回りたい短期のトラベラーにとっては悩ましいところ・・・。
グダンスク、街の規模にしては意外なほど多くの旅行者が集まる大観光地ですので、くれぐれもお気を付けください!
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