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王の道(Trakt Krolewski / Der Koenigsweg)<br /><br /> 王宮広場からクラコフス・プシェドミエシチェ通(Krakowskie Przedmiescie/クラコフ郊外通)そしてノヴィ・シフィアト通( Nowy Swiat 新世界通)を散策。ワルシャワの最も代表的な歴史的な通り。<br />

ポーランド紀行 Nr.10 / Warszawa 王の道:王宮広場からクラコフ郊外通~新世界通迄

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2019/06/19 - 2019/06/26

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Berg Heil

Berg Heilさん

王の道(Trakt Krolewski / Der Koenigsweg)

王宮広場からクラコフス・プシェドミエシチェ通(Krakowskie Przedmiescie/クラコフ郊外通)そしてノヴィ・シフィアト通( Nowy Swiat 新世界通)を散策。ワルシャワの最も代表的な歴史的な通り。

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
タクシー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 新世界通 (Nowy Swiat / Neue Welt Strasse)<br /><br />17世紀中期にこの地区が開拓されてこの名前が付けられた。18世紀に早々と建物が並んだこの通りは既に舗装され、ポーランド王国時代には新古典主義様式で煉瓦造りの2階建ての住宅が建てられた。19世紀後半になると多くの店やカッフェ等が並びワルシャワの最も賑やかな通りたなった。今次大戦で完全に破壊されるも、昔の建物のファサードが復元された。

    新世界通 (Nowy Swiat / Neue Welt Strasse)

    17世紀中期にこの地区が開拓されてこの名前が付けられた。18世紀に早々と建物が並んだこの通りは既に舗装され、ポーランド王国時代には新古典主義様式で煉瓦造りの2階建ての住宅が建てられた。19世紀後半になると多くの店やカッフェ等が並びワルシャワの最も賑やかな通りたなった。今次大戦で完全に破壊されるも、昔の建物のファサードが復元された。

  • Adam Mickiewicza  アダム・ミキエヴィッチ(1798~1855)<br />ポーランドで最も有名なロマン主義の詩人 ・政治活動家 1898年 生誕100周年記念で除幕。ポーランド立件王国としてポーランドを支配するロシア帝国からの独立を目指す若者に依る政治地下活動組織の共同設立者の一人。ショパンが彼が病気の時訪れ、ピアノ演奏をして彼の心を癒したという。<br /><br />日本語訳 「パン・タデウシェ」「ソネット集」「バエラードとロマンス」<br />

    Adam Mickiewicza アダム・ミキエヴィッチ(1798~1855)
    ポーランドで最も有名なロマン主義の詩人 ・政治活動家 1898年 生誕100周年記念で除幕。ポーランド立件王国としてポーランドを支配するロシア帝国からの独立を目指す若者に依る政治地下活動組織の共同設立者の一人。ショパンが彼が病気の時訪れ、ピアノ演奏をして彼の心を癒したという。

    日本語訳 「パン・タデウシェ」「ソネット集」「バエラードとロマンス」

  • Die Karmeliterkirche zur Himmelfahrt St.Mariae und St.Josef .<br />(聖マリア被昇天と聖ジョセフの為のカルメル会修道士教会(カトリック)<br /><br />1661~1681年 ヴワディスワス4世の命で建立されたカルメル会のバロック様式。正面ファサードは新古典主義で1762~1780年に建設。

    Die Karmeliterkirche zur Himmelfahrt St.Mariae und St.Josef .
    (聖マリア被昇天と聖ジョセフの為のカルメル会修道士教会(カトリック)

    1661~1681年 ヴワディスワス4世の命で建立されたカルメル会のバロック様式。正面ファサードは新古典主義で1762~1780年に建設。

  • 大統領官邸 <br />1643~1645年建設 17世紀末から1817年迄貴族ラジヴィウ家の邸宅。何度かの増改築の後、ポーランド会議王国が購入、1818~1819年新古典主義となる。1994年から大統領官邸。

    大統領官邸 
    1643~1645年建設 17世紀末から1817年迄貴族ラジヴィウ家の邸宅。何度かの増改築の後、ポーランド会議王国が購入、1818~1819年新古典主義となる。1994年から大統領官邸。

  • Fuerst Jozef Poniatowski ヨーゼフ・ポニャトフスキー大公 (1763~1813)<br />ポーランドの愛国軍人 オーストリア士官として勤務 1789年帰国 1792、1794、対ロシア帝国の指揮官として奮戦。1806年 ナポレオン1世に依るワルシャワ公国建設に協力 公国軍司令官。1813年ライプチッヒの戦いでナポレオンに協力、戦死。<br /><br />※ ライプチッヒの戦い(諸国民戦争)1813年10月 プロイセン オーストリア ロシアの連合軍がナポレオンを破った戦い。<br />

    Fuerst Jozef Poniatowski ヨーゼフ・ポニャトフスキー大公 (1763~1813)
    ポーランドの愛国軍人 オーストリア士官として勤務 1789年帰国 1792、1794、対ロシア帝国の指揮官として奮戦。1806年 ナポレオン1世に依るワルシャワ公国建設に協力 公国軍司令官。1813年ライプチッヒの戦いでナポレオンに協力、戦死。

    ※ ライプチッヒの戦い(諸国民戦争)1813年10月 プロイセン オーストリア ロシアの連合軍がナポレオンを破った戦い。

  • 何か大統領官邸で式典があるらしく 兵隊がやってきた。

    何か大統領官邸で式典があるらしく 兵隊がやってきた。

  • ステファン・ヴィシニスキー枢機卿 Stefana Wyszyniskiego<br /><br />1948~1981年 ポーランド首席大司教 

    ステファン・ヴィシニスキー枢機卿 Stefana Wyszyniskiego

    1948~1981年 ポーランド首席大司教 

  • Die Klosterkirche der Visitandinnen (聖母訪問会の修道院教会)<br />1725~1768年建立 晩期バロック様式 全ての戦争から無傷で残りり、<br />ワルシャワで最も貴重な宗教史跡の一つ。<br />

    Die Klosterkirche der Visitandinnen (聖母訪問会の修道院教会)
    1725~1768年建立 晩期バロック様式 全ての戦争から無傷で残りり、
    ワルシャワで最も貴重な宗教史跡の一つ。

  • ワルシャワ大学 Uniwersytet Warszawski / Warshauer Unversitaet<br />1816年 法律 経営学校と医学校は合併され創立。<br />正門はネオバロック様式

    ワルシャワ大学 Uniwersytet Warszawski / Warshauer Unversitaet
    1816年 法律 経営学校と医学校は合併され創立。
    正門はネオバロック様式

  • 1831年 ロシア政府に依って閉鎖。しかし大学は1862~1869年 中央学校として名称が変更 1869年 ロシア語で全ての講義を行うロシア皇帝のワルシャワ大学として再開。現存のワルシャワ大学は1915年から活動。キャンバスには幾つかの歴史的建物がある。

    1831年 ロシア政府に依って閉鎖。しかし大学は1862~1869年 中央学校として名称が変更 1869年 ロシア語で全ての講義を行うロシア皇帝のワルシャワ大学として再開。現存のワルシャワ大学は1915年から活動。キャンバスには幾つかの歴史的建物がある。

  • スタシッツ宮殿 (Patac Staszica / Der Staszic Palast) 晩期古典主義様式   王立学術教会として1820~1823年に建設 ワルシャワ蜂起の時破壊 焼き払われるも1949年復元 現在ポーランド科学アカデミーの事務所 図書館 記録保管所として使用。

    スタシッツ宮殿 (Patac Staszica / Der Staszic Palast) 晩期古典主義様式   王立学術教会として1820~1823年に建設 ワルシャワ蜂起の時破壊 焼き払われるも1949年復元 現在ポーランド科学アカデミーの事務所 図書館 記録保管所として使用。

  • コペルニクス Mikotaja Kopernika / Nikolaus Kopernikus (1473~1543)<br /> 天文学者 1543年地動説を発表 これはキリスト教世界観の大転換を要請するもの。他に医学、神学、にも優れ 貨幣制度の経済学的研究も開拓 又ドイツ騎士団に反対しプロイセンとポーランドの同盟政策を提唱した。<br />

    コペルニクス Mikotaja Kopernika / Nikolaus Kopernikus (1473~1543)
    天文学者 1543年地動説を発表 これはキリスト教世界観の大転換を要請するもの。他に医学、神学、にも優れ 貨幣制度の経済学的研究も開拓 又ドイツ騎士団に反対しプロイセンとポーランドの同盟政策を提唱した。

  • 聖十字架教会 Kosciot sw Krzyza / Die Heilige Kirche <br />1682~1696年 バロック様式で建立 後に二つの塔を持つ Fassade(建物の正面)が付け加えられた。19世紀中期には聖体拝領台の上に救世主の十字架の彫像が設置された。<br />

    聖十字架教会 Kosciot sw Krzyza / Die Heilige Kirche
    1682~1696年 バロック様式で建立 後に二つの塔を持つ Fassade(建物の正面)が付け加えられた。19世紀中期には聖体拝領台の上に救世主の十字架の彫像が設置された。

  • 中に入るとミサが行われていた。十数人のミサで祈りをささげる人達はやはり老人がほとんど。それでもカトリックのミサはそれなりに荘厳である。司祭が両手を広げ何やら祈ると本当に神様が降りてくるような気分になる。これも昔からの宗教的演出かも?(無信心者の戯言 ご容赦) それでも大学時代は大学のチャペルでの祈祷会には何度か参加していたのだが、プロテスタントの雰囲気とは全く違う。

    中に入るとミサが行われていた。十数人のミサで祈りをささげる人達はやはり老人がほとんど。それでもカトリックのミサはそれなりに荘厳である。司祭が両手を広げ何やら祈ると本当に神様が降りてくるような気分になる。これも昔からの宗教的演出かも?(無信心者の戯言 ご容赦) それでも大学時代は大学のチャペルでの祈祷会には何度か参加していたのだが、プロテスタントの雰囲気とは全く違う。

  • こちらも神妙に後ろの席に腰掛け、しばしキリスト教徒の気分になって司祭の説教と祈りの言葉を聞いていた。当然の事ながらポーランド語では「馬の耳に念仏」である事は言うまでもない。

    こちらも神妙に後ろの席に腰掛け、しばしキリスト教徒の気分になって司祭の説教と祈りの言葉を聞いていた。当然の事ながらポーランド語では「馬の耳に念仏」である事は言うまでもない。

  • ショパンの心臓の安置された壺が埋め込まれている。

    ショパンの心臓の安置された壺が埋め込まれている。

  • ショパン博物館 (ショパン音楽アカデミー/ Uniwersytet Muzyczny im fryderyka Chopina : Fr.Chopin Gesellsahft)<br />かっての Ostroski 家の城(Das Schloss der Familie Ostogski)<br />

    ショパン博物館 (ショパン音楽アカデミー/ Uniwersytet Muzyczny im fryderyka Chopina : Fr.Chopin Gesellsahft)
    かっての Ostroski 家の城(Das Schloss der Familie Ostogski)

  • チケット売り場はこのテラスの下。正面ドアのところに中年の日本人男性が来場者の世話をやいていた。どういう方ですかと尋ねたら、ワルシャワでガイドをしている由。

    チケット売り場はこのテラスの下。正面ドアのところに中年の日本人男性が来場者の世話をやいていた。どういう方ですかと尋ねたら、ワルシャワでガイドをしている由。

  • ショパン博物館のパンフレット (英語版)<br /><br />ショパンについては(音楽全体も)詳しくないのでコメントはパス。

    ショパン博物館のパンフレット (英語版)

    ショパンについては(音楽全体も)詳しくないのでコメントはパス。

  • 入場券カード(プラスチックのクレジットカードと同じ)<br /><br /><br />

    入場券カード(プラスチックのクレジットカードと同じ)


  • 入場券の裏面<br />記念にと持ち帰ったところ、裏面をよく見たら、次の様に書かれていた。<br /><br />please use your ticket to explore the content.                                            please return the card at the end of your visit.<br /><br />という事はこのカードはお返ししなければならないものらしい。ところが全く気ずかずに持ち帰ってしまった。それほど高価なものでもないし、航空便で郵送するのも面倒なのでそのまま勝手に記念に頂いて置くことにした。ご容赦あれ!!<br /><br />実は2004年にカミサンとウイーンとミュンヘンに行った事があった。その時ミュンヘンのホテルの昔風の部屋の鍵をコートのポケットに入れてそのまま帰国した事があり、慌てて謝罪の一筆を書いて航空便で送った事があった。(粗忽は我が家の家風!!)<br />

    入場券の裏面
    記念にと持ち帰ったところ、裏面をよく見たら、次の様に書かれていた。

    please use your ticket to explore the content. please return the card at the end of your visit.

    という事はこのカードはお返ししなければならないものらしい。ところが全く気ずかずに持ち帰ってしまった。それほど高価なものでもないし、航空便で郵送するのも面倒なのでそのまま勝手に記念に頂いて置くことにした。ご容赦あれ!!

    実は2004年にカミサンとウイーンとミュンヘンに行った事があった。その時ミュンヘンのホテルの昔風の部屋の鍵をコートのポケットに入れてそのまま帰国した事があり、慌てて謝罪の一筆を書いて航空便で送った事があった。(粗忽は我が家の家風!!)

  • ミュウジアムショップには沢山のショパンのCDが売られていたので2枚記念に購入。

    ミュウジアムショップには沢山のショパンのCDが売られていたので2枚記念に購入。

  • The Paris Salon<br /><br />

    The Paris Salon

  • Chopin&#39;s last Piano.

    Chopin's last Piano.

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