2019/04/25 - 2019/04/30
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kaoluさん
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2019年のGWは超大型。巷では「どこ行く?」という会話が早くから聞こえていたけど、なかなか決まらなかった私。
年始年末台湾で過ごし、もう一度行きたい病もあったので台湾に決定!今回はまだ未踏の南東部も含めて楽しんできました。
4月25日 諸般の事情でこの日の大阪からが私の旅のスタート。
自宅で一泊。
4月26日 夜便だけれども、フライングでGWスタート。この日は高雄に到着したら寝るだけでした。
4月27日 午前中は用事を済ませた後、橋頭へ。シュガートレインに乗ったり楽しみました。
★ 午後は橋頭火車站から台南へ。駆け足で台南を楽しみました。
4月28日 乗り鉄を楽しんで台東へ。
東河包子は食すこことできず。(涙)三仙台を観光後、夕食、散策で一日終了。
4月29日 台東から高雄に戻る。
が、お目当てのもの入手できず・・昼ビール。お土産は夢時代購物中心で。
明朝も早いので、さっさと寝ます。
4月30日 平成最後の日、無事帰国。
さて、いつ中身は完成する?
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林百貨店を後に、やってきたのはこちらです。
赤崁樓(せきかんろう)(せきかんろう)という場所。
林百貨店からは徒歩のルートでした。
せっかく台南にきてるんだから、少しは見学しないとね。 -
敷地中に入るには入場料が必要でした。
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とりあえず買ってみました。
実は、私が着いたとき観光バスが到着してわちゃわちゃとお客さんが降りてきて、なんだかグループに混ぜられそうだったんですけど。
でも、そのグループはどう見ても・・たぶん・・オランダ人のグループ。
英語とドイツ語が混じったような言語が聞こえてきました。
まあ、こんなところを旅程に組んであるんですからね。 -
敷地に入ると、すぐにあるのが日本庭園のように鯉が泳いでいる池と太鼓橋。
まあ、その景色はもしかするとこっちがルーツ?
赤崁樓というのは、本土から移住してきた漢民族と対立していたこのあたりに勢力を伸ばしていたオランダ人が、 1653年建てた建物で、商業行政の中心地だったようです。
詳細はこちら
https://culture.tainan.gov.tw/historic/form/index-1.php?m2=171&id=633 -
お目当ての建物は、結構高いところに聳えています、。
下からのぞいたかのご一行さんの半分は、「あたしは登らない」と放棄してました -
たしかに胸をつくような階段をのぼると建物があります。
昔の建物は、地震があったりしてなくなってしまっているそうです。
こちらは近年修復されていますが、たぶん日本統治時代に建てられたものを再現してるのかな?
海神廟と文昌閣、五子祠が修復されているらしいです。 -
海神廟のなかは、やはり海の神様あて・・どうかは知りませんが、海に関係するものが展示されています。
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わかりにくいですが、下の層の屋根先の飾りはまるで波のようです。
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かつての台南の地図・・でしょう。
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上から、さっき入ってきた門の方角をみてみました。
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あちらは隣の建物。五子祠だとおもいます。
屋根の上には波がいっぱい。 -
なかなかなデザインです。
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ここにもついています。
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オランダ支配時代の建物の復元模型だとおもいます。
今とは全然姿はちがいますが、高い土台はかわりませんね。 -
オランダ支配から台湾を救い出した?鄭成功。
彼は確か日本の平戸生まれ、お母さんは日本人だったと記憶しています。
ただし、台湾の原住民の血筋ではなかったと。。。だからちょっと複雑な表現になってしまいました。 -
これが、昔のオリジナルでしょうか?
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建物自体は、19世紀後半に再建されるまでは、破壊が激しかったそうですから、それ以降のものかもしれません。
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こちらは、さっきのお隣の建物の下です。文昌閣とありますね。
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なかには神様?は祭られていました。
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「五文昌興魁星信仰」とあります。
五文昌とは、一文昌帝君・魁星・朱衣神・呂祖・関帝のことを指すそうで、いわゆる学問の神様よいうことですよね。
そのなかの魁星を祭ったということですね。
魁星とは文運をつかさどる星らしく、試験で一番に合格する・・ことをかなえてくれる神様のようです。
日本で言ったら菅原道真ですかね。 -
ということで、絵馬・・というかは疑問ですが、願い事を書いたお札がいっぱいかかってました。
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なかなか手の込んだ梁の飾りですね。
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こちらはさっきまでいた海神廟です・そろそろ明かりがともってきました。
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魁星さま、もう手遅れかもしれませんが・・・よろしくお願いします。
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さあ、暗くならないうちに・・
こちらは、そもそものオランダ統治時代につくられた土塁のあとのようで、アーチ型をしていました。 -
このあたりのレンガはそのままということですね。
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こんな構造の一部だそうです。
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あとは、蓬壺書院の後、と呼ばれる建物があり、アカデミックの書が展示してあるようでしたが、中には入りませんでした。
多分日本統治時代は医院として利用された場所だと思います。
先ほどの2つ建物の土台の下には、石碑が。
当時の遺物でしょうか。 -
ちょっと離れてみるとこんな感じです。
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土台の下も、やはり年代によって色が違っているようでした。
そして、ここがオリジナルの入り口だったようです。 -
1653年ころのオリジナルと書かれていますね。
このころ日本では近松門左衛門が活躍していた・・ということらしいです。 -
一通り駆け足で見物終了。
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あの、いかにも中国風な門をくぐっ庭園にでます。
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ライトアップされた池には鯉がうじゃうや。
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高雄に戻らなければいけないので、バスに乗って駅に向かいました。
結構混んでます。 -
ちょっと大回りをするルートだったかな?歩いたほうが早かったかも・・と思いながらもつかれていたので何とか座れてよかったです。
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さて、高雄に戻る電車は・・とりあえず「潮州」行ですね。
と、ここで西洋人?インド系?のカップルに声をかけられて、どの列車に乗ればよいかと尋ねられたのですが・・・彼らが示すのは「横文字表記の地名」。つまり北京語の発音なので、私にはわかりません。私たち日本人は漢字で識別してしまっているので、発音なんてきにしたことなかったのです。
だから、ごめんなさい、わからない・・とお断りしてしまいました。
大都市だったら声に出せばわかるけど・・それ以外はおてあげです。 -
あちらは反対方向。
そこそこ混んできました。 -
やってきた列車に乗ります。
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集集通過・・じゃなくポスターでした。
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途中で車掌さんの検察がありました。
私はカードで入っていたので切符がないのでどうしよう・・とおもったけれど、カードリーダーのような機械をもっていたのでOKでした。 -
無事高雄の駅到着。
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今日は疲れたので、駅の7-11でお弁当を買って帰りました。
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これが今晩の夕飯。
ちょっとさびしいけど・・外に出る元気は残ってませんでした。 -
日本の番組もはいりますが、海外でどのように報道されているかも気になったのでCNNをつけてみました。
平成天皇の最後のお勤めかな? -
そうそう、びっくりしたのは、今朝、高雄の郵便局から送った品物が届いたとメッセージを本人から受け取りました。配達場所は南投県です。
多少箱が凹んでいるのはご愛嬌。
土曜日の即日配達にびっくりです。
で、そのまえに、SMSに「配達完了」通知も届いてました。
台湾進んでる~とびっくりです。
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