2017/11/17 - 2017/11/17
271位(同エリア480件中)
ちふゆさん
4時半、セラロンの階段(Escadaria Selaron)で折り返し。この辺りは階段以外は水道橋の辺りも含めて、治安がよくないと云う記事も多く、歩くのに気を遣う。特に何もなくて良かった。階段から東北へ進み、リオセントロを南北に貫くメイン・ストリートのリオブランコ通り(Avenida Rio Branco)まで出て、北に進むと市立劇場(Theatro Municipal)が見えて来る。階段からは10分余り。劇場の手前のフロリアーノ広場(Praca Floriano)で、ブラジルのコンセント用のUSBプラグを安く売ってたので購入。ブラジルには結構いろいろな形のコンセントがあり、その中で受け口が六角形に凹んでいるものには、私が持ってた変換アダプタでは奥までさせずに、違う形のコンセントしか使えないのでちょっと不便していた。まあ、もうブラジルは長くないのだが、これから行く国でも同じようなものがあるかと思って購入。ただ、ブラジル出てからは1回も使ったことがない・・・
さて、パリのオペラ座(l'Opera)をモデルにしている折衷様式の市立劇場は1909年に開場したもの。ブラジル内外のバレーや音楽、オペラの一流アーティストの公演が行われている。10年に約1年半の改修工事が終わり、開館当時の姿が復元された。リオブランコ通りを挟んで建つ、新古典主義とフランスルネッサンス様式の特徴を併せ持つ壮麗な建物は国立美術館(Museu Nacional de Belas Artes)(下の写真1)で、1938年開館。
そこから東、サントス・ドゥモン空港(Aeroporto do Rio de Janeiro RJ Santos Dumont)の手前まで進むと国立歴史博物館(Museu Historico Nacional)。白壁に囲まれた柔らかな建物で、1922年に博物館として開館したところ(下の写真2)。この辺りはリオの町の起源とも云えるサンチアゴ(Santiago)要塞があった場所。
さらにそこから北へ進むと11月15日広場(Praca 15 de Novembro)。16世紀から存在する広場だが、現在のように整備されたのは16年のオリンピック前。11月15日はブラジルの共和国宣言が行われた日(1889年)。ここには湾の反対側のニテロイ(Niteroi)などへのフェリーターミナルがある。広場には屋台も出ており、ビールなども売ってるので、ターミナルにトイレがあるのではと探すが見つからない。不思議だ。みんなどうしてるんだ?
11月15日広場、西側には旧大聖堂(Antiga Se)が、南側にはチラデンチス宮殿(Palacio Tiradentes)がある。旧大聖堂はノッサ・セニョーラ・ド・モンテ・ド・カルモ教会(Igreja de Nossa Senhora do Monte do Carmo)と云い、76年にリオデジャネイロ大聖堂が完成するまではリオの大司教座が置かれていたので、旧大聖堂と呼ばれる。1770年に建造された。チラデンチス宮殿は宮殿と呼ばれているが、現在も立法議会が開かれる議会所。正面は西側で、入口に円柱があしらわれ、ギリシャ建築を思わせる外観。1926年に完成したもの。名前はブラジルの自由のために殉死した英雄、ジョアキン・ジョゼ・ダ・シルヴァ・シャヴィエル(Joaquim Jose da Silva Xavier)の別名。宮殿の前の広場で何か集会が開かれており、警官隊も出ていたので、さっさと退散。正直雰囲気怖かった。
さらに北に進む。カンデラリア教会(Igreja de Nossa Senhora da Candelaria)。もともとは17世紀初頭にカンデラリア丸(Candelaria)と云う船で遭難しかけたポルトガル人が1609年、リオに辿り着いた後に、船の中で約束した通りに建てた聖母カンデラリア(Nossa Senhora da Candelaria)を祀った小さな礼拝堂が起源で、リオにおける最初の教会と云われる。現在の教会は1775年に建設が開始され、1811年に完成した。ファサードはバロック(Baroque)様式だが、内装は1878年にネオルネッサンス(Neo-Renaissance)様式に変更された。1993年に教会の援助を受けていた約70人のストリートチルドレン達を警察官を含むグループが襲撃、8人が射殺されたカンデラリア教会虐殺事件(Chacina da Candelaria)の舞台。この事件の生存者の1人が7年後の2000年にバスジャック事件を起こしたこともよく知られており、ドキュメンタリー映画やモデルにした映画も制作されているが、この事件はこの場所とは直接関連はない。
そしてリオ観光最後の目的地のサンベント修道院(Mosteiro de Sao Bento)へ。カンデラリア教会からさらに北に向かい、東西に走るドンジェラルド(Dom Gerardo)通りを少し西に進み、ビルの間の門を入って坂道を登り5時半過ぎようやく到着。6時までオープンなのでギリギリ間に合った感じ。やっとトイレにも行けた。ここは1590年にブラジル北東部の港湾都市バイーア(Bahia)から来たベネディクト修道会(Ordo Sancti Benedicti)が1633年から建設を始め、71年に完成した教会と修道院が一体になった建物。ロココ(Rococo)様式の質素な外観と打って変わって内装はバロック様式で金箔が施されておりムチャ派手(表紙の写真)。いろんな教会を見てるけど、この内装はホンマに凄かったわ。ところで、戻り、坂道の上のビルの入口からエレベータでドンジェラルド通りに戻れる。しまった登りこそ利用したかった。もっと分かり易く案内出してくれたらいいのに・・・
以上でリオの観光を終了し、この日の夕食はカンデラリア教会の近くのカイス・ド・オリエンテ(Cais do Oriente)へ。6時前に到着。ここは1878年に倉庫として建てられたもので、石と煉瓦、クジラの脂で造られている。2001年にレストランとしてオープンし、内部には石積みの壁がそのまま残されている。ビール2本とパスタで86.68R$(約3000円)だったので、ここはちょっと高かったかな。まあ、パスタはうまかった。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.1874084592661556&type=1&l=8a89379cb0
夕食後、10分ほど歩いてメトロのウルグアイアナ(Uruguaiana)駅まで出て、朝乗ったエスタシオ(Estacio)駅へ戻り、7時15分頃、明るいうちにホテルに戻った。この日の歩数は3万歩を越え、この旅でトップ3の歩数を記録した。戻り道からコルコバードの丘(Morro do Corcovado)のキリスト像(Cristo Redentor)が見えた(下の写真3)。気付いてなかったけど、意外と近い感じ。確かに上から見えてたから、こっちからも見えるよなと納得。で、ホテル。朝にも頼んだが、しつこく翌朝のタクシーの手配を頼む。なにしろ会話がほとんど成り立ってないので、念には念。
以上でリオ観光終了。
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