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17年11月16日(木)、5週間の旅の2週間目に入る。この日はまずサンパウロ(Sao Paulo)からリオデジャネイロ((Rio de Janeiro)へ移動。朝6時のホテルの空港シャトルバスで出発。朝食ビュッフェ、早いので最初から無理だと思って、時間聞いてなかったけど、チェックアウトに降りたら、ロビーの横の食堂でこの時間でも食べられたみたい。しまった。<br /><br />問題なくグアルーリョス国際空港(Aeroporto Internacional de Sao Paulo-Guarulhos)に到着。チェックインも問題なく、定刻8時15分、リオデジャネイロに飛び立つ。フライトはサンパウロへ来た時と同じアビアンカ航空(Avianca)だが、ブラジル国内線なのでアビアンカブラジル航空(Avianca Brasil)。98年に石油会社向けの航空タクシー会社として設立され、02年からオーシャンエアー(OceanAir)として定期便を運行開始、10年にブランド変更して現在名となった。なお、この後、最近の話だが、18年末に破産手続きを申請したとのこと。<br /><br />1時間のフライトは順調でほぼ定刻9時15分にリオデジャネイロ、アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港(Aeroporto Internacional do Rio de Janeiro/Galeao -Antonio Carlos Jobim)に到着。市街地の約20㎞北の空港のあるゴベルナドール島(Ilha do Governador)に向かってグアナバラ湾(Baia de Guanabara)を横切り、高度を下げていくと湾の入口に掛かる全長13㎞、世界19位(19/5現在)の長さのリオ・ニテロイ橋(Ponte Rio-Niteroi)、その先にポン・ヂ・アスーカル(Pao de Acucar)がきれいに見えて、ワクワクした(表紙写真)。<br /><br />この空港は1952年開港。85年にサンパウロのグアルーリョス国際空港が開港するまでは、ブラジル唯一の大型ジェット対応空港としてブラジル一のハブ空港だった。90年代にはブラジル経済悪化の影響で稼働率が30%を切ったが、21世紀に入り景気回復や観光客増加、ワールドカップやリオオリンピックの開催もあり16年には年間乗降客数が1500万人となっている。99年にボサノヴァの父とも呼ばれるリオデジャネイロ出身の作曲家アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)に因んで現名称に改称されたが、元々の名称のガレオン(Galeao)あるいはリオデジャネイロ国際空港の方が通りがよい。ガレオンは空港ターミナル近くのビーチの名前(Praia do Galeao)で、17世紀にここで、ポルトガル海軍の144門戦列艦パードリィエテルヌ(Padre Eterno)と云うガレオン船(大型帆走軍艦)が製造されたことからそう呼ばれた。ブラジル空海軍のガレオン基地が併設されており、4000mを越える長い滑走路があり、退避スペースも多く、周辺が入江に囲まれていることから、かつてはアメリカのスペースシャトルの緊急不時着空港の1つに指定されていた。<br /><br />なお、リオには市内中心地にもう一つサントス・ドゥモン空港(Aeroporto Santos Dumont)があり、一部の国内線が運航しており、2つの空港はシャトルバスで結ばれている。<br /><br />これから訪ねるリオデジャネイロ(通称リオ)は人口600万人を越え、ブラジルではサンパウロに次ぐ第2の都市だが、観光都市としてはトップ。16年に第31回夏季オリンピックが開催されたのは記憶に新しい。1960年にブラジリア(Brasilia)に遷都するまではブラジルの首都。また、1808年にナポレオンに本国領土を奪われたポルトガル王室が遷都してからブラジルが独立するまではポルトガルの首都でもあった。<br /><br />カーニバル(Carnaval)で有名。コパカバーナ(Copacabana)、イパネマ(Ipanema)などの世界的に有名な海岸を有し世界3大美港の一つに数えられる。都市周辺の美しい文化的景観は「リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群(Rio de Janeiro: Carioca Landscapes between the Mountain and the Sea)」として、12年に世界遺産リストに登録された。<br /><br />1502年にポルトガル人探検家ガスパール・デ・レモス(Gaspar de Lemos)たちがこの地に到達。湾口が狭まっているため大きな川であると誤認し、発見した月に因みポルトガル語で「Rio de Janeiro=一月の川」と命名し、それがそのまま町の名前となった。彼らは海岸に壁を白く塗った家を建てて住んだので、先住民のトゥピ族(Tupi)は彼ら白人をカリオカ(Carioca;トゥピー・グゥアラニー語(Tupi-Guarani)で白い家の意味)と呼んだ。これが転じてリオっ子を意味するようになった。<br /><br />17世紀までのリオは、砂糖の栽培と製糖工場がある小さな港町にすぎなかったが、18世紀前半に発見された金鉱との新道開通により金やダイヤの積出港として発展、1763年にブラジル植民地の首府となった。上に書いたように1808年から21年まではポルトガルの首都でもあった。22年にブラジル帝国が成立。<br /><br />当初は市街地は現在のセントロ地区(Centro)のみであったが、20世紀に入り南のボタフォゴ地区(Botafogo)やさらに南のコパカバーナへと市街地が延びていった。1960年の首都移転で行政機能は失われたが、多くの公企業や半官半民の企業はリオに本社を置き続けた。リオ港は貨物取扱量でブラジルで3番目の港。<br /><br />気候的には一言でいえば年間通じて温暖。年間平均気温は23℃。犯罪率は残念ながら高い。ブラジルの文化の中心地であり、流行の発信地でもある。フラメンゴ(Flamengo)、ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)、フルミネンセ(Fluminense)、ボタフォゴと云う有名サッカークラブの本拠地でもある。ジーコ(Zico)やラモス(Ramos Ruy)、アヴェランジェ(Joao Havelange)元FIFA会長がリオ出身。その他、元F1ドライバーのネルソン・ピケ(Nelson Piquet Souto Maior)も。神戸市は姉妹都市。<br /><br />空港からはフレスカォン(Frescao)と云うエアコン付きの空港バスで市内へ向かう。特に覚えてないので迷いもせず問題なく乗れたと思う。北部地区にあるノーヴォヒオ(Rodoviaria Novo Rio)と呼ばれる長距離バスターミナルで降りようとしてたのも、問題なく降りる。料金は忘れたが10R$(350円程度)だったと思う。<br /><br />ここまでは順調だったのだが、ここでトラブル。ここからはホテルまで2㎞ほどを歩いて移動なのだが、方向(方角)を見失って、どの道を行けばいいかが分からない。印刷した地図は持っているのだが、道の名前が標識にあるのと合わない。で、しばらく悩んだ挙句、ガソリンスタンドの兄ちゃんに聞く。これまた当然英語は通じないんで大変。で、結構掛かったように思うが、ようやく道が分かりスーツケースをゴロゴロと引きずって暑い中を歩く。途中歩道橋を渡らねばならないところもあり、かなり辛かった。30分以上かかってようやく11時過ぎにホテル到着。この辛かった経験がこの先、私の移動パターンを変えることになるのだが、またそれは改めて。<br /><br />ホテル、そんなに悪いホテルじゃないのだが、全然英語通じない。さすがブラジル。数年前に学会でリオに行った息子が、確かに英語全然通じないと云ってたよなあ。まあ、でも特に問題なくチェックインでき、翌朝の朝食の時間、場所も分かった。予定では洗濯したかったのだが、これは聞くのがめんどくさくなって聞かなかった。近くにコインランドリーがないかと探したが見つからず。後で、とりあえず最低限の衣類は手洗いで済ます。気温が高いので乾くのは問題なかった。外に出たついでに近くにあったハンバーガーショップで昼食。ごく普通のハンバーガー(下の写真)。でも、満足。<br /><br /><br />午後観光に出掛けるが、続く。

ブラジル リオデジャネイロへ(To Rio de Janeiro, Brasil)

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2017/11/16 - 2017/11/16

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旅行記グループ リオデジャネイロ

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ちふゆ

ちふゆさん

17年11月16日(木)、5週間の旅の2週間目に入る。この日はまずサンパウロ(Sao Paulo)からリオデジャネイロ((Rio de Janeiro)へ移動。朝6時のホテルの空港シャトルバスで出発。朝食ビュッフェ、早いので最初から無理だと思って、時間聞いてなかったけど、チェックアウトに降りたら、ロビーの横の食堂でこの時間でも食べられたみたい。しまった。

問題なくグアルーリョス国際空港(Aeroporto Internacional de Sao Paulo-Guarulhos)に到着。チェックインも問題なく、定刻8時15分、リオデジャネイロに飛び立つ。フライトはサンパウロへ来た時と同じアビアンカ航空(Avianca)だが、ブラジル国内線なのでアビアンカブラジル航空(Avianca Brasil)。98年に石油会社向けの航空タクシー会社として設立され、02年からオーシャンエアー(OceanAir)として定期便を運行開始、10年にブランド変更して現在名となった。なお、この後、最近の話だが、18年末に破産手続きを申請したとのこと。

1時間のフライトは順調でほぼ定刻9時15分にリオデジャネイロ、アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港(Aeroporto Internacional do Rio de Janeiro/Galeao -Antonio Carlos Jobim)に到着。市街地の約20㎞北の空港のあるゴベルナドール島(Ilha do Governador)に向かってグアナバラ湾(Baia de Guanabara)を横切り、高度を下げていくと湾の入口に掛かる全長13㎞、世界19位(19/5現在)の長さのリオ・ニテロイ橋(Ponte Rio-Niteroi)、その先にポン・ヂ・アスーカル(Pao de Acucar)がきれいに見えて、ワクワクした(表紙写真)。

この空港は1952年開港。85年にサンパウロのグアルーリョス国際空港が開港するまでは、ブラジル唯一の大型ジェット対応空港としてブラジル一のハブ空港だった。90年代にはブラジル経済悪化の影響で稼働率が30%を切ったが、21世紀に入り景気回復や観光客増加、ワールドカップやリオオリンピックの開催もあり16年には年間乗降客数が1500万人となっている。99年にボサノヴァの父とも呼ばれるリオデジャネイロ出身の作曲家アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)に因んで現名称に改称されたが、元々の名称のガレオン(Galeao)あるいはリオデジャネイロ国際空港の方が通りがよい。ガレオンは空港ターミナル近くのビーチの名前(Praia do Galeao)で、17世紀にここで、ポルトガル海軍の144門戦列艦パードリィエテルヌ(Padre Eterno)と云うガレオン船(大型帆走軍艦)が製造されたことからそう呼ばれた。ブラジル空海軍のガレオン基地が併設されており、4000mを越える長い滑走路があり、退避スペースも多く、周辺が入江に囲まれていることから、かつてはアメリカのスペースシャトルの緊急不時着空港の1つに指定されていた。

なお、リオには市内中心地にもう一つサントス・ドゥモン空港(Aeroporto Santos Dumont)があり、一部の国内線が運航しており、2つの空港はシャトルバスで結ばれている。

これから訪ねるリオデジャネイロ(通称リオ)は人口600万人を越え、ブラジルではサンパウロに次ぐ第2の都市だが、観光都市としてはトップ。16年に第31回夏季オリンピックが開催されたのは記憶に新しい。1960年にブラジリア(Brasilia)に遷都するまではブラジルの首都。また、1808年にナポレオンに本国領土を奪われたポルトガル王室が遷都してからブラジルが独立するまではポルトガルの首都でもあった。

カーニバル(Carnaval)で有名。コパカバーナ(Copacabana)、イパネマ(Ipanema)などの世界的に有名な海岸を有し世界3大美港の一つに数えられる。都市周辺の美しい文化的景観は「リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群(Rio de Janeiro: Carioca Landscapes between the Mountain and the Sea)」として、12年に世界遺産リストに登録された。

1502年にポルトガル人探検家ガスパール・デ・レモス(Gaspar de Lemos)たちがこの地に到達。湾口が狭まっているため大きな川であると誤認し、発見した月に因みポルトガル語で「Rio de Janeiro=一月の川」と命名し、それがそのまま町の名前となった。彼らは海岸に壁を白く塗った家を建てて住んだので、先住民のトゥピ族(Tupi)は彼ら白人をカリオカ(Carioca;トゥピー・グゥアラニー語(Tupi-Guarani)で白い家の意味)と呼んだ。これが転じてリオっ子を意味するようになった。

17世紀までのリオは、砂糖の栽培と製糖工場がある小さな港町にすぎなかったが、18世紀前半に発見された金鉱との新道開通により金やダイヤの積出港として発展、1763年にブラジル植民地の首府となった。上に書いたように1808年から21年まではポルトガルの首都でもあった。22年にブラジル帝国が成立。

当初は市街地は現在のセントロ地区(Centro)のみであったが、20世紀に入り南のボタフォゴ地区(Botafogo)やさらに南のコパカバーナへと市街地が延びていった。1960年の首都移転で行政機能は失われたが、多くの公企業や半官半民の企業はリオに本社を置き続けた。リオ港は貨物取扱量でブラジルで3番目の港。

気候的には一言でいえば年間通じて温暖。年間平均気温は23℃。犯罪率は残念ながら高い。ブラジルの文化の中心地であり、流行の発信地でもある。フラメンゴ(Flamengo)、ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)、フルミネンセ(Fluminense)、ボタフォゴと云う有名サッカークラブの本拠地でもある。ジーコ(Zico)やラモス(Ramos Ruy)、アヴェランジェ(Joao Havelange)元FIFA会長がリオ出身。その他、元F1ドライバーのネルソン・ピケ(Nelson Piquet Souto Maior)も。神戸市は姉妹都市。

空港からはフレスカォン(Frescao)と云うエアコン付きの空港バスで市内へ向かう。特に覚えてないので迷いもせず問題なく乗れたと思う。北部地区にあるノーヴォヒオ(Rodoviaria Novo Rio)と呼ばれる長距離バスターミナルで降りようとしてたのも、問題なく降りる。料金は忘れたが10R$(350円程度)だったと思う。

ここまでは順調だったのだが、ここでトラブル。ここからはホテルまで2㎞ほどを歩いて移動なのだが、方向(方角)を見失って、どの道を行けばいいかが分からない。印刷した地図は持っているのだが、道の名前が標識にあるのと合わない。で、しばらく悩んだ挙句、ガソリンスタンドの兄ちゃんに聞く。これまた当然英語は通じないんで大変。で、結構掛かったように思うが、ようやく道が分かりスーツケースをゴロゴロと引きずって暑い中を歩く。途中歩道橋を渡らねばならないところもあり、かなり辛かった。30分以上かかってようやく11時過ぎにホテル到着。この辛かった経験がこの先、私の移動パターンを変えることになるのだが、またそれは改めて。

ホテル、そんなに悪いホテルじゃないのだが、全然英語通じない。さすがブラジル。数年前に学会でリオに行った息子が、確かに英語全然通じないと云ってたよなあ。まあ、でも特に問題なくチェックインでき、翌朝の朝食の時間、場所も分かった。予定では洗濯したかったのだが、これは聞くのがめんどくさくなって聞かなかった。近くにコインランドリーがないかと探したが見つからず。後で、とりあえず最低限の衣類は手洗いで済ます。気温が高いので乾くのは問題なかった。外に出たついでに近くにあったハンバーガーショップで昼食。ごく普通のハンバーガー(下の写真)。でも、満足。


午後観光に出掛けるが、続く。

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