2019/07/06 - 2019/07/06
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たびたびさん
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今回の二日間の旅は、吉野山の蛙飛び行事がメインなんですが、その前にどこに行きましょうか。奈良県内であれこれ考えましたが、あんまりがっついて回りたくはない今の気分に合う場所がなかなか思いつかない。しかし、そうなると基本に戻った方がいいですよね。つまり、法隆寺とその周辺。久しぶりに聖徳太子に思いを馳せることにしましょうか。前回といっても、もう10年以上も前。ボランティアガイドさんに案内してもらって4時間というコースだったんですが、それでもいろいろ話を聞いているとどんどん盛り上がる。最後、時間が足りなくなってしまって。。そんなことも思い出します。
さて、今回は、前回と違った収穫があるのかないのか。それに、当時からさらに経験を重ねた自分の変化も確かめてみたいというのもありました。
ところで、改めて法隆寺。法隆寺は聖徳太子の思いが詰まった寺。推古天皇の摂政だった聖徳太子は、当時、政治の中心だった飛鳥ではなく、大和川を通じて大和国と河内国とを結ぶ交通の要衝であったこの斑鳩に斑鳩宮を建設します。その理由については、諸説あるようですが、その前に、聖徳太子の略歴をまとめておくと下段の通り。
蘇我氏の勝利によって、ある意味、国内の権力構造は固まったものの、中国では巨大帝国、隋が出現し、朝鮮半島でも新羅との関係が不安定。百済との良好な関係があり、朝鮮半島の足がかり、任那の経営を確保しているとは言え、不確実性が増していく国際情勢を考えれば、わが国でも強力な中央集権型の国家体制を構築し、諸外国に対抗していく必要がありました。つまり、難波から瀬戸内海、大陸に向かってより開かれた斑鳩の地に軸足を移したことは、聖徳太子のこうした危機意識が大きく関係していたのではないかという説。とても、説得力がありますよね。そして、斑鳩宮に隣接して建てられた法隆寺の方は、国家鎮護の精神的な支柱として、国をまとめるための新しい時代の象徴。未来を拓く積極的な役割を担っていたことも容易に想像できるのではないかと思います。
私は、こうした事例を考えるたびに、日本は、例えば鎖国に代表されるような島国の固有で閉鎖的な歴史をイメージされることが多いのですが、実はそうではなくて、海でつながる開かれた海外との関係の中で大きな刺激を受け、その刺激によって歴史や文化が育まれてきている面が大きいと感じます。かつ、さらに面白いのは、日本の特性として、こうした海外からの影響によって、日本的なものがよりはっきりとした「らしさ」を持っていく。言い方を変えると、我々が一番日本的なものと考えるもののほとんどが、その背後に意外なほど濃厚な海外の影響が存在しているんですね。天平時代も、安土桃山時代も明治維新もしかり。私にとって、たぶん、このテーマは、私の旅の最終的な到達点になるのではないか。そんな気持ちも強くなっているこのごろです。
敏達天皇3年(574年)
橘豊日皇子と穴穂部間人皇女との間の第二皇子として誕生。ちなみに、用明天皇の母は、蘇我稲目(蘇我馬子の父)の娘。母、穴穂部間人皇女も蘇我稲目の娘であり、蘇我氏とは強い血縁関係にありました。
用明天皇元年(585年)
父・橘豊日皇子が即位(用明天皇)。
用明天皇2年(587年)
用明天皇、崩御。皇位や仏教の受容を巡る争いで、蘇我氏と物部氏の戦いが勃発。戦いに勝利した蘇我馬子が推す崇峻天皇が即位し、以降、蘇我氏が実権を握ることに。ちなみに、この争いで、聖徳太子は蘇我氏の側に立って戦っています。
<589年 隋の中国統一>
崇峻天皇5年(592年)
蘇我馬子、対立が深まる崇峻天皇を暗殺。推古天皇、即位。聖徳太子は、皇太子に。蘇我馬子とともに推古天皇を補佐する役割となる。
推古天皇2年(594年)
仏教興隆の詔。
推古天皇8年(600年)
百済と連携し、新羅を征討。
推古天皇9年(601年)
斑鳩宮を造営。
推古天皇11年(603年)
冠位十二階を制定。
推古天皇12年(604年)
十七条憲法を制定。
推古天皇15年(607年)
小野妹子を使者とし、随に国書「日出づる処の天子、書を日 没する処の天子に致す、恙なきや」を送る。
推古天皇22年(614年)
最後の遣隋使を派遣。
<618年 唐の建国>
推古天皇30年(622年)
没。享年49。
皇極天皇2年(643年)
蘇我入鹿の襲撃により、聖徳太子の子、山背大兄王、法隆寺で自害。
皇極天皇4年(645年)
大化の改新。蘇我入鹿を暗殺。父、蘇我蝦夷も自害。
天智2年8月(663年)
白村江の戦い。
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法隆寺駅の構内に、小さな観光案内所。
ここでもう一度、大体の位置関係を確認して出発です。 -
ナチュラルベーカリー小麦は、法隆寺駅から商店街に向かってすぐ。外観からしてけっこうな活気を感じます。
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店内も品ぞろえが豊富で、楽しくなるような雰囲気がありますね。朝飯にチーズクリームのパンをいただいて、それをかじりながら歩きます。
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まずは、吉田寺の方に向かうんですが、ビーネンシュトックはその途中。あんまり目立たない小さな洋菓子屋さんです。
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四種類のアイスがあって、マンゴーのアイスをいただきました。あんまり期待していなかったのですが、この濃厚な味わいはなかなかじゃないですか。しっかりした味わいにちょっと驚きました。
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さて、吉田寺の入り口です。こちらは、天智天皇の勅願により創建されたとされる古刹。
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境内に入ると小ぶりですが、
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イチオシ
均整の取れた重要文化財の多宝塔。これがまず目につきますね。
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そして、本堂へ。
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ここは、俗に「ぽっくり寺」。恵心僧都源信がクリの巨木から作ったとされる丈六阿弥陀如来像が奥に鎮座していて、そのオーラがすごい。
本堂内に本尊に向かって木魚を置いた座布団席が何列も並んでいて、これも参詣者の熱い信仰をうかがわせるものでした。朝から、さっそくいいものを見せていただきました。 -
続いては、龍田神社へ。あるちざんは、神社の入口からすぐの大通り沿い。看板が目に入って寄ってみました。
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いただいたのは、イチオシのカレーパン。しっかり油で揚げた香ばしさがいいですね。ただ、カレーの方はおとなしい目。パンチがもう少しあった方が私は好みです。
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この龍田神社は、龍田大社の分霊を祀る神社。
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イチオシ
聖徳太子が法隆寺の建立地を探し求めていた際、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地。私はその守護神となろう」と言われ、この地に法隆寺を建立したと伝わります。
鳥居から眺めると、本殿の半分を覆うように樟の巨木。バランスの取れた美しい構えかなと思います。 -
なお、境内には、能の一派、金剛流発祥之地碑もありました。
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ちょっとマイナーですが、丹後菅神社は、地元の鎮守的な神社でしょうか。個人の住宅みたいな塀で囲まれている境内。鳥をくぐった正面に形ばかりの拝殿。これも住宅に毛の生えたような感じ。その奥に小さな社殿がありました。いわれも何も書いてないので、よくわからない神社です。
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斑鳩大塚古墳は、田んぼの中。道の脇にこんもりとした丸い塚があって、それが古墳。
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直径約35mの円墳で、高さは4m。5世紀前半のものという表示。斜縁二神二獣鏡、四獣形鏡、管玉、刀、筒形銅器、短甲、石釧などが出土したということですが、現場はそんな雰囲気は全くない。これは古墳とは関係ない碑です。
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そして、国史跡藤ノ木古墳に向かいます。
田村みたらし店は、個人住宅のような構えのお店に、1本70円のみたらしだんごの看板が出ていました。 -
声を掛けるとおいちゃんが出てきて、丁寧に団子を焼いてくれます。もっちり系というか少し固めのお団子に味はシンプルなしょうゆ味。これ以上ないシンプルな味わいなんですが、団子の焦げた香りが意外に効いてますね。素朴なお団子です。
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ルートの都合上、まずは、斑鳩文化財センターへ。近くにある国史跡藤ノ木古墳のガイダンスのための施設です。
展示室には、藤ノ木古墳より出土した金銅製の馬具や装身具類、刀剣類などの代表的な副葬品のレプリカの常設展示。係の方が簡単な案内もしてくれるし、藤ノ木古墳の調査にあたった様子を説明するビデオもありました。
藤ノ木古墳を見る前に訪ねたので、早く古墳の方を見たくて急いていたかも。 -
イチオシ
さて、いよいよ、藤ノ木古墳へ。この有名な古墳は、古墳時代の後期、6世紀第4四半期の古墳。径約50m、高さ約9mの円墳で、予想よりも小ぶりな印象かな。周囲はきれいな公園として整備されています。
そして、この古墳は、なんといっても、さきほどガイダンス施設で拝見した金銅製の馬具など一連の出土品が日本の古墳文化研究上価値の高いものとされているのが特徴。豪華な埋葬品からは、大王クラスに次ぐ人物の墓と推測されていて、聖徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子、仏教伝来の欽明天皇の兄、宣化天皇の皇子ともされる宅部皇子や蘇我馬子が暗殺させた第32代崇峻天皇の説なども。 まさに飛鳥時代に至る古代国家成立の時代。日本書紀の時代であり、はるかなロマンが広がります。
ちなみに、東京国立博物館で開催中の「日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」」。最近見てきましたが、藤ノ木古墳の金銅製の馬具も展示されていて、その圧倒的な迫力には改めて目を見張りました。しかし、なんでしょうねえ。埋葬品の豪華さも重要ですが、そこから聖徳太子の時代への繋がりの方がずっと大事。そのあたりの説明が全くなくて、本当にがっかりしました。その説明がなければ、いくら豪華な馬具を見ても見た人の心にはイマイチ響かなかったのではないかと思います。
さらに言うのなら、この特別展では出雲神話の世界と日本書紀の世界の関係も全く触れられていない。そんなものは博物館からすると学術的なものではないとなるんでしょうか。イザナギ、イザナミのイザナギから生まれた三貴子が天照大神であり素戔嗚尊。それと月読。高天原と葦原中国のい関係。国引き、国譲りのことも全くなし。それに触れもせず、何が出雲と大和なのかと申し上げたい。出雲は「幽」大和は「顕」といったもっともらしい説明はありましたが、はっきり言って、そんなマイナーな説明をとってつけたように持ってくるそのセンス。知識も愛情も感じられないひどいもの。企画者の猛省を促したいと思います。
島根のことをもっと正しく理解してもらいたいと思いますので、以下参考まで。
https://4travel.jp/travelogue/11112452
https://4travel.jp/travelogue/11248236 -
石棺に続く入り口があって、ガラス越しにこんな様子が確認できましたが、なかなか現場で想像力を働かせるのは限界があるかな。古墳を見た後にこちらの方がよかったかもしれません。
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藤ノ木古墳から法隆寺に向かう途中は、西里の町並み。
何気ない風景なんですが、もともとは法隆寺を支えた大工集団の本拠地であった場所で、今でも法隆寺を支える人々の生活する集落のよう。高い石垣に囲まれたお屋敷風の住宅もあれば、田舎びた家屋も。奈良の穏やかな原風景をとどめているような気がします。 -
あれが法隆寺の入り口。南大門ももうすぐです。
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松本屋は、法隆寺の門前に建つ食堂兼お土産物屋さん。いくつかの棟が連なっていて、全体としてはかなりの規模。
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ただ、法隆寺に向かって通りの左側なので、少し人通りは少ないかな。遠目で見るだけになってしまう嫌いもあるかもしれません。
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松鼓堂は、法隆寺の参道の松並木沿い。ちょっと雰囲気のある食堂です。
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早めの昼飯ということで、いただいたのは、梅力うどん。うーん、梅の酸っぱい味がそのまんま。というか結局、この出汁は出汁のうまみというのがほとんどないのでは?奈良にうまいものなしという言葉を思い出してしまいました。
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さて、落ち着いたところでいよいよ法隆寺に向かいます。
この南大門は、法隆寺の玄関。参道である松の並木を進むとこの門にたどり着きます。一段高いところに構えた門は、八脚門。柱は12本ですが、通常の門としての左右の2本の柱を除いて前に4本、後ろに4本の8本の控柱があるので八脚門。
よくある四脚門も実際には柱が六本なのと同じ理屈です。 -
現在の門は、1439年(永享11年)の再建。南大門は穏やかな印象ですが、一方で、門から見ると、左右に頑丈な土塀がはるかに伸びていて、印象は一転。塀の構えの雄大さも見事です。
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南大門から中門に向かいますが、この広々とした空間もいいですよね。法隆寺の景色は中門を入った場所ばかりが強調されますが、けっしてそうではないんですよね~
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中門は、入母屋造、本瓦葺の二重門。粘土で塗り固められた塑像の仁王像はかなり古びていますが、作られたのは和銅4年(711年)。これも日本最古といわれます。
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中門は、柱が5本で柱間は4つ。真ん中に柱が来ていてちょっと珍しい。
ちなみに、中門はこうして近づいて眺めると背景の五重塔・金堂が見えません。少し離れたところから見る方がやっぱり法隆寺らしい眺めになると思います。 -
中門の内部に入る前に少しチェックするところがあって。
三経院は、聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈された「三経義疏」 にちなんで付けられた名称。西室の南端部を改造したものです。
建立は鎌倉前期1231年ですが、これも国宝。ぐるりを縁が囲って、奥の方まで伸びているのですが、この奥行きの深さもちょっと特徴的だと思います。 -
西円堂は、西院伽藍北西の小高い場所。ここも有料エリアの外側です。
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八角円堂のお堂は、薬師如来像を安置していて、
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伝承によれば、養老2年(718)に光明皇后の母、橘夫人の発願によって、行基菩薩が建立したもの。
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正面から、金色色の本尊、薬師如来を拝むこともできました。
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さて、これから有料エリアに入ります。
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内側から見る中門から
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イチオシ
すぐに続くのが、お馴染みの五重塔と金堂。互いに個性的なデザインの建物が左右非対称に配置されていますが、全く違和感なく、自然なハーモニー。そう感じるのは何かの法則に則っているはずなんですが、その辺りを是非誰かに科学的に解説してもらいたいものですね。
さて、五重塔は、高さ32.45m。当然、日本最古の塔。各階ごとに独立して組み立てたものを重ねて建てる積み上げ構造で、地震にも強いと言われている所以です。
そして、美しさ。こう見えても、五重目の大きさは実は初層の半分。そのバランスの良さはこの後に建てられた五重塔のお手本とでもいうべき姿。軒を支える雲肘木も優雅です。
また、内部の釈迦の生涯を表した塑像群もみどころ。特に、北側の泣き叫ぶ弟子たちの像「法隆寺の泣き仏」も必見でしょう。 -
もう一方の金堂ですが、入母屋造り二重の瓦屋根は、一見特徴のない建物のように見えて、軒の出がかなり深いので、安定した美しい姿。軒下の垂木や雲斗・雲肘木も快いデザインとなっています。
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内部には、法隆寺の本尊、薬師如来を中心とする釈迦三尊像。聖徳太子の死の翌年。太子の冥福を祈り、太子の等身大で作られたアルカイックスマイルの仏像です。
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イチオシ
ところで、この二つの建物は、どのアングルから見ても絵になるんですよね。あなたは、どこから見た姿がお好みですか。
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イチオシ
自分の美的センスが問われているような気になります。
ちなみに、今回、私はこのアングルが一押しです。 -
そして、これが大講堂。金堂と五重塔の北側。間口九間の大きな建物です。
現在の建物は、正暦元年(990)の再建。この時、回廊を北側に延長して大講堂に接続されました。
講堂は、「法隆寺学問」と呼ばれる仏教の学問を研鑽したり法要を行うのですが、基本は学問のための道場。なお、大講堂の本尊、中央に薬師如来、左に日光菩薩、右に月光菩薩を配した薬師三尊像も国宝です。 -
大講堂から中門を眺めるとこんな感じ。
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あと、法隆寺には、西院と東院に二つの国宝鐘楼があります。西院鐘楼は金堂の後方に経堂と左右対称の配置であり、回廊の一部を構成して、切妻の屋根の地味な感じの建物。
東院鐘楼の方は、伝法堂の隣りの頭でっかちな姿。二つは全く違った印象なので、それも面白いと思います。 -
聖霊院は、西院伽藍の東側に建つ聖徳太子を祀る堂。鎌倉時代の建立です。
聖徳太子の死後、太子信仰が高揚。聖徳太子の尊像を安置するために、東室の南端部を改造し、建てられました。 -
内部には3つの厨子があって、中央の厨子に本尊の聖徳太子の尊像。正面から上がって、中でひと休みするのもありかなと思います。
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これは東室。
桁行十二間、梁間四間。切妻造、本瓦葺の奥に細長い建物です。さっきの聖徳太子を祀る聖霊院は、この建物の南側です。
後世の改造はあっても、基本的には奈良時代の建築物。当時の僧坊建築の遺構であり、国宝です。ただ、外観を外から眺めるだけ。雰囲気を感じるしかありません。 -
続いては大宝蔵殿へ。こちらは、法隆寺の宝物殿。
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それこそ教科書で見たことのある宝物が間近に見られるのは、貴重な体験です。
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中でも有名なのは、宮殿形の玉虫厨子。周囲の金具の下に玉虫の翅があるので知られますが、右側面に描かれた捨身飼虎図は、飢えた虎に自らの体を与えるという釈迦の姿。釈迦が何度も生まれ変わって、厳しい修行を重ねていく姿なんですが、命を懸けて仏法を広めようとする聖徳太子の決意とイメージが重なって、私はこれを見ると毎回胸が熱くなってしまいます。
その他、もう少し加えるとすれば、橘夫人念持仏と伝えられる橘夫人厨子の阿弥陀三尊像。夢違観音のおおらかさもたまりません。 -
東大門は、中ノ門とも。
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西院から東院に向かう途中に建っていて、
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イチオシ
この門を抜けると幅広の石畳の参道。一気に視界が広がって、また違うエリアに入ったことを感じます。
ちなみに、この門は三棟造りという奈良時代を代表する形式。門の前後にそれぞれ屋根があって、その上に大屋根が乗っかる形です。下から屋根裏をみると気が付きます。 -
ここから東院伽藍ですね。
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このエリアは、斑鳩宮の荒廃を嘆いた僧行信が太子の威徳を偲んで上宮王院を創立したもの。平安時代に入って、法隆寺の管理下に入りました。
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西院伽藍に比べると小規模ですが、中心は、本堂である夢殿。二重基壇の上に立つ八角円堂で、中央の厨子には、聖徳太子等身の秘仏、救世観音像が安置されています。
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周囲には回廊が巡り、北側には、この絵殿と舎利殿。
限られた空間ですが、限られた空間である分、私は聖徳太子の匂いが濃いように感じます。 -
裏手に回って、これは伝法堂。
藤原不比等の夫人で、光明皇后の母でもある橘夫人の住居を移転して仏堂に改めたものとされています。切妻造、本瓦葺き、桁行七間、梁間四間。外観ではインパクトは弱いかもしれませんが、実際に貴人が住んでいたことを思うとロマンが広がるような気がします。 -
以上で法隆寺はおしまい。今回は意外にすんなり終わった感じです。
法隆寺から、今度は国指定史跡 中宮寺跡へ。 -
こちらは、現在の中宮寺の東約500mのところ。
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イチオシ
広大な敷地には発掘調査で現れた金堂礎石や塔礎石も見られます。
現在の中宮寺はこじんまりしたものですが、この現場を見ると当初の中宮寺はなかなか大規模。中宮寺は聖徳太子が母穴穂部間人皇后のために建てた寺で、聖徳太子建立七か寺の一つですが、四天王寺式伽藍であったことなど、改めて、その寺が本格的な大寺であったことに驚きます。 -
少し移動して。
上宮遺跡公園は、奈良時代の宮殿クラスの掘立柱建物跡。
平城宮と同文様瓦のほか井戸跡も確認され、称徳天皇が行幸した際に利用されたとされる行宮の飽波宮ではないかとされています。
スタジアムみたいに円形に囲んだ石造りの構築物がちょっと印象的。円墳を表している?どういう意味があるのかちょっと気になりました。 -
さて、ここからは例によってスイーツチェックなどなど。
片岡元清堂は、法隆寺の参道から市街の方に少し入ったところ。 -
何でもないような街の和菓子屋さんだったんですが、
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ここのわらび餅。餡子を包んだタイプなんですが、かなりうまいですねえ。わらび餅は少し固めで、カジュアルな感じ。格式ばったところがない。それで味の決め手は餡子でしょう。けっこうしっかり入った餡子は甘さが強烈でいて、それなのに後を引かない。この甘さは奈良でもたまにあるんですが、特徴的なんですよね~という話をしたら、ご主人いわく。「この砂糖はいわゆる氷砂糖。普通の砂糖より3割高いんですが、でも上用菓子だとこれを使わないと話になりません。京都のお菓子屋さんでも普通に使っていると思いますけどね。」
はあ、そういうことですか。新しい知識をいただいて、ありがとうございました。これまでのモヤモヤが少し晴れたような気がしました。 -
布穀薗は、法隆寺そばの旧北畠男爵邸の長屋門を活用した喫茶店。
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長屋門の裏手に回るとガラス張りに改装されたおしゃれな建物。
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店内も明るくていい感じじゃないですか。
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イチオシ
いただいたのは、おまかせスイーツ。赤い陶器のプレートに乗った三種のスイーツ。まずは、そのビジュアルにちょと衝撃を受けましたね。この赤。沖縄のやちむんとはちょっと違うんですが、それくらい圧倒的なインパクトがありますよね。ただ、今になって思うと、私は、やちむんの清正窯の赤いマグカップを日頃愛用していまして、それに通じる美しさを感じたのかもしれません。
チーズのフロマージュも濃厚。意外に本格的なお店です。 -
なお、旧北畠男爵邸はこうして外観を楽しめます。
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パンカフェ あいておもいは、その向かい側。すぐにパン屋さんとは気が付かなかったんですが、入ってみるとこれはいい。奥の悠々と広い座敷がカフェにもなっていて、これは歩き疲れた後に寛ぐにはもってこい。時間がなかったので、座敷はスルーしましたがすごい隠れ家ですね。
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いただいたのは、イチオシの塩パン。悪くないですが、やっぱりこのお店は座敷でで寛ぐのが一番の価値だったのかなとは思います。
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最後になってしまいましたが、法隆寺iセンターへも寄ってみます。ここは、法隆寺の参道松並木の途中。法隆寺の観光案内所といった位置づけでしょう。
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休憩所も兼ねた内部のゆったりスペースでは、周囲に年表や法隆寺に関する情報満載の説明とか。
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法隆寺関係のビデオ放映も常時行われていて、それを見ながら寛げるのも時間の無駄がなくていいと思います。
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さて、法隆寺駅に戻る途中。
モン・レーブは、大通りに面した洋菓子屋さん。 -
明るい店内には喫茶コーナーもあって、
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購入したプリンをそこで食べさせてもらいました。プルンとしたプリンは悪くないですが、全体としては、まあ、普通かな。店内の明るい雰囲気がウリだと思います。
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田鶴屋も向かう大通り沿いの和菓子屋さん。
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昔ながらのケースにお菓子が陳列されていて、レトロな感じもいいですね。
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いただいたのは、草餅。ひと口いただくと、あれ?これって、お餅の部分にも甘さが仕込んでありますね。一方で、中の餡子もすきっとした甘さで、くどさがない。こんなのありそうでない。チャレンジする老舗といった感じです。
さて、ここからちょっと野暮用がありまして。ここから大阪に向かいます。ということで、いったん、一日目はおしまい。お疲れさまでした。
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この旅行記へのコメント (6)
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- trat baldさん 2020/02/07 06:25:55
- 事態は悪化するばかり。
- 17日のAir Asia で出発予定ですが新型肺炎の流行次第で自粛になるかも、、、、
Ps.アメリカでも今冬のインフルエンザで25000人が亡くなっている様です。
- たびたびさん からの返信 2020/02/07 13:25:38
- RE: 事態は悪化するばかり。
- 新型コロナウイルス、猛威を奮っていますね。国内の旅行でもちょっと心配。人ごみに出るなといわれても、それでは祭りは見れないってこと。早く終息してもらいたいです。
たびたび
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- obuchanさん 2020/02/05 10:13:52
- 学生時代の思い出
- 50年以上前、歴史地理学者を目指していた友人に誘われて飛鳥を旅行しました。多武峰のユースホステルから飛鳥を山から眺めながら歩き回ったときの思い出が甦りました。
最初の印象に感動し、その後一人でも何回か歩きました。友人は初志貫徹し、その道を極め、大学教授になりました。
私は門外漢ですが、遺跡を訪ねることを趣味としています。
ご丁寧な旅行記、ありがとうございました。
- たびたびさん からの返信 2020/02/07 13:14:13
- RE: 学生時代の思い出
- あ〜、そんなこともあるんですね。なるほど。
私は、逆に古代はあまり関心がなかったんですが、それでも古墳周りをしているとそうもいかなくなる。謎の古墳という意味では、群馬と埼玉の古墳の位置づけが謎のまま。だれかスキっとした説明をしてくれないかなあともやもや感が続いています。
たびたび
- obuchanさん からの返信 2020/02/07 18:42:48
- RE: RE: 学生時代の思い出
- > あ〜、そんなこともあるんですね。なるほど。
> 私は、逆に古代はあまり関心がなかったんですが、それでも古墳周りをしているとそうもいかなくなる。謎の古墳という意味では、群馬と埼玉の古墳の位置づけが謎のまま。だれかスキっとした説明をしてくれないかなあともやもや感が続いています。
>
> たびたび
返信ありがとうございました。
実は今日は私の誕生日でして、今は何も無くなってしまいましたが、たびたびさんのメールは素敵なプレゼントのような気がして嬉しかったです。
学生時代の話の続きですが、当時はあの石舞台はオープンになっていて、上に登った記念写真撮りました。
また、良い日記をお願いします。
これからもよろしくお願いします。
- たびたびさん からの返信 2020/02/13 11:18:11
- RE: RE: RE: 学生時代の思い出
- 古代は古代。現代は現代。ただ、日本人はそういうことでもないと思います。やっぱり我々には源流があって、今がある。もし、仏教つながりで興味があれば、これも参考までにいかがでしょうか。
https://4travel.jp/travelogue/11008018
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