2018/12/09 - 2018/12/15
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2018年クリスマスマーケットを求めて南フランスを訪れました。
アルルに連泊して、中日にポンデュガールとアヴィニョンの観光をしました。
ポンデュガールは、ガルドン川に架かる古代ローマの水道橋です。
アヴィニョンは「橋の上で 踊ろよ 踊ろよ」の歌で知られる町です。
「アヴィニョン幽囚(捕囚)」という史実で馴染みがあります。
ローマ法王と対立していたフランスのフィリップ4世が、
法王庁をローマからアヴィニョンに移させた時期をこう呼びます。
その当時アヴィニョンは繁栄した都市だったのです。
その法王庁のあった建物が町の中心に威容を誇っています。
アヴィニョンは夕暮れ時の観光だったので、高台から黄葉した
美しい風景を見ることが出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
午前中にアルルの徒歩観光をして、ローヌ川沿いに北上しています。
本来なら目的地であるポンデュガールへは、ローヌ川から分かれた
ガルドン川に沿って北西に一直線で行かれるのですが、
イベリア航空のフライトキャンセルの影響で日程が今日も狂っています。
昼食をアヴィニョンでとらなければならないため、一旦北上して行き、
昼食後にポンデュガールに向けて西に進路を変更します。
後でもう一度アヴィニョンに来ることを思うと余計な回り道に
頭を抱えてしまいます。
ローヌ川は、流れが速いため土砂の堆積が多く、
河川交通の妨げになっていました。
今でも、この近くにと~っても長い(5kmくらい)
中洲が残っています。
中世、アルルでは大規模な運河を建設して、安全な水運が可能になり、
繁栄しました。 -
ローヌ川越しにヴァラブレーグ(Vallabregues)村が見えます。
観光地ではありませんが、小さくまとまった可愛い村です。
こういう小さな村を散策するのは、とても楽しそうです。
今回のツアーでは、「鷲の巣村」と呼ばれるエズの観光があるので
楽しみです。
また、個人的にサン・ポール・ド・ヴァンスにも行きます。 -
昼食(ラタトゥイユでした)を済ませて、
ポン・デュ・ガールに来ました。
先ずは受付でチケットを購入します。
今回のツアーでは、3層から成る橋の一番上を歩きます。
その時間が指定されているので、ちょっとブラブラしています。 -
チケット売り場のお向かいに博物館があります。
チケットに含まれているので、時間潰しに入ってみます。 -
昔の映画のセットがありました。
中世の衣装に顔を出して記念撮影が出来ます。
ツアーのご夫婦が大喜びでやっていました。
この映画をご存知だったのかもしれません。 -
古代ローマの水道施設は、発展の重要なポイントでした。
都市には上下水道が完備し、町の中には泉が設けられました。
蛇口が人や動物の顔なのは、この頃からの慣習ですね。
ちょっと理解に苦しむ部分です。なぜ口から出すのか? -
古代ローマ時代の土木工事の様子を再現しています。
-
さて、水道橋に向かいましょう。
チケット売り場のあるゲートから、結構歩きます。 -
水道橋は3層から成っていて、長さは下層が142m、中層が242m、上層が275mと上になるほど長くなっています。
-
橋脚部分に、ポツポツと石が飛び出ているのが見えます。
これは、 足場を支えるために使用されたブロックです。 -
ゲートからガルドン川沿いに歩いて来て、橋の手前で階段を上ります。
私たちは最上階を歩くので、あの上まで上るのです。やれやれ。
一番上の石材が途中で無くなっています。
あれは、水道橋が使われなくなってから、
持ち去られてしまったためです。 -
ツアーの人達が撮影していたのはここ。中層と同じ高さに造られた
通路です。
ポン・デュ・ガールは建設当初はアーチのある橋の部分だけでした。
紀元40年から60年に建設された橋は、4世紀には水道橋としての役目を
終えました。
維持管理が大変だったのが主な理由です。
水道管には石灰が沈殿し、植物の堆積や根による破壊などが絶えず、
管理をする労力は相当なものだったようです。
6世紀ごろまでは橋としての役割は続きました。
しかし、狭くて不便なため、18世紀に2層目に隣接して
この橋が付け加えられました。 -
さあ、頂上に辿り着きました。
ポン・デュ・ガールの全体図です。
ポン・デュ・ガールは1985年にユネスコ世界遺産に登録されました。
5ユーロ札の裏側のモチーフにもなっています。 -
さて、この人は誰でしょう?そもそも背後の建物は何?
水道橋は、ここで断ち切られているのです。彼は入り口の管理人です。 -
古代ローマ帝国に憧れていたナポレオン3世は、
1850年にここを訪問し、橋の大規模な修繕をすることにしました。
1855年から3年間で、侵食した石を取り換え、橋脚をコンクリートで補強し、 排水を良くするために橋と水道を分離しました。
一方の端に階段を設置して、 導水管の壁を修復し、
観光客が導水管の中を歩けるようにしたのです。 -
指定時間となり、中に入ります。弧を描く石段を上がって行きます。
-
石段が終わるといきなり吹きさらしの外でした。
もともとはここにも導水管の蓋があったのですが、
持ち去られてしまったので野ざらしです。
あれだけ立派な水道橋なのに、水を通す道はこんなに狭いんですね。
蓋がないお陰で、ここは絶好の撮影ポイントになっています。 -
川の左側が、今通って来た遊歩道です。
-
いよいよ導水管の中に入ります。おお、狭い。
でもよく見ると壁に付着しているのは石灰?
元はもっと広かったようです。 -
光が差し込まなくなるとかなり暗いのですが、
一部蓋がない場所があって天窓代わりになっています。 -
ガルドン川の上流側がこちら。
ポン・デュ・ガールという名前は知っていても、
意外にその意味は知りません。
ポンが橋で、ガールは地名です。「ガールの橋」なんです。
では「ガール」って何?
実はここはガール (Gard)県なんです。県庁所在地はニームです。
ポン・デュ・ガールを通った水は、ニームに届けられました。
ポン・デュ・ガールから北西にあるユゼスにあるフォンテーヌ・デュール (Fontaine d'Eure) の泉から、約50kmかけてニーム (Nimes)に
送られます。
この2つの町の直線距離は20km程度しかないのですが、
間にニーム丘陵地帯、Garrigues de Nimes) があって、
それを迂回するために大きく東回りで水道を引いたのです。
50kmの水道の両端の高低差はわずか17mです。 -
導水管の蓋がなくなって、橋の終わりが近付きました。
振り返ると彼が立っています。あれ?付いて来たの?
蓋なんか持って帰らないよ? -
ここから下流側を見下ろすと、橋の影が長く差していました。
右岸に芝生があります。ここを観客席として、毎年夏の始まりに
「橋の夢景色」ショーが開催されます。
10年ほど前から始まったイベントで、ポン・デュ・ガールが
盛大な光と花火で彩られます。
https://jp.france.fr/ja/occitanie-sud-de-france/article/122217
ポン・デュ・ガールの公式サイトの「文化イベント」のページには、
3Dマッピングで、お花柄になった橋の様子が掲載されています。
http://pontdugard.com/jp/pondeyugaru/wen-hua-ibento
7・8月の夜はライトアップもされています。 -
カスティヨン=デュ=ガル(Castillon-du-Gard)の町が見えます。
-
ポン・デュ・ガールは一方通行の橋で、こちら側からは入れません。
彼は、観光客が来ると一緒にこちら側まで来て、
鍵を閉める役目を持っているのでした。
私たちはお気楽な観光客だから左程寒さは感じませんでしたが、
ずっとこの橋の上にいる彼は寒いのでしょうね。 -
どこの遺跡もそうですが、長い年月の間に訪れた観光客がいたずら書きをして行きます。
-
ポン・デュ・ガールの先は、破壊されていてこんな断片しかありません。
-
更に先はトンネルになっています。
-
さて、階段を降りて中層の通路に向かいます。
-
こんなに近くでポン・デュ・ガールを見られるのは、
やはり上層まで行けたからですね。 -
帰りは、この18世紀に造られた通路を通って行きます。
-
見上げると、工事用の足場だった出っ張りがいっぱい見えます。
なんか登れそう。クライミングの好きな人だったら、
ウズウズしちゃうんじゃないかな?
私ですら、ちょっとウズウズ。 -
通路からガルドン川下流を見ています。
ポン・デュ・ガールを形成する石の大半はおよそ700m下流に位置する地元のエステル (Estel) 石切り場で産出されたものです。
川の左岸のカーブしているところに、ちょっと砂州がありますが、
そのもう少し先に石切り場がありました。 -
ポン・デュ・ガールの構造は、
上層:アーチ35(本来は47)、橋脚の厚さ3m、アーチの高さ7m
中層:アーチ11、橋脚の厚さ4m、アーチの長さ20m
下層:アーチ6、橋脚の厚さ6m、アーチの長さ22m
となっています。
上層のアーチの数が減っているのは、ナポレオン3世による
改修工事のため、削られたからです。 -
下層のアーチです。
あまり目立たない存在ですが、3層ある水道橋で現存するのは
ポン・デュ・ガールだけだそうです。
ここがしっかりしていたから残れたんですね。
下層の橋脚の真上に中層の橋脚が乗っている構造なのが
良かったのでしょうか。
ポン・デュ・ガールは水道橋としては初期のもので、
スペインのセゴビアの水道橋に比べると稚拙なんだそうです。
確かにあちらは下層の橋脚がスラッと長くて格好いいです。 -
ガルドン川は、とても水が綺麗です。そしてかなり浅い川です。
夏は水遊びで賑わうことでしょう。 -
イチオシ
さて、ポン・デュ・ガールとお別れです。
次は是非とも夏の夜のショーを見てみたいな。 -
現地ガイドが、こんな写真を見せてくれました。
1958 年には下の段のすべてが巨大な洪水で水没し、
他の橋は流されてしまいました。
1998 年に別の大規模な洪水があり、
2000 年にも更に洪水がありました。
これらすべてを耐え忍んだんですから、ポン・デュ・ガールは偉い!
ポン・デュ・ガールでは、橋を渡った記念に証明書をくれます。 -
さて、ポン・デュ・ガールからアヴィニョンに向かう途中、
何やら道路に散乱しています。 -
彼らが道路にバリケードを張って、走行を妨害しています。
フランスでは、2018年11月17日から、燃料税の増税に反対する人たち
によるデモやこうした妨害工作が毎週末行われています。
パリでは凱旋門に落書きをされたりして、
一時観光施設が閉鎖されました。
商店や銀行などの破壊・略奪も行われ、休業する店が大多数です。
彼らは一様に工事関係者が着用する黄色いベストを着ています。
そのため「イエロージャケッツ(フランス語で「ジレ・ジョーヌ」)」と呼ばれています。
これは、フランスで運転する際に車両に備えるように
義務付けられているものだそうです。
車を運転する人なら誰でも持っている服であり、
労働者を代表する服ともいえます。
手前の看板にマクロン大統領の名前とTAXE(税金)の文字が
見えます。 -
若者の失業率は改善せず、物価も高くなって、パリと地方との格差も
大きくなってきています。
当然、富裕層優遇の政策に対する反発が強く、それらに対するマクロン
大統領の態度が更に反発を招き、イエロージャケッツの抗議はなんと2019年6月の今でも規模は縮小しながらも続いています。
アヴィニョンを訪れたこの日、2018年12月11日の夜、
「ストラスブール銃乱射事件」が起きました。
クリスマスマーケットで賑わう街の市民を男が銃撃し、5人が死亡、
11人が負傷したのです。
前年にはドイツの首都ベルリンのクリスマスマーケットでも
トラックがマーケットに突っ込むテロが起きました。
なんだか、ヨーロッパも随分きな臭くなってきたなあ。 -
封鎖を回避して、いよいよアヴィニョンです。
ローヌ川の向こうに見えるのが、かつての法王庁です。
手前には城壁も見えます。アヴィニョン旧市街は、
ぐるっと城壁に囲まれています。 -
そのまま視線を左にずらすと、あの有名な橋が見えます。
「サン・ベネゼ橋」です。
橋の上を歩くのは有料なので、ツアーでは行きませんでした。
1177年から8年掛かって建設されましたが、戦乱や川の氾濫などで
何度も破壊され、その度に架け替えられましたが、
17世紀以降は放置されました。
「アヴィニョンの橋の上で」という歌が何故か世界的に有名です。
サン・ベネゼ橋は、羊飼いのベネゼが神の啓示を受けたことから、
12世紀に建造されたと言い伝えられていて、
「アヴィニョン橋の上で」は、この橋の完成を祝って人々が歌い踊る
情景を描いたものなのだそうです。
建設当時は22のアーチから成る全長900m、幅4mの石造橋
でしたが、現在は4本の橋脚と聖ベネゼの聖遺物などが
祀られていたサン・二コラ礼拝堂のみが残っています。
(聖遺物などは、既にセレスティン修道院に移管されています) -
法王庁の中心部分です。
ローヌ川の中洲はアヴィニョンの町の絶景スポットです。
法王庁は大き過ぎて、町の中では全体像がわかりません。 -
法王庁の左側には、天辺に金色のマリア像のある
ノートルダム・デ・ドン大聖堂があります。 -
さて、アヴィニョンの観光に入る前に、少し歴史の確認です。
アヴィニョンという地名は、「アヴィニヨン幽囚(虜囚)」を
思い浮かべます。
1305年、ローマ法王ボニファティウスと激しく対立していた
フランス王フィリップ4世は、ボルドーの大司教ゴツトを
法王に就けることに成功し、リヨンで法王クレメンス5世としての
即位式を行いました。
やがて、1309年に法王庁そのものをローマからアヴィニョンに
移します。
以後、1377年までの7代がここに駐留し、
常にフランス人が就任しました。
これを「アヴィニヨン幽囚(虜囚)」と言います。 -
ローヌ川を渡り、サン・ベネゼ橋の袂の駐車場に着きました。
手前は、プロヴァンスらしくラベンダー畑です。
アヴィニョンでのクレメンス5世以降の法王は
・ヨハネス22世 在位1316~1334年
・ベネディクトゥス12世 在位1334~1342年
(百年戦争勃発。アヴィニヨンに宮殿建設)
・クレメンス6世 在位1342~1352年 (1348年ペスト大流行)
・インノケンティウス6世 在位1352~1362年
(アヴィニヨンの改革・簡素化を進める)
・ウルバヌス5世 在位1362~1370年 (一時ローマに帰還)
・グレゴリウス11世 在位1370~1378年
神聖ローマ帝国の皇帝カール4世はグレゴリウス11世を支援して、
1377年ローマに法王庁を戻しました。
その翌年、法王が逝去。
フランスとイタリアの間で後継争いが激化し、ナポリ出身のイタリア人が
ウルバヌス6世として就任しました。
しかしフランス人枢機卿は反発し、ローマとは別にアヴィニョンに
法王クレメンス7世を立てました。
こうしてローマ教会は1417年、シスマ(教会大分裂)に突入して
いったのです。 -
アヴィニョンがどういう町なのか理解した所で、
右手の門から中に入ります。
左にちょっと見えているのがサン・ベネゼ橋です。
橋へは門を入ってすぐ左手に、門があります。 -
アルルで見たのと同じラベンダーのお店です。
「Le Chateau du Bois - Avignon」 -
マルセイユの石鹸屋さん。「La Maison du Savon de Marseille」
-
法王庁の前の広場(Place du Palais)に来ました。
このツアーは有料施設には一切入りません。
フリータイムに自費で入ることになります。
ただ、大抵はそんなに時間がないので、
やはり入場できないのが困りものです。
法王庁の中は、面積が15,000㎡もあり、
フランスのプライドが垣間見えます。
3代目のベネディクトゥス12世が創建した旧宮殿が北側、その後の
クレメンス6世が建てたのが新宮殿と呼ばれ、南側になります。
旧宮殿は地味で厳格な造り、新宮殿は贅沢で華麗な造りになっています。
クレメンス6世がプロヴァンス伯からアヴィニョンの土地を買い取って
法王領とした頃から、アヴィニョンには多くの芸術家や学者が
集まるようになり、南仏の文化・芸術の拠点へと成長しました。 -
左の旧宮殿の塔は高さが50m。右の塔から右側が新宮殿です。
4代法王クレメンス6世は、建築家のジャン・ド・ルーヴルに
ゴシック様式の宮殿を建造させました。
内部は、シモーネ・マルティーニとマテオ・ジョバネッティが作成した
フレスコ画に彩られています。 -
法王庁広場を挟んでお向かいの古い建物。「Hotel des Monnaies」
-
「Hotel des Monnaies」のファサードの彫刻は素晴らしいです。
-
こちらの天使は、イマイチ。
-
法王庁広場は、北側にあるプチ・パレ美術館(Musee Du Petit Palais)に向かってぐうっと登って行きます。
広~い階段が広場の半分を埋めています。
プチ・パレ美術館は14世紀の枢機卿の館です。
中世からルネッサンスのイタリア絵画が収められ、
ボッティチェリの「聖母子」が有名です。法王庁広場 広場・公園
-
L'Hotel Calvet de la Palunの窓。演劇のポスターかな?
こういうところがフランス? -
クリスマスマーケットのポスター。
アヴィニョンでもクリスマスマーケットを見ることは
出来ませんでした。
会場の地図があるといいのになあ。 -
オルロージュ広場(Place de l'Horloge)
右端のオペラ座(Opera Grand Avignon)は修復工事中。
左は市庁舎です。
両者の間の路地を少し入ると公衆トイレがあります。 -
このドームの中の階段を降りると公衆トイレです。
外観からはわからないですね。 -
オルロージュ広場に面したカフェが並びます。
こういう風景を見ると、どうしてもシャンソンが聞こえて来ます。
フランス語は音を聞くのが苦手なんですが、
シャンソンばかりはフランス語でなければ。 -
こういう窓がいいなあ。でも中は暗くない?
-
アヴィニョンの城壁内の地図です。
町の一番上から川に突き出しているのが、サン・ベネゼ橋。
さて、トイレの場所も確認したので、ここからフリータイムです。 -
法王庁の南の端にある路地ペロルリー通り(Rue de la Peyrolerie)を入って行きます。
-
頭の上は、巨大な法王庁です。
なんて高さでしょう。権威の象徴ですね。 -
ヴィス・レガット通りを法王庁に沿って歩き、
ふと左に門があって中庭のような所に入れたので
そのまま抜けてエスカリエ・サン・タンヌ通り
(Rue des Escaliers Sainte-Anne)に出ました。
大聖堂が見えます。この階段を上れば、
ロシェ・デ・ドム公園(Rocher des Doms)です。
が、もう少し先まで適当に歩いてみます。 -
バナストリー通り(Rue Banasterie)を進むと
正面にすごい彫刻のある教会がありました。
「Chapel of the Black Penitents」です。 -
こんな大胆なレリーフは見たことがありません。
これを見つけられたことは、フリータイムの大収穫です。
それにしても、天使たちの取り巻いているものは生首じゃないですか?
まさかヨハネの首?サロメじゃあるまいしね? -
ローヌ川沿いのリーニュ通り(Boulevard de la Ligne)に出ました。
対岸のヴィルヌーヴ=レザヴィニョン(Villeneuve-les-Avignon)にあるサン・アンドレ砦(Fort Saint-Andre)です。 -
リーニュ通りから城壁の上にそびえる丘にあるロシェ・デ・ドム公園(Rocher des Doms)に上る階段(Stairs to Rocher des Doms)を
見つけて上っています。
法王庁をぐるっと回って見ようと思ったら、
遠くに来過ぎてしまったので、直線コースで戻るには、
この長~~い階段をえっちらおっちら上らなければならなかったのです。 -
予想外にたいへんな散歩になりましたが、登って行くにつれ、
自分は最高の景勝地を見つけたことに気づきました。 -
イチオシ
この眺めを見た時は、ローヌ川が左右に分かれているので、
分岐点なのだと思いました。
しかし、後で地図を見たら、なんと川の間の広い土地は巨大な中洲・
バルトゥラス島(Ile de la Barthelasse)なんです。
だから両方ともローヌ川です。
それにしても、黄葉に夕日が当たって、なんていい眺めなんでしょう。 -
今度は、東側を見てみます。
右側の塔はEglise Saint-Symphorien-des-Carmes
左側の教会はEglise des Carmesです。 -
イチオシ
ああ、この素晴らしい秋の夕暮れを独り占め!
しばしうっとり見惚れています。
12月ですが、どう見ても「秋」!さすがは南仏。 -
手前の古い住宅街に焦点を当てて写してみます。
白壁とレンガ色の屋根で統一されて、綺麗な街並みです。
かなり古そうなのに、だからこそ味わいがあって、じっくり見ていたい。
階段を上るのは大変だったけど、
これを見るために上がって来たんだなあ。
この一人歩きは大成功だったなあ。嬉しくて一人でに頬が緩みます。 -
ロシェ・デ・ドム公園から法王庁に向かって下って行きます。
突き当りを右に曲がって行くと正面の広場側に出ます。 -
ノートルダム・デ・ドン大聖堂の脇を歩きます。
-
公園の南西の角には、女性像があります。
1914から1964までの数字と、
つるはしを持った男たちが描かれています。
1914年は第一次世界大戦の勃発した年です。
以後の戦争と復興の歴史を刻んだ彫刻なのでしょうか。 -
法王庁広場の上に来ました。
ここからだと、広場の階段がよくわかります。 -
ノートルダム・デ・ドン大聖堂の前には磔刑像があります。
-
横顔がなんて素敵なんでしょう。
-
アヴィニョンに着いた時に撮ったマリア像です。
このポーズのマリアは珍しいなあ。
手の形は何を表しているんだろう?
この像は、19世紀になって新たに製作されたものです。 -
大聖堂の中に入ってみました。
12世にロマネスク様式で建てられましたが、
17世紀にバロック様式に改築されました。ノートルダム デ ドン大聖堂 寺院・教会
-
1377年に法王庁がローマに戻ってしまってから、
法王庁宮殿はもぬけの殻になってしまいました。
クレメンス6世が贅沢な調度品をたくさん誂(あつらえ)えましたが、
フランス革命の際に、略奪されたり売られたりして
失われてしまいました。
法王庁の隣の大聖堂も同様だったんでしょうね。ノートルダム デ ドン大聖堂 寺院・教会
-
このステンドグラスは17世紀に造られたのかな?
結構新しい感じがします。王と法王? -
これぞ、12月25日の三賢人がキリストの生誕を祝う場面。
どうしてキリストの誕生日はわからないんでしょう。
だからややこしいことになるんじゃない。
25日が誕生日だと思っている人がどれだけ多いことか。
黒髪のマリアは珍しいと思います。 -
主祭壇です。歴代の法王の肖像でしょうか。
この大聖堂は、2代目法王ヨハネ22世の墓所でもあります。
7代目はローマで亡くなったけれど、他の5人はどうしたのかな? -
天井のドーム付近には、フレスコ画が残っています。
-
暗がりに浮かび上がる聖母マリア。なかなか絵になる聖母像です。
-
イチオシ
大聖堂を出ると、空に最後の夕日が素晴らしいグラデーションを
描いていました。
磔刑像の周りの彫像たちが、美しいシルエットになっています。 -
法王庁から大聖堂への階段を二人の男性がベビーカーを持ち上げて
上って行きます。
赤ん坊の父親は下側の人です。では、上の彼は?通りすがりの人でした。
途中までが坂道だったので、上まで上がれると思ってやって来たのか、
階段の下で父親が困っていました。
そこへちょうど通りかかった男性に父親が声を掛けると、
その人も当たり前のように頷いて、二人でベビーカーを持ち上げました。
日本だとやたらと恐縮してみせる一幕がありますが、
彼らはほとんど交わす言葉もなく、ただ当たり前に上って行き、
軽く手を振って別れて行きました。
「困っていたらお互い様」それが自然な国なんだなと
感慨深く眺めました。 -
法王庁広場の最奥にあるプチ・パレ美術館。
外観はとても簡素な建物ですが、収蔵品はかなりのものらしいです。
ゆっくり時間があったら、是非訪れたい場所です。 -
真下から見上げて見る法王庁の塔。ほとんど要塞だね。
-
暗くなったので、メリーゴーランドにイルミネーションが灯っています。
再び市庁舎前の時計台広場に来ています。 -
広場に面したレストランにも照明が点き出しました
-
法王庁広場は、かなり暗くなって、
古(いにしえ)の余韻を漂わせています。 -
日没と共に、店舗も閉まって行きます。
-
かろうじて開いていた店に入ってみました。
-
チョコレート屋さんです。
-
ホットチョコレートです。
スプーンの先にいろいろなチョコレートがついているので、
そのままお湯をカップに注いで、その中で溶かします。
チョコレートで有名なベルギー・ブリュッセルのグランプラス広場でも
売っていました。
そこでは、店頭で買う時に頼めばカップにお湯を入れてくれました。 -
あっと言う間に暗くなり、開いている店は無くなりました。
ああ、帰りがけにお土産を買おうと思っていたのに、
どこも開いてない・・・
こういうところは「冬」なんだなあ。 -
サン・ベネゼ橋のそばの駐車場に戻って来ました。
アヴィニョンの観光は終わりです。
黄葉の時期の夕暮れ時の観光は、最高でした。
建物の中の見学が出来ない時は、いい景色が見られれば幸せです。
この後はアルルに戻って夜散歩でした。
次回は、カンヌを経て、エズ・モナコへと向かいます。
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