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「東福寺三名橋」は、下流から、臥雲橋(がうんきょう)、通天橋、偃月橋(えんげつきょう)の順で架かっている。京都府指定重要文化財である臥雲橋も、日本百名橋に選出されている偃月橋も、それぞれに格調高い魅力的な橋なのだが、三名橋の中でも特に有名なのが、京都を代表する紅葉スポットにもなっている通天橋だろう。<br /><br />方丈と常楽庵(じょうらくあん)(開山堂)を結ぶ通天橋は、長さ約27mの木造廊橋(屋根付き橋)で、幅は約2.7m。約10.5mの高さを持つこの廊橋の周辺には、2千本以上の楓が繁茂し、それが一斉に紅葉する様は、超絶的な美しさで見る者の胸を打つ。しかし、通天橋からの景観を堪能できるのは、決して紅葉期だけではない。春には一面の新緑、夏には青楓の広がりが、雲上界のごとき世界を体感させてくれるし、枯木立越しに相貌をあらわす洗玉澗の眺めも、冬ならではの絶景だ。<br /><br />通天橋は、谷を渡る労苦から僧を救おうと、普明国師が室町時代に架けたもので、南宋の名高き禅の修行場である径山の橋を模したと伝えられる。廊橋入口に掲げられた「通天橋」の扁額も、普明国師の筆によるものだ。<br />天災で崩壊したりして何度も架け替えられてきたが、現在の通天橋は、1961(昭和36)年に再建されたもの。橋脚部分が初めて鉄筋コンクリート化されたことで、紅葉見物に訪れる参拝者の多さにも、十分耐えられるようになった。<br />開山である聖一(しょういち)国師を祀る常楽庵に通じる橋なので「通天橋」と名付けられた、と思われがちだが、日常のあらゆる所作を修行と考える禅宗においては、「通ずるべき天」もまた、自らの心のうちに見出すべきものなのかもしれない。日々の慌ただしさの中で見失いかけていたものの多さに、ふと気づかされる、思索的な空間性に富んだ名橋である。<br />https://www.okeihan.net/navi/bridge/bridge26.php より引用<br /><br />【通天橋】<br />京都市東山区の東福寺境内にある橋。本堂と開山堂とをつなぐ歩廊の一部。洗玉澗(せんぎょくかん)という渓流に架かる。紅葉の名所。<br />https://kotobank.jp/word/%E9%80%9A%E5%A4%A9%E6%A9%8B-570613 より引用<br /><br />東福寺(とうふくじ)は、京都市東山区本町十五丁目にある臨済宗東福寺派大本山の寺院である。山号を慧日山(えにちさん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は、九条道家、開山(初代住職)は円爾である。京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えた。明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(山内寺院)を有する大寺院である。 <br /><br />東福寺は京都市東山区の東南端、伏見区と境を接するあたりにある。明治14年(1881年)にも大火があり、仏殿、法堂、方丈、庫裏などがこの時焼失した。現在の本堂、方丈、庫裏などは明治以降の再建だが、国宝の三門をはじめ、東司(便所)、浴室、禅堂などは焼け残り、中世の建物が現存している。 <br /><br />境内  三門、本堂、方丈、庫裏などからなる主要伽藍を中心に25の塔頭寺院がある。主要伽藍の北には洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があり、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋という3本の橋(東福寺三名橋)が架かる。通天橋は、本堂から通じる廊下がそのまま屋根付きの橋となったもので、この付近は特に紅葉の名所として知られる。橋を渡ると、開山円爾を祀る常楽庵がある。応仁の乱の戦火を免れた貴重な文化財が数多く存在する。 <br />三門 応永32年(1425年)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古のものである。上層に釈迦如来と十六羅漢を安置する折衷様の五間三戸二重門である。<br />本堂(仏殿兼法堂) 明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成した。入母屋造、裳階付き。高さ25.5メートル、間口41.4メートルの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級のもの。天井の竜の絵は堂本印象筆である。本尊釈迦三尊像(中尊は立像、脇侍は阿難と迦葉)は、明治14年の火災後に万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作である。<br />方丈 明治23年(1890年)の再建。正面前庭にある唐門は明治42年(1909年)に造営され、昭憲皇太后より下賜されたものである。庭園は近代の造園家、重森三玲によって昭和13年(1938年)に作庭され、方丈を囲んで四方に配される。釈迦成道を表現し、八相の庭と命名されている。鎌倉期庭園の質実剛健な風格を基本とし、これに近代芸術の抽象的構成をとり入れた枯山水庭園である。庭園は2014年10月、国の名勝に指定され、造園当時の砂紋が復元された。<br />南庭 - 荒海の砂紋の中に蓬莱、方丈、瀛洲(えいじゅう)、壺梁の四仙島を表現した配石で、右方には五山が築山として表現されている。<br />北庭 - 南の恩賜門内にあった敷石を利用し、石と苔を幾何学的な市松模様に配している。<br />西庭 - さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図している。<br />東庭 - 東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様の地割に配している。<br />庫裏 明治43年(1910年)に再建。方丈唐門とともに昭憲皇太后の恩賜建築である。切妻を正面とする禅宗式寺院の典型。<br />常楽庵 主要伽藍の北側に位置する。開山円爾像を安置する開山堂とその手前の昭堂を中心とした一画。文政2年(1819年)焼失後、同9年(1826年)までに再建された。昭堂の中央部分は2階建の楼閣となっており、伝衣閣(でんねかく)と称する。金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)、飛雲閣(西本願寺)、呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並び「京の五閣」といわれている。客殿や庫裏は特に「普門院」と呼称され、かつて京都十刹の一つに数えられていた名刹普門寺 (京都市)の名残を残している。<br />禅堂 貞和3年(1347年)に再建された豪壮な姿に往時の隆盛がしのばれる単層・裳階(もこし)付切妻造の建物で、中世期より現存する最大最古の禅堂である。<br />東司(とうす)室町時代唯一、日本最大最古の禅宗式の東司(便所)の遺構で、多くの修行僧が一斉に用を足すことから百雪隠(ひゃくせっちん)とも呼ばれる。内部は中央通路をはさんで左右両側に円筒の壺を埋める。<br />浴室 前面を入母屋造、後方を切妻造にした単層本瓦葺の建物で、長禄3年(1459年)に建てられた京都最古の浴室建築の遺構として知られる。内部は正面板敷きの上に2つの蒸し風呂が並び、後方に釜と焚き口がある。<br />月下門(月華門)板蟇股(かえるまた)など細部にわたり鎌倉時代の特色をよく残す切妻造・檜皮葺木の四脚門で、文永5年(1268年)に一条実経が常楽庵を建立した際に亀山天皇が京都御所の月華門を下賜されたと伝えられる。<br />六波羅門南正面に立つ本坊伽藍の最南端にある鎌倉時代前期の門で、もと北条氏の六波羅政庁にあったものを移したことから、この名で呼ばれている。<br />偃月橋(えんげつきょう) 本坊より塔頭、龍吟・即宗両院に至る三ノ橋渓谷に架かる単層切妻造・桟瓦葺きの木造橋廊である。1603年に再建、1967年に重要文化財に指定され、日本百名橋にも選ばれている。<br />境内には宋から伝わった「通天モミジ」と呼ばれる三葉楓(葉先が3つにわかれている)など楓の木が多い。<br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />東福寺 については・・・<br />http://www.tofukuji.jp/

京都平成09 東福寺b 通天橋 -思索的な空間/ひとり- ☆洗玉澗-青もみじ/色さまざまに

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2019/04/24 - 2019/04/24

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マキタン2

マキタン2さん

「東福寺三名橋」は、下流から、臥雲橋(がうんきょう)、通天橋、偃月橋(えんげつきょう)の順で架かっている。京都府指定重要文化財である臥雲橋も、日本百名橋に選出されている偃月橋も、それぞれに格調高い魅力的な橋なのだが、三名橋の中でも特に有名なのが、京都を代表する紅葉スポットにもなっている通天橋だろう。

方丈と常楽庵(じょうらくあん)(開山堂)を結ぶ通天橋は、長さ約27mの木造廊橋(屋根付き橋)で、幅は約2.7m。約10.5mの高さを持つこの廊橋の周辺には、2千本以上の楓が繁茂し、それが一斉に紅葉する様は、超絶的な美しさで見る者の胸を打つ。しかし、通天橋からの景観を堪能できるのは、決して紅葉期だけではない。春には一面の新緑、夏には青楓の広がりが、雲上界のごとき世界を体感させてくれるし、枯木立越しに相貌をあらわす洗玉澗の眺めも、冬ならではの絶景だ。

通天橋は、谷を渡る労苦から僧を救おうと、普明国師が室町時代に架けたもので、南宋の名高き禅の修行場である径山の橋を模したと伝えられる。廊橋入口に掲げられた「通天橋」の扁額も、普明国師の筆によるものだ。
天災で崩壊したりして何度も架け替えられてきたが、現在の通天橋は、1961(昭和36)年に再建されたもの。橋脚部分が初めて鉄筋コンクリート化されたことで、紅葉見物に訪れる参拝者の多さにも、十分耐えられるようになった。
開山である聖一(しょういち)国師を祀る常楽庵に通じる橋なので「通天橋」と名付けられた、と思われがちだが、日常のあらゆる所作を修行と考える禅宗においては、「通ずるべき天」もまた、自らの心のうちに見出すべきものなのかもしれない。日々の慌ただしさの中で見失いかけていたものの多さに、ふと気づかされる、思索的な空間性に富んだ名橋である。
https://www.okeihan.net/navi/bridge/bridge26.php より引用

【通天橋】
京都市東山区の東福寺境内にある橋。本堂と開山堂とをつなぐ歩廊の一部。洗玉澗(せんぎょくかん)という渓流に架かる。紅葉の名所。
https://kotobank.jp/word/%E9%80%9A%E5%A4%A9%E6%A9%8B-570613 より引用

東福寺(とうふくじ)は、京都市東山区本町十五丁目にある臨済宗東福寺派大本山の寺院である。山号を慧日山(えにちさん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は、九条道家、開山(初代住職)は円爾である。京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えた。明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(山内寺院)を有する大寺院である。

東福寺は京都市東山区の東南端、伏見区と境を接するあたりにある。明治14年(1881年)にも大火があり、仏殿、法堂、方丈、庫裏などがこの時焼失した。現在の本堂、方丈、庫裏などは明治以降の再建だが、国宝の三門をはじめ、東司(便所)、浴室、禅堂などは焼け残り、中世の建物が現存している。

境内  三門、本堂、方丈、庫裏などからなる主要伽藍を中心に25の塔頭寺院がある。主要伽藍の北には洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があり、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋という3本の橋(東福寺三名橋)が架かる。通天橋は、本堂から通じる廊下がそのまま屋根付きの橋となったもので、この付近は特に紅葉の名所として知られる。橋を渡ると、開山円爾を祀る常楽庵がある。応仁の乱の戦火を免れた貴重な文化財が数多く存在する。
三門 応永32年(1425年)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古のものである。上層に釈迦如来と十六羅漢を安置する折衷様の五間三戸二重門である。
本堂(仏殿兼法堂) 明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成した。入母屋造、裳階付き。高さ25.5メートル、間口41.4メートルの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級のもの。天井の竜の絵は堂本印象筆である。本尊釈迦三尊像(中尊は立像、脇侍は阿難と迦葉)は、明治14年の火災後に万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作である。
方丈 明治23年(1890年)の再建。正面前庭にある唐門は明治42年(1909年)に造営され、昭憲皇太后より下賜されたものである。庭園は近代の造園家、重森三玲によって昭和13年(1938年)に作庭され、方丈を囲んで四方に配される。釈迦成道を表現し、八相の庭と命名されている。鎌倉期庭園の質実剛健な風格を基本とし、これに近代芸術の抽象的構成をとり入れた枯山水庭園である。庭園は2014年10月、国の名勝に指定され、造園当時の砂紋が復元された。
南庭 - 荒海の砂紋の中に蓬莱、方丈、瀛洲(えいじゅう)、壺梁の四仙島を表現した配石で、右方には五山が築山として表現されている。
北庭 - 南の恩賜門内にあった敷石を利用し、石と苔を幾何学的な市松模様に配している。
西庭 - さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図している。
東庭 - 東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様の地割に配している。
庫裏 明治43年(1910年)に再建。方丈唐門とともに昭憲皇太后の恩賜建築である。切妻を正面とする禅宗式寺院の典型。
常楽庵 主要伽藍の北側に位置する。開山円爾像を安置する開山堂とその手前の昭堂を中心とした一画。文政2年(1819年)焼失後、同9年(1826年)までに再建された。昭堂の中央部分は2階建の楼閣となっており、伝衣閣(でんねかく)と称する。金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)、飛雲閣(西本願寺)、呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並び「京の五閣」といわれている。客殿や庫裏は特に「普門院」と呼称され、かつて京都十刹の一つに数えられていた名刹普門寺 (京都市)の名残を残している。
禅堂 貞和3年(1347年)に再建された豪壮な姿に往時の隆盛がしのばれる単層・裳階(もこし)付切妻造の建物で、中世期より現存する最大最古の禅堂である。
東司(とうす)室町時代唯一、日本最大最古の禅宗式の東司(便所)の遺構で、多くの修行僧が一斉に用を足すことから百雪隠(ひゃくせっちん)とも呼ばれる。内部は中央通路をはさんで左右両側に円筒の壺を埋める。
浴室 前面を入母屋造、後方を切妻造にした単層本瓦葺の建物で、長禄3年(1459年)に建てられた京都最古の浴室建築の遺構として知られる。内部は正面板敷きの上に2つの蒸し風呂が並び、後方に釜と焚き口がある。
月下門(月華門)板蟇股(かえるまた)など細部にわたり鎌倉時代の特色をよく残す切妻造・檜皮葺木の四脚門で、文永5年(1268年)に一条実経が常楽庵を建立した際に亀山天皇が京都御所の月華門を下賜されたと伝えられる。
六波羅門南正面に立つ本坊伽藍の最南端にある鎌倉時代前期の門で、もと北条氏の六波羅政庁にあったものを移したことから、この名で呼ばれている。
偃月橋(えんげつきょう) 本坊より塔頭、龍吟・即宗両院に至る三ノ橋渓谷に架かる単層切妻造・桟瓦葺きの木造橋廊である。1603年に再建、1967年に重要文化財に指定され、日本百名橋にも選ばれている。
境内には宋から伝わった「通天モミジ」と呼ばれる三葉楓(葉先が3つにわかれている)など楓の木が多い。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

東福寺 については・・・
http://www.tofukuji.jp/

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
個別手配

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