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「平家物語」のゆかりの地の歴史と<br />新緑に包まれた閑静な洛北の京の里山、<br />京都大原で毎年行われる「大原女(おはらめ)祭り」。<br />大原女装束を身にまとった大原女が、大原の寂光院から三千院を経て<br />勝林院までの約2キロメートルの山に抱かれた、<br />自然豊かな大原の里を練り歩く<br />(足元が.わらじなので慣れないので大変な様子でした。)<br />今年で40回目「大原女時代行列」が行われました。<br /><br />行列は、地元の小中学生や公募の女性たちが、<br />(室町、江戸、明治・大正の時代ごとの大原女の装束を披露)<br />活動的でおしゃれな大原女姿は、<br />寂光院に穏棲された建礼門院に仕えた阿波内侍が着てる衣装が原型<br />大原女装束をまとった大原女時代行列では、<br />黒い着物と赤い帯に、白手ぬぐいを頭にかけた 室町時代.<br />薄い紺の着物と濃紺の手ぬぐいの江戸時代、<br />紺の着物に赤いたすき、絣の前掛けを身に.明治・大正時代の衣装<br />大原女衣装を身にまとい、<br /><br />寂光院と、寂光院の東に隣接する高倉天皇皇后徳子(建礼門院)<br />の大原西陵に参拝した後、<br />13時に寂光院を出発します。<br />途中では休息を取った後に三千院にも参拝し、<br />15時に最終地である勝林院に到着します。<br /><br />一般にも大原女姿に着替えて参加が可能<br />参加費/大人1500円、小学生以下無料<br />大原女まつり着付け/1,500円(衣装クリーニング代))<br />(まつり期間中のみの割引価格。通常は2,500円)<br /><br />予約受付/Tel. 075-744-2148 Fax. 075-746-4640 <br />※女性のみ、前日までに要予約、雨天中止<br /><br />私は、寂光院~勝林院にかけて行列巡行を付いて行きまが、<br />帰路・いつも琵琶湖大橋の手前が大渋滞なので、<br />その途中に、皆さんに挨拶して先に帰ることにしました。<br /><br />参考<br />大原は京都府京都市左京区の北東部の地名です。<br />大原はかつて「小原」と表記されたり、<br />「おはら」とも言われたりしました。<br />大原は標高約848メートルの比叡山の北西麓で、<br />淀川水系の一級河川・高野川の上流部に位置しています。<br />大原盆地は四方を山に囲まれ、<br />高野川に沿って京都市内と若狭湾の福井小浜を結ぶ若狭街道が通り、<br />大原はその中継地点として栄えました。<br />若狭街道では福井小浜などからサバを中心とした鯖街道とも。<br />大原は天台宗の開祖である伝教大師・最澄が創建した<br />天台宗の総本山・延暦寺が創建されている<br />比叡山西麓にあることから三千院・勝林院・来迎院・寂光院などの<br />天台宗の寺院が創建されたり、移されてきました。<br />また大原は京都市内から約15キロほど離れているこから<br />文徳天皇の第1皇子である惟喬親王・平清盛の娘である<br />建礼門院徳子などの隠遁・出家の場所にもなりました。<br />ちなみに大原女(小原女)は建礼門院徳子の<br />侍女・阿波内侍(あわのないし)らが起源とも言われています。<br />なお明治維新前には大原郷に<br />戸寺・上野・大長瀬・来迎院・勝林院・草生・野村・井出の8村が、<br />1882年(明治15年)に8村が統合されて大原村になり、<br />1949年(昭和24年)には愛宕郡から左京区に編入されました。<br /><br />

第40回「平家物語」ゆかりの地・大原女まつり( 大原女時代行列 )

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2019/05/11 - 2019/05/11

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旅行記グループ 櫛祭り・大原女まつり

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2019/05/11

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「平家物語」のゆかりの地の歴史と
新緑に包まれた閑静な洛北の京の里山、
京都大原で毎年行われる「大原女(おはらめ)祭り」。
大原女装束を身にまとった大原女が、大原の寂光院から三千院を経て
勝林院までの約2キロメートルの山に抱かれた、
自然豊かな大原の里を練り歩く
(足元が.わらじなので慣れないので大変な様子でした。)
今年で40回目「大原女時代行列」が行われました。

行列は、地元の小中学生や公募の女性たちが、
(室町、江戸、明治・大正の時代ごとの大原女の装束を披露)
活動的でおしゃれな大原女姿は、
寂光院に穏棲された建礼門院に仕えた阿波内侍が着てる衣装が原型
大原女装束をまとった大原女時代行列では、
黒い着物と赤い帯に、白手ぬぐいを頭にかけた 室町時代.
薄い紺の着物と濃紺の手ぬぐいの江戸時代、
紺の着物に赤いたすき、絣の前掛けを身に.明治・大正時代の衣装
大原女衣装を身にまとい、

寂光院と、寂光院の東に隣接する高倉天皇皇后徳子(建礼門院)
の大原西陵に参拝した後、
13時に寂光院を出発します。
途中では休息を取った後に三千院にも参拝し、
15時に最終地である勝林院に到着します。

一般にも大原女姿に着替えて参加が可能
参加費/大人1500円、小学生以下無料
大原女まつり着付け/1,500円(衣装クリーニング代))
(まつり期間中のみの割引価格。通常は2,500円)

予約受付/Tel. 075-744-2148 Fax. 075-746-4640
※女性のみ、前日までに要予約、雨天中止

私は、寂光院~勝林院にかけて行列巡行を付いて行きまが、
帰路・いつも琵琶湖大橋の手前が大渋滞なので、
その途中に、皆さんに挨拶して先に帰ることにしました。

参考
大原は京都府京都市左京区の北東部の地名です。
大原はかつて「小原」と表記されたり、
「おはら」とも言われたりしました。
大原は標高約848メートルの比叡山の北西麓で、
淀川水系の一級河川・高野川の上流部に位置しています。
大原盆地は四方を山に囲まれ、
高野川に沿って京都市内と若狭湾の福井小浜を結ぶ若狭街道が通り、
大原はその中継地点として栄えました。
若狭街道では福井小浜などからサバを中心とした鯖街道とも。
大原は天台宗の開祖である伝教大師・最澄が創建した
天台宗の総本山・延暦寺が創建されている
比叡山西麓にあることから三千院・勝林院・来迎院・寂光院などの
天台宗の寺院が創建されたり、移されてきました。
また大原は京都市内から約15キロほど離れているこから
文徳天皇の第1皇子である惟喬親王・平清盛の娘である
建礼門院徳子などの隠遁・出家の場所にもなりました。
ちなみに大原女(小原女)は建礼門院徳子の
侍女・阿波内侍(あわのないし)らが起源とも言われています。
なお明治維新前には大原郷に
戸寺・上野・大長瀬・来迎院・勝林院・草生・野村・井出の8村が、
1882年(明治15年)に8村が統合されて大原村になり、
1949年(昭和24年)には愛宕郡から左京区に編入されました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩
  • 「平家物語」のゆかりの地といわれる京都・大原で、<br />4/20~6/14まで開催される「大原女まつり」。<br />5/11には、<br />時代ごとに異なる大原女の衣装を身にまとった大原女さん達が、<br />寂光院~勝林院にかけて行列巡行する<br />「大原女時代行列」が行われました。<br />また、「大原女まつり」期間中の特典として、<br />大原女衣装の着付割引が実施されるとか。<br />大原女の着付け体験の割引。<br />通常は、2,500円かかる所、1,000円で着付け可能。<br />大原女の扮した方は、<br />三千院・宝泉院・勝林院・実光院の拝観が無料。<br />各お寺の拝観料は、以下の通り。<br />三千院:大人700円。<br />宝泉院:大人800円。<br />勝林院:大人300円。<br />実光院:大人700円。<br />行列参加は事前予約が必要なので。

    「平家物語」のゆかりの地といわれる京都・大原で、
    4/20~6/14まで開催される「大原女まつり」。
    5/11には、
    時代ごとに異なる大原女の衣装を身にまとった大原女さん達が、
    寂光院~勝林院にかけて行列巡行する
    「大原女時代行列」が行われました。
    また、「大原女まつり」期間中の特典として、
    大原女衣装の着付割引が実施されるとか。
    大原女の着付け体験の割引。
    通常は、2,500円かかる所、1,000円で着付け可能。
    大原女の扮した方は、
    三千院・宝泉院・勝林院・実光院の拝観が無料。
    各お寺の拝観料は、以下の通り。
    三千院:大人700円。
    宝泉院:大人800円。
    勝林院:大人300円。
    実光院:大人700円。
    行列参加は事前予約が必要なので。

  • 左は、京へ<br />右は寂光院と・・・。

    左は、京へ
    右は寂光院と・・・。

  • 先ほどまで、三千院へ<br />勝林院から宝泉院へ抜ける道を急いだが、<br />近道でなく、逸れて行くと気づき<br />地元の方に聞いて。

    先ほどまで、三千院へ
    勝林院から宝泉院へ抜ける道を急いだが、
    近道でなく、逸れて行くと気づき
    地元の方に聞いて。

  • 落合の滝<br /><br />寂光院(じゃっこういん)は、<br />京都市左京区大原にある天台宗の尼寺です。<br />山号を清香山、寺号は玉泉寺と称します。<br />平清盛の娘の建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所であり、<br />『平家物語』ゆかりの寺として知られます。

    落合の滝

    寂光院(じゃっこういん)は、
    京都市左京区大原にある天台宗の尼寺です。
    山号を清香山、寺号は玉泉寺と称します。
    平清盛の娘の建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所であり、
    『平家物語』ゆかりの寺として知られます。

  • 建礼門院陵・大原西陵へ階段を上がる・<br />この奥に<br />寂光院の東に隣接する高倉天皇皇后徳子(建礼門院)の大原西陵<br /><br />平清盛の次女で、高倉天皇の皇后であり、<br />安徳天皇が生まれると天子の国母となった建礼門院。<br /><br />平安時代末の治承(じしょう)5年(1181)閏2月4日、<br />平清盛が世を去るとそれまで<br />栄耀栄華を極めた平家の勢力に陰りが見え始め、<br />代わって源氏が勢力を盛り返します。<br />木曽義仲の攻撃により建礼門院をはじめとする<br />平家の者は京の都を追われます。<br /><br />元暦2年(1185)3月、<br />壇ノ浦(山口県下関市)の戦いでついに平家は滅亡しますが、<br />その最中、建礼門院の母・時子が10歳にも満たない<br />建礼門院の子・安徳天皇を抱いて入水します。<br />続いて建礼門院自らも海にその身を投じました。<br />しかし幸運と言うべきか、皮肉と言うべか、<br />偶然にも建礼門院は源氏方に助けられたのでした。<br /><br />その後、建礼門院は京に送還され、<br />ひどくみすぼらしい朽ちた僧房で日々を送ることとなります。<br /><br />元暦2年(1185)5月、建礼門院は剃髪して入寺し、<br />それからというもの安徳天皇と<br />平家一門の菩提を弔う日々を送っていました。<br /><br />建礼門院はそうした日々を送る中、<br />いつしか、いやな事を耳にしてつらい思いをしながらの<br />今の都の近くでの暮らしよりは、<br />何かと寂しいながらもそういったことの耳に入らない<br />深い山の奥へでも行き、静かに暮らしたいと思うよう。<br /><br />建礼門院は大原山の奥に寂光院という所があることを聞き、<br />文治(ぶんじ)元年(1185)9月末、寂光院に移ったのでした。<br />今から800年以上も昔のこと。<br />

    建礼門院陵・大原西陵へ階段を上がる・
    この奥に
    寂光院の東に隣接する高倉天皇皇后徳子(建礼門院)の大原西陵

    平清盛の次女で、高倉天皇の皇后であり、
    安徳天皇が生まれると天子の国母となった建礼門院。

    平安時代末の治承(じしょう)5年(1181)閏2月4日、
    平清盛が世を去るとそれまで
    栄耀栄華を極めた平家の勢力に陰りが見え始め、
    代わって源氏が勢力を盛り返します。
    木曽義仲の攻撃により建礼門院をはじめとする
    平家の者は京の都を追われます。

    元暦2年(1185)3月、
    壇ノ浦(山口県下関市)の戦いでついに平家は滅亡しますが、
    その最中、建礼門院の母・時子が10歳にも満たない
    建礼門院の子・安徳天皇を抱いて入水します。
    続いて建礼門院自らも海にその身を投じました。
    しかし幸運と言うべきか、皮肉と言うべか、
    偶然にも建礼門院は源氏方に助けられたのでした。

    その後、建礼門院は京に送還され、
    ひどくみすぼらしい朽ちた僧房で日々を送ることとなります。

    元暦2年(1185)5月、建礼門院は剃髪して入寺し、
    それからというもの安徳天皇と
    平家一門の菩提を弔う日々を送っていました。

    建礼門院はそうした日々を送る中、
    いつしか、いやな事を耳にしてつらい思いをしながらの
    今の都の近くでの暮らしよりは、
    何かと寂しいながらもそういったことの耳に入らない
    深い山の奥へでも行き、静かに暮らしたいと思うよう。

    建礼門院は大原山の奥に寂光院という所があることを聞き、
    文治(ぶんじ)元年(1185)9月末、寂光院に移ったのでした。
    今から800年以上も昔のこと。

    寂光院 寺・神社・教会

  • 平安時代、大原は若狭湾と京を結ぶ中継地点として発展しました。<br />比叡山延暦寺の麓に位置し、三千院や勝林院など、<br />天台宗の寺院が点在します。<br />独特の衣装を着た女性たちが京の町へ出向き、<br />薪炭を行商する風習がありました・

    平安時代、大原は若狭湾と京を結ぶ中継地点として発展しました。
    比叡山延暦寺の麓に位置し、三千院や勝林院など、
    天台宗の寺院が点在します。
    独特の衣装を着た女性たちが京の町へ出向き、
    薪炭を行商する風習がありました・

  • もとは聖徳太子が推古2年に建立したという古刹で、<br />隠れ寺的な装いを持つこの寂光院は、<br />苔と池泉の見事な庭園や国宝の優美な仏像を有する三千院ともに、<br />大原を訪れる際にまず見ておくべき名所

    もとは聖徳太子が推古2年に建立したという古刹で、
    隠れ寺的な装いを持つこの寂光院は、
    苔と池泉の見事な庭園や国宝の優美な仏像を有する三千院ともに、
    大原を訪れる際にまず見ておくべき名所

  • 大原女まつりは、<br />おおむね毎年5月(4月の時も)に2週間ほど開催。<br />時代行列は、おおむね期間内の土曜。<br />寂光院と勝林院.三千院の間を2時間ほどかけて、<br />「大原女時代行列」大原女が練り歩きます。<br />起点は、年毎に交代。<br />着替えが、勝林院.三千院だから<br />利便性から、寂光院へ到着してまた戻らなければ。<br />ここ最近は寂光院出発。<br />勝林院.三千院に向かってます。<br />新緑に包まれ大原、<br />自然豊かな大原の里を練り歩くのも、のどかです。<br /><br />

    大原女まつりは、
    おおむね毎年5月(4月の時も)に2週間ほど開催。
    時代行列は、おおむね期間内の土曜。
    寂光院と勝林院.三千院の間を2時間ほどかけて、
    「大原女時代行列」大原女が練り歩きます。
    起点は、年毎に交代。
    着替えが、勝林院.三千院だから
    利便性から、寂光院へ到着してまた戻らなければ。
    ここ最近は寂光院出発。
    勝林院.三千院に向かってます。
    新緑に包まれ大原、
    自然豊かな大原の里を練り歩くのも、のどかです。

  • 阿波内侍<br /><br />建礼門院は寂光院の一画に庵室をむすんで、<br />1間(ま)を寝所にし、また別の1間を仏像安置の場所にして、<br />わびしいながらも静かな日々を過ごします。<br />悲運の建礼門院を大原の里人たちは手厚くもてなした。<br />そして、その建礼門院に尼となって仕えたのが<br />侍女の阿波内侍(あわのないし)です。<br /><br />やがて建礼門院は病にかかり、<br />建久(けんきゅう)2年(1191)2月中旬、<br />その生涯を寂光院で閉じました。<br />阿波内侍が建礼門院の最後を看取ったといいます。<br /><br />阿波内侍は、手拭(てぬぐ)いを頭にかぶり、<br />手に白の甲掛(こうがけ)、<br />足に白足袋(たび)をして炭や薪、柴を頭の上に載せて<br />京の都で売り歩いたという<br />「大原女」のモデルとされている人でもあります。<br /><br />寂光院の前の道を奥へとほんのしばらく行くと<br />そこはもう山奥といった光景が広がっていますが、<br />「大原女」の服装は、阿波内侍が建礼門院に仕えている際、<br />山に柴などを刈りにいっていた時の姿が原型。

    阿波内侍

    建礼門院は寂光院の一画に庵室をむすんで、
    1間(ま)を寝所にし、また別の1間を仏像安置の場所にして、
    わびしいながらも静かな日々を過ごします。
    悲運の建礼門院を大原の里人たちは手厚くもてなした。
    そして、その建礼門院に尼となって仕えたのが
    侍女の阿波内侍(あわのないし)です。

    やがて建礼門院は病にかかり、
    建久(けんきゅう)2年(1191)2月中旬、
    その生涯を寂光院で閉じました。
    阿波内侍が建礼門院の最後を看取ったといいます。

    阿波内侍は、手拭(てぬぐ)いを頭にかぶり、
    手に白の甲掛(こうがけ)、
    足に白足袋(たび)をして炭や薪、柴を頭の上に載せて
    京の都で売り歩いたという
    「大原女」のモデルとされている人でもあります。

    寂光院の前の道を奥へとほんのしばらく行くと
    そこはもう山奥といった光景が広がっていますが、
    「大原女」の服装は、阿波内侍が建礼門院に仕えている際、
    山に柴などを刈りにいっていた時の姿が原型。

  • 期間中、大原女姿の体験ができます。<br />大原女はその昔、手甲・脚絆をはめ白足袋をはき紺衣を着て、<br />頭上に薪や柴をのせて黒木を売り歩いていました。<br />衣装は、大原観光保勝会が貸し出しをしてくれます。<br />大原女姿で一日、<br />大原の里を昔をしのびつつ散策を楽しむことができます。

    期間中、大原女姿の体験ができます。
    大原女はその昔、手甲・脚絆をはめ白足袋をはき紺衣を着て、
    頭上に薪や柴をのせて黒木を売り歩いていました。
    衣装は、大原観光保勝会が貸し出しをしてくれます。
    大原女姿で一日、
    大原の里を昔をしのびつつ散策を楽しむことができます。

  • 大原女とは、さかのぼること500年ほど前の鎌倉時代のことになります。<br />京都は大原(現在の京都市左京区大原)から<br />薪(たきぎ)を頭にのせて<br />京の都で売り歩いていた女性のことを指します。<br />とても活動的な女性。<br /><br />薪(たきぎ)とは、かまどで火をおこすときに<br />火だねを大きくするために使う木の小枝のことです。

    大原女とは、さかのぼること500年ほど前の鎌倉時代のことになります。
    京都は大原(現在の京都市左京区大原)から
    薪(たきぎ)を頭にのせて
    京の都で売り歩いていた女性のことを指します。
    とても活動的な女性。

    薪(たきぎ)とは、かまどで火をおこすときに
    火だねを大きくするために使う木の小枝のことです。

  • 『大原女』(おはらめ)とは・・・ そのむかし<br /> 大原や八瀬の里から、薪・しば・花・農作物などを頭にのせて、<br />京都の町に売りにでていた。女性たちの総称。<br /><br />毎年のように、お目にかかります。<br />以前は、神戸の年輩の方と<br />『大原女』のパンフレットに載せられた方。<br />大原山荘の前で。

    『大原女』(おはらめ)とは・・・ そのむかし
    大原や八瀬の里から、薪・しば・花・農作物などを頭にのせて、
    京都の町に売りにでていた。女性たちの総称。

    毎年のように、お目にかかります。
    以前は、神戸の年輩の方と
    『大原女』のパンフレットに載せられた方。
    大原山荘の前で。

  • 御旅宿月屋 女将・涼子錺屋スタッフ<br />笑顔で接してくださって、ありがとうございます。

    御旅宿月屋 女将・涼子錺屋スタッフ
    笑顔で接してくださって、ありがとうございます。

  • 皆さん撮らせてもらいました。

    皆さん撮らせてもらいました。

  • 滋賀県、福井県そして京都でお目にかかる、<br />友達に再会、<br />次の予定を聞き・・・。<br /><br />東西の文化伝播の拠点・日本最大級の宿場・第50回「草津宿場まつり」<br />  https://4travel.jp/travelogue/11355654<br />今年は、小山観音着物撮影会へ草津へ行けなかったので.<br />平謝り、残念.<br />今年、大津市会議員になられたかも、、<br />来年は、雨でなければ必ず行きますのでヨロシク。

    滋賀県、福井県そして京都でお目にかかる、
    友達に再会、
    次の予定を聞き・・・。

    東西の文化伝播の拠点・日本最大級の宿場・第50回「草津宿場まつり」
      https://4travel.jp/travelogue/11355654
    今年は、小山観音着物撮影会へ草津へ行けなかったので.
    平謝り、残念.
    今年、大津市会議員になられたかも、、
    来年は、雨でなければ必ず行きますのでヨロシク。

  • 大原女と書いて、おはらめ。<br />隠棲の里・大原より、<br />独特のスタイルで薪や農作物を京へ売りにやってくる。<br />そのルーツは、<br />の浦で我が子を抱いて入水するも死にきれず、<br />寂光院に隠棲した建礼門院。<br />院に仕えた阿波内侍の作業着姿を、<br />地元娘たちが真似。<br />それが大原女の始祖と考えられてます。<br />古くから歌に詠まれ、絵にも描かれ、<br />単なる行商としてのみならず、<br />一種の雅な風物詩として長らく都の人から愛されたとか。<br /><br />しかし大原女、実際は雅どころではない重労働です。<br />大原から京都までの移動は、もちろん、徒歩。<br /><br />京都市中心部より北に位置する山あいで、<br />古くから若狭の物産を京都に運ぶ街道として発展し、<br />今なお京都と滋賀を結ぶ交通の要衝となっている大原。<br /><br />京都へ下りる幹線.国道367<br />京都の西陣へ友達迎えに行く際に、<br />急にブレーキを・・・。<br />前を見れば、猿軍団が国道を横断中。<br />今でも猿の往来があれば、<br />当時は、不気味でしたでしょうね。<br />

    大原女と書いて、おはらめ。
    隠棲の里・大原より、
    独特のスタイルで薪や農作物を京へ売りにやってくる。
    そのルーツは、
    の浦で我が子を抱いて入水するも死にきれず、
    寂光院に隠棲した建礼門院。
    院に仕えた阿波内侍の作業着姿を、
    地元娘たちが真似。
    それが大原女の始祖と考えられてます。
    古くから歌に詠まれ、絵にも描かれ、
    単なる行商としてのみならず、
    一種の雅な風物詩として長らく都の人から愛されたとか。

    しかし大原女、実際は雅どころではない重労働です。
    大原から京都までの移動は、もちろん、徒歩。

    京都市中心部より北に位置する山あいで、
    古くから若狭の物産を京都に運ぶ街道として発展し、
    今なお京都と滋賀を結ぶ交通の要衝となっている大原。

    京都へ下りる幹線.国道367
    京都の西陣へ友達迎えに行く際に、
    急にブレーキを・・・。
    前を見れば、猿軍団が国道を横断中。
    今でも猿の往来があれば、
    当時は、不気味でしたでしょうね。

  • 地元の中学生で志願して、ということで。

    地元の中学生で志願して、ということで。

  • 何時もの先頭の方とは、違う方でした。<br />何せ、人が足りないとのことでした。

    何時もの先頭の方とは、違う方でした。
    何せ、人が足りないとのことでした。

  • みんなに、声をかけたら<br />ようやく、こちらを向いて貰えましたら。<br />カメラマンのシャッターの音が鳴り響いた。

    みんなに、声をかけたら
    ようやく、こちらを向いて貰えましたら。
    カメラマンのシャッターの音が鳴り響いた。

  • 江戸時代の方々を。

    江戸時代の方々を。

  • 大原でとれた柴や薪、農作物などを頭にのせて<br />京の町まで売りに歩いた行商の大原女のことです。<br />荷物を頭に乗せて往復20kmもの道のりを超えて物売りに来る姿は、<br />時代絵巻や狂言に描かれるなど、都の風物詩として有名です。<br />頭に商品を乗せて往復20kmとはびっくりしますよね。<br />また、その荷物の重さも当時の女性は通常で30~40kg、<br />力持ちの女性でなんと50kgもの荷物を頭の上に乗せて運んだそうです!<br /><br />お祭りでは簡単に持ち運べる重さなので.<br />昭和初期には大原女の数が激減しましたが、<br />その風習は約800年にわたって続いてきました。

    大原でとれた柴や薪、農作物などを頭にのせて
    京の町まで売りに歩いた行商の大原女のことです。
    荷物を頭に乗せて往復20kmもの道のりを超えて物売りに来る姿は、
    時代絵巻や狂言に描かれるなど、都の風物詩として有名です。
    頭に商品を乗せて往復20kmとはびっくりしますよね。
    また、その荷物の重さも当時の女性は通常で30~40kg、
    力持ちの女性でなんと50kgもの荷物を頭の上に乗せて運んだそうです!

    お祭りでは簡単に持ち運べる重さなので.
    昭和初期には大原女の数が激減しましたが、
    その風習は約800年にわたって続いてきました。

  • イチオシ

  • のどかな田園風景とともに、<br />春は桜、初夏はツツジ、夏には赤シソ、<br />そして秋には紅葉やヒガンバナ、冬には雪景色と、<br />一年を通じて季節のさまざまな表情を楽しむことができます。

    のどかな田園風景とともに、
    春は桜、初夏はツツジ、夏には赤シソ、
    そして秋には紅葉やヒガンバナ、冬には雪景色と、
    一年を通じて季節のさまざまな表情を楽しむことができます。

  • その装いは時代とともに少しずつ変化が見られますが、<br />基本的には、紺地の木綿の着物に絣(かすり)の前掛けをして、<br />頭にはてぬぐいをかぶり、肩には赤いたすきを掛けて、<br />手には紺の手甲(てっこう)、<br />足元には白いはばきと脚絆(きゃはん)を着け、わらじを履きます。<br /><br />着物といっても締め付け感がなく、<br />大変動きやすく、赤・紺・白といった配色は見た目にもおしゃれで、<br />女性好みの愛らしい印象を受けます。<br />

    イチオシ

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    その装いは時代とともに少しずつ変化が見られますが、
    基本的には、紺地の木綿の着物に絣(かすり)の前掛けをして、
    頭にはてぬぐいをかぶり、肩には赤いたすきを掛けて、
    手には紺の手甲(てっこう)、
    足元には白いはばきと脚絆(きゃはん)を着け、わらじを履きます。

    着物といっても締め付け感がなく、
    大変動きやすく、赤・紺・白といった配色は見た目にもおしゃれで、
    女性好みの愛らしい印象を受けます。

  • 秋の大原女ミニ時代行列では大原女装束を身に付けた子供<br />その再現のようです。

    秋の大原女ミニ時代行列では大原女装束を身に付けた子供
    その再現のようです。

  • 大原女まつりのメイン行事は「大原女時代行列」。	<br /><br />室町時代から 明治大正時代まで それぞれの時代の大原女衣装を<br />身にまとい、<br />勝林院 ~ 三千院 ~ 寂光院 間の大原の田畑沿いの道を巡行する。

    大原女まつりのメイン行事は「大原女時代行列」。

    室町時代から 明治大正時代まで それぞれの時代の大原女衣装を
    身にまとい、
    勝林院 ~ 三千院 ~ 寂光院 間の大原の田畑沿いの道を巡行する。

  • イチオシ

  • 鹿児島からフェリーで大変でしたね。<br />いつも思いつきで、相棒が振り回されてますが、<br />それでもね仲がいいので、羨ましいです・

    鹿児島からフェリーで大変でしたね。
    いつも思いつきで、相棒が振り回されてますが、
    それでもね仲がいいので、羨ましいです・

  • 一番最後を<br />予約なしの当日、<br />この、まとめ役さんをご存知なので。

    一番最後を
    予約なしの当日、
    この、まとめ役さんをご存知なので。

  • またどこかで。<br />元気になって良かった・

    またどこかで。
    元気になって良かった・

  • この先は<br />京都市中心部から15kmほど北に位置する大原は、<br />のどかな田園風景が今も残る自然豊かな山里です。<br />その地名は、平安時代初期の僧・慈覚大師円仁が修練道場として<br />開山した大原寺に由来し、<br />付近には皇族が代々住職を務めてきた<br />天台宗三門跡寺院のひとつ三千院をはじめ、<br />お経に節をつけた仏教音楽・天台声明の根本道場である勝林院などが<br />立ち並びます。<br /><br />初夏のような暑さに、***さんご苦労さん、<br />これから三千院まで頑張ってね。<br /><br />

    この先は
    京都市中心部から15kmほど北に位置する大原は、
    のどかな田園風景が今も残る自然豊かな山里です。
    その地名は、平安時代初期の僧・慈覚大師円仁が修練道場として
    開山した大原寺に由来し、
    付近には皇族が代々住職を務めてきた
    天台宗三門跡寺院のひとつ三千院をはじめ、
    お経に節をつけた仏教音楽・天台声明の根本道場である勝林院などが
    立ち並びます。

    初夏のような暑さに、***さんご苦労さん、
    これから三千院まで頑張ってね。

  • 「京都大原三千院」とも歌われるこの山里は、<br />特に女性の一人旅が似合う、<br />どこか哀愁を含んだ情緒が漂っています。<br />

    「京都大原三千院」とも歌われるこの山里は、
    特に女性の一人旅が似合う、
    どこか哀愁を含んだ情緒が漂っています。

  • 暑さに負けず<br />休憩場所へたどり着いて。

    暑さに負けず
    休憩場所へたどり着いて。

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