八瀬・大原・貴船・鞍馬旅行記(ブログ) 一覧に戻る
大原女時代行列<br /><br />時代ごとに異なる衣装の大原女さん達が、<br />寂光院~三千院にかけて行列巡行します。<br />日程:2023年 4/29(土) 13:00(寂光院を出発)<br />             ~15:00(三千院・勝林院)<br /><br />平安の歴史と新緑に包まれた洛北の京の里山<br />地元の小中学生や公募の女性たちが、<br />大原女装束を身にまとった大原女が、<br />大原の寂光院から三千院までの約2キロの山に抱かれた、<br />自然豊かな大原の里を練り歩く「大原女時代行列」が、<br />雨模様から、危ぶまれていたが当日に予定通り決行を知る。<br />過去、コロナで3年休まれて翌年は雨で中止。<br />4年ぶり、<br />果たして、無事行われるだろうか?行ってきました。<br /><br />急に、「大原女時代行列」が決まり、<br />参加者も少なくなり39人が、<br />いろいろ聞いてみれば地元の人が多かった。<br />それで、<br />少し前の様子の祭り・・・。も一部加えて。<br /><br />大原女時代行列では、<br />室町時代・江戸時代・明治時代から昭和30年代に至る間、<br />それぞれの時代に着用されていた衣装をまとった<br />大原女姿の女性が、寂光院から三千院までを練り歩きます。<br />期間中は前日までの予約で大原女衣装が無料で貸りられ、<br />        ( 大原女着付け代金2014年まで無料)<br />誰でも行列に参加できましたが、<br />最近は、有料になりました。<br /><br />大原女装束背中ではなく、頭に荷物をのせて運んだのは、<br />柴など長さがあるものを進行方向と平行にのせることで、<br />細く険しい山道を少しでも歩きやすくしたためと考えられています、<br />こうして、三千院へと大原女時代行列が練り歩く・<br />今回は、雨が降りそうなので女ひとり歌碑までにしました。<br />以前、行列の途中大雨で中止<br /> 第38回大原女まつり( 大原女時代行列 )<br />  https://4travel.jp/travelogue/11238749<br />不安を抱きなが、大原山荘へ寂光院へ。

第43回「平安物語」ゆかりの地 大原女まつり

262いいね!

2023/04/29 - 2023/04/29

20位(同エリア2100件中)

2

70

風に吹かれて旅人

風に吹かれて旅人さん

大原女時代行列

時代ごとに異なる衣装の大原女さん達が、
寂光院~三千院にかけて行列巡行します。
日程:2023年 4/29(土) 13:00(寂光院を出発)
             ~15:00(三千院・勝林院)

平安の歴史と新緑に包まれた洛北の京の里山
地元の小中学生や公募の女性たちが、
大原女装束を身にまとった大原女が、
大原の寂光院から三千院までの約2キロの山に抱かれた、
自然豊かな大原の里を練り歩く「大原女時代行列」が、
雨模様から、危ぶまれていたが当日に予定通り決行を知る。
過去、コロナで3年休まれて翌年は雨で中止。
4年ぶり、
果たして、無事行われるだろうか?行ってきました。

急に、「大原女時代行列」が決まり、
参加者も少なくなり39人が、
いろいろ聞いてみれば地元の人が多かった。
それで、
少し前の様子の祭り・・・。も一部加えて。

大原女時代行列では、
室町時代・江戸時代・明治時代から昭和30年代に至る間、
それぞれの時代に着用されていた衣装をまとった
大原女姿の女性が、寂光院から三千院までを練り歩きます。
期間中は前日までの予約で大原女衣装が無料で貸りられ、
        ( 大原女着付け代金2014年まで無料)
誰でも行列に参加できましたが、
最近は、有料になりました。

大原女装束背中ではなく、頭に荷物をのせて運んだのは、
柴など長さがあるものを進行方向と平行にのせることで、
細く険しい山道を少しでも歩きやすくしたためと考えられています、
こうして、三千院へと大原女時代行列が練り歩く・
今回は、雨が降りそうなので女ひとり歌碑までにしました。
以前、行列の途中大雨で中止
 第38回大原女まつり( 大原女時代行列 )
  https://4travel.jp/travelogue/11238749
不安を抱きなが、大原山荘へ寂光院へ。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩

PR

  • 大原山荘 にて着替えて、<br />寂光院前に集合して、<br />寂光院へ高倉天皇皇后 徳子大原西陵へ<br />そして、「大原女時代行列」<br />大原女姿/観光客の人気を集めて、<br />自然豊かな大原の里を散策<br />三千院へと大原女時代行列が練り歩く・<br />私は、女ひとり歌碑までにしました。<br />

    大原山荘 にて着替えて、
    寂光院前に集合して、
    寂光院へ高倉天皇皇后 徳子大原西陵へ
    そして、「大原女時代行列」
    大原女姿/観光客の人気を集めて、
    自然豊かな大原の里を散策
    三千院へと大原女時代行列が練り歩く・
    私は、女ひとり歌碑までにしました。

  • 昨年春の行列は雨天により中止となってしまったため、<br />コロナ休止期間を経て「4年ぶりの春の行列」になります。

    昨年春の行列は雨天により中止となってしまったため、
    コロナ休止期間を経て「4年ぶりの春の行列」になります。

  • バス停付近の駐車場から寂光院までは徒歩12分です。

    バス停付近の駐車場から寂光院までは徒歩12分です。

  • 大原女の小径は、二人三人と並んで歩いてると、<br />狭いので後ろをついて行くしかない。

    大原女の小径は、二人三人と並んで歩いてると、
    狭いので後ろをついて行くしかない。

  • 大原女時代行列撮影ポイント<br />新緑に包まれ大原、<br />自然豊かな大原の里を練り歩くのも、<br />のどかです。

    大原女時代行列撮影ポイント
    新緑に包まれ大原、
    自然豊かな大原の里を練り歩くのも、
    のどかです。

  • 大原女時代行列の行列巡行<br />大原の里を昔をしのびつつ。<br />山里の原風景を鑑賞.楽しくのどかな田園風景

    大原女時代行列の行列巡行
    大原の里を昔をしのびつつ。
    山里の原風景を鑑賞.楽しくのどかな田園風景

  • 建礼門院徳子

    建礼門院徳子

  • 10人ぐらいのグループで来られた方々が<br />記念撮影。

    10人ぐらいのグループで来られた方々が
    記念撮影。

  • 大原女は、<br />大原で採れた柴や薪、農作物などを頭にのせて<br />京の町で売り歩いた行商のことで、<br />この風習は鎌倉時代から昭和初期まで、<br />約800年にわたって続きました。<br /><br />頭の上には30~40㎏、時には50kgもの重い荷物をのせて、<br />往復20数㎞もの道のりを歩いたと言われています。<br /><br />この姿は、建礼門院に付き添っていた侍女・阿波内侍が<br />御所にお仕えに行く時の格好を、<br />村の人々が作業着に取り入れたという説があります。<br /><br />その装いは時代とともに少しずつ変化が見られますが、<br />基本的には、紺地の木綿の着物に絣の前掛けをして<br />、頭にはてぬぐいをかぶり、肩には赤いたすきを掛けて、<br />手には紺の手甲(てっこう)、<br />足元には白いはばきと脚絆を着け、わらじを履きます。<br /><br />着物といっても締め付け感がなく、大変動きやすく、<br />赤・紺・白といった配色は見た目にもおしゃれで、<br />女性好みの愛らしい印象を受けます。

    大原女は、
    大原で採れた柴や薪、農作物などを頭にのせて
    京の町で売り歩いた行商のことで、
    この風習は鎌倉時代から昭和初期まで、
    約800年にわたって続きました。

    頭の上には30~40㎏、時には50kgもの重い荷物をのせて、
    往復20数㎞もの道のりを歩いたと言われています。

    この姿は、建礼門院に付き添っていた侍女・阿波内侍が
    御所にお仕えに行く時の格好を、
    村の人々が作業着に取り入れたという説があります。

    その装いは時代とともに少しずつ変化が見られますが、
    基本的には、紺地の木綿の着物に絣の前掛けをして
    、頭にはてぬぐいをかぶり、肩には赤いたすきを掛けて、
    手には紺の手甲(てっこう)、
    足元には白いはばきと脚絆を着け、わらじを履きます。

    着物といっても締め付け感がなく、大変動きやすく、
    赤・紺・白といった配色は見た目にもおしゃれで、
    女性好みの愛らしい印象を受けます。

  • 建礼門院徳子に付き添っる侍女・阿波内侍

    建礼門院徳子に付き添っる侍女・阿波内侍

    大原山荘 グルメ・レストラン

  • 大原女時代行列は、各時代の大原女の恰好をした女性が、<br />寂光院~三千院・勝林院までを歩きます(行列巡行)。

    大原女時代行列は、各時代の大原女の恰好をした女性が、
    寂光院~三千院・勝林院までを歩きます(行列巡行)。

  • 大原女とは、大原でとれた柴や薪、農作物などを頭にのせて<br />京の町まで売りに歩いた行商の女性のことで、<br />鎌倉時代から昭和初期まで、<br />約800年にわたって続いてきた大原の風習。<br />時代とともに少しずつ装いに変化はありましたが、<br />紺色の着物に赤いたすきを掛けた<br />独特の装束で知られています。<br /><br />往復20数kmもの道のりを歩くだけでなく、<br />頭の上には通常で30~40kg、<br />多い人では50kgにもなる荷物をのせて運んだとか。<br /><br />頭に荷物をのせるのも工夫から<br />背中ではなく、頭に荷物をのせて運んだのは、<br />柴など長さがあるものを<br />進行方向と平行にのせることで、<br />細く険しい山道を少しでも歩きやすくしたためとか。

    大原女とは、大原でとれた柴や薪、農作物などを頭にのせて
    京の町まで売りに歩いた行商の女性のことで、
    鎌倉時代から昭和初期まで、
    約800年にわたって続いてきた大原の風習。
    時代とともに少しずつ装いに変化はありましたが、
    紺色の着物に赤いたすきを掛けた
    独特の装束で知られています。

    往復20数kmもの道のりを歩くだけでなく、
    頭の上には通常で30~40kg、
    多い人では50kgにもなる荷物をのせて運んだとか。

    頭に荷物をのせるのも工夫から
    背中ではなく、頭に荷物をのせて運んだのは、
    柴など長さがあるものを
    進行方向と平行にのせることで、
    細く険しい山道を少しでも歩きやすくしたためとか。

  • 寂光院前の広場で待機、

    寂光院前の広場で待機、

  • 建礼門院陵・大原西陵へ階段を上がる・<br />この奥に<br />寂光院の東に隣接する高倉天皇皇后徳子<br />(建礼門院)の大原西陵<br /><br />平清盛の次女で、高倉天皇の皇后であり、<br />安徳天皇が生まれると天子の国母となった建礼門院。<br /><br />平安時代末の治承5年(1181)閏2月4日、<br />平清盛が世を去るとそれまで、<br />栄耀栄華を極めた平家の勢力に陰りが見え始め、<br />代わって源氏が勢力を盛り返します。<br />木曽義仲の攻撃により建礼門院をはじめとする<br />平家の者は京の都を追われます。<br /><br />元暦2年(1185)3月、<br />壇ノ浦の戦いでついに平家は滅亡しますが、<br />その最中、建礼門院の母・時子が10歳にも満たない<br />建礼門院の子・安徳天皇を抱いて入水します。<br />続いて建礼門院自らも海にその身を投じました。<br />しかし幸運と言うべきか、皮肉と言うべか、<br />偶然にも建礼門院は源氏方に助けられたのでした。<br /><br />その後、建礼門院は京に送還され、<br />ひどくみすぼらしい朽ちた僧房で日々を送ることとなります。<br /><br />元暦2年(1185)5月、建礼門院は剃髪して入寺し、<br />それからというもの安徳天皇と<br />平家一門の菩提を弔う日々を送っていました。<br /><br />建礼門院はそうした日々を送る中、<br />いつしか、いやな事を耳にしてつらい思いをしながらの<br />今の都の近くでの暮らしよりは、<br />何かと寂しいながらもそういったことの耳に入らない<br />深い山の奥へでも行き、静かに暮らしたいと思うよう。<br /><br />建礼門院は大原山の奥に寂光院という所があることを聞き、<br />文治元年(1185)9月末、寂光院に移ったのでした。<br />今から800年以上も昔のこと。

    建礼門院陵・大原西陵へ階段を上がる・
    この奥に
    寂光院の東に隣接する高倉天皇皇后徳子
    (建礼門院)の大原西陵

    平清盛の次女で、高倉天皇の皇后であり、
    安徳天皇が生まれると天子の国母となった建礼門院。

    平安時代末の治承5年(1181)閏2月4日、
    平清盛が世を去るとそれまで、
    栄耀栄華を極めた平家の勢力に陰りが見え始め、
    代わって源氏が勢力を盛り返します。
    木曽義仲の攻撃により建礼門院をはじめとする
    平家の者は京の都を追われます。

    元暦2年(1185)3月、
    壇ノ浦の戦いでついに平家は滅亡しますが、
    その最中、建礼門院の母・時子が10歳にも満たない
    建礼門院の子・安徳天皇を抱いて入水します。
    続いて建礼門院自らも海にその身を投じました。
    しかし幸運と言うべきか、皮肉と言うべか、
    偶然にも建礼門院は源氏方に助けられたのでした。

    その後、建礼門院は京に送還され、
    ひどくみすぼらしい朽ちた僧房で日々を送ることとなります。

    元暦2年(1185)5月、建礼門院は剃髪して入寺し、
    それからというもの安徳天皇と
    平家一門の菩提を弔う日々を送っていました。

    建礼門院はそうした日々を送る中、
    いつしか、いやな事を耳にしてつらい思いをしながらの
    今の都の近くでの暮らしよりは、
    何かと寂しいながらもそういったことの耳に入らない
    深い山の奥へでも行き、静かに暮らしたいと思うよう。

    建礼門院は大原山の奥に寂光院という所があることを聞き、
    文治元年(1185)9月末、寂光院に移ったのでした。
    今から800年以上も昔のこと。

  • 寂光院前に集合

    寂光院前に集合

  • 平安時代、<br />大原は若狭湾と京を結ぶ中継地点として発展しました。<br />比叡山延暦寺の麓に位置し、三千院や勝林院など、<br />天台宗の寺院が点在します。<br />独特の衣装を着た女性たちが京の町へ出向き、<br />薪炭を行商する風習がありました・

    平安時代、
    大原は若狭湾と京を結ぶ中継地点として発展しました。
    比叡山延暦寺の麓に位置し、三千院や勝林院など、
    天台宗の寺院が点在します。
    独特の衣装を着た女性たちが京の町へ出向き、
    薪炭を行商する風習がありました・

  • 寂光院前に集合

    寂光院前に集合

  • 寂光院...建礼門院徳子<br /><br />時代の野望と覇権争いの道具のように<br />扱われ翻弄された悲運のプリンセス、建礼門院徳子。<br />大原の寂光院で平家一族の菩提を弔う<br />建礼門院徳子ー寂光院での静かで淋しい生活こそ、<br />本人にとっては心安らぐ人間らしい暮らしというものであったかも。

    寂光院...建礼門院徳子

    時代の野望と覇権争いの道具のように
    扱われ翻弄された悲運のプリンセス、建礼門院徳子。
    大原の寂光院で平家一族の菩提を弔う
    建礼門院徳子ー寂光院での静かで淋しい生活こそ、
    本人にとっては心安らぐ人間らしい暮らしというものであったかも。

  • 寂光院を<br />その様子は、明らかでないのですが<br />時代ごに異なる大原女の衣装を身にまとった大原女さん達<br />参拝をする事?

    寂光院を
    その様子は、明らかでないのですが
    時代ごに異なる大原女の衣装を身にまとった大原女さん達
    参拝をする事?

  • これから。続々と寂光院へ入られます。

    これから。続々と寂光院へ入られます。

  • 暫くすると、寂光院から広場へ<br />建礼門院徳子・阿波内侍

    暫くすると、寂光院から広場へ
    建礼門院徳子・阿波内侍

  • 大原女さん達が寂光院から広場へ

    大原女さん達が寂光院から広場へ

  • 大原女さん達が寂光院から広場へ

    大原女さん達が寂光院から広場へ

  • 大原女さん達が寂光院から広場へ

    大原女さん達が寂光院から広場へ

  • 続いて、建礼門院陵・大原西陵へ階段を上がる・

    続いて、建礼門院陵・大原西陵へ階段を上がる・

  • 建礼門院陵・大原西陵へ階段を上がる・<br />この先は、関係者のみ入れるので、<br />入り口にて待機。

    建礼門院陵・大原西陵へ階段を上がる・
    この先は、関係者のみ入れるので、
    入り口にて待機。

    寂光院 寺・神社・教会

  • 建礼門院陵・大原西陵の階段を降りられる・

    建礼門院陵・大原西陵の階段を降りられる・

  • 建礼門院陵・大原西陵の階段

    建礼門院陵・大原西陵の階段

  • 建礼門院陵・大原西陵の階段

    建礼門院陵・大原西陵の階段

  • 建礼門院陵・大原西陵の階段

    建礼門院陵・大原西陵の階段

  • 建礼門院陵・大原西陵の階段

    建礼門院陵・大原西陵の階段

  • 山里に美しく映える新緑

    山里に美しく映える新緑

  • 午後1時すぎ、行列は、平家物語の大原御幸の舞台、<br />寂光院を出発した。<br />各時代ごとの大原女の伝統衣装に身を包み、<br />紺地の着物に赤いたすきを掛け、<br />手ぬぐいを頭にかぶって女性約50人が、<br />約2キロを2時間ほどかけて、三千院へ

    午後1時すぎ、行列は、平家物語の大原御幸の舞台、
    寂光院を出発した。
    各時代ごとの大原女の伝統衣装に身を包み、
    紺地の着物に赤いたすきを掛け、
    手ぬぐいを頭にかぶって女性約50人が、
    約2キロを2時間ほどかけて、三千院へ

  • 何時もだと、子供達が明るい雰囲気だが、<br />殆どいなかった。

    何時もだと、子供達が明るい雰囲気だが、
    殆どいなかった。

  • 大原の里から町に薪を売りに出た「大原女(おはらめ)」<br />を再現した大原女時代行列のスタートです。

    大原の里から町に薪を売りに出た「大原女(おはらめ)」
    を再現した大原女時代行列のスタートです。

  • 大原女時代行列のスタート

    大原女時代行列のスタート

  • 大原女の衣装は、紺や黒の和服にかすりの前掛け、<br />赤いたすきなどを身につけ、<br />手ぬぐいを頭に巻いて薪を乗せるスタイル。

    大原女の衣装は、紺や黒の和服にかすりの前掛け、
    赤いたすきなどを身につけ、
    手ぬぐいを頭に巻いて薪を乗せるスタイル。

  • 先頭に辿り着く。

    先頭に辿り着く。

  • 急いで、この場所から撮る・

    急いで、この場所から撮る・

  • 行列は午後1時すぎに寂光院を出発し、<br />三千院を通り、勝林院までの約2キロをかけて行列巡行する。

    行列は午後1時すぎに寂光院を出発し、
    三千院を通り、勝林院までの約2キロをかけて行列巡行する。

  • この先を左折して。<br />子供行列・室町時代行列・江戸時代行列・大正行列と、<br />恰好の違いを比較しながら観賞すると楽しい。

    この先を左折して。
    子供行列・室町時代行列・江戸時代行列・大正行列と、
    恰好の違いを比較しながら観賞すると楽しい。

  • 正面から撮るものの、<br />大原女さんと一緒にいろんな方々が<br />通られるので、撮るのが困難。

    正面から撮るものの、
    大原女さんと一緒にいろんな方々が
    通られるので、撮るのが困難。

  • 大原女 (おはらめ)・・・<br />大原や八瀬の里から紅と白の柄の紺絣を着て.<br />真紅の襷を掛け.白足袋で草履を履き<br />紺色の手甲・脚袢に.白い手拭を被り<br />薪・しば・花・農作物などを頭にのせて、<br />京都の繁華街に行商に出る、その姿その衣装が・・・。<br />(寂光院に穏棲された建礼門院に仕えた阿波内侍が着てる衣装が原型)<br /><br />

    大原女 (おはらめ)・・・
    大原や八瀬の里から紅と白の柄の紺絣を着て.
    真紅の襷を掛け.白足袋で草履を履き
    紺色の手甲・脚袢に.白い手拭を被り
    薪・しば・花・農作物などを頭にのせて、
    京都の繁華街に行商に出る、その姿その衣装が・・・。
    (寂光院に穏棲された建礼門院に仕えた阿波内侍が着てる衣装が原型)

  • 晩年を寂光院で過ごした平清盛の娘、<br />建礼門院に仕えた女性が薪売りをした際に<br />着た衣装が原形とされている。

    晩年を寂光院で過ごした平清盛の娘、
    建礼門院に仕えた女性が薪売りをした際に
    着た衣装が原形とされている。

  • 彼女たちは往復20数kmもの道のりを歩くだけでなく、<br />頭の上には通常で30~40kg、<br />多い人では50kgにもなる荷物をのせて運んだと伝わります。<br /><br />

    彼女たちは往復20数kmもの道のりを歩くだけでなく、
    頭の上には通常で30~40kg、
    多い人では50kgにもなる荷物をのせて運んだと伝わります。

  • 撮影ポイントで、

    撮影ポイントで、

  • 更に、田園場所の奥から・

    更に、田園場所の奥から・

  • 見にくいので、ズームアップ。

    見にくいので、ズームアップ。

  • 少し前の様子、<br />(三千院・勝林院を出発)~(寂光院)

    少し前の様子、
    (三千院・勝林院を出発)~(寂光院)

  • 少し前の様子、<br />(三千院・勝林院を出発)~(寂光院)

    少し前の様子、
    (三千院・勝林院を出発)~(寂光院)

  • 少し前の様子、<br />(三千院・勝林院を出発)~(寂光院)

    少し前の様子、
    (三千院・勝林院を出発)~(寂光院)

  • 第43回「平安物語」ゆかりの地 大原女まつり<br />先頭へ行けず、狭い道。

    第43回「平安物語」ゆかりの地 大原女まつり
    先頭へ行けず、狭い道。

  • 大原女時代行列.大原女装束の方々と一緒に歩く・

    大原女時代行列.大原女装束の方々と一緒に歩く・

  • 国道近くの手前、<br />ここも大原女時代行列の撮影ポイント、<br />急いで先頭へ

    国道近くの手前、
    ここも大原女時代行列の撮影ポイント、
    急いで先頭へ

  • この前は、菜の花が咲いてるのですか゛<br />菜の花は。あまり咲いてなく、手入れも良くないので、<br />進行方向から。<br />

    この前は、菜の花が咲いてるのですか゛
    菜の花は。あまり咲いてなく、手入れも良くないので、
    進行方向から。

  • 時代ごとに異なる大原女の衣装を身にまとった大原女さん達が、<br />寂光院~勝林院にかけて行列巡行する中間点。

    時代ごとに異なる大原女の衣装を身にまとった大原女さん達が、
    寂光院~勝林院にかけて行列巡行する中間点。

  • 大原女の小径は、坂を上がると<br />国道、バス停から女ひとり歌碑へ進み。<br />女ひとり歌碑付近の茶屋で、<br />休まれるので、少し安堵な気持ちになったのでは、<br />わらじて歩かれて、頭の上に・・・。<br /><br />皆さん、お疲れ様。

    大原女の小径は、坂を上がると
    国道、バス停から女ひとり歌碑へ進み。
    女ひとり歌碑付近の茶屋で、
    休まれるので、少し安堵な気持ちになったのでは、
    わらじて歩かれて、頭の上に・・・。

    皆さん、お疲れ様。

  • 女ひとり歌碑<br />

    女ひとり歌碑

  • 大原女さんは、休憩の後<br />三千院へ向かわれますが、<br />雨が心配で、私は<br />いろいろお話しをした方に、<br />別れを告げて帰路へ

    大原女さんは、休憩の後
    三千院へ向かわれますが、
    雨が心配で、私は
    いろいろお話しをした方に、
    別れを告げて帰路へ

262いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • masamimさん 2023/05/07 21:14:23
    延々と続いてほしい、素晴らしい催しです。
    風に吹かれて旅人さんこんばんは! masamimです7.

    大原女まつりの様子、楽しく拝見しました。

    「大原女時代行列」って、
    大原女装束を身にまとった大原女が大原の里を練り歩く様子は、素晴らしいですね。
    室町時代から続いてるなんて、やっぱり古都ならでは。

    のどかな田園風景と自然豊かな大原の里の風景もいいですね・・

    建礼門院は大原で過ごされていたんでしたね。
    安徳天皇の母親で、一緒に壇ノ浦の海に身を投げたんですもんね。

    寂光院に移り住まわれたのは安徳天皇が生まれた後だったのかぁ・・

    栄枯盛衰!って、建礼門院は平家の終焉と同じに悲しく人生を終わられましたよね。
    ここにお墓もあったとは、知りませんでした。

    女時代行列、たくさんの画像で楽しませていただきました。
  • てんとう虫さん 2023/05/05 11:42:06
    こんにちは
    風に吹かれて旅人さん、いつも訪問、いいねをありがとうございます。

    「大原女時代行列」と言うのを初めて見せて貰いました。
    このような行事、いつまでも残して貰いたいですね。
    ありがとうございます。

風に吹かれて旅人さんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP