2019/04/19 - 2019/04/21
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nichiさん
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引き続き出島を見て歩いています。
鎖国時代、ヨーロッパに開かれていた日本の唯一の玄関口である出島。
見所満載で、私たち夫婦は予定時間を大幅オーバーして見て回りました。
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乙名詰所です。
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出島への人の出入りを監視した場所です。
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日本側で出島管理の実務を担ったのが、長崎の有力町人から奉行が選任した出島乙名です。
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貿易事務一切と、商館員の監視役でもありました。
しかし監視役と言っても、商館員の生活を支える立場でもあったようです。 -
他の建物に比べ、極めて日本的です。
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この辺り、絵になります。
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こんな大砲がありました。
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阿蘭陀の船に積まれていたブロンズ製12ポンド砲です。
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この奥には?
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ここは?
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料理部屋?
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オランダ商館員たちの食事を作る台所を再現しています。
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これは「時鐘」。
正午の昼食時に撞かれた鐘です。
綱を引いて鐘を鳴らす西洋式。
日本は梯子を登って直接叩きますよね? -
この建物は?
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拝礼筆者蘭人部屋???
長屋のように四区画に分かれており、数人のオランダ人の書記役が住んでいました。
2階では映像で出島の様子を紹介していました。 -
中では出島の貿易が世界と日本をどれぐらいつないできたのか紹介されていました。
これは当時の時計です。 -
二挺天符台時計と言う時計です。
昼と夜の時刻の間隔が違う不定時法と言うお江戸の時刻制度??
全く知りませんでした。
季節によって1時間の長さが変わらないのが定時法、変わるのが不定時法です。
江戸時代、1日を昼と夜に分け、それぞれを分割して時刻を決めていました。
昼の長さは季節によって変化しますので、1時間の長さも季節によって変化します。
日の出の約30分前が明け六つ、日没の約30分後が暮れ六つとして、その間を昼夜それぞれ6等分して一刻(いっとき)としていたんですね。
この時計は、昼用と夜用併用で、明け六つ、暮れ六つで自動的に切り替わるようになっていました。 -
この建物は?
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新石倉と言う石造りの倉庫です。
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中では出島の施設案内と歴史の紹介映像が流れていました。
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表門です。
2,017年11月に復元が完成したところです。 -
長崎市街から出島に通じる唯一の出入り口が、江戸町から出島橋をわたったところにある表門で、常に役人たちが厳重に警備していました。
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出島橋を半分渡って表門を振り返ります。
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橋から出島の左側部分を見ると、
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出島の右側部分を見ると、
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ここにも乙名詰所があります。
表門の目の前で、人の出入りを監視していました。 -
こちらは旧石倉です。
幕末の商社の石倉で、坂本龍馬たちの海援隊とも取引を行いました。 -
居留地時代の地番境石です。
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こちらの木の建物は?
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組頭部屋&銅蔵です。
銅を計量したり、梱包したりしていた場所です。 -
中では銅の保管する様子を再現しています。
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銅は、棹銅入箱と言う箱に入れられていたんですね。
国内で生産された銅は、オランダの貿易船によって世界に輸出されていました。 -
キャピタン橋と葡萄棚
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寛政十年(1,798年)の大火前後に描かれた出島の絵を参考に造られました。
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1/15のミニチュアの出島の模型です。
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これから復元が計画されているエリアに広がっています。
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文武3年(1,820年)ごろ描かれた「長崎出島之図」を参考に昭和51年(1,976年)に制作され、地元高校生によって修復されています。
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こちらは表門側から。。。
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私たちが入ってきた西側水門ゲート側です。
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周りを水に囲まれると出島になります。
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2,050年を目指して出島の復元が進んでいます。
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現在、16棟の復元が終わっていて、19世紀初頭の街並が甦っています。
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アーチ状のオランダ石門です。
東インド会社の「VOC」と言う社章がアーチの上部に見えるというのですが、どれだか判らず、、、、 -
東側から出島のメイン通りを見てみます。
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旧出島神学校です。
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明治11年(1,878年)に建てられた現存する日本最古のプロテスタントの神学校です。
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旧出島神学校の説明書き。
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絵になる建物ですね。
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1階には出島のおみやげ屋さんがありました。
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この大きな木は?
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デジマノキ
オランダ人がジャカルタからこの地に移植しました。
日蘭交流の貴重な記念樹です。 -
この隣の建物は?
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旧長崎内外クラブ
と言うレストランです。
普通にレストランとして営業中でした。 -
グラバー園の旧リンガー住宅のオーナー、フレデリック・リンガーが資金援助した建物です。
明治36年(1,903年)に建てられました。 -
陶製の門柱です。
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この門柱、オランダのマーストリヒトにある商社の製品です。
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南側護岸石垣です。
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南側護岸石垣の説明書き
平成8年~9年の調査で発見されました。 -
東側の明治ゲートから外に出ます。
出島、楽しくて予定の時間を大幅にオーバーしてしまいました。
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この旅行記へのコメント (3)
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- mistralさん 2019/05/16 21:04:52
- 出島
- nichiさん
はじめまして。
長崎、外海の旅行記にご投票までいただきまして
有難うございました。
nichiさんもご夫妻で長崎にいらっしゃったんですね。
私たちは市内はあまり見学する時間がなく
出島には行ったのですが
薄暗くなり始め、早々に退散してしまいました。
今回nichiさんの旅行記で出島内部の詳細を拝見出来て
良かったです。
有難うございました。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
mistral
- nichiさん からの返信 2019/05/17 05:29:39
- RE: 出島
- mistral こんにちは。
コメント頂きありがとうございます。
50代後半の定年間近の私と50代半ばの家内のツガイでございます。
長崎から帰ってきて、行けなかった長崎の様々なエリアの旅行記を色々拝見していた中で、mistralさんの外海の旅行記に目が留まりました。
私も学生の頃、「沈黙」読みました!
遠藤周作、大好きなんです!!!!
「海と毒薬」「沈黙」「侍」「深い河」
私に大きな影響を与えた作品です。
「キリスト教と日本人」のテーマの中で、「キリスト教的唯一神論と日本的汎神論の矛盾」の融和点とは何か?
なんて考えちゃうと、外海は絶対に訪れてみたい場所なんです。
伺えなかった外海だったので詳しい旅行記を拝見し心が豊かになりました。
ありがとうございました。
長崎の旅行記の続編を楽しみにしております。
- mistralさん からの返信 2019/05/17 08:56:16
- RE: RE: 出島
- nichiさん
ご返信いただき、有難うございました。
> 長崎から帰ってきて、行けなかった長崎の様々なエリアの旅行記を色々拝見していた中で、mistralさんの外海の旅行記に目が留まりました。
> 私も学生の頃、「沈黙」読みました!
> 遠藤周作、大好きなんです!!!!
> 「海と毒薬」「沈黙」「侍」「深い河」
> 私に大きな影響を与えた作品です。
目に留めていただき光栄です。
そうだったんですね。
当時は遠藤周作の作品は多くは読めず
今、深い河、読み進めています。
もっとも狐狸庵先生シリーズは読んだ記憶があります。
一方で、明るい作品も多くあり、
今回文学館を訪問して、両親の離婚騒動があり
当時の周作さんは家の中で、家族に対して明るく振舞っていた
ということが書かれていて、そんな事も原点の一つと
思い当たりました。
> 「キリスト教と日本人」のテーマの中で、「キリスト教的唯一神論と日本的汎神論の矛盾」の融和点とは何か?
> なんて考えちゃうと、外海は絶対に訪れてみたい場所なんです。
重く大きなテーマですね。
かくれキリシタンの方々の辿られた道のり、のことを想いますと
日本人の宗教観の一つの応え?、のようにも想いますが、
実際自分自身は特定の宗教を持っていませんので
どのような道を選ぶか?は答えが出せません。
> 伺えなかった外海だったので詳しい旅行記を拝見し心が豊かになりました。
> ありがとうございました。
> 長崎の旅行記の続編を楽しみにしております。
ぜひ機会がおありでしたらご訪問下さいませ。
mistral
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