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《2019.June》あみんちゅ令和を迎えたTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その壱~アプローチ編~<br /><br />戦後70年を迎えた平成27(2015)年に初めて訪れた沖縄戦全戦没者追悼式。毎年この時期を沖縄で過ごすようになってから5年の月日が流れました。追悼式と言うからには厳か感が漂うものと確信して行ったものの、まさかの米軍基地辺野古移設反対のシュプレヒコールを式典参列者が乗っているシャトルバスに向けて発信するというお粗末さ。追悼式とは沖縄ではどのような解釈がされているのかと疑ったことから始まりました。<br /><br />この考え方は変わらないのかと一抹の不安を抱きつつ、その変貌を自らの目で確認したくなったことも6月の来沖を後押ししていたことに違いはありません。滞在日数はその時々によって3~4日でやり繰りして、自分自身が知りたいことを現地調査しつつ、沖縄戦で亡くなった全戦没者の慰霊を念頭においてきたつもりです。しかし理由というのは建前としか取られない現実があり、事実異動した店ではイベントを休むとはなんぞや?とも言われ、今年の参加を認めないようなことも言われました。<br /><br />そういう発言ができる方に何を言っても始まりません。結局は自分の考えを貫くにはサラリーマンを辞める覚悟も必要な時代なのだと割り切り、理解を得られる職場を探そうかとも思いました。ただ運良くだか悪いのかわかりませんがイベント日程が変わったことで2ヶ月前にやっとOKが出ました。<br /><br />しかしこれは今年のことであり、来年はどうなるかはわかりません。既に令和2年の日程も決まっていながら、職場理由を突きつけられるのも嫌気がさしているのも確かです。<br /><br />行く前からそのようなすったもんだがあった今年の沖縄行き。飛行機や宿泊の手配もそこからなので、あらゆる点で中途半端なものしかできませんでした。<br /><br />そんなこんなで迎えた出発の日。前日が通し番だったこともあり、午前中の便を利用するのは敢えて避けました。さぁどのような旅路になったのやら・・・。それでは〝《2019.June》あみんちゅ令和を迎えたTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その壱~アプローチ編~〟がはじまります。<br /><br />【令和元(2019)年6月21日金曜日】<br />旅立つ朝はいつもの如くバタバタです。ただ着替え等の荷物は事前に作っておいたため、記録品など普段使いのものをかき集めて出発します。<br /><br />いつもの如くオヤジ殿に駅まで送って貰い、JRで京都へと向かいます。快速に乗って14分で京都に到着。そしていつもと同じく地下出口を利用し八条口を目指します。関西空港リムジンバスならば、アバンティ前になりますが、今回は全日空を利用するために伊丹空港を目指します。以前はアバンティ前にあった大阪空港リムジンバスの乗り場。近くの金券ショップで回数券のバラ売りが50円引きで購入できたので重宝していました。しかし八条口の再開発事業で西側にずれたためになにかと勝手が悪くなりました。そんなこともあり一服もしないでバス停に直行して予定より一本早いバスに乗車し、一路伊丹空港を目指します。<br /><br />カートの嫌いな私はいつもボストンバッグとデーパックを愛用しています。一度空いているとみてバックを車内に持ち込んだところ、次のターミナルから乗客が増えて膝の上に10kg近い荷物を置いて懲りたことがありました。それ以来トランクに預けるようになったのですが、今回は「車内に持ち込んで下さい」と言われたことから空いているのか?と思いきや、2人がけのシートは埋まっている状態。行きから膝の上は懲り懲りなので補助席を倒して荷物置き場にします。乗客が多いならば補助席も仕方がないですが、基本空港行きのリムジンバスの場合には到着とともにダッシュする方もおり、あまり気乗りはしないのですが仕方がありません。でも出発間近だったので面倒臭いと思われたのかも知れません。愚痴っても始まらないのでこれ以上は言いませんが、決して気持ち良くアプローチが始まったとも言えないのは残念でした。<br /><br />バスはいつものルートを快調に走り、予定時刻に伊丹空港に到着しました。一昔前まではギリギリの到着が当たり前だった私が、1時間半前に到着するようになったのはLCCを利用するようになったからでした。取り敢えず荷物から解放されたいのでチェックインだけ済ました後、滅多に来ない伊丹空港を散策します。工事中のところが多く歩き辛い部分もありますが決して広い訳ではありません。マスコットキャラ〝そらやん〟との顔出しツーショットが撮れたりもしますが、一人旅の悲しい宿命で〝こんなものがあるよ~〟の紹介だけになってしまいます(泣)。でも東京五輪や大阪万博を見越しての改築は、綺麗になる反面味気ないものになる部分も出てくるのは致し方ないことなのでしょう。喫煙所も喫煙室になりました。大阪中央郵便局空港内分室は豊中南郵便局大阪国際空港内分室に変更となり郵便業務のみの取り扱いに。お洒落なLAWSON開店以外にも色々・・・。確かにたまにしか来ないから余計にそう思えるのかも知れません。<br /><br />なんとなくセンチになりながら歩いていたものの適当な時間となり、沖縄へと舵を切ることにします。セキュリティを追加して13番ゲート前に到着。14:00発のNH767は搭乗が自身初となるB787-8での運航です。UAマイルでのフリートラベルゆえ通路側席が振り分けられていたものの、数日前に後方ながら窓際席をゲットし36Aが割り当てられました。ボーディングブリッジの搭乗はなかなかの優越感。でも手荷物を纏める袋やヘッドフォンがセルフピックアップになっていたのはちょっとびっくり。ワイドボディならではの2列通路を歩いてSit-Down、そして窓から見えるJALのB738なんかに私も少しランクが上がったかな~なんて脳内暴走しているうちにドアクローズ。プッシュバックに入るまでに少し時間はかかったけど、珍しく離陸待ちもなくTake-Off。暫しのお別れOOSAKA~と空港ターミナルに語り掛け、そのまま雲の中へと飛んで行きました。<br /><br />せっかくの窓際席も連勤の疲れから離陸を確認するとzzz。でもドリンクサービスの時には起きていたので長くは寝ていなかったようです。ただひとつ気になるのは南下するにつれて雲が多くなる様子。5回目にして初めて梅雨明けしていない沖縄行きになったのでそこは気がかりでもありました。<br /><br />飛び上がった飛行機はそのうちに着陸態勢に入り、沖縄島が見えてくるとたかティム誇る単気筒49ccエンジン(爆)がかかりはじめます。那覇空港混雑のために上空で暫く旋回をした後着陸。1時間50分の所要時間には少し遅れたものの許容範囲。実に14年ぶりとなるANA便での沖縄入りとなった瞬間です。<br /><br />降機し荷物をピックアップした後は去年と全く同じです。レンタカー待合で係員に名前を告げて送迎車を暫く待ちます。そして営業所に着けば空港待合到着順の受付なのでそれもすぐ。ちなみにフジレンタカーを利用し続けている理由は〝フル込みプラン〟の存在です。レンタカーと言うと基本料金は安くても免責補償やガソリン満タン返し等の細かい説明が多い上にオプションを追加するとなんで??という高い金額になるのが当たり前です。それに万が一の保険適用には必ず警察への事故届が必要だとか結構煩雑なことも必須として言われますが、このフジレンタカーの場合は鍵を返せばOKなので純粋に〝乗るだけプラン〟だと言えます。レンタカーの事故が多い沖縄ゆえ、当て逃げに気付かないまま返車すると補償を受けることができないために、問題になることも近年少なくありません。せっかくの短い休日を台無しにしたくない思いからこちらを利用するようになりました。<br /><br />4日間で11,700円、そこにクーポン3,000円割引を入れて8,700円。乗るだけプランがこの値段ですから他を当たる必要もありません。傷のチェックもなく支払いと貸し出しサインだけをすればスタートです。そして今回の旅の友となるVitzクンと対面し、早速夕方の那覇の街へと走り出しました。<br /><br />走り出した途端営業所界隈の渋滞はいつものこと。でも毎年変わらぬ第一目的地は渋滞に巻き込まれでも5分で到着します。奥武山公園、所謂沖縄セルラースタジアムのある場所ですが、こちらのとある顕彰碑に毎年立ち寄ります。島田叡氏、沖縄県最後の官選知事ですが沖縄戦当時沖縄守備第32軍と折衝を行い、沖縄県民のために奔走した人物でもあります。島田知事の最後は未だ不明ではあるもののその勇気ある行動を讃え、沖縄の父と評される人物です。学生時代からスポーツマンだった彼は出身地の兵庫県と沖縄県の間にスポーツ交流を推し進めたこともあり、戦後彼の思いは両県民に引き継がれ、この奥武山公園がスポーツの聖地として今尚功績を称えるグラウンドとして引き継がれています。直接的にはなんの所縁もない私ですが、自分自身のことを考えるだけでも精一杯なのになぜそこまで彼が思い入れを持てたのかといつも考えさせられ、その思いを忘れないように自分自身を戒める意味も込めて立ち寄っている次第です。一年間どんなことをしていたのかを報告し、新たな気持ちに切り替えて一年間を過ごすのかを自問自答する場所として来沖の第一目的地としています。<br /><br />一息ついた後に車を走らせ、向かう先は首里城公園。閉館時間の19:00を目前にして行く場所ではありませんが元々首里城散策に行くためではありません。県営駐車場に車を停め守礼之門までは行くものの中へは入らず右手に曲がります。向かった先には石碑が2本。史跡首里城と琉球大学跡と刻まれています。沖縄戦で焼失した首里城と米国統治の時代に開学した琉球大学。日本返還を機に首里城再建の動きが出始め、敷地内に建てられていた琉球大学を移転させて現在の首里城が再建されることになりました。切っても切れない両者の関係を後世に残すべく碑が建立されて現在に至っています。観光ルートから少し離れているだけで訪れる者もいないふたつの碑。沖縄戦がなければ首里城跡地に敢えて大学を作る筈もないことからやはり戦跡のひとつにして間違いはないでしょう。<br /><br />そのまま歩くと道路脇にあるセメント作りのなにやら塊を目にします。辿り着いた本人がこんなにわかりやすい場所にあったのかと驚いたのはトーチカ跡でした。沖縄戦当時に首里城地下に構築された第32軍司令部壕。それを取り囲むようにいくつものトーチカが作られたそうです。現在残存しているものは少なくはなったものの、鉄板で隠されている銃眼は正しくここが戦地であったことの証です。首里城の周りを車で走ればわかるものでありながら、気づくことがなかったのは景色と一体化していることに他なりません。観察力の不足を痛感しましたが、ひとつ新たな戦跡を訪問できたことには感謝感激雨あられです。<br /><br />そのまま進むと金城の石畳みを歩くことになりますが、途中に大きな木が茂っていることに気づきます。首里金城の大アカギ、樹齢400年の大木を筆頭にかなりの年期が入ったアカギの木が集まっています。本島中南部は焼野原になった沖縄戦をどうやって生き延びられたのか疑問に思われることも多いようですが、この場所へ来るとなるほどな~と思えます。首里城界隈への攻撃はは艦砲射撃によるものであり、高台に位置する首里城の陰になって奇跡的に焼け残ったことが理由です。戦後この界隈は宅地化され家が立ち並ぶようになったものの、現在の大アカギの根元にある御嶽を含め、聖なる場所として保護されてきました。その結果が鬱蒼としている住宅地内の茂みとなって現在に至っています。ただこの景色をデジカメで撮影すると明るさが補正されてしまい厳か感はなくなってしまいます。とは言えアナログカメラを用いると暗過ぎる・・・。画像で見るには難しい場所であることに違いはありません。要は現地で見るから素晴らしいと思える場所であってメディアを介するとわかり辛い所でもあります。高感度フィルムを利用してストロボを併用しても、デジカメで色々なモードを利用して撮影してもその景色を切り取ることはできません。残念に思いつつもその場にいる臨場感に酔いながら大アカギの樹林を後にします。<br /><br />石畳ロードを下り切ると金城橋と識名平の碑へと辿り着きます。最近は金城の石畳とガイドブックにも紹介されており、観光用に作られたのかと錯覚しますが、実は尚王朝時代に始まる高貴な方々が通った道であるそうです。松並木があり識名園につながる道と橋、残念ながら橋を架け替えた歴史を示す碑が建立されたものの沖縄戦で損傷し、そのかけらが集められて現在の場所に移設されたそうです。全てが新しくなり歴史の流れを感じる要素は少ないものの、この道が古には首里から島尻へと向かう幹線道路を担っており、橋そのものを重要視していたことがわかります。実際に識名園まで歩いて往時を感じるとまた見方が変わるのでしょうが日も暮れてきており時間的な余裕もないため、次回の楽しみにして車へと戻ることにします。<br /><br />ヘタレの私にはこの石畳みの道は見るため・下るためのものであり、運動不足の現代人にとって登りはかなりキツいものでしかありません。日が暮れて直射日光による暑さが薄らいだとはいえご老体にはかなり応えます。休憩がてら首里金城村屋や金城大樋川といった場所で一息つきながらやっとトーチカ跡までたどり着き、もう一息と自分自身にハッパを掛けて車へと戻り、次なる目的地を目指して出発します。<br /><br />私が旅行時に撮影したフィルムは自宅へと戻ってから現像を依頼するために発送していました。しかし飛行機に搭乗する際にセキュリティで行われるX線検査。今では問題にされることもないようですが、これに影響を受けてしまうのがアナログフィルム。X線被りと呼ばれるフィルムの感光が起こってしまい、撮影済みのフィルムに光のムラみたいなものができてしまいます。それを防ぐためにどうしていたかというと、沖縄からいつも現像処理をお願いしている岩手県のお店まで船便+陸送で送っていました。行きに約一週間、処理に2~3日でDM便にて滋賀県の我が家までの所要日数は2週間ほどかかるのが当たり前でした。高感度フィルムを使用した際に2回程チェーン店の写真屋さんにお願いしたことがありましたが良い値段だったことを記憶しています。そんな中たまたま那覇でフィルム現像とデータ化を行なっている写真屋さんの情報を知り、旅行前に撮影した未現像フィルムだけを先にお願いしようとお店に行ってみました。石嶺写真館というお店は表向きは普通の写真屋さんですが、仕上がりまでの日数を若干プラスすることで隙間時間を利用して仕上げるサービスを提供されておられます。気になる値段はと言うと現像+4BASEの仕上げで税込350円、解像度2倍の16BASEでも500円という安さ!これは行くしかないと向かったもののどうやら閉店時間を過ぎており既にシャッターが閉まっていました。今日出しても仕上がりは帰った後になるため郵送にはなるのですが、仕上がるまでの時間は約半分で済むため、最終日に立ち寄ることを考えてつつ今日のところは退散します。ローソン前田小学校前店に立ち寄って一息つき、嘉数高台公園付近のとある場所を探すもやはり見つからず、移動での疲れもありようやくホテルを目指すことにします。<br /><br />沖縄の旅初日の宿は毎回変えているのですが、今回は沖縄市で手配をしています。宜野湾から沖縄市だとナビ曰くは沖縄道を走れと煩いですが20km位の距離に高速は使いません。一般道を走って小一時間でホテルのある沖縄市へと到着します。<br /><br />元コザ市と呼ばれた沖縄市は、米軍嘉手納基地の1/3がある場所です。日本復帰前には米兵による沖縄人に対する暴行事件等が横行しており、交通事故をきっかけに起こったコザ騒動の現場となった場所でもあります。復帰後も米軍基地は残り、公になっているだけでも年に数回は米兵による住民に対する事件は起こっているのが現実です。<br /><br />しかし悪いことばかりでもなく、米兵相手のお店が軒を連ね夜でもそれなりの活気がありました。北谷のアメリカンビレッジ同様こう言った雰囲気が好きな方には良いかもしれませんが、基本的に人混みの嫌いな私には人がたむろしているだけで生理的に受け付けないので近づくこともありません。おまけに酒を飲んで盛り上がっている連中なので、脇を通り過ぎるには細心の注意を払わねばなりません。人混みを通り過ぎて平常心に戻るとふと今晩必要な水分を仕入れることを忘れていることに気付きます。一旦ホテル前を通り越してファミリーマート美里公園前店まで走って飲み物購入後やっとホテルにたどり着いきました。<br /><br />サンライズ観光ホテル、それなりに年期の入った建物は沖縄が国内旅行先として人気がではじめた1980年代にできたようです。収容キャパはかなりあるようで既に駐車場は満車状態。車から下りて聞きに行くのも面倒臭いのでフロントに電話をして尋ねると、隣の金物屋さんの敷地に停めて下さいとのこと。どうやら閉店時間中は駐車場として利用させて貰っているようでした。<br /><br />車を停めてフロントへ行き、チェックインを済ませます。るるぶで手配したのは1泊2食付きで7,480円。クーポンで700円引きになるのは格安です。あてがわれた部屋は403号室喫煙シングルのお部屋はそこそこの広さもありなかなかです。草臥れた感はあるけど汚いことはなくコスパは高いと思います。食事は食券制で一階のレストランにて頂きます。22:00を過ぎても食事が取れるのは勝手も良い上にステーキのメニューは本格的です。後から知ったのですがこのサンライズレストランは1,000円ステーキが食べられるお店として知る人ぞ知る有名店でした。ライス・サラダ・スープはバイキング形式で食べ放題。セットで付いていたソフトドリンクで選んだライトコークは水っぽくてハズレでしたが、それを除けばサイコーでした!<br /><br />料金表から計算しても金額は合わないのですが、支払った金額では十分満足のいく夕食を済ませて部屋へと戻りシャワーで汗を流して明日の予定を見直します。沖縄島中部エリアの周遊はこれまでも何度かしているものの時間が足りずに目的地全てを回り切れずに次回へ持ち越し続けてきたもの。勿論持ち越し分だけではなく新たに組み入れた行き先もあるため、結果予定は未定そのものです。そんなことから適当に見繕ってやめにしますが、日が変わったのを確認するとどっと疲れが出てきます。<br /><br />しっかり寝ないと体が持たないと自分自身に言い聞かせて横になるといつのまにか寝てしまいましたzzz。そんな感じで初日が過ぎて行きました。<br /><br />     《翌日に続く》

《2019.June》あみんちゅ令和を迎えたTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その壱~アプローチ編~

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《2019.June》あみんちゅ令和を迎えたTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その壱~アプローチ編~

戦後70年を迎えた平成27(2015)年に初めて訪れた沖縄戦全戦没者追悼式。毎年この時期を沖縄で過ごすようになってから5年の月日が流れました。追悼式と言うからには厳か感が漂うものと確信して行ったものの、まさかの米軍基地辺野古移設反対のシュプレヒコールを式典参列者が乗っているシャトルバスに向けて発信するというお粗末さ。追悼式とは沖縄ではどのような解釈がされているのかと疑ったことから始まりました。

この考え方は変わらないのかと一抹の不安を抱きつつ、その変貌を自らの目で確認したくなったことも6月の来沖を後押ししていたことに違いはありません。滞在日数はその時々によって3~4日でやり繰りして、自分自身が知りたいことを現地調査しつつ、沖縄戦で亡くなった全戦没者の慰霊を念頭においてきたつもりです。しかし理由というのは建前としか取られない現実があり、事実異動した店ではイベントを休むとはなんぞや?とも言われ、今年の参加を認めないようなことも言われました。

そういう発言ができる方に何を言っても始まりません。結局は自分の考えを貫くにはサラリーマンを辞める覚悟も必要な時代なのだと割り切り、理解を得られる職場を探そうかとも思いました。ただ運良くだか悪いのかわかりませんがイベント日程が変わったことで2ヶ月前にやっとOKが出ました。

しかしこれは今年のことであり、来年はどうなるかはわかりません。既に令和2年の日程も決まっていながら、職場理由を突きつけられるのも嫌気がさしているのも確かです。

行く前からそのようなすったもんだがあった今年の沖縄行き。飛行機や宿泊の手配もそこからなので、あらゆる点で中途半端なものしかできませんでした。

そんなこんなで迎えた出発の日。前日が通し番だったこともあり、午前中の便を利用するのは敢えて避けました。さぁどのような旅路になったのやら・・・。それでは〝《2019.June》あみんちゅ令和を迎えたTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その壱~アプローチ編~〟がはじまります。

【令和元(2019)年6月21日金曜日】
旅立つ朝はいつもの如くバタバタです。ただ着替え等の荷物は事前に作っておいたため、記録品など普段使いのものをかき集めて出発します。

いつもの如くオヤジ殿に駅まで送って貰い、JRで京都へと向かいます。快速に乗って14分で京都に到着。そしていつもと同じく地下出口を利用し八条口を目指します。関西空港リムジンバスならば、アバンティ前になりますが、今回は全日空を利用するために伊丹空港を目指します。以前はアバンティ前にあった大阪空港リムジンバスの乗り場。近くの金券ショップで回数券のバラ売りが50円引きで購入できたので重宝していました。しかし八条口の再開発事業で西側にずれたためになにかと勝手が悪くなりました。そんなこともあり一服もしないでバス停に直行して予定より一本早いバスに乗車し、一路伊丹空港を目指します。

カートの嫌いな私はいつもボストンバッグとデーパックを愛用しています。一度空いているとみてバックを車内に持ち込んだところ、次のターミナルから乗客が増えて膝の上に10kg近い荷物を置いて懲りたことがありました。それ以来トランクに預けるようになったのですが、今回は「車内に持ち込んで下さい」と言われたことから空いているのか?と思いきや、2人がけのシートは埋まっている状態。行きから膝の上は懲り懲りなので補助席を倒して荷物置き場にします。乗客が多いならば補助席も仕方がないですが、基本空港行きのリムジンバスの場合には到着とともにダッシュする方もおり、あまり気乗りはしないのですが仕方がありません。でも出発間近だったので面倒臭いと思われたのかも知れません。愚痴っても始まらないのでこれ以上は言いませんが、決して気持ち良くアプローチが始まったとも言えないのは残念でした。

バスはいつものルートを快調に走り、予定時刻に伊丹空港に到着しました。一昔前まではギリギリの到着が当たり前だった私が、1時間半前に到着するようになったのはLCCを利用するようになったからでした。取り敢えず荷物から解放されたいのでチェックインだけ済ました後、滅多に来ない伊丹空港を散策します。工事中のところが多く歩き辛い部分もありますが決して広い訳ではありません。マスコットキャラ〝そらやん〟との顔出しツーショットが撮れたりもしますが、一人旅の悲しい宿命で〝こんなものがあるよ~〟の紹介だけになってしまいます(泣)。でも東京五輪や大阪万博を見越しての改築は、綺麗になる反面味気ないものになる部分も出てくるのは致し方ないことなのでしょう。喫煙所も喫煙室になりました。大阪中央郵便局空港内分室は豊中南郵便局大阪国際空港内分室に変更となり郵便業務のみの取り扱いに。お洒落なLAWSON開店以外にも色々・・・。確かにたまにしか来ないから余計にそう思えるのかも知れません。

なんとなくセンチになりながら歩いていたものの適当な時間となり、沖縄へと舵を切ることにします。セキュリティを追加して13番ゲート前に到着。14:00発のNH767は搭乗が自身初となるB787-8での運航です。UAマイルでのフリートラベルゆえ通路側席が振り分けられていたものの、数日前に後方ながら窓際席をゲットし36Aが割り当てられました。ボーディングブリッジの搭乗はなかなかの優越感。でも手荷物を纏める袋やヘッドフォンがセルフピックアップになっていたのはちょっとびっくり。ワイドボディならではの2列通路を歩いてSit-Down、そして窓から見えるJALのB738なんかに私も少しランクが上がったかな~なんて脳内暴走しているうちにドアクローズ。プッシュバックに入るまでに少し時間はかかったけど、珍しく離陸待ちもなくTake-Off。暫しのお別れOOSAKA~と空港ターミナルに語り掛け、そのまま雲の中へと飛んで行きました。

せっかくの窓際席も連勤の疲れから離陸を確認するとzzz。でもドリンクサービスの時には起きていたので長くは寝ていなかったようです。ただひとつ気になるのは南下するにつれて雲が多くなる様子。5回目にして初めて梅雨明けしていない沖縄行きになったのでそこは気がかりでもありました。

飛び上がった飛行機はそのうちに着陸態勢に入り、沖縄島が見えてくるとたかティム誇る単気筒49ccエンジン(爆)がかかりはじめます。那覇空港混雑のために上空で暫く旋回をした後着陸。1時間50分の所要時間には少し遅れたものの許容範囲。実に14年ぶりとなるANA便での沖縄入りとなった瞬間です。

降機し荷物をピックアップした後は去年と全く同じです。レンタカー待合で係員に名前を告げて送迎車を暫く待ちます。そして営業所に着けば空港待合到着順の受付なのでそれもすぐ。ちなみにフジレンタカーを利用し続けている理由は〝フル込みプラン〟の存在です。レンタカーと言うと基本料金は安くても免責補償やガソリン満タン返し等の細かい説明が多い上にオプションを追加するとなんで??という高い金額になるのが当たり前です。それに万が一の保険適用には必ず警察への事故届が必要だとか結構煩雑なことも必須として言われますが、このフジレンタカーの場合は鍵を返せばOKなので純粋に〝乗るだけプラン〟だと言えます。レンタカーの事故が多い沖縄ゆえ、当て逃げに気付かないまま返車すると補償を受けることができないために、問題になることも近年少なくありません。せっかくの短い休日を台無しにしたくない思いからこちらを利用するようになりました。

4日間で11,700円、そこにクーポン3,000円割引を入れて8,700円。乗るだけプランがこの値段ですから他を当たる必要もありません。傷のチェックもなく支払いと貸し出しサインだけをすればスタートです。そして今回の旅の友となるVitzクンと対面し、早速夕方の那覇の街へと走り出しました。

走り出した途端営業所界隈の渋滞はいつものこと。でも毎年変わらぬ第一目的地は渋滞に巻き込まれでも5分で到着します。奥武山公園、所謂沖縄セルラースタジアムのある場所ですが、こちらのとある顕彰碑に毎年立ち寄ります。島田叡氏、沖縄県最後の官選知事ですが沖縄戦当時沖縄守備第32軍と折衝を行い、沖縄県民のために奔走した人物でもあります。島田知事の最後は未だ不明ではあるもののその勇気ある行動を讃え、沖縄の父と評される人物です。学生時代からスポーツマンだった彼は出身地の兵庫県と沖縄県の間にスポーツ交流を推し進めたこともあり、戦後彼の思いは両県民に引き継がれ、この奥武山公園がスポーツの聖地として今尚功績を称えるグラウンドとして引き継がれています。直接的にはなんの所縁もない私ですが、自分自身のことを考えるだけでも精一杯なのになぜそこまで彼が思い入れを持てたのかといつも考えさせられ、その思いを忘れないように自分自身を戒める意味も込めて立ち寄っている次第です。一年間どんなことをしていたのかを報告し、新たな気持ちに切り替えて一年間を過ごすのかを自問自答する場所として来沖の第一目的地としています。

一息ついた後に車を走らせ、向かう先は首里城公園。閉館時間の19:00を目前にして行く場所ではありませんが元々首里城散策に行くためではありません。県営駐車場に車を停め守礼之門までは行くものの中へは入らず右手に曲がります。向かった先には石碑が2本。史跡首里城と琉球大学跡と刻まれています。沖縄戦で焼失した首里城と米国統治の時代に開学した琉球大学。日本返還を機に首里城再建の動きが出始め、敷地内に建てられていた琉球大学を移転させて現在の首里城が再建されることになりました。切っても切れない両者の関係を後世に残すべく碑が建立されて現在に至っています。観光ルートから少し離れているだけで訪れる者もいないふたつの碑。沖縄戦がなければ首里城跡地に敢えて大学を作る筈もないことからやはり戦跡のひとつにして間違いはないでしょう。

そのまま歩くと道路脇にあるセメント作りのなにやら塊を目にします。辿り着いた本人がこんなにわかりやすい場所にあったのかと驚いたのはトーチカ跡でした。沖縄戦当時に首里城地下に構築された第32軍司令部壕。それを取り囲むようにいくつものトーチカが作られたそうです。現在残存しているものは少なくはなったものの、鉄板で隠されている銃眼は正しくここが戦地であったことの証です。首里城の周りを車で走ればわかるものでありながら、気づくことがなかったのは景色と一体化していることに他なりません。観察力の不足を痛感しましたが、ひとつ新たな戦跡を訪問できたことには感謝感激雨あられです。

そのまま進むと金城の石畳みを歩くことになりますが、途中に大きな木が茂っていることに気づきます。首里金城の大アカギ、樹齢400年の大木を筆頭にかなりの年期が入ったアカギの木が集まっています。本島中南部は焼野原になった沖縄戦をどうやって生き延びられたのか疑問に思われることも多いようですが、この場所へ来るとなるほどな~と思えます。首里城界隈への攻撃はは艦砲射撃によるものであり、高台に位置する首里城の陰になって奇跡的に焼け残ったことが理由です。戦後この界隈は宅地化され家が立ち並ぶようになったものの、現在の大アカギの根元にある御嶽を含め、聖なる場所として保護されてきました。その結果が鬱蒼としている住宅地内の茂みとなって現在に至っています。ただこの景色をデジカメで撮影すると明るさが補正されてしまい厳か感はなくなってしまいます。とは言えアナログカメラを用いると暗過ぎる・・・。画像で見るには難しい場所であることに違いはありません。要は現地で見るから素晴らしいと思える場所であってメディアを介するとわかり辛い所でもあります。高感度フィルムを利用してストロボを併用しても、デジカメで色々なモードを利用して撮影してもその景色を切り取ることはできません。残念に思いつつもその場にいる臨場感に酔いながら大アカギの樹林を後にします。

石畳ロードを下り切ると金城橋と識名平の碑へと辿り着きます。最近は金城の石畳とガイドブックにも紹介されており、観光用に作られたのかと錯覚しますが、実は尚王朝時代に始まる高貴な方々が通った道であるそうです。松並木があり識名園につながる道と橋、残念ながら橋を架け替えた歴史を示す碑が建立されたものの沖縄戦で損傷し、そのかけらが集められて現在の場所に移設されたそうです。全てが新しくなり歴史の流れを感じる要素は少ないものの、この道が古には首里から島尻へと向かう幹線道路を担っており、橋そのものを重要視していたことがわかります。実際に識名園まで歩いて往時を感じるとまた見方が変わるのでしょうが日も暮れてきており時間的な余裕もないため、次回の楽しみにして車へと戻ることにします。

ヘタレの私にはこの石畳みの道は見るため・下るためのものであり、運動不足の現代人にとって登りはかなりキツいものでしかありません。日が暮れて直射日光による暑さが薄らいだとはいえご老体にはかなり応えます。休憩がてら首里金城村屋や金城大樋川といった場所で一息つきながらやっとトーチカ跡までたどり着き、もう一息と自分自身にハッパを掛けて車へと戻り、次なる目的地を目指して出発します。

私が旅行時に撮影したフィルムは自宅へと戻ってから現像を依頼するために発送していました。しかし飛行機に搭乗する際にセキュリティで行われるX線検査。今では問題にされることもないようですが、これに影響を受けてしまうのがアナログフィルム。X線被りと呼ばれるフィルムの感光が起こってしまい、撮影済みのフィルムに光のムラみたいなものができてしまいます。それを防ぐためにどうしていたかというと、沖縄からいつも現像処理をお願いしている岩手県のお店まで船便+陸送で送っていました。行きに約一週間、処理に2~3日でDM便にて滋賀県の我が家までの所要日数は2週間ほどかかるのが当たり前でした。高感度フィルムを使用した際に2回程チェーン店の写真屋さんにお願いしたことがありましたが良い値段だったことを記憶しています。そんな中たまたま那覇でフィルム現像とデータ化を行なっている写真屋さんの情報を知り、旅行前に撮影した未現像フィルムだけを先にお願いしようとお店に行ってみました。石嶺写真館というお店は表向きは普通の写真屋さんですが、仕上がりまでの日数を若干プラスすることで隙間時間を利用して仕上げるサービスを提供されておられます。気になる値段はと言うと現像+4BASEの仕上げで税込350円、解像度2倍の16BASEでも500円という安さ!これは行くしかないと向かったもののどうやら閉店時間を過ぎており既にシャッターが閉まっていました。今日出しても仕上がりは帰った後になるため郵送にはなるのですが、仕上がるまでの時間は約半分で済むため、最終日に立ち寄ることを考えてつつ今日のところは退散します。ローソン前田小学校前店に立ち寄って一息つき、嘉数高台公園付近のとある場所を探すもやはり見つからず、移動での疲れもありようやくホテルを目指すことにします。

沖縄の旅初日の宿は毎回変えているのですが、今回は沖縄市で手配をしています。宜野湾から沖縄市だとナビ曰くは沖縄道を走れと煩いですが20km位の距離に高速は使いません。一般道を走って小一時間でホテルのある沖縄市へと到着します。

元コザ市と呼ばれた沖縄市は、米軍嘉手納基地の1/3がある場所です。日本復帰前には米兵による沖縄人に対する暴行事件等が横行しており、交通事故をきっかけに起こったコザ騒動の現場となった場所でもあります。復帰後も米軍基地は残り、公になっているだけでも年に数回は米兵による住民に対する事件は起こっているのが現実です。

しかし悪いことばかりでもなく、米兵相手のお店が軒を連ね夜でもそれなりの活気がありました。北谷のアメリカンビレッジ同様こう言った雰囲気が好きな方には良いかもしれませんが、基本的に人混みの嫌いな私には人がたむろしているだけで生理的に受け付けないので近づくこともありません。おまけに酒を飲んで盛り上がっている連中なので、脇を通り過ぎるには細心の注意を払わねばなりません。人混みを通り過ぎて平常心に戻るとふと今晩必要な水分を仕入れることを忘れていることに気付きます。一旦ホテル前を通り越してファミリーマート美里公園前店まで走って飲み物購入後やっとホテルにたどり着いきました。

サンライズ観光ホテル、それなりに年期の入った建物は沖縄が国内旅行先として人気がではじめた1980年代にできたようです。収容キャパはかなりあるようで既に駐車場は満車状態。車から下りて聞きに行くのも面倒臭いのでフロントに電話をして尋ねると、隣の金物屋さんの敷地に停めて下さいとのこと。どうやら閉店時間中は駐車場として利用させて貰っているようでした。

車を停めてフロントへ行き、チェックインを済ませます。るるぶで手配したのは1泊2食付きで7,480円。クーポンで700円引きになるのは格安です。あてがわれた部屋は403号室喫煙シングルのお部屋はそこそこの広さもありなかなかです。草臥れた感はあるけど汚いことはなくコスパは高いと思います。食事は食券制で一階のレストランにて頂きます。22:00を過ぎても食事が取れるのは勝手も良い上にステーキのメニューは本格的です。後から知ったのですがこのサンライズレストランは1,000円ステーキが食べられるお店として知る人ぞ知る有名店でした。ライス・サラダ・スープはバイキング形式で食べ放題。セットで付いていたソフトドリンクで選んだライトコークは水っぽくてハズレでしたが、それを除けばサイコーでした!

料金表から計算しても金額は合わないのですが、支払った金額では十分満足のいく夕食を済ませて部屋へと戻りシャワーで汗を流して明日の予定を見直します。沖縄島中部エリアの周遊はこれまでも何度かしているものの時間が足りずに目的地全てを回り切れずに次回へ持ち越し続けてきたもの。勿論持ち越し分だけではなく新たに組み入れた行き先もあるため、結果予定は未定そのものです。そんなことから適当に見繕ってやめにしますが、日が変わったのを確認するとどっと疲れが出てきます。

しっかり寝ないと体が持たないと自分自身に言い聞かせて横になるといつのまにか寝てしまいましたzzz。そんな感じで初日が過ぎて行きました。

《翌日に続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
レンタカー ANAグループ JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
38いいね!

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