2019/03/06 - 2019/03/06
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ガッサンさん
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多くの神社・仏閣、鹿格子のある家や中二階の町家など、江戸時代の末頃から明治時代にかけての町家の面影を今に伝える、という「ならまち」。落ち着いた風情を漂わせ、訪れた人に懐かしさを感じさせてくれます。行政地名としての奈良町という場所はありません。人は元興寺の旧境内を中心とした一帯を親愛を込めて「ならまち」と呼んでいます。その「ならまち」を訪ねた旅行記です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR奈良駅で下車。駅前にある「奈良市総合観光案内所」に行き、「ならまち」へ行く方法を聞きました。「ならまち散策マップ」を頂き、バス乗り場、「田中町バス停」で下車することを教えて頂きました。
田中町バス停の近くに「奈良町南観光案内所」があります。写真は観光案内所前にある「ならまち観光案内図」です。「ならまち」は通称名で行政地名ではありません。現在位置は「奈良市井上町」です。ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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格子に「井上町」を案内する看板が掛かっていました。ちょっと読んでみます。
井上町(いのうえちょう)
「奈良坊目拙解」に「井上皇后神輿舎元興寺南大門前に有りよって井上町と号す」とある。
奈良町の氏神、御霊神社は元はこの町にあったが、千四百年代のなかごろに現在の薬師堂町に移った。この町の延宝六(一六七八)年から現在までの町の日記「井上町中年代記」は市指定文化財となっている。 奈良町座
と、記されてありました。ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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江戸時代の末頃から明治時代にかけての町家の面影が残っています。
ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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門には格子の戸、風情があります。
ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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立札が立っていると、つい読んでしまいがちです。
「高林寺と高坊旧跡」 茶室高坊
奈良時代 右大臣藤原豊成 卿・中将姫 屋敷跡・元興寺 塔頭「高坊 」として古墳 を護ってきたが、安土桃山時代 に至り、ここに「高坊一族」又は地形を名とした「北の端」と称する茶人・連歌師・医師竹田一族ら数寄者が住みつき、茶道・連歌等を大いに興隆し、奈良南の下町町民文化の一大中心地として大いに発展した。
北の端宗棟(そうとう)・里村紹巴(じょうは)・高坊心前(しんぜん)らが住した。心前は松永久秀 が多聞城 築城に際し、中将姫父子の碑を持ち去ろうとしたが、「曳き残す花や秋咲く石の竹」と詠んで久秀に差し出し危うく難を免れたという。
高坊は天正二年三月、堺の大宗匠津田宗及 に招かれて「天王寺屋会記」に名を残し、「松屋会記」や北野大茶会にも奈良茶人三十六人衆の一人として参加している。
(文学博士永島福太郎先生の考証による)。これらを顕彰して、昭和63年「茶室高坊」が建立された。扁額も永島先生により、天王寺屋会記より宗及自筆の高坊・花押を採拾して作製掲額されている。
豊成山高坊高林寺
読んでみると歴史上の人物が出て来て、中々興味深い。立札を読み、高林寺を知ることができました by ガッサンさん高林寺 寺・神社・教会
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高林寺の門です。立札を読み、中々由緒ある寺の門です。瓦からその重みが伝わってきます。
立札を読み、高林寺を知ることができました by ガッサンさん高林寺 寺・神社・教会
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「ならまち格子の家」です。ならまち観光では外すことの出来ない住宅です。
格子には「ご自由にお入りください」と「元興寺町(がんごうじちょう)」の2枚の看板が掛かっていました。ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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イチオシ
「ならまち格子の家」は入館無料です。・開館時間は午前9時~午後5時 ・休館日は月曜日と祝日の翌日(土日を除く)・年末年始のお休み12/26~1/5
上を見ると「明りとり」があります。通り庭の吹きぬきには明りとりがあり、採光と通風をはかった。ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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ここは「中の間」、奥に見える部屋は「奥の間」です。
町家はいわゆる町人の住居としてつくられた民家で、個々の家には手を入れられた時期によって多少の違いはありますが間口が狭く、奥行きが深いという共通の特徴があります。ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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奥の間にある「床の間」です。
かつて税金が間口の広さによってかけられたということのほか、町民らの「表通りに面したい」という願いをできるだけ多くかなえるための知恵でもあった。ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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「中庭」です。渡り廊下に接して風呂や便所がある。奥には離れ、蔵がある。
ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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一番奥にあるのが蔵です。
ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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「細長い敷地の建物」「ならまちの町家」「ならまち」の解説が展示されていました。
ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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こちらには「町家の部屋」の解説が展示されています。
ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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イチオシ
「離れ」から「中庭」「奥の間」「中の間」「みせの間」表通りを見てみました。間口が狭く、奥行きが深いという特徴がよくわかります。
ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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中庭があると安らぎがあり、ほっとします。
ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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2階の屋根裏部屋に上がってみました。
ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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2階の屋根裏部屋です。明りとりだけの採光では暗かった。ここでも生活したのであろうか。
ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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イチオシ
表通りに面した「みせの間」です。格子戸から明りが入り、部屋は明るい。
ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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休憩スペース前に、題名が「月日の彫刻」というモニュメントがあります。何を意味しているのか、芸術なので理解に苦しみます。
ならまちを代表する町家造り by ガッサンさん奈良市ならまち格子の家 名所・史跡
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イチオシ
「ならまち格子の家」の向いにある、重要文化財指定「藤岡家住宅」です。
十八世紀後半頃(江戸時代後期)の町家です。ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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案内板には「建築年代が古く、商家の表構えをよく伝え、内部意匠も洗練されており、奈良の町家の典型として貴重です。」と、ありました。
ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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イチオシ
「砂糖傳 増尾商店」です。伝統を感じる店構えでした。店から出て来たのは欧米系の若い女性でした。
伝統菓子「奈良こんふぇいと」、こんぺいとうを扱う店 by ガッサンさん砂糖傳 増尾商店 グルメ・レストラン
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「奈良元興寺郵便局(ならがんごうじゆうびんきょく)」です。何故か、この町に溶け込まない違和感を感じました。
ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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格子戸の町家があり、写真を撮ってみました。
ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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格子戸に案内板が掛かっていました。読んでみます。
西新屋町(にしのしんやちょう)
この町は一名吉祥堂町とも鍛冶町ともいわれていた。吉祥天をまつる吉祥堂があったためで、鍛冶町の名も数軒の鍛冶屋があったところから里人達はそう呼んでいたという。
現在町の中程に、吉祥天、地蔵菩薩、青面金剛などを安置した庚申堂がある。
奈良町座
と、ありました。僧兵は武力を持っていたので、刀の需要があり、鍛冶屋が多かったことを裏付ける案内のような気がしました。ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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格子戸の風情ある町並みは続きます。
ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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ならまちの佇まいを今に残す西新屋町に「奈良町資料館」があります。1451年に炎上した旧元興寺本堂跡に建っています。入館無料で年中無休です。
入館無料で年中無休です。 by ガッサンさん奈良町資料館 美術館・博物館
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「奈良町資料館」の貴重な資料として、懐かしい昔の看板、美術品や奈良町の艮俗資料や、仏像などがあり、無料公開しております。
入館無料で年中無休です。 by ガッサンさん奈良町資料館 美術館・博物館
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遣唐使と共に中国から伝わった漢方薬は、1000年以上の時をかけて日本で育ちました。菊岡漢方薬局は元暦元年(1184年)より24代の間、薬業に関わって参りました。室町時代からは朝廷より南都官府衆徒の重職に任ぜられ、代々春日大社、興福寺の守護と、奈良の町の治安とに当たる傍ら薬学を研究し、多くの病人に施薬しては難病に苦しむ人達を救ってきたそうです。
元暦元年(1184年)より24代と続く、伝統の漢方薬局 by ガッサンさん菊岡漢方薬 専門店
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「奈良町にぎわいの家」は、大正6年に建築された町家を改修したもので、平成27年4月に、当時の暮らしや文化を体感できる施設としてオープンしたそうです。
奈良町の文化を発信する活動を行っています by ガッサンさん奈良町にぎわいの家 美術館・博物館
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奈良町にぎわいの家は、町家の空間を活かしたイベントや伝統行事などを行い、奈良町の文化を発信することで、観光客、地域住民、学生など様々な人が集い、楽しみ、伝え合う場として活用することを目指しているそうです。
奈良町の文化を発信する活動を行っています by ガッサンさん奈良町にぎわいの家 美術館・博物館
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ならまち「かみつみち弁当」の「はり新」 古都・奈良らしい食事処です。
飛鳥/奈良時代の古道「上ッ道(かみつみち)」沿いに築250年元両替商の建物を使い、武家造りの特徴を残すお座敷で、吉野葛や大和野菜、古代チーズ「蘇」など奈良に因んだ食材を詰め込んだ「かみつみち弁当」はいかがですか。ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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住吉神社(すみよしじんじゃ)は、「奈良町」エリアの中心部とも言ってよい古い町並みのなかに位置する、ごく小さな神社です。門の脇に「住吉神社の案内」と「勝南院町の案内」等が掛かっていました。
ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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奥に見えるのが住吉神社です。
ならまちの観光情報は「奈良市総合観光案内所」で仕入れました by ガッサンさんならまち 名所・史跡
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田中町バス停から猿沢池まで歩いてきました。大きな石に「猿沢池七不思議」という陶器製のプレートが組み込まれていました。
構図を考え、興福寺五重塔が水面に映える風景を撮る by ガッサンさん猿沢池 名所・史跡
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猿沢池の水面に映る興福寺の五重塔を撮りましたが前の木々が障害となって、絵になる写真は無理そうです。
構図を考え、興福寺五重塔が水面に映える風景を撮る by ガッサンさん猿沢池 名所・史跡
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猿沢池と五重塔です。曇り空で全体が映えません。
構図を考え、興福寺五重塔が水面に映える風景を撮る by ガッサンさん猿沢池 名所・史跡
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「興福寺 境内案内図」の看板が立っていました。
興福寺 寺・神社・教会
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「興福寺南円堂」は西国三十三所観音霊場の第九番札所です。
建築時期は江戸時代、八角円堂 向拝付 本瓦葺 の国宝(重要文化財)です。
興福寺 南円堂 寺・神社・教会
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南円堂は、弘仁4年(813)に藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を願って建てた八角円堂です。基壇築造の際に地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝をまきながら築き上げたことが発掘調査であきらかになったそうです。
興福寺 南円堂 寺・神社・教会
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興福寺五重塔の建築時期は室町時代 、3間 五重塔婆 本瓦葺 高さ 50.1mの 国宝 です。
天平2年(730)興福寺の創建者藤原不比等の娘光明皇后が建立した。その後5回の焼失・再建をへて、応永33年(1426)頃再建された日本で2番目に高い塔です。
興福寺の五重塔と猿沢池のコラボレーションは絵になる構図として、映像をよく見ました。五重塔のまじかに来て、その重厚さに迫力を感じました。興福寺五重塔 寺・神社・教会
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伽藍の中心的な堂宇である「中金堂」が落慶を迎え、一般公開されました。
中金堂は長い寺史の中で7度の火災に遭い、1717年の大火で焼失した後は仮堂が建設されただけに止まっていた、という。今回の復興は300年ぶりです。
堂内には釈迦如来像を本尊として還座。薬王・薬上菩薩像(いずれも重文)が脇侍として安置され、須弥壇の四方は、旧南円堂所在の四天王像がかためます。
内陣には法相の14人の祖師を描いた「法相柱」が現代の日本画家の畠中光享氏によって再現されています。興福寺 中金堂 寺・神社・教会
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「平成30年落慶 興福寺中金堂」「中金堂勧進所」瓦寄進受付中 1枚 千円とありました。
興福寺 中金堂 寺・神社・教会
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中金堂の東にある金堂で、東金堂(とうこんどう)と言います。
神亀3年(726年)に聖武天皇が叔母元正太上天皇の病気全快を願ってお建てになったそうです。
創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ、薬師如来の浄瑠璃光世界がこの世にあらわされていました。以来6度の被災、再建を繰り返し、今の建物は応永22年(1415年)に再建されました。
正面7間(25.6m)、側面4間(14.1m)、寄棟(よせむね)造り、本瓦葺きの建物で、前面を吹放とし、木割が太く、奈良時代の雰囲気を伝える国宝です。
堂内には本尊薬師如来像、日光・月光菩薩像(以上いずれも重要文化財)、文殊菩薩像と維摩居士像、四天王像、十二神将像(以上いずれも国宝)が安置されています。興福寺東金堂 寺・神社・教会
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興福寺鐘楼です。興福寺の鐘楼にしては質素な感じがしました。
興福寺 寺・神社・教会
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興福寺三重塔は、康治2年(1143年)に崇徳天皇の中宮が創建しました。治承4年(1180年)に被災し、間もなく再建されました。北円堂と共に興福寺最古の建物で、高さ19.1m、初層は方三間で4.8m、本瓦葺き、鎌倉時代の建物ですが、木割が細く軽やかで優美な線をかもし出し、平安時代の建築様式を伝えています。
興福寺三重塔は南円堂から少し下った、興福寺の最奥部にあります。五重塔が目立ち、三重塔は地味な感じで訪れる人は少なかった。
田中町バス停から奈良町を歩き、町家の情緒に浸りながら興福寺まで歩きました。興福寺から近鉄奈良駅へ向いました。
興福寺三重塔 寺・神社・教会
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