立札を読み、高林寺を知ることができました
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- 旅行時期:2019/03(約7年前)
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by ガッサンさん(非公開)
奈良市 クチコミ:35件
ならまちの玄関口「田中町バス停」でバスを下車しました。「田中町バス停」近くに「奈良町南観光案内所」、「奈良町南観光駐車場」、「トイレ」などがあります。そこに「ならまち観光案内図」が立っています。蛍光ペンで印を付けた見所を目指し歩きました。途中に重厚感の瓦が重そうな木造の古い門があり、気になりました。
古い門の前に立札が立っていました。この寺の名称は高林寺という。奈良市観光協会サイトには拝観料金(個人):拝観料は志納 拝観時間:10:00~16:30とあったが現地高林寺には拝観についての案内がありません。予約が必要なのか、無断で入って良いのか、悪いのか、わかりません。
立札にびっしり由来が書かれていました。これを読み高林寺を知ることができました。
「高林寺と高坊旧跡」 茶室高坊
奈良時代 右大臣藤原豊成 卿・中将姫 屋敷跡・元興寺 塔頭「高坊 」として古墳 を護ってきたが、安土桃山時代 に至り、ここに「高坊一族」又は地形を名とした「北の端」と称する茶人・連歌師・医師竹田一族ら数寄者が住みつき、茶道・連歌等を大いに興隆し、奈良南の下町町民文化の一大中心地として大いに発展した。
北の端宗棟(そうとう)・里村紹巴(じょうは)・高坊心前(しんぜん)らが住した。心前は松永久秀 が多聞城 築城に際し、中将姫父子の碑を持ち去ろうとしたが、「曳き残す花や秋咲く石の竹」と詠んで久秀に差し出し危うく難を免れたという。
高坊は天正二年三月、堺の大宗匠津田宗及 に招かれて「天王寺屋会記」に名を残し、「松屋会記」や北野大茶会にも奈良茶人三十六人衆の一人として参加している。
(文学博士永島福太郎先生の考証による)。これらを顕彰して、昭和63年「茶室高坊」が建立された。扁額も永島先生により、天王寺屋会記より宗及自筆の高坊・花押を採拾して作製掲額されている。
豊成山高坊高林寺
読んでみると歴史上の人物が出て来て、中々興味深いものでした。
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- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
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- 人混みの少なさ:
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- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
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クチコミ投稿日:2019/06/06
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