2019/03/07 - 2019/03/10
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nichiさん
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白河駅に隣接する観光案内所でレンタサイクルを借りて、街を巡っています。
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駅の観光案内所で頂いたこの街歩きマップがメッチャ詳しくて判りやすくて、、、、
これをもとに自転車で街を巡っています。 -
大統寺へ。
臨済宗妙心寺派のお寺です。
つまり、室町幕府の庇護と統制下にはなかった林下のお寺です。
京都の妙心寺には行ったことないけど、、、 -
弘仁年間(810年~824年)の開山と伝えられている古く伝統あるお寺です。
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当初は下野(群馬)の大統寺住職隠居の寺で、白河結城氏3代顕朝が父親朝の菩提を弔うために中興し、現在の場所に寛永年間(1,624年~1,644年)に移ったとされています。
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こちらが本堂です。
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奥に進んでみます。
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おびんずる様が現れました。
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大統寺の奥にある墓地を抜けるとお隣の永蔵寺に出ました。
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永蔵寺は天台宗のお寺です。
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鎌倉末期、幕府調伏の罪で白河の結城宗広に預けられた僧円観が宗広の尊崇を受け、弟子の永意を留めて寺を建立したという説と、楠正成が後醍醐天皇から賜った千手観音が円観を媒介とする結城宗広に渡ったので、観音を安置する寺院を建立し、円観を開山したと言う説があります。
創建はどちらの説も建武3年(1,336年)です。
鎌倉幕府滅亡直後ですね。 -
永蔵寺を出て自転車で数分。
長寿院にやってきました。 -
元々は石川郡小高村(現在の玉川村)にあり、当時衰えていた同寺を白河藩主松平大和守の菩提寺孝顕寺の住職が今の場所に再興したと伝えられています。
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このお寺には、戊辰戦争の際に白河口の戦いで新政府軍として戦った長州、大垣、舘林、佐土原藩の戦死者の墓があります。
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1,000名近い死傷者を出した新政府軍です。
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こちらが戊辰戦争の白河口の戦いで命を落とした新政府軍のお墓がある所です。
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姓名や年齢が刻まれた墓が一人ごとに建てられており、その数は90基にも及びます。
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ここが長寿院の本堂です。
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次は自転車で数分。
天恩皇徳寺へ。 -
ここは臨済宗妙心寺派のお寺です。
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大同年中(806年~810年)に現在の寺小路付近に法相寺の僧、勝道が建てた勝道寺が全身
と伝えられています。
現在の地に移ったのは、丹羽氏の時代とされています。 -
絵になるのですが、何故か鐘堂に鐘がありません。。。。。
なんでー? -
このお寺のお目当てはこちらです。
小原庄助のお墓? -
まずは新選組隊士であった菊池央の墓です。
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戊辰戦争戦死者の供養塔があります。
白河では、幕府軍と新政府軍、分け隔てなく弔い、多くの供養塔が地元の方々の手によって建てられています。 -
こちらです。
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こちらが新選組隊士の菊池央のお墓です。
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戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦い、甲州勝沼の戦いに敗退後、流山を経て会津へ向かいます。
白河口の戦いでは、新政府軍大将を討つ手柄をあげましたが、同戦いにて戦死。
享年22歳。
若い!!!!!!! -
ここには、、、
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小原庄助のお墓です。
小原庄助と言えば、会津磐梯山の民謡で有名です。
私は東北の出身ではありませんが、この民謡は子供の頃にTCVFで流れていたのか??
覚えています。
で、メッチャ逆光の中で撮った小原庄助のお墓です。
徳利と杯を形取ったお墓です。
「米汁呑了信士」との戒名です。
お酒好きの程が偲ばれます。 -
「朝に良し、昼になほ良し晩に良し、飯前飯後その間も良し」
これを辞世の句としたお酒大好きの小原庄助の墓です。 -
天恩皇徳寺を出て自転車で走り始めたらすぐにこんな酒屋さんがありました。
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小原庄助の辞世の句が、、、、、
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新蔵街にやってきました。
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染物屋さんが並んでいます。
こちらは大野屋染物店です。 -
こちらは本家富川屋染物店。
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メニューが出てます。
京染
しみぬき
洗い張り
のれん
名入り手拭
素敵です!!! -
この堂々とした看板!
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小峰通りに出ました。
広い通りです。
北を向いています。
咲には小峰城が見えます。 -
アップで!
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大工町にやってきました。
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ここは大工町伝承館。
つまり山車庫です。 -
立派な山車が収納されています。
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毎年秋に開催される「白河提灯まつり」における出番を待っているんですね。
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門前通りの白河ハリスト正教会にやってきました。
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白河ハリスト正教会聖堂の案内です。
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聖堂内には入れませんでした。
看板に聖堂内の写真がありました。
正教会ならではの祭壇ですね。 -
大正4年に建てられたビザンチン様式教会です。
正八角形のドームと白い壁が印象的です。 -
県指定の重要文化財になっています。
司馬遼太郎の「街道をゆく 白河・会津みち」で野ばらの教会として紹介されているのがこの正教会です。 -
現役の正教会です。
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楽蔵です。
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元来は白河ラーメンや農産物販売所、和雑貨やカフェがあったはずですが、、、、
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今では、、、、、
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レンタサイクルで白河市役所の前を通って南に進むと、
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谷津田川せせらぎ通りに出ました。
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この川流域には江戸時代の後半より、精米などの水車が多く見られました。
多い時には43基もあったらしいです。 -
そんな川だったんですね。
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妙関寺です。
日蓮宗のお寺で、白河藩主松平大和守家の位牌を祀っていた永寿寺が大和守家の転封に伴い姫路に去った後、その跡地に留まった永寿寺の僧が創建したと伝えられているお寺です。 -
赤い山門を入ったすぐ右手には立派な枝垂れ桜が、、、
つぼみが膨らみ始めていました。
推定樹齢は約400年です。
ひえーーー! -
こちらは妙徳寺。
常陸の豪族が同国内に建てた妙徳寺が全身と伝えられています。
歴代藩主の命や火災によって、二番町と金屋町の地を度々移転しています。
18世紀半ば以降にこの地に落ち着きました。 -
このお蔵は元薬局です。
そろそろ白河駅に行って自転車を返却しましょう。
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