2019/03/09 - 2019/03/09
4663位(同エリア7077件中)
ドクターキムルさん
- ドクターキムルさんTOP
- 旅行記7517冊
- クチコミ134件
- Q&A回答247件
- 6,193,422アクセス
- フォロワー38人
由比ガ浜通りの寸松堂を過ぎ、盛久頸座(もりひさくびのざ)の間に新倉硝子店がある。鎌倉市の鎌倉お店紹介(https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/shoukou/omise2006/data/0699.html)にも掲載されている。新倉硝子店のホームページでは「株式会社」となっているが、家のYKK APの看板には「新倉硝子店」とある。関東大震災(大正12年(1923年))後に建てられた和風建築だ。家の前で造りを眺めているとご主人が出てきた。「立派な家ですね。」と声を掛けると、「向こうにある三橋米店の(建物の)方が古い。」と言って、通りを渡って行く。
道を隔てた向こうには看板建築のお店があり、ここにも(株)新倉硝子店と書かれており、「鎌倉長谷店」と書かれている。しかし、ここの住所は由比ガ浜3だ。長谷1にあったお店を引き継いだからであろう。また、YKK APの看板にも(株)新倉硝子店とある。今では長谷1に住居を構え、由比ガ浜3に出店しているのだ。同じYKK APの看板は長谷1にある和風建築のものと向かいの看板建築のお店では異なる。最初のYKK APの看板は有限会社であった時代に立てたものか?その後、資本金を増資して株式会社になった後に向かいの看板建築の建物を購入したのではないだろうか?そうだとすれば、看板建築の建物を購入したのはさほど昔のことではないことになろう。由比ガ浜通りの古建築を残したいという思いがあって購入したのではあるまいか?
長谷1にある和風建築の住居はこの先に見られる商家の建物と同様であり、1階部分で店を開いていたはずだ。その後、向かいの看板建築のお店を購入したのであろう。この看板建築のお店は相当に古く見えるが、これも関東大震災後に建てられた建物であろうか。
(表紙写真は新倉硝子店)
PR
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ドクターキムルさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
10