2018/05/02 - 2018/05/08
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T.バイソンさん
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2018年ゴールデンウイークに,ルフトハンザ航空を利用して,イタリアのフィレンツェに6日間の個人旅行。サンタ・マリア・ノヴェッラ駅近くのホテルに滞在し,フィレンツェ・カードを利用して市内観光したり,チンクエ・テッレへの現地ツアーに参加した。
パート⑤では,ヴェッキオ宮殿におけるインフェルノツアーに参加し,その後,映画・小説『インフェルノ』のストーリーに従ってダンテのデスマスクの探索ポイントを巡った3日目(5月5日(土))午後の散策を掲載
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イチオシ
シニョリーア広場
映画『インフェルノ』の冒頭シーンに登場する,13~14世紀の中世自治都市時代にフィレンツェの政治の中心だった場所。映画『ハンニバル』にも何回か登場シニョリーア広場 広場・公園
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ロレンツォ豪華王の死後,共和国の全権を委任されたジローラモ・サヴォナローラは,神権政治を断行したが,極端な禁欲政策に人心が離れ,教皇アレクサンデル6世からも破門され,1498年5月23日,この広場で絞首刑の後火あぶりに処せられた。広場に記録の銘板がある。
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宮殿に直角に接するのが,1376~82年にタレンティらが建設したランツィのロッジア。様々な彫像が並ぶ。この日は,ブラスバンドの演奏場所になっていた。
ランツィの回廊 (ロッジア ディ ランツィ) 博物館・美術館・ギャラリー
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ランツィのロッジアの彫像の一つ。ジャンボローニャの「サピーニの女達の略奪」
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ジャンボローニャの「ケンタウロスを倒すヘラクレス」
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チェッリーニの「メドゥーサの首を持つペルセウス」
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小説『インフェルノ』で,ラングドンがシニョリーア広場に立ち寄った際には必ず見学するとされている(文庫版上巻262頁)メディチ家の獅子像。ロッジアの入口の左右に置かれている。
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宮殿の北東角にあるアンマナーティの「ネプチューンの噴水」とドナテッロの「マルゾッコ」は,大規模改修中だった。
ネットゥーノの噴水 (ネプチューンの泉) 建造物
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広場中央には,ジャンボローニャの「コジモ1世の騎馬像」。台座には,弟子のヤコポ・タッカたちの手による,コジモ1世の功績をモチーフとした「1537年のトスカーナ公選出」,「1555年のシエナ共和国征服」,「1569年の大公称号授与」の彫刻が埋め込まれている。
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イチオシ
ヴェッキオ宮殿
シニョリーア広場の南東角を護るように立つ。1299年から1314年にかけてアルノルフォ・ディ・カンビオによって建設されたゴシック建築。ヴォルテッラのプリオーリ宮殿がモデルになっているとのことで,建築に当たってプロトタイプとしてポッピのグイディ伯爵の城を設計したともいわれる。かつてはフィレンツェ共和国の政庁舎で,メディチ家もピッティ宮殿へ移るまでの一時期住居としていた。現在は,フィレンツェ市庁舎としても使われている。
ダン・ブラウンの『インフェルノ』の舞台の一つで,小説の中では,堅牢な四角形のファザードと上部に凹凸のある粗面仕上げの胸墻を備えたその姿を,巨大なチェスの駒(ルーク)に例えられている(34節。文庫版上巻261頁)。ヴェッキオ宮殿 城・宮殿
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宮殿入口前のミケランジェロの「ダヴィデ像」(レプリカ)とバンディネッリの「ヘラクレスとカークス」
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「ヘラクレスとカークス」の後ろの宮殿の壁には,「ミケランジェロの落書き」と言い伝えられる顔の彫り物が見られる。
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正面の入口を入った中庭は,ミケロッツィが1470年に設計したものだが,1565年ヴァザーリがフレスコ画と金箔を用いた漆喰細工で装飾して改修した。入口部分が改修中のため,中央にあるヴェロッキオの「イルカを持つ天使」(レプリカ)が立つ噴水を正面から撮影することはできなかった。
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中庭からアルノルフォの塔を見上げる。
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13:40 チケット窓口でフィレンツェカードを提示して宮殿入場のためのレシートをもらうとともに,インフェルノツアーの受付を行い,チケットを受け取る。係の人が待ち合わせ場所のマシーン前まで案内してくれた。 -
ヴェッキオ宮殿のインフェルノツアー「The secrets of “Inferno”」
『インフェルノ』の世界を体験!
14:00 点呼とオリエンテーションの後,ニンナ通りへの出口に通じる階段のところ,この扉からスタート -
扉の向こうの小部屋には,ダンテが身に付けたという執政官の赤い職服
が展示されていた。 -
小部屋の左側にあるのが,『インフェルノ』で,ラングドンとシエナが通り抜けた「アテネ公の扉」。1342年から1年間独裁政治を行ったフランス人のアテネ公ゴーティエ・ド・ブリエンヌが逃亡用に作ったもの。開錠して外へ出てみる。
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ニンナ通りの上には,ウッフィッツィ美術館とヴェッキオ宮殿をつなぐ,ヴァザーリの回廊の最後の部分(プリンチペの回廊)が横切っている。
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ツアーでは,扉から元の小部屋に戻る。
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小部屋から「アテネ侯爵の階段」を昇る。
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途中こういう部屋で,アテネ侯爵の階段やヴェッキオ宮殿の増改築についての説明があった。
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更に階段を上がって,このモニュメントのところに出た。アルノルフォの塔の先に取り付けられている獅子像
ここから先(五百人広間)へはヴェッキオ宮殿の入場チケットが必要 -
ヴェッキオ宮殿の入場チケット(私の場合はレシート)を提示して,「五百人広間」へ。映画『インフェルノ』では,ラングドンらが追っ手を逃れて午前9時13分に到着する。
この広間は,映画『ハンニバル』にも,パッツィ主任刑事がフェル博士に扮するレクターを訪ねる場面(29分頃)と,ヴァージャーの手下がレクターに殺される場面(1時間20分頃)に,それぞれ登場する。 -
ルネサンスの2大巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロが,フィレンツェ共和国の終身国家主席であったソデリーニの委嘱により,1503~06年,この広間を舞台に,ダ・ヴィンチはミラノ公国軍を破った「アンギアーリの戦い」を,ミケランジェロがピサ軍に対して勝利した「カッシナの戦い」を描いて競演したとされている。両作とも完成には至らず,その後の改修によって,現在この広間にはヴァザーリによる「シエナ攻略の壁画」と「ピサ攻略の壁画」が飾られている。
こちらが「シエナ攻略の壁画」 -
こちらが「ピサ攻略の壁画」
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イチオシ
『インフェルノ』では,プロジェクター画像の「地獄の見取り図」の謎を解き,「CERCA TROVA」の文字から,この広間の「マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い」の壁画にたどりつく。ヴァザーリは,壁画の中の緑色の軍旗に,この秘密のメッセージを残すことで,ダ・ヴィンチの失われた絵が壁画の裏に隠したことを後世に伝えようとしたとされ,マウリツィオ・セラチーニ教授らによる2012年の調査で,壁画の裏に奥行き2.5cm程の空洞の存在が明らかとなり,ダ・ヴィンチが「モナ・リザ」や「洗礼者聖ヨハネ」で使用したものと成分が酷似している顔料も採取された。
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階段を昇って,五百人広間を見渡せるバルコニーへ。小説『インフェルノ』で,ラングドンが最初に目を引かれるという(文庫版上巻267頁),深紅の石に黒い格子柄の床がよくわかる。
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バルコニーの右側にある扉を入る。
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こういう階段を登って
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扉を開けると,「ラ・ソッフィッタ」に到着。小説『インフェルノ』では,地球上で最も印象的な天井裏とされる場所(46節)
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天井の模型が置かれているが,小説『インフェルノ』では,そのトラス構造がニューイングランドの昔ながらの納屋の造り,真束と方杖を”雷神ユピテルの鏃”のように連結した伝統的な小屋組みに似ているとしている(文庫版中巻53頁)。
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下には小説にあるような巨大なキャンバスは存在しない。
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先ほどのバルコニーを左側に抜けると,ヴァザーリの回廊からヴェッキオ宮殿への扉がある。小説『インフェルノ』では,こちら側はカードキーがなければ出られない仕組みになっているが,向こう側からは非常口として使えるとされている(文庫版上巻262頁)。実際は,南京錠で施錠され,通れるようにはなっていない。
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通路を先に進むと,「ダンテのデスマスク」の展示スペースへ。実はダンテの死顔からとったものではないく,ダンテの追悼のために作られたマスクのコピーだとか。
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『インフェルノ』における重要なアイテム。ラングドンが記憶を失う前にブゾーニ館長とともに盗み出していたもの。そして,ブゾーニ館長が亡くなる前に残した「門は開かれているが,急いだほうがいい。天国の二十五だ」 というメッセージを手掛かりに,彼が隠したデスマスクの探索が始まる。
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映画に登場するマスクは裏側が平らで文字が書かれていたが,本物はちゃんとマスクのようになっていた。
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「地図の間」
小説『インフェルノ』で,ラングドンが「アルメニアを通っていく」と言って逃げ込むところ。暖かみのあるオーク材の羽目板と角材を組んだ格天井からなり,元は大公の携帯品をしまうクロゼットや戸棚のあるクロークルームで,現在は53枚の世界各国の古地図が壁を飾っており,中央には,「マッパ・ムンディ(世界地図)」と呼ばれる鉄でできた高さ6フィートの特大地球儀が据えられていると紹介されている(45節)。
日本(「GIAPAN」という表記)の地図もちゃんとあった -
これ(中央)が「アルメニア」の地図
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確かに扉を開けることができる。小説『インフェルノ』では,ラングドンらは,この扉を通り抜け,通り抜け不可の表示のある急な階段を登っていくが(文庫版中巻49頁),実際はそのような階段はない。
扉を抜けると -
この小さなテラスだった。小説『インフェルノ』で,ブリューダー隊長がたどり着いた「宮殿の屋上に延びた連絡通路」(文庫版中巻46頁)なのだろうか。
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テラスの反対側の扉を開けて,中に入る。
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小説『インフェルノ』で,ブリューダー隊長が入った「ビアンカ・カッペッロ大公妃の秘密の書斎」だった。石造りの小部屋で,確かに,木の机が壁づけにして置かれている(文庫版中巻47頁)。
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天井のフレスコ画も確かに不気味。白い帽子の楽屋とも呼ばれている。
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隠し窓(ウナ・フィネストラ・セグレータ)からは五百人広間を覗くことができ,ビアンカ大公妃は夫の演説を人知れず見守ることができたとされている。
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実際に覗かせてもらえた。
15:15 地図の間に戻って,ツアー終了
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アルノルフォの塔
ヴェッキオ宮殿本体がほぼ完成する頃,1310~14年,ポッピのグイディ伯爵の城を原型にして建てられた高さ約95mの塔で,3階から最上階までは223段の階段(地上階からだと482段らしい)。その名は設計者のアルノルフォ・ディ・カンビオに由来する。2012年6月24日から一般公開されている。
フィレンツェカードを再提示して,3階の入口からアルノルフォの塔へ。登塔の人数制限があり,下りてくる人を待って昇る。アルノルフォの塔 (ヴェッキオ宮) 史跡・遺跡
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階段を昇っていく途中にアルベルゲットという小さな部屋がある。政治犯用の牢獄で,祖国の父コジモ・ディ・メディチが1433年9月7日から10月3日まで共和国に謀反を企てた罪で囚われ,サヴォナローラも1498年4月8日夜から5月23日火あぶりの刑に処せられるまで入牢していたとのこと。
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最上階は,ツバメの尾のような形の狭間胸壁のあるバルコニーになっている。昇ることはできないが,柱に螺旋階段があり,上の木造の階に「市民を集める鐘」,「正午を知らせる鐘」,「時鐘」の3つの鐘が設けられており,木造の床の裏には修復された年の「1690」の数字が刻まれているとか
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イチオシ
一つ下の小回廊から,各方面を撮影。これは真下のシニョリーア広場。映画『インフェルノ』のゾブリストがバディア・フィオレンティーナ教会の尖塔から飛び降りるシーンの画像は,実はこの広場に落ちるカットになっている。
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イチオシ
ドゥオモも正面に見える。
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ウッフィッツィ美術館の回廊
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サン・ニッコロ門方面
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サンタ・クローチェ教会
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バディア・フィオレンティーナ教会とバルジェッロ国立博物館
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カミナメント・ディ・ロンダという宮殿の周りに張り出した回廊まで下りる。ここは,兵士が巡察するための通路であったとのこと
中世の歩廊 (ヴェッキオ宮) 史跡・遺跡
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床には敵襲の際に煮えたぎった液体や石などを落すためのピオンバトイアという穴も見られる。
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覗いてみると,真下に広場のベンチが見え,張り出し回廊であることがよくわかる。
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昨日行ったウッフィッツィ美術館のテラスが見渡せた。あのテラスは,ランツィのロッジアの屋上であった。
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イチオシ
これで,フィレンツェの3登(ジョットの鐘楼・ブルネレスキのクーポラ・アルノルフォの塔)を達成
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ヴェッキオ宮殿博物館
地図の間から逆に戻りながら,宮殿各部屋の天井や壁の装飾等を見学。
ここは「謁見の間」 -
プリオーリの礼拝堂
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緑の間の天井
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エレオノーラの礼拝堂
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ジュノのテラスにあるヴェロッキオの「イルカを抱く天使」のオリジナル
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五百人広間に戻る。
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壁に沿って,ヘラクレスの功業を題材とする躍動感あふれる彫刻が並んでいる。16世紀の芸術家ヴィンチェンツォ・デ・ロッシの作品。こちらは「エリュマントスの猪」
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アマゾン族の女王を倒すヘラクレス
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小説『インフェルノ』において,独創的な”ペニスつかみ”のポーズと表現された(文庫版上巻268頁)「ディオメデスを罰するヘラクレス」
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こちらは,ミケランジェロの「勝利」の像。小説『インフェルノ』には,高さ9フィート近くあり,当初は超保守的なローマ教皇ユリウス2世の墓所を飾るために作られたと紹介されている(文庫版上巻268頁)。
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フランチェスコ1世の書斎
小説『インフェルノ』に記述されているとおり(文庫版上巻276頁),五百人広間のマルチャーノの戦いの壁画の反対側に階段を少し上がってガラスの扉があり,壁や天井に隙間なく絵画が飾られた不可思議なこの書斎の中を見ることができる。写真上は,コジモ1世の肖像画 -
残念ながら,絵のパネルを開けて隠し扉や隠し収納を見ることはできなかった。どちらに参加するか迷った「Secret Passages(秘密の通路)」のツアーの方では,隠し扉から「コジモⅠ世の秘密の書斎」を見ることができるらしい。パンフレット等によると,正面右下の絵画がはめ込まれていないところが隠し扉みたい。
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確かに蝶番があるので,隠し収納がありそうだ。
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16:15 小説『インフェルノ』に従い,ラングドンとシエナのダンテのデスマスク探索のルートを辿る。まずは ,インフェルノツアーの最初にくぐった「アテネ公の扉」の外側。小説のとおり(文庫版中巻77頁),鉄の鋲が打たれた,高さ4フィート足らずの頑丈な木の扉だ。
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プリンチペの通路
小説『インフェルノ』では,通路を出た扉の真正面に長い通路が延び,通路の先に中庭が広がっていて,中庭を通った先に五百人広場があると記されているが(文庫版上巻263頁),見ての通りウフィツィ美術館の3階とヴェッキオ宮殿3階(緑の間)とを結んでいるので,小説は階層が合わない。1月14日まで期間限定で特別公開された。
ニンナ通りを東へ
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グラーノのロッジア
レオーニ通りに突き当たった南角にある。コジモ2世の命により,1619年にジュリオ・パリージによって造られた穀物市場兼倉庫で,北側の中央のアーチの上にコジモ2世の胸像がある。現在は,革製品や衣料のマーケットになっている。角の柱にある,怪物の口から水が流れるマスケローネの噴水が面白い。
この角を曲がって,レオーニ通りを北へ -
昨日,サンタ・クローチェ教会からウッフィッツィ美術館に行く途中に通ったサン・フィレンツェ広場に出る。
小説『インフェルノ』で,ラングドンは,右側にバルジェッロ国立博物館のいかめしいファザードを,左側の建物群の向こうに,ゾブリストが飛び降りたバディア・フィオレンティーナ教会の先細の尖塔を見上げながら通りを進んだ(文庫版中巻88頁)。 -
サン・フィレンツェ教会
映画『冷静と情熱のあいだ』にもちらっと登場。2012年までは裁判所としても利用されていた。元は左側がサン・フィリッポ・ネリ教会,右側がサンタ・ポッリナーレ教会として建てられ,1749年の修復の際に間をつなぐようにファッチャータが造られて,サン・フレンツェ教会と総称されたバロック様式の建物だ。Complesso di San Firenze 寺院・教会
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ちょっと道草して,左側のサン・フィリッポ・ネリ教会に入ってみた。現在は,フィレンツェにおける海外挙式の会場としても利用されている。
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主祭壇画がなかなか美しい
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ドームもいい雰囲気
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16:30 プロコンソロ通りを北進し,左折してダンテ・アリギエーリ通りへ -
ダンテの家博物館
サンタ・マルゲリータ通りにあり,路地を入ったところにある石造りのファザードに掛けられた旗が目印。小説『インフェルノ』(51節)に登場。ラングドンは「神曲」の全文が印刷されている特大ポスターを求めてここ(併設されている土産物店)を訪ねるが,閉館日のため入れない。
フィレンツェカードを利用して,塔の2階から博物館に入館。必見のものはなく,1階のブックショップで,ドゥオモで見れなかった「神曲を持つダンテ」の絵葉書を購入ダンテの家 博物館・美術館・ギャラリー
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通りの向かいにあるカスターニョの塔も撮影。ヴェッキオ宮殿に移るまで市の行政機関が置かれていたらしい。
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16:50 サンタ・マルゲリータ通りの路地を北へ,白い看板を目指して進む。 -
サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会
アンティオキアのマルゲリータに捧げられた教会で,1353年にチェルキ家が主な保護者となったことからこの名が付けられている。サンタ マルゲリータ デイ チェルキ教会 寺院・教会
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入口の看板にも掲示されているとおり「ダンテの教会」として知られ,小説『インフェルノ』でも,ダンテが9歳のときに生涯恋い焦がれるベアトリーチェ・ポルティナーリに出会った場所と紹介している(文庫版中巻103頁)。
残念ながら,この日は開いておらず,中に入ることができなかった。
小説では,ラングドンは,ここで老婦人から借りたiPhoneでダンテの「神曲」の天国篇第25歌を検索し,「わたしはそこへ詩人としてもどり,わたしの洗礼盤の前で冠を授かることになるだろう」の一文を見つけ,ダンテが洗礼を受けた洗礼盤のある建物を思い出す(52節)。 -
16:50 教会の北側のこのアーチをくぐってコルソ通りに出て,ストゥーディオ通りを北に抜けドゥオモ広場へ
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小説『インフェルノ』で,ラングドンは,まばゆい緑とピンクと白の大理石でできた大聖堂の側面を見て,その芸術性と大きさ(ワシントン記念塔の高さとほぼ等しいと記されている)に感嘆するあまり足を止めてしまう(53節,文庫版中巻118~9頁)。
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イチオシ
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
フィレンツェ最古の建造物の一つ。5世紀に街の守護聖人サン・ジョヴァンニ(洗礼者ヨハネ)に捧げる教会が建てられ,11世紀に改築されて,現在のようなロマネスク様式の八角堂となった。ドゥオモと違い,こちらは白と緑の2色の大理石が用いられている。ダンテはこの洗礼堂で洗礼を受けた。
外壁の修復を行っていたが,2015年11月に完了し,きれいになった。サン ジョヴァンニ洗礼堂 (フィレンツェ) 城・宮殿
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イチオシ
洗礼堂には,北,南,東の三方に青銅製の扉があり,そのうち東側扉がギベルティが20年以上かけて制作し,ミケランジェロから「天国の門」と賞賛されたもの。高さ5メートルで,金箔を施した縦横80センチの10枚のパネルに旧約聖書の物語が展開されている(ここにあるのは複製.,本物はドゥオモ付属美術館に収蔵)
小説『インフェルノ』には,ギベルティが署名した左列中央の「ヤコブとエサウ」のレリーフが一番人気で,「天国の門」のもう一つの複製がサンフランシスコのグレース大聖堂にあると記されている(文庫版中巻124~5頁)。 -
イチオシ
17:45 45分程待たされて入場
小説『インフェルノ』にあるように,琥珀を思わせる艶やかな金色の天井には,6つの同心円の中にズマルトというガラス片で聖書の様々な場面,天国と地獄が描かれている。主祭壇の真上にキリストが描かれ,その左側は正しき者が永遠の生を受け,右側では罪ある者が様々な拷問を受けている。 -
三つの顔がある角のある悪魔が罪人を食らっている様は,ダンテの地獄の第8の圏にそっくり
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『インフェルノ』における謎解きの重要スポットであり,ラングドンらは,木の天板が載った,大理石に彫刻を施した六角形の台座のような洗礼盤の中からダンテのデスマスクを発見する。映画『インフェルノ』でも,デスマスクに描かれた文字から,ヴェネツィアへの旅の鍵を見つける
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サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会
手狭になったサンタ・レパラータ教会に代わるドゥオモの建設がアルノルフォ・ディ・カンビオの設計・監督により始まったのが1296年。彼の死後,一時建設は中断したが,フランチェスコ・タレンティによって再開され,1380年に身廊部分が,1418年にクーポラ以外が完成。ドゥオモ広場 広場・公園
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色大理石が美しいファザード。当初,ファザードは,カンピオの死後未完成のまま残され,後に堅固でないと撤去されたが,エミリオ・デ・ファブリスにより新しく建設され,1887年に完成
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17:55 カルツァイウオリ通りからオケ通りに折れ,サンタ・エリサベッタ通りを南へ。写真は,オケ通りにあるヴィスドミーニの塔
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ホテル・ブルネレスキ
サンタ・エリザベッタ広場の奥にある。小説『インフェルノ』の最終節に登場するラングドンの宿泊先。使われている半円筒形の塔は,現存するフィレンツェ最古の建造物の一つで,「パリアッツァの塔」といい,かつての女性専用の牢獄であった。ブルネレスキ ホテル ホテル
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18:00 カルツァイウオリ通りに戻って,Migoneで,お菓子のおみやげを購入。ドゥオモや鐘楼,洗礼堂の形をしたお菓子の箱が名物だ。
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18:30 夕食は,まっぷるに紹介されていた,プロコンソロ通りのピッツェリア&リストランテのイエロー・バーで,マルゲリータピザをトスカーナビールとともに。映画『冷静と情熱のあいだ』の撮影中,竹野内豊が気に入って通い詰めたお店らしい。
イエロー バー イタリアン
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19:15 ドゥオモ広場を通ってホテルへ
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夕焼けに染まる洗礼堂
ドゥオモ広場 広場・公園
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アルチヴェスコヴィレ宮。建物の北東角に,メディチ家の紋章が見られる。
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