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京都の花の名所巡りです。

2018春、京都の花の名所(4/15):北野天満宮(4):八重紅枝垂れ桜、扁額、庭園庭園、狛犬

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2018/03/31 - 2018/03/31

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旅行記グループ 2018春、京都の花の名所巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

京都の花の名所巡りです。

交通手段
観光バス

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  • 菅原道真公を御祭神とする、『北野天満宮』の境内光景です。旧称は『北野神社』、旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社です。神紋は『星梅鉢紋』です。 通称として天神さんや北野さんとも呼ばれます。

    菅原道真公を御祭神とする、『北野天満宮』の境内光景です。旧称は『北野神社』、旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社です。神紋は『星梅鉢紋』です。 通称として天神さんや北野さんとも呼ばれます。

  • 石灯篭のズームアップ光景です。周りの木々は梅が多いようでした。

    石灯篭のズームアップ光景です。周りの木々は梅が多いようでした。

  • 前方奥に見える建物は、『絵馬所』です。現在の絵馬所は元禄12年(1699年)に建てられ、規模、歴史は現存する絵馬所のなかでも随一と言われています。京都市指定有形文化財です。

    前方奥に見える建物は、『絵馬所』です。現在の絵馬所は元禄12年(1699年)に建てられ、規模、歴史は現存する絵馬所のなかでも随一と言われています。京都市指定有形文化財です。

  • 同じく、『絵馬所』と石橋の光景です。

    同じく、『絵馬所』と石橋の光景です。

  • イチオシ

  • 重要な物を仕舞った土蔵でしょうか、全面が城漆喰で塗り固めてあった建物の光景です。

    重要な物を仕舞った土蔵でしょうか、全面が城漆喰で塗り固めてあった建物の光景です。

  • 『レンギョウ(連翹)』の黄色い花の光景です。『シナレンギョウ(支那連翹)』かも知れません。

    『レンギョウ(連翹)』の黄色い花の光景です。『シナレンギョウ(支那連翹)』かも知れません。

  • 『宗像社』の扁額が懸かった石の鳥居と、その先に続く赤い鳥居の光景です。

    『宗像社』の扁額が懸かった石の鳥居と、その先に続く赤い鳥居の光景です。

  • 『絵馬所』の掲額の光景です。

    『絵馬所』の掲額の光景です。

  • 現地で撮影した時には、内容を確認する時間がありませんでした。写真を整理する時に、『三十六歌仙』がキーワードらしいことが分かりました。『三十六歌仙』は、藤原公任の『三十六人撰』に載っている平安時代の和歌の名人36人の総称です。藤原公任(きんとう)は、平安時代中期の公卿で歌人、藤原北家小野宮流、関白太政大臣・藤原頼忠の長男です。官位は正二位、権大納言でした。

    イチオシ

    現地で撮影した時には、内容を確認する時間がありませんでした。写真を整理する時に、『三十六歌仙』がキーワードらしいことが分かりました。『三十六歌仙』は、藤原公任の『三十六人撰』に載っている平安時代の和歌の名人36人の総称です。藤原公任(きんとう)は、平安時代中期の公卿で歌人、藤原北家小野宮流、関白太政大臣・藤原頼忠の長男です。官位は正二位、権大納言でした。

  • 詠み人は平安時代中期の歌人、『壬生忠見(みぶのただみ:生没年不詳)』です。父・忠岑とともに三十六歌仙の一人に数えられます。小倉百人一首には、『恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか』が選ばれています。写真の一首は、『さ夜ふけて寝ざめざりせば時鳥人づてにこそきくべかりけれ(拾遺104)』です。通釈は、『夜が更けて目を覚まさなかったら、時鳥の声を人づてにばかり聞いていただろうなあ』です。実際には寝覚めしましたので、ホトトギスの声を直接聞けました。

    詠み人は平安時代中期の歌人、『壬生忠見(みぶのただみ:生没年不詳)』です。父・忠岑とともに三十六歌仙の一人に数えられます。小倉百人一首には、『恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか』が選ばれています。写真の一首は、『さ夜ふけて寝ざめざりせば時鳥人づてにこそきくべかりけれ(拾遺104)』です。通釈は、『夜が更けて目を覚まさなかったら、時鳥の声を人づてにばかり聞いていただろうなあ』です。実際には寝覚めしましたので、ホトトギスの声を直接聞けました。

  • 詠み人は三十六歌仙の一人、『平兼盛(たいらのかねもり:?~991年)』です。平安時代の貴族で歌人、『拾遺和歌集』や『後拾遺和歌集』における代表的な歌人の一人とされます。小倉百人一首には、『しのぶれど色に出でにけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで』が選ばれています。この写真の一首は、『暮れてゆく秋の形見におくものは我が元結の霜にぞありける(拾遺214)』です。通釈は、『暮れて去る秋が形見に残して行ったものは、私の元結についた霜、いや白髪であったよ』です。

    詠み人は三十六歌仙の一人、『平兼盛(たいらのかねもり:?~991年)』です。平安時代の貴族で歌人、『拾遺和歌集』や『後拾遺和歌集』における代表的な歌人の一人とされます。小倉百人一首には、『しのぶれど色に出でにけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで』が選ばれています。この写真の一首は、『暮れてゆく秋の形見におくものは我が元結の霜にぞありける(拾遺214)』です。通釈は、『暮れて去る秋が形見に残して行ったものは、私の元結についた霜、いや白髪であったよ』です。

  • 詠み人は、『中務(なかつかさ:912頃~991年頃)』です。平安時代中期の女流歌人で、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人です。父は、宇多天皇の皇子敦慶親王で、親王が中務卿であったことから、この名がついています。母は、著名な女流歌人の伊勢です。『秋風の吹くにつけてもとはぬかな荻の葉ならば音はしてまし(後撰846)』の一首です。通釈は、『私に「飽き」たというのか。秋風が吹くにつけても、あなたは気配さえ見せない。荻の葉ならば音を立てるだろうに』とされます。

    詠み人は、『中務(なかつかさ:912頃~991年頃)』です。平安時代中期の女流歌人で、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人です。父は、宇多天皇の皇子敦慶親王で、親王が中務卿であったことから、この名がついています。母は、著名な女流歌人の伊勢です。『秋風の吹くにつけてもとはぬかな荻の葉ならば音はしてまし(後撰846)』の一首です。通釈は、『私に「飽き」たというのか。秋風が吹くにつけても、あなたは気配さえ見せない。荻の葉ならば音を立てるだろうに』とされます。

  • 詠み人は『小大君(こおおきみ:940/950~1005年)』です。『岩橋の夜の契りもたえぬべし明くるわびしき葛城(かづらき)の神(拾遺1201)』の一首のようです。通釈は、『久米路の石橋の工事が中途で終わったように、あなたとの仲も途絶えてしまいそうです。夜が明けるのがつらいことです、葛城の一言主の神のように見目を恥じる私は』とされます。岩橋(いはばし)は、大和国葛城の久米路の石橋です。役行者が橋を架けようとしましたが、一言主の神は容貌を恥じて夜しか働かず、行者の怒りを買って谷底へ落とされ、工事は中断されたという説話があり、『絶え』の縁語となりました。『小大君』は、三条天皇(在位:1011~1016年)の皇太子時代、女蔵人として仕えました。

    詠み人は『小大君(こおおきみ:940/950~1005年)』です。『岩橋の夜の契りもたえぬべし明くるわびしき葛城(かづらき)の神(拾遺1201)』の一首のようです。通釈は、『久米路の石橋の工事が中途で終わったように、あなたとの仲も途絶えてしまいそうです。夜が明けるのがつらいことです、葛城の一言主の神のように見目を恥じる私は』とされます。岩橋(いはばし)は、大和国葛城の久米路の石橋です。役行者が橋を架けようとしましたが、一言主の神は容貌を恥じて夜しか働かず、行者の怒りを買って谷底へ落とされ、工事は中断されたという説話があり、『絶え』の縁語となりました。『小大君』は、三条天皇(在位:1011~1016年)の皇太子時代、女蔵人として仕えました。

  • 八重咲の梅の花のようです。同じバラ科の植物ですから、私の場合、桜や桃などとの見分けがつかないことも多くあります。

    八重咲の梅の花のようです。同じバラ科の植物ですから、私の場合、桜や桃などとの見分けがつかないことも多くあります。

  • 八重咲の梅らしい花のズームアップ光景です。菅原道真公所縁の知多の天満宮の境内ですから、真っ先に梅の花を連想してしまいました。

    八重咲の梅らしい花のズームアップ光景です。菅原道真公所縁の知多の天満宮の境内ですから、真っ先に梅の花を連想してしまいました。

  • 通路のすぐ脇でしたが、『キジバト(雉鳩)』さんが悠々と座り込んでいました。キジバトは、ハト科キジバト属に分類される鳥で、『ヤマバト(山鳩)』の別名を持ちます。<br />

    通路のすぐ脇でしたが、『キジバト(雉鳩)』さんが悠々と座り込んでいました。キジバトは、ハト科キジバト属に分類される鳥で、『ヤマバト(山鳩)』の別名を持ちます。

  • 左側のイラストには『北野天満宮境内図』、右側の説明文には『北野天満宮』野タイトルがあった説明パネルの光景です。説明文の冒頭に、『菅原道真公(845~903年)』を御祭神とする全国天満宮の総本社と紹介されていました。境内一円に50種、2千本の梅の樹があることも紹介されていました。

    左側のイラストには『北野天満宮境内図』、右側の説明文には『北野天満宮』野タイトルがあった説明パネルの光景です。説明文の冒頭に、『菅原道真公(845~903年)』を御祭神とする全国天満宮の総本社と紹介されていました。境内一円に50種、2千本の梅の樹があることも紹介されていました。

  • 末尾に明治11年1月の日付があった古い石碑の光景です。最初の3行には、『東京菊池市太郎介可亭羽倉翁来請 日隆光以通夫長給事官省者久●明治二年三月』の文字が刻まれていました。

    末尾に明治11年1月の日付があった古い石碑の光景です。最初の3行には、『東京菊池市太郎介可亭羽倉翁来請 日隆光以通夫長給事官省者久●明治二年三月』の文字が刻まれていました。

  • 『中門(三光門)』の守りの武者人形の光景です。

    『中門(三光門)』の守りの武者人形の光景です。

  • 同じく、『中門(三光門)』の守りの武者人形の光景です。

    同じく、『中門(三光門)』の守りの武者人形の光景です。

  • 『中門(三光門)』の建物光景です。

    イチオシ

    『中門(三光門)』の建物光景です。

  • これで、菅原道真公を祀る北野天満宮の紹介はお島市です。次に向かったのは、天竜寺と嵐山です。

    これで、菅原道真公を祀る北野天満宮の紹介はお島市です。次に向かったのは、天竜寺と嵐山です。

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