![鎌倉にある建長寺(https://4travel.jp/travelogue/10486167)では平成31年(2019年)の改旦諷経(元旦祭)が終わり、その後の直会も終わり、建長寺派の各寺の僧侶が帰って行くところだ。境内で多くのお坊さんを見掛けた。20、30人といったところだ。この多くはここ建長寺塔頭のお坊さんかここ鎌倉市内のお寺のお坊さんであろう。<br /> お昼近くになって空もすっきりと晴れ上がっている。しかし、午後になると霞んでくるかも知れない。半増坊やその裏の奥の院、あるいは勝上嶽に上って初富士を拝むのなら今だろう。しかし、今日は先ほど北鎌倉富士見道で今年最初の富士山(初富士)を楽しんできたので、方丈とその裏の庭園を見てお邪魔する。<br /> 建長寺は臨済宗建長寺派の大本山であり、巨福山(こふくさん)建長興国禅寺という。建長5年(1253年)の創建であり、元号を寺名にしている寺の一つである。鎌倉五山の第一位であるが、鎌倉五山の第三位である壽福寺(亀谷山(きこくさん)寿福金剛禅寺)(臨済宗建長寺派のお寺)よりは半世紀余り後の創建である。勿論、「常楽は建長の根本なり」と言われた常楽寺(鎌倉市大船)よりは16年ほど遅れて創建された。その後は鎌倉における禅宗の中心寺院となった。鎌倉では代表的なもう一つの禅寺である円覚寺(臨済宗円覚寺派大本山)は瑞鹿山(ずいろくさん)円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)といい、鎌倉五山の第一位から第三位までには、それぞれ、「興国」、「興聖」、「金剛」が入っている。創建年順では、「金剛」、「興国」、「興聖」である。あるいは、鎌倉五山の第四位は臨済宗建長寺派のお寺で稲荷山(とうかさん)浄妙広利禅寺、鎌倉五山の第五位は臨済宗円覚寺派のお寺で金宝山(きんぽうざん)浄智寺である。鎌倉五山だからと言っても全てに「金剛」などが入っている訳ではない。もしそうだとしたら、創建年が早い寿福金剛禅寺の「金剛」(仏教用語で「最も硬い金属、もしくは一説にダイヤモンド(金剛石)」)が最初であろう。<br /> 建長寺の本尊は地蔵菩薩である。地蔵菩薩は最も多く目にする仏さまであるが、ご本尊にする寺院はそう多くはないというか、滅多にない。<br /> 建長寺の伽藍は取り分けて移築された建物が多い。仏殿、唐門、開山堂がある西来庵(せいらいあん)の中門はいずれも芝・増上寺の徳川秀忠御台所崇源院(天正元年〈1573年〉~寛永3年〈1626年))の御霊屋を正保4年(1647年)に移築したものであり、総門(天明3年(1783年)の建立)と方丈(竜王殿)(享保17年(1732年)の建立)はいずれも昭和15年(1940年)に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築したものである。般舟三昧院は泉涌寺とともに皇室の香華院であった。そのために、総門の屋根には桃の飾り瓦が上がっている。京都御苑では京都御所の築地塀を含む瓦屋根には菊の飾り瓦が上がるが、仙洞御所(https://4travel.jp/travelogue/10437115)や桂宮邸跡の表門などの瓦屋根には桃の飾り瓦が上がっている。桃の飾り瓦は建長寺の寺格では上がるはずもない飾り瓦である。なお、嵩山門(すうざんもん)の屋根には唐獅子の飾り瓦が上がっているが、これが本来建長寺で上げる飾り瓦であろう。<br />(表紙写真は建長寺仏堂)](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/43/86/650x_11438688.jpg?updated_at=1550101024)
2019/01/01 - 2019/01/01
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鎌倉にある建長寺(https://4travel.jp/travelogue/10486167)では平成31年(2019年)の改旦諷経(元旦祭)が終わり、その後の直会も終わり、建長寺派の各寺の僧侶が帰って行くところだ。境内で多くのお坊さんを見掛けた。20、30人といったところだ。この多くはここ建長寺塔頭のお坊さんかここ鎌倉市内のお寺のお坊さんであろう。
お昼近くになって空もすっきりと晴れ上がっている。しかし、午後になると霞んでくるかも知れない。半増坊やその裏の奥の院、あるいは勝上嶽に上って初富士を拝むのなら今だろう。しかし、今日は先ほど北鎌倉富士見道で今年最初の富士山(初富士)を楽しんできたので、方丈とその裏の庭園を見てお邪魔する。
建長寺は臨済宗建長寺派の大本山であり、巨福山(こふくさん)建長興国禅寺という。建長5年(1253年)の創建であり、元号を寺名にしている寺の一つである。鎌倉五山の第一位であるが、鎌倉五山の第三位である壽福寺(亀谷山(きこくさん)寿福金剛禅寺)(臨済宗建長寺派のお寺)よりは半世紀余り後の創建である。勿論、「常楽は建長の根本なり」と言われた常楽寺(鎌倉市大船)よりは16年ほど遅れて創建された。その後は鎌倉における禅宗の中心寺院となった。鎌倉では代表的なもう一つの禅寺である円覚寺(臨済宗円覚寺派大本山)は瑞鹿山(ずいろくさん)円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)といい、鎌倉五山の第一位から第三位までには、それぞれ、「興国」、「興聖」、「金剛」が入っている。創建年順では、「金剛」、「興国」、「興聖」である。あるいは、鎌倉五山の第四位は臨済宗建長寺派のお寺で稲荷山(とうかさん)浄妙広利禅寺、鎌倉五山の第五位は臨済宗円覚寺派のお寺で金宝山(きんぽうざん)浄智寺である。鎌倉五山だからと言っても全てに「金剛」などが入っている訳ではない。もしそうだとしたら、創建年が早い寿福金剛禅寺の「金剛」(仏教用語で「最も硬い金属、もしくは一説にダイヤモンド(金剛石)」)が最初であろう。
建長寺の本尊は地蔵菩薩である。地蔵菩薩は最も多く目にする仏さまであるが、ご本尊にする寺院はそう多くはないというか、滅多にない。
建長寺の伽藍は取り分けて移築された建物が多い。仏殿、唐門、開山堂がある西来庵(せいらいあん)の中門はいずれも芝・増上寺の徳川秀忠御台所崇源院(天正元年〈1573年〉~寛永3年〈1626年))の御霊屋を正保4年(1647年)に移築したものであり、総門(天明3年(1783年)の建立)と方丈(竜王殿)(享保17年(1732年)の建立)はいずれも昭和15年(1940年)に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築したものである。般舟三昧院は泉涌寺とともに皇室の香華院であった。そのために、総門の屋根には桃の飾り瓦が上がっている。京都御苑では京都御所の築地塀を含む瓦屋根には菊の飾り瓦が上がるが、仙洞御所(https://4travel.jp/travelogue/10437115)や桂宮邸跡の表門などの瓦屋根には桃の飾り瓦が上がっている。桃の飾り瓦は建長寺の寺格では上がるはずもない飾り瓦である。なお、嵩山門(すうざんもん)の屋根には唐獅子の飾り瓦が上がっているが、これが本来建長寺で上げる飾り瓦であろう。
(表紙写真は建長寺仏堂)
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警察官が立っており、一般車は通行止めになっている。路線バスだけが通行を許可されている。
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「建長寺 案内図」。
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西外門(天下門)。
公益財団法人「全日本仏教会」のWeb(http://www.jbf.ne.jp/about/member/sect/2569.html)には、建長寺を「わが国最初の禅寺」として紹介している。しかし、半世紀余り前に鎌倉でも臨済宗寺院が創建されており、「禅寺」を禅宗寺院とするならば明らかな間違いである。他のWeb(https://www.tsukui-ryokan.co.jp/around_p/02.html)には「わが国最初の禅の専門道場」とあり、これが実態であろう。 -
西外門(天下門)に立て掛けられた「初詣 初祈祷」の看板。
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西外門(天下門)に掛かる「天下禅林」の扁額。
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建長寺駐車場。手前で通行止めになっているのであるから観光バスや一般車両は入れない。
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建長寺総門。天明3年(1783年)の建立。
ウィキペディア(Wikipedia)には1943年(昭和18年)に移築されたと記載されているが、建長寺のホームページや設置した看板にある「昭和15年」(1945年)が正しいであろう。昭和17年(1942年)には東京が初めて米軍の空襲を受けている。鎌倉も空襲を受けないなどと思う人はいなかったいだろうから、戦局が緊迫してしまっている昭和18年(1943年)になって移築するなどということは有り得ないことだ。 -
建長寺総門の築地塀の屋根に上がる桃の飾り瓦。総門の屋根にも桃の飾り瓦が上がっているが、見やすい低い場所にあるものを写真に収めた。
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建長寺総門の築地塀の屋根の屋根に上がる桃の飾り瓦。
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「総門」。天明3年(1783年)の建立。昭和15年(1945年)に移築。
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建長寺料金所。今日は「無料開放」でご朱印の受付と墓前に供える花を売っているだけだ。
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「境内一円 たき火 喫煙 禁止」看板と「建長寺 案内図」。
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さざれ石とその案内看板。
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防火用水のマンホール蓋。
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建長寺三門(山門)。安永4年(1775年)の建立(重要文化財)。
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三門。左下に賓頭盧(びんずる)さま。
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「三門(国重要文化財)」。
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三門。
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鐘楼。
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梵鐘(国宝)。
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「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」(夏目漱石の俳句)。
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「梵鐘(国宝 重さは二、七トン)」。
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嵩山門(すうざんもん)。
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自分の寺に帰るお坊さんたち。
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ビャクシンの木立の間に仏殿。
「建長寺庭園」として国の史跡および名勝に指定されている。 -
仏殿(国重要文化財)。寛永5年(1628年)に建立。
寛永9年(1632年)に二代将軍徳川秀忠(天正7年(1579年)~寛永9年(1632年))が亡くなり、台徳院御霊屋が建立され、その横に御台所崇源院の礼拝所が建立されたが、それまでの崇源院の御霊屋は残されていた。臨済宗の僧侶の沢庵和尚(天正元年12月1日(1573年12月24日)~正保2年12月11日(1646年1月27日))が鎌倉を訪れ、荒廃していた建長寺を見て嘆き、三代将軍徳川家光(慶長9年(1604年)~慶安4年(1651年))に頼み込んで了承を得、正保4年(1647年)に崇源院の御霊屋が建長寺に移築されたとされる。
神君徳川家康(天文11年12月26日(ユリウス暦1543年1月31日)~元和2年4月17日(グレゴリウス暦1616年6月1日))の後に亡くなり、徳川家の者としては最初に江戸で葬儀が行われ、徳川家・将軍家の威厳を江戸町民に示すために女性でありながら葬儀も盛大に執り行われ、御霊屋も立派なものになった。並んで建つ法堂(はっとう)と比べて見ると、これも建長寺の寺格では有り得ない建物であることが分かる。 -
仏殿。
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仏殿の鐘。
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本尊の地蔵菩薩坐像。
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地蔵菩薩坐像。
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地蔵菩薩坐像。
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仏殿左後方の彫刻。
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仏殿右後方の彫刻。
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格天井には鳳凰の天井絵。
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「仏殿(国重要文化財)」。
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梟(ふくろう)の置物。
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仏殿の軒柱の彫刻。
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後ろに法堂(はっとう)。
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塔頭同契院。
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近年に建てられた土蔵。
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土蔵。
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法堂(重要文化財)。文政8年(1825年)に竣工。
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法堂。
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法堂に掛かる「海東法窟」の扁額。
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雲龍図(小泉淳作筆)の天井絵。
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「雲龍図」。
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法堂須弥壇。
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千手観音菩薩坐像。
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千手観音菩薩坐像。
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釈迦苦行像(レプリカ像)。
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「釈迦苦行像」(レプリカ像)。平成17年(2005年)に開催された愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の釈迦苦行像のレプリカが愛知万博終了後にパキスタンより寄贈され、安置されている。
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釈迦苦行像前に狛犬か。
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華厳小宝塔。裳層付きの五重塔だ。
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「華厳小宝塔」。
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華厳小宝塔。
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唐門と方丈。
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唐門前の枝垂れ桜。
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枝垂れ桜。
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唐門。
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唐門の築地塀。瓦に「建長寺」の文字。
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大庫裏玄関。
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方丈入口。
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「東寺」展ポスター。
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衝立。龍と虎。
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正月の生け花。
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方丈から見る唐門。
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方丈。
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方丈に掛かる「龍王殿」の扁額。
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「方丈(龍王殿)」。享保17年(1732年)の建立。昭和15年に京都・般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築した。
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「庭園(国史跡)」。
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庭園の蘸碧池(さんぺきち)。
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庭園と得月楼。
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庭園の蘸碧池(さんぺきち)。
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