2018/12/04 - 2018/12/04
3809位(同エリア10328件中)
ひよどりさん
JRのフルムーンパスを利用して、九州をぐるりと駆け足で回ってきました。
博多で所用を済ませた後、生まれて初めて大分(2泊)→宮崎(1泊)→鹿児島(2泊)の3県を訪れました。
今回の旅行記は、大分府内城近くに宿泊し、臼杵観光協会のレンタサイクルを利用して、臼杵を周遊した時の後半、主に、城下町探訪の記録です。
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上臼杵駅 1
日豊本線臼杵駅観光案内所で無料レンタサイクルを借り、10:00過ぎ出発。臼杵石仏・大日石仏と磨崖仏を2カ所巡った後、木造駅舎を見る為、上臼杵駅を目指しました。 -
上臼杵駅 2
待合室には、地域の方の手作りの作品が飾られ、手書きの「貸家あり」の張り紙もありました。 -
上臼杵駅 3
待合室外のベンチ。
古いベンチに木製の窓枠・・・じっくり眺めてしまう大好きなアイテムです。 -
臼杵川 1
今日は臼杵川に沿うように→臼杵石仏→同じ道を戻り→大日石仏→上臼杵駅に立ち寄り→改めてもう一度、臼杵川へ。
河口の中洲に架かる住吉橋に佇み、上流を眺めていました。左岸には、大橋寺、右手の木々は中洲に祀られた住吉神社のものです。
(後日、臼杵市HPで、大橋寺は、かつて、臼杵湾七島の一つの森島に建てられ、出城の役割を果たし、西南戦争時には大分県警視隊の本陣であったことを知りました。)
水路が大好きで、流れている水を眺めるのが大好きな私は、「いい景色!」と何枚も写真を撮っていると、珍しく、夫に急かされました。
14:50!
まだ、城下町を見ていません。もう少し下流にあるフンドーキンの工場も見ていません。急がないと、まずは川下に! -
臼杵川 2
フンドーキンの工場。臼杵川の中洲に建てられています。
醤油をはじめ、味噌やドレッシングまで幅広く調味料を製造しているメーカーです。小説家野上弥生子は、この創業家に生まれました。(二代目の実姉に当たる)
臼杵は、醸造の町です。創業が400年を超えるお醤油屋さんもあります。見学できる蔵元等もあります。
醸造をテーマにした臼杵町歩きは、今回は断念せざるを得ないのですが、いつか実現したいものですね。 -
旧後藤家長屋門
臼杵駅観光案内所で借りた自転車は、臼杵城跡西側の大手門前にある観光交流プラザに止めて、散策開始です。
臼杵城は、戦国時代、臼杵湾に浮かぶ丹生島に、大友宗麟が築いた城です。
島の西側が、干潮時、干潟となり、陸地とつながっていたようです。その様な地形的要因から、城下町は、城の西側に広がり、町の北側に町屋が、武家屋敷は、町の南側の高台に建てられました。
お城に近い交流プラザから歩きはじめ→二王座歴史の道を通って→町外れの臼杵川辺りに至り→目抜き通りの八町大通りを城方向に引き返す→交流プラザに戻る・・・
こんなルートで出発したのが、15:10。
お城の南西の四つ辻から少し入った所に、臼杵藩家老職にあった後藤家の長屋門があります。お城の大手門から200mもない距離です。立派な構えです。 -
香林寺 1
城下町の通りは、二直線が直角に交わるような四つ角が、ほとんどありません。
八町大通りから一度曲がって、突き当たりの右手に長屋門。その長屋門を過ぎて、また突き当たり、左に曲がると、香林寺。
解説板よると、禅宗の寺院で、明治になってから、この場所に移って来たようです。 -
香林寺 2
この香林寺の手前のT字路を右(西)に曲がると、整備された美しい町並み「二王座歴史の道」です。
目の前の香林寺の高い石垣に惹かれて、自然と、角を曲がらず、石垣にそって緩やかな坂を上って行きました。
臼杵の城下町は、丘を切り、入江を埋め、人の手で整えられた地盤の上に造らています。平坦な町屋地域に比べ、武家屋敷は、複雑な入り組んだ丘の地形を生かし、曲がりくねった道と、立ちはだかる石垣で守りを固めているようです。 -
石垣を追いかけて 1
石の積み方が上下で違う・・!等と観察しながら歩きます。 -
石垣を追いかけて 2
石垣の表情は様々です。
右側の石垣は、この辺りでは珍しく、角の丸い石を積み上げています。 -
石垣を追いかけて 3
来た道を振り返って撮影。
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石垣を追いかけて 4
石垣を次から次に追いかけ、二王座歴史の道から遠ざかってしまいました。直進していた道もカーブがかかり、そこから脇道も出ており、気の向くまま歩いていると、帰り道を間違えてしまいそうなので、香林寺まで引き返すことにしました。
途中、伝春日局屋敷跡の説明板、旧丸茂家住宅への矢印等を目にしました。時間があれば、じっくり歩いてみたかったです。 -
二王座歴史の道 1
旧稲葉家長屋門から、歴史の道散策のスタートを切り、臼杵川の方向(西)に歩いて行きました。
藩主稲葉氏の分家の土蔵。休憩所になっています。二王座の古い写真パネル等が掲示され、臼杵が伊勢正三の歌をモチーフにした大林宣彦監督「なごり雪」のロケ地であることを知りました。
写真、土蔵の右が長屋門。カフェになっています。長屋門で道は突き当たり、右に曲がれば香林寺です。 -
二王座歴史の道 2
右手には、善正寺・善法寺と並び、その先もお寺のようです。
石畳の道は左に曲がっていきます。 -
二王座歴史の道 3
歴史の道の北側は、寺院の堂宇が続く寺町。
山門から覗く境内は、道と同じ高さです。
道の南側は、切り立った高い石垣の上に、武家屋敷が建っています。 -
二王座歴史の道 4
旧片切家住宅の石垣(左)と旧真光寺(右)付近。 -
二王座歴史の道 5
旧片切家住宅。臼杵藩上級武士片切八三郎の屋敷です。
臼杵市HPによると、八三郎は、臼杵一の剣豪で、西南戦争の際、西郷軍と戦い無念の死を遂げ、また、三和銀行初代頭取中根定彦は、八三郎の四男に当たるそうです。 -
二王座歴史の道 6
振り返りました。道は湾曲し、歩いて来た道筋を追いかけることはできません。
旧稲葉家の長屋門からここまで、200m位です。角を曲がることなく、道なりに徐々に丘を上り、三叉路まで来ました。歴史の道は、この先、右に行けば、甚吉坂、左に行けば、切り通し、丘を上って下ります。 -
切通し 1
切り通しの坂から、地元の年配の男性が下りて来て、「こんにちは」と挨拶して通り過ぎて行きました。「こんにちは、いい処ですね」と挨拶を返すと、足を止めて、「向こうの崖の上に登ると、臼杵の町が見渡せますよ」と教えて下さいました。 -
切通し 2
男性の指さす方に行ってみました。
左側の崖には、防空壕が埋められていました。軍需施設のない臼杵でも、空襲があったようです。
「防空壕跡 第二次大戦につくられた壕 昭和18年(1943年頃)」と小さな看板が掛かっています。 -
切通し 3
崖の上には、公園でもあるのかなって思っていたのですが、「万葉しおり」という和雑貨のお店がありました。
お店というよりは、一般の方の住宅という雰囲気で、上るのを躊躇していると、通りかかった地元の女性の方が「ここ、知り合いの家だから、一緒に上がってあげる」と先導して下さいました。 -
切通し 4 展望(北東)
階段を上ると、漆喰壁に本瓦葺きの「いい感じ」の居宅があります。先ほどの女性の方が「○○さん、いる?」っと声掛けしてくれました。
返事をして出て来た万葉しおりの店主さんは、女性の方で、庭の植え込みを抜けて、敷地の端まで私達を案内してくれました。
「あれがお城。昔は島だったの(写真中央の木がこんもりしている辺り)」
「お隣は、上級武士のお宅だけど(片切家?)、ここは、下級武士の家だったのを買ったの」
「河豚食べた?この辺はねえ、河豚がおいしいの」
先導してくれた女性も店主さんも私も同世代?ちょっと井戸端会議、情報交換会風の会話を交わします。
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切通し 5 展望(西)
「三重塔は見えますか?」
午前中、臼杵駅から磨崖仏を目指した時、ランドマークにした仏閣です。
少し場所を変えて、指指してくれました。思いの外、遠く離れていました。
上の写真の中央に、わかりにくいと思いますが、三重塔を収めました。
とても居心地が良いので、雑貨を売ってる店舗にも入ってみたかったのですが、15:40です。
市内には、まだまだ見てない場所が残っています。申し訳ないのですが、展望だけ楽しんで、失礼しました。 -
切通し 6
元来た道を戻って、再び、三叉路に。写真正面の旧真光寺の手前を右に行けば、二王座歴史の道、左に曲がれは、甚吉坂です。
この場所は、天正14年、島津軍との合戦で、鉄砲も使われ、両軍とも多くの兵を失った戦場でありました。見通しの悪い道、切ない風景でもありました。
甚吉坂を下り、武家屋敷地から、町人地に向かいます。 -
甚吉坂 1 明石原人発見者の生家
切通しから左に折れ、甚吉坂に入ると、明石原人の発見者直良信夫の生家です。 -
甚吉坂 2 明石原人発見者の生家
生家は、記念館となり、彼の功績や生い立ちを記載したパネルが掲示されています。 -
甚吉坂 3 明石原人発見者の生家
現在、日本の旧石器時代の人骨として断定出来るのは、港川人だけだそうです。 -
甚吉坂 4 明石原人発見者の生家
掲示パネルによると、ここは、五軒長屋の一つで、上下六畳一間ずつの空間に、十人で暮らしていたそうです。
貧しい出自に、アマチュア学者からのスタート、歩んだ道のりは、厳しいものでした。
松本清張の『石の骨』のモデルでもあります。 -
甚吉坂 5
写真の右側の建物が直良信夫記念館。
子供の頃の信夫は、左手の石垣の上の旧真光寺の境内や、先に、紹介した二王座歴史の道の旧片切家の石段(写真、道の突き当たりの左手)で勉強に励んでいたそうです。 -
甚吉坂 6
坂の名前は、天正14年の島津軍侵攻の際、功を挙げた家臣吉岡甚吉に由来します。
切通しから攻めて来る島津軍、対する大友宗麟は、凝灰岩の丘を利用した防壁、海に守られた丹生島の城塞、鉄砲、大砲で立ち向かう・・・
甚吉坂では、藩主稲葉家による江戸期の城下町の佇まいとはまた違った、戦国時代の城下の様相を知ることが出来ました。 -
甚吉坂 7
坂も大分下ってきました。 -
甚吉坂 8
振り返って撮影。
臼杵の町の散策では、幾度も振り返りました。その度に、ちょっと前まで歩いていた場所が視界から消えていました。 -
町人地 1
住居表示では田町の辺りをぶらぶらしてます。
町人地も鍵形の道にT字路と迷子になりそうな町割です。 -
町人地 2
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町人地 3
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町人地 4
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町人地 5
九州六か国を治めた大友宗麟の城下町臼杵は、ポルトガルや明とも交易の盛んな町でした。
中国伝来の魔除け「石敢当」と刻まれた石碑もあります。傍にあった解説板によると、戦国時代に、中国人の手で造られたそうです。 -
町人地 6 八町大路 カニ醤油店
16:00、メインストリート八町大路を西から東に駆け抜けて、今日の散策は終了。
八町大路は、老舗や名物、観光施設等が揃っており、スーパーマーケットも街並みに合わせ白壁造りの拵えになっており、風情を楽しみつつ、買い物ができる大通りです。
歴史のあるお醤油屋さんを見つけました。
残念ながら、お休みです。 -
町人地 7 八町大路 カニ醤油店
店頭に置かれたメッセージ板。
「ここはカニ醤油合資会社です。創業1600年(慶長5年)で、臼杵で一番古く、大分でも一番古く、九州でも一番古い味噌、醤油屋です。 (注) カニ醤油にカニは入っていません。」
おすすめ商品は、「うすきみそ」、手作りこうじの量り売り、「みそソフトクリーム」、飲むだし「黒だし番長」です。 -
臼杵城
観光交流プラザに戻って来ました。
16:30、臼杵城跡散歩は、諦めました。
臼杵は、見所の多い町でした。
磨崖仏では、古代から中世にかけての浄土空間を体感。
臼杵川沿いの国道をレンタサイクルで快走し、河口に至ると、中洲に浮かぶフンドーキンの醤油工場。
城下町散策では、風情のある江戸期の城下町と、その中に残る、戦国時代の合戦の痕跡を知りました。
お城と蔵と海は、またいつか見に来たいものです。
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