2018/12/04 - 2018/12/04
107位(同エリア226件中)
ひよどりさん
JRのフルムーンパスを利用して、九州をぐるりと駆け足で回ってきました。
博多で所用を済ませた後、生まれて初めて大分(2泊)→宮崎(1泊)→鹿児島(2泊)の3県を訪れました。
今回の旅行記は、大分府内城近くに宿泊し、臼杵観光協会のレンタサイクルを利用して、臼杵を周遊した時の前半、磨崖仏探訪の記録です。
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臼杵石仏へ 1 日豊本線佐志生駅
宿泊地大分から臼杵へは、普通列車で行きました。フルムーンパスなので、特急グリーン席もフリーなのですが、ホテル傍の府内城に立ち寄り、散策を楽しみ、大分駅に着くと、先発の普通電車(8:50幸崎行)に、飛び乗りました。
幸崎が臼杵の手前の駅であることを確かめなかったので、途中、幸崎で乗換え、佐志生駅で後発の特急通過待ちというおまけもついてきました。
そういう訳で、佐志生駅では、車外にでて、景色を十分堪能できました。
ホームからは、鉄道施設以外の人工物が、ほとんど見当たりません。
通過待ちというロスタイムではありましたが、ちょっと得難い贅沢なひと時を過ごせました。
(後日、臼杵観光協会のHPで、この駅から東に1km強程離れた海岸に、オランダのヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムス(三浦按針)の乗ったリーフデ号が漂着したことを知りました。) -
臼杵石仏へ 2 普通列車車内
時間のロスはありましたが、乗車した列車の窓は、遮る窓枠もなく、特急グリーン車より景色を楽しめます。
臼杵に10:02着きました。 -
臼杵石仏へ 3 目印の龍源寺三重塔
JR臼杵駅の改札を出ると左手に観光案内所があります。案内の方が2名詰めており、一人は、女性で、もう1人は、ちょっとびっくり、欧州系?の若い男性でした。
案内所に配備された無料のレンタサイクルを借り、石仏への行き方を教わりました。
「この道、真っ直ぐ行って、左手に大鳥居があります。そこを左に曲がって、右手に臼杵城が見える商店街をずーっといくと、広い道に突き当たります。三重塔を目印に左に曲がって、そのまま、まっすぐ行って、線路をくぐって、国道だけど、歩道が広くて、走りやすいから、そのまま、ずーっとずーっとまっすぐ行くと、交差点に臼杵石仏入り口とありますから、そこを左に曲がると石仏です。」
女性のスタッフの方が、駅前から真っ直ぐ北に延びる道を指さし、道順を説明をしてくださいましたが、間に、臼杵城が以前は島で、埋め立てで陸続きになった話や、城下町のこと等、興味深い話が挟まり、その上、今日は天気がもつのか、どこから来たの?どこにお泊まり?等、聞かれたことに答えていたので、磨崖仏への行き方について、頭の中の整理が必要になりました。
説明の間に、男性スタッフが準備してくれた自転車に跨がり、とりあえず、左に三回曲がれば到着と単純に捉えて出発です。 -
臼杵石仏へ 4 臼杵川
左に二回曲がり、三重塔を通過し、日豊本線の下を潜り、川沿いの道を進みます。ここまで、案内所の方の説明通り、順調に来ました。
まっすぐ、ずーっと進んでいるのですが、なかなか、石仏入り口の交差点にたどり着きません。
臼杵大仏殿という看板もあり、朱塗りの柱が見えましたが、どうも温泉施設のようです。
予報では、午前中は降らないはずの雨が降りだし、フード被って、ペダルを踏むことになりました。案内所の方の力説通り、歩道が広く、車を気にせず自転車走行のし易い道です。 -
臼杵石仏へ 5 深田の鳥居
やっと、臼杵石仏入り口の交差点に着き、左に曲がりました。三重塔から、4キロ位は、直進したと思います。(10:45着)
石仏への道の途中、田んぼの中に、石の鳥居が埋まっていました。
観光案内所で頂いたパンフレットによると、深田の鳥居と呼ばれ、室町時代に造られ、臼杵川の氾濫で埋没した、旧満月寺日吉社の参道跡と考えられているそうです。 -
ホキ石仏第二群 1
深田の鳥居から更に200m程で、臼杵石仏の受付に到着。磨崖仏までは、もう少しだらだら歩きます。
臼杵石仏はホキ第一・第二・古園・山王山の4つのグループからなり、平安時代後期、この地が、京都の有力貴族、九条家の荘園だった頃に造られ、また、磨崖仏を本尊とする満月寺もあったそうです。(現在の満月寺は、昭和25年に再興されたもの。)
入口に一番近い、ホキ石仏第二群は、修復、覆屋工事中で、近づくことが出来ませんでした。
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ホキ石仏第二群 2 解説板
工事フェンスに懸けられた解説板によると、発掘調査によって、現在石仏公園となっている低地部分には、江戸時代まで存続していた池の存在が確認されました。
ホキ第二石仏群は、この池の西側にあり、阿弥陀如来像を中尊に祀り、西方浄土を具現化した世界であったようです。
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臼杵石仏の4つのグループを繋ぐ小径は、斜面の中腹の下方に位置しており、木々に包まれた山を見上げ、開けた平地の公園を見下ろすことができます。
複雑に入り組んだ尾根と谷からなる山中には、神聖な空気感が漂います。平安時代の貴族がこの地に、浄土との接点を見出した理由がなんとなく伝わってきました。 -
古園石仏 1
拝観できる磨崖仏の中で、まず、古園石仏に向かいました。落下した仏頭で知られていた石仏群です。
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古園石仏 2
胴部と離れていた仏頭は、原位置に戻され、損傷の激しかった下部も補修され、往時の様子を復元しています。
中心には、密教最高仏の大日如来像。その両脇に、左右6体ずつ如来像・菩薩像が並びます。 -
古園石仏 3
中尊の大日如来像。頭部を戻すか、戻さないかで、論議を呼びましたが、戻すことが、国宝指定の条件だったという話もあります。 -
古園石仏 4
岩肌も荒れ、歳月による劣化は否めませんが、目を凝らすと、光背の彫り等も浮かび上がってきます。 -
古園石仏 5
覆屋から、石仏を背に、谷を見下ろしました。仏様の視線の先が見えてきます。
石仏公園として整備され、公孫樹の黄色い落葉が、紅葉期の終盤を告げていました。
かつて、ここに大きな池があったそうです。池の西側には、阿弥陀如来像(ホキ第一石仏)、南には、大日如来像(古園石仏)が配置され、立派な堂宇もある浄土式庭園が広がっていたのでしょう。
そして、時には、宴も催され、平安貴族のアミューズメントパーク的役割を果たしていたのかもしれません。 -
古園石仏 6 遠景
石仏公園から、古園石仏の覆屋を見上げてみました。
発掘調査で伽藍を伴っていた事が確認されています。
古園石仏が大日如来を中尊としていることから、磨崖仏を本尊とする満月寺の中心的伽藍であったと、推定されています。(ホキ第二解説板)
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古園石仏からホキ石仏第一群へ
ホキとは、崖を意味するそうです。
崖下の小径を進みます。
第二次世界大戦中に防空壕として掘られた横穴が残っています。軍の施設や工場のない臼杵市街にも、焼夷弾が落とされたようです。 -
ホキ石仏第一群 1
こちらには、平安時代後期の如来三尊像が3組、鎌倉時代の地蔵十王像1組が彫られています。
古園石仏に比べて、傷みも軽く、修復工事も完了しており、創建当時の様子が伝わってきます。 -
ホキ石仏第一群 2 如来三尊像①
台座の穴は、願文や経典が納められていたものと推定されています。中尊は、釈迦如来像。 -
ホキ石仏第一群 3 如来三尊像②
第一石仏群の中心的存在。中尊は、阿弥陀如来像。 -
ホキ石仏第一群 4 如来三尊像③
中尊は、大日如来像。 -
ホキ石仏第一群 5 地蔵十王像
受付で頂いたパンフレットによると、中尊の地蔵菩薩は、錫杖を持たず、座して左足を立ています。古い様式で珍しいものだそうです。 -
ホキ石仏第一群 6
先に見た古園石仏では、台座部分が、失われておりました。ここでは、良好に残されています。光背も見応えあります。 -
ホキ第一石仏群から山王山石仏へ 1
ホキ石仏第一群から、谷を挟んだ向こうに見える山王山石仏の覆屋を撮影しました。
わかりにくいかと思いますが、写真中央、木々の中に御堂があります。
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ホキ第一石仏群から山王山石仏へ 2
石仏間を移動する度に、紅葉・常緑樹・竹林と変化に富む植生を楽しめます。 -
ホキ第一石仏群から山王山石仏へ 3
山王山石仏への石段を登ると、歩いて来た竹林付近を見下ろせます。 -
山王山石仏 1
こちらの磨崖仏は、手前のスペースが狭く、スマホで、3体を正面から撮影することが出来ません。 -
山王山石仏 2
中尊の伝釈迦如来像。 -
山王山石仏 3
柔和なお顔ですね。 -
山王山石仏 4
螺髪の繊細さは、石を彫ったとは思えないです。この場所で足場を組んで、鑿をふるう・・・想像を絶する作業ですね。 -
石造五輪塔(中尾五輪塔) 1
ホキ石仏第一群の傍に、石造五輪塔の看板がありました。国指定重要文化財と記載されてます。 -
石造五輪塔(中尾五輪塔) 2
階段、坂道、かなり登りました。なかなか辿り着かないので、諦めて、そろそろ引き返そうと思っていたところに、「すぐ近く」の看板、この看板がなければ、断念していたと思います。 -
石造五輪塔(中尾五輪塔) 3
地味な石塔2基ですが、歴史的価値はとても高いようです。
臼杵市のホームページによると、大きい五輪塔には嘉応2(1170)年、小さい五輪塔には承安2(1172)年と彫られており、日本にある記銘のある石塔の中では、2番目3番目に古く、磨崖仏より先に重要文化財に指定されたそうです。
後世の細身の一石五輪塔に比べて、ずんぐりむっくりで重そうです。この場所に置かれた経緯等知りたいものですね。
再興された満月寺やその周辺の石仏、石塔等を見ていないのですが、ひとまず、臼杵石仏を離れます。ここから3km程離れた、臼杵川の向こうに、大日石仏と呼ばれる磨崖仏がもう一カ所あるので、立ち寄ってみたいと思います。
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大日石仏 1
往路通った502号線の臼杵インターへの分岐点(白馬渓のバス停近く)で、左折、臼杵川を渡りました。502号線から、500m程の距離です。(13:00頃着)
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大日石仏 2
坂道を下っていきます。 -
大日石仏 3
かなり下がってきましたが、谷底というわけではありません。竹林の向こうに覆屋が見えます。 -
大日石仏 4
覆屋の中には、7体の像。中央3体の坐像が平安時代後期、残りの立像は、鎌倉時代に造られたようです。 -
大日石仏 5
風化が激しいようです。 -
大日石仏 6
中尊、如来像。平安時代後期造。 -
大日石仏 7
童子立像、鎌倉時代造。 -
大日石仏 8
磨崖仏は、入江状の谷の崖面に彫られています。左手の谷口方向には、臼杵川が望めますが、石仏の目の前は、木々に被われた急な斜面です。 -
大日石仏 7
覆屋から右手を見ると磨崖仏まで下ってきた坂道とその先には山々が見えます。
形の良い山です。山の向こうから、阿弥陀如来が、この山と平地の境界に、降り立ったように思えました。
首の落ちた磨崖仏の古い写真に引き寄せられて、臼杵にやって来ました。
磨崖仏を見上げるつもりで来たのですが、実際には、仏様に背を向けて、仏様が見つめる空間を眺めている時間の方が長くなってしまいました。
浄土にすがざるを得なかった、古代末期から中世への不安定な時代の変化を、磨崖仏とその周辺というというスケールの大きな空間から感じることができました。
臼杵散策の後半は、市街地に戻り、二王座の武家屋敷を中心に歩き回りたいと思います。
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