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 JRのフルムーンパスを利用して、九州をぐるりと駆け足で回ってきました。<br /><br /> 博多で所用を済ませた後、生まれて初めて大分(2泊)→宮崎(1泊)→鹿児島(2泊)の3県を訪れました。<br /><br /> 今回の旅行記は、熊本県との県境に近い出水市にある日本最大級の広大な武家屋敷群(写真奥の山際まで武家屋敷が続いています。)を紹介したいと思います。

「いずみ(出水)麓武家屋敷群」 九州周遊(7) 鹿児島1

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2018/12/07 - 2018/12/07

124位(同エリア220件中)

ひよどり

ひよどりさん

 JRのフルムーンパスを利用して、九州をぐるりと駆け足で回ってきました。

 博多で所用を済ませた後、生まれて初めて大分(2泊)→宮崎(1泊)→鹿児島(2泊)の3県を訪れました。

 今回の旅行記は、熊本県との県境に近い出水市にある日本最大級の広大な武家屋敷群(写真奥の山際まで武家屋敷が続いています。)を紹介したいと思います。

  •  鹿児島に宿泊し、新幹線を利用して出水に。<br /> フルムーンなので、グリーン車です。アテンダントから、おしぼりとキャンディのサービスを受けました。

     鹿児島に宿泊し、新幹線を利用して出水に。
     フルムーンなので、グリーン車です。アテンダントから、おしぼりとキャンディのサービスを受けました。

  •  30分程の乗車で出水に到着。<br /> 目的地の「いずみ麓武家屋敷群」まで路線バスもあるようですが、1km程なので歩きます。

     30分程の乗車で出水に到着。
     目的地の「いずみ麓武家屋敷群」まで路線バスもあるようですが、1km程なので歩きます。

  •  駅で観光マップも入手、所々に「武家屋敷群 ○.○km→」の標識があり、マップを見なくても、目的地に着けそうです。<br /> <br /> 駅から5分程歩くと、川に出ました。米ノ津川です。

     駅で観光マップも入手、所々に「武家屋敷群 ○.○km→」の標識があり、マップを見なくても、目的地に着けそうです。
     
     駅から5分程歩くと、川に出ました。米ノ津川です。

  •  九州新幹線の高架橋とその手前の堰。こういう風景が大好きです。

     九州新幹線の高架橋とその手前の堰。こういう風景が大好きです。

  •  武家屋敷の石垣、生垣、漆喰壁の建物が視界に入ってきました。<br /> <br /> いずみ麓武家屋敷は、数多くある薩摩藩の外城(とじょう)の一つです。<br /> 外城とは、薩摩藩独自の制度です。武士を藩内各地に分散、麓と呼ばれる集落に居住、戦時には、一隊となって赴かせる仕組みです。<br /><br /> その中でも出水は、肥後との国境にあり、要害の役割を果たしていました。<br /> 景色を楽しんできた米ノ津川も麓の外堀の役割を果たしてきたのでしょう。

     武家屋敷の石垣、生垣、漆喰壁の建物が視界に入ってきました。
     
     いずみ麓武家屋敷は、数多くある薩摩藩の外城(とじょう)の一つです。
     外城とは、薩摩藩独自の制度です。武士を藩内各地に分散、麓と呼ばれる集落に居住、戦時には、一隊となって赴かせる仕組みです。

     その中でも出水は、肥後との国境にあり、要害の役割を果たしていました。
     景色を楽しんできた米ノ津川も麓の外堀の役割を果たしてきたのでしょう。

  •  今回の旅行では、大分県の臼杵、宮崎県の飫肥と城下町の武家屋敷群を見てきました。<br /><br /> 地形による立地条件は異なりますが、前者の武家屋敷群との大きな違いは、規模にあります。<br /> 出水麓では、一軒一軒の敷地が広く、それを取り巻く、石垣、生垣が長く続きます。<br /> そして、幾つかの屋敷は、公開やお食事処となっていますが、大多数は、武家屋敷の景観を維持管理しながら、住まわれています。

     今回の旅行では、大分県の臼杵、宮崎県の飫肥と城下町の武家屋敷群を見てきました。

     地形による立地条件は異なりますが、前者の武家屋敷群との大きな違いは、規模にあります。
     出水麓では、一軒一軒の敷地が広く、それを取り巻く、石垣、生垣が長く続きます。
     そして、幾つかの屋敷は、公開やお食事処となっていますが、大多数は、武家屋敷の景観を維持管理しながら、住まわれています。

  •  武家屋敷群の範囲は大変広く、大雑把ですが、東西約300~600mの道が5本、南北も約200~600の道が5本、単純にこの道の合計値だけで、4~5kmはありそうです。<br /> ちなみに、上の地図のスケールの1目盛りは、50mです。<br /> <br />  出水駅は、この地図の更に北にあります。米ノ津川沿いに南下してきましたので、町の北側から散策してみました。

     武家屋敷群の範囲は大変広く、大雑把ですが、東西約300~600mの道が5本、南北も約200~600の道が5本、単純にこの道の合計値だけで、4~5kmはありそうです。
     ちなみに、上の地図のスケールの1目盛りは、50mです。
     
      出水駅は、この地図の更に北にあります。米ノ津川沿いに南下してきましたので、町の北側から散策してみました。

  •  宮路邸  1<br /><br /> NHK大河ドラマ『篤姫』のロケ地となった屋敷です。<br /> 明治維新150年記念イベントで作製された砂(シラス)像が置かれていました。

     宮路邸 1

     NHK大河ドラマ『篤姫』のロケ地となった屋敷です。
     明治維新150年記念イベントで作製された砂(シラス)像が置かれていました。

  •  宮路邸  2<br /><br /> 門をくぐり、玄関へ。

     宮路邸 2

     門をくぐり、玄関へ。

  •  宮路邸  3<br /><br /> 建物の回りを一巡り。<br /> 亀甲文の海鼠瓦が目を惹きます。

     宮路邸 3

     建物の回りを一巡り。
     亀甲文の海鼠瓦が目を惹きます。

  •  宮路邸  4

     宮路邸 4

  •  菱刈街道<br /><br /> 手前が宮路邸。奥には、もう一軒(伊牟田邸)あります。面している道は「菱刈街道」。<br /> <br /> 植栽の手入れの作業中の赤い看板が置かれていました。

     菱刈街道

     手前が宮路邸。奥には、もう一軒(伊牟田邸)あります。面している道は「菱刈街道」。
     
     植栽の手入れの作業中の赤い看板が置かれていました。

  •  池田邸<br /><br /> 菱刈街道から右(北)に曲がり、諏訪馬場通りに面した屋敷の門です。<br /> 出水麓武家屋敷の大多数で見られる、控柱付腕木門と呼ばれる門構えです。

     池田邸

     菱刈街道から右(北)に曲がり、諏訪馬場通りに面した屋敷の門です。
     出水麓武家屋敷の大多数で見られる、控柱付腕木門と呼ばれる門構えです。

  •  溝口邸<br /><br /> 菱刈街道沿い。<br /> 手入れが行き届いています。

     溝口邸

     菱刈街道沿い。
     手入れが行き届いています。

  •  冬の平日の来訪は、この景観を独占出来ます。

     冬の平日の来訪は、この景観を独占出来ます。

  •  諏訪神社  1<br /><br /> 麓北部には、「武神」諏訪神社が鎮座しています。

     諏訪神社 1

     麓北部には、「武神」諏訪神社が鎮座しています。

  •  諏訪神社  2<br /><br /> 犬の親子の像に目が止まりました。

     諏訪神社 2

     犬の親子の像に目が止まりました。

  •  諏訪神社  3<br /><br /> 子犬の姿が愛らしい。

     諏訪神社 3

     子犬の姿が愛らしい。

  •  諏訪神社近くのお屋敷。<br /> こちらも、門構えは、控柱付腕木門。

     諏訪神社近くのお屋敷。
     こちらも、門構えは、控柱付腕木門。

  •  敷地外への排水用の樋も石造り。<br /> この場所に置かれて、どの位の歳月が経っているのでしょう。

     敷地外への排水用の樋も石造り。
     この場所に置かれて、どの位の歳月が経っているのでしょう。

  •  諏訪神社を出て、右(西)、坂を下って、「日本一のお地蔵さん」に行ってみます。

     諏訪神社を出て、右(西)、坂を下って、「日本一のお地蔵さん」に行ってみます。

  •  この坂の名は「鬼坂(おんざか)」。坂の途中には、六面に地蔵が彫られている燈籠形の石柱がありました。<br /><br /> 坂を下りきって右に曲がるとお地蔵様に出会えます。

     この坂の名は「鬼坂(おんざか)」。坂の途中には、六面に地蔵が彫られている燈籠形の石柱がありました。

     坂を下りきって右に曲がるとお地蔵様に出会えます。

  •  この時計付のお地蔵様が、日本一ではありません。脇の階段を上った上にあります。

     この時計付のお地蔵様が、日本一ではありません。脇の階段を上った上にあります。

  •  日本一のお地蔵様です。<br /> 一枚岩で造られ、地表からの高さは、4.2mを測ります。

     日本一のお地蔵様です。
     一枚岩で造られ、地表からの高さは、4.2mを測ります。

  •  竪馬場通り<br /><br /> 再び鬼坂を上り最初の角、竪馬場通りを右(南)に曲がりました。<br /> 幅員の広い道を南下します。<br /><br /> この道の右側には、武家屋敷、左側には、保育園や公営駐車場(車で来られた場合、ここに止めます。)、護国神社が並び、麓のメインストリートの一つです。

     竪馬場通り

     再び鬼坂を上り最初の角、竪馬場通りを右(南)に曲がりました。
     幅員の広い道を南下します。

     この道の右側には、武家屋敷、左側には、保育園や公営駐車場(車で来られた場合、ここに止めます。)、護国神社が並び、麓のメインストリートの一つです。

  •  竪馬場通りの武家屋敷  1

     竪馬場通りの武家屋敷 1

  •  竪馬場通りの武家屋敷  2 <br /><br /> 公開屋敷「税所邸」(有料)<br /><br /> 樹齢はどの位でしょうか?<br /> 西南戦争前から植えられていたのでしょうか?

     竪馬場通りの武家屋敷 2 

     公開屋敷「税所邸」(有料)

     樹齢はどの位でしょうか?
     西南戦争前から植えられていたのでしょうか?

  •  竪馬場通りの武家屋  3<br /><br /> 公開屋敷「竹添邸」(有料)<br /> 「篤姫」ロケ地。<br />

     竪馬場通りの武家屋 3

     公開屋敷「竹添邸」(有料)
     「篤姫」ロケ地。

  •  竪馬場通り(南北方向)は、出水小学校校門に突き当たり、終わります。<br /> 竪馬場通りと小学校前の仮屋馬場通り(東西方向)の二つの道沿いに、公開屋敷や歴史館、観光牛車(土日祝日)等、観光施設がまとまっています。<br /><br /> 出水小学校の敷地には、かつて、御仮屋と呼ばれる藩主の宿泊所がありました。<br /> 篤姫も将軍に嫁ぐ際、ここに泊まられたそうです。<br />

     竪馬場通り(南北方向)は、出水小学校校門に突き当たり、終わります。
     竪馬場通りと小学校前の仮屋馬場通り(東西方向)の二つの道沿いに、公開屋敷や歴史館、観光牛車(土日祝日)等、観光施設がまとまっています。

     出水小学校の敷地には、かつて、御仮屋と呼ばれる藩主の宿泊所がありました。
     篤姫も将軍に嫁ぐ際、ここに泊まられたそうです。

  •  仮屋馬場通り<br /><br /> 麓(集落)内をくまなく歩きたいので、西の町外れ野間口坂まで行って引き返します。

     仮屋馬場通り

     麓(集落)内をくまなく歩きたいので、西の町外れ野間口坂まで行って引き返します。

  •  小学校まで来た道を戻り、南に曲がり、公開麓武家屋敷の武宮邸(写真右)を目指します。

     小学校まで来た道を戻り、南に曲がり、公開麓武家屋敷の武宮邸(写真右)を目指します。

  •  武宮邸  1<br /><br /> 公開武家屋敷(無料)。

     武宮邸 1

     公開武家屋敷(無料)。

  •  武宮邸  2<br /><br /> 玄関。<br /><br /> 

     武宮邸 2

     玄関。

     

  •  武宮邸  3

     武宮邸 3

  •  武宮邸  4

     武宮邸 4

  •  麓(集落)の南側には、室町時代から安土桃山時代にかけ薩州島津家の城が置かれた小高い山があります。<br /> 曲輪の跡等、中世山城の痕跡も残っているようです。<br /> <br /> 写真右手の建物は、フレンチ御膳「麓・なごみ亭」。

     麓(集落)の南側には、室町時代から安土桃山時代にかけ薩州島津家の城が置かれた小高い山があります。
     曲輪の跡等、中世山城の痕跡も残っているようです。
     
     写真右手の建物は、フレンチ御膳「麓・なごみ亭」。

  •  城山の手前には、出水平野を潤した「五万石溝」の跡。<br /><br /> 江戸時代に約20年の歳月をかけて築かれた水路。米ノ津川の上流から取水、総延長約20km、隧道や川底の下を通した箇所もある高度な土木技術を物語る遺構でもあります。

     城山の手前には、出水平野を潤した「五万石溝」の跡。

     江戸時代に約20年の歳月をかけて築かれた水路。米ノ津川の上流から取水、総延長約20km、隧道や川底の下を通した箇所もある高度な土木技術を物語る遺構でもあります。

  •  糸巻橋<br /><br /> 残念ながら、水は流れていませんでした。

     糸巻橋

     残念ながら、水は流れていませんでした。

  •  五万石溝跡を越えると、城山と麓の境に、小道があります。<br /> 整然とした武家屋敷が並ぶ馬場通りとは趣の違う景観です。

     五万石溝跡を越えると、城山と麓の境に、小道があります。
     整然とした武家屋敷が並ぶ馬場通りとは趣の違う景観です。

  •  城山の裾野の開けた斜面。

     城山の裾野の開けた斜面。

  •  小道の名前は、「やんのうしと」。<br /> 漢字で記すと、「屋地後」。

     小道の名前は、「やんのうしと」。
     漢字で記すと、「屋地後」。

  •  無住の屋敷もあります。

     無住の屋敷もあります。

  •  班目邸<br /><br /> 「屋地後」の西外れの武家屋敷。<br /> 来た道を引き返します。

     班目邸

     「屋地後」の西外れの武家屋敷。
     来た道を引き返します。

  •  御仮屋門  1<br /><br /> もう一度、出水小学校前に戻ってきました。<br /><br /> 近くに設置されている解説板によると、この地は、一時、豊臣秀吉の直轄領となり、慶長の役で再び島津家領に戻されました。当時の藩主の父にあたる島津義弘は、国境防衛の為、帖佐(姶良市)にあった居館の門を移築、ここに居住する予定でしたが、関ヶ原の戦等で叶わず、以後、御仮屋(藩主の宿泊所)として使われたそうです。

     御仮屋門 1

     もう一度、出水小学校前に戻ってきました。

     近くに設置されている解説板によると、この地は、一時、豊臣秀吉の直轄領となり、慶長の役で再び島津家領に戻されました。当時の藩主の父にあたる島津義弘は、国境防衛の為、帖佐(姶良市)にあった居館の門を移築、ここに居住する予定でしたが、関ヶ原の戦等で叶わず、以後、御仮屋(藩主の宿泊所)として使われたそうです。

  •  御仮屋門  2<br />

     御仮屋門 2

  •  耦祥庵<br /><br /> 御仮屋門の向かいにある蕎麦屋さんです。

     耦祥庵

     御仮屋門の向かいにある蕎麦屋さんです。

  •  中井勝郎美術・古文書館<br /><br /> 小学校前の仮屋馬場通りを東に進みます。

     中井勝郎美術・古文書館

     小学校前の仮屋馬場通りを東に進みます。

  •  諏訪馬場通り<br /><br /> 今まで、菱刈街道(武家屋敷の北区域)→竪馬場通り(西区域)→屋地後・仮屋馬場通り(南区域)と歩いてきました。残るは、中央部と東側区域の街並みです。<br /> 麓の中央には南北に走る「諏訪馬場通り」と「山崎馬場通り」の2本の広い通りとその道に交差する三原小路があります。<br /> その3つの道を行きつ戻りつ、武家屋敷の景観を楽しみたいと思います。<br /> 

     諏訪馬場通り

     今まで、菱刈街道(武家屋敷の北区域)→竪馬場通り(西区域)→屋地後・仮屋馬場通り(南区域)と歩いてきました。残るは、中央部と東側区域の街並みです。
     麓の中央には南北に走る「諏訪馬場通り」と「山崎馬場通り」の2本の広い通りとその道に交差する三原小路があります。
     その3つの道を行きつ戻りつ、武家屋敷の景観を楽しみたいと思います。
     

  •  諏訪馬場通りの武家屋敷  1<br /><br /> 諏訪馬場通りは、先に歩いた竪馬場通りの東隣の道です。<br /> 観光施設のない純粋な住宅街です。

     諏訪馬場通りの武家屋敷 1

     諏訪馬場通りは、先に歩いた竪馬場通りの東隣の道です。
     観光施設のない純粋な住宅街です。

  •  諏訪馬場通りの武家屋敷  2

     諏訪馬場通りの武家屋敷 2

  •  三原小路<br /><br /> 三原邸。土日祝日のみ公開(無料)している屋敷です。

     三原小路

     三原邸。土日祝日のみ公開(無料)している屋敷です。

  •  山崎休憩所<br /><br /> 三原小路と山崎馬場通りの交わる北西のかどにあります。<br /> 休憩とともに出水兵児修養掟と麓武家屋敷群の門構えについてパネル学習が出来ます。<br /><br /> 兵児修養掟は、出水郷中の教育の要となる一文でありますが、武勇だけではなく、「ものの哀れを知」ることが求められています。

     山崎休憩所

     三原小路と山崎馬場通りの交わる北西のかどにあります。
     休憩とともに出水兵児修養掟と麓武家屋敷群の門構えについてパネル学習が出来ます。

     兵児修養掟は、出水郷中の教育の要となる一文でありますが、武勇だけではなく、「ものの哀れを知」ることが求められています。

  •  ちょっと不確かなのですが、山崎休憩所の前、三原小路を挟んで建つ武家屋敷だったと思います。

     ちょっと不確かなのですが、山崎休憩所の前、三原小路を挟んで建つ武家屋敷だったと思います。

  •  古賀邸<br /><br /> 三原小路の東端近くに建つ武家屋敷。<br /> 麓の武家屋敷の中で最も東側にある屋敷です。

     古賀邸

     三原小路の東端近くに建つ武家屋敷。
     麓の武家屋敷の中で最も東側にある屋敷です。

  •  山崎馬場通り道標<br /><br /> どういう風に読むのでしょう。どうしても「やまっさんのばば」と発音してしまいます。

     山崎馬場通り道標

     どういう風に読むのでしょう。どうしても「やまっさんのばば」と発音してしまいます。

  •  山崎馬場通りの武家屋敷  1

     山崎馬場通りの武家屋敷 1

  •  山崎馬場通りの武家屋敷  2

     山崎馬場通りの武家屋敷 2

  •  山崎馬場通り  1

     山崎馬場通り 1

  •  山崎馬場通り  2<br /><br /> 南から北に向かって下るように歩いています。

     山崎馬場通り 2

     南から北に向かって下るように歩いています。

  •  山崎馬場通り  3 北から城跡を望む<br /><br /> 各地に風致地区や高級住宅街がありますが、一軒一軒、居住者の嗜好や建築年の時間差、複数の小規模住宅への建て替え等から、街並みの印象は雑然としたものになってしまっています。<br /> <br /> ところが、ここには、石垣、生け垣、門構えにも統一が取られ、武士の世から続く佇まいを継承した広域な住宅街街がありました。<br /><br /> 訪れたその日は、名所や絶景といった達成感が持てず、同じような風景の連続と、歩き疲れた気持ちが強かったのですか、帰宅後、人混み、雑踏とは無縁な武家屋敷の空気感が不思議なことに蘇り、再訪したい思いに駆られています。

     山崎馬場通り 3 北から城跡を望む

     各地に風致地区や高級住宅街がありますが、一軒一軒、居住者の嗜好や建築年の時間差、複数の小規模住宅への建て替え等から、街並みの印象は雑然としたものになってしまっています。
     
     ところが、ここには、石垣、生け垣、門構えにも統一が取られ、武士の世から続く佇まいを継承した広域な住宅街街がありました。

     訪れたその日は、名所や絶景といった達成感が持てず、同じような風景の連続と、歩き疲れた気持ちが強かったのですか、帰宅後、人混み、雑踏とは無縁な武家屋敷の空気感が不思議なことに蘇り、再訪したい思いに駆られています。

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