臼杵・津久見旅行記(ブログ) 一覧に戻る
臼杵市の観光は10年以上前に通りがかりで臼杵石仏を見ただけの素通りに近い状態で終わりました。今回は臼杵のひな祭り時期でもあるので、街歩きを中心にして臼杵の見どころを歩いて回りました。福岡市から往復400㎞ほどあるので車での往復は断念してJR利用にしましたが、福岡~大分までは特急ソニックが利用できるものの、大分~臼杵は確定しかありませんし、大分での乗り継ぎがあまりよくないので、思った以上に時間はかかりました。臼杵市観光交流プラザを起終点にして、臼杵城址、稲葉家下屋敷、八坂神社、野上弥生子文学記念館、小手川商店、久家の大蔵、臼杵市歴史資料館、龍源寺三重塔、二王歴史の道、八町大路を食事時間も入れて6時間ほどでした。

大分県臼杵は小規模な城下町ですが、意外に多くの見どころが溢れています。

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2026/02/19 - 2026/02/19

183位(同エリア232件中)

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30

パリが大好きさん

この旅行記のスケジュール

2026/02/19

  • JR博多駅6:21→JR臼杵駅10:03 ※大分までソニック3号、そのあとは普通列車

  • JR臼杵駅10:05→臼杵市観光プラザ10:20

  • 臼杵市観光交流プラザ10:25→臼杵城址古橋口10:30

  • 臼杵城址古橋口12:00→稲葉家下屋敷12:05

  • 稲葉家下屋敷12:30→八坂神社12:35

  • 八坂神社12:40→野上弥生子文学記念館12:45

  • 野上弥生子文学記念館13:10 →小手川商店(昼食)→久家の大蔵14:00

  • 久家の大蔵14:10→臼杵市歴史資料館14:20→龍原寺三重塔15:00

  • 龍原寺三重塔15:05→二王座歴史の道15:10

  • 二王座歴史の道15:30→八町大路→臼杵市観光交流プラザ16:00

  • 臼杵市観光交流プラザ16:10→JR臼杵駅16:25

  • JR臼杵駅16:35→JR博多駅19:50 ※普通列車、そのあとは大分駅からソニック50号

この旅行記スケジュールを元に

臼杵市の観光は10年以上前に通りがかりで臼杵石仏を見ただけの素通りに近い状態で終わりました。今回は臼杵のひな祭り時期でもあるので、街歩きを中心にして臼杵の見どころを歩いて回りました。福岡市から往復400㎞ほどあるので車での往復は断念してJR利用にしましたが、福岡~大分までは特急ソニックが利用できるものの、大分~臼杵は確定しかありませんし、大分での乗り継ぎがあまりよくないので、思った以上に時間はかかりました。臼杵市観光交流プラザを起終点にして、臼杵城址、稲葉家下屋敷、八坂神社、野上弥生子文学記念館、小手川商店、久家の大蔵、臼杵市歴史資料館、龍源寺三重塔、二王歴史の道、八町大路を食事時間も入れて6時間ほどでした。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
3.5
交通
3.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 臼杵城址古橋口(城址西側)のすぐ近くにある臼杵市観光交流プラザです。駐車場もあるし観光情報を手に入れるのに非常に便利です。JR臼杵駅からだと徒歩で10分余りです。館内は非常にきれいで、案内所のスタッフも親切丁寧に応対してくれます。

    臼杵城址古橋口(城址西側)のすぐ近くにある臼杵市観光交流プラザです。駐車場もあるし観光情報を手に入れるのに非常に便利です。JR臼杵駅からだと徒歩で10分余りです。館内は非常にきれいで、案内所のスタッフも親切丁寧に応対してくれます。

    臼杵市観光交流プラザ 名所・史跡

  • 臼杵市観光交流プラザ内部の様子です。広いホールがあり、写真左奥に観光案内カウンターがあり、スタッフの方は希望を伝えると、親切丁寧に応対してくれます。観光情報案内コーナーや特産品紹介コーナーも充実しています。

    臼杵市観光交流プラザ内部の様子です。広いホールがあり、写真左奥に観光案内カウンターがあり、スタッフの方は希望を伝えると、親切丁寧に応対してくれます。観光情報案内コーナーや特産品紹介コーナーも充実しています。

  • ちょうど臼杵市全体で「うすき雛めぐり」(2月7日~3月9日)を行っていましたので、ホールにも「うすき雛」が飾ってありました。江戸時代天保の改革の頃には臼杵藩も質素倹約に努めており、「紙製のお雛様」しか飾ることが許されていなかったそうです。和紙製のシンプルな立ち雛を今でも飾るようになっています。

    ちょうど臼杵市全体で「うすき雛めぐり」(2月7日~3月9日)を行っていましたので、ホールにも「うすき雛」が飾ってありました。江戸時代天保の改革の頃には臼杵藩も質素倹約に努めており、「紙製のお雛様」しか飾ることが許されていなかったそうです。和紙製のシンプルな立ち雛を今でも飾るようになっています。

  • 臼杵市観光交流プラザから外に出ると、目の前には臼杵城址があります。写真には古橋口、畳櫓(右側の建物)、大門櫓が見えています。

    臼杵市観光交流プラザから外に出ると、目の前には臼杵城址があります。写真には古橋口、畳櫓(右側の建物)、大門櫓が見えています。

    臼杵城跡(臼杵公園) 名所・史跡

  • 臼杵城址の古橋口から、やや急な鐙坂を上ると最初に現れるのが畳櫓です。臼杵城に現存する櫓のひとつですが、1763年に焼失後、すぐに再建されたものです。初期の臼杵城は島になっていて、陸側にあった三の丸とは今橋と古橋でつながっていました、古橋口からの登城道(鐙坂)を上った所にあります。

    臼杵城址の古橋口から、やや急な鐙坂を上ると最初に現れるのが畳櫓です。臼杵城に現存する櫓のひとつですが、1763年に焼失後、すぐに再建されたものです。初期の臼杵城は島になっていて、陸側にあった三の丸とは今橋と古橋でつながっていました、古橋口からの登城道(鐙坂)を上った所にあります。

  • 江戸時代に焼失、再建されましたが、明治維新に取り壊されています。平成になって当時の大門が資料を基にして再建されました。臼杵城二の丸の玄関に当たる所にある門です。

    江戸時代に焼失、再建されましたが、明治維新に取り壊されています。平成になって当時の大門が資料を基にして再建されました。臼杵城二の丸の玄関に当たる所にある門です。

  • 大門をくぐると臼杵城二の丸に当たる梅園が広がっています。梅の花はちょうど見ごろでした。

    大門をくぐると臼杵城二の丸に当たる梅園が広がっています。梅の花はちょうど見ごろでした。

  • 臼杵城といえば大友宗麟です。現在の大分市で生まれた宗麟は臼杵湾の最奥にあった丹生島に拠点を移し、九州六ケ国の守護職になり、大友家の最盛期を迎えました。また宗麟はキリスト教の洗礼を受けクリスチャンにもなりました。その宗麟のレリーフが二の丸跡にあります。

    臼杵城といえば大友宗麟です。現在の大分市で生まれた宗麟は臼杵湾の最奥にあった丹生島に拠点を移し、九州六ケ国の守護職になり、大友家の最盛期を迎えました。また宗麟はキリスト教の洗礼を受けクリスチャンにもなりました。その宗麟のレリーフが二の丸跡にあります。

  • 同じく二の丸跡には明治18年臼杵の造り酒屋の家に生まれて、夏目漱石の門下に入り数々の作品を発表した作家、野上弥生子の文学碑があります。小説「迷路」の一節の刻まれた碑が二の丸公園にありました。

    同じく二の丸跡には明治18年臼杵の造り酒屋の家に生まれて、夏目漱石の門下に入り数々の作品を発表した作家、野上弥生子の文学碑があります。小説「迷路」の一節の刻まれた碑が二の丸公園にありました。

  • 二の丸公園を後にして臼杵城址の東側にある卯寅口門脇櫓まで行きました。この櫓は江戸時代末期再建された臼杵城に現存する二つの櫓のうちの一つです。敵を監視したり攻撃する櫓本来の目的を持っていますが、同時に火薬庫としても使われたので鉄砲薬櫓とも呼ばれています。

    二の丸公園を後にして臼杵城址の東側にある卯寅口門脇櫓まで行きました。この櫓は江戸時代末期再建された臼杵城に現存する二つの櫓のうちの一つです。敵を監視したり攻撃する櫓本来の目的を持っていますが、同時に火薬庫としても使われたので鉄砲薬櫓とも呼ばれています。

  • 古橋口から西にしばらく歩くと、稲葉家下屋敷があります。明治時代の廃藩置県により東京へ移住した旧藩主稲葉家の滞在所として明治35年に建てられたものです。武家屋敷らしさを残した建物です。また道路沿いの側溝には錦鯉がたくさん泳いでいます。

    古橋口から西にしばらく歩くと、稲葉家下屋敷があります。明治時代の廃藩置県により東京へ移住した旧藩主稲葉家の滞在所として明治35年に建てられたものです。武家屋敷らしさを残した建物です。また道路沿いの側溝には錦鯉がたくさん泳いでいます。

    稲葉家下屋敷 旧平井家住宅 名所・史跡

  • ご祭神は、健速須佐之男命尊、奇稲田姫命、大国主命です。かっては祇園宮と呼ばれていましたが、明治時代になって神仏分離令により八坂神社の社名になりました。

    ご祭神は、健速須佐之男命尊、奇稲田姫命、大国主命です。かっては祇園宮と呼ばれていましたが、明治時代になって神仏分離令により八坂神社の社名になりました。

    臼杵八坂神社 寺・神社・教会

  • 浜町の細い通りにある野上弥生子文学記念館です。臼杵市の酒造業(現小手川酒造)の長女として明治18年生まれました。14歳で勉学のため上京し、21歳で同郷の野上豊一郎と結婚しました。その後、文学を志し、夏目漱石の門下となり99歳まで作家として多数の作品を発表しました。この文学記念館は生家である小手川酒造の一部に作られています。

    浜町の細い通りにある野上弥生子文学記念館です。臼杵市の酒造業(現小手川酒造)の長女として明治18年生まれました。14歳で勉学のため上京し、21歳で同郷の野上豊一郎と結婚しました。その後、文学を志し、夏目漱石の門下となり99歳まで作家として多数の作品を発表しました。この文学記念館は生家である小手川酒造の一部に作られています。

    野上弥生子文学記念館 美術館・博物館

  • 焼酎や清酒を仕込む小手川酒造はフンドーキンの母体です。前にある小手川商店で昼食をいただく予約をしていましたが、少し早めについたので、小手川酒造の酒蔵を見学させていただきました。ご主人は突然の訪問でしたが、酒類の製造について細かく説明していただけました。

    焼酎や清酒を仕込む小手川酒造はフンドーキンの母体です。前にある小手川商店で昼食をいただく予約をしていましたが、少し早めについたので、小手川酒造の酒蔵を見学させていただきました。ご主人は突然の訪問でしたが、酒類の製造について細かく説明していただけました。

  • 小手川酒造の酒蔵です。大きな甕で冷暗所に長期間寝かしてあるそうです。昔ながらの製法です。黒麹焼酎は甕で寝かすことによってよりまろやかな味になり、時間が経つにつれ深い味になるそうです。

    小手川酒造の酒蔵です。大きな甕で冷暗所に長期間寝かしてあるそうです。昔ながらの製法です。黒麹焼酎は甕で寝かすことによってよりまろやかな味になり、時間が経つにつれ深い味になるそうです。

  • 小手川商店の食事処は昼だけの営業です。味噌汁御膳は味噌汁とともに郷土料理を少しずつ味わえる基本のセットが700円でした。これに鶏唐揚げ、胡麻豆腐、卵黄の味噌漬け、豆腐の味噌漬けなどの小鉢を追加することもできます。

    小手川商店の食事処は昼だけの営業です。味噌汁御膳は味噌汁とともに郷土料理を少しずつ味わえる基本のセットが700円でした。これに鶏唐揚げ、胡麻豆腐、卵黄の味噌漬け、豆腐の味噌漬けなどの小鉢を追加することもできます。

  • 小手川商店内に飾ってあった雛人形です。和紙で作った臼杵の和紙製立ち雛とは違って本格的な7段飾りでした。これを見ながらゆっくりと昼食をいただきました。

    小手川商店内に飾ってあった雛人形です。和紙で作った臼杵の和紙製立ち雛とは違って本格的な7段飾りでした。これを見ながらゆっくりと昼食をいただきました。

  • これが小手川商店の基本のセットで700円です。黄飯はクチナシでうっすらと黄色く色付けされています。味噌汁は具がたくさんで、関西人の自分には少し甘いですが違和感がなく、滑らかな感じのある美味しいものです。これだけでも結構お腹がいっぱいになります。ボリュームがほしければ鶏唐揚げ、ごま豆腐などを追加したセットもあります。

    これが小手川商店の基本のセットで700円です。黄飯はクチナシでうっすらと黄色く色付けされています。味噌汁は具がたくさんで、関西人の自分には少し甘いですが違和感がなく、滑らかな感じのある美味しいものです。これだけでも結構お腹がいっぱいになります。ボリュームがほしければ鶏唐揚げ、ごま豆腐などを追加したセットもあります。

  • 小手川商店のすぐ隣にある「久家(くげ)の大蔵」です。久家本店の酒蔵の壁にポルトガル人であるロジェリオ・リベイロに依頼した壁画は2000年に完成しています。ポルトガル語でアズールは青ですから、白地に青の濃淡だけの色付けです。シンプルですが味わいがあります。内部には臼杵の和紙製立ち雛がたくさんありました。

    小手川商店のすぐ隣にある「久家(くげ)の大蔵」です。久家本店の酒蔵の壁にポルトガル人であるロジェリオ・リベイロに依頼した壁画は2000年に完成しています。ポルトガル語でアズールは青ですから、白地に青の濃淡だけの色付けです。シンプルですが味わいがあります。内部には臼杵の和紙製立ち雛がたくさんありました。

    久家の大蔵 名所・史跡

  • 石敢當(いしがんとう)は、「向かうところ敵なし」という意味で、街の重要な場所に建てていたそうです。ということは畳屋町は臼杵にとって重要な地点ということになります。<br />

    石敢當(いしがんとう)は、「向かうところ敵なし」という意味で、街の重要な場所に建てていたそうです。ということは畳屋町は臼杵にとって重要な地点ということになります。

  • マンホール蓋を繁々と見ることはあまりありませんが、気が付いて足元を見たらリーフデ号をモチーフにしたものでした。リーフデ号は1600年に豊後国(大分県)に漂着した小さなオランダ商船です。漂着地は臼杵湾の黒島とされていますが、佐伯とする説もあるようです。乗組員の中には江戸幕府の外交顧問になったヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムス(三浦按針)がいました。

    マンホール蓋を繁々と見ることはあまりありませんが、気が付いて足元を見たらリーフデ号をモチーフにしたものでした。リーフデ号は1600年に豊後国(大分県)に漂着した小さなオランダ商船です。漂着地は臼杵湾の黒島とされていますが、佐伯とする説もあるようです。乗組員の中には江戸幕府の外交顧問になったヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムス(三浦按針)がいました。

  • 臼杵川を渡って臼杵市歴史資料館に行きました。三つの時代区分に分けて、展示室1から3に展示されています。遺跡や古墳、出土した資料、石造文化財、大友宗麟時代の臼杵、稲葉氏時代の政治、キリスト教禁教政策、近代の臼杵などについて展示が行われています。

    臼杵川を渡って臼杵市歴史資料館に行きました。三つの時代区分に分けて、展示室1から3に展示されています。遺跡や古墳、出土した資料、石造文化財、大友宗麟時代の臼杵、稲葉氏時代の政治、キリスト教禁教政策、近代の臼杵などについて展示が行われています。

  • 龍原寺三重塔は、九州に2つしかない江戸時代建立の木造三重塔(他の一つはみやま市の清水寺にあります)のひとつで、太子塔と呼ばれ聖徳太子を祀る塔です。龍原寺は浄土宗総本山知恩院の寺で1600年に創建されました。領主であった稲葉貞通が龍ヶ渕にお寺を創ったのがはじまりです。

    龍原寺三重塔は、九州に2つしかない江戸時代建立の木造三重塔(他の一つはみやま市の清水寺にあります)のひとつで、太子塔と呼ばれ聖徳太子を祀る塔です。龍原寺は浄土宗総本山知恩院の寺で1600年に創建されました。領主であった稲葉貞通が龍ヶ渕にお寺を創ったのがはじまりです。

    龍原寺三重塔 名所・史跡

  • 見星寺は臨済宗妙心寺派の禅寺です。江戸時代初期の創建で400年近い歴史があるお寺です。ご本尊は聖観世音菩薩です。

    見星寺は臨済宗妙心寺派の禅寺です。江戸時代初期の創建で400年近い歴史があるお寺です。ご本尊は聖観世音菩薩です。

  • 祇園社(現在の八坂神社)の仁王門があったということから二王という名がつけられているようです。この付近は切り通しになっていて、広くない石畳の坂道で両側には上級武士の屋敷、白壁の土蔵、お寺が続いています。

    祇園社(現在の八坂神社)の仁王門があったということから二王という名がつけられているようです。この付近は切り通しになっていて、広くない石畳の坂道で両側には上級武士の屋敷、白壁の土蔵、お寺が続いています。

    二王座界隈 (二王座歴史の道) 名所・史跡

  • 二王座歴史の道を田町側から入った所にあるのが金毘羅水です。金毘羅社の岩盤を掘って作られた井戸ですので金毘羅水と呼ばれています。現在は使用されている様子はなかったのですが、臼杵の名水だったそうです。

    二王座歴史の道を田町側から入った所にあるのが金毘羅水です。金毘羅社の岩盤を掘って作られた井戸ですので金毘羅水と呼ばれています。現在は使用されている様子はなかったのですが、臼杵の名水だったそうです。

  • 1556年に丹生島に城を築き、この地を支配した大友宗麟配下に吉岡甚吉という武将がいました。1586年に島津軍が臼杵に侵攻した時に城下へ入る主要道の一つ、二王座口で奮戦した時の武功を讃えて甚吉坂という名になりました。

    1556年に丹生島に城を築き、この地を支配した大友宗麟配下に吉岡甚吉という武将がいました。1586年に島津軍が臼杵に侵攻した時に城下へ入る主要道の一つ、二王座口で奮戦した時の武功を讃えて甚吉坂という名になりました。

  • 二王歴史の道にある旧真光寺付近の景観です。臼杵の代表的な景観の一つで、よく観光パンフレットの写真などで見かけるところです。左手のお寺は旧真光寺で観光客の休憩所にもなっています。

    二王歴史の道にある旧真光寺付近の景観です。臼杵の代表的な景観の一つで、よく観光パンフレットの写真などで見かけるところです。左手のお寺は旧真光寺で観光客の休憩所にもなっています。

    旧真光寺 名所・史跡

  • 二王歴史の道から路地のような狭い道を通り八町大路に戻ってきました。比較的広い通りで真っすぐ臼杵城の方に向かっています。お店は少なくなっていますが、ぽつぽつと昔ながらの建物の商店が見かけられました。

    二王歴史の道から路地のような狭い道を通り八町大路に戻ってきました。比較的広い通りで真っすぐ臼杵城の方に向かっています。お店は少なくなっていますが、ぽつぽつと昔ながらの建物の商店が見かけられました。

    八町大路 市場・商店街

  • 八町大路で見つけた1600年(慶長5年)創業、400年以上の歴史を持つお店です。美濃藩主稲葉貞通が臼杵に移封される時に初代可兒孫右衛門も臼杵に移り、味噌の製造を始めたのが始まりです。その後に醤油の製造も始めるようになりました。代々の当主は臼杵の街の発展にも貢献してきました。

    八町大路で見つけた1600年(慶長5年)創業、400年以上の歴史を持つお店です。美濃藩主稲葉貞通が臼杵に移封される時に初代可兒孫右衛門も臼杵に移り、味噌の製造を始めたのが始まりです。その後に醤油の製造も始めるようになりました。代々の当主は臼杵の街の発展にも貢献してきました。

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