2018/07/15 - 2023/10/20
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砂布巾さん
1931(昭和6)年9月18日 柳条湖事件、満州事変開始(中国)
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心からの感謝を込めて
砂布巾
もくじへ https://4travel.jp/travelogue/10681693
ルポ 中国の実態その(2) 国際都市瀋陽 https://www.recordchina.co.jp/b674911-s136-c10-d1136.html
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清が滅亡し1912年に孫文を臨時大総統とする中華民国が成立しても、実際には軍閥が割拠する状況が続いた。東北地方(旧満州)馬賊出身の張作霖は1924年には北京の実権を握り、1927年には大元帥となった。翌年6月4日蒋介石の北伐軍が近づくと奉天(現瀋陽)へ引き上げるが、途中皇姑屯駅近くで爆殺された。後継者となった張学良は12月には東北地方に国民党の青天白日旗を掲げ(易幟)、ここに全中国が国民党の下に統一された。東北地方への勢力拡大を狙っていた日本側から見れば容認できない出来事であった。
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*ここからは皇姑屯駅博物館の内部の写真
場所は皇姑屯駅を300m程度過ぎて天山路沿い 入場無料 -
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*事件後張作霖は張帥府博物館のこの部屋に運ばれ、亡くなった
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*張帥府博物館前にある張学良の銅像
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*張氏帥府大青楼
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*意外と見学者が多い
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*張学良の晩年の写真の数々
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この日未明、関東軍から奉天近郊柳条湖で南満州鉄道の線路が中国側によって爆破(直後には特急が通過した)されたとの第一報が陸軍中央部に入った。しかし実際には板垣征四郎、石原莞爾ら関東軍が立案したものだった。(小澤「征爾」の名は2人から)
現地軍の独断と暴走を若槻内閣、犬飼内閣は抑制しながらも追随する。これにより1920年代から続いた対英米協調、幣原外交が終焉を迎える。 -
張学良が不抵抗を命じたこともあって関東軍は19日中に各地を占領。「攘外必先安内」(まず国内を平定し、対外的脅威にあたる)の方針に基づき、第三次共産軍包囲討伐作戦を陣頭指揮していた蒋介石は南京に帰還。日本に抗議すると同時に国際連盟に提訴した。
翌年10月2日、連盟が派遣していたリットン調査団の報告書が公表された。内容は日本の武力行使を明確に否認しながら、中国に名目的な主権を与えて満州を国際的な自由地域とする案で、当事国中国はもちろん連盟外のアメリカはじめ列強も支持。排日ボイコットの禁止や多くの日本人顧問の採用など日本にも配慮したもので、検討の余地があったにもかかわらず、
*1931年9月12日 蒋介石と張学良は石家庄に停車中の列車内で対日政策について協議した。蒋介石は張学良に対して、日本軍の進撃に遭遇した場合、「一切抵抗せず」、代わりに国際連盟に提訴し、平和解決を図るよう、訓令した -
公表半年前の9月15日に日本は序章で触れていた満州国(3月1日建国 当初溥儀は執政、2年後に皇帝)を承認し、選択の機会を自ら閉ざしていた。時局収拾第一の失敗だった。
*1932年3月9日溥儀が初代内閣を組織した -
*博物館最初の部屋 祖国の山野が荒されたという意味だろうか?
1933年2月に報告書の採決が行われた。賛成42、反対は日本のみ。松岡外相は退場。孤立が鮮明になった日本は3月27日に連盟脱退を表明。これが第二の失敗だった。10月にはナチス・ドイツが、1937年にはファシスト・イタリアが脱退し、大戦開始後ソ連がフィンランドを攻撃(後述)して除名された。(第三は1933年塘沽停戦協定の締結) -
満州事変がいわば日中戦争を招き、また対米交渉における1つの柱が満州・中国からの撤退であったことを考えると、その後の日本に決定的な方向性を与えてしまう。
この項目は主に臼井勝美著「満州国と国際連盟」(吉川弘文館)を参考にした。 -
*「今思い出しても身の毛がよだつような罪悪を重ねた」
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*「日本の血に汚れた支配」
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*七三一部隊に対する展示
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*真珠湾攻撃など戦争が西方で新たな展開を見せた趣旨
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*ノルマンディー上陸や硫黄島の陥落
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*日中友好の歴史
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*最後はプーさん(中国国内では検閲が入り検索できない)ことやはりこの方 神格化が進む
北の金某の隠語黒電話も同様 -
*ここから11枚は大連、旧満鉄関係の写真
2018年11月には同年3回目の訪中。広島から直行便で2時間の大連(旧満鉄本社訪問)を拠点に旧満州を訪れた。満州国首都で新京と呼ばれた長春を訪れた。
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*予約していた9時に扉を開けてくださった
「アメリカ人かと思った」 最初の人は日本語が出来なかった -
*奥の部屋には多くの写真が展示 ただ残念ながら日本語の説明はない 訪問者の多くが日本人だと思う まあ仕方ないけど
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*総裁室
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*本社前にあるのは調査部
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旧日本総領事館に泊まった瀋陽では
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1991年に旧館が開館した九・一八歴史博物館を訪問した。盧溝橋の紀念館に比べると愛国教育基地的色合いは薄かったが、日本語表記にもう少し冷静さがあったら、日本人の抵抗感もより少ないだろう。金日成が神格的に描かれていたのが妙に印象に残った。
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金日成が神格的に描かれていたのが妙に印象に残った。
*前とここから5枚は旧日本総領事館の写真 -
*横から撮影
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*雪が…
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*正面玄関
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*中の様子 頼めばもっと見学できたかもしれない でも気が弱いから…
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さて瀋陽の皇姑屯駅から博物館に向かうタクシーにクリアファイルを忘れた。張帥府博物館の次に訪問した清の故宮を出たところに警察の車両が停まっていたので試しに漢字で概略を書いて示してみた。無線で確認してくれるかと思ったが、近くの商店に招き入れられ、スマホの翻訳アプリを使って長々会話。結局瀋陽→大連の切符を再度買ったら問題ないのでお礼を言って終わらせた。30分位時間の無駄遣いになった。
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