2018/10/20 - 2018/10/20
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奥三河の続日本百名城巡りの締め括りです。続日本百名城の古宮城に近い、作手の集落の北端に位置する川尻城址も見学しました。後に譜代中津藩十万石の大名となった、三河奥平氏が最初に築いた城です。(ウィキペディア、続日本百名城公式ガイドブック)
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イチオシ
少し残った予定の時間を使って、城山の麓の散策です。コンクリート製の基壇の上に、ずらりと並んだ仏石像の光景です。登城路の脇に置かれていた観音像の起点になるようでした。(同上)
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仏石像ではなく、文字が刻まれた標石でした。『有縁無縁三界万霊塔』らしい文字が読み取れました。『有縁無縁』は、『縁のあった方もなかった方も』という意味で、『三界』とは、欲界・至機械・無色界の三つの総称です。『三界万霊』とは、この世のすべての世界の霊ということになります。(同上)
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三つの顔が見えていましたから、十一面観音座像のようです。『十一面観音(じゅういちめんかんのん)』の梵名は『エーカダシャムカ』、観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一つでもあります。六観音の役割では、阿修羅道の衆生を摂化するとされます。台座に『田原』や『牛●百供養』らしい文字がありました。摂化(せっけ)は、衆生を救い導き、利益を与えることです。(同上)
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聖観音(しょうかんのん)立像のようです。観音菩薩(観世音菩薩、観自在菩薩)像には、さまざまな形態のものがありますが、このうち、多面多臂などの超人間的な姿ではない、1面2臂の像を指して聖観音と称しています。左手に蓮華を持つのが一般的ですが、必ずしも一定していないとされます。(同上)
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ダイナミックな字体の漢字が刻まれた石碑の光景です。読み解くのには、少し時間が掛かりそうです。あるいは、書体に関する辞書がなければ、読み解けないかも知れません。(同上)
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イチオシ
川尻城址の西北付近の光景です。無人の祠らしい建物がありました。先ほど紹介した、観音像などを管理している施設かも知れません。名札を探してみましたが、見当たりませんでした。(同上)
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同じく、川尻城址の西北付近の光景です。上り坂の補法道路がありましたので、後ほど登ってみました。川尻城址への入口ではなく、側面をバイパスする道路でした。(同上)
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ピラカンサの赤い実の光景です。ピラカンサは、バラ科ピラカンサ属の常緑低木の総称です。日本ではタチバナモドキ、トキワサンザシが生垣、切花用に栽植されています。南ヨーロッパ、中国などに六種が自生するようです。(同上)
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ピラカンサの赤い実のズームアップ光景です。『ピラカンサ』と言えば、日本では、『トキワサンザシ』を指すことが多いようです。この赤い実も『トキワサンザシ』のようです。橙色の実が生る『タチバナモドキ』は、『ホソバノトキワサンザシ』の別名を持ちます。(同上)
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川尻城址の概ね大西面の光景になるようです。道路に沿って、先ほど紹介した仏像が並んでいました。(同上)
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城山から流れ出した小川の光景です。樹木が多い山ですから、量は多くないものの、保水性が高いようでした。(同上)
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川尻城址を下る時に、道の脇に祀ってあった石仏です。まとめて紹介します。両手を合わせて合掌する姿の仏座像です。螺髪がないようですから、仏陀ではないようなイメージでした。(同上)
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こちらは倒れたままの仏座像の光景です。風化が相当に進んでいる石像でした。補修したらしい痕も見えました。合掌姿などの意匠も先程の仏座像とそっくりでした。(同上)
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石仏の紹介は、これ以上は蛇足なようですから、この後は、関東からこの地に移り住んで名を上げた奥平氏について紹介します。川尻城は、奥平氏が戦国時代を生き抜くために築いた最初の城です。三河奥平氏の初代は貞俊とされています。貞俊の生まれたのは上野国奥平邑(群馬県多野郡吉井町下奥平)で、貞和5年(1349年)の南北朝時代でした。(同上)
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奥平貞俊の先祖は、系図をたどれば村上天皇(927~976年)第七皇子の具平親王(964~1009年)の十一代目赤松則景が源頼朝(1147~1199年)の挙兵に応じて安芸国から参陣、その子氏行は上野国甘楽郡司となって奥平邑に居住しました。姓も土地の名をとって奥平を称したことに始まります。奥平氏発祥の地は関東です。(同上)
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三河奥平家の紹介が続きます。時代が移り、氏行から六代目定政は一貫して新田義貞に随従して天皇親政のために活躍、その後も南朝の皇子に供奉し、終には九州の戦場に倒れました。定政の嫡子定家が家督を継ぎ、定家も後南朝の臣であり続けようとしました。しかし足利政権が磐石となるに従い、同族内における結束も難しくなったようです。(同上)
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奥平定家の嫡子貞俊は、南朝のしがらみを断ち切るかのように、生まれ育った奥平の地を去ることを決意しました。この時、貞俊と行動を共にしたのは父定家、弟定直(中金城/岡崎市中金町)で、それに従う家人は桜井刑部大夫ただ一人と伝わります。まさに逃避行でした。その貞俊一行がたどり着いた先が、三河の作手郷です。時は天授年間(1375~1381年)のことでした。(同上)
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尾花の光景です。作手郷には、貞俊の父の奥平定家(1316~1382年)の妻の縁筋で、山崎三郎左衛門高元という武士がいて、そこを頼りました。貞俊らは高元の計らいで甘泉寺(作手鴨ヶ谷)を寓居としました。山崎高元の墓は、資料館の写真で紹介しておきました。(同上)
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尾花のズームアップ光景です。奥平貞俊(1348~1433年)がこの川尻城を築いたのは応永31年(1424年)3月だったとされます。年齢は75歳になりますから、随分と高齢になってからでしたが、86歳の長寿を全うしました。その後の家系図を見ても、80代の天寿を全うされる人が多い、長寿の血統でした。(同上)
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川尻城址とは、道路を挟んだ北側の雑木林の光景です。奥平宗家は、親族を独立させるよりも奥平氏の重臣として厚遇することで、弱体化を防止しました。その4世代の内から、有力7家が重責を担いました。それと平行して、在地の領主なども重臣として併呑し、小領主は5氏が選ばれました。この12家が、七族五老と呼ばれる奥平氏の家老衆となりました。(同上)
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今も沼地のような様相を呈していた、川尻城の北東方面の光景です。ここから1キロほどの距離にある古宮城は、西側を除く三方が沼地だったとされますから、納得できる光景でした。資料館の説明パネルにもありましたが、この地は、幻の作手川が造り出した湿原でした。これで、三河奥平家の紹介はおしまいです。(同上)
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川尻城の東側に位置する丘陵地帯の光景です。オレンジ色の屋根を持った一軒屋の姿が見えました。写真をズームアップしましたら、民家ではなく、東屋風の休憩所のように見えました。『創造の森城山公園』の施設のようです。(同上)
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子供さん達用のイラスト入りの説明看板です。右側のイラストには『森林と水とのかかわりあい』、左側のイラストには『森林の働き』のタイトルがありました。なぜか、設置者名が記してありませんでした。(同上)
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川尻城址があった、城山の東北方面の光景になるようです。こんもりした山が、川尻城址が残る比高差40メートルの城山です。(同上)
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未舗装の道路を挟んだ右手が、川尻城址の縄張りになるようです。整備されていない道路のようでしたから、この道は選ばず、元来た道を戻ることにしました。資料館で貰ったパンフレットには、川尻城址は、4月頃が約4000本の三つ葉ツツジの名所と紹介してありましたが、城址を見学中には、全く忘れ去っていました。(同上)
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同じく、川尻城の周りの散策路の光景です。先程の未舗装の道路と違って、こちらは簡易舗装がされていました。写真の左手が川尻城址になるようです。(同上)
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『歴史の小路』の道案内標識の光景です。右向きの矢印て、『甘泉寺』と『歴史民俗資料館』が記してありました。新城市作手鴨ケ谷に位置する『甘泉寺』は、国の天然記念物のコウヤマキがある古刹です。樹齢400年とも600年とも言われる、日本最大のコウヤマキの古木です。(同上)
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別の場所でも紹介した、『マムシグサ(蝮草)』の赤い実の光景です。サトイモ科テンナンショウ属の多年草です。名前も恐ろしいですが、強い毒素を持ちます。誤って食べると、口中から喉までに激痛がはしり、唾を飲み下すことすらできないほどとなります。 また、激しい下痢や嘔吐、心臓麻痺といった症状が現れ、重篤な場合死亡します。(同上)
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薄紫色の花を咲かせた野草の光景です。ネット検索してみましたが、アキノタムラソウ当たりが似ているようでしたが、あまり自信はありません。シソ科アキギリ属の多年草です。(同上)
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ノコンギクらしい野菊の光景です。『ノコンギク(野紺菊)』は、野菊の一つで『ヨメナ(嫁菜)』に非常に似ています。詳しくは調べていませんので、これもヨメナかも知れません。間違っても、キク科の野菊の一つであることには変わりません。(同上)
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