2018/10/20 - 2018/10/20
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奥三河の続日本百名城巡りです。奥三河にある古宮城は、甲斐の武田信玄が三河進出の拠点とするため、宿将・馬場美濃守信房に命じて元亀2年(1571年)に築城したとされます。大堀切、多重横堀や両袖枡形虎口などに、武田氏築城の特徴が残されていました。(ウィキペディア、続日本百名城公式ガイドブック)
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イチオシ
南側から眺めた、古宮城址がある作手(つくで)地区にある、比高20メートルほどの独立丘の光景です。中央やや左側に見える鳥居は、日本武尊を祀る白鳥神社です。作手地区の湿地帯は、かつて白鳥の飛来地だったとされ、日本武尊の白鳥伝説とあいまって、8社とも11社とも言われる白鳥神社が集中する区域です。(同上)
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かつての古宮城は、西を除く三方が湿地帯であり、出入口としては、大手口が西側だけに設けられていたようです。白鳥神社は、武田氏により古宮城が造られる以前から存在していたとされます。この南方面には、古宮城の虎口は設けられていませんでしたが、今はこちらから主郭を目指すことができます。(同上)
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『白鳥神社』の鳥居に懸かった、石造りの扁額のズームアップ光景です。『古宮白鳥神社』の文字が記されていました。『古宮』が、この『白鳥神社』を意味し、後に『古宮城』の名前にも使われたようです。(同上)
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イチオシ
10段ほどの石段があった基壇の上に建つ、白鳥神社の拝殿光景です。現在は、無人の神社となっていました。背後に『古宮城址』があり、この後紹介する、右手方面に城址に登ることができる石段がありました。(同上)
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拝殿の前から眺めた右手方面(東側)の境内光景です。境内の中央には、祭礼で使われたらしい焚火痕がありました。古宮城址への登り石段は左手の建物の奥です。後年に造られた石段のようでした。(同上)
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場所を少し東に移動しての撮影です。白鳥神社の建物の脇に石段が見えて来ました。左手に見える拝殿の右後に、本殿らしい建物の甍の端が見えていました。石段の袂にあるのは井戸跡です。(同上)
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石段を登り終えた場所から見下ろした白鳥神社の甍の光景です。右奥に見える建物が拝殿です。この写真では確認できませんが、本殿は拝殿の背後にあるようでした。(同上)
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石段を登った後の、右手方面(東側)の光景です。左手が主郭虎口の南側の土塁の一部のようです。通路の右側が急傾斜地で、その縁に低い土塁が残されているようでした。下草が刈られ、青竹も切り揃えられて、整備途中のようです。先へは進まず、ここで引き返しました。(同上)
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先程、左手方面に見えていた土塁を、正面から見上げた光景です。かなりの高さがありました。通路に侵入した敵兵を上から攻撃できる土塁かもしれません。高さがありますから、槍は届きませんから、弓や鉄砲が防御の武器に使われたようです。(同上)
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『大ひのき』の文字と赤い矢印があった道案内標識です。『新城市教育委員会』名で建てられていました。主郭虎口の目印になる『大ひのき』ですから、標識に従って進むことにしました。作手村が新城市と合併したのは2005年(平成14年)10月ですから、その後に立てられた標識のようです。(同上)
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『大ひのき』の案内標識に従って進んだ、城址内の通り道の光景です。道の両脇には大木が林立していました。スギも交じっているかも知れませんが、ヒノキが多いようです。スギは多くの落葉がありますが、ヒノキは落葉がほとんどないとお聞きしたことがあります。(同上)
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下から見上げたヒノキ林の光景です。『ヒノキ(桧、檜)』は、ヒノキ科ヒノキ属の針葉樹で、日本と台湾にだけ分布します。高さ50メートル、直径2.5メートルになる大樹もあります。日本では最高品質の建材として珍重されます。『スギ(杉)』ですと、ヒノキ科スギ亜科スギ属の常緑針葉樹です。長寿で、大木となることもよく知られています。(同上)
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虎口らしい箇所に差し掛かりました。南側から眺めた、『両袖枡形虎口』の光景です。武田氏の得意とする築城技術のようです。右手上方に、虎口の入口の目印となる『大ひのき』が見えています。(同上)
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同じ場所から眺めた『二の曲輪』がある西側方面の光景です。かつて、唯一の大手口があったと推定されている方面です。後ほど、その方面にも向かいましたが、まず向かったのは、『両袖枡形虎口』がある主郭方面です。(同上)
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『立入禁止』の表示とロープが張られていた場所にやって来ました。『立入禁止』の表示は、『大ひのき』の根の保護のためのものでした。その前に見えるU字型の窪みは、『主郭虎口』の一部です。(同上)
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イチオシ
下から見上げた『大ひのき』の光景です。『大ひのき』は、樹高29メートル、幹周り5.85メートルの大きさで、現在は新城市の天然記念物に指定されています。指定日は昭和32年6月ですから、作手村時代の指定のようです。現在の所蔵者・管理者は、『清岳の白鳥神社』になっていました。南側の幹が折れ、北側の幹が成長した姿です。(同上)
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下草が刈り込まれていなかった、ヒノキ林の周りの光景です。周りには、根元伐採されたヒノキが、輪切りにされて転がっていました。運び出すよりは、現地放棄した方が経済的なのかも知れません。(同上)
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『主郭虎口』を通り抜けた後の前方(北側)の光景です。かつての主郭のエリアになります。それほど大きくないヒノキが林立していました。古宮城址は、静岡の諏訪原城を小型にした縄張とも比喩されるようです(日本城郭体系)。諏訪原城も、2017年に続日本百名城(146番)に選ばれました。(同上)
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『主郭虎口』を通り抜けた後、北側から振り返って眺めた光景です。『大ひのき』が左側に見えています。この虎口は、『両袖枡形』と呼ばれる、武田氏が得意とした造りとされます。(同上)
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『主郭虎口』を通り抜けた後の『主郭』の中の光景です。周りを取り囲む土塁が残されていることが、木々を透かして目視できました。今見えているのは、西側から北側にかけての部分です。西側が主郭を東西に分ける仕切土塁です。(同上)
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ここからは、主郭を東西に分ける仕切土塁の上を北側に向かって進みました。ヒノキが伐採され、一人がやっと通れるほどの通路が確保されていました。その所々に、測量用らしい赤杭が打ってありました。(同上)
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同じく、所々に測量用らしい赤杭が打ってあった、主郭を東西に分ける仕切土塁の上の光景です。この土塁の上を北側に向かって進みました。右側が主郭東側、左側が主郭西側で、その先(西側)が二の曲輪との間の大堀切になります。(同上)
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暫くの間、主郭の北側付近を散策しました。現地で入手した『古宮城復元イラスト』には、家臣団のものらしい住居が描かれていましたが、現地ではその様子はうかがい知ることができませんでした。(同上)
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主郭の北側付近を散策した時の光景が続きます。現地に縄張り跡を記す標識などはありませんでしたから、縄張り図を参照しても、中々様子が掴めませんでした。右手に見える小高い部分は、主郭を東西に分ける仕切土塁の登り口当たりののようです。(同上)
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同じく、主郭の北側付近を散策した時の光景です。ヒノキ林を透かして眺めることができた土塁の光景です。推測の域ですが、仕切土塁で東西に分割された、西側の本郭の北端付近の土塁のように見えました。(同上)
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主郭の北側付近を散策した時の光景が続きます。北側になる右側に向かって傾斜した古宮城址の縄張りの北端付近の光景になるようです。縄張図には、多重横堀が記してありました。(同上)
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ヒノキ林の幹を透かして西方向を眺めた光景です。古宮城址の北側から西側にかけて施された多重横堀の光景になるようです。多重横堀は行き止まりになったり、迷路のようになったりで、守備側からの攻撃の目標になったようです。(同上)
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同じ場所から振り返って眺めた東側方面の光景です。こちら側の斜面には目立った造作は見えませんでした。古宮城は、まだ本格的な発掘調査は実施されていないようでした。(同上)
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手入れがされ、下枝が処理されたヒノキ林ですから、樹木が林立していますが、その木々を透かして城址の土塁や堀などを目視できました。前方に見えるのが、『二の曲輪』の北側の土塁になるようです。その前に『大堀切』が続いていました。(同上)
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同じく、ヒノキの林を透かして眺めた、『二の曲輪』の北側の土塁と、その先に見える『多重横堀』の土塁光景です。二の曲輪の先の北に向かって、全体が下り勾配となっていました。(同上)
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