新城旅行記(ブログ) 一覧に戻る
奥三河の作手地区には、県指定天然記念物の『長の山湿原』等の自然をはじめ、歴史では長篠の戦いの時の長篠城主だった奥平氏の居城の『亀山城跡』や、遺構が明瞭に残る『古宮城跡』などの戦国時代の山城が多く残っています。(ウィキペディア、続日本百名城公式ガイドブック)

2018秋、奥三河の続日本百名城(6/9):作手歴史民俗資料館(2):奥平家船印、合戦図屏風

29いいね!

2018/10/20 - 2018/10/20

33位(同エリア181件中)

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

奥三河の作手地区には、県指定天然記念物の『長の山湿原』等の自然をはじめ、歴史では長篠の戦いの時の長篠城主だった奥平氏の居城の『亀山城跡』や、遺構が明瞭に残る『古宮城跡』などの戦国時代の山城が多く残っています。(ウィキペディア、続日本百名城公式ガイドブック)

交通手段
自家用車
  • 『野の仏たち』のタイトルがあった写真展示です。30枚以上の写真が紹介されていました。地蔵様、石仏群、十六羅漢、観音様や、古い墓標など様々です。この後、ズームアップで個別に紹介します。(同上)

    『野の仏たち』のタイトルがあった写真展示です。30枚以上の写真が紹介されていました。地蔵様、石仏群、十六羅漢、観音様や、古い墓標など様々です。この後、ズームアップで個別に紹介します。(同上)

  • 『野の仏たち』のタイトルがあった写真展示の個別紹介です。右上から時計回りに、『川合家の石仏』、『菅沼・川合宅・墓』、『菅沼・十六羅漢』、『菅沼・石仏群』、『守義・地蔵様』と『守義・百庚申』です。(同上)

    『野の仏たち』のタイトルがあった写真展示の個別紹介です。右上から時計回りに、『川合家の石仏』、『菅沼・川合宅・墓』、『菅沼・十六羅漢』、『菅沼・石仏群』、『守義・地蔵様』と『守義・百庚申』です。(同上)

  • 『野の仏たち』の写真の個別紹介が続きます。右の列の上が『中河内・夢不動』、その下が『東田原・石仏群』です。中央が『杉中・?利伽羅王(不動明王の変化身)』、左の列の上が『中河内・石仏群』、その下が『東田原・十王堂』です。(同上)

    『野の仏たち』の写真の個別紹介が続きます。右の列の上が『中河内・夢不動』、その下が『東田原・石仏群』です。中央が『杉中・?利伽羅王(不動明王の変化身)』、左の列の上が『中河内・石仏群』、その下が『東田原・十王堂』です。(同上)

  • 『野の仏たち』の写真の個別紹介が続きます。右の列の一番上が『相寺・石仏群』、その下が『田代・字崗様』、一番下が『田代・鈴木金七郎重政墓』、中央の1枚が『北畑・犬ノ神』、左の列の一番上が『市場・弾正宮』、その下が『川手・磯丸歌碑』、一番下が『川合・北坂五代様』です。(同上)

    『野の仏たち』の写真の個別紹介が続きます。右の列の一番上が『相寺・石仏群』、その下が『田代・字崗様』、一番下が『田代・鈴木金七郎重政墓』、中央の1枚が『北畑・犬ノ神』、左の列の一番上が『市場・弾正宮』、その下が『川手・磯丸歌碑』、一番下が『川合・北坂五代様』です。(同上)

  • 『野の仏たち』の写真の個別紹介の最後です。一番上の列が、左が『場所不明の石仏群』、右が『場所不明の社』、中の列が左から、場所不明の『丁石(ちょういし)』、『本宮山登山口(野郷)・石灯篭』、『西田原・馬頭観音』です。一番下の1枚は、『弓木の観音堂』です。(同上)

    『野の仏たち』の写真の個別紹介の最後です。一番上の列が、左が『場所不明の石仏群』、右が『場所不明の社』、中の列が左から、場所不明の『丁石(ちょういし)』、『本宮山登山口(野郷)・石灯篭』、『西田原・馬頭観音』です。一番下の1枚は、『弓木の観音堂』です。(同上)

  • 『中世:鎌倉・室町・安土桃山時代』のタイトルがあった説明パネルの光景です。先に『古代』の説明パネルは紹介しておきました。平安時代の終りの頃から作手には、米福(よねふく)、荒原(あわら)と本宮(ほんぐう)の三長者が出現し、その中でも、三河三長者の一人でもある『米福長者』について紹介されていました。その屋敷跡は広大なもので、土塁跡も残されています。中世における武士の興隆で滅びたようです。(同上)

    『中世:鎌倉・室町・安土桃山時代』のタイトルがあった説明パネルの光景です。先に『古代』の説明パネルは紹介しておきました。平安時代の終りの頃から作手には、米福(よねふく)、荒原(あわら)と本宮(ほんぐう)の三長者が出現し、その中でも、三河三長者の一人でもある『米福長者』について紹介されていました。その屋敷跡は広大なもので、土塁跡も残されています。中世における武士の興隆で滅びたようです。(同上)

  • 『近世:江戸時代』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『江戸時代に作出をおさめた領主』の一蘭が記してありました。江戸時代の初めには、亀山城の奥平忠明が収めていましたが、その後は、幕府が収める天領、1万石以上の大名、1万石以下の旗本が収める土地として変遷したようです。その変遷を地区ごとに整理してありました。(同上)

    『近世:江戸時代』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『江戸時代に作出をおさめた領主』の一蘭が記してありました。江戸時代の初めには、亀山城の奥平忠明が収めていましたが、その後は、幕府が収める天領、1万石以上の大名、1万石以下の旗本が収める土地として変遷したようです。その変遷を地区ごとに整理してありました。(同上)

  • 『奥平家の船印(ふなじるし)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左側に金ぴかのレプリカの船印が展示してありました。亀山城主だった奥平家の船印の紹介です。長篠の戦での武勲は余りにも有名です。(同上)

    イチオシ

    『奥平家の船印(ふなじるし)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。左側に金ぴかのレプリカの船印が展示してありました。亀山城主だった奥平家の船印の紹介です。長篠の戦での武勲は余りにも有名です。(同上)

  • 奥平家家紋(裏紋)の『沢潟(おもだか)・丸に花』です。沢瀉紋は、植物のオモダカ科の多年草であるオモダカを図案化したものです。葉の形状が、矢の鏃の形に似ていることから『勝軍草(かちいくさぐさ)』の別名を持ちます。 (同上)

    イチオシ

    奥平家家紋(裏紋)の『沢潟(おもだか)・丸に花』です。沢瀉紋は、植物のオモダカ科の多年草であるオモダカを図案化したものです。葉の形状が、矢の鏃の形に似ていることから『勝軍草(かちいくさぐさ)』の別名を持ちます。 (同上)

  • 『蔵骨器(古瀬戸?)』<br />鎌倉~室町時代<br />(善福寺旧墓出土) (同上)

    『蔵骨器(古瀬戸?)』
    鎌倉~室町時代
    (善福寺旧墓出土) (同上)

  • 『栄華を極めた善福寺』のタイトルがあった説明パネルの光景です。右側に『善福寺周辺の想像図』のタイトルの平面図がありました。最盛期には七つの僧坊が建てられ、民家も100~150軒あったと想像されています。真言宗御室派の寺院で、山号は金輪山、推古天皇時代(飛鳥時代)開山とされる作手最古の名刹です。(同上)

    『栄華を極めた善福寺』のタイトルがあった説明パネルの光景です。右側に『善福寺周辺の想像図』のタイトルの平面図がありました。最盛期には七つの僧坊が建てられ、民家も100~150軒あったと想像されています。真言宗御室派の寺院で、山号は金輪山、推古天皇時代(飛鳥時代)開山とされる作手最古の名刹です。(同上)

  • 『長篠合戦図屏風』のようでしたが、由来や題名は確認できませんでした。左が間に織田・徳川軍が設けた馬防柵と鉄砲隊が描かれているようでした。一番有名な長篠合戦図屏風の原図は、徳川美術館が所蔵しています。(同上)

    イチオシ

    『長篠合戦図屏風』のようでしたが、由来や題名は確認できませんでした。左が間に織田・徳川軍が設けた馬防柵と鉄砲隊が描かれているようでした。一番有名な長篠合戦図屏風の原図は、徳川美術館が所蔵しています。(同上)

  • 『作手奥平氏』のタイトルがあった説明パネルの光景です。奥平氏の出自には各説がありますが、家伝では上州が発祥地と言われています。その上州の奥平邑説が紹介されていました。下はその家系図です。(同上)

    『作手奥平氏』のタイトルがあった説明パネルの光景です。奥平氏の出自には各説がありますが、家伝では上州が発祥地と言われています。その上州の奥平邑説が紹介されていました。下はその家系図です。(同上)

  • 1575年の長篠の戦で命を捨てて長篠城を護った、鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)の磔刑図です。本人の実作かどうかは分かりませんが、『我が君の命に代わる玉の緒の何いとひけむ武士(もののふ)の道』という辞世の句が残されています。(同上)

    1575年の長篠の戦で命を捨てて長篠城を護った、鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)の磔刑図です。本人の実作かどうかは分かりませんが、『我が君の命に代わる玉の緒の何いとひけむ武士(もののふ)の道』という辞世の句が残されています。(同上)

  • 左が『鳥居強右衛門の位牌』、右が『鳥居強右衛門の墓』の写真です。どちらも作手鴨ケ谷の甘泉寺に残されています。国の天然記念物の『コウヤマキ(高野槙)』がある古刹です。(同上)

    左が『鳥居強右衛門の位牌』、右が『鳥居強右衛門の墓』の写真です。どちらも作手鴨ケ谷の甘泉寺に残されています。国の天然記念物の『コウヤマキ(高野槙)』がある古刹です。(同上)

  • 左の写真は、鳥居強右衛門の後に長篠城を脱出したとされる鈴木金七郎とその妻の墓、右の写真が、奥平氏が縁者として頼った作手の山崎高元の墓です。(同上)

    左の写真は、鳥居強右衛門の後に長篠城を脱出したとされる鈴木金七郎とその妻の墓、右の写真が、奥平氏が縁者として頼った作手の山崎高元の墓です。(同上)

  • 『山家三方衆(やまが・さんぽうしゅう)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。戦国時代のこの地域の有力豪族の奥平氏、田峯菅沼氏と長篠菅沼氏を山家三方衆と呼んだことが説明されていました。その周りには、今川、武田、織田、徳川(松平)の有力武将が取り囲んでいましたから、地方豪族の主家選びによる栄枯盛衰は、まさに紙一重の時代でした。(同上)

    『山家三方衆(やまが・さんぽうしゅう)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。戦国時代のこの地域の有力豪族の奥平氏、田峯菅沼氏と長篠菅沼氏を山家三方衆と呼んだことが説明されていました。その周りには、今川、武田、織田、徳川(松平)の有力武将が取り囲んでいましたから、地方豪族の主家選びによる栄枯盛衰は、まさに紙一重の時代でした。(同上)

  • 展示室内の光景です。中央奥には、すでに紹介した、『裂き織り機』が四代見えました。その前には、見学用の椅子席も置かれていました。(同上)

    展示室内の光景です。中央奥には、すでに紹介した、『裂き織り機』が四代見えました。その前には、見学用の椅子席も置かれていました。(同上)

  • 『自然と人間のかかわり』のタイトルがあった説明パネルの光景です。植物を使った子供の遊びは100種類を超えたとされ、四季に分けて、代表的なものが紹介されていました。春の遊びはカモジグサの人形、夏はカヤツリグサの仲占い、秋はチカラシバのスッコケ(草結び)、冬はヒイラギの風車が紹介されていました。(同上)

    『自然と人間のかかわり』のタイトルがあった説明パネルの光景です。植物を使った子供の遊びは100種類を超えたとされ、四季に分けて、代表的なものが紹介されていました。春の遊びはカモジグサの人形、夏はカヤツリグサの仲占い、秋はチカラシバのスッコケ(草結び)、冬はヒイラギの風車が紹介されていました。(同上)

  • 展示室内の光景です。右手前の展示品は、紹介済みの『亀山城模型図』と、作手地区の航空写真です。中央奥のガラスとの中には、出土品の古瀬戸らしい蔵骨器が見えていました。(同上)

    展示室内の光景です。右手前の展示品は、紹介済みの『亀山城模型図』と、作手地区の航空写真です。中央奥のガラスとの中には、出土品の古瀬戸らしい蔵骨器が見えていました。(同上)

  • 写真で紹介された、『作手の秋祭り』と題された展示コーナーの光景です。四つ紹介された左上は『長者平の獅子囃子』、時計回りにその右が『浦安の舞』、その下が『三番叟』、その左が『田原の神代踊り』、さらに左が『長者平の獅子囃子』です。(同上)

    写真で紹介された、『作手の秋祭り』と題された展示コーナーの光景です。四つ紹介された左上は『長者平の獅子囃子』、時計回りにその右が『浦安の舞』、その下が『三番叟』、その左が『田原の神代踊り』、さらに左が『長者平の獅子囃子』です。(同上)

  • 樵(きこり)道具の展示のようです。一番手前の小物が『矢(や:くさび)』、その奥の小物が『かすがい』、次の細長い鋸(のこ)が『よこびき』、更に奥の幅広い鋸2丁が『まえびき』でした。(同上)

    樵(きこり)道具の展示のようです。一番手前の小物が『矢(や:くさび)』、その奥の小物が『かすがい』、次の細長い鋸(のこ)が『よこびき』、更に奥の幅広い鋸2丁が『まえびき』でした。(同上)

  • セットで展示してあった、『唐臼』と『踏臼』の光景です。 臼を地中に埋め、柄の端を足で踏み、杵を上下させて穀類を搗く仕掛けのもので、『踏み臼』とも呼ばれます。また、稲などのもみがらを落とす臼も『唐臼』と呼ばれます。 その手前に、『竿秤(さおばかり)』が展示してありました。(同上)

    セットで展示してあった、『唐臼』と『踏臼』の光景です。 臼を地中に埋め、柄の端を足で踏み、杵を上下させて穀類を搗く仕掛けのもので、『踏み臼』とも呼ばれます。また、稲などのもみがらを落とす臼も『唐臼』と呼ばれます。 その手前に、『竿秤(さおばかり)』が展示してありました。(同上)

  • 大型の農機具2種類の紹介です。右の器具には『唐箕(とうみ)』の表示がありました。唐箕は、臼などで籾殻を外したあと、風力を起して穀物を 籾殻・玄米・塵などに選別するための農具です。左の器具は『千石通(せんごくとおし)』です。傾斜したふるいの上端から搗き米を流し、米とぬか(糠)にふるい分けたり、穀粒をふるい分けたりする農具です。(同上)

    大型の農機具2種類の紹介です。右の器具には『唐箕(とうみ)』の表示がありました。唐箕は、臼などで籾殻を外したあと、風力を起して穀物を 籾殻・玄米・塵などに選別するための農具です。左の器具は『千石通(せんごくとおし)』です。傾斜したふるいの上端から搗き米を流し、米とぬか(糠)にふるい分けたり、穀粒をふるい分けたりする農具です。(同上)

  • 見学を終えた後、振り返って眺めた展示室内の光景です。右側のガラス戸の中には、紹介を端折った、石鏃(せきぞく)の出土品などが展示してありました。(同上)

    見学を終えた後、振り返って眺めた展示室内の光景です。右側のガラス戸の中には、紹介を端折った、石鏃(せきぞく)の出土品などが展示してありました。(同上)

  • 4枚の『錦絵』のズームアップ光景です。左側に見える12枚の錦絵は、先に紹介しておきました。多色摺りの日本絵の版画です。旅の土産として役者絵が好まれたようで、上から二枚が市川団十郎、三枚目が尾上菊五郎、一番下が助高屋高助が主人公です。(同上)

    4枚の『錦絵』のズームアップ光景です。左側に見える12枚の錦絵は、先に紹介しておきました。多色摺りの日本絵の版画です。旅の土産として役者絵が好まれたようで、上から二枚が市川団十郎、三枚目が尾上菊五郎、一番下が助高屋高助が主人公です。(同上)

  • 地元で採集された鳥の剥製のようです。右端から、マガモ、タシギ、コガモと続きます。その下の飛翔姿はカルガモのようです。その奥に、ヤマセミ、アオジ、フクロウなどの名札も見えました。(同上)

    地元で採集された鳥の剥製のようです。右端から、マガモ、タシギ、コガモと続きます。その下の飛翔姿はカルガモのようです。その奥に、ヤマセミ、アオジ、フクロウなどの名札も見えました。(同上)

  • 『八十八話・ちゃわんこ石』のタイトルの説明文があった石の展示光景です。荒原(あわら)の西栃沢に広がる『珪化安山岩』を里人が親しみを込めて呼ぶ『ちゃわんこ石』のことでした。陶磁器の材料に欠かせないもので、粉砕して鉄分を取り除いて使用されるようです。黒い石は、すり潰しに使われた石英片岩のようです。(同上)<br />

    『八十八話・ちゃわんこ石』のタイトルの説明文があった石の展示光景です。荒原(あわら)の西栃沢に広がる『珪化安山岩』を里人が親しみを込めて呼ぶ『ちゃわんこ石』のことでした。陶磁器の材料に欠かせないもので、粉砕して鉄分を取り除いて使用されるようです。黒い石は、すり潰しに使われた石英片岩のようです。(同上)

  • 資料館の前に展示してあった『ポットホール』です。ポットホールは、急流の川底の窪みに石が入り、渦巻く流れで石が回転して出来た穴のことです。この石は、善夫区の金比羅さんで手洗い鉢として使われていたことも紹介されていました。(同上)

    資料館の前に展示してあった『ポットホール』です。ポットホールは、急流の川底の窪みに石が入り、渦巻く流れで石が回転して出来た穴のことです。この石は、善夫区の金比羅さんで手洗い鉢として使われていたことも紹介されていました。(同上)

  • 同じく、資料館の前に展示してあった『力石』です。明和の白鳥神社の境内にあった力石と紹介されていました。占いや力試しに使われたもので、持ち上げれば一人前として認められたようです。時々目にする力石です。(同上)

    同じく、資料館の前に展示してあった『力石』です。明和の白鳥神社の境内にあった力石と紹介されていました。占いや力試しに使われたもので、持ち上げれば一人前として認められたようです。時々目にする力石です。(同上)

29いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP