2018/10/20 - 2018/10/20
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旅人のくまさんさん
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奥三河の続日本百名城巡りです。古宮城は、元亀2年(1571年)に奥平氏の監視のために、武田信玄の重臣・馬場美濃守信房が甲州流の縄張で武田軍の最前線基地として築城しましたが、2年後、奥平・徳川連合軍の攻撃により自焼陥落しました。(ウィキペディア、続日本百名城公式ガイドブック)
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振り返って眺めた、白鳥神社脇の階段の光景です。古宮城が現役時代には、西側の虎口を経由する以外、ほかにはなかった出入口の階段です。古宮城を築城した馬場信春(信房)は、戦国時代の武将で、武田四天王の一人に数えられます。教来石氏時代に足軽大将の山本勘助から城取(築城術)を教授されたと伝わり、後に築城の名手と称せられました。(同上)
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イチオシ
『白鳥社』の洒脱な文字が揮毫された扁額のズームアップ光景です。白鳥神社は日本武命を祭神とし、村民は『古宮』と称して崇敬したと伝わります。例祭日は10月7日です。『日本武尊(やまとたけるのみこと)』は、記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)です。第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父とされ、熊襲征討・東国征討を行ったとされる古代史上の伝説的英雄です。(同上)
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『白鳥神社』の拝殿前の狛犬の光景です。拝殿に向かって右側の阿形の雄獅子です。『ヤマトタケルノミコト』は、『日本書紀』では主に『日本武尊』、『古事記』では主に『倭建命』と表記されますが、現在では、一般には『日本武尊』の漢字表記とされます。4世紀から7世紀頃の数人のヤマトの英雄を統合した、架空の人物という説もあります。(同上)
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同じく、『白鳥神社』の拝殿前の狛犬の光景です。拝殿に向かって左側の吽形の雌獅子です。『日本武尊』が攻撃され、傷付いたのは伊吹山の麓近くだったようです。その傷が元で亡くなり、白鳥となって大和に向かったとされます。いわゆる『白鳥伝説』です。この神社の社名は、その白鳥伝説に基づくようです。(同上)
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こちらの狛犬は、獅子ではなく、犬か狼(オオカミ)がモデルのように見えました。珍しい姿の狛犬ですが、口を閉じた吽形の獅子役のようです。ネット情報では、『作手村総社である白鳥地区の白鳥神社と清岳地区の白鳥神社には山犬型の狛犬が伝わっています。この山犬型狛犬は日本武尊にちなむものと思われますが、地元の人にも狛犬の由来は伝わっておりません』と紹介されていました。(同上)
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イチオシ
一対で置かれていた、犬がモデルのような狛犬のもう一方の光景です。拝殿に向かって右手に置かれていた阿形の雄獅子役のようでした。意外と人気の狛犬さん達のようでした。『山犬型』と呼ばれているようでした。ネット情報によれば、奉納は安永4年(1775年)でした。耳が立ったこちらを狼、先程の雌犬は和犬とする情報も目にしました。(同上)
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境内の南側から眺めた、白鳥神社の拝殿光景です。ネット情報では、『天和3年(1683年)再建された。新城市裏野にある曹洞宗永住寺(新城市)の有する銅鑼は、もと当社が有していたともいう。この銅鑼は長享2年(1488年)の紀年銘がある』との記述もありました。新城市作手清岳宮山に位置し、古宮城址の一角になります。古宮城が造られる前からあった神社の可能性が高いようです。(同上)
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水は枯れていましたが、古い手水盤の紹介です。雨水が溜まって蚊が湧かないように、底に大きな穴が開けてありました。現在の新城市には、日本武尊に因む白鳥神社が11社も集中しているようです。湿原地帯だった作手高原はかつて白鳥の飛来地であり、白鳥の糞が肥料として古代の水田耕作に恩恵をもたらし、古代からこの地区には『白鳥信仰』があったようです。(同上)
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古木の杉が立ち並ぶ、白鳥神社の境内の南面の光景です。白鳥の飛来地だった作手高原は、後に『日本武尊の白鳥伝説』と習合したため、白鳥神社が集中したと考えられているようです。(同上)
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イチオシ
白鳥神社の境内から見下ろした南側方面の光景です。301号線から分岐した道路に面して鳥居が建ち、両脇に石灯篭が配してありました。301号線は、西側の右手方面になります。(同上)
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石段の下から見上げた白鳥神社の拝殿光景です。現在は無人の神社となっているようでした。行事がある時に、上位の神社から神主が詰めるのかも知れません。境内も荒れてはいませんでしたから、地元の氏子さんたちが頑張っているのかも知れません。(同上)
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鳥居の近くに置かれていた石灯篭の光景です。基本形が六角の日灯篭よりも、基本形が四角の織部型灯篭に似たような縦長の灯籠です。と言っても、織部型灯篭とも異なっていました。火袋の周りが木で補強されていました。(同上)
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一対で置かれていた、もう一方の石灯篭の光景です。正面からの石灯篭の眺めになるようです。台座近くには蓮花の文様が、火袋の下には、葡萄のような文様がありました。(同上)
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『古宮城』のタイトルがあった説明看板の光景です。見学を終えた後での撮影となりました。新城市教育委員会名での設置でした。(同上)
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続日本百名城スタンプの置き場所が、地図入りで紹介してありました。今回利用した『作手歴史民族資料館』と、『Yショップつくで店』でした。(同上)
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今回利用した無料駐車場近くにあった道案内標識の光景です。上から順に、『古宮城址』、『甘泉寺(1.7キロ)』、『亀山城址(1.6キロ)』が表示されていました。(同上)
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駐車場近くで咲いてたコスモスの花です。赤と、ピンクそれに白色が混じった三色でしたが、ピンクの花が一番多く、白色が僅かばかりでした。品種名はオオハルシャギクで、キク科コスモス属の植物です。 (同上)
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少しだけズームアップした三色のコスモスの花の光景です。オオハルシャギクの品種は20種ほどのようです。オオハルシャギク以外のコスモスでは、キバナコスモスとチョコレートコスモスがあります。(同上)
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古宮城址の見学の後、少しだけ亀山城址を見学しました。『作手城』とも呼ばれ、現在の新城市作手清岳に位置する奥平氏の本城とされます。奥平氏は、坂東武者の流れを汲む上野国の武人だった一族です。(同上)
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古宮城から1キロほど南に位置する『亀山城址』です。上野国から作手地方に移住した奥平貞俊は、当初、川尻城を本拠としましたが、手狭となったため応永31年(1424年)に亀山城を築き、移りました。(同上)
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『亀山城址・前方200m』のタイトルがあった説明看板の光景です。奥平貞俊による応永31年(1424年)の築城後、五代に亘っての居城となったことなどが紹介されていました。天正元年(1573年)、古宮城の武田勢を破り、その戦功により、天正3年(1575年)に奥平定昌は信長から長篠城主を命ぜられ、更に戦功を重ねることとなりました。(同上)
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『亀山城址・前方200m』のタイトルがあった説明看板の下に置かれていた石標の光景です。読み間違いかも知れませんが、『庚申』らしい文字が薄っすらと残っていました。(同上)
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『キバナコスモス(黄花コスモス)』の花のようです。近年は、よく似た特定外来生物の『オオキンケイギク(大金鶏菊)』との見分けも必要になりました。オオキンケイギクの葉は狭倒披針形ですが、キバナコスモスの葉は羽状深裂に似た形で、キバナコスモスのほうが花の色が濃いのが見分け方になるようです。 (同上)
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『ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)』の雌のようです。タテハチョウ科ドクチョウ亜科ヒョウモンチョウ属のチョウです。雌の前翅先端部が黒色で、斜めの白帯を持つのが特徴です。幼虫はスミレ(菫)を食草としますので、ベランダのプランターに菫を植えて、毎年羽化する姿を楽しんでいました。年に複数回羽化しましたので、多い年には100頭を超えていたようです。(同上)
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『亀山城址』の麓にあった、『小水力発電所』の光景です。フェンスに『小水力発電所』と記したパネルがありましたが、発電所名は記されていませんでした。ネット情報では、発電電力は、シカ・イノシシなど鳥獣害の防止電気柵用バッテリー充電や揚水機場内照明に利用されるようでした。(同上)
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『亀山城址』近くにあった、小規模な水力発電所の光景です。ネット情報の『小水力発電ニュース』によれば、『作手地区を南北に流れる古宮川両岸の揚水機場に、工事費220万円で2台設置された発電機は、最大出力3~10ワット、らせん式ピコ水力発電装置で、流水の落差を利用して発電』と紹介されていました。(同上)
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玉石を使った、河川の護岸用の石垣のズームアップ光景です。古宮城址と亀山城址は、石垣のない中世の城址の見学でしたから、その代わりの目の保養でした。(同上)
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亀山城址に近寄っての撮影ですが、看板の『亀』の文字が木に隠れてしまいました。家から車で1時間半ほどですから、また来る機会もありそうですから、今日は城址に登るのは止めにしました。(同上)
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参考資料として紹介する、『古宮城の縄張図』です。資料館で戴いた資料の中にも『古宮城縄張り図』と『古宮城復元イラスト』がありました。右に記されたのが南北断面図。下部に記されたのが東西断面図です。その断面箇所が、薄く線引きしてありました。(同上)
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こちらは『亀山城址の縄張図』です。元資料は、『愛知県中世城館跡調査報告書Ⅲ』で、現地の説明看板に使用されているものです。土塁が茶色で色分けしてありました。(同上)
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