2025/10/17 - 2025/10/20
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nichiさん
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この旅行記のスケジュール
2025/10/17
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車での移動
新東名高速経由で約90分
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長篠食堂
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車での移動
約2分
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車での移動
約10分
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車での移動
約5分
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この旅行記スケジュールを元に
日本史好き、いや戦国時代好きには絶対に無視できない戦いの一つである長篠の合戦。
今回は名古屋まつりに行く前に、設楽原を訪れて、長篠城と長篠の合戦跡に行ってみることにしました。
設楽原で地元のローカルレ食堂でランチ。
そしてすぐ近くの長篠城址・史跡保存館へ。
ここには実際に長篠の合戦で使われたものなど、貴重なものが保存・展示されていました。
そして、郭や土塁が残る長篠城へ。
徳川方だった長篠城は、たった500名の兵で守り、織田・徳川の連合軍の援軍を待っていました。
ここで鳥居強右衛門の有名な話がありますね。
長篠城史跡資料館や長篠城址でもその紹介がありました。
その後、新城市設楽原歴史資料館へ。
長篠の合戦が行われるまでの両軍の話、そして馬防柵を使った信長・家康連合軍の話・・・
見応えがありました。
最後に再現された馬防柵へ。
これ、臨場感があって面白かったな~
周りが未開発であるため、当時と似た雰囲気で面白かったな~
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途中、富士川SAで休息。
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富士川サービスエリアのスターバックスへ!
富士山の眺望がすばらしいスタバです。 -
スタバの横からの景色です。
真下に流れる富士川の奥に富士山。
新東名の橋が見えます。 -
右の方に目を向けると、愛鷹山が見えます。
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愛鷹山の裾野の先には沼津の街が見えます。
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スタバに入ってシニアコーヒーは暖かいコーヒーを戴きます。
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こんな景色を見ながらスタバのコーヒー飲んでます。
コーヒーの写真撮るの忘れてました。
さあ西に向かいます。 -
新東名高速に入って新城インターで降りて、長篠でランチ。
富士川サービスエリアから約1時間30分でした。
長篠城の近くの長篠食堂さんにお邪魔してみました。 -
メニュー
何にしようかな~? -
気まぐれ定食のおかず、焼き魚定食のお魚、煮魚定食のお魚はココから選びます。
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相方は、
気まぐれ定食のとり天。1200円 -
私は煮魚定食。
1200円
ご馳走様でした。
美味しかった~ -
食後、車で2分。
長篠城跡にやってきました。 -
長篠城跡の周辺マップです。
JR飯田線が半円を描いて通っています。 -
長篠城の戦いの布陣図です。
これは歴史好きのシニア夫婦は見入ってしまいます。
左側に織田徳川連合軍の陣があります。
中央に武田方の陣。
さらにその右に、織田・徳川連合軍の助けを待つ鳥居城。
織田信長は前線から少し後ろに陣を構えています。
織田方の秀吉は信長のさらに後。岡崎信康や織田信雄、織田信忠の位置もわかります。
そして長篠城の反対側に酒井忠次らが陣を構えています。
それに対し武田側は、武田勝頼が一番後ろに構え、馬場信房、内藤昌秀、山県昌景 -
長篠城址・史跡保存館へ。
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お邪魔します。
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設楽原歴史資料館との共通券600円×2枚 購入。
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これは楽しみ。
-
入口にこんな面白いものが。。。。。
長篠の合戦の時、武将の一人一人の年齢が判ります。
まずは武田方です。
武田勝頼 30歳
馬場信房 62歳
山県昌景 54歳
ふ~ん。
馬場と山県は信玄の家来だったけど、勝頼よりこんなに年上だったんだ~ -
次は織田方です。
織田信長 42歳
織田信忠 19歳
織田信雄 18歳
佐久間信盛48歳
柴田勝家 46歳
丹羽長秀 41歳
池田信輝 40歳
羽柴秀吉 39歳
前田利家 38歳
佐々成政 37歳
山之内一豊31歳
森 長可 18歳
加藤清正 14歳
加藤清正はまだ14歳でこの戦いに参加しているのですね。 -
そして徳川方です。
徳川家康 34歳
徳川信康 17歳
酒井忠次 51歳
鳥居元忠 37歳
本多忠勝 28歳 -
ココから先は、撮影は可能ですが、SNS等にアップすることは禁止です。
貴重な展示物が多く、少々ビックリでした。
実際に長篠の合戦で使われた雑兵の鎧や甲掛け、具足。
長篠城主であった奥平家に伝えられた「血染めの陣太鼓」。
火縄銃の玉など、戦いに参加した方々の子孫から寄贈されたようです。
武田信玄は無くなる直前にこの長篠城に寄っているのですね。
京に上ろうとしていましたが、病の為に諦めて、この城で休んでから交付に帰ってから亡くなったようです。
三方ヶ原の戦いで、信玄が家康を破った翌年の事です。
知らなかったな~
そこから先は有名な話です。
信玄が無くなったことは秘密とされ、「影武者」の話は本当なのか否か?
奥平氏の長篠城は、家康の家来へと寝返ります。
信玄は遺言で「3年は戦いをやめて国の力を養え」と残しますが、勝頼は遺言を守らず、翌年に美濃の明智城、遠州の高天神城を攻め落とし、自信を深めてしまいました。
勝頼はそのまま15000の兵で500名の兵の長篠城を囲みます。
ここで有名な、鳥居強右衛門の話が生まれるのですね。
長篠城をそっと抜けだした強右衛門は、岡崎の信長と家康に長篠城の様子を伝え、援軍の依頼をします。
しかし長篠城に引き返す途中、武田勝頼の兵に捕えられてしまいます。
「援軍は来ないから早く降伏しろ!」と叫べば命を助け褒美を与えると言われましたが強右衛門は、「援軍は近くまで来ているからもう少し頑張れ!」と叫びます。
強右衛門はすぐに磔になってしまいます。
これで有名な長篠の合戦が始まるのですね~ -
長篠城史跡資料館を出ました。
長篠城は、三河の国と遠江の国の国境に近い所にあったお城です。
よって交通の要所でもあったこの城は、今川・武田・徳川の間で争奪戦が行われた地です。
自然地形をうまく利用したお城で、今でも土塁が残っています。 -
さあ城跡を歩いてみましょう。
郭や土塁の様子がわかるようです。
2本の川の合流点で、滝もある自然の地形を利用したお城ですね。 -
これは堀跡ですね。
-
順路に従い、こんな道を歩いて行きます。
土塁の上ですね。 -
土塁の一番高い所にも長篠城址の碑がありました。
-
ココから先も土塁の上を歩けるようになっています。
-
左側には堀跡が見えます。
-
土塁の先に鳥居が見えました。
-
土塁の上を引き続き進んで行きます。
JRの列車が通り過ぎました。 -
土塁の上から堀と反対側に降りると、広い主郭に出ました。
-
ここに館が建っていたのですね。
-
主郭の真横には線路。
長篠城の城内を突っ切っているJR飯田線の線路ですね。 -
主郭の先は崖になっていて、その下には豊川。
自然の地形を活かしたお城であることが判ります。 -
鳥居強右衛門が武田方につかまって磔にされたのが、
-
この左奥の対岸です。
「援軍は来ないので降伏して~」
と叫ぶことを強要されましたが、強右衛門は、
「援軍が来るぞ~!みんな頑張れ~~」
と叫んで殺されてしまったのですね。 -
このあたりかな?
JRの飯田線線路のすぐ奥です。 -
長篠城内には滝があります。
不忍の滝というそうです。 -
長篠城址の碑がありました。
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長篠城址の駐車場にあったこの木、「さかさ桑」と言います。
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武田勝頼が突きさした杖から桑の葉が出ましたが、下方に向かって伸びていたので「さかさ桑」と名付けられたのだとか・・・
このさかさ桑は後に植えられたものだそうです。 -
長篠城址から車で10分弱で新城市設楽原歴史資料館に到着しました。
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入口に馬防柵のモニュメントがあります。
-
この銅像は、岩瀬忠震という、ココ新城出身の幕末の外交官です。
日英修好通商条約の交渉に当たったことで有名で、私たちの地元の横浜開港資料館でも岩瀬忠震が紹介されていました。
鎖国下にあった江戸時代の日本を開国に導いた立役者です。 -
この幟を見て知ります。
長篠設楽原の戦から450年なんですね。 -
お邪魔します。
先ほど購入した共通券を見せて入ります。 -
この歴史年表、整理の仕方が面白い!
左が織田・徳川方の動き、右が武田方の動きです。 -
設楽原のジオラマです。
徳川軍8000
織田軍30000
武田軍15000
長篠城500
連吾川を挟んで織田・徳川連合軍と武田軍が向き合っています。
思ったより長篠城と設楽原の間に距離がありました。 -
この話、めっちゃ面白い!
信長は長篠城救出のために岐阜を出発しますが、2つの命令を下しています。
一つは大量の鉄砲と撃ち手の用意。
もう一つは、設楽原に馬防柵をつくるために大量と丸太と縄を足軽に持たせたこと。
あの馬防柵、岐阜から丸太を運んでいったの?
足軽たちは、「俺達何しに行くのだろう?」と思ったんだろうな~? -
段々になった地に馬防柵を設け、その後ろに撃ち手がいます。
奥から武田の騎馬が突進してきます。 -
これは武田側から見た景色です。
織田・徳川の鉄砲隊は、上から見下ろしている感じですね。 -
設楽原に着いた織田・徳川連合軍。
長篠城に向かうのではなく、ここ連吾川の西側に陣を置き、川沿いにおよそ2㎞の馬防柵を築きます。
下流は深い谷、両軍が向き合う中流は田が広がる沼地であったため、武田の大群が駆け抜けることができる場所は限られました。
織田・徳川連合軍は、事前に地形を調べ、この地を戦場に選び、血の特徴を活かした戦い方をしたのですね。 -
武田軍が馬防柵に騎馬で襲いかかると、織田・徳川連合軍は火縄銃を放ちます。
武田軍が後退すると、足軽隊が柵外に出て攻撃を仕掛け、武田軍の騎馬が近づくと足軽隊は柵内に逃げ込み、連合軍は武田軍に銃弾を浴びせる。
こんなことがあちこちで、繰り広げられたようです。 -
疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山
風林火山!
武田の有名な軍機ですね。 -
多くの鉄砲の展示も・・・
-
これが火縄銃の玉をつくる道具です。
-
有名な長篠の合戦の画ですね。
この絵を初めて見たのは小学校の教科書だったかな~?
それ以降、何度か見た記憶があります。 -
一部をアップで!
連吾川を挟んで右から武田軍の騎馬隊が左に突進して行きます。
左には馬防柵の前から織田・徳川連合軍が鉄砲を放っています。 -
右の方には長篠城が描かれていたのですね。
-
長篠の戦は、今までの戦国時代の戦い方と大きく異なり、火縄銃と馬防柵を組み合わせた新しい戦い方でした。
織田・徳川連合軍は、この戦い方で無敵であった武田軍を破ったわけですが、新しい装備・新しい組織戦への転換を促す戦いでした。 -
長篠の合戦では3000丁もの火縄銃が使われたようです。
-
織田・徳川連合軍は、馬防柵から「三段撃ち」と言われる方法で、武田軍を撃ったわけですが、その「三段撃ち」とは?
4つの考え方がありました。 -
一つ目はコレ!
3人が一組になって、①が撃ったら玉込めのために後方に下がり、②が前に出て玉を撃ったら下がり、③が前に出て撃つ。
これを繰り返しました。
これが私が知っていた三段撃ちです。 -
二つ目はこれ!
移動を伴わない撃ち方です。
設楽原ならではの撃ち方です。
連吾川江流域は河岸段丘になっており、階段状の地形を利用した撃ち方です。
前列の頭越しに後ろが撃つ方法です。 -
三つめはコレ!
3人が役割を分担する撃ち方です。
①は撃つ担当
②は玉込め担当
③は火薬を詰める担当 -
四つ目はコレ!
①が撃ったあと、③の位置に入り玉を込め作業を行い、完了したら②の位置に入って待機。
①で撃てる場所が空いたらそこに入って撃つという方法です。 -
長篠城史跡資料館の入口に銅像があった、岩瀬忠震についての説明書きです。
やはり地元の誇りなんですね。
設楽原の六ケ村の領主、設楽貞丈の三男で岩瀬家に出されたのですね。 -
幕末の外交官として開国・貿易を推進し、日米修好通商条約の締結に尽力したことで国内外で評価された人物です。
アメリカ総領事ハリスの要求に対し、横浜開港を迫った岩瀬忠震です。
私たちが住む横浜の開港の立役者なんです。 -
長篠城史跡資料館の屋上にやってきました。
ココから見える景色は? -
目の前が家康の本陣があった所なんですね。
-
こちら方面に見えているのは?
-
信長の本陣、馬防柵の再現地が見える?
-
右奥に、馬防柵が見えます!
行きた~い! -
こちらに見えるのは?
武田勝頼の本陣方面なんですね。
長篠城方面でもあります。 -
う~ん。
よくわからないな~
案合図に比べて木々が多くて・・・ -
周辺案内図を確認。
設楽原が、いろはかるたになっていて、巡れるようです。
例えば、、
い 家康が 本陣ここに 八剱山 徳川家康本陣跡
ろ 老将の言 勝頼は 封じたり 名高田前激戦地
は はたぼこと 秀吉陣地の 名を伝う 羽柴秀吉陣地
長篠城史跡資料館をあとにしました。 -
長篠城史跡資料館から車で約5分。
馬防柵にやってきました。 -
長篠・設楽原合戦屏風絵図です。
本物は名古屋の徳川美術館にあります。
長篠城史跡資料館と新城市設楽原歴史資料館で知識を得て来たシニア夫婦は、改めてじっくり見入ってしまいます。 -
これが再現された馬防柵ですね。
-
左に馬防柵。
左から武田の騎馬隊が攻めてきます。
右は弾正山という丘陵地帯です。 -
この馬防柵、設楽原の中央を流れる連吾川沿いに全長2キロメートルに渡って造られました。
-
三重で作られていました。
-
目の前には田んぼが広がっています。
この状況は長篠城の合戦が会った時と同じです。 -
織田・徳川連合軍の鉄砲隊は、この馬防柵から騎馬で攻めて来る武田軍に向けて発砲したのですね。
-
段差をうまく利用して造られた馬防柵です。
-
弾正山という丘陵地帯の下の道路に上がって、そこからの景色を楽しんでみましょう。
-
その少し高い所から見下ろしてみます。
前から武田の騎馬が攻めてきます。
田んぼの真ん中には連吾川があります。
手前の馬防柵から連合軍は鉄砲を放ちました。 -
向こうの山から武田軍の騎馬がやってくるのが、馬防柵越しに良く見えますね。
-
左の方には第二東海自動車道が見えます。
あのあたりまで、連吾川沿いに馬防柵はあったようです。 -
再現された馬防柵は二重になっている所も。
高低差を利用しているので、武田の騎馬隊に向かって、縦に重なって火縄銃を撃つことができました。 -
織田。徳川連合軍側は、鉄砲を放って武田軍がひるんだすきに、ココから足軽隊が柵外に出て攻撃を仕掛け、再び武田軍の騎馬が近づくと足軽隊は柵内に逃げ込んでいたのですね。
そして再び柵の中から鉄砲を放つ。
武田軍はたまったものではなかったでしょうね。 -
万が一外から騎馬が近づいても、入れないようになっています。
出入りできたのは人だけです。 -
少し離れて、武田の騎馬隊の目線になってみました。
左右は田んぼ。
細いあぜ道を進みしかありません。
その先には馬防柵。
その奥には弾正山という丘陵地帯。
お城のように見えますね。 -
これは城攻めのようになってますね。
この地形を利用して、信長と家康はここで武田勝頼を迎え撃ったのですね。 -
このような丸太を岐阜から運んできたというのも面白いですね。
-
馬防柵をあとにします。
-
少し離れた所から馬防柵を眺めます。
田んぼの奥の少し高くなった所に馬防柵。
近づくと鉄砲玉が飛んできます。 -
後ろの弾正山は山城に見えたんだろうな~
-
右奥の馬防柵との間に連吾川が見えます。
小さな細い川ですね。
細い川沿いの両岸に田んぼ。
長篠の合戦の時と状況は同じのようです。 -
細い連吾川の奥に馬防柵が見えます。
これは武田側が見ていた景色ですなんですね。
設楽原をあとにしました。
つづく
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