2017/08/09 - 2017/08/17
125位(同エリア41件中)
H.A.さん
またユジノサハリンスク市内を歩く。昨日は中まで入っていなかった公園まで向かった。公園の入り口には、昨日お邪魔した日本レストランのオーナーの名前を記した碑がある。ずっと前に当地に移り住み、公園に桜を寄贈されたとのことである。広い公園の奥には池があり、その周りを、子供に運転助手や車掌をさせている”子供鉄道”が走っている。休憩し、ゆっくり歩いて帰ると、ひなびた遊園地がある。
昨日も通った通りの近くに、郷土博物館がある。戦前の「樺太庁博物館」だが、自然や歴史の展示がある。日本人探検家の近藤重蔵、最上徳内、そして間宮林蔵の絵もある。なお戦時中の出来事は、ソ連・ロシア寄りの視点で説明されていることは言うまでもない。 この近くには劇場がある。国の端までやってきた大劇作家に敬意を表してか、チェーホフの名を冠している。
駅前に戻る。この駅の横手に「鉄道博物館」があるらしく、探していると、古い建物の2階にある小部屋であった。そこには若い太めのお兄さんが一人で番をしていた。気さくな方で、これもあるあれもあるとあれこれ伝えてくれる。鉄道マニアが喜びそうな展示品がたくさんあり、また戦前の「豊原市街図」もある。ノートには、日本から来た観光客の寄せ書きがあり、サハリンの日本総領事や医務官(medical attache)の方が来られたのか、名刺もあった。
なおサハリンでは、大陸からはトンネルを、日本からは橋をかけて鉄道を通したいという希望がある。数年前まで、駅に日本の新幹線の絵まで飾られていたらしい。実現したら、宗谷本線から稚内を経てサハリン、はては大陸まで行けて楽しそうである。しかし「安全保障」の観点からか、日本側はずっと相手にしていない。すると「北方領土」もロシア側からすれば、日米安保があれば、単純に返せるものでもないだろう。
駅前のバスで、市街南にある墓地に向かう。いくつかめかのバス停を降りると、反対側に広大な墓地がある。ほとんどの墓は、故人の顔の絵が描かれた一人の墓だが、奥のほうで右手にいくと、日本のお寺などが寄進してできた、戦中戦後にここで命を落とした日本人の方々のための、合同の墓がある。同様に朝鮮人の墓もあるが、日本人と異なり、ほとんどの方々が日本や朝鮮半島には帰れず、ロシア国籍となって、今のサハリンの住民の一定の割合を占めている。帰り、ゆっくり歩いて帰った。途中、地元の大学の校舎の一部もあった。そしてホテル近くのスーパーで買い物をして、宿に戻った。
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