2019/07/17 - 2019/07/17
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エフタロウさん
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**サハリン(樺太)旅行(その1)から続く**
17日、ユジノサハリンスク(豊原)の朝は霧が立ち込めていた・・ 朝8時頃に、しばし街中を散策し、旧北海道拓殖銀行豊原支店の建物を見つけて、写真を撮ってホテルに戻ってきた。1930年建立のプレートが掲げられて、どうやら文化財扱いになっており、現在は、サハリン州立美術館の建物として使用されている。
ユジノサハリンスク駅にも入ってみたが、セキュリティは厳しい。ポケットの中のものまで全て出して検査機に通すこととなった。列車の時刻表を見たのだが、何故か全て取り外されているのだよなあ・・
当初、サハリンの列車にも乗ることも考えていて、ドリンスク(落合)やアルセンチェフカ(真縫)あたりまで、出来れば乗ってみようと思っていたが、ハードルが高そうだ・・ということで諦めた。
(追記)
何が起こっているのか、この日は状況が分からなかった。翌日訪れたホルムスク(真岡)で日本時代の狭軌からロシアの広軌へ切り替えを目の当たりにして、翌々日にようやく、その為に列車が止まっていることを悟り、6月1日から3か月間、その切り替え工事の為、北緯48度近くのヴズモーリエ(白浦)駅以南の全ての列車運行が止まっているのを知ったのは帰国後だった。
尚、駅構内のモニターに18時半発の一本が表示されていたので、近距離ローカル列車だと思って、一旦は旅行記に書いたのだが、他の方の旅行記から、それがヴズモーリエ(白浦)駅行きの連絡バスだと分かったので削除訂正しました。列車はヴズモーリエ(白浦)を夜9時頃に出発して、ポロナイスク(敷香)に深夜1時過ぎ、終点のノグリキには翌朝8時頃に到着する。
朝9時半過ぎにユジノサハリンスク市内観光に出発する。まずは、東に1KMほど先にあるサハリン州立郷土博物館に行った。1937年に建てられた旧樺太庁庁舎をそのまま利用している。 開館は10時からだったのだが、丁度10時に着いた。
ここではサハリンの歴史の他、自然、地誌、民俗等についての展示がされており、2階の右側の部屋は、南樺太を日本が統治していた時代の展示となっていた。 北緯50度に置かれた国境を示す石碑が展示されている。 一方には菊の紋章と大日本帝国と書かれていて、裏にはロシア語で多分ロシア帝国と書かれているのだろう。 その他、日本統治時代の地図や写真など展示されていた。撮影可だったので、ここで沢山写真を撮った。
その後、東方向に少し歩くと、北海道センターという6階建てのビルを見つける。在ユジノサハリンスク領事館と北海道事務所が有ったが、警備員が立っており中に入れなかった。
その1階の左側に、サハリン専門の旅行社があったので立ち寄ってみた。日本人向けの現地ツアーもあったが、係員は、英語は出来ても日本語は全く通じない・・ 参考までに真岡(ホルムスク)日帰りツアーの料金を聞いてみたら、なんと25000ルーブル(約45000円)! 団体で人数が増えれば頭割りで安くなるらしいのだが・・一人だとこんな値段になる。(日本語ガイドと運転手付きの専用車を用意することに成るからその位掛かるのだろう・・)
更に東に10分ほど歩くと、かつて樺太神社が建っていた門前に着く。現在は「栄光広場」となっている、旧ソ連の軍人たちの銅像や胸像が建って、奥には戦車も展示されていた。樺太神社参道自体は、途中まで活用されているが、石段も作り直されていて、日本時代の面影は全くないし、鳥居も社殿も残っていない。
道を挟んで南側には、かつて樺太護国神社があった。2012年段階の旅行記には当時の石段が残っていると書かれていたのだが、行ってみたら、こちらも残ってないよ・・ その石段と思しきものが、ユジノサハリンスク市立病院の駐車場と化した跡地に一つだけ無造作に置かれているのを見つけただけだった。
駅前にあるホテルまで2KMを歩いて帰った。途中にロシア正教会の建物があったので写真を撮った。行き交う車を見ていたら、自家用車は大半が右ハンドルだった・・右側通行なのに・・ 日本から相当な数の中古車が入ってきているようだ。
英語表示が出る銀行に立ち寄って、クレカでキャッシングを試してみた。2000ルーブル(約3500円)をいとも簡単に引き出すことが出来た。しかし、これは「借金」なので、帰国早々完済する。
因みに、当初立ち寄った銀行は、ロシア語表記しかなかった。ここでは読めないからATMの操作が難しく諦めた。
13時にホテルに戻ってきて、昼食は、持参のレトルトカレーを電子レンジで温めて食べた。そして14時前に駅前のバスターミナルに行って、コルサコフ(大泊)行きのバスに乗った。日中は約20分おきに頻繁に出ている。値段は135ルーブル。
1時間程でコルサコフのバスターミナルに到着した。数百メートルほど進んだ丘の上に展望台があった。そこからの眺めが素晴らしかったよ! 多分、一生忘れないだろう・・
真正面にかつて稚内と結んでいた稚泊鉄道連絡船の大泊桟橋がみえる。線路は、昔のまんま残っている(使われてはいないようだな・・)。 そして、コルサコフは快晴だったよ! アニワ湾に沿って、サハリンの山々を、宗谷岬と43kmの距離で向かい合う、約80KM先のクリリオン(西能登呂)岬付近まで見渡せたよ。しばし見とれてしまった!
この展望台は「嘆きの丘」と命名され、サハリン残留韓国人の慰霊碑が建っている。サハリンには悲しい歴史があるのだ・・
ここの景色で「満足?」して、コルサコフの市街地までは観光しなかった。そのまま、バスターミナルに戻り、16時過ぎにユジノサハリンスクに向けて帰途に就いた。バス内は、冷房設備は一切ないから結構暑かったよ!(北海道より北に行っても涼しいとは限らないのだよな・・)
バスターミナルで、翌日向かうサハリン西海岸方面のバス時刻表を確認した後、17時過ぎにホテルに戻って来て、その後はノンビリ過ごした。
翌18日は、その西海岸にあるネベリスク(本斗)とホルムスク(真岡)を巡る。
**サハリン(樺太)旅行(その3)に続く**
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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現在は、サハリン州立美術館の建物として使用されている、「旧北海道拓殖銀行豊原支店」。
ユジノサハリンスク駅から北東方向に約5分程歩いたところにある。 -
「旧北海道拓殖銀行豊原支店」の建物に1930年建立とのプレートが付けられていた。
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現在、サハリン州郷土博物館となっている「旧樺太庁庁舎」、1937年に建立。
ユジノサハリンスク駅前のホテルから東へ1KMほど歩いた所にあった。 -
サハリン州郷土博物館の開館時間表、月曜日が休館で、火曜日から日曜日の朝10時開館、18時(土曜日のみ20時)閉館となっている。
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サハリン州郷土博物館内の自然関係の展示の一部。 歴史関係以外にも、地誌、民俗、自然、地学などの展示コーナーもある。
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サハリン州郷土博物館内のサハリン先住民に関しての展示の一部。
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かつて北緯50度線の旧日ソ国境に置かれていた「国境標石」が展示されている。南側は菊の紋章に大日本帝国境界と書かれている。
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その「国境標石」の裏側(北側)は、ロシア帝国の紋章と「ロシア帝国境界」と書かれているのかな?
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「旧日ソ国境」の北緯50度線の地図
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サハリン西海岸の「旧日ソ国境」の北緯50度線。右側(北側)のピレオ(日本名:幌渓=ポロコタン)が、アイヌ居住地の北限だった。(日露戦争後に南樺太が日本領となった際、ピレオが含まれなかったことをアイヌ人たちは残念がったらしい)
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サハリン中央部の「旧日ソ国境」の北緯50度線。右から左(北から南)に幌内川が流れる。ここを1938年に、往年の大女優の岡田嘉子は超えて旧ソ連に亡命したのだな・・
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もう一つ、展示されていた北緯50度線に置かれていた「国境標石」
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日本時代の豊原市の地図が展示されていた。
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日本時代の樺太(サハリン)の展示物(その1)
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日本時代の樺太(サハリン)の展示物(その2)
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1945年8月15日終戦の翌日からの、千島列島の北端「占守島」侵攻の展示(ロシア側からはクリル諸島解放ということになるのか・・)があったから、思わず撮ってしまった。
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郷土博物館から少し東にある「北海道センター」
5階と6階に在ユジノサハリンスク日本領事館が入っており、1階には北海道事務所があったが警備員が立っており入れなかった。左側の旅行社と右側の喫茶スペースだけは入れる。
ここの旅行社で、ホルムスク(真岡)まで日帰り旅行を手配したら幾ら掛かるか聞いてみたが・・25000ルーブル(約45000円)と云われて驚いた。 -
北海道センターの横にあった「HOKKAIDO」という店。どうやら日本料理店らしい・・
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ユジノサハリンスク駅前から東へ2KMほど歩き、旧樺太神社の入口に着く。現在は「栄光広場」となっている。
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かつての樺太神社の参道の石段。銅像が建っている辺りで切れている。造り直されていて、日本時代の面影は全く残っていない。樺太神社の社殿は、さらに奥に写っている建物の裏側にかつてあった。(今は存在しない)
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「栄光広場」から、旧樺太神社の石段を上がった広場には戦車が展示されていた。
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「栄光広場」には、旧ソ連の軍人?の胸像が並べられている。
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栄光広場の南側にある「山の空気展望台(旧旭ヶ丘展望台)」への道から街側(西方向)を写す。右側(北側)に旧樺太神社、左(南側)に旧樺太護国神社があった。
尚、エフタロウは、その展望台までは行かなかった。 -
今は、ユジノサハリンスク市立病院の駐車場となっている、その奥の空き地に、かつて樺太護国神社が建っていた。(今は更地だ)
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市立病院の駐車場内に無造作に置かれた石柱。最近まで参道が残っていたらしい・・たぶんその石段に使われていたのだろうか?
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旧樺太神社(栄光広場)からユジノサハリンスク駅前にあるホテルまでの通りを約2KM歩いて戻る。
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その途中で見つけたロシア正教会の写真
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ユジノサハリンスク駅前広場とレーニナ通り(=レーニンから名付けられている)。ロシアでは、街のメインストリートにこの名を付けることが多い様だ。
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日中のユジノサハリンスク駅の写真、大規模な工事が行われている最中だ。
尚、6月1日から3か月間、日本時代の狭軌からロシア標準の広軌に切り替える工事の為、全ての列車運行がストップしている。 -
ユジノサハリンスク駅、右側(南側)にあるバスターミナル
14時前に、ここからコルサコフ(大泊)行きのバスに乗る。(値段は135ルーブル=約230円)日中は約20分おきにある。 -
ユジノサハリンスクからコルサコフ(大泊)まで42KMでバスで約1時間程の行程だ。 道中で撮った風景写真。原野が広がる。
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コルサコフ市街地に近付いたところで、街並みの写真を撮る。
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15時過ぎに、コルサコフ(大泊)のバスターミナルに到着した。「日本ハム」と書かれた保冷車が走っているよ・・
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数百メートルほど歩いて、コルサコフ(大泊)港を見渡せる丘に登る。ここに展望台がある。
コルサコフ港と市街地の写真を撮る。 -
その展望台から、コルサコフ(大泊)港を望む。 かつて稚内と大泊を結ぶ「鉄道連絡船」が就航していた「大泊桟橋」が真正面に見えるよ! 日本時代の鉄路(狭軌)もそのまま残っている。
天気に恵まれて、アニワ湾の向こうに、サハリン南西部の山並みが見渡せた。 -
かつての「大泊桟橋」の左側の写真。この遥か彼方に北海道の宗谷岬があるのだが、110KM以上離れているため、流石に見えなかった。
しかし、約80KM離れたサハリンの南西端のクリリオン(西能登呂)岬(=宗谷岬から43KM)近くまで、肉眼では見ることが出来たよ! -
この展望台は、「嘆きの丘」とサハリン残留韓国人によって命名されているようだ・・ 記念碑が建っていた。
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その記念碑の標石。韓国語で「日本軍国主義による韓人犠牲者慰霊碑」と書かれている。(その下には、彫刻家の名前と建立日が記されている。)
サハリンには、悲しい歴史があるのだ・・ -
実は、コルサコフでは、トイレに困っていた。バスターミナルにも、この展望台にもトイレがない! その先の建物にあるスーパーマーケットで無理を言って、トイレを貸していただいた。(コーラとアイスクリームを購入した。)
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16時頃、30分程展望台で過ごした後、数百メートル離れたバスターミナルに戻って来た。写真はその道中。
尚、雄大な海の景色を見れただけで満足したので、コルサコフでは、他の観光はせず、直ぐにユジノサハリンスク行きのバスに乗った。 -
コルサコフからユジノサハリンスクに戻るバスの中から、東側の景色を撮る。見えている山は鈴谷岳か皆岸岳か? 分からない。
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ユジノサハリンスクとコルサコフを結ぶ、115番系統のバスの写真。
17時頃にユジノサハリンスク駅前に戻ってきた。
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