2017/08/09 - 2017/08/17
244位(同エリア342件中)
H.A.さん
単線をディーゼル車と1両の客車が走る。客車は4人が向かい合うボックスシートである。まもなく左側(東)は道路の向こうがオホーツク海になる。右側(西)はところどころにあまり高くない山が見える。 線路沿いに、ハマナスやラベンダーみたいな、北の野の花が、無造作に咲いている。 約20分ごとに駅に止まる。ほとんど無人駅だが、小さな町の駅には駅員がいる。そろそろ昼になる。1両とはいえロシアの客車だから、サモワール(湯沸し器)があり、熱湯が出る。それで、カップ麺に湯を入れて食事をとれる。最初はガラガラだった車両に、途中から客が入ってきて雑談している。その頃には列車は少し内陸を走っている。7時間の乗車だが、全く退屈しない。
列車は南部に入り、サハリン西部を走る路線が分岐するアルセンチェフカを過ぎ、ドリンスクも通る。以前はここから東に、スタロドゥプスコエという漁村まで、支線が走っていた。というか、戦前、最初の鉄道路線はそこまでが終点で、栄浜といった。宮沢賢治は、岩手の花巻から北上し、青函連絡船で北海道にいき、稚内から船で当時の樺太にいき、当時の鉄道の終点である栄浜まで旅をしている。農学校の教え子の就職あっせんが目的だが、個人的には、直前に死んだ妹の魂が、北に飛んで行ったと考え、それを追うつもりで行ったらしい。このあたりの原野で一夜を明かし、『銀河鉄道の夜』のイメージをもったといわれる。
北海道のJRは赤字で、路線の廃止が続いている。しかし面積はほぼ同じで、人口は北海道の十分の一で、本数もさらに少なく、幹線でも片道、夜行列車2本、昼行列車が1本程度しかない。しかも運賃は安い。こんな鉄道は独立採算制では全く成り立たないだろうに、国営で維持され、なおかつ線路の幅を、旧日本時代の狭軌から、大陸の広軌に替えようとしているらしい。鉄道を維持しようとする熱意を感じる。
もうユジノサハリンスクについた。ここで駅前のホテルに入り、部屋で一休みしたのち、もういちど駅にいき、最南端のコルサコフに向かう近郊ディーゼル車に乗った。この列車は30年ほど前に日本から輸出されたものである。すぐに街を抜け、ショッピングモールの「シティモール」の横を通り、空港へいく道を超え、少し経つと左手に山、右手に湾がある海沿いに走る。コルサコフは戦前は大泊(おおとまり)といい、稚内との間に稚泊(ちはく)航路があった。近年、日本船籍のハートランドフェリーが夏期に運航していた。乗用車で行けばドライブに、バイクで行けばツーリングにいけた。しかし3年ほど前に、旅客が少なく廃止になり、その後ロシア船籍の小型船が、夏に運航するようになった。自転車なら積めるそうである。港が見えて、終点の一つ前の駅でおり、少し街を見てから、また駅に戻り、折り返してきた列車に乗ってユジノサハリンスクに戻った。
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