2017/08/09 - 2017/08/17
115位(同エリア151件中)
H.A.さん
戦前にあった南北サハリンの境界を過ぎ、暗いなか、左手にポロナイ川がちらっと見えてまもなくついた。戦前の日本時代は敷香(シスカ)町という地名だったが、ポロナイスクという名前も、ポロナイ川(幌内川)に由来する。戦前、鉄道駅は当初、町の中心部に終着駅として作られた。その後鉄道が北に延長されたが、ここから折り返しで北に向かった。しかし今は郊外にそのまま北に迎える新しい駅ができたので、新駅から町の中心部まで、2㎞ほど歩くことになった。なお、来るまではここから午前11時発の昼間のバスでユジノサハリンスクまで帰るつもりだったが、バスチケットを買っておらず、乗れるかどうかわからなかったことと、狭いバスで5時間も乗るより列車に7時間乗るほうがよいと思い、翌朝ある唯一の昼間の列車チケットを買った。
30分ほど歩き、街の中心部にある唯一のホテルに着いた。フロントで、レギストラーチア(registration)はまだかと聞かれ、ここがサハリンで初めて泊まるホテルだと伝えた。ロシア旅行では、どこに宿泊したか、ホテルを通じて役所に登録される。それはともかく、旅行会社を通じて予約したが、町の唯一の宿では、予約代は宿代に上乗せされ、かえって高くなっている。このホテルは、wi-fiはないようだ。実は今年初めてスマホを購入して持ってきたが、simカードを入れていないので、国外では電話しか使えない。しかしそもそもサハリンでは、free wi-fiエリアは少ない。すぐにシャワーを浴びて寝た。
翌朝簡素な食事を済ませ、フロントで、大鵬像の場所を聞くと、近くだったので歩いて探しに行った。昭和の大横綱で、初めて一代年寄となった大鵬は、あまり知られていないが、戦前、この町(旧敷香町)で生まれた、近年、生家跡に銅像が建てられた。それを見ることも今回の大きな目的だった。像は海辺にも近い、町の中心近く、幼稚園の隣にあった。あまり似ていない。第48代横綱 大鵬幸喜とだけ記されている。事績が何も書かれていないので、地元の人々は、この人がどれほどの存在だったか、わかるのだろうか。そこから近くの海まで団地の間を通り、砂浜を抜けていった。オホーツク海に通じる湾である。子供時代の彼は、この荒海の風に吹かれて育ったのだろう。
彼は”ハーフ”で、父親はウクライナ系ロシア人だったが、戦時中に生き別れてしまう。 母子は戦後北海道弟子屈町に引き上げ、そこが出身地とされた。 思えば、戦後のスポーツヒーローである大鵬、野球の王貞治、プロレスの力道山は、皆純粋な日本人ではない。こうした人たちが私たちをわくわくさせていたのを思うと、最近、やたらと”日本出身”、”日本人”などが強調されるのはどうかと思うのである。
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