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 葛原ヶ岡ハイキングコースには、「竺僊梵僊和尚顕彰碑」と傍には五重石塔と「天柱峰」の石碑が建っている。竺僊梵僊和尚(じくせんぼんせんおしょう)(1292年~1348年)とは元(中国)の臨済宗の僧で、元徳元年(1329年)に請われて、明極楚俊(みんきそしゆん)に随伴して日本に渡来した。明極が建長寺に入寺すると、その首座(しゆそ)を務め、のち浄智寺、浄妙寺、南禅寺、建長寺などに住した。竺僊梵僊和尚はこの山頂を天柱峰と名付けた。<br /> このあたりはまだ浄智寺の境内(裏山)なのだろう。天柱峰(標高97メートル)とは山号である金峰山の頂ということであろうか。この丘を愛した竺僊梵僊和尚が名付けたとさている。「天柱」とは「世を支える道義」という意味である。竺僊梵僊和尚は、ここからの景色を愛し、麓を終焉の地と定めて塔所「楞伽院」(りょうがいん)を構えて、詩文集「天柱集」を著した。<br />(表紙写真は竺僊梵僊和尚顕彰碑)

天柱峰碑

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2018/09/01 - 2018/09/01

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 葛原ヶ岡ハイキングコースには、「竺僊梵僊和尚顕彰碑」と傍には五重石塔と「天柱峰」の石碑が建っている。竺僊梵僊和尚(じくせんぼんせんおしょう)(1292年~1348年)とは元(中国)の臨済宗の僧で、元徳元年(1329年)に請われて、明極楚俊(みんきそしゆん)に随伴して日本に渡来した。明極が建長寺に入寺すると、その首座(しゆそ)を務め、のち浄智寺、浄妙寺、南禅寺、建長寺などに住した。竺僊梵僊和尚はこの山頂を天柱峰と名付けた。
 このあたりはまだ浄智寺の境内(裏山)なのだろう。天柱峰(標高97メートル)とは山号である金峰山の頂ということであろうか。この丘を愛した竺僊梵僊和尚が名付けたとさている。「天柱」とは「世を支える道義」という意味である。竺僊梵僊和尚は、ここからの景色を愛し、麓を終焉の地と定めて塔所「楞伽院」(りょうがいん)を構えて、詩文集「天柱集」を著した。
(表紙写真は竺僊梵僊和尚顕彰碑)

  • 「竺僊梵僊和尚顕彰碑」(昭和16年(1941年)銘)。<br /><br />「笠僊梵僊和尚は元の来朝僧なり 建武元年 浄智の詔を受け 天柱峯下に楞伽院を剏し 興国二年 旨を奉じて南禅に住す 正平三年 病を以て事を謝し 再び楞伽院に回りて寂す 全身を最勝塔に 葬る 語録天柱集は五山文学の白眉と称せらる<br />楞伽院常住 笠僊」。

    「竺僊梵僊和尚顕彰碑」(昭和16年(1941年)銘)。

    「笠僊梵僊和尚は元の来朝僧なり 建武元年 浄智の詔を受け 天柱峯下に楞伽院を剏し 興国二年 旨を奉じて南禅に住す 正平三年 病を以て事を謝し 再び楞伽院に回りて寂す 全身を最勝塔に 葬る 語録天柱集は五山文学の白眉と称せらる
    楞伽院常住 笠僊」。

  • 「紀元二千六百年七月十六日」。<br />「竺僊梵僊和尚顕彰碑」は592回忌に建てられたが、紀元2600年ということで建立されたのだろう。

    「紀元二千六百年七月十六日」。
    「竺僊梵僊和尚顕彰碑」は592回忌に建てられたが、紀元2600年ということで建立されたのだろう。

  • 「天柱峰」石標。後ろに供養五重石塔。

    「天柱峰」石標。後ろに供養五重石塔。

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