2018/07/12 - 2018/07/13
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ミズ旅撮る人さん
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2018年7月、北海道のSLを訪ねる最後の旅をしました。今回で、現在見ることの出来る車輛のすべてを訪ね終わります。
第4回目は、道東・中標津からオホーツク海沿岸を西に向かって網走に行きます。
標津郡中標津町・斜里郡斜里町・斜里郡清里町・網走郡美幌町・常呂郡佐呂間町のSLを訪ねます。
この付近には、今回訪れた5輌のSLの他にもSLはあるのですが、以前訪れているので割愛しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2020年から知床ナンバーが出来ます。
対象地域は、羅臼町・斜里町・小清水町・清里町・標津町・中標津町・別海町です。
現在、図案を選定中です。知床の風景を取り入れた素敵な図柄になることでしょう。見られるのが楽しみです。 -
トドワラで有名な野付半島から真西に少し行ったところに中標津町があります。
SLのある丸山公園は、街の中心部から少し北に外れた中標津町役場の真ん前にあります。
茶色い建物が、中標津町役場です。 -
園内には、中標津町郷土館があり、かつて中標津町に鉄道が走っていた頃の資料も展示されています。
入場は無料です。中標津町郷土館 美術館・博物館
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C11209のプレートがあります。
手提合図灯。カンテラの側面に覆いをし、一方向にだけ窓を開けてその灯りを合図に使いました。
中標津駅があった場所には、中標津交通センターが建ち、隣にバスターミナルがあります。中標津町郷土館 美術館・博物館
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とても広い丸山公園の駐車場のそばに、腕木信号らと共にSLはありました。
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C11209です。このプレートは、先程、郷土館の中で見ました。
車体に付いているのはレプリカなんですね。 -
C11209。昭和17年1月11日日立製作笠戸工場製造。昭和49年11月15日廃車。
静内機関区・釧路機関区に所属。標津線の貨物輸送に携わっていました。 -
説明看板です。
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だいぶ傷みが見られますが、綺麗に塗装し直されていて、なかなか綺麗です。
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標津線は1933年12月1日開業、1989(平成元)年4月30日に廃線となりました。
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標茶から多和・泉川・光進・西春別・上春別・計根別(けねべつ)・開栄・当幌・中標津・上武佐・川北・根室標津の約70kmの本線と、
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中標津から分岐して協和・春別・平糸・別海・奥行臼・厚床(あっとこ)に向かう50km弱の支線の2系統がありました。
中標津はターミナル駅としてにぎわっていました。 -
運転席には入れません。
中標津からは標茶に向かうと釧網本線に合流して釧路へ、厚床に向かうと根室本線に合流して根室へ行かれました。交通上の重要な分岐点でした。
それは今でも同じで、長距離バス路線の重要なターミナルとなっています。 -
中標津町から斜里町に入ります。
ここから斜里の町までは24km、網走までは63kmです。 -
斜里町役場の向かいにある「斜里町公民館ゆめホール知床」の脇にSLはあります。
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イチオシ
澄み切った青空と白樺が美しい広場の一角に、ぽつんとSL。
如何にも北海道らしい風景です。 -
かなり古そうなSLが、取り残されています。
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ここは、斜里町本町。JR釧網本線の知床斜里駅があります。
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左に見えるのが「斜里町公民館ゆめホール知床」です。
石炭車の上にビニールハウスの骨組みのようなものがあります。
冬季にビニールシートで覆う時の支柱なのかな?
でも、雪の重みで潰れるから違う用途があるんでしょうね。 -
運転席は厳重に檻で囲われ、中の様子は伺い知れません。
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59683。9600型の製造番号584号機。
(9600型は1号機が9600のため、1番ずつ製造番号がずれます) -
説明板に来歴などが詳しく書かれています。
大正11年木曽福島から始まり、昭和8年からは北海道の倶知安・長万部・滝川・帯広・広尾機関区に所属。昭和50年廃車。
知床斜里駅の所属である釧路機関区(現釧路運輸車両所)だったことはないんですね。 -
説明板にあるように、煙突が短いです。
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運転席に上る階段に、滑り止めの生地の名残がありました。在りし日の残像を届けてくれます。
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SL愛好者による整備を受けた車体ということで、足回りは若干錆が出ていますが、綺麗です。
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そして、しっかり塗られている割に、個体番号がそちこちに見られるのが嬉しいです。
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13.5、14.5。この数字が何かの調整のために個別に必要らしく、どのSLにもあったのですが、実物のプレートが残っていることは、ごく稀です。
それでもこうして書き記してくれているのには、意味があるのでしょう。
この車体の個性・プロフィールのようなものなんですね。
SLの運転に携わったことのある方の話では、SLは車体ごとに個性があって、利かん気・気まぐれ・暴れん坊、いろいろなタイプがあったということです。
それらを手懐けて、駆使するのは大変だけど楽しかったと言います。
だからこそ愛着が湧くんでしょうね。 -
斜里町から少し南下して、清里町に向かいます。斜里岳とジャガイモ畑。北海道気分満喫です。
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「日本で最も美しい村 清里町」
「きよさと観光協会」のHPのトップには「神の子池」の写真があるのですが、これにカーソルを当てると水面に波紋が現れて、とても綺麗です。
https://www.kiyosatokankou.com/index.html -
イチオシ
美しい斜里岳を背景に、屋根をつけてもらったSLがありました。
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ここは、JR釧網本線の清里町駅から少し南の、清里中学校・高校のそばにある羽衣児童公園です。
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ご覧の通り、すっかり柵に囲まれて隙がありません。
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C5833。C58の初期型です。
1938年川崎造船製造。1975年廃車。 -
門鉄デフ(除煙板)に「JNR」、日本国有鉄道(Japanese National Railways)のマークがあります。
ところがこのデフ、実は門鉄デフではないそうで、後藤式デフなんだそうです。
1973年頃に、C58385が廃車となった際に、このデフレクターを交換してもらいました。この時にJNRのマークがつけられたようです。それまでは標準デフを装着していたそうです。
後藤式デフとは、後藤工場デフレクターのことです。山陰本線にあった後藤工場で保守していた蒸気機関車に取り付けられていた独特のデフレクターなんだそうで、門鉄デフ(門司鉄道管理局式デフレクター)より、板部が大きいようです。 -
窓も扉もギッチリ閉められています。
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こちら側の扉は開いていますが、柵があるので、やはり中に入ることは出来ません。
窓の下に、丸い輪っかのようなものがあります。タブレットを受け取るための装置です。
単線区間では、列車同士の正面衝突を避けるため、タブレットを保有する車両以外は進入禁止となります。
この区間に入る時に、金属の塊であるタブレットを丸い輪っかの容れ物に装着し、機関車はそれをこの装置に引っかけて受け取るのです。 -
黒・金・赤。珍しい色の取り合わせで塗られています。
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L C5833。Lは左側の意味です。SLは解体修理をする際に、他の車体の部品と混同してしまうと支障があるので、部品それぞれに個体番号が刻まれています。
これを見ていると、たまに他の車体の部品を流用しているのがわかって興味深いです。
これぞ手作り品の醍醐味。 -
金色の部品にもC5833。これにはRもLもありません。
その上の黒い部品の上部には、個体番号が二重打ちされています。どうしたんでしょう? -
C58は、釧路機関区の主力機関車だったそうです。
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石炭車の側面に、ひどいいたずらがされていました。だからこんな柵ができたのかな?
場所によっては、機関車全体をすっぽり囲む鉄格子が設置されているところもあります。
「籠の鳥」のSLに誰が興味をもつでしょう?これ以上、この柵が大きくなりませんように。 -
最後に斜里岳の頂上が顔を出したので、ラストショットです。
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斜里岳と小麦畑。7月の北海道は麦畑が実っています。品種によってこれからの所、既に刈り取った所、様々です。
ジャガイモですら、白い花と紫色の花とがあるように、麦は実に色々なものが栽培されています。
ろくに知識を持たなくても、これだけ麦畑を見れば違いがわかります。 -
イチオシ
ああ、北海道の空って、なんてダイナミックなんだろう。
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網走郡美幌町。町役場より少し南東にある柏ケ丘公園。真横に美幌町スポーツセンターがあります。
8km程北に女満別空港があり、10km西には北見があります。 -
この公園にSLがあるのですが、何故か消防車が集結。火事ではなさそうなのに???
日中は忙しいからなのか、こんな夕暮れ時から消防訓練をしていました。
よりによって、SLの真横で訓練。立入禁止にならなかっただけ、マシなのか? -
消防士たちの掛け声を横で聞きながら、撮影します。
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C5882。昭和13年9月10日汽車製造。走行距離2,460,642km。
昭和48年5月13日最後の貨物牽引。廃車。 -
説明板です。
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石北本線の遠軽~網走間を走っていたというので、この公園に近い美幌駅を通っていたSLです。
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屋根の支柱があるので撮りにくいです。所属機関区の表示などは一切ありません。
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石炭車の側面の塗装が浮き上がって剥がれ始めています。
これが無ければ、結構状態は良く見えるのですが。 -
石炭車の上に上る梯子が、途中切れています。もともと無かったのか、何かの理由で切り取られたのか。
さっき見たC5833は上下繋がっていました。 -
足回りは綺麗に塗装されています。
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ここに1か所だけ個体番号が見えます。
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個体番号の下にも何か刻まれています。
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これは「お宝発見!」の気分。
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雪除け板の表面に「C-82」の文字が。Cは62までしか製造されていない筈なんですが。
むしろC5882の意味?SLは、それぞれの車体に小さな疑問を秘めています。 -
暗くなってしまいましたが、SLと消防自動車のコラボレーションで、今日は終わります。
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翌日、サロマ湖に向かいます。
佐呂間町は酪農の町でもあります。平成25年の人口は5,770人なのに対して、乳牛は8,700頭、肉牛が16,000頭いるそうです。
集められた牛乳は、森永乳業佐呂間工場に集約され、全国に出荷されているそうです。(佐呂間町役場のHPより)
このサイロのあるトップファームは、ここで肉牛を主に育てています。 -
サロマ湖畔には、計呂地(けろち)に交通公園があり、C58139とスハ4517、オハ6291の編成で保存されています。
ここには2010年に訪れているので、今回は割愛します。 -
常呂郡佐呂間町永代町にある「佐呂間町交通公園」です。Aコープのすぐ裏手になります。
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これまで小型のC11やC58などを見て来たので、久しぶりのD51は大きく見えます。
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黒光りしているD51。う~ん、嬉しいなあ。
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佐呂間町のHPに交通公園の設備について、たいへん詳しく記述があります。
http://www.town.saroma.hokkaido.jp/shoukai/rekishi.html
旧湧網線(中湧別~網走)の佐呂間駅周辺跡地を活用して「佐呂間町交通公園」を設置しました。
湧網線は、昭和10年10月10日網走~常呂間が開通、10月20日中湧別~計呂地間が開通(西湧網線)、11年10月17日計呂地~中佐呂間間が開通(東湧網線)、28年 10月22日ようやく湧網線は全線開通しました。同時に中佐呂間駅を佐呂間駅に改称。
昭和50年 6月 8日SLが最終運行し、62年 3月19日国鉄湧網線は廃止されました。
平成元年11月1日佐呂間町交通公園が完成しました。 -
佐呂間町のHPより
<蒸気機関車の移譲経過>
平成元年4月 株式会社オオウラを通じて車両を探す
函館亀田農協が所有して、函館市内の公園に展示しているものの管理が行き届かず、JRに返還したい車両を確認する
6月 亀田農協が車両のJR返還を決定する
6月14日 佐呂間町よりJR北海道へ車両譲渡申請
7月10日 蒸気機関車(D51565)1両 JR北海道より購入
売買契約金額 2,350,000円
7月24日 蒸気機関車修復運搬展示委託委託契約締結
契約先:株式会社オオウラ
契約金額:14,935,000円
8月25日 函館市より佐呂間交通公園へ蒸気機関車搬入 -
平成元年6月13日 払下車両3両輸送実行(旭川駅構内~佐呂間町交通公園)
旭川発 6月12日午後9時
佐呂間着 6月13日午前3時
委託業者:日本通運株式会社旭川支店
委託費用:3,789,370円
8月31日 車両塗装工事完了
実施業者:五十嵐塗工部
契約金額:580,920円
ここまで詳細に明記されているHPは初めてです。官公庁の鑑!
HPには、当時の写真なども掲載されています。 -
説明板は、意外と簡略化されています。
ディーゼル機関車:型式 DE10 総重量65t 全長14m 1両
※湧網線貨物牽引走行車両
荷便車:型式 スユニ-50517 総重量29.5t 全長20m 1両
車掌車:型式 ヨ-8000 総重量10t 全長7.2m 1両 -
運転席は、ちょっとこだわった塗装になっています。交通公園だから子供向けにしたのかな?
装備品は、HPにある函館で放置されていた時の写真からすると、よくこの状態であったものだと思います。 -
本当によく復元されています。
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足回り。個体番号がハッキリ見えます。たくさんの部品に、番号を見ることが出来ます。
SLは、1輌ごとに手作りなので、同じD51でもそれぞれ違いがあります。
創意工夫の結果の改良だけでなく、個体番号のある場所も個体差があるようです。
このD51565は、意外な場所に番号を見つけられるので、楽しいです。 -
マニアックな方向け。これはどこの部品でしょう?しかもD51914です。こんなところの部品も流用したんですね。
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石炭車もしっかり整備されています。
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郵便車。旭川所属だったんですね。
かつては、貨物列車の中に混じっていました。
宅配便のない時代には、駅から駅への「チッキ」と呼ばれる「鉄道による託送手荷物」がありました。
もっとも、これは郵政省の仕事ではないので、郵便車には載っていなかったのでしょう。
「いすみ鉄道(千葉県) 社長ブログ」にチッキについて、詳しい話が書かれています。
http://isumi.rail.shop-pro.jp/?eid=2377 -
郵便車の内部を覗いてみました。
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スユニ50の後ろに「ヨ」が繋がれています。
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貨物輸送の列車の中で一番人気の車掌車です。何故かいつも真っ黒なんですが、地味な働き者です。
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この交通公園は、なかなか贅沢なコレクションを保有していて、SL・郵便車・車掌車の他にDE10まであります。
サロマ湖畔の計呂地(けろち)にもSLと列車の編成があり、佐呂間町は鉄道ファンには重要な地となっています。 -
DE101167。DE10は、昭和41(1966)年に登場した国鉄のディーゼル機関車。
JR九州に所属するDE10は全車が黒色塗装となっていて、デッキ手すりがオレンジと黄色の2タイプがあります。 -
公園の別の一角に、蒸気機関車の動輪がありました。佐呂間町HPより。
取得:昭和62年7月31日購入
大正4年製造 9600型 一対
購入先:旭川市 古美術・古民具の店
金額:350,000円 -
交通公園には、鉄道記念館があります。
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しかし、開放されていないので、片平食堂に申し出る必要があります。
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中を覗いてみます。
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かつての路線図が掲げられています。ここは、かつての佐呂間駅跡地です。
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手前のショーケースには、タブレットとそれを収納する輪のついた入れ物があります。
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佐呂間から西に移動し、遠軽(えんがる)町に来ました。
町の中心にある県道244号線が通行止めになっていました。 -
湧別川に架かるいわね大橋(全長336m)の橋脚が、濁流により沈下して橋が折れました。
2018年7月4日8時55分より通行止めになっています。約2ヵ月たった現在でも、遠軽町HPでは通行止めのお知らせしか掲載がなく、復旧の見込みは立っていないようです。 -
左方向に行くと、遠軽駅に突き当たります。
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遠軽には、国道242号線からすぐのところに「瞰望岩(がんぼういわ)」と呼ばれる大岩が丘の上に乗っかっています。
その真下にSLがあります。「2013年北海道3(遠軽・丸瀬布・名寄)」で紹介しました。
2006年から北海道のSLを訪ねて来ました。2018年にとうとう、そのすべてを訪ね終わりました。
いつか、これらのすべての記録を掲載できればと思います。
今回の旅は、この後「森林鉄道雨宮21号」に乗車して終わりました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- gontaさん 2018/09/02 11:31:57
- タブレット交換
- 小さいころ通過列車の機関助手が身を乗り出しホーム入口のタブレット渡し機にヒョイと、、、ぐるぐると廻りながら落ちていきました。
ホーム出口でもやはり腕を伸ばしてタブレットを肩に上手に掛けて受け取る姿がありました。
何処の区間か想い出せないのが残念です。
- ミズ旅撮る人さん からの返信 2018/09/03 08:49:24
- RE: タブレット交換
- 旅行記をお読みいただき、ありがとうございました。
私自身はタブレット交換を見たことはありません。SLを見て回るようになって、窓の下にあるものは何?というところから、タブレットの仕組みを知りました。
北海道では、安平町や富良野などで実際に機関士の経験のある方から教えていただき、苗穂工場や各所の交通博物館などで閉塞機を見ました。
SLを訪ねる旅は、これまで知らなかった鉄道に携わる人々の苦労と、それを支えて来た誇りを教えてくれました。
すべての部品が手作りだった蒸気機関車。想像もつかないくらい多くの人の手を経て、生み出される作品。それを動かす人、それを保守する人、たくさんの努力があって鉄道は走る。
よき昭和の時代の象徴だと思います。
パソコンで検索すれば何でも見られる便利な時代ですが、自分で調べて、実際に訪れ、また現地で新しい発見をする。それがやはり一番楽しいです。
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