丹波立杭焼の窯元巡りから篠山城下と宝塚・池田市街の散策(三日目・完)~意外な楽しさの宝塚、清荒神清澄寺から小林一三の池田市へ。一流の財界人でもあり、一流の数寄者でもあるの最右翼はやっぱり小林一三。逸翁美術館に小林一三記念館は今でも聖地の風格です~
2018/02/25 - 2018/02/25
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今日は、三日間の旅の最終日。今日の目玉は小林一三の関係です。
小林一三は、阪急グループの創業者。宝塚歌劇団を作ったことでも同じくらい有名でしょう。こうしたキャリアからすると関西にゆかりが深いのですが、実は、明治6年、山梨県の韮崎市生まれなんですね。
三井銀行勤務からスタートし、大阪の証券会社の支配人へ。しかし、証券会社の話は恐慌によって立ち消えとなり、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の専務となって、再スタート。今では当たり前となっていますが、鉄道の沿線を開発することで乗客を増やす手法を考案し、大成功。宝塚歌劇団もその一環です。他方、美術品やお茶、能といった伝統文化にも傾注し、財界人であり一流の数寄者、文化人でもあるというスタイルを貫き、そのスタイルの草分けこそが小林一三というのは誰しも認めることだと思います。
財界人であり文化人でもあるというのは、その後だと大原美術館の大原孫三郎、五島美術館の五島慶太、出光美術館の出光佐三、根津美術館の根津嘉一郎、松方コレクションの松方幸次郎。安宅コレクションの安宅英一や藤田美術館の藤田傳三郎。野村証券の野村徳七もその一人と言っていいでしょう。
これらの人々がどれだけ日本文化の彩りを豊かにしてくれたか。それを思うとそれ自体とても素晴らしいことなんですが、一方で、人間の欲を考えた時にこれは何になるのか。美術品が欲しいというのは物欲なんでしょうが、むしろ、これはコレクションを通じて、自分の審美眼を極限まで高めて行きたいという純粋な自己実現の欲求でもある。歴史的には足利義政や後水尾天皇など、むしろ、現実の権力闘争に敗れた人たちが向かう道の一つでもあるのかもしれませんが、こうした人たちは現実の世界でも成功者。むしろ現実の世界の成功だけでは満足できず、美術の世界に目を開くことでより高いレベルの喜びを得たとも言えるかも。そう考えると美術品を楽しむというのはいかに贅沢な喜びの世界なのか。それを小林一三は強い信念で示してくれたように思うのですが、いかがでしょうか。
ほか、これに先立って、宝塚では清荒神と中山寺も訪ねます。
ちなみに、清荒神清澄寺は、真言三宝宗の大本山であり、摂津国八十八箇所第72番。地元では、荒神さんと親しまれるお寺です。
最寄駅は、阪急宝塚線の清荒神駅。そこからだらだらと山道の参道が続きますが、両側にはたくさんのお店が並んで、私的には金比羅さんの雰囲気に似ているように思いました。その参道だけでも文句なく楽しめると思います。
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早朝ホテルを出発して、まずは三田の市街を散策します。
三田市内を流れるのは武庫川です。 -
三田駅から三田城の方に向かって10分くらい行ったところに建つのは旧九鬼家住宅資料館。鉄道建築技師として多くの鉄道建設を手がけた九鬼?・範の生家を資料館にしたものです。
ただ、見どころは、明治9年に建てられたこの擬洋風建築。二階部分が総しっくい。ベランダが少しついているのもおしゃれです。 -
三田城跡もそこからすぐ。兵庫県立有馬高等学校に向かって上がって行く坂の途中に大きな石碑が建っています。
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城跡はそこから高校全体の敷地に及んでいて、高校の外周は土塁の跡のような形状であり、それなりの規模であったことが窺えます。
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なお、三田城は、信長に仕え毛利の水軍を破った九鬼水軍の九鬼家。志摩鳥羽藩の第2代藩主であった九鬼久隆が国替えとなって入りました。しかし、この地では水軍でならした九鬼氏は丘に上がったカッパのようなもの。徳川幕府の冷たい仕打ちの一つと考えてほぼ間違いないと思います。
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少し歩いて。
心月院は、三田藩主、九鬼家の菩提寺。市街中心部からゆるゆるとした坂を上った先です。 -
いかめしい総門から入って、
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境内奥に一族の墓地があって、まあまあの大名墓地。3万石程度の大名なので、こんなものかなあという感じです。
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三田天満神社は、さらに先。歩ける範囲としてはここら辺りが限界かなという感じです。
高台のような見晴らしのいい丘の上。 -
境内も楼門から本殿となかなかの構えですが、江戸時代は、九鬼氏の祈願所だったという由緒を知れば、なるほどという感じ。近くの人がポツポツやってくるし、今でも大事にされているようです。
さて、三田市街はこれでおしまい。
宝塚に移動します。 -
宝塚駅からは、清荒神清澄寺へ。ちょうどいい具合に直行バスがあったので、それを利用することにしました。これは助かります。
なお、清荒神清澄寺は、通称「きよしこうじん」。清澄寺の方の名前を行っても地元では通じません。 -
ほどなく清荒神清澄寺に到着です。
この山門は、1891年築。両側は筋塀の真ん中に黒塗りの瓦をいただく正統の四脚門です。ただ、大きさはさほどでもないし、奥に見えている伽藍の方が気になるしで、この門自体に注意を向ける人は少ないとは思います。 -
正面に見えているのは本堂ですが、ここから左手に折れて進むのが順路です。
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この修行太子像は、山門を入って少し進んだ左手。錫杖と鉄鉢を手に諸国を巡歴する行脚姿の弘法大師の像。この立像があるとここが真言宗の寺であることを改めて思い出す感じ。黒いヌメっとした光沢で、古いものではないように思いますが、駒札も建っていて注目ポイントの一つであることを示しています。
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ここから拝殿、護法堂へと進みます。
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眷属堂は拝殿の奥ですが、拝殿の前鳥居の脇、神社ならこま犬がいる場所に大きな布袋像が2体並んでいます。弘法大師の寺に何で布袋様?という気はしないでもないですが、お腹の大きな体型と微笑みをたたえた表情はやっぱり心を和ませてくれる。この像も清荒神が親しみやすい寺となっていることに一役買っているように思います。
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これが拝殿です。
こちらには、三宝荒神王、大聖歓喜天、十一面観世音菩薩他を祀るもの。ちなみに、三宝荒神は仏法僧の三宝を守護し、不浄を厭離する仏神。清荒神清澄寺の拝観ルートはまずこの拝殿にお参りするところから始まります。 -
拝殿の奥が護法堂。正面に大勝金剛転輪王、右に歓喜童子、左に弁才天が祀られています。ただ、最初に目を引くのは建物のデザイン。向拝が長く突き出ていて、勿体をつけた感じ。拝殿よりも小さいですが、ずっと迫力があるように思います。
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護法堂の裏側にあるのは荒神影向の榊。
鉄の柵の中にあります。なあんだそれだけかと思ったら、その柵の中に落ちているお賽銭を木の棒で寄せて取っている人がいる。それはお賽銭泥棒ではなくて、そうやって預かったお賽銭を今度来た時には二倍にして返すということなんです。なるほど、まったく面白い作法ですね。 -
護法堂の裏手にある小さな祠は、眼神祠。かつては清水が湧き出していて、参詣の人は柄杓でその水を汲み、眼を洗ったりしたというところ。今では、その名前からして、何か目にご利益があるのかなあと思うだけの祠です。
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その並びには火箸納所も。
厄年にお祀りしていた厄除け火箸を、厄が明けた年の節分以降に納める所です。
役目を終えた大量の火箸が積み上げられていて、ちょっと圧巻。いかに多くの人がお参りしたのかを想像するとその凄さがまた分かります。 -
そこから山側の順路を進んで本堂へ。
現在の建物は、開創千百年記念事業として、平成元年より5年の歳月を掛けて建てられたもの。大きさや意匠の素晴らしさとかそれほどの建物とは思えない。むしろ落ち着いたたたずまいといった方がいいでしょう。
正面には本尊大日如来。真言宗でいうところの世界の中心が祀られています。 -
本堂から石段を降りてくる右手に広がるのが、ちょっと知られた清荒神清澄寺の池苑という庭。
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イチオシ
江戸時代前期に作られたどちらかといえばコンパクトな池泉観賞式庭園。よく見ると池泉を中心に意外にぎっしりと豪華な石組。池畔にはもともと書院があって、そこから眺める庭園だったようです。
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一願地蔵尊は、池苑の向かい側。青銅製の立像で、地蔵様にしては錫杖も光背も豪華な造り。なんでも願い事を一つだけは叶えてくれるというのですが、このいでたちはもっと力を秘めているような印象。青空のもと、すっくと立っています。
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この後、池苑のほとりに建つ資料館では、「荒川豊藏 美濃古陶の再現と創造」という企画展を拝見。
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ちなみに、荒川豊藏は、美濃焼の人間国宝。住職と親しい関係だったことから、氏の作品を当寺が多く所有することになったのだそうです。志野焼は薄い釉薬の下から浮かび上がる絵文様が特徴。数は少ないですが粒揃いの作品を楽しませてもらいました。
清荒神清澄寺は以上ですが、実はこの後の清荒神駅まで下っていく参道散策もとっても楽しいんですね。 -
ぶらぶら歩いて、ここから目ぼしいお店をチェックしましょう。
まずは小やきや。 -
これは餡子入りの小さな草餅を焼いたもの。ヨモギの香りがすごくするし、餡子の甘さもいいですよね。その場で食べるのに、経木で包んでくれましたが、その経木の木の香りがまたまたいい。これは清荒神の名物に間違いなしだと思います。
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宝玉堂は、荒神せんべいのお店。ちょっと試食させてもらったひまわりのタネ入りの小麦粉の煎餅。口に入れると程よく壊れて、優しい味わい。抜群にうまいですね。
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いくつも種類がありますが、これが一番人気なんだそう。迷わず、それをお土産にしました。ただ、500円だともう少し量があってもいいのかなとは思います。
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イチオシ
ほか、赤い鮮やかな包装紙も旅のお土産風でとてもいいと思います。
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これはあづまやさん。店頭に料理をたくさん並べていて、清荒神の参道の食堂ではけっこう目立っていると思います。朝早くから開いていたので、早い時間の昼飯にしてみました。
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いただいたのは、バラ寿しとうどんのセット。バラ寿しの方が名物のようでしたが、優しい金糸卵の味わいがなかなか。店内も広いし、うどんも柔らかめ。店内でちょっとほっこりさせてもらいました。
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参福は、ごまどうふが名物のようで、それをいただきました。
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ごまどうふには、
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黒いタレが付いていて、黒蜜なのかなとか想像していたのですが、みりん醤油のようなタレ。そのまま掛けていただきましたが、正直、このタレはイマイチでしょう。
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その後、今度は鍋に入れてポン酢でいただきましたが、ゴマの香りがしっかりしていてこの方がちゃんとうまい。しかし、黒蜜で食べたらどうなるんだろう。今でもちょっと気がかりです。
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さらに下ってきて。
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日乃出庵は、お餅のお店。
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おばちゃんが何人かで一生懸命手作りしています。
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イチオシ
いただいたのは、草餅。作りたてのふっくら草餅はヨモギの香りがいいですね。特別うまいというほどではありませんが、まがい物は一切使っていないという安心感があるのもいいところ。食べ歩きにも便利です。
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三宝堂は、名物「ゆず最中」の店として、それなりに知られたお店。
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バラでお願いすると「はいどうぞ」と木箱を開けてくれました。柚子の香りがなかなかいい。ほとんどこれ一本で商売している専門店。さすがといった上品なお味です。
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竹林堂は、炭酸煎餅のお店。炭酸煎餅って、温泉街とかによくありますよねと話したら、ここは宝塚。温泉もあるんですの答え。なるほどねと納得しました。
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炭酸煎餅の切れ端を袋に入れたお得なのがあって、それをいただきました。けっこうな量で、炭酸煎餅のやさしい味を楽しめる。何日かかかって食べましたが、ずいぶん食べれたような気がします。
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泉寿庵では、名物「清荒神きんつば」とあったきんつばをいただきました。お店の奥で焼いていて、熱々のきんつばもあります。
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ちょっと甘さは抑えめな分、小豆の香りが引き立つような。ただ、全体としてはまあ普通の域は出ていないような気もします。
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伊賀屋総本舗は、「かたやきせんべい」と書いた緑の看板が目印です。
ちょっと試食させてもらいましたが、この小麦粉の煎餅は本当に堅い。やっぱり、これだけ堅いと私としてはちょっと無理ですねえ。堅いのがウリではあるのでしょうが、これでは私の限界を超えています。 -
清荒神の参道沿いにはいくつも老舗がありますが、
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この大阪屋本舗はその最右翼。佃煮のお店ですが、
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昔ながらの甘酒があって、それをいただきました。緋毛氈の腰掛に座って、ちょっとゆっくり。お店も広いし、休憩するにももってこいだと思います。
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最後、駅への近道はこんな細い路地でした。
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清荒神駅にはやってきましたが、せっかくなので、中山寺まで歩くことにしますよ~
売布神社は、その途中。旧川辺郡米谷村の産土神。推古天皇18年(605年)の創建で、主祭神は下照姫神。 -
村人に稲を植え麻を紡ぎ布を織ることを教えたと伝わります。急な石段を上った先に本殿があって、
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ちょっと質素な建物ですが、子供を連れた家族連れが中でおはらいを受けていました。今でも地元に密着した神社だと思います。
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さて、これが中山寺の参道。清荒神に比べるとほんのちょっとの参道です。
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菊水本店は、中山寺名物の草餅とあって、
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二個入り200円のそれをいただきました。ヨモギの香りはけっこうするのですが、少し皮は固めだし、餡子も含めた全体のバランスはあんまりよくないような。正直、名物というほどのことではないかなと思います。
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こっちのお土産物屋さんでは、
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こぼれ梅という変わったネーミングの名物。ほかでも見かけましたが、お聞きするとみりんを作った後のカスなんだそう。女将さんも子供のころによく食べましたということでしたが、まあ、あまりおいしそうじゃない。ここはパスします。
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中山寺の参道はけっこう短いので、駅から歩くとすぐにこの山門が現れます。
山門は屋根が二重の堂々たる二重門。 -
赤い地に極彩色の帯を絡めた仁王様が激しい憤怒の形相でにらみをきかせています。
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ほか、その後ろ側には大きなわらじも下がっていて、豪華と素朴のちょっと折衷的な印象も受けました。
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山門を入ると、むしろ境内は清荒神よりこっちが立派。まず、両側には塔頭が軒を並べます。
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こちらの宝蔵院は、山門を入ってすぐ左手の塔頭。山門に厄除開運御祈祷所と書いた看板があって、奥に進むと大日如来と弁財天を祀るお堂がすぐに現れます。
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弁財天は美人の神様。そのためもあってか、お参りは若い女性が多いような気がします。
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華蔵院は、右手にある塔頭。
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水子供養と書いた看板を入ると、立派な軒破風を持つ本堂。
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一方で、見どころはその左手にある片桐且元遺愛の庭。中山寺の再建の普請奉行を命ぜられた且元が境内に作った真・行・草の三つの庭の一つ、真の庭と伝えられるもの。今は、寂れていますが、歴史はある庭です。
ちなみに、関ヶ原の戦いの後も忠実な臣下として豊臣家に使えた片桐且元ですが、中山寺の再建の普請奉行を命ぜられ、その際に、且元が境内に作ったのがこれ。今では寂しげな庭ですが、歴史を思えばそれなりの価値はあるかなという感じ。なお、他の庭も探しましたが、それと思しき塔頭の人に聞いても所在ははっきりしませんでした。 -
ここから境内は奥へ奥へと深いです。
この石段を上がると本堂のエリアなんですが、脇にはエスカレーターがあるので親切ですね。 -
エスカレーターを上がってすぐが五百羅漢堂。 軒下に金色の燈籠が下げられたお堂です。
扉は開けっ放しなので自由に中を拝見すると、周囲にはずらりと五百羅漢が並んでいる。壮観と言えば壮観ですが、あまりにもあっさりと見れてしまうので、ちょっとありがたみが薄くなる気もしなくはありません。 -
そして、これが本堂です。
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中山寺は境内に多くの建物があって、それらを総合すると大寺なのですが、その中にあって本堂は大きさもほどほどだし、ずば抜けて目立っているというほどの意匠でもありません。
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よく見ると、軒下の極彩色の飾り物とかが少し目立つ程度。
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一方で、本堂前の香炉に大勢の人が集まっていたり、やっぱり主役は参詣者なのかなという穏やかな雰囲気もあると思います。
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中山寺の護摩堂は、本堂に向かって右手。本尊は不動明王坐像です。
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屋根にちゃちほこが乗ってそこはいかめしいですが、全体としては穏やかな印象の建物。五重塔の下にあって、前に建つとバックの五重塔と組み合わせた眺めがすばらしいと思います。
写真では分かりにくいんですが、この五重塔の裏側は青紫の色彩。それがまたとってもおしゃれなんですよね。 -
ここから、引き返して。
本堂から石段を降りた右手のお堂は、閻魔堂。赤、青、緑の派手な色使いの建物で -
中を覗くと奥に、例の憤怒の形相の閻魔さまが鎮座していました。正面に鏡を持って、うそをつくと舌を抜くぞと威嚇しているような姿。扉は開けっ放しなのでいつでも自由に拝見することができます。
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寿老神堂は本堂の石段を降りてから、右手の方に少し入ったところ。前面が開けっ放しになった建物で、その奥すぐに寿老神を祀ります。
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寿老神を拝むにはこれ以上シンプルな建物はないでしょうが、それでも何か厳粛な雰囲気は漂う。これって中国式のような感覚のお堂です。
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中山寺の境内には塔頭やお堂も含めて、山内の七福神があります。これは大黒天。さっきの寿老神のお堂もそうでしたが、それぞれが特徴的な建物。建物の個性も楽しめると思います。
さて、以上で中山寺も終了。
ここから、いよいよ池田に向かいます。 -
池田駅に到着して、まずは駅近のカップヌードルミュージアムへ。途中、ここを目当てに来たと思われる観光客が大勢行き来していて、すぐに大変な人気の施設であることがわかりました。
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カップヌードルの創業者は、安藤百福。カップヌードルミュージアムの敷地に、大きな立像が建っていて、皆さんここで記念写真を撮っています。カップヌードルミュージアムでは、安藤百福がカップヌードルを作るのに悪戦苦闘した小さなラーメン屋さんのような建物が復元されていて、苦労がしのばれる。いまやチキンラーメン、カップヌードルを知らない人はいない。偉大な足跡を残したことは間違いありません。
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ここが入口ですね。
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これまでのカップヌードルの商品が年代順にずらりと飾られていたり、
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これが先ほど触れたラーメン屋さん。
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ここで悪戦苦闘をしたという台所です。
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そして、自分の好みのカップヌードルを作れるコーナーがありまして、それがメイン。
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カップのデザインを自分で描くところから始まって、具材もあれこれチョイスする。その作業をするテーブル席がちょっとした体育館みたいな広さのスペースに並んでいるのですが、もう待つ人が出るくらい満員の大盛況。びっくりするほどの熱気を帯びていました。
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最後に安藤百福の足跡と
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愛用品等を展示するコーナーを拝見しておしまいです。
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続いては。。
呉服神社は、池田駅から線路沿いに北側に進んだところ。呉服は、「ごふく」ではなくて、「くれは」。呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる呉服媛(くれはとりのひめ)を祀ります。 -
見どころは本殿。鮮やかな赤が第一印象ですが、
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その側面にはステンドグラスが入っていて、それが違和感なく優雅な意匠となっている。
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なかなか素晴らしい着想です。
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ここからさらに市街北の方に向かいまして。
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これは落語みゅーじあむ。大正モダンのような外観ですが、ここは落語の公演などが行われる落語振興の場。
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この日も地元の素人さんだと思いますが、発表会をしていて、私も聞かせてもらいました。素人さんといっても、アドリブ連発で堂々としたもの。
こうした演芸は大阪でも南の方が本場といったイメージがありましたが、こうして北部の街、池田でもしっかり根付いている。大阪の文化の底力を見たような気がします。 -
さらに北へ向かって、これは伊居太神社は、「いけだじんじゃ」。 さっきの呉服神社とも関連しますが、呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる4姉妹のうち穴織媛(あやはとりのひめ)を祀ります。
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山の上にあるので、けっこうな石段を上りますが、
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中門、拝殿から奥の本殿までなかなかの構え。
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本殿は
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千鳥破風が三つ並んだもので、特徴的。祭神がもっと複数いるということなのかなと思いますが、どうでしょうか。
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そこから山伝いに抜けると、五月山公園。丘陵地を利用した大きな公園です。この日も市内の家族連れが大勢やってきていて、活気あふれる光景。地形を利用した長い滑り台とか野外の遊具が充実しているのも人気の理由の一つだと思います。
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ここから、北に向かってさらに上って行くのが大広寺。五月山公園からすぐに参道入口道がありまして、この参道に入ると一気に修験者の道のような険しさ。
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雰囲気が一転するのにはちょっと驚きます。
ただ、宗派は曹洞宗。山門や本堂はいかめしくて、中国風も少し匂うような。 -
池田城主であった地方豪族、池田氏の墓もあるということです。
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大広寺から引き返して、改めて中心部に向かいます。
池田城址公園は、池田城跡を整備した公園ですが、こじんまりとコンパクトな公園。 -
イチオシ
お堀を越える橋を渡った先の限られた場所に、池と小さな櫓も再現されています。
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ちなみに、池田城は土着の豪族、池田教依が築き、代々池田氏が城主を務めた城。
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戦国末期は、荒木村重の支配下になったようですが、信長との戦いでも目だった役割はしていないようです。
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そして、そして。。
これが長年の課題だった逸翁美術館。阪急の創業者、小林一三の個人コレクションを収めます。
企画展は、「逸翁美術館開館60周年記念展 第五幕 応挙は雪松、呉春は白梅。」
応挙は円山派。呉春は四条派。呉春も円山派から出ているので、円山四条派とまとめて評価されることが一般的ですが、写生に重きを置いた応挙に瀟洒な境地を開いた呉春。それぞれの特徴の違いを解説して、これにはしびれる。
また、個別の展示作品としては長沢蘆雪が秀逸。蘆雪というと奇抜な象とかが思い浮かびますが、これは白い孔雀の見事な正統派。ここまで質の高い長沢蘆雪にはちょっとお目にかかったことがないような気がしました。
小林一三の名に恥じない企画内容だったと思います。 -
池田文庫は、逸翁美術館の並び。少し坂を下ったところです。けっこう立派な敷地と建物の施設。宝塚歌劇団や歌舞伎、民俗芸能関係の本が充実しているとかがウリですが、一方で、お茶の関係も。古彩庵、大小庵という茶室があって、お茶のおけいこをしているという案内もみかけました。
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そして、最後のハイライトは小林一三記念館。
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小林一三の旧邸を整備した広い敷地内には建物がいくつもあって、小林一三の業績や人となりを総合的に紹介しています。
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これは新館。
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地域開発と一体となった阪急電鉄の展開や
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宝塚歌劇団創設の紹介は財界人としての非凡な才能を示すものですが、
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その考え方や手法は今でも決して色あせることがない。
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財界人として、まずは一流であったことを疑う余地はありません。
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そして、ここでは趣味人としての洋館「雅俗山荘」を自由に味わえるのも素晴らしいところ。
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庭を拝見して
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庭から「雅俗山荘」の建物を仰ぎます。
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庭には茶室もあったりしますが、
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これは鞍馬石に貴船石ですよね。
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黒い方が鞍馬石。このデザインも定番ですが、実はかなりの高級品。私もこんなのをさりげなく自宅で使ってみたいものです。
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イチオシ
ここが玄関。
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入ると石造りの重厚な内部。
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イチオシ
天井が吹き抜けの応接間はゆったりソファーが置かれて、
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ドラマにでも出てきそうな雰囲気がムンムンです。
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二階が展示室。逸翁美術館の方は茶道具の展示がなかったのですが、こちらではそれがメイン展示です。
室内の渋い雰囲気と味わい深いコレクションが一体となって、小林一三を偲ぶことができる最高のシチュエーションですね。まさに、これにあこがれていたんですよ~ -
小林一三の書斎から
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暮らしぶりも想像できて、うーん。いい、いい。
まったく想像以上だったかも。 -
小林一三は、若い頃、小説風の書きものもしたようで、花街の暮らしの観察眼とか。後の成功につながる能力をしっかり発揮していたことも窺えます。
成功者の典型のような人物ですが、ただ、敢えて言えば、大恋愛とか。何か浮ついた話はなかったのかあ。まあ、あってもそれは表には出していないと思いますが。。 -
小林一三記念館から、ついでに寄ったのは池田茶臼山古墳。住宅地の中の小高い丘の上に公園のように整備された姿で保存されています。古墳時代前期の4世紀中頃のものですが、地元の保存運動が特筆される点だそう。それにしても、まあるい形が美しくて、小さな子供が遊ぶ公園としてもぴったりです。
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福助堂は、逸翁美術館から市街中心部に戻る途中にある老舗の和菓子屋さん。小さな店舗ですが、店内には多種多様なお菓子が溢れていました。
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目についたのはでっち羊羹でしたが、食べ歩きが出来ないので、豆大福を買いました。この餡子は水ようかんのようにちょっと水分が多い。でっち羊羹は練り羊羹と違って、水羊羹のように作るらしいです。
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池田栄町商店街は、阪急池田駅の北東側すぐですが、池田駅からの入口はちょっと目立たないかも。アーケードの商店街ですが、池田駅周辺は、阪急の高架下とかも含めて池田駅の周辺に商業施設は集中しています。そういう意味でも、この商店街は池田駅周辺の賑やかさとはまあまあ一体でしょう。ただ、商店街としては、可もなく不可もなく。ちょっとした食べ物屋さんなんかがあったり、普通の商店街かなと思います。
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では、ここで晩飯を食べて帰りましょう。小林一三のことを思うとなかなか池田からは離れづらくなっていますね。
こちらのピエーナは、池田ではけっこう人気のピザ屋さん。 -
値段設定は少し高めですが、店内の石窯で丁寧に焼き上げる本格派です。
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マルゲリータをいただきましたが、切ってない。あれっと思いながら自分で切ると、なんともジューシー。ジュワッといろんな旨味が湧いてくる感じです。しかし、一方で、素材のうまみを大事にした大人の味わい。今日は、ちょっといいところでご馳走にしましょうというようなレストランだと思います。
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池田から大阪に出て新幹線で東京へというのが普通なんですが、小林一三からのクールダウンは京都じゃないと無理みたい。遠回りですが、ここは四条河原町に出てから京都駅まで歩くことにしました。
その途中、エフィッシュは、五条大橋のたもとにある町家風喫茶店。ネットの評判も上々です。ただ、観光地では全くないエリア。お客さんは地元の若い女性とかが中心です。というのも、メニューの価格設定とかあれっというほど安い。これなら学生さんでも気軽に来れるでしょう。 -
イチオシ
いただいたのは、季節限定のオレンジときんかんの葛湯。まあ、悪くはないんですが、サプライズはない。気兼ねなく、長い時間ゆっくりおしゃべりもできるこのゆったりした隠れ家のような空間が人気の秘密なのかなと思います。
そして。京都のカフェで、また小林一三に思いを馳せる。しばらく豊かな時間を過ごして、徐々に気持ちが落ち着きました。
さて、これで三日間の旅は終了。京都駅から東京に帰ります。お疲れ様でした。
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