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紅葉の駒ケ根散策の締め括りです。昼食は、旅行の前に決めておいた信州新傍です。昨年の長野の善光寺参りでも、最後は蕎麦で締めくくりました。茹で上がる前に飲む、1杯の日本酒が格別です。(ウィキペディア)

2017秋、紅葉の駒ケ根(5/5):11月3日(5):鶏頭山・安楽寺、山門、本堂、鐘楼、信州蕎麦

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2017/11/02 - 2017/11/03

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旅行記グループ 2017秋、紅葉の駒ケ根散策

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

紅葉の駒ケ根散策の締め括りです。昼食は、旅行の前に決めておいた信州新傍です。昨年の長野の善光寺参りでも、最後は蕎麦で締めくくりました。茹で上がる前に飲む、1杯の日本酒が格別です。(ウィキペディア)

交通手段
高速・路線バス 自家用車

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  • 境内側から眺めた、三門の光景です。駒ケ根市の有形文化財に指定されています。度々の洪水被害や火災被害を受け、この三門も1808年の火災以降に建替えられたもののようです。(同上)

    イチオシ

    境内側から眺めた、三門の光景です。駒ケ根市の有形文化財に指定されています。度々の洪水被害や火災被害を受け、この三門も1808年の火災以降に建替えられたもののようです。(同上)

  • 『転法輪』の金文字があった扁額の光景です。『転法輪』は、『説法』を意味します。『法輪』は仏の教えを転輪王の武器である輪宝になぞらえたもので、『転』は説くことを意味します。(同上)

    『転法輪』の金文字があった扁額の光景です。『転法輪』は、『説法』を意味します。『法輪』は仏の教えを転輪王の武器である輪宝になぞらえたもので、『転』は説くことを意味します。(同上)

  • シルエットの光景になりましたが、安楽寺の鐘楼光景です。鶏頭山・安楽寺が創建されたのは、寺伝によれば戦国時代の1533年(1571年創建説もあります)とされます。1571年当時の時代背景では、徳川家よりも武田家の影響が大きかった頃になります。元亀3年(1573年)の三方ヶ原の戦いでは、家康軍は武田軍に完敗しています。(同上)

    シルエットの光景になりましたが、安楽寺の鐘楼光景です。鶏頭山・安楽寺が創建されたのは、寺伝によれば戦国時代の1533年(1571年創建説もあります)とされます。1571年当時の時代背景では、徳川家よりも武田家の影響が大きかった頃になります。元亀3年(1573年)の三方ヶ原の戦いでは、家康軍は武田軍に完敗しています。(同上)

  • 境内の公孫樹の黄葉光景です。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い時には、10代の家康はまだ今川家に仕える立場、この戦いで今川義元が信長に討ち取られ、家康が三河の盟主となって信長との同盟を結んだのが2年後の永禄5年1月ことです。家康が信長の居城である清洲城を訪問して、信長と家康との間で会見が持たれた上で同盟が締結されました。この経緯から、清洲同盟と呼ばれています。(同上)

    境内の公孫樹の黄葉光景です。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い時には、10代の家康はまだ今川家に仕える立場、この戦いで今川義元が信長に討ち取られ、家康が三河の盟主となって信長との同盟を結んだのが2年後の永禄5年1月ことです。家康が信長の居城である清洲城を訪問して、信長と家康との間で会見が持たれた上で同盟が締結されました。この経緯から、清洲同盟と呼ばれています。(同上)

  • 境内に祀られていた地蔵尊の立像光景です。立派な蓮座が設けられた石造でした。お地蔵様のサンスクリット語の語源は、『大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられた』とされます。(同上)

    境内に祀られていた地蔵尊の立像光景です。立派な蓮座が設けられた石造でした。お地蔵様のサンスクリット語の語源は、『大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられた』とされます。(同上)

  • 鬱蒼とした木々が生い茂る『鶏頭山・安楽寺』の境内光景です。古刹であり、名刹であることを覗わせていました。(同上)

    イチオシ

    鬱蒼とした木々が生い茂る『鶏頭山・安楽寺』の境内光景です。古刹であり、名刹であることを覗わせていました。(同上)

  • ナマコ壁と漆喰で塗り固められた土蔵のような建物光景です。周りより一段高い基壇の上に建っていました。表札などは見当たりませんでしたが、経蔵当たりの建物でしょうか。(同上)

    ナマコ壁と漆喰で塗り固められた土蔵のような建物光景です。周りより一段高い基壇の上に建っていました。表札などは見当たりませんでしたが、経蔵当たりの建物でしょうか。(同上)

  • 左斜め前から眺めた、土蔵のような造りの建物の入口付近の光景です。壁面上部に、龍か蛸が判断に迷う、洒脱なデザインの飾りがありました。(同上)

    左斜め前から眺めた、土蔵のような造りの建物の入口付近の光景です。壁面上部に、龍か蛸が判断に迷う、洒脱なデザインの飾りがありました。(同上)

  • 『子育地蔵尊』の文字が記された赤い提灯が灯っていた小さな社の光景です。中央に、子供を抱いた地蔵尊の座像がありました。(同上)

    『子育地蔵尊』の文字が記された赤い提灯が灯っていた小さな社の光景です。中央に、子供を抱いた地蔵尊の座像がありました。(同上)

  • 青空に映える、公孫樹の黄葉の光景です。先端の方が黄色く色付き始めていました。左に見える屋根のシルエットは鐘楼、右下に見える屋根のシルエットは地蔵堂です。(同上)

    青空に映える、公孫樹の黄葉の光景です。先端の方が黄色く色付き始めていました。左に見える屋根のシルエットは鐘楼、右下に見える屋根のシルエットは地蔵堂です。(同上)

  • シルエットになった鐘楼と梵鐘腰に眺めた公孫樹の黄葉光景です。住職の奥さんらしい方にお声を掛けましたら、自由に鐘を撞かせて戴きました。(同上)

    イチオシ

    シルエットになった鐘楼と梵鐘腰に眺めた公孫樹の黄葉光景です。住職の奥さんらしい方にお声を掛けましたら、自由に鐘を撞かせて戴きました。(同上)

  • 左斜め前から眺めた、本堂の建物光景です。大きな破風の光景が見えました。(同上)

    左斜め前から眺めた、本堂の建物光景です。大きな破風の光景が見えました。(同上)

  • 右斜め前から眺めた本堂の光景です。内部の写真撮影は遠慮しましたが、500人以上が収容できる見事な祭壇と壁面飾りがあった室内でした。(同上)

    右斜め前から眺めた本堂の光景です。内部の写真撮影は遠慮しましたが、500人以上が収容できる見事な祭壇と壁面飾りがあった室内でした。(同上)

  • 正面から眺めた本堂の光景です。立派な造りの本堂内では、音楽コンサートなども開かれえ散るようでした。これは、ネット情報で演奏会やヨガの会などの写真を見ることができます。(同上)

    正面から眺めた本堂の光景です。立派な造りの本堂内では、音楽コンサートなども開かれえ散るようでした。これは、ネット情報で演奏会やヨガの会などの写真を見ることができます。(同上)

  • 杉や公孫樹など、大木が多かった中でも、一際背が高かった大木の光景です。残念ながら、樹種は分かりませんでした。秋も深まったこの時期、若葉のような色合いでした。(同上)

    杉や公孫樹など、大木が多かった中でも、一際背が高かった大木の光景です。残念ながら、樹種は分かりませんでした。秋も深まったこの時期、若葉のような色合いでした。(同上)

  • 宗祖大師御詠歌碑です。明治41年(1908年)に建立されました。記されている御詠歌と、その読み方を紹介しておきます。(同上)<br /> 『月可介能以多良怒さと盤奈介禮とも な可むる人のこゝ路丹そ寿舞』<br /> (月かげのいたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ)<br />          

    宗祖大師御詠歌碑です。明治41年(1908年)に建立されました。記されている御詠歌と、その読み方を紹介しておきます。(同上)
    『月可介能以多良怒さと盤奈介禮とも な可むる人のこゝ路丹そ寿舞』
     (月かげのいたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ)
              

  • 境内の片隅に掲げられていた、『私たちの宗旨』と題された看板です。名称の浄土宗、宗祖の法然上人(源空)、回収の承安5年(1175年)、御本尊の阿弥陀仏(無量寿仏)や、称名の南無阿弥陀仏などが記されていました。(同上)

    境内の片隅に掲げられていた、『私たちの宗旨』と題された看板です。名称の浄土宗、宗祖の法然上人(源空)、回収の承安5年(1175年)、御本尊の阿弥陀仏(無量寿仏)や、称名の南無阿弥陀仏などが記されていました。(同上)

  • 『私たちの宗旨』と題された看板の付近から眺めた、三門方面の光景です。その中間に杉などの大木が立ち並んでいました。(同上)

    『私たちの宗旨』と題された看板の付近から眺めた、三門方面の光景です。その中間に杉などの大木が立ち並んでいました。(同上)

  • 本堂の正面は閉まっていましたが、住職の奥さんらしい方にお声を掛けましたら、脇の建物扉を開けて、快く本堂の中を見学させて戴きました。その脇の建物の玄関光景です。『鶴舞千年樹』らしい扁額が懸かっていました。境内の古樹を愛でたもののようでした。(同上)

    本堂の正面は閉まっていましたが、住職の奥さんらしい方にお声を掛けましたら、脇の建物扉を開けて、快く本堂の中を見学させて戴きました。その脇の建物の玄関光景です。『鶴舞千年樹』らしい扁額が懸かっていました。境内の古樹を愛でたもののようでした。(同上)

  • 帰り際に、振り返って眺めた境内光景です。正面奥に見えるのが鐘楼、右手が本土、左手が三門方面になります。(同上)

    帰り際に、振り返って眺めた境内光景です。正面奥に見えるのが鐘楼、右手が本土、左手が三門方面になります。(同上)

  • 信州蕎麦の昼食です。食べ終えてしまいましたが、日本酒のお摘みについていた茸の煮物は最高の味でした。たっぷりの量の新蕎麦を堪能しました。(同上)

    信州蕎麦の昼食です。食べ終えてしまいましたが、日本酒のお摘みについていた茸の煮物は最高の味でした。たっぷりの量の新蕎麦を堪能しました。(同上)

  • アゲラタムの紫の花の光景です。キク科カッコウアザミ属(アゲラタム属)の1年草または多年草です。属名と同じ郭公薊の和名を持ちます。(同上)<br /><br /><br />

    アゲラタムの紫の花の光景です。キク科カッコウアザミ属(アゲラタム属)の1年草または多年草です。属名と同じ郭公薊の和名を持ちます。(同上)


  • 赤く、丸い花を咲かせたセンニチコウ(千日香)です。ヒユ科センニチソウ属の1年草です。センイチソウ(千日草)の呼び名もあります。(同上)

    赤く、丸い花を咲かせたセンニチコウ(千日香)です。ヒユ科センニチソウ属の1年草です。センイチソウ(千日草)の呼び名もあります。(同上)

  • 満開の時期は過ぎていましたが、白い小花をいっぱいに咲かせた草花の光景です。スイートアリッサムの花のようです。アブラナ科ニワナズナ属(ロブラリア属)の1年草です。『ニワナズナ(庭薺)』の和名を持ちます。(同上)

    満開の時期は過ぎていましたが、白い小花をいっぱいに咲かせた草花の光景です。スイートアリッサムの花のようです。アブラナ科ニワナズナ属(ロブラリア属)の1年草です。『ニワナズナ(庭薺)』の和名を持ちます。(同上)

  • 満開だった薄い黄色の菊の花です。日本で観賞用多年草植物として発展した品種群は『和菊』、西ヨーロッパで育種されて生まれた品種群は『洋菊』と呼ばれています。花の直径が20センチメートル前後の大菊は、『三本仕立て』、『ダルマづくり』や『福助づくり』などに仕立てられ緩衝されます。(同上)

    満開だった薄い黄色の菊の花です。日本で観賞用多年草植物として発展した品種群は『和菊』、西ヨーロッパで育種されて生まれた品種群は『洋菊』と呼ばれています。花の直径が20センチメートル前後の大菊は、『三本仕立て』、『ダルマづくり』や『福助づくり』などに仕立てられ緩衝されます。(同上)

  • 赤い飾り花を持ったアンスリウムです。熱帯アフリカを原産地とする、サトイモ科アンスリウム属の常緑多年草です。観葉植物として人気の高い品種です。真ん中のとがった花序に小さな花が沢山付きます。赤い部分は、仏炎苞と呼ばれています。和名は『オオベニウチワ(大紅団扇)』です。(同上)

    赤い飾り花を持ったアンスリウムです。熱帯アフリカを原産地とする、サトイモ科アンスリウム属の常緑多年草です。観葉植物として人気の高い品種です。真ん中のとがった花序に小さな花が沢山付きます。赤い部分は、仏炎苞と呼ばれています。和名は『オオベニウチワ(大紅団扇)』です。(同上)

  • 赤い花を咲かせたベゴニアです。ベゴニアは、シュウカイドウ科シュウカイドウ属(ベゴニア属)の植物の総称です。ベゴニアの名は、フランス人のミシェル・ベゴン総督(1638~1710) の名に由来します。フランス領アンティル諸島の総督でした。(同上)

    赤い花を咲かせたベゴニアです。ベゴニアは、シュウカイドウ科シュウカイドウ属(ベゴニア属)の植物の総称です。ベゴニアの名は、フランス人のミシェル・ベゴン総督(1638~1710) の名に由来します。フランス領アンティル諸島の総督でした。(同上)

  • 名古屋までのバスの乗車時刻まで余裕がありましたので、その時間を利用しての駒ケ根市内の散策とお土産の品の買い物です。街路越しに眺めた山並み光景です。中央アルプス方面だったようです。(同上)

    名古屋までのバスの乗車時刻まで余裕がありましたので、その時間を利用しての駒ケ根市内の散策とお土産の品の買い物です。街路越しに眺めた山並み光景です。中央アルプス方面だったようです。(同上)

  • 1時間の1本ほどしか通過っしないJRの電車です。散策途中に調度踏切が閉まり、飯田市方面から電車がやって来ました。(同上)

    1時間の1本ほどしか通過っしないJRの電車です。散策途中に調度踏切が閉まり、飯田市方面から電車がやって来ました。(同上)

  • バスは駒ケ根市駅に15分遅れで到着しましたが、その後は順調に走り、定刻に名古屋駅前付近のバスセンターに到着しました。途中に立ち寄った中央道の休憩所の光景です。これで、紅葉の時期の駒ケ根散策の紹介はお終いです。(同上)

    バスは駒ケ根市駅に15分遅れで到着しましたが、その後は順調に走り、定刻に名古屋駅前付近のバスセンターに到着しました。途中に立ち寄った中央道の休憩所の光景です。これで、紅葉の時期の駒ケ根散策の紹介はお終いです。(同上)

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