2017/10/22 - 2017/10/22
4位(同エリア230件中)
まほうのべるさん
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ただ人を殺してみたかったから。
むしゃくしゃしていたから。
自分たちの主義主張のために無差別テロで人を傷つける人達。
杉原千畝さんが生きていたらどう思うのだろう?
飛躍的に技術は進歩しているのに、心が病んだ人たちや人を平気で傷つける人達は増え続けている。
職を失うことも、自分に危害が加えられることも恐れず、たくさんのユダヤ人に通過ピザを発給し続けた杉原千畝さん。
記念館を訪れるまでは人の命を重んじてだけの行動だと思っていました。
でも決して同情だけではなく、ナチスに迎合しない日本の姿勢を世界に示すことが広義の国益だと信じての、外交官としての立場も見極めた上での行動だったそうです。
争いのない平和な世界が来ることを祈りながら記念館を見学しました。
参照:『杉原千畝本 未来を繋いだ外交官』
旅程
10月20日(金) 成田→ヘルシンキ→ビリニュス(泊)
10月21日(土) ビリニュス大学→聖ヨハネ大学→大聖堂→王宮→BGC博物館→杉原千畝記念碑→ケディミナス城→聖ペトロ&パウロ教会→聖アンナ教会→ベルナルディン教会→ビリニュス駅(泊)
10月22日(日) トラカイ→カウナス→ビリニュス(泊)
10月23日(月) ウジュピエ共和国→ベルナルディン教会→ロシア正教教会→聖霊教会→聖テレサ教会→ヘルシンキ→
10月24日(火) 成田
宿泊ホテル
10月20日~22日 シェークスピアブティックホテル(旧市街)
10月22日~23日 ナルティスホテル(旧市街)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- JTB
-
トラカイから一度ビリニュスに戻り、カウナスに向かいます。
カウナスまではこのバスなんだって、小さいね!
出発時間にはほ満員になりました。普通のバスでいいんじゃない?
トラカイからカウナスまで行くバスもあるんだけど、この時はすっかり忘れて、ビリニュスまで戻って来ちゃった。 -
カウナスのバスターミナルに入るとフロアーにカウナスの可愛い地図が描かれています。踏んじゃ可愛そうなので避けて歩きました。
ドアは回転ドアなんだよ、ちょっとびっくり。
結構、カウナスって都会なんだね。 -
バスターミナルから旧市街とは反対方向の、鉄道の駅に向かって歩いて行きます。杉原千畝記念碑館に向かう前にカウナス駅に寄っていきます。
カウナス駅前の道路にはマンホールの蓋がはずれていたり、整備されていない歩道がありました。工事中の標識もありません。この状態って普通の事なのか? -
カウナス駅前の建物も薄汚れた疲れ切った様子です。
カウナスの第一印象はちょっと?寂れた街だなでした。 -
カウナス駅
出来れば電車を利用したかったけど、バスに比べ本数も少ないので利用しませんでした。でも帰りは時間が合えば電車を利用したいな。
駅には地下道を通って行きました。 -
カウナス駅ホーム側
杉原千畝さんのプレートは駅正面ではなくホーム側の壁に掛けられていました。 -
カウナス駅
国の退去命令により電車でカウナスを離れます。
ビザを求めてホームに集まって来た人たちのために、電車がホームを離れるまで『命のビザ』を発給し続け、その功労を讃えて記念のプレートが掲げられました。 -
カウナス駅
プレートはてっきり駅の正面の壁に掛けられていると思っていましたが、電車に乗って出発してまでビザを書いていたのだから、ホーム側に掛けられているのかな? -
カウナス駅
快適そうな電車ですね、2階建てだよ。
電車に乗りたいね! -
カウナス駅
別れを惜しんでいるカップル、偶然に写真に写っていました。
決して狙った写真ではないんですよ。
おちびちゃん「イチオシ」押しちゃダメだよ!
「なかなかいい写真だと思うけど、ダメなの?」
おちびちゃんは不満そうです。 -
カウナス駅
シンプルな天井だけど、青く光っていますよ。 -
カウナス駅
天井が高~い!
東欧の駅って感じだよ。 -
カウナス駅
窓口はこちらですよ。
ビリニュスまで1枚ください!
帰りに必ず電車に乗るかどうかわからないからまだ買えないよ。
ゴメンナサイ!キャンセルです。 -
カウナス駅
ビリニュスまでの時刻は?
バスよりずうっと本数が少ないみたい。
記念プレートを見たのでさあ、杉原千畝記念館に向かいましょう。 -
カウナス駅を背に右を見ると歩道橋があり、これを上って左に進みます。
-
歩道橋を過ぎると細い道が続き階段を上ります。
-
駅の向かい側からも階段があります。
-
落ち葉に足をとられないように、しっかり踏みしめて上ります。
-
階段を登り切って真っすぐ進みT字路を右に曲がり次のT字路を左に真っすぐ進むと左側に記念館があります。
周りは住宅地。気を付けて見ていないと見逃してしまいます。
塀もなくこの門だけひっそり立っています。
建物の全体を撮ったつもりだったけど写真がないよ。 -
これじゃあ開館しているかよくわからないですよね。
紙が破れているのに直さないの?
もっと丈夫な紙にしたほうがいいよ!
雨にも大丈夫なようにビニールをかけたほうがいいのにな!
ここが日本人と違うところ? -
工事をしていたおじさんに「今日開いているよね?」って聞いたら「そこから入ればいいよ!」って言われました。
ここまできて閉まっていたら泣いちゃうものね。
だって明日、お昼頃には空港に向かうんだからもう来れないよ。 -
杉原千畝記念館入場チケットは3ユーローで1枚の絵ハガキがついてきました。
-
杉原千畝記念館パンフレット
2019年1月14日に安倍首相がこの記念館を訪れたそうです。 -
杉原千畝記念館パンフレット
-
入館しましたが見学者は誰もいませんでした。
もう時間は14時30分。
ツアーの人達と一緒になったらゆっくり見学できないだろうと思っていたから良かった! -
男性スタッフが出迎えてくれて「時間がありますか?あったら15分間のビデオを観てください。」
-
15分間、1人だけの上映会です。
このビデオは杉原千畝さんの生まれ故郷の岐阜県で製作されました。 -
1人だったので周りに遠慮なく涙が流れるままにしていました。
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杉原千畝さんは1900年1月1日、岐阜県八百津町に生まれ、1918年早稲田大学高等師範部英語科に入学しました。
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1919年在学中に外務省の官費留学生試験に合格し、早稲田大学を中退して満州の日露教会学校(のちのハルピン学院)に留学しました。
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1924年外務省書記生に採用され、翌年からハルピンの日本領事館に勤務します。
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1932年満州国建国に伴い満州国外交部に転任後特派員に任命され、1933年来た満州鉄道買収交渉に参加しました。
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1935年満州国から日本に帰国。
1936年在モスクワ日本大使館への勤務を命じられるがソ連に入国を拒否されます。 -
1937年在ヘルシンキ日本大使館に勤務し、1939年在カウナス日本領事館領事代理に就任しました。
-
1940年7月18日ユダヤ難民が在カウナス日本領事館の前に押し寄せ、7月29日ユダヤ人難民へ本格的にビザ発給を開始します。
8月末領事館でのビザ発給を終了、カウナス市内のホテルメトロポリタンに滞在しビザに代わる渡航許可証を発行します。 -
9月5日カウナス出発し在ベルリン日本大使館に滞在、9月27日駐プラハ日本領事代理としてプラハに到着します。
1941年在ルーマニア日本公使館一等通訳官としてブカレストへ赴任しました。 -
1945年ブカレスト郊外にあるソ連軍の捕虜収容所に収容されます。
1947年日本へ帰国し外務省を退職します。 -
1957年NHK国際局に勤務、1985年イスラエル政府より『諸国民の中の正義の人賞』を授与、1986年鎌倉にて亡くなります。
2000年生誕1000周年、外務省によって外務省外交史料館に顕著プレートが設置されます。 -
2001年早稲田大学寄贈の記念碑がリロアニアに建立されます。
2008年ポーランド復興勲章『星付きコマンドルスキ十字架勲章』を授与されます。
2011年早稲田大学に顕彰レリーフが設置される。 -
2015年カウナス駅およびホテルメトロポリスに顕著プレートが設置。
12月5日映画『杉原千畝スギハラチウネ』全国上映
2016年6月7日イスラエル・ネタニアに『スギハラ通り』が建設される -
幸子夫人の写真の横に折り鶴が置かれているのが印象的でした。
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館内には日本を感じるものが数々あります。
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このお部屋は幸子夫人の部屋なんですって。
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記念館には贈り物が届けられそれを展示しています。
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本国の指示に反してビザを発行を決断し、寝食を忘れビザを書き続けました。
大量のビザを手書きしたため万年筆は折れ、ペンにインクを付けて書いていたそうです。また睡眠不足による疲労と指に出来たマメ、全身の関節の痛みが襲いました。 -
家族に危害が加えられることを恐れ、ビザ発給を家族に一切手伝わせませんでした。
しかし、ペンを握りすぎで痛めた右手のマッサージだけは幸子夫人にしてもらっていました。 -
8月3日、リトアニアはソ連に併合され、日本領事館は8月25日付けで閉鎖され、閉鎖後カウナス市内のホテルメトロポリスに宿泊しジザを発給し続けました。
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9月5日、リトアニアを離れる日カウナス駅でのホームでビザを書き続け、列車に乗り車窓からも発給し続けました。
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ビザ発給を決断しリトアニアを離れるまでの約1か月間で発給されたビザは、確認されているだけで2000枚以上で子供や家族を含めると6000人以上にのぼるそうです。
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日本の通貨ビザ取得の際に重要な条件の一つであったのが、最終受入国のビザです。
日本を『通過する』ビザである限り、発給には最終目的地を証明できなければなりません。 -
しかし、ユダヤ難民に対して入国ビザを発給する国はほとんどありませんでした。この問題の解決に力を貸してくれたのは、オランダの名誉領事だったヤン・ツバルテンヂクでした。
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ツバルテンディクは、オランダ領土だったキュラソー島というカリブ海の島に目をつけました。この島なら関税もなく入国審査の必要もないため、誰でも入国することが可能であり、通貨ビザ発給に必要な最終受入国となり得ると。
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キューソラ島は岩だらけの小さな島であり、実際に入国は出来ませんでしたが、形式的には条件を満たしていました。
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ツバルテンデイクはユダヤ人のための最終目的地をキュラソーと記入した『キュラソービザ』を発給しました。
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『キュラソービザ』を持ったユダヤ人たちが、日本の通過ビザを受けるために日本領事館に向かいました。
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何故、外務省の訓令に背いてまで『命のビザ』を発給する決断をしたのか。
それは国が定めた規則よりも『人道博愛精神』が勝っていたからですが同情心からだけでビザを発給し続けたわけではありません。 -
軍部による領土拡張、生活圏拡大を国益とした時代に何が真の国益かを考え、国際的観点から『命のビザ』を発給することによって、ナチスに迎合しない日本の姿勢を世界に示し、他国から日本が信頼されることが広義の国益であり、それこそが外交官の使命だという結論に達したからです。
-
何故、世界平和をみんな祈っているのに実現できないのだろう?
よく赤ちゃんを見るとこんなに可愛くてみんなから祝福されて生まれてきたのに、何処で悪い人に変わっていくんだろうと思います。人を傷つけたり、騙したり、命さえ平気で奪ってしまうようなそんな人にいつから? -
執務を行っていた部屋は忠実に再現されています。
-
1940年7月18日早朝、約200人にも及ぶユダヤ人たちが、日本の通貨ビザを求め、リトアニア。カウナスにある日本領事館に押し寄せました。
彼らはナチス・ドイツの迫害から逃れ、ソ連。日本を経由しそれ以遠の第三国へ逃れるために日本の通貨ビザが必要でした。彼らにとって生きるための唯一の手段でした。 -
領事館に押し寄せるユダヤ人難民の数は日に日に増えてゆき、ユダヤ人の中から5人の代表を領事館に迎え入れ事情を聴きました。
ユダヤ人迫害の実態とカウナスにたどり着く馬での苦難と恐怖を説明しました。
そして、生き延びるために日本の通貨ビザが必要だと杉原さんに迫りました。 -
最初に回訓を受理した日は、一晩中私は考えた考えつくした。
回訓を文字通り民衆に伝えれば、そしてその通り実行すれば、私は本省に対して従順であるとして、ほめられこそすれ、と考えた。 -
仮に当事者が私でなく、他の誰かであったとすれば、恐らく百人が百人東京の回訓通り、ビザ拒否の道を選んだだろう。
それは何よりも、文官服務規程方、何条かの違反に対する昇進停止、及至、馘首が恐ろしいからである。
(写真は日本領事館に集まったユダヤ人難民) -
私も何をかくそう、回訓を受けた日、一晩中考えた。
果たして浅慮、無責任、我武者らの職業軍人グループの、対ナチス協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を擁するユダヤ民族から永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備、公安配慮云々を盾にとって、ビザを拒否してもかまわないのか。それが果たして、国益に叶うことだというのか。
(写真は杉原リスト。ビザ発行を手にした人たちのリスト) -
苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。
そして私は、何も恐れるることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。(手記より) -
杉原さんはプラハ、ケーニヒスベルク、ブカレストでの勤務後、ユダヤ人たちにビザを書き続けソ連政府から発行された退去命令に背いたという理由でブカレスト郊外のゲンチャ捕虜収容所に連行され約1年収容所生活を送ります。
1947年6月27日日本に帰国し外務省を退職します。 -
外務省を退職については、ビザ発給が原因で強制的に退職させられたという説や、懲戒処分を受けたという説もあります。
また外務省の同僚たちの間で、ユダヤ人から金銭を受け取ってビザを発行していたのではないかという噂が流れ悔しく思ったそうです。 -
日本領事館に押し寄せてきたユダヤ人を前に杉原さんは苦悩しました。
ビザを発給するにはたくさんの問題があったからです。
その問題のひとつがビザの発給問題でした。 -
通貨ビザの発給には最終受入国の許可、十分な旅費の所持、身分証明書の提示などの様々な条件がありました。しかし、日本領事館の前に集まった多くのユダヤ人はその条件を満たす人は少なく、ほとんどの人がパスポートを持たず渡航費用も十分に持たず最終目的地『キュラソー』と書かれた紙しか持っていませんでした。
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ビザの発行条件を満たしていない人たちにビザを発行し続けたことはスゴイ!としか言いようがありません。
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当時の時代背景はさらに困難をきわめました。
当時、日本はドイツと日独防共協定を締結しており、ドイツとの友好関係を保つ必要がありました。 -
ユダヤ人にビザを発給すればナチスを刺激する可能性があるし、自分の家族が危険にさらされる可能性もあります。様々なことを考えたうえで本国にビザ発給の許可を求めました。
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本国への電報には日本領事館にビザ発給を求めてきた人たちを、人道上どうしても拒否できないと書かれ、さらに発給条件を満たしていなくても領事が認めればビザを発給するとも書かれていました。
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通貨ビザとしての性質を見牛わないために、ソ連横断日数20日、日本滞在日数30日とすることも申請していました。
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しかし外務省からの答えはNO。
『渡航条件を満たさないものには、通貨ビザといえど発給してはならない』 -
ここから杉原さんの苦悩が始まりました。
目の前に集まっている条件をほとんど満たさないユダヤ人たち。
条件を満たさない通貨ビザを発行してはいけないという外務省。 -
そして本国の支持に反して通貨ビザを発行することを決意します。
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自分だったらどうするんだろう?
おそらく心の中で『ゴメンナサイ!』と言いながら、本国の指示に従ったはず。 -
出来れば助けてあげたい!
通貨ビザを希望者全員に発給してあげたい!
でも本国にNOと言われれば、それを押しては出来ないだろうな。
『どうしてもダメでしょうか?困っている人たちを見捨てろと言うのですか?』と言い続けるだけだろうな? -
今日は日曜日なので閉館は16時。もうすぐ16時になっちゃう。
お土産のチョコを買わなくては。
こちらの部屋ではお土産を販売しています。 -
どんなものがあるかといえば、チョコや絵葉書、パンフレットなどなど。
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絵葉書を買おうとしたら午前中に完売しちゃったって。
1枚も残っていないなんてビックリ!
ここで絵葉書を買って日本へ出そうと思っていたのにショック! -
杉原千畝さんの功績を後世に伝えるために生まれ育った岐阜県八百津町に記念館が設立されています。
また『命のビザ』によって命を救われた人々が上陸した敦賀港のある敦賀市にも『人道の港 敦賀ムゼウム』にも展示がされています。 -
ピンバッチは何種類かあって、日本とリトアニアの国旗のものを買いました。
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左上のチョコを15箱お願いします!
試食のチョコが置いていあって日本人好みの美味しいチョコですよ。
シャウレイで作っているんだって。 -
パンフレットはどれがいいかな?
左がお勧めなんだって。 -
瓶に入っているのは重いから買うのはやめよう。
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もう閉館の16時です。
名残惜しいけどこの後にカウナスの街歩きをしたいのでサヨナラします。 -
記念館の裏側にまわってみました。
大きな木はリンゴの木。
工事はまだまだ続いていました。
いつ終わるのかな? -
記念館の帰り道は、左に真っすぐ進み階段を下りていくと公園にぶつかります。
-
公園は落ち葉でいっぱいでした。
ここに十字架がたくさん並んでいます。 -
公園を横切ると中央駅から続くメイン通りに出ます。
チョコ15箱を持って街歩きは大変なので、バスターミナル内のコインロカーに入れます。
ところがコインロッカーの場所がわからず、何人もの人に聞きました。1ユーロー入れて身軽になって街歩きを始めます。
コインロッカーはメイン通り入り口右側から入ったところにありました。急いでいたので写真を撮るのは忘れちゃった。大きな荷物は入りませんよ。
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この旅行記へのコメント (24)
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- shoshoさん 2018/02/06 22:54:44
- 杉原ハウス!待ってました!!
- まほうのべるさん、こんばんは!
待ちに待っていた、杉原記念館の旅行記。自分の旅行も思い出しながら拝見いたしました。
私は市内散策をしてから杉原ハウスに向かいカウナス駅に出る、というべるさんと反対コースで回りました。門が出てくるまで不安な気持ちになったのを思い出します。カウナスは、表示が少なく歩いているところに不安を感じる街でしたね。(地図で歩いていたので)ビリュニュスに行って表示がたくさんあってわかりやすかったのを思い出しました。カウナスは観光客も少ないですね。でも、人々が親切で好印象でした(^▽^)/
記念館の写真を追っての杉原さんの経歴や時代背景などの説明がとても分かりやすく、いつものがらべるさんのまとめ方に感心しております。
杉原千畝さんについては、カウナスに行ってから私もさらに知りたくなったことがあり、ポポポさんのご紹介の本にたどりつき、旅行後は本を読み、鎌倉の方まで出かけて調べたりもしました( ̄∇ ̄;) 杉原さんの行動が命のバトンで多くの人によって受け継がれたことは、たくさんの人に知ってほしいことです。
敦賀や、八百津、神戸などにも行ってみたいです。
この後は、カウナスの街歩きですね。また、楽しみに待っております(^▽^)/
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/07 12:58:15
- RE: 杉原ハウス!待ってました!!
- > まほうのべるさん、こんばんは!
> 待ちに待っていた、杉原記念館の旅行記。自分の旅行も思い出しながら拝見いたしました。
こんにちは、shoshoさん。
いつも書き込み有難うございます。
> 私は市内散策をしてから杉原ハウスに向かいカウナス駅に出る、というべるさんと反対コースで回りました。門が出てくるまで不安な気持ちになったのを思い出します。カウナスは、表示が少なく歩いているところに不安を感じる街でしたね。(地図で歩いていたので)ビリュニュスに行って表示がたくさんあってわかりやすかったのを思い出しました。カウナスは観光客も少ないですね。でも、人々が親切で好印象でした(^▽^)/
カウナスのバスターミナルに到着したのが14時前で、この日は日曜日だったので閉館が16時なので記念館を見学してから街歩きをしました。
朝から行っていたら街歩きをして午後から記念館に行きお土産のチョコを購入してビリニュスにもどれたんですけどね。
> 記念館の写真を追っての杉原さんの経歴や時代背景などの説明がとても分かりやすく、いつものがらべるさんのまとめ方に感心しております。
帰国後、記念館で購入したパンフレットを見ながら写真整理をしました。
旅行前には知らなかったこと、疑問井思っていたことなどもわかり有意義な見学だったと思います。
> 杉原千畝さんについては、カウナスに行ってから私もさらに知りたくなったことがあり、ポポポさんのご紹介の本にたどりつき、旅行後は本を読み、鎌倉の方まで出かけて調べたりもしました( ̄∇ ̄;) 杉原さんの行動が命のバトンで多くの人によって受け継がれたことは、たくさんの人に知ってほしいことです。
杉原千畝さんが発行されたビザは日本を通貨ビザでこれだけではたくさんの人を助けることは出来ずませんでした。
苦肉の策で『キューソラ』を最終地としたオランダ名誉領事だったヤン・ツバルテンディクさん→通過ビザ発行の杉原千畝さん→滞在延長・受け入れ先へ尽力された小辻さんや松岡洋右外務大臣への愛のリレーがなされて初めて『命のビザ』としてなりたったんですよね。
敦賀や、八百津、神戸などにも行ってみたいです。
そうですね、日本に記念館などがあるので是非、訪れてみたいですね。
> この後は、カウナスの街歩きですね。また、楽しみに待っております(^▽^)/
街歩きは16時30分からだったので、新市街・旧市街をあるいただけで終わってしまったので残念でした。
写真はたくさん撮ってあるのですが、内部見学もゼロですしちょっと?寂しい内容になりそうです。
まほうのべる
-
- zunzunさん 2018/02/06 00:03:56
- 杉原千畝記念館
- べるちゃん、こんばんは~☆
やっとカウナス、杉原千畝記念館がやってきました。
べるちゃん、とっても読みごたえがあったよ。
以前テレビのドキュメンタリー番組とドラマで観た事があって、
なんてすごい日本人がいるのだろうと思っていたのです。
いつか機会があったらカウナスを訪れてみたいななんてね。
本国の支持も振り切って、家族の事もあるのに、
命のビザを書き続けたってすごい事ですよ。万年筆はダメになり関節が痛くなっても書いたんだね。
日本に帰国してからの、待遇が悲しいよね。
この時代は仕方なかったのかなと思います。
日本人として、こんなに素晴らしい人がいたって事が本当に誇らしいです。
べるちゃん、チェコのテルチはとってもいいよね。
ただ今検討中です^^
zun
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/06 22:19:34
- RE: 杉原千畝記念館
- > べるちゃん、こんばんは?☆
こんばんは、zunzunさん。
いつも書き込み有難うございます。
> やっとカウナス、杉原千畝記念館がやってきました。
> べるちゃん、とっても読みごたえがあったよ。
カウナスに行く日本人で杉原千畝記念館を訪れない人はほとんどいないよね。
帰国後、記念館で購入したパンフレットを中心に復習しました。
旅行前にはわからなかったことも知ることができとても充実していました。
> 以前テレビのドキュメンタリー番組とドラマで観た事があって、
> なんてすごい日本人がいるのだろうと思っていたのです。
> いつか機会があったらカウナスを訪れてみたいななんてね。
リトアニアをはじめバルト三国はとても素敵な国々なので、是非、機会があったら訪れてください。本国の命令に背いて国益と信じてビザを発行されたことは言葉では言い表せないくらい素晴らしいことだと思います。
> 本国の支持も振り切って、家族の事もあるのに、
> 命のビザを書き続けたってすごい事ですよ。万年筆はダメになり関節が痛くなっても書いたんだね。
奥様に手伝ってもらったら奥様にもより危害が及ぶと思い手伝いを一切させなかったそうです。マッサージはしてもらっていたようです。
> 日本に帰国してからの、待遇が悲しいよね。
> この時代は仕方なかったのかなと思います。
外務省は懲戒解雇になったとか退職においやられたとかいわれています。
本国の命令にそむいたのですから、外務省としては冷遇しても当たり前なのかな?
> 日本人として、こんなに素晴らしい人がいたって事が本当に誇らしいです。
そうですね、海外で日本人が評価されているなんてとても嬉しい事ですね。
> べるちゃん、チェコのテルチはとってもいいよね。
> ただ今検討中です^^
イタリアをちょっと離れて検討中なんですね。
テツチ可愛いでしょう!
チェコいいよ!
下調べ楽しそうだね。
まほうのべる
-
- ムロろ~んさん 2018/02/05 21:24:41
- 尊敬と勇気
- こんばんは、ムロろ~んです。
カナウスへ行かれた旅行記を拝見しました。
杉浦千畝さんの業績って私も言葉にいつくせないほどすごいなぁと思ったんです。
その当時の状況下から考えてみても絶対考えられないよなぁって思うくらいなことをされたのだなぁって思ったんです。
その当時の仏教はというと恥ずかしいくらい戦争に加担していたと言っても過言ではないです。
教えにまで戦争の賛同を教化していたことも。
時代とは言え、悲しいことですが…。
それでも「他国から日本が信頼されることが広義の国益」という大使館の命のためにビザを発給することは勇気あることだと思ったんです。
カナウスの街、もうちょっと明るい街になって欲しいなぁって思うんです。
素敵な街じゃないかなぁって思っていたんですが、至る所これじゃぁちょっとなぁ( ̄▽ ̄;)。
ムロろ~ん(-人-)
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/06 20:56:10
- RE: 尊敬と勇気
- > こんばんは、ムロろ?んです。
> カナウスへ行かれた旅行記を拝見しました。
こんばんは、ムロろ〜んさん。
いつも書き込み有難うございます。
> 杉浦千畝さんの業績って私も言葉にいつくせないほどすごいなぁと思ったんです。
> その当時の状況下から考えてみても絶対考えられないよなぁって思うくらいなことをされたのだなぁって思ったんです。
気持ちではどうにかしてあげたいと思っても、本国の命令に反して自分にも危険が及ぶことも覚悟のうえで行動なさったことを出来る人がいるのかな?と思います。
> その当時の仏教はというと恥ずかしいくらい戦争に加担していたと言っても過言ではないです。
> 教えにまで戦争の賛同を教化していたことも。
> 時代とは言え、悲しいことですが…。
> それでも「他国から日本が信頼されることが広義の国益」という大使館の命のためにビザを発給することは勇気あることだと思ったんです。
当時の仏教は戦争へと教え導いていたのですね。
悲しい時代でしたね。
初めは国益よりも人道的な立場にタッテノビザ発給だとおもっていましたが、決して人道的なことだけでなく国益を考えての行動だったことを知り、とてもや異変な状況で冷静な人だったのだと思いました。
> カナウスの街、もうちょっと明るい街になって欲しいなぁって思うんです。
> 素敵な街じゃないかなぁって思っていたんですが、至る所これじゃぁちょっとなぁ( ̄▽ ̄;)。
大丈夫ですよ。
カウナス全体がこんな感じじゃなく、中央駅前なのに鄙びた感じだったんです。
次の旅行記でキレイな?建物も出てきますよ。
あまりにも??だったので写真を撮っちゃいました。
まほうのべる
-
- 尚美さん 2018/02/04 09:09:11
- 杉原千畝記念館の旅行記、読み応えがありました
- べるちゃんへ
おはようございます。
杉原千畝記念館の旅行記、待っていました。さすが、べるちゃんの旅行記。行き方や、見つけにくいという注意点はもちろん、杉原千畝さんの生涯や、国益まで考え抜いた末の決断だった事がよくわかりました。べるちゃんの感動も伝わってきましたよ。
旅行記、ありがとう。
この後も旅行記を順調にupしてね。
楽しみに待ってます。
尚美
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/04 19:00:53
- RE: 杉原千畝記念館の旅行記、読み応えがありました
- > べるちゃんへ
> おはようございます。
こんばんは、尚美さん。
いつも書き込み有難うございます。
> 杉原千畝記念館の旅行記、待っていました。さすが、べるちゃんの旅行記。行き方や、見つけにくいという注意点はもちろん、杉原千畝さんの生涯や、国益まで考え抜いた末の決断だった事がよくわかりました。べるちゃんの感動も伝わってきましたよ。
記念館に行く前はビザを発行したくさんのユダヤ人を助けた方だということしか知らず詳しいことは知りませんでした。記念館では見学者が誰もいなかったのでゆっくり見学することが出来ました。
帰国後パンフレットを読み直し写真を整理しながら杉原千畝さんの功績の大きさにあらためて感じています。外交官としての立場よりも1人のひとつぃて人道的な立場からビザを発行したわけではなく、ビザを発行することが国益になると信じての行動だったことにより冷静な人だったと思います。
> 旅行記、ありがとう。
> この後も旅行記を順調にupしてね。
> 楽しみに待ってます。
旅行記もあと4話となりました。
3月にmilkさんがバルト三国に行かれる前に終了したいと思っています。
まほうのべる
-
- aoitomoさん 2018/02/03 14:14:27
- 日本の『杉原千畝記念館』には行けそうなので行ってみたいです!
- まほうのべるさん こんにちは~
『杉原記念館』
以前テレビで杉原千畝さんのドキュメント番組を見たので、だいたいの内容は知ってました。
日本にも『杉原千畝記念館』がありますが、リトアニア カウナスに『杉原記念館』があることが日本人として誇らしいですね。
いくら人道的な正しいことをしても捕虜収容所に連行されたり、日本に戻っても外務省を依願退職とは言え自主的に退職させられたのと同じで、自分や家族にとっても辛い状況になったんですよね。
さらに逝去間際まで評価されなかったのも残念でなりません。
一方で杉原幸子夫人の著書『命のビザ』を契機にどんどん杉原千畝の行動が世界に知れることとなるのも妻の力強さを感じました。
映画『杉原千畝 スギハラチウネ』も早く見たくなってきました。
チョコを15箱にはびっくり!!!
部下に配ったりして!
aoitomo
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/04 11:37:33
- RE: 日本の『杉原千畝記念館』には行けそうなので行ってみたいです!
- > まほうのべるさん こんにちは?
こんにちは、aoitomoさん。
いつも書き込み有難うございます。
> 『杉原記念館』
> 以前テレビで杉原千畝さんのドキュメント番組を見たので、だいたいの内容は知ってました。
> 日本にも『杉原千畝記念館』がありますが、リトアニア カウナスに『杉原記念館』があることが日本人として誇らしいですね。
そうなんですよね、生まれ故郷の岐阜県八百津町に彼の功績をたたえて設立された記念館がるそうですが、そちらには行ったことはなく、機会があったら是非行きたいと思っています。カウナスの記念館で流された15分もビデオは八百津町の製作でした。
> いくら人道的な正しいことをしても捕虜収容所に連行されたり、日本に戻っても外務省を依願退職とは言え自主的に退職させられたのと同じで、自分や家族にとっても辛い状況になったんですよね。
> さらに逝去間際まで評価されなかったのも残念でなりません。
記念館に行く前は外交官としての立場よりも人としての人道的立場での行動だと思っていましたが、決して感情に流されず冷静に判断してビザの発行が国益につながるとの信念に基づいたものだと知りました。
自分や家族へ危害が加えられることも恐れずの行動に、外務省からは賄賂を受け取っての行動ではないかと疑われたり、退職も余儀なくされたことにはかなり無念な気持ちだったでしょうね。
> 一方で杉原幸子夫人の著書『命のビザ』を契機にどんどん杉原千畝の行動が世界に知れることとなるのも妻の力強さを感じました。
> 映画『杉原千畝 スギハラチウネ』も早く見たくなってきました。
幼い子供たちもいる中で夫を信じて陰で支え続けた幸子夫人にも敬意を表したいと思います。やはり夫人の支えがあってこそ信念を貫けたと思います。
> チョコを15箱にはびっくり!!!
> 部下に配ったりして!
会社の人達や友人などへのお土産なんですよ。基本1人へ1箱にしていて、このあとヘルシンキ空港でゴディバのヘルシンキ仕様を4箱購入して計19箱になりました。
まほうのべる
-
- ポポポさん 2018/02/03 01:14:19
- 命のビザを繋いだ男
- べる様今晩は。カウナスの杉原記念館の旅行記、詳しい解説で興味深く拝見しました。
べる様の思いがひしひしと伝わってくる素晴らしい旅行記だと思います。杉原記念館は私も一度は訪れたいと思っている所です。
私が杉原氏と命のビザの話を知ったのは今から25年くらい前の事でした。あるテレビ番組で杉原氏が発給した「命のビザ」のことが放映されたのです。
その時は驚愕と衝撃と感動でした。私にはとてもできそうにないなと言うのが正直な感想でした。
ただ、その後疑問が湧きました。というのは杉原氏が発給したビザは日本にわずか10日間しか滞在できない通過ビザだったからです。僅か10日間の滞在でどのようにして希望の国に出国できたのだろうか。大半のユダヤ人が着の身着のままで来たというのに・・・。
その疑問に答えてくれる人物が分かったのは随分年数がたってからでしたが、実はその人が杉原氏が発給した「命のビザ」を引き継ぎ、ビザの延長を行って6000人といわれるユダヤ人救ったのでした。名前は小辻節三さん、ヘブライ語の元大学教授です。
杉原さん以上の波乱万丈の生涯ですので書くには紙面が足りません。ともかく小辻さんが艱難辛苦の末に6000人のユダヤ人を無事送り出し助けたのです。
その過程では憲兵の拷問にあったり、ユダヤ人救出のため全財産を投げ打ったり、家族全員命を狙われる危機に瀕したりと色々ありますが、もう一人小辻さんの影となってユダヤ人救出に協力した人物がいます。
それは時の外務大臣松岡洋右氏です。軍部の目もあり立場上杉原氏のビザ発給の要望に応えることはできませんでしたが、小辻氏とは満鉄(南満州鉄道株式会社)時代に上司と部下の間柄でした。外務大臣の立場を離れ私人としてビザ延長の策を授けたり、ドイツからの執拗なユダヤ人送還要求を何度も跳ねつけたりしました。
この二人がいなければユダヤ人たちは本国に強制送還されて強制収容所に送られ、多数のユダヤ人がガス室に入れられて殺されたことでしょう。
その結果日本はホロコーストに加担した国として、未来永劫十字架を背負い続ることになったでしょう。この二人は杉原氏と同等に評価されるべき人物ですが、今なおその足跡を知る日本人は少ないと思います。
小辻氏は杉原氏同様イスラエルから顕彰したいとの話がありましたが「人間として当然のことをしたまでで、顕彰されるようなことではない」と辞退されています。ただ希望はユダヤ教徒になること、そしてエルサレムに埋葬してほしいという事でしたが、どちらも聞き入れられました。
私が小辻節三氏を知ったのはある本によってです。「命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民」著者 山田純大 NHK出版。
この本を読めばどのようにして6000人ものユダヤ難民が助け出されたのかよく分かります。驚愕と感動の名著ですので是非ご一読下さい。「命のビザ」のことがより深く理解できると思います。
長くなり大変申し訳ありません。これでも簡潔に書いたつもりです。
ポポポ
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/04 08:56:46
- RE: 命のビザを繋いだ男
- > べる様今晩は。カウナスの杉原記念館の旅行記、詳しい解説で興味深く拝見しました。
おはようございます、ポポポさん。
いつも書き込み有難うございます。
> べる様の思いがひしひしと伝わってくる素晴らしい旅行記だと思います。杉原記念館は私も一度は訪れたいと思っている所です。
> 私が杉原氏と命のビザの話を知ったのは今から25年くらい前の事でした。あるテレビ番組で杉原氏が発給した「命のビザ」のことが放映されたのです。
> その時は驚愕と衝撃と感動でした。私にはとてもできそうにないなと言うのが正直な感想でした。
旅行前は杉原千畝さんのことは国の意向に反してビザを発給してたくさんのユダヤ人を救ったという一般的なことしか知りませんでした。映画はJALの機内で見ただけで、リトアニアに行くからには杉原千畝記念館にも是非よらなければという気持ちでした。
> ただ、その後疑問が湧きました。というのは杉原氏が発給したビザは日本にわずか10日間しか滞在できない通過ビザだったからです。僅か10日間の滞在でどのようにして希望の国に出国できたのだろうか。大半のユダヤ人が着の身着のままで来たというのに・・・。
やっとの思いで手に入れた通過ビザでしたが、これがあればすべてのことがクリアーできるわけではなく、あくまでもスタート地点に立てただけで長い旅の始まりにすぎなかったようです。モスクワからシベリア鉄道に乗り極東のウラジオストクへ向かい、そこからさらに船で日本へ上陸しました。
ソ連を移動中に役人に賄賂を要求されたり、秘密警察による強制捜査や逮捕されたり困難を極め、ウラジオストクにたどりついたユダヤ人はほとんど着の身着のままの状態だったそうです。ソビエト内で持ち金を使い切るまで出国が認められず日本までたどり着けない人があとをたちませんでした。敦賀港にたどりついても長期多罪が許されずに、日本人ユダヤ人協会の協力のもとに上海やアメリカへ移住を試みました。
> その疑問に答えてくれる人物が分かったのは随分年数がたってからでしたが、実はその人が杉原氏が発給した「命のビザ」を引き継ぎ、ビザの延長を行って6000人といわれるユダヤ人救ったのでした。名前は小辻節三さん、ヘブライ語の元大学教授です。
> 杉原さん以上の波乱万丈の生涯ですので書くには紙面が足りません。ともかく小辻さんが艱難辛苦の末に6000人のユダヤ人を無事送り出し助けたのです。
> その過程では憲兵の拷問にあったり、ユダヤ人救出のため全財産を投げ打ったり、家族全員命を狙われる危機に瀕したりと色々ありますが、もう一人小辻さんの影となってユダヤ人救出に協力した人物がいます。
> それは時の外務大臣松岡洋右氏です。軍部の目もあり立場上杉原氏のビザ発給の要望に応えることはできませんでしたが、小辻氏とは満鉄(南満州鉄道株式会社)時代に上司と部下の間柄でした。外務大臣の立場を離れ私人としてビザ延長の策を授けたり、ドイツからの執拗なユダヤ人送還要求を何度も跳ねつけたりしました。
> この二人がいなければユダヤ人たちは本国に強制送還されて強制収容所に送られ、多数のユダヤ人がガス室に入れられて殺されたことでしょう。
> その結果日本はホロコーストに加担した国として、未来永劫十字架を背負い続ることになったでしょう。この二人は杉原氏と同等に評価されるべき人物ですが、今なおその足跡を知る日本人は少ないと思います。
> 小辻氏は杉原氏同様イスラエルから顕彰したいとの話がありましたが「人間として当然のことをしたまでで、顕彰されるようなことではない」と辞退されています。ただ希望はユダヤ教徒になること、そしてエルサレムに埋葬してほしいという事でしたが、どちらも聞き入れられました。
> 私が小辻節三氏を知ったのはある本によってです。「命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民」著者 山田純大 NHK出版。
> この本を読めばどのようにして6000人ものユダヤ難民が助け出されたのかよく分かります。驚愕と感動の名著ですので是非ご一読下さい。「命のビザ」のことがより深く理解できると思います。
記念館で購入したパンフレットにも2人のお名前は載っておらず、ただユダヤ人協会の協力の元で上海やアメリカなどへの移住を試みたとしかありませんでした。
記念館でもオランダ名誉領事ヤン・ツバルテンディックさんがオランダ領土であったキュ^−ソラ島を最終目的地とした『キューソラビザ』を発給したとありました。
オランダ領事ツバルテンディクが『キューソラビザ』を発給し、杉原千畝さんが『通過ビザ』を発給し、松岡洋右外務大臣・小辻さんが滞在ビザの延長などでサポートしてたくさんのユダヤ人を救ったのですね。
誰が一番かではなくみな同じぐらい大変な状況で最善を尽くされたんですね。
松岡外務大臣や小辻さんのことを知る人たちは少ないと思いますし、べるもポポポさんに教えていただきました。
> 長くなり大変申し訳ありません。これでも簡潔に書いたつもりです。
詳しく教えていただき本当に有難うございました。
自分の中では途切れがちだった歴史もこれで糸が繋がりより深く感じることが出来ました。
まほうのべる
- ポポポさん からの返信 2018/02/04 16:39:46
- RE: RE: 命のビザを繋いだ男
- 今日は、まほうのべる様。返信ありがとうございます。
余り詳しく書くとネタバレになるかと思い少々遠慮しましたが、理解を深めていただくためにもう少し追加情報をお伝えします。
> 記念館で購入したパンフレットにも2人のお名前は載っておらず、ただユダヤ人協会の協力の元で上海やアメリカなどへの移住を試みたとしかありませんでした。
> 記念館でもオランダ名誉領事ヤン・ツバルテンディックさんがオランダ領土であったキュ^−ソラ島を最終目的地とした『キューソラビザ』を発給したとありました。
>
> オランダ領事ツバルテンディクが『キューソラビザ』を発給し、杉原千畝さんが『通過ビザ』を発給し、松岡洋右外務大臣・小辻さんが滞在ビザの延長などでサポートしてたくさんのユダヤ人を救ったのですね。
ユダヤ難民の多くはコミュニティーがある神戸にやって来ました。神戸ユダヤ人協会は滞在ビザ延長のため外務省と交渉しますが相手にされません。そこで白羽の矢を立てたのが小辻さんです。ユダヤ人たちはヘブライ語で演説する小辻さんに最後の望みをかけたのです。
ビザの残日数が少ないため直ちに小辻さんは行動を起こしました。
小辻節三さんはユダヤ難民救出の件については一切公言されていません。ご家族たちもです。そのため著者の山田純大さんは事実確認に大変苦労されたそうです。松岡洋右氏は秘密裡に小辻氏に救助の糸口を与えた訳ですから当然話すはずもありません。ただ、伝記には「ユダヤ人を救ったのは小辻節三である」と簡潔明瞭に記載されているそうです。
そのためパンフレットには2人のことが記入されていないのだと思います。私が山田さんの本で小辻節三氏の存在を知った時期、ネットで検索しても小辻節三氏の名前は本のタイトルでしかヒットしませんでした。
現在では多数検索ヒットします。山田さんの本のおかげで多くの人に認識されはじめたようで、晩年過ごした鎌倉市では顕彰決議がなされたそうです。日本政府はパンフレットの加筆修正を求めるべきだと思います。
さて命のビザに記入された受入国「キューソラ」はビザ発給の形式を整えるための方便でした。そのため滞在ビザの延長と伴に受入国と渡航船の手配がこれまた難事でしたが、これも、ユダヤ人教会と協力して小辻さんが成し遂げました。
難民の多くは上海に向けて出国していますが、彼らは受入国が決まらず、所持金も少ない難民でした。つまりこれらの難民を受け入れてくれる場所が上海にはあったのです。
かれら難民からは上海は天国だったと語られています。何より命と生活が保障されていたからです。ユダヤ人はビザなしでそこに入れました。
その場所は上海共同租界日本人居留地の日本海軍警備地区だったのです。そこはユダヤ人をして「天国だった」言わしめた場所です。
ここならナチスの手は届きません。その警備地を指揮していたのが犬塚惟重海軍大佐です。彼は海軍一のユダヤ通と評されユダヤ人を保護した軍人です。
上海には一時3万人のユダヤ人が身を寄せていました。そこには学校も病院などもあり生活に不自由は無かったようです。
なにより日本海軍の陸戦隊が警護してくれているわけですからこれほど安全な場所はありません。
こうして多数のユダヤ人の命が救われました。
犬塚惟重氏の名前も日本ではあまり知られていないと思います。ついでにあと一人、2万人のユダヤ難民を救った日本人がいます。
名前は樋口季一郎氏、日本陸軍の軍人です。オトポール事件に関与してソ満国境にいた2万のユダヤ難民を救出しました。その時南満州鉄道株式会社の総裁であった松岡洋右氏もこの救助に手を差し伸べています。
松岡洋右氏は日独伊三国軍事同盟締結や国際連盟脱退など、軍部寄りの戦争主導に加担した大臣としての印象が強いのですが、実際は人間味のあふれた人物であることが分かります。
戦後GHQの圧力で戦前戦中の人物像が歪められてきましたが、もう正しい歴史眼をもって見直すべき時期ではないかと思います。
ポポポ
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/04 21:04:15
- RE: RE: RE: 命のビザを繋いだ男
- > 今日は、まほうのべる様。返信ありがとうございます。
> 余り詳しく書くとネタバレになるかと思い少々遠慮しましたが、理解を深めていただくためにもう少し追加情報をお伝えします。
>
>
> > 記念館で購入したパンフレットにも2人のお名前は載っておらず、ただユダヤ人協会の協力の元で上海やアメリカなどへの移住を試みたとしかありませんでした。
> > 記念館でもオランダ名誉領事ヤン・ツバルテンディックさんがオランダ領土であったキュ^−ソラ島を最終目的地とした『キューソラビザ』を発給したとありました。
> >
> > オランダ領事ツバルテンディクが『キューソラビザ』を発給し、杉原千畝さんが『通過ビザ』を発給し、松岡洋右外務大臣・小辻さんが滞在ビザの延長などでサポートしてたくさんのユダヤ人を救ったのですね。
>
>
> ユダヤ難民の多くはコミュニティーがある神戸にやって来ました。神戸ユダヤ人協会は滞在ビザ延長のため外務省と交渉しますが相手にされません。そこで白羽の矢を立てたのが小辻さんです。ユダヤ人たちはヘブライ語で演説する小辻さんに最後の望みをかけたのです。
> ビザの残日数が少ないため直ちに小辻さんは行動を起こしました。
> 小辻節三さんはユダヤ難民救出の件については一切公言されていません。ご家族たちもです。そのため著者の山田純大さんは事実確認に大変苦労されたそうです。松岡洋右氏は秘密裡に小辻氏に救助の糸口を与えた訳ですから当然話すはずもありません。ただ、伝記には「ユダヤ人を救ったのは小辻節三である」と簡潔明瞭に記載されているそうです。
> そのためパンフレットには2人のことが記入されていないのだと思います。私が山田さんの本で小辻節三氏の存在を知った時期、ネットで検索しても小辻節三氏の名前は本のタイトルでしかヒットしませんでした。
> 現在では多数検索ヒットします。山田さんの本のおかげで多くの人に認識されはじめたようで、晩年過ごした鎌倉市では顕彰決議がなされたそうです。日本政府はパンフレットの加筆修正を求めるべきだと思います。
> さて命のビザに記入された受入国「キューソラ」はビザ発給の形式を整えるための方便でした。そのため滞在ビザの延長と伴に受入国と渡航船の手配がこれまた難事でしたが、これも、ユダヤ人教会と協力して小辻さんが成し遂げました。
> 難民の多くは上海に向けて出国していますが、彼らは受入国が決まらず、所持金も少ない難民でした。つまりこれらの難民を受け入れてくれる場所が上海にはあったのです。
> かれら難民からは上海は天国だったと語られています。何より命と生活が保障されていたからです。ユダヤ人はビザなしでそこに入れました。
> その場所は上海共同租界日本人居留地の日本海軍警備地区だったのです。そこはユダヤ人をして「天国だった」言わしめた場所です。
> ここならナチスの手は届きません。その警備地を指揮していたのが犬塚惟重海軍大佐です。彼は海軍一のユダヤ通と評されユダヤ人を保護した軍人です。
> 上海には一時3万人のユダヤ人が身を寄せていました。そこには学校も病院などもあり生活に不自由は無かったようです。
> なにより日本海軍の陸戦隊が警護してくれているわけですからこれほど安全な場所はありません。
> こうして多数のユダヤ人の命が救われました。
> 犬塚惟重氏の名前も日本ではあまり知られていないと思います。ついでにあと一人、2万人のユダヤ難民を救った日本人がいます。
> 名前は樋口季一郎氏、日本陸軍の軍人です。オトポール事件に関与してソ満国境にいた2万のユダヤ難民を救出しました。その時南満州鉄道株式会社の総裁であった松岡洋右氏もこの救助に手を差し伸べています。
> 松岡洋右氏は日独伊三国軍事同盟締結や国際連盟脱退など、軍部寄りの戦争主導に加担した大臣としての印象が強いのですが、実際は人間味のあふれた人物であることが分かります。
> 戦後GHQの圧力で戦前戦中の人物像が歪められてきましたが、もう正しい歴史眼をもって見直すべき時期ではないかと思います。
こんばんは、ポポポさん。
追加情報を書き込みくださって有難うございます。
杉原千畝さんが命のビザを発行したくさんのユダヤ人を救ったというだけがクローズアップされて、このことだけで命が救えたと思われている人たちもたくさんいると思います。そういう私もその1人だったのですが。
記念館に行きパンフレットを読んで、通過ビザを手にした人たちはようやく着の身着のままで日本へたどりつき、長期滞在が許されないので足早に国際船が就航する神戸や横浜からアメリカや上海をめざしたとだけしか記述がなくて、モヤモヤした気持ちが残っていました。ポポポさんから詳しく教えていただき、心にあったモヤモヤがとれましたが、何故、日本までたどり着いた人たちがそこから実際のに渡った国までの足跡が記載されていないんだろうという新たな疑問がでてきました。
杉原千畝さんの思いを繋いだ人達の事や、実際に逃れた先などまでのことなどがもっとたくさんの人達に伝わることを願います。
まほうのべる
- milkさん からの返信 2018/02/14 00:10:43
- Re: 命のビザを繋いだ男
- べるちゃん、こんばんは。
ポポポ様、お二人のお話に割り込んでしまい、申し訳ありません。
私は3月にバルト三国に行く予定で、その日程の中には杉原千畝記念館も含まれています。
べるちゃんのこの旅行記とお二人のお話は、これから訪問する上でとっても参考になるものでした。
数年前に杉原千畝さんの存在を知り、映画も見て多少の事は知っていましたが、ビザを手にした方々がその後、どうやって逃げ延びたのかなどは私もず~っと考えていたのです。
命のリレーがあったのですね。
このお話を思い出しながら杉原千畝記念館をじっくりと見て来ようと思います。
勝手に参考にさせて頂き申し訳ございません。
milk
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/15 22:23:07
- RE: Re: 命のビザを繋いだ男
- > べるちゃん、こんばんは。
> ポポポ様、お二人のお話に割り込んでしまい、申し訳ありません。
>
> 私は3月にバルト三国に行く予定で、その日程の中には杉原千畝記念館も含まれています。
> べるちゃんのこの旅行記とお二人のお話は、これから訪問する上でとっても参考になるものでした。
> 数年前に杉原千畝さんの存在を知り、映画も見て多少の事は知っていましたが、ビザを手にした方々がその後、どうやって逃げ延びたのかなどは私もず?っと考えていたのです。
> 命のリレーがあったのですね。
>
> このお話を思い出しながら杉原千畝記念館をじっくりと見て来ようと思います。
> 勝手に参考にさせて頂き申し訳ございません。
>
> milk
こんばんは、milkさん。
べるは今からmilkさんが杉原千畝記念館に行かれるのを楽しみにしています。
ツアーなので現地ガイドさんがどのような説明をなさるのかすごく興味があります。
記念館ではどのぐらいの見学時間をとっているのかな?
展示物は個人で行くよりゆっくり見学できないかもしれませんが、現地ガイドさんという強い味方がついているので羨ましいです。
杉原千畝さんの功績は素晴らしいものですが、彼1人ではなしえなかったことです。本国の命令に背いてまで人道的な配慮から通過ビザを発行したことだけがクローズアップされるのはちょと違うかな?とも思います。
まほうのべる
-
- ことりsweetさん 2018/02/03 00:51:54
- 杉原千畝記念館
- まほうのべるさん、こんばんは。
杉原千畝記念館に無事いってらしたんですね。
私たちが行った時も工事中で何ともさえない外観でした。
安部さんの来訪時にあわせてのことだったんでしょうね。
主人は帰省の際、夏に岐阜の記念館まで出かけてきました。
そのため旅のメインテーマの一つだったようです。
ビデオも見せてもらいましたが、受付のリトアニアの女性は
丁寧な日本語で案内してくださいました。
べるさんの記事で再度あの時の内容を確認できました。
千畝さんが語学に素晴らしく堪能であったゆえにヨーロッパの各所の
領事としてお仕事され、ユダヤの方の実情を聞き
それを叶えるべく大変苦労されたんですよね。
そんな風に時代の流れと人の命と自分の職務、国に
はさまれるようにしてなされた決断に
ただ尊敬を感じる事しかできませんでした。
千畝さんの決断がずっと外務省では無理解であったけれど
ようやく謝罪と名誉回復となる道のりは長かったですね。
このように再度沢山の画像で追体験させてもらえてよかったです。
ありがとうございました。
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/03 20:08:19
- RE: 杉原千畝記念館
- > まほうのべるさん、こんばんは。
こんばんは、ことりsweeyさん。
いつも書き込み有難うございます。
> 杉原千畝記念館に無事いってらしたんですね。
> 私たちが行った時も工事中で何ともさえない外観でした。
> 安部さんの来訪時にあわせてのことだったんでしょうね。
> 主人は帰省の際、夏に岐阜の記念館まで出かけてきました。
> そのため旅のメインテーマの一つだったようです。
べるが訪れる時にはもう工事が終わっているのではと思いましたがまだ工事中でした。
住宅街の中にあり通り過ぎてしまいそうになりました。
安倍首相もその後訪れたとニュースで見ましたが、命の重さをしっかり感じていただけたらと思っています。
> ビデオも見せてもらいましたが、受付のリトアニアの女性は
> 丁寧な日本語で案内してくださいました。
よく見かける男性スタッフでしたが、女性の方がいらっしゃったときもあるんですね。
日本がとても上手でした。
> べるさんの記事で再度あの時の内容を確認できました。
> 千畝さんが語学に素晴らしく堪能であったゆえにヨーロッパの各所の
> 領事としてお仕事され、ユダヤの方の実情を聞き
> それを叶えるべく大変苦労されたんですよね。
> そんな風に時代の流れと人の命と自分の職務、国に
> はさまれるようにしてなされた決断に
> ただ尊敬を感じる事しかできませんでした。
千畝さんの父親からは医学部への入学をすすめられましたが、それを拒否して早稲田大学英語科に入学しました。在学中は成績優秀で風変わりな学生としても有名だったそうです。このころから自立した信念を持っていたのでしょうね。
沢山の人達が領事館の前に集まり、本国に何度訴えてもNOという経rン次しかなく心労は大変なものだったでしょう。自分だけではなく家族にも危害がおよぶかもしれない状態で良く決断なされたと思います。
> 千畝さんの決断がずっと外務省では無理解であったけれど
> ようやく謝罪と名誉回復となる道のりは長かったですね。
> このように再度沢山の画像で追体験させてもらえてよかったです。
> ありがとうございました。
このビザの発行が原因となり外務省を強制的に退職させられたとうい説や、懲戒処分を
受けた記録はないという説など様々な見解があるようです。でも、本国の命令に背いて勝手なことをしたと思われていたでしょうね。
奥様の幸子夫人の書によると、外務省の同僚からユダヤ人から金銭を受け取ってビザを発行していたという噂が流れたことが証言されているそうで、かなり無念なことだったと思います。利害関係がなければ本国の命令に背いてまでビザを発給するなんて信じられなかったのでしょうね。
今、ようやく千畝さんの行ったことの真意が理解されことはとても喜ばしい事と思います。
まほうのべる
-
- フィーコさん 2018/02/02 16:18:55
- 旧日本領事館
- まほうのべるさん こんにちは
あの住宅街で よく旧日本領事館見つけられましたね。
目印になるような物 ないですよね。
入場料 3ユーロもかかるのね。
ツアーは混みだったから知らなかったです。
お土産売り場の写真を見て、カウナスの旧市街地で買ったチョコが売っていたのね。
ツアーだとお客さんでお部屋がいっぱいになって 良く見れませんでした。
蜂蜜は買いましたよ(笑)
工事、12月1日には終わって足場もなくなっていました。
フィーコ
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/03 18:14:05
- RE: 旧日本領事館
- > まほうのべるさん こんにちは
こんにちは、フィーコさん。
いつも書き込み有難うございます。
> あの住宅街で よく旧日本領事館見つけられましたね。
> 目印になるような物 ないですよね。
そうなんです、全くの住宅街で屋根の色を目安に歩いたんですが、目印になるものは標識など何もなく通り過ぎようとしました。記念館まで何キロ先とか標識が一つもないのって何故?って感じでした。
> 入場料 3ユーロもかかるのね。
> ツアーは混みだったから知らなかったです。
やはり記念館を維持するのにはお金が必要なので3ユーロ入場料を支払います。教会はほぼ無料のビリニュスでは安くはないかもしれませんね。
> お土産売り場の写真を見て、カウナスの旧市街地で買ったチョコが売っていたのね。
カウナスの旧市街に行った時はもう夕暮れでお店にも入っていませんが、この記念館で売っていたチョコは旧市街でも打っていたんですね。ここでしか売っていないのかと思っていました。
> ツアーだとお客さんでお部屋がいっぱいになって 良く見れませんでした。
小さな記念館なのでツアーだと自分のペースで見られないし、展示の品々も人をかき分けて見なくては」ならなかったり大変ですよね。時間的にツアーの人達と一緒になるかとびくびくしていましたが、誰もいなくてゆっくり見学できました。
> 蜂蜜は買いましたよ(笑)
はちみつ美味しかったですか?
瓶詰は重いのでパスしちゃいました。
> 工事、12月1日には終わって足場もなくなっていました。
べるが行く頃には工事が終わっているのではと聞いていたんですが工事はまだ終わっていませんでした。フィーコさんが行かれた時は工事が終わってキレイになっていたんですね。
まほうのべる
-
- 夏子の探検さん 2018/02/02 15:55:48
- 私も・・・
- ベルさん、こんにちわ~~♪
私も同じ場所に行って、感動して帰って来ましたが、此れほどまで丁寧には書けません。感動は、多分同じでも、思いの重さが違うのだと反省しました。
杉原さんによって、救われた多くのユダヤ人達が、今でも世界中で活躍しています。
彼の必死の思いは、必ずやユダヤ人達の中に生きていると思うのです。
素晴らしい説明を加えて頂き、ありがとうございます。
夏子
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/03 17:48:55
- RE: 私も・・・
- > ベルさん、こんにちわ??♪
> 私も同じ場所に行って、感動して帰って来ましたが、此れほどまで丁寧には書けません。感動は、多分同じでも、思いの重さが違うのだと反省しました。
> 杉原さんによって、救われた多くのユダヤ人達が、今でも世界中で活躍しています。
> 彼の必死の思いは、必ずやユダヤ人達の中に生きていると思うのです。
> 素晴らしい説明を加えて頂き、ありがとうございます。
こんにちは、夏子の探検さん。
いつも書き込み有難うございます。
杉原千畝記念館でで購入したパンフレットに詳しく解説されていて、そのおかげで記念館での展示も理解できました。
記念館に行くまでは外交官としての立場より、人道的な立場にたっての行動だと思っていましたが、通過ビザを発行することが国益になると信じての行動だと知りました。
とても大変な立場でありながら冷静にこうどうなされたことは、同じ日本人として誇りに思います。
人に危害を加える人達には人の命の重さを知って欲しいと思います。
まほうのべる
-
- ままさん 2018/02/02 12:22:08
- 日本のシンドラー
べるちゃん こんにちは~(*^-^*)
杉原千畝さんは多くのユダヤ人に通過ピザを発給したことは
知っていましたが…
ナチスに迎合しない日本の姿勢を世界に示すことが国益だと思い
ビザを発給していたんですね
職を失うことを恐れず人道上を優先しビザ発給をし続けて どれだけ多くの
ユダヤ人を救ったことでしょうね。。日本のシンドラーですね。
べるちゃんの
「何故、世界平和をみんな祈っているのに実現できないのだろう?
赤ちゃんは祝福されて生まれてきたのに、何処で悪い人に変わって
いくんだろう。。」の言葉
私もどうしてなのだろう?って思います。。。
久しぶりに丁寧で感動する旅行記を拝見しました(感謝)
ベティーまま
- まほうのべるさん からの返信 2018/02/03 17:33:40
- RE: 日本のシンドラー
- >
> べるちゃん こんにちは?(*^-^*)
こんにちは、ペティーままさん。
いつも書き込み有難うございます。
> 杉原千畝さんは多くのユダヤ人に通過ピザを発給したことは
> 知っていましたが…
> ナチスに迎合しない日本の姿勢を世界に示すことが国益だと思い
> ビザを発給していたんですね
> 職を失うことを恐れず人道上を優先しビザ発給をし続けて どれだけ多くの
> ユダヤ人を救ったことでしょうね。。日本のシンドラーですね。
どうしても感情論が先行して、人道的な面を優先したと思い込んでいましたが、きちんと外交官として自分の行うことが国益になると信じてのビザ発行だったことを知りました。そして杉原千畝さんの発行したビザは日本を通過するビザで、オランダ領事館のツバルテンデイクさんの協力なしではたくさんのユダヤ人を救うことは出来ませんでした。
> べるちゃんの
> 「何故、世界平和をみんな祈っているのに実現できないのだろう?
> 赤ちゃんは祝福されて生まれてきたのに、何処で悪い人に変わって
> いくんだろう。。」の言葉
> 私もどうしてなのだろう?って思います。。。
赤ちゃんの時はみな天使だったのに、どこから悪い人になっていくんだろうといつも思いむなしくなっていきます。両親も愛情を注いで育てたでしょうにどうしてって。
昔は相手に憎悪が合って危害を加えることが多く、現在のように無差別に危害を加えるのは少なかったようにも思うのですが。人をただ殺しててみたかったという理由は全く理解できません。
> 久しぶりに丁寧で感動する旅行記を拝見しました。
>
有難うございました。
記念館を訪れ今まで知らなかったこと、勝手に解釈していたことなどがわかり有意義な時間を過ごすことが出来ました。
まほうのべる
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