2017/10/18 - 2017/10/18
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ドクターキムルさん
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大仏ハイキングコースに出て長い階段を上ると葛原岡の住宅の端に出る。傍らに空地が広がる前のハイキングコースに2羽の鶏がおり、ランニング姿の男性が鶏の写真を撮っている。「へー、鶏がいるんだ。」、「そこの家で飼っている鶏で、時々見掛けますよ。」。しかし異常に人懐っこい鶏だ。「こんなに人懐っこい鶏なら、今日みたいに寒いと捕まえて首を絞めて鍋にする奴がいるのでは?」と言うと、「あなたには特別に懐っこいのですよ。普通はこんなに人懐っこくはない。」
小学生低学年の頃を思い出した。家でお祖母さんが飼っていたチャボとシャモがいて、私も世話を手伝うことがあった。シャモは蛇を捕まえて食べたりしていて怖くて近寄れなかったが、チャボは可愛いので良く庭に放したりしていた。しかし、雄鶏が雌鶏の上に乗っていじめているので、番(つがい)のチャボを引き離していた。当時は交尾しているとは知らず、それでいて、鶏の白い卵より2周り位小さいチャボの薄茶色の卵は、少し親鳥が温めていたものを採って来て食べようと卵を割ると黄身がひよこの姿になっているものもあったのだが、チャボの受精卵と鶏の未受精卵があることを知ったのは小学生高学年になってからだ。
そんな訳で子供の頃から鶏は好きだったのだが、番を引き裂いてばかりいたので、チャボには好かれなかった。それがここ葛原岡の大仏ハイキングコースでは出会った鶏に好かれ、10分もズボンを突っつかれるままにしていた。子猫でもこれほど人懐っこいのに出合うことは滅多にないし、大きくなった猫ならぼそれ以上に稀にしかいない。
全く懐かなかった梟(フクロウ)やこうしたチャボやシャモ、それよりも小さかった頃には弱った白鷺(シラサギ)を抱きかかえていたら、そのまま息を引き取ったこと、飼っていた鶏が死んで裏山に穴を掘って墓を造ってやったことなどが思い出された。
それよりも何よりも、小学生低学年の頃の夢は大学を出てサラリーマンになって(、当時、お祖母さんがそう決めていた。)、55歳で定年になったら庭で鶏を飼うことであったが、所詮、都会ではそんなことが実現できる訳がない。
しかし、この歳になって、半世紀余り前に望んでいたことが、こうして鶏と接することが出来てほんの束の間の時間ではあったが至極の時を過ごせた。
しばらくして1羽の鶏が家に帰って行くと、もう1羽の鶏も後を追った。家の前で水を飲んで直ぐには家には入らない。まるで別れを惜しんでいるかのようだ。
(表紙写真は私にじゃれつく鶏)
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