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≪2017.Aug≫ヘタレあみんちゅ弾丸夜行バスの旅山口・広島~前編:回天の足跡編~<br /><br />4月に呉と広島、5月に呉と山口周南に行きました。行く目的地は多々決めるものの、当日の状況によっては『行けないところ』も出てきます。その行けなかった場所を集めると、実に『一回分』の行程では到底回り切れない『未訪問地』が残っていることに気付きました。勿論行程を組む際に現実に回ることができる『キャパ』をはるか越えていることに問題があるのですが、机上でわかるものの他に現地に行って初めてわかる『個々の距離』みたいなものもあることに間違いはありません。<br /><br />余裕のある行程にするとどうしても『周り切れるだろう』という安易な考えが出てしまい、結果として未訪問地が増えていく現実に、敢えて今回選んだのは…〝夜行バス往復〟!所謂〝0泊3日〟パターンでの旅は今年1月の『出雲・奈良』以来となります。この時は目的が限定されていたこともあり、十分な時間が取れることを踏まえてPlanningから実行しましたが、今回は『どうしても行きたい』場所をPickUpし、それに加えて『肉付け』をしてみました。<br /><br />最初のプランでは前日に出発し、江田島の海上自衛隊砲術学校見学を含めるものでしたが、夏バテしていたこともあり一日延期をしました。結果として宿泊を考える必要がなくなったので逆に『目的地間』を直行するルートとなったため、私ののらりくらりとした行程とはかなりかけ離れたものとなっています。<br /><br />今回の主な目的地はいずれも4・5月に訪れることができなかった『阿多田交流館』『国立広島原爆死没者追悼平和祈念館』『広島原爆平和記念資料館』の3ヶ所です。『国立広島原爆死没者追悼平和祈念館』『広島原爆平和記念資料館』共8月中は19:00まで開館していることもあえてこの時期に訪れようとした理由でもあります。しかしPlanning by たかティム with B型なので『当たり前』ということはありません。前日に決めた夜行バスから始まる今回の旅路、さあどんなものになったのでしょうか(笑)。<br /><br />平成29(2017)年8月28日月曜日<br />自宅 20:09<br />バス停 20:11<br />    20:12<br />  《京阪バス1号系統石山駅行き:230円》<br />田舎駅 20:26<br />    20:43<br />《JR新快速姫路行き:320円》<br />京都 20:58<br />   21:06<br />  《JR区間快速奈良行き》<br />東福寺 21:09<br />    21:14<br />《京阪本線準急出町柳行き:150円》<br />祇園四条 21:18<br />     21:45<br />  《ウィラーエキスプレス(コモド):5,900円(クーポン使用)5,600円》6300<br />  《車中泊》<br />梅田 22:59<br />   23:11<br />ユニバーサルシティ 23:40<br />   23:42<br /><br />平成29(2017)年8月29日火曜日<br />三宮 00:20<br />   00:27<br /> 《消灯 00:38》<br />三木SA 01:10<br />     01:30<br />広島駅南口 06:07<br />《朝食(ソーセージエッグマフィンセット):450円》<br />広島 06:58<br />  《JR普通由宇行き:410円》<br />宮島口 07:45<br />    07:45<br />  《松大汽船:180円》<br />宮島桟橋 07:53<br />  《宮島散策》<br />     09:10<br />  《JR連絡船:180円》<br />宮島口 09:20<br />    09:28<br />  《JR岩国行き:970円》<br />岩国 09:52<br />   09:56<br />《JR下関行き》<br />柳井 10:29<br />   10:50<br />《防長交通上関行き:570円》<br />田名 11:19<br />   11:21<br />阿多田交流館 11:24<br />       12:07<br />回天碑 12:14<br />    12:41<br />田名 12:51<br />   12:59<br />《防長交通柳井駅行き:570円》<br />柳井 13:32<br />  《飲み物:247円》<br />   13:59<br />《JR普通岩国行き:1,320円》<br />岩国 14:32<br />   14:49<br />《JR普通白市行き》<br />新白島 15:37<br />    15:53<br />  《アストラムライン:190円》<br />本通 16:03<br /><br />前日なんとなく体がだるいことを理由に出発を延期しました。昼間のバスを利用し宿泊をすることも考えましたが、さほどメリットがないことと旅費の削減のため、夜行バスを選びます。以前は京都発広島行きのJRバスもありましたが、現在では4列の青春ドリーム号だけになりました。大阪まで行けばありますが、極力バスに長時間乗っていたいため、少し金額は上がりますが、ウィラーエキスプレスの祇園四条駅発広島駅南口行きのバスを利用します。このバスは5月に3列シートで利用しているのですが、前回はコンビタイプのバスの前方が3列シートになっていました。コモドシートが導入された際に変わったのだろうとは思いますが、車両後方に3列シートが来ると夜間の休憩時に人通りが少なくなり、ガサガサすることがなくなりました。東京路線のように『競争』がある区間でもないため、それ以上のシートが導入されることもないかとは思いますが、プライベートカーテン付きのコモドシートは十分快適なものですし、加えて乗務員2名の『安心感』はやはりなにものにも代え難い魅力のように感じます。<br /><br />ただこの祇園四条駅というのが南淡海の田舎の我が家から交通の便がよろしくありません。そのため余裕をみると2時間前に出発しなければなりません。しか~しバス停しかない祇園四条駅のバス停で時間潰しも苦痛です。そこでチャレンジャーは敢えて出発を遅らせます。予定より一本遅いバスを利用し、京都駅から奈良線東福寺を経由し、京阪本線で祇園四条駅に至るルートを取ります。えらい遠回りのように思えるこのルートですが、山科で京都市営地下鉄に乗り換えて三条京阪で下車して歩くより10円高いだけです。所要時間も歩く時間を加えると、むしろ短いことがほとんどなので、使えるルートには違いありません。<br /><br />うちは夜行の場合誰も送ってくれないのでバスで行かなければなりません。田舎の赤バスに始まりJRと京阪本線を利用して祇園四条駅21:18到着。一本早いバスを利用して山科から地下鉄を利用した場合とほとんど変わらず到着しました。<br /><br />祇園四条駅バス停では広島駅南口行きの前に大阪バスの東大阪布施行きのバスがあります。21:35の出発なのでその出発後に入線します。5月は日野のセレガでしたが、三菱ふそうのエアロクィーンになっていました。シートもリラックスワイドからコモドに代わり快適なバス旅が送れます♪定刻に出発し、高速を経由して梅田・ユニバーサルシティ・三宮で乗車の取り扱いをした後、一旦消灯になります。1:10に山陽道三木サービスエリアに到着して休憩を取った後再び走り出します。その後しばらくzzzで、降車を扱う広島大学でなんとなく意識があるものの、目が覚めたのは間もなく広島駅南口到着のコールでした。<br /><br />若干早着して広島駅南口に到着し、駅へと向かいます。とにかくお腹が減ったこともあり、幾度となく来ている『マクドナルドJR広島駅店』で朝マックをします。ソーセージエッグマフィンセットを注文しますが、今回はとにかく時間優先の旅ゆえ寛ぐ間もなくお店を出ます。当初の予定では広島電鉄で宮島口に行く予定でしたが朝マックによって時間が過ぎてしまい、次の電車を利用すると時間的な影響が出ると判断し、結果JRに振り替えることにします。<br /><br />新しくなった広島駅は綺麗になりましたが勝手がわかりません。とにかくホームに降りるとそこには由宇行きの227系RedWingが停まっています。期待して乗り込むもののそこは普通の近郊型通勤列車。まあ変わりないな~なんて思っていると29分で宮島口に到着します。そして宮島に渡るため桟橋へと向かいますが、国道2号線を越えるのにまさかのアンダーパス。地下道を下りて上って宮島口桟橋に到着すると今度は船会社の選択が待っています。JRと松大汽船のダブルトラックですが、チケットの共通利用はできないので注意が必要です。とりあえず出発の早い松大汽船に乗ることにします。乗ってしまうと8分程で到着するため、船旅を楽しむこともありません。そして初めて宮島に上陸しますが、8時前という早い時間ゆえお店も開いていません。おまけに干潮時だったため、よく見る写真のような宮島や厳島神社の姿もありません。そのような時間ゆえ空いてはいるのですが、やはりこのような背景で来ることがなくなる理由にしたくなかったこともあり、厳島神社へは参拝をしませんでした。そのため宮島にはただ上陸をしただけに過ぎません。その後の行程のこともあり予定では1時間20分の滞在でしたが、ただブラブラ歩いただけで宮島桟橋に戻って来ました。<br /><br />行きは松大汽船を使ったので、帰りはJRの連絡船を利用します。宮島口桟橋には『大鳥居に近づくのはJRのみ』と書かれていましたが、朝の時間帯にはそれはありません(笑)。行きとは逆を行く航路で宮島口桟橋に到着。やはり所要8分の船旅でした。<br /><br />宮島口桟橋と宮島口駅の距離はさほどないものの、国道2号線のアンダーパスがあるため、意外に距離があるように思えます。勿論気のせいで一服して8分の乗り継ぎができたのはその理由かな(笑)。<br /><br />9:28発岩国行きは227系でしたが僅か30分の乗車です。そして乗り継いだ下関行きは見慣れた115系末期色です。3回立て続けに広島・山口を訪れて見慣れてしまった末期色なので、なんかホッとしてしまいます(笑)。岩国からも約30分で家内に到着し、田舎のバス旅に変わります。しか~しここで問題が発覚します。宮島口の乗車時にいつものようにPiTaPaをかざして乗車しましたが、広島エリアの電子マネーで乗降できるのは南岩国まで。つまり以西の駅である柳井では読み取りができません。いつもだとそこらは確認しているのですが、乗り継ぎ時間が微妙だったためうっかりしていました。準田舎駅(笑)ならば減加算をする端末があるのですがそれすらもなく、結局宮島口~柳井迄の970円を清算し、後で乗車記録を消して貰ってとのこと。あ~面倒くさ~。<br /><br />まあ文句を言っても始まらないので、清算を済ませて駅舎を出ます。目的地である田名迄のバスは1番乗り場から出発します。防長交通路線ですが、赤字路線なのか壊れたバス停すらそのままです。やはりここでも30分の待ち時間の後『新車ではない』けど『使い古し』でもない中型バスが入線します。地方で現役のバスというと、都市部で使い古した整備のし難い『ノンステップのミッション車』というイメージがあるのですが、普通にオートマチック車でした。ただ田舎というと生活と車が切り離せないため、おじぃやおばぁの運転する『軽トラ』がチンタラ走っていますが、どうやら運転士氏はそれが我慢ならない性分のようでした。アクセルを踏むと加速するオートマチックバスはドライバーの性格がモロに出ます。別に少しくらい遅れても良いのに~なんて思いながら『時間厳守の走り』のバスはブイブイ言いながら走って行きました。<br /><br />これもまた30分で田名バス停に到着します。降りた瞬間『The田舎~』という場所でした。バス停に着いて周りを見渡すとちゃんと目的地が書かれています。『阿多田交流館』、5月に訪れた周南市の大津島でまさかの『乗り遅れ』を期してしまったために来れなかった場所のひとつです。この阿多田交流館はどちらかというと『郷土資料館』というカテゴリー分けをされていることが多く、『目的』がはっきりして来館することはそれ程高い確率ではないような話を聞きました。ただ私の今回の旅路に於ける『主目的』として挙げているように、とある関心がある方には『聖地』のひとつであることは間違いありません。その関心とは…第二次世界大戦末期に行われた『特別攻撃』のひとつである『人間魚雷回天』に関することになります。多くの方が知っていることではありますが、敗戦色濃厚になった大戦末期に爆弾を搭載した『兵器』に搭乗員席を設け、人が操縦したまま敵艦に突っ込んで撃沈させるという『特攻』が行われました。詳細は改めて述べることとし、元々高性能の魚雷のひとつとして開発された『93式酸素魚雷』が海軍工廠に余っていたからそれを改造し、特攻兵器に仕立て上げたその背景や取り巻く環境が知りたくて訪れました。<br /><br />田名バス停から徒歩3分で阿多田交流館に到着します。入口は開いているものの人がいる気配がしません。よく見ると事務所におじぃがひとりおられます。一応『見学させて下さい』と声を掛けて入館します。元々平生町歴史民俗資料館に展示されていた『回天』に纏わる品々を平成16(2004)年にオープンした阿多田交流館に移されているため『平生回天資料館』という印象を受けます。本来ならば『歴史民俗資料館』の展示内容になりますが、交流館すぐ近くに神花山古墳があり、戦時中高射砲陣地を海軍が構築している際に石棺が出土し、中から古墳時代の人骨がほぼ完全な形で見つかりました。しかし戦中戦後の混乱の中で多くは失われ、今では頭骨のみが残っています。発掘当時は壮年男性のものと思われていましたが、昭和62(1987)年に長崎大医学部の松下教授によって20代後半の女性のものの頭骨と判明しました。古墳時代の女性の人骨が発見されるのは珍しいこともあり、昭和57(1982)年に神花山古墳は山口県指定史跡となっています。その絡みもあり、一部神花山古墳に関する展示もありました。そしていよいよ5月に訪れることができなかったことが夢にまで出てきた『回天』の展示を見学していくことになります。<br /><br />だいたい40分位で見学を終えることができますが、交流館の近くに『回天碑』が移設されていることを知っていたので、館長らしきおじぃに距離と時間を聞いて出発します。海辺の道を歩くこと7分程で『回天碑』に到着します。碑からは70余年前に回天搭乗員が訓練をした『海』が望めます。この場所の選定には元搭乗員の生存者の意見が採用されているため、全くここで訓練をされていた訳ではないものの、その建立場所の選択理由は十分納得のいくものでした。ただ訪れる人はどこの慰霊碑でも同じなのか、すでに枯れてしまった献花が哀愁を誘います。平生町の現代史には欠かすことのできない『回天』が築いた一時代と記述がされているのであれば、なんらかの形で献花は絶やさないようにしてもらえないかとふと思いました。<br /><br />戦争によって見つかった古代女性の『人骨』、そして人間魚雷回天の基地。正の遺産と負の遺産ではありますが、平生町の成り立ちには欠かせない史実だと思います。陣地構築時には神花山古墳の存在は知られていたものの、『戦争』という時代背景では『保存』という手段はとられなかったのが事実です。神花山古墳を潜るかの如く『防空壕』が掘られており、封鎖はされているもののやはり景観としては壊されています。古墳時代くぉ取るか戦中を取るかは難しいことなのかも知れませんが、やはりどちらも町の『歴史』として謳っているのであれば、その両立を図るような取り組みの必要性を感じます。古墳を崩してまで作られた防空壕は、知る人もなく交流館を訪れた多くの方々が存在すら知らないまま帰っていく現実にはいたたまれないものを感じました。<br /><br />そん感じでファーストミッションをクリアし、一旦阿多田交流館へと戻って来ます。取りあえず天気が良過ぎて喉が渇くので、ジュースを購入して一服します。そして次の目的地である広島への移動のため、田名のバス停へと向かいます。田舎のバスにありがちな『両方向バス停』、つまり行きのバス停と帰りのバス停の位置関係は、行きのバス停の反対側だということを信じて疑わなかったため、下車したバス停の向かい側でバスを待ちます。しかし時間通りに来たバスはなぜか不自然な停まり方でした…。客なんていないから慌てて停まったんだろう…と思っていましたが、柳井の駅に着いたときに行きと料金が違うため、運転士氏にその旨を告げたところまさかの『バス停存在説』!行きのバス停をそのまま通り過ぎたところにバス停がにあります…と言われた時には恥ずかしくて顔が真っ赤になりました(恥)。まぁとにもかくにもほぼ予定通りに柳井駅に戻って来れたため良しとしましょう…。<br /><br />白壁群が残る柳井の街は古墳時代の前方後円墳が残る歴史ある街です。平安時代には京都の寺院の『荘園』とされ、楊井庄が設置されています。江戸時代には吉川氏岩国藩に属し『岩国吉川領の御納戸』と称される程の繁栄を極めていました。明治期に入り農業産品の集積地としての柳井の街は、商業を中心としながら零細な製造業も存在していました。加えて山陽鉄道が敷設された当時は機関区が置かれておりほとんどの列車は停車していました。第二次世界大戦中には海軍大竹潜水学校柳井分校が設置され、特殊潜航艇の訓練施設となっていました。戦後昭和20(1945)年9月15日に終戦により閉校となるも、農村景気までは繁栄を謳歌していました。それ以降も工場誘致や商業開発がある程度進んだものの、地理的な関係で岩徳線や国道2号、山陽新幹線や山陽自動車道という幹線路が柳井を経由せずに整備され、軍需都市からの転換で周南地区や岩国市が高度経済成長期に発展したことと比較するとその時流に乗ることができず取り残されました。それ故歴史的建造物が多々残っているのがこの柳井の街の良さかも知れません。時間があれば散策したい気持ちはあれど、今回は『時間優先の旅』ゆえ、次回以降の『訪問地』のひとつとして記録し、次の目的地である広島を目指します。<br /><br />青森ねぶたをモチーフとして作られたとされる柳井の伝統工芸品である『金魚ちょうちん』。柳井縞の染料を使われているものですが、駅ホームに並べられて風に吹かれています。ゆらゆらと泳ぐ様はまさしく生きている金魚のように思います。間もなく岩国行きの末期色系電車が入線し、柳井の街を後にします。<br /><br />柳井を出発して間もなく瀬戸内海に掛かる大きな橋が見えてきます。大島大橋、本土と周防大島を結ぶ橋ですが、今年5月に大津島から陸奥記念館へと向かう際に通っています。ハンドルを握って渡ったときは景色を楽しむ余裕はありませんでした。陸奥記念館の閉館時間を考慮して制限速度内で飛ばしていたこともありますが、なにより制限速度以下でチンタラ走る『軽トラ』にいらいらしっぱなしだったこともひとつの理由です。今回はレンタカーを利用せず公共交通機関を利用しての旅ゆえの~んびりと景色を楽しむことができます♪最近は所要時間や交通の便が悪いところを回ることが多いこともあり、ついついレンタカーを利用するようになっていますが、電車旅もなかなか良いな~なんて改めて思った約一名でした(笑)。<br /><br />山陽本線普通列車の旅は瀬戸内海を車窓に眺めながらのんびりと走るものの、やはり30分程で岩国へと到着します。到着ホームの向かい側には広島方面から来た227系車両が入線し、これが折り返すのか…と思っていましたが違いました。結局20分弱の乗り換えで乗車したのは定番の〝末期色115系〟。最初は面白くない…と思っていましたが、健気に走る旧国鉄車両に、老体に鞭打って仕事をしている(?)私自身の投射に見えて『頑張れ~』とエールを贈りたくなっている自分の姿に気付きます(笑)。<br /><br />岩国から広島平和記念公園一帯に向かうにはいろいろなルートがあります。宮島口や西広島・横川や広島で広島電鉄に乗り換えるルートが表示されますが、値段はともかく『乗ったことのない運輸機関』の乗車体験を増やすため、新白島で下車します。JRと広島高速鉄道『アストラムライン』との乗換駅でもあり、高速バスに乗り換える駅でもある新しい駅ですが、お恥ずかしいことに『新白島』を『新白鳥』とずっと勘違いしていました。おまけにこの旅行記を書くまでは、『しんはくしま』ではなく『しんしろしま』だと思っていたのは京都出身にもかかわらず、日本全国の『鉄道マップ』を子供の頃に覚えてしまって『本当は出身どこ?』と頭を傾げられることの多いたかティムその人でした(恥)。<br /><br />二面ホームの新白島駅で下車し、岩国から乗ってきた白市行きを見送ります。広島エリアのJR乗車はこれが最後なので、次に広島を訪れるときにも『お世話になるね~』という想いも込めます♪広島で最も新しい鉄道であるアストラムライン、新交通であるため車両を見ることができません。JRとは直角に交わっているため駅舎も違います。ただ陸橋でつながっているので迷うことはありません。最近広島電鉄が値上がりしたため、差は狭まりましたが、都市交通で3駅『190円』っていうのは、何となく割高感を覚えます。<br /><br />終点の本通駅で下車しますが、ここはもう街中感が漂っています。柳井→岩国→新白島→本通とやってきてやっと『都会』にやってきました(笑)。<br /><br />《次編に続く》

≪2017.Aug≫ヘタレあみんちゅ弾丸夜行バスの旅山口・広島~前編:回天の足跡編~

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2017/08/28 - 2017/08/30

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

≪2017.Aug≫ヘタレあみんちゅ弾丸夜行バスの旅山口・広島~前編:回天の足跡編~

4月に呉と広島、5月に呉と山口周南に行きました。行く目的地は多々決めるものの、当日の状況によっては『行けないところ』も出てきます。その行けなかった場所を集めると、実に『一回分』の行程では到底回り切れない『未訪問地』が残っていることに気付きました。勿論行程を組む際に現実に回ることができる『キャパ』をはるか越えていることに問題があるのですが、机上でわかるものの他に現地に行って初めてわかる『個々の距離』みたいなものもあることに間違いはありません。

余裕のある行程にするとどうしても『周り切れるだろう』という安易な考えが出てしまい、結果として未訪問地が増えていく現実に、敢えて今回選んだのは…〝夜行バス往復〟!所謂〝0泊3日〟パターンでの旅は今年1月の『出雲・奈良』以来となります。この時は目的が限定されていたこともあり、十分な時間が取れることを踏まえてPlanningから実行しましたが、今回は『どうしても行きたい』場所をPickUpし、それに加えて『肉付け』をしてみました。

最初のプランでは前日に出発し、江田島の海上自衛隊砲術学校見学を含めるものでしたが、夏バテしていたこともあり一日延期をしました。結果として宿泊を考える必要がなくなったので逆に『目的地間』を直行するルートとなったため、私ののらりくらりとした行程とはかなりかけ離れたものとなっています。

今回の主な目的地はいずれも4・5月に訪れることができなかった『阿多田交流館』『国立広島原爆死没者追悼平和祈念館』『広島原爆平和記念資料館』の3ヶ所です。『国立広島原爆死没者追悼平和祈念館』『広島原爆平和記念資料館』共8月中は19:00まで開館していることもあえてこの時期に訪れようとした理由でもあります。しかしPlanning by たかティム with B型なので『当たり前』ということはありません。前日に決めた夜行バスから始まる今回の旅路、さあどんなものになったのでしょうか(笑)。

平成29(2017)年8月28日月曜日
自宅 20:09
バス停 20:11
    20:12
  《京阪バス1号系統石山駅行き:230円》
田舎駅 20:26
    20:43
《JR新快速姫路行き:320円》
京都 20:58
   21:06
  《JR区間快速奈良行き》
東福寺 21:09
    21:14
《京阪本線準急出町柳行き:150円》
祇園四条 21:18
     21:45
  《ウィラーエキスプレス(コモド):5,900円(クーポン使用)5,600円》6300
  《車中泊》
梅田 22:59
   23:11
ユニバーサルシティ 23:40
   23:42

平成29(2017)年8月29日火曜日
三宮 00:20
   00:27
 《消灯 00:38》
三木SA 01:10
     01:30
広島駅南口 06:07
《朝食(ソーセージエッグマフィンセット):450円》
広島 06:58
  《JR普通由宇行き:410円》
宮島口 07:45
    07:45
  《松大汽船:180円》
宮島桟橋 07:53
  《宮島散策》
     09:10
  《JR連絡船:180円》
宮島口 09:20
    09:28
  《JR岩国行き:970円》
岩国 09:52
   09:56
《JR下関行き》
柳井 10:29
   10:50
《防長交通上関行き:570円》
田名 11:19
   11:21
阿多田交流館 11:24
       12:07
回天碑 12:14
    12:41
田名 12:51
   12:59
《防長交通柳井駅行き:570円》
柳井 13:32
  《飲み物:247円》
   13:59
《JR普通岩国行き:1,320円》
岩国 14:32
   14:49
《JR普通白市行き》
新白島 15:37
    15:53
  《アストラムライン:190円》
本通 16:03

前日なんとなく体がだるいことを理由に出発を延期しました。昼間のバスを利用し宿泊をすることも考えましたが、さほどメリットがないことと旅費の削減のため、夜行バスを選びます。以前は京都発広島行きのJRバスもありましたが、現在では4列の青春ドリーム号だけになりました。大阪まで行けばありますが、極力バスに長時間乗っていたいため、少し金額は上がりますが、ウィラーエキスプレスの祇園四条駅発広島駅南口行きのバスを利用します。このバスは5月に3列シートで利用しているのですが、前回はコンビタイプのバスの前方が3列シートになっていました。コモドシートが導入された際に変わったのだろうとは思いますが、車両後方に3列シートが来ると夜間の休憩時に人通りが少なくなり、ガサガサすることがなくなりました。東京路線のように『競争』がある区間でもないため、それ以上のシートが導入されることもないかとは思いますが、プライベートカーテン付きのコモドシートは十分快適なものですし、加えて乗務員2名の『安心感』はやはりなにものにも代え難い魅力のように感じます。

ただこの祇園四条駅というのが南淡海の田舎の我が家から交通の便がよろしくありません。そのため余裕をみると2時間前に出発しなければなりません。しか~しバス停しかない祇園四条駅のバス停で時間潰しも苦痛です。そこでチャレンジャーは敢えて出発を遅らせます。予定より一本遅いバスを利用し、京都駅から奈良線東福寺を経由し、京阪本線で祇園四条駅に至るルートを取ります。えらい遠回りのように思えるこのルートですが、山科で京都市営地下鉄に乗り換えて三条京阪で下車して歩くより10円高いだけです。所要時間も歩く時間を加えると、むしろ短いことがほとんどなので、使えるルートには違いありません。

うちは夜行の場合誰も送ってくれないのでバスで行かなければなりません。田舎の赤バスに始まりJRと京阪本線を利用して祇園四条駅21:18到着。一本早いバスを利用して山科から地下鉄を利用した場合とほとんど変わらず到着しました。

祇園四条駅バス停では広島駅南口行きの前に大阪バスの東大阪布施行きのバスがあります。21:35の出発なのでその出発後に入線します。5月は日野のセレガでしたが、三菱ふそうのエアロクィーンになっていました。シートもリラックスワイドからコモドに代わり快適なバス旅が送れます♪定刻に出発し、高速を経由して梅田・ユニバーサルシティ・三宮で乗車の取り扱いをした後、一旦消灯になります。1:10に山陽道三木サービスエリアに到着して休憩を取った後再び走り出します。その後しばらくzzzで、降車を扱う広島大学でなんとなく意識があるものの、目が覚めたのは間もなく広島駅南口到着のコールでした。

若干早着して広島駅南口に到着し、駅へと向かいます。とにかくお腹が減ったこともあり、幾度となく来ている『マクドナルドJR広島駅店』で朝マックをします。ソーセージエッグマフィンセットを注文しますが、今回はとにかく時間優先の旅ゆえ寛ぐ間もなくお店を出ます。当初の予定では広島電鉄で宮島口に行く予定でしたが朝マックによって時間が過ぎてしまい、次の電車を利用すると時間的な影響が出ると判断し、結果JRに振り替えることにします。

新しくなった広島駅は綺麗になりましたが勝手がわかりません。とにかくホームに降りるとそこには由宇行きの227系RedWingが停まっています。期待して乗り込むもののそこは普通の近郊型通勤列車。まあ変わりないな~なんて思っていると29分で宮島口に到着します。そして宮島に渡るため桟橋へと向かいますが、国道2号線を越えるのにまさかのアンダーパス。地下道を下りて上って宮島口桟橋に到着すると今度は船会社の選択が待っています。JRと松大汽船のダブルトラックですが、チケットの共通利用はできないので注意が必要です。とりあえず出発の早い松大汽船に乗ることにします。乗ってしまうと8分程で到着するため、船旅を楽しむこともありません。そして初めて宮島に上陸しますが、8時前という早い時間ゆえお店も開いていません。おまけに干潮時だったため、よく見る写真のような宮島や厳島神社の姿もありません。そのような時間ゆえ空いてはいるのですが、やはりこのような背景で来ることがなくなる理由にしたくなかったこともあり、厳島神社へは参拝をしませんでした。そのため宮島にはただ上陸をしただけに過ぎません。その後の行程のこともあり予定では1時間20分の滞在でしたが、ただブラブラ歩いただけで宮島桟橋に戻って来ました。

行きは松大汽船を使ったので、帰りはJRの連絡船を利用します。宮島口桟橋には『大鳥居に近づくのはJRのみ』と書かれていましたが、朝の時間帯にはそれはありません(笑)。行きとは逆を行く航路で宮島口桟橋に到着。やはり所要8分の船旅でした。

宮島口桟橋と宮島口駅の距離はさほどないものの、国道2号線のアンダーパスがあるため、意外に距離があるように思えます。勿論気のせいで一服して8分の乗り継ぎができたのはその理由かな(笑)。

9:28発岩国行きは227系でしたが僅か30分の乗車です。そして乗り継いだ下関行きは見慣れた115系末期色です。3回立て続けに広島・山口を訪れて見慣れてしまった末期色なので、なんかホッとしてしまいます(笑)。岩国からも約30分で家内に到着し、田舎のバス旅に変わります。しか~しここで問題が発覚します。宮島口の乗車時にいつものようにPiTaPaをかざして乗車しましたが、広島エリアの電子マネーで乗降できるのは南岩国まで。つまり以西の駅である柳井では読み取りができません。いつもだとそこらは確認しているのですが、乗り継ぎ時間が微妙だったためうっかりしていました。準田舎駅(笑)ならば減加算をする端末があるのですがそれすらもなく、結局宮島口~柳井迄の970円を清算し、後で乗車記録を消して貰ってとのこと。あ~面倒くさ~。

まあ文句を言っても始まらないので、清算を済ませて駅舎を出ます。目的地である田名迄のバスは1番乗り場から出発します。防長交通路線ですが、赤字路線なのか壊れたバス停すらそのままです。やはりここでも30分の待ち時間の後『新車ではない』けど『使い古し』でもない中型バスが入線します。地方で現役のバスというと、都市部で使い古した整備のし難い『ノンステップのミッション車』というイメージがあるのですが、普通にオートマチック車でした。ただ田舎というと生活と車が切り離せないため、おじぃやおばぁの運転する『軽トラ』がチンタラ走っていますが、どうやら運転士氏はそれが我慢ならない性分のようでした。アクセルを踏むと加速するオートマチックバスはドライバーの性格がモロに出ます。別に少しくらい遅れても良いのに~なんて思いながら『時間厳守の走り』のバスはブイブイ言いながら走って行きました。

これもまた30分で田名バス停に到着します。降りた瞬間『The田舎~』という場所でした。バス停に着いて周りを見渡すとちゃんと目的地が書かれています。『阿多田交流館』、5月に訪れた周南市の大津島でまさかの『乗り遅れ』を期してしまったために来れなかった場所のひとつです。この阿多田交流館はどちらかというと『郷土資料館』というカテゴリー分けをされていることが多く、『目的』がはっきりして来館することはそれ程高い確率ではないような話を聞きました。ただ私の今回の旅路に於ける『主目的』として挙げているように、とある関心がある方には『聖地』のひとつであることは間違いありません。その関心とは…第二次世界大戦末期に行われた『特別攻撃』のひとつである『人間魚雷回天』に関することになります。多くの方が知っていることではありますが、敗戦色濃厚になった大戦末期に爆弾を搭載した『兵器』に搭乗員席を設け、人が操縦したまま敵艦に突っ込んで撃沈させるという『特攻』が行われました。詳細は改めて述べることとし、元々高性能の魚雷のひとつとして開発された『93式酸素魚雷』が海軍工廠に余っていたからそれを改造し、特攻兵器に仕立て上げたその背景や取り巻く環境が知りたくて訪れました。

田名バス停から徒歩3分で阿多田交流館に到着します。入口は開いているものの人がいる気配がしません。よく見ると事務所におじぃがひとりおられます。一応『見学させて下さい』と声を掛けて入館します。元々平生町歴史民俗資料館に展示されていた『回天』に纏わる品々を平成16(2004)年にオープンした阿多田交流館に移されているため『平生回天資料館』という印象を受けます。本来ならば『歴史民俗資料館』の展示内容になりますが、交流館すぐ近くに神花山古墳があり、戦時中高射砲陣地を海軍が構築している際に石棺が出土し、中から古墳時代の人骨がほぼ完全な形で見つかりました。しかし戦中戦後の混乱の中で多くは失われ、今では頭骨のみが残っています。発掘当時は壮年男性のものと思われていましたが、昭和62(1987)年に長崎大医学部の松下教授によって20代後半の女性のものの頭骨と判明しました。古墳時代の女性の人骨が発見されるのは珍しいこともあり、昭和57(1982)年に神花山古墳は山口県指定史跡となっています。その絡みもあり、一部神花山古墳に関する展示もありました。そしていよいよ5月に訪れることができなかったことが夢にまで出てきた『回天』の展示を見学していくことになります。

だいたい40分位で見学を終えることができますが、交流館の近くに『回天碑』が移設されていることを知っていたので、館長らしきおじぃに距離と時間を聞いて出発します。海辺の道を歩くこと7分程で『回天碑』に到着します。碑からは70余年前に回天搭乗員が訓練をした『海』が望めます。この場所の選定には元搭乗員の生存者の意見が採用されているため、全くここで訓練をされていた訳ではないものの、その建立場所の選択理由は十分納得のいくものでした。ただ訪れる人はどこの慰霊碑でも同じなのか、すでに枯れてしまった献花が哀愁を誘います。平生町の現代史には欠かすことのできない『回天』が築いた一時代と記述がされているのであれば、なんらかの形で献花は絶やさないようにしてもらえないかとふと思いました。

戦争によって見つかった古代女性の『人骨』、そして人間魚雷回天の基地。正の遺産と負の遺産ではありますが、平生町の成り立ちには欠かせない史実だと思います。陣地構築時には神花山古墳の存在は知られていたものの、『戦争』という時代背景では『保存』という手段はとられなかったのが事実です。神花山古墳を潜るかの如く『防空壕』が掘られており、封鎖はされているもののやはり景観としては壊されています。古墳時代くぉ取るか戦中を取るかは難しいことなのかも知れませんが、やはりどちらも町の『歴史』として謳っているのであれば、その両立を図るような取り組みの必要性を感じます。古墳を崩してまで作られた防空壕は、知る人もなく交流館を訪れた多くの方々が存在すら知らないまま帰っていく現実にはいたたまれないものを感じました。

そん感じでファーストミッションをクリアし、一旦阿多田交流館へと戻って来ます。取りあえず天気が良過ぎて喉が渇くので、ジュースを購入して一服します。そして次の目的地である広島への移動のため、田名のバス停へと向かいます。田舎のバスにありがちな『両方向バス停』、つまり行きのバス停と帰りのバス停の位置関係は、行きのバス停の反対側だということを信じて疑わなかったため、下車したバス停の向かい側でバスを待ちます。しかし時間通りに来たバスはなぜか不自然な停まり方でした…。客なんていないから慌てて停まったんだろう…と思っていましたが、柳井の駅に着いたときに行きと料金が違うため、運転士氏にその旨を告げたところまさかの『バス停存在説』!行きのバス停をそのまま通り過ぎたところにバス停がにあります…と言われた時には恥ずかしくて顔が真っ赤になりました(恥)。まぁとにもかくにもほぼ予定通りに柳井駅に戻って来れたため良しとしましょう…。

白壁群が残る柳井の街は古墳時代の前方後円墳が残る歴史ある街です。平安時代には京都の寺院の『荘園』とされ、楊井庄が設置されています。江戸時代には吉川氏岩国藩に属し『岩国吉川領の御納戸』と称される程の繁栄を極めていました。明治期に入り農業産品の集積地としての柳井の街は、商業を中心としながら零細な製造業も存在していました。加えて山陽鉄道が敷設された当時は機関区が置かれておりほとんどの列車は停車していました。第二次世界大戦中には海軍大竹潜水学校柳井分校が設置され、特殊潜航艇の訓練施設となっていました。戦後昭和20(1945)年9月15日に終戦により閉校となるも、農村景気までは繁栄を謳歌していました。それ以降も工場誘致や商業開発がある程度進んだものの、地理的な関係で岩徳線や国道2号、山陽新幹線や山陽自動車道という幹線路が柳井を経由せずに整備され、軍需都市からの転換で周南地区や岩国市が高度経済成長期に発展したことと比較するとその時流に乗ることができず取り残されました。それ故歴史的建造物が多々残っているのがこの柳井の街の良さかも知れません。時間があれば散策したい気持ちはあれど、今回は『時間優先の旅』ゆえ、次回以降の『訪問地』のひとつとして記録し、次の目的地である広島を目指します。

青森ねぶたをモチーフとして作られたとされる柳井の伝統工芸品である『金魚ちょうちん』。柳井縞の染料を使われているものですが、駅ホームに並べられて風に吹かれています。ゆらゆらと泳ぐ様はまさしく生きている金魚のように思います。間もなく岩国行きの末期色系電車が入線し、柳井の街を後にします。

柳井を出発して間もなく瀬戸内海に掛かる大きな橋が見えてきます。大島大橋、本土と周防大島を結ぶ橋ですが、今年5月に大津島から陸奥記念館へと向かう際に通っています。ハンドルを握って渡ったときは景色を楽しむ余裕はありませんでした。陸奥記念館の閉館時間を考慮して制限速度内で飛ばしていたこともありますが、なにより制限速度以下でチンタラ走る『軽トラ』にいらいらしっぱなしだったこともひとつの理由です。今回はレンタカーを利用せず公共交通機関を利用しての旅ゆえの~んびりと景色を楽しむことができます♪最近は所要時間や交通の便が悪いところを回ることが多いこともあり、ついついレンタカーを利用するようになっていますが、電車旅もなかなか良いな~なんて改めて思った約一名でした(笑)。

山陽本線普通列車の旅は瀬戸内海を車窓に眺めながらのんびりと走るものの、やはり30分程で岩国へと到着します。到着ホームの向かい側には広島方面から来た227系車両が入線し、これが折り返すのか…と思っていましたが違いました。結局20分弱の乗り換えで乗車したのは定番の〝末期色115系〟。最初は面白くない…と思っていましたが、健気に走る旧国鉄車両に、老体に鞭打って仕事をしている(?)私自身の投射に見えて『頑張れ~』とエールを贈りたくなっている自分の姿に気付きます(笑)。

岩国から広島平和記念公園一帯に向かうにはいろいろなルートがあります。宮島口や西広島・横川や広島で広島電鉄に乗り換えるルートが表示されますが、値段はともかく『乗ったことのない運輸機関』の乗車体験を増やすため、新白島で下車します。JRと広島高速鉄道『アストラムライン』との乗換駅でもあり、高速バスに乗り換える駅でもある新しい駅ですが、お恥ずかしいことに『新白島』を『新白鳥』とずっと勘違いしていました。おまけにこの旅行記を書くまでは、『しんはくしま』ではなく『しんしろしま』だと思っていたのは京都出身にもかかわらず、日本全国の『鉄道マップ』を子供の頃に覚えてしまって『本当は出身どこ?』と頭を傾げられることの多いたかティムその人でした(恥)。

二面ホームの新白島駅で下車し、岩国から乗ってきた白市行きを見送ります。広島エリアのJR乗車はこれが最後なので、次に広島を訪れるときにも『お世話になるね~』という想いも込めます♪広島で最も新しい鉄道であるアストラムライン、新交通であるため車両を見ることができません。JRとは直角に交わっているため駅舎も違います。ただ陸橋でつながっているので迷うことはありません。最近広島電鉄が値上がりしたため、差は狭まりましたが、都市交通で3駅『190円』っていうのは、何となく割高感を覚えます。

終点の本通駅で下車しますが、ここはもう街中感が漂っています。柳井→岩国→新白島→本通とやってきてやっと『都会』にやってきました(笑)。

《次編に続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩

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